≪第3回≫ 
本ページでは『激闘!ソロモン海戦史DX』旧パッケージ版の発売時に掲載したシナリオ設定資料を掲載しています。
フリーセットアップシナリオを使って、ゲームに収録されていない海戦や歴史のifを再現する事ができます。
なお今回掲載のシナリオ設定は前回に続き、ゲームバランス的には悪いものになっています
これらの設定は「当時の指揮官はどんな気持ちで海戦に臨んだのだろう?」と考える方や「太平洋戦争中にはこんな海戦もあったんだなあ。」と考える史実中心派の方の為に用意した物だからです。
よって勝敗に拘る方や大海戦愛好者にはお勧めできません。


バリ島沖海戦(1942.2.19)
バリ島沖海戦は蘭印攻略作戦中に発生した海戦である。
同島攻略に日本軍が充当した兵力は第48師団所属の歩兵1個大隊でこれを海上輸送する為に輸送船「笹子丸」及び「相模丸」が使用された。
護衛部隊は第8駆逐隊(大潮、朝潮、荒潮、満潮)である。
一方、連合軍のヘルフリッヒ提督は日本軍のバリ島上陸に対し水上艦艇による夜襲を企図、3波からなる部隊を出撃させた。
第1波はドールマン直率の巡洋艦デ・ロイテル(旗艦)、ジャワ、駆逐艦ピートハイン、コルテノール(出港直後に座礁し戦闘不参加)、フォード、ポープの6隻、第2波は巡洋艦トロンプ、駆逐艦スチュワート、パロット、J・D・エドワーズ、ピルスバリーの5隻、第3波は魚雷艇部隊(会敵せず帰投)であった。
なお当時、日本軍部隊は昼間の空襲で損傷した相模丸をマカッサルへ帰投(満潮、荒潮が護衛として随航)させていた為、バリ島沖には笹子丸と大潮、朝潮だけが残っていた。
2200頃、バリ島沖に到達した連合軍第1波は夜襲を開始する。
ついで2353、朝潮が連合軍第1波を発見、両軍は激烈な砲火を交えた。
この第1次海戦で連合軍は駆逐艦ピートハインを喪失しもろくも敗退した。
更に0300に連合軍第2波が襲来。
だが日本軍も危急の知らせを聞いて駆けつけた荒潮、満潮が合流しており兵力は4隻になっていた。
第2次海戦では満潮、トロンプが大破、大潮、スチュワート等が損傷している。
最終的に日本側は輸送船を護り通したうえ駆逐艦1隻を撃沈、巡洋艦1隻、駆逐艦1隻を撃破(損害は駆逐艦2隻が損傷)しており劣勢な戦いとしては希にみる
勇戦と言えるであろう。

第1次海戦日本軍ゲーム上兵力
第1駆逐隊 朝潮型2隻(旗艦含)

第1次海戦連合軍ゲーム上兵力
第1任務部隊
第1駆逐部隊
デ・ロイテル型1隻(旗艦)、ジャワ型1隻
バン・ガレン型1隻、クリムソン型2隻(旗艦含)

第2次海戦日本軍ゲーム上兵力
第1駆逐隊 朝潮型4隻(旗艦含)

第2次海戦連合軍ゲーム上兵力
第1任務部隊
第1駆逐部隊
トロンプ型1隻(旗艦)
クリムソン型4隻(旗艦含)


エクセター追撃戦(1942.3.1)
1941年2月27日、蘭印を巡る日本軍と連合軍の戦いはスラバヤ沖海戦によって雌雄が決せられた。
この日、蘭軽巡デ・ロイテル以下、米重巡ヒューストン、英重巡エクセター、蘭軽巡ジャワ、濠軽巡パース、駆逐艦9隻からなるABDA艦隊は重巡那智、羽黒軽巡那珂、神通、駆逐艦14隻からなる日本軍艦隊と交戦、昼間の戦闘で英重巡エクセターが損傷して戦列を去り蘭駆逐艦コルテノール、英駆逐艦エレクトラが沈没した。
更に夜戦でABDA艦隊は蘭軽巡デ・ロイテル(旗艦:指揮官のドールマン提督は戦死)とジャワ、英駆逐艦ジュピターを失い大敗を遂げたのである。
もはや連合軍に日本海軍を食い止められるだけの余力はなかった。
かくして連合軍海軍部隊艦艇に脱出命令が下され残存各艦は逐次、濠州やセイロンへ向け出港するに至った。
これら諸艦のうちスラバヤに在泊していた英重巡エクセターは2月28日夜、英駆逐艦エンカウンター(A型駆逐艦)、米駆逐艦ポープ(クリムソン型)と共にセイロンに向けて出港したのであるが翌3月1日夜半、バタビア北東のバウェアン島沖で有力な日本海軍部隊に捕捉されてしまった。
南南西から迫る日本海軍の第5戦隊(高木武雄提督指揮:重巡那智、羽黒、駆逐艦山風、江風)と北方を遮る第3艦隊(高橋伊望提督:重巡足柄、妙高、駆逐艦、電、曙)に挟撃された連合軍部隊は勇戦、奮闘したものの英重巡エクセター、英駆逐艦エンカウンターが沈没し米駆逐艦ポープのみが脱出に成功した。
日本海軍の方に大きな損害はない。
なおポープは脱出には成功したものの後刻、空襲によって沈没している。
日本軍ゲーム上兵力
第1戦隊
第2戦隊
妙高型2隻(旗艦含)、白露型2隻
妙高型2隻(旗艦含)、綾波型1隻、暁型1隻

連合軍ゲーム上兵力
第1任務部隊 エクセター型1隻(旗艦)、A型駆逐艦1隻、クリムソン型1隻

1式弾の使用は任意とする。

第7次多号作戦1944.12.3
レイテ海戦で大敗を喫した日本海軍は連合軍と正面対決するだけの力を失った。
だがレイテ島に在陣する日本陸軍部隊へ対する補給と増援は無理を押してでも続行しなければならない。
多号作戦とはレイテ島オルモック湾に対する日本海軍の緊急増援作戦である。
日本海軍は9度に渡って実施されたこの作戦に多数の1等輸送艦、2等輸送艦、輸送船、駆逐艦、海防艦などを出撃させ死闘を繰り広げた。
第1次では軽巡鬼怒、駆逐艦浦波、1等輸送艦3隻、2等輸送艦2隻が参加し1等輸送艦3隻を除いて全艦が空襲によって全滅、第2次では駆逐艦6隻、海防艦4隻、輸送船4隻のうち海防艦1隻、輸送船1隻が沈められている。
続く3次では輸送船2隻、4次では駆逐艦4隻、掃海艇1隻、輸送船4隻、5次では1等輸送艦2隻、2等輸送艦3隻、駆潜艇1隻が戦没した。
なおこれらの損害は皆、航空機の空襲による物であったが第6次では米魚雷艇の襲撃を受け輸送船2隻、哨戒艇1隻、駆潜艇2隻が沈没するに至った。
そして第7次多号作戦では第9号輸送艦、第140号輸送艦、第159号輸送艦を護衛する駆逐艦桑と竹が米海軍第120駆逐隊(A・M・サムナー、モール、クーパー)と会敵し桑とクーパーが沈没する水上戦が発生したのである。
日本軍ゲーム上兵力
第1戦隊
第1駆逐隊
1等輸送艦1隻(旗艦)、2等輸送艦2隻
松型2隻(旗艦含)

連合軍兵力
第1駆逐部隊 A.M.サムナー型3隻(旗艦含)

礼号作戦1944.12.26
1944年12月15日、アイケルバーガー将軍指揮下の米第8軍に所属する米第24師団と米第11空挺師団はミンドロ島へ上陸した。
同地の飛行場を占領し陸軍航空部隊の前進基地を確保する為である。
この報告はレイテ海戦での大敗後、多号作戦で苦杯を嘗めて続けていた日本海軍首脳部に新たなる衝撃を与えた。
ミンドロ島の次はフィリピン諸島の中枢、ルソン島へ米軍は上陸するであろう。
その前にミンドロ島の米軍前進基地を叩かねばならない。
かくして当時、進行中であった第10次多号作戦は中止され急遽、ミンドロ島マンガリン湾泊地に在泊する米輸送船団へ対する夜襲作戦が立案されたのである。
なお本作戦の参加部隊(挺身部隊)は木村昌福提督指揮下の第2水雷戦隊(旗艦霞)を主力としていたが重巡足柄や軽巡大淀も臨時編入されており当時の日本海軍が集めうる精一杯の水上戦闘部隊であった。
兵力は重巡足柄、軽巡大淀、駆逐艦霞、朝霜、清霜、榧、杉、樫の8隻である。
1944年12月24日、挺身部隊はミンドロ島のマンガリン湾泊地を目指し集結地のカムラン湾を出港した。
制空権が連合軍の掌中にある状況で最も脅威となるのは空襲だと言えよう。
だが空襲による損害は駆逐艦清霜の喪失のみにとどまり残る7隻は26日夜半、マンガリン泊地へ突入し輸送船4隻に損害を与え飛行場にも砲撃を加えた。
本作戦は日本海軍が行った「成功した最後の作戦」として知られる。
一方、連合軍は第2水雷戦隊迎撃の為、重巡ルイスビル、ミネアポリス、軽巡フェニックス、ボイスからなるチャンドラー提督指揮下の第4巡洋艦戦隊とフレッ
チャー型駆逐艦8隻からなる第56駆逐部隊を出撃させたが12時間遅れで日本艦隊の迎撃には間に合わなかった。
同部隊の出撃が早ければマンガリン湾で一大夜戦が生起していたかも知れない。

日本軍ゲーム上兵力
第1戦隊
第1駆逐隊
朝潮改型1隻(旗艦)、妙高型1隻、大淀型1隻、夕雲改型1隻
松型3隻(旗艦含)

連合軍ゲーム上兵力
第1任務部隊
第2任務部隊
第1駆逐部隊
第2駆逐部隊
ノーザンプトン型1隻(旗艦)、アストリア型1隻、ブルックリン型2隻
連合軍輸送船型4隻(旗艦含)
フレッチャー型4隻(旗艦含)
フレッチャー型4隻(旗艦含)

1式弾の使用は任意とする。