GS新掲示板 発言集[38](No.3701〜3801)



[3801] Re:[3798] ゲーム画面の最大化 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2016/07/10(Sun) 17:29
> 太平洋戦記3と太平洋戦記3大和計画のゲーム画面の最大化が出来るようにお願いします。

哨戒フェイズおよび作戦フェイズ等につきましては拡大マップが最大化できますので、そちらをご使用下さい。
全体マップや開発、生産などのフェイズにつきましては画面サイズが固定となっております。
ご不自由かと思いますが、どうかご容赦下さい。

他社ゲームでは自動的にフル画面に切り替わってディスプレイ一杯に表示される物もありますが、フル画面にすると複数のウインドウを開いたままにして根拠地や兵器の情報を見ながらプレイしたり、途中でウインドウを切り替えて解説書を見る事が出来なくなってしまいます。
このため太平洋戦記3および大和計画では現状の表示方法となっております。

なおご要望につきましてはメールにてご連絡下さい。 

[3800] Re:[3795] 無題 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2016/07/10(Sun) 17:19
> いつも楽しく太平洋戦記3を遊ばせて貰っております。
> 太平洋戦記3と大和計画のWindows10への正式対応の予定はありますでしょうか?

Windows10は現時点でBGMをOFFにすれば問題無く動作するようですが、BGMをONにしての動作につきましては現在調査中です。
Windows10は現在不安定な状況にあり、弊社は正式対応を予定しておりません。 

[3799] Re:[3778] リアル商船モード 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/07/10(Sun) 13:53
忘れてはならないディーゼル優秀船に高速タンカーがある。
第一次世界大戦以降、海軍艦艇の主要燃料が石炭から重油に変わり日本海軍も多数のタンカーが必要になった。
かくして建造されたのが1920年から1924年にかけて竣工した知床型7隻や隠戸型3隻などの給油艦(タンカー)である。
これらは常備排水量15400t、搭載重量8000t、速力12ノットであった。

極端に低速なのは機関が旧式なレシプロで燃料が石炭だったからである。
重油を運搬する艦船の燃料が石炭とは妙な話だが貴重な重油を運搬するのに重油を使用したのでは勿体ないのが理由であった。
この様に経費節減が目的で燃料を石炭とした例には計画時の英R型戦艦がある。
また日本海軍でも5500型軽巡の最終クラス川内型では従来に比べ重油の搭載量を減らし石炭の搭載量を増大させた。
速力を重視する戦艦や巡洋艦ですら石炭を使用したくらいなのだから後方支援の給油艦が石炭のレシプロ機関のは当たり前だったと言えよう。

たしかに経費的に見れば石炭を使用した方が安上がりではある。
だがそれは平時での話だ。
石炭が燃料では性能が低く、洋上で補給できず、煤煙が出るので航空索敵で発見され易く運用上、大きな制約を受ける。
どうしても重油のタービン、できれば燃費の良いディーゼルのタンカーが欲しい。

そこで開戦を控えた日本海軍は優秀船舶建造助成施策で多数の貨物船、客船、タンカーを民間に建造させ戦時に徴用する事にした。
これが約10000馬力のディーゼル機関を備えた約10000総tの「川崎型」と称される高速タンカーで搭載重量は約14000tであった。
約1万馬力なので本ゲームでは靖国丸と同等の燃費22tとしてデータ化している。
基準排水量は「タンカーは貨物船に比べ隔壁が少ないので総tに対する基準排水量の比率が小さい事」と「高速輸送船の総tに対する比率を85%としている事」から70%とし7000tとしてデータ化した。

よって高速タンカーはリアルモードオフで基準排水量10000t、燃費50t、燃料搭載量2315t、物資搭載量12000tだがオンでは基準排水量7000t、燃費22t、燃料搭載量1020t、物資搭載量14000tとなる。
素晴らしい優秀船だけに沈められたら勿体なくて真っ青になるよ。
とてもじゃないが戦時急造タンカーで補填できる存在ではない。
燃料が惜しくないアメリカなら別だろうけど。

[3798] ゲーム画面の最大化 投稿者:予備自衛官 投稿日:2016/07/10(Sun) 11:04
太平洋戦記3と太平洋戦記3大和計画のゲーム画面の最大化が出来るようにお願いします。 

[3797] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/07/10(Sun) 07:58
価格コムのゲームソフトランキングで太平洋戦記3が9位になった。
ここの所、ヒトケタラインの波打ち際を行ったり来たりしてるようだ。 

[3796] Re:[3791] 大和計画 発売のお知らせ 投稿者:いそしち 投稿日:2016/07/09(Sat) 10:37
早速、購入しました。
予定通り経済重視のK案で進めたいと思います。
勿論、シナリオは1941年で早期の日米艦隊決戦を目指します。
我に天佑あれ! 

[3795] 無題 投稿者:Nero 投稿日:2016/07/08(Fri) 23:33
いつも楽しく太平洋戦記3を遊ばせて貰っております。
太平洋戦記3と大和計画のWindows10への正式対応の予定はありますでしょうか? 

[3794] 更新のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2016/07/08(Fri) 15:04
こちらにもEDP4.DLLエラーの対処法についてアップしましたのでご覧下さい。
http://www.general-support.co.jp/extra/exyamato01.html 

[3793] 無題 投稿者:天井桟敷 投稿日:2016/07/08(Fri) 13:45
GSスタッフ様
お疲れ様です

大和計画 エラー対応ありがとうございます
問題なく、プレイできました。
今後とも、よろしくお願いします。 

[3792] 大和計画のEDP4.DLLエラーについて 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2016/07/08(Fri) 13:38
大和計画のインストール時にEDP4.DLLエラーが出るケースについて、複数のユーザーの方からご報告いただいております。
EDP4.DLLエラーの発生原因と対処法について以下に記載します。


【原因】
大和計画はインストール時に太平洋戦記3をインストールしているフォルダを探します。
この時スタートメニューのショートカットを見てリンク先を判別しているのですが、ショートカットを消してしまったりデスクトップに移動させてしまった場合にはリンク先が見つけられず、リンク先手入力の際にEDP4.DLLエラーが発生する場合があります。

【対処法】
太平洋戦記3のショートカットが復活すれば正常にインストールできます。
方法は以下の2種類があります。

方法1:
デスクトップ等に移動させた太平洋戦記3のショートカットをコピーして、スタートメニューの元の場所に貼り付ける。

方法2:
太平洋戦記3自体を上書きインストールして、スタートメニューのショートカットを初期状態に戻す。
(セーブデータ等は残りますがプログラムは初期バージョンに戻ってしまうのでVer1.Fと8.1対応化のアップデートが必要です)


【弊社の対応】
ダウンロード販売サイトのマスターを順次、ショートカットが無くても動作する物に差し替えます。
お急ぎでない方や作業に不安のある方は後日、ダウロード販売サイトより再ダウンロードなさって下さい。 

[3791] 大和計画 発売のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2016/07/07(Thu) 18:32
本日『太平洋戦記3 大和計画』のダウンロード販売を開始いたしました。

http://www.general-support.co.jp/link2.html 

[3790] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/07/04(Mon) 08:55
価格コムのゲームソフトランキングで太平洋戦記3が9位になったようだ。
誠に有り難い事である。 

[3789] Re:[3785] [3780] [3779] [3778] リアル商船モード 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/07/03(Sun) 20:02
開戦時、日本海軍は多数の優秀なディーゼル商船を特設潜水母艦や特設水上機母艦、特設巡洋艦として徴用していたが戦局が悪化するに及び逐次、輸送船へ再改装された。
その理由は前線で活躍していた高速輸送船が南方攻略やガ島攻防戦で片っ端から沈められ輸送力が激減したからに他ならない。
神川丸型4隻、S型7隻、A型5隻、N型6隻、衣笠丸型3隻、畿内丸型8隻の合計33隻のうち特設水上機母艦と特設巡洋艦になったのは12隻である。

よって開戦時に輸送船として運用されていたのは残り21隻なのだが、1942年末までになんと9隻が沈められてしまったのである。
こうなっては悠長に特設巡洋艦や特設水上機母艦として運用している訳にはいかない。
確かに日本にはまだまだ、多数の商船があったが「貴重な高速ディーゼル貨物船」に関しては枯渇に近い状況に入ろうとしていたのだ。

既に多数の戦時急造船舶が建造中であったが1000総t以上の大型船は全てタービンもしくはレシプロの機関を装備しており燃費の良いディーゼル船は皆無だった。
貴重な大出力ディーゼル機関は全て海軍艦艇用とされたのである。
かくして特設巡洋艦や特設水上機母艦、特設潜水母艦は次々と輸送船に再改装されたがもはや焼け石に水で戦局が悪化するにつれどんどん沈んでいった。
大戦末期にはディーゼルの大型商船は殆ど存在しなくなり補填として投入されたのは燃費の悪い戦時急造船だったので燃料事情はとみに悪化した。

この様相を再現すべく今回は「リアル商船モード」を導入したのである。
興味のある方は是非、御堪能頂きたい。 

[3788] Re:[3785] [3780] [3779] [3778] リアル商船モード 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/07/02(Sat) 22:30
それでは今日は燃費の良いディーゼル船を解説しよう。
特設潜水母艦や特設水上機母艦、特設巡洋艦、防空基幹船の母体となる高速輸送船は約7000総tで速力21ノット、載貨重量10000tの商船としてデータ化している。
これに相当する日本の商船はN型(7100総t:6800馬力)6隻、神川丸型(6853総t:7500馬力)4隻、衣笠丸型(6806総t:7000馬力)3隻、畿内丸型(8360総t:7200馬力)8隻、S型(7158総t:9600馬力)7隻、A型(7389総t:8000馬力)5隻などだ。
これら優秀貨物船はどれもディーゼルエンジンで出力は約7000馬力である。
だがどのクラスも燃費と燃料搭載量のデータだ見あたらない。

そこでディーゼル機関の高速商船である靖国丸のデータを参考とした。
靖国丸(11979総t)の出力は10000馬力、航続力は15ノット/12600浬、燃料搭載量は1309t、満載排水量19524t、搭載重量は10155tである。
よってこのデータから算出されるゲーム上の燃費は22tとなる。
高速商船の出力は7割の7000馬力なので燃費を15とし燃料搭載量は当時の外航貨物船の基準が航続8000浬だったので556tとした。
ただし特設潜水母艦は補給用燃料も搭載(靖国丸の場合は948t)していたので1000tを加算し1556tとしている。

さて、次に高速商船の基準排水量を考えてみよう。
基準排水量が判明している商船は大変、少ない。
通常、海軍艦艇は「艦船の重量を示す排水量」で表記されるが商船は「艦船の容積を示す総t」で表記されるからである。
前述した7000総t級の新鋭ディーゼル商船の基準排水量は残念ながら見あたらない。
はたして総tを排水量に換算するとどれだけになるのであろうか?
まず商船から艦艇に改装された例を考えて見よう。
隼鷹型や大鷹型、海鷹型などの商船改装空母は商船時の総tと空母時の排水量の数値が判明している。
ここから換算式が判るだろうか?
残念ながらそうはいかない。
空母に改装した時、どれも重量が軽くなっているのだ。
喫水を見るといい。
これらの商船改造空母は全長の延伸工事やバルジ装着などをしていないので喫水値が減っていれば排水量が減少している事が判る。
隼鷹型は商船時に9.17mだった喫水が8.60m、大鷹型は8.80mが8.26m、
海鷹型は8.78mが8.68mに減少している。
もっとも隼鷹型だけは商船時の基準排水量27815tで28950総tと判明しているので換算する事ができ1総tに対する基準排水量は96%となるが高速輸送船より遥かに大型なのであまり参考にはならない。

戦時急造の中速輸送船(1A)は基準排水量4020tで6400総tである。
つまり1総tに対し基準排水量は62%だ。
他はどうであろうか?
中速タンカー(1TL)と戦標輸送船(2A)は55%、低速タンカー(2TL)は49%である。
随分とばらつきが多くこれまた参考にするには難がある。
参考になりそうなのは数値の判明している特設潜水母艦で「さんとす丸」が67%、「りおでじゃねいろ丸」が70%、平安丸が87%、靖国丸が78%だ。
更に米のハスケル型の母体となったビクトリー船が88%なので85%と仮定し7000総tの85%で基準排水量6000t(切り上げ)とする。

よってオフで基準排水量7000t、燃費29t、燃料搭載量1044tだった高速輸送船はオンになると基準排水量6000t、燃費15、燃料搭載量556tとなる。
高速輸送船の燃料消費は従来の半分になると言う訳だ。

[3787] 新商品のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2016/06/30(Thu) 18:42
弊社次回作『太平洋戦記3 大和計画』の発売日が7月上旬に発売いたしました。
本製品はダウンロードのみの販売となります。
また本製品のプレイには「太平洋戦記3」が必要となりますのでご注意下さい。

http://www.general-support.co.jp/pw3/yamato.html 

[3786] Re:[3783] [3782] [3781] 食糧輸送 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/29(Wed) 07:18
>歩兵分隊一個の海上輸送コストが50トン、というのはいったいどんな根拠があるのでしょうか?教えてください。

戦史叢書1巻19頁にマレー作戦時に於ける日本陸軍の上陸準備として「船舶に収容する人馬の基準は1人5トン、1馬10トン」と記述されている。
歩兵分隊は約10名、だから50トンなのだ。
騎兵分隊は馬10頭と兵10名だから150トンになってるでしょ。

ちなみに「僕は体重0.07トンだ。5トンもないよ!」と思われるかも知れない。
なぜ5トンで計算せねばならないのか?
その理由は「人間が生活するには空間が必要」だからである。

直立したままピッチリ詰めれば一畳の部屋に10人以上入る事だって出来るだろう。
でもそれじゃ息苦しくて生活できない。
ちゃんと寝るにはそれなりの空間(例え3段ベットを使ったにしても)が必要なのである。
よって人間1人の重量は軽くとも「貨物に相当したら5トン分の空間が必要」と計算された。

米軍のハスケル型兵員輸送船はビクトリー型貨物船(物資搭載量10620t)を改造して建造されたが搭載量は兵員1581名、貨物2900tだった。
10620−2900=7720
7720÷1581=4.88
ねっ、ここでも5の近似値になるでしょ。
米軍もだいたい同じ計算をしていたらしい。

ついでに・・・
前にも書いたと思うけど糧食がいかにコンパクトであるかを解説しておこう。
日本はガ島戦で糧食が不足し甚大な損害を蒙った。
そもそも第一陣の一木支隊からして7日分の糧食しか携行せず進撃を開始した。

まずここが異常なのである。
どこの島の日本軍もこんなに食糧が少なく頻繁に補給を受けていたのだろうか?
それでは他の島の糧食保有状況を戦史叢書62巻から探して見よう。
1943年12月のサイパンには205日分の備蓄があった。

そして1944年1月15日の状況は以下であった。
クェゼリン 193日分
ルオット  240日分
ヤルート  187日分
ウェーク  153日分
ねっ、随分とあるでしょ。

ちなみに携帯口糧の場合、重量は米855g、缶詰150g、塩24gで1日約1sだ。
だから1万人で1日10tになる。
よって1年分備蓄したとしても3650tに過ぎない。
さっきの米軍のハスケル型は兵員1581名と貨物2900tを搭載できるが「もし弾薬や資材、火砲を搭載せず全部、食料を搭載したら?」を考えて見ると・・・
2900000÷1581=1841日分となる。
何もそんなに長期間の糧食を持っていく必要はない。

弾薬箱やセメント袋の脇にちょっと置いとくだけで良いのだ。
そう、人数に対しての60日分くらいをね。
つまりハスケル型だと貨物95t分くらいか。
補給に自信がないなら120日分くらい積んでも良いかも知れないね。
それにしたって貨物190t分に過ぎない。
日本の戦標船だって10200tも貨物を搭載出来たんだから「やろうと思えば簡単な事」だろう。
でもやらずに結果として大量の餓死者が生じてしまったのだ。
合掌。 

[3785] Re:[3780] [3779] [3778] リアル商船モード 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/28(Tue) 22:16
> 他の商船についてはまた後日。

それでは続きを。

タービンの戦標輸送船、戦標タンカーはオフだと基準排水量4620t、燃費9t、燃料搭載量430tだったがオンで基準排水量3655t、燃費34t、燃料搭載量1578tとなる。
やはりタービンの中速タンカーと中速商船空母はオフで基準排水量9000t、燃費27t、燃料搭載量1250tだったがオンでは基準排水量5560t、燃費47t、燃料搭載量2156t。
これまたタービンの低速タンカーと低速タンカー空母はオフだと基準排水量8000t、燃費14t、燃料搭載量560tでオンになると基準排水量4921t、燃費29t、燃料搭載量1075t。
やはりタービンの小型タンカーはオフで基準排水量1680t、燃費5t、燃料搭載量110tだったがオンでは基準排水量1790t、燃費13t、燃料搭載量300tとなる。
物資搭載量はどれも変わらない。 

[3783] Re:[3782] [3781] 食糧輸送 投稿者:チャカポン 投稿日:2016/06/28(Tue) 15:53
> > お久しぶりです。太平洋戦記においては、食糧はデータにありません。これは消費量が僅かだからだ、と過去の掲示板にありましたが、都市にいる民間人や捕虜の消費量を考えればデータ化してもいいと思ったのですが、阿部さんの意見を是非お聞かせください。
> 
> 太平洋戦記3は戦略規模の軍事SLGだよ。
> だから「国民の食糧事情」は対象外なのだ。
> 捕虜の食糧は「捕虜を農業に使役する事」で農地さえ確保できれば解決できるだろうね。
> 実際、ドイツは大量の捕虜を農業に従事させてたよ。

ありがとうございます。確かに日本でも米軍捕虜を農作業に従事させていたようですね。しかし米軍捕虜の死亡率は高かったようですが。
それと、歩兵分隊一個の海上輸送コストが50トン、というのはいったいどんな根拠があるのでしょうか?教えてください。

[3782] Re:[3781] 食糧輸送 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/28(Tue) 14:04
> お久しぶりです。太平洋戦記においては、食糧はデータにありません。これは消費量が僅かだからだ、と過去の掲示板にありましたが、都市にいる民間人や捕虜の消費量を考えればデータ化してもいいと思ったのですが、阿部さんの意見を是非お聞かせください。

太平洋戦記3は戦略規模の軍事SLGだよ。
だから「国民の食糧事情」は対象外なのだ。
捕虜の食糧は「捕虜を農業に使役する事」で農地さえ確保できれば解決できるだろうね。
実際、ドイツは大量の捕虜を農業に従事させてたよ。 

[3781] 食糧輸送 投稿者:チャカポン 投稿日:2016/06/28(Tue) 13:03
お久しぶりです。太平洋戦記においては、食糧はデータにありません。これは消費量が僅かだからだ、と過去の掲示板にありましたが、都市にいる民間人や捕虜の消費量を考えればデータ化してもいいと思ったのですが、阿部さんの意見を是非お聞かせください。
個人的には兵隊に腹一杯食わせることにニヤニヤしてみたいです。戦後フィリピンでは捕虜への待遇問題で戦犯として将官が処刑されていますし、シミュレートを太平洋戦記3でやってみたいです。

[3780] Re:[3779] [3778] リアル商船モード 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/27(Mon) 19:05
> とても楽しみです。
> 具体的に数値として御教示頂けると有り難いのですが。

これは申し訳ない。
まずレシプロの中速輸送船だがリアル商船モードがオフ(既存の状態)だと基準排水量(建造に必要な鉄)は5120t、燃費は17、燃料搭載量は640tだった。
これがオンでは基準排水量4030t、燃費は32、燃料搭載量1045tとなる。
物資搭載量は変わらない。
大部分の商船で基準排水量が変わるけど、それにスライドして新造規模も変わるので工期は殆ど変わらない。
他の商船についてはまた後日。 

[3779] Re:[3778] リアル商船モード 投稿者:いそしち 投稿日:2016/06/25(Sat) 23:07
> しかし今回の「大和計画」では複数の新資料から日本商船の燃料関係データ及び建造に必要な資材の基礎となる基準排水量が判明したので「リアル商船モード」を導入した。

とても楽しみです。
ところで「ディーゼルはタービンに対し燃費が3倍良い事」や「戦時急造船はディーゼルではない事」と「高速タンカーはディーゼルで中速タンカーはタービンである事」は判りましたが具体的に数値として御教示頂けると有り難いのですが。

[3778] リアル商船モード 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/23(Thu) 23:09
「大和計画」の完成が随分と遅れ申し訳ない。
遅れた理由のひとつに「リアル商船モード」の導入がある。
諸兄も御存知の通りタービンやレシプロの機関はディーゼルに対し著しく燃費が悪い。
だがこれまで商船の燃費及び航続距離、燃料搭載量に関して確たるデータがなくゲーム化するに際し同等サイズでデータの判明している艦船から推測するしか方法が無かった。
しかし今回の「大和計画」では複数の新資料から日本商船の燃料関係データ及び建造に必要な資材の基礎となる基準排水量が判明したので「リアル商船モード」を導入した。
既存の数値でプレイするのも可能でモード切替式となっている。
さて、「昭和産業史」には各型商船の1日当たり燃費が記載されている。
太平洋戦記3で中速輸送船としてデータ化した1A型は43t、戦標輸送船の2A型は36t、中速タンカーの1TL型は77t、低速タンカーの2TL型は43t、小型タンカーの2TM型は13t、小型輸送船の1C型は24tである。
ちなみに1A型とほぼ同船体で機関をディーゼルにしたAD型(6200総t:速力15.5ノット:搭載重量9240t、3500馬力)は13tで1Aの1/3に過ぎない。
次に「海軍造船技術概要」に記載されている各型商船の航続距離と巡航速力から行動日数を算出する。
行動日数に1日当たり燃費をかけた数値が燃料搭載量である。
更に「海軍造船技術概要」には満載排水量と搭載重量が記載されているので差から基準排水量が算出できる。
こうして算出した結果を見ると商船ではディーゼルとタービンで燃費に約3倍の差がありほぼ同大の船型では出力に比例して燃費が多くなる事が判る。
一慨には言えないがディーゼルの丙型海防艦(燃料搭載量106t、航続距離6500浬1tにつき61浬)とタービンの丁型海防艦(燃料搭載量240t、航続距離4500浬、1tにつき18.7浬)を比較した場合でも3.2倍の差であり米海軍の護衛駆逐艦をディーゼル装備艦型とタービン装備艦型で比較しても約3倍差となる。
つまりディーゼルとタービンでは大きな差が生じるのでリアル商船モードでは厳密に区分し戦時急造商船の欠点をクローズアップした。
ディーゼルの高速タンカーは旧版で燃費50だったが今回は22(1ターンで110t)になりタービンの中速タンカーは旧版で燃費27だったが今回は47(1ターンで188t)になっている。
3倍差になっていないのは出力に大きな差があり巡航速力も違うからである。
また旧版より建造に対する資材の需要は低下し基準排水量5120tと算定されていた1A型は4020t、8000tと算定されていた2TL型は4921tとなった。
つまり戦時急造戦に頼っても極度な鉄不足にはならないが燃料不足の危機を生ずる。
よって開戦時に多数存在したディーゼル優秀船の重要性は非常に大きくなる。
燃料が潤沢に供給できない場合、戦時急造のタービン船では幾ら数が増えても代替とはならないからだ。
燃料事情に困らない連合国は別だが日本としては商船を戦時急造して増やすより護衛艦を多数、建造して「如何に損害を減らすか?」を考えた方が得策であろう。 

[3777] Re:[3776] ゴールデンバット 投稿者:旧式野郎 投稿日:2016/06/16(Thu) 17:16
> 吸ってたのは日中はチェリー、日没以降は夕食が洋食ならダビドフ、和食ならショートピース(ホルダー使用)だった。
> 缶は開けた時の「プシュー」がいいね。
> あの時の香りがたまらん!

阿部さんもショートピースだったなんて!光栄です。あの甘くて、ほろ苦い香り・・・日本たばこの最高傑作と信じております。
わたしの吸い方は、直に口をつけて吸うのです。これはもう、味が違う。濃厚な甘い煙が、そのまま口へ入ってくるのが、何ともたまりません。
チェリーは、故・松田優作氏も吸っていましたね。これも思い出深い名品でした。

> 「金鵄」(ゴールデンバットの事)あがって15銭
> 栄えある「光」30銭
> いよいよあがるこの煙草
> 紀元は2600年
> ああ、一億の民は泣く

「光」は「金鵄」の2倍ですか!「翼」も「鵬翼」も、きっと30銭ぐらいだったんでしょう。生前の祖父も「バットは安くて良い」と
ゴールデンバットばかり吸っていたのも、うなずけます。

> 父は1960年代は「いこい」、70年代はハイライトで80年代以降はマルボロだったなあ。

「いこい」・・・「今日も元気だ たばこがうまい!」ですね。パッケージが良いですね。休符ですかね。これでちょっと一休み、といったところでしょうか。
「いこい」「パール」「ルナ」なんかも、試してみたかったです。今となっては叶わぬ夢ですが・・・ 

[3776] ゴールデンバット 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/16(Thu) 09:52
追補
蕎麦が4銭だった1917年のゴールデンバットは5銭で年末から6銭に値上がりしたらしい。
1976年に亡くなった母方の祖父はバット派で1日に2〜3箱を吸うチェーンスモーカーだった。
父は1960年代は「いこい」、70年代はハイライトで80年代以降はマルボロだったなあ。
吸いすぎで食道ガンになり10年前、死んじゃったが。
まあ、吸う吸わない、早死にするしないは人の自由だから口を挟まないけど喉に穴開けて吸痰器で吸い出すのは見てるだけでもツライもんだよ。
今でも「吸いてえな〜」と夢にまで見るが「吸痰器だけはチョッとゴメン」とも思う。 

[3775] Re:[3774] 明治時代のたばこ 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/16(Thu) 08:06
> わたしは愛煙家なものですから、たばこを吸いながらのプレイなのですが、みなさんは、たばこはお好きですか?

昔は吸ってたよ。
でも社員が結核になった時、社内禁煙令を発布し率先して止めたんだ。
今でも時折、吸う夢を見るよ。
吸ってたのは日中はチェリー、日没以降は夕食が洋食ならダビドフ、和食ならショートピース(ホルダー使用)だった。

> わたしはショート・ピースを愛用しております。缶入りのがかっこいいのです。箱入りもかっこいい。

缶は開けた時の「プシュー」がいいね。
あの時の香りがたまらん!
田山雅充と言うフォークシンガーがいるんだが彼は昔、女の子とデュオを組んでいた。
その女の子と僕の友人が結婚した。
結婚式は奇抜で「ライブ式」。
参列者は全て何か楽曲を演奏するか踊るか歌わなければならないのだ。
田山氏も3曲ほど歌ったよ。
田山氏は缶ピース派で革製の缶ピースケース(フックが付いて腰から下げられた)を使ってた。
2、3本貰ったよ。
僕が日中、ショートピースを吸わなかったのは「持ち歩きに不便」だったからである。
箱ピースにしてた時もあったが外出先でホルダーを無くす事が多かったのでチェリーに代えたんだ。

> 今なお現役の、ゴールデンバット(10本・4銭)という格安たばこも、もちろん存在していました。これはソバと同額です。
> 物価を調べるのはハマリますね。その時代の暮らし向きが伝わってくるようです。

僕が敬愛し多岐に渡って御教示頂いた土井寛空将補の著書「戦争から平和へ」99頁によると1940年頃の海兵で「紀元2600年」の替え歌が流行ったそうだ。

「金鵄」(ゴールデンバットの事)あがって15銭
栄えある「光」30銭
いよいよあがるこの煙草
紀元は2600年
ああ、一億の民は泣く 

[3774] 明治時代のたばこ 投稿者:旧式野郎 投稿日:2016/06/15(Wed) 22:42
お久しぶりです。ご機嫌いかがでしょうか。
グロス・ドイッチュラント2のヨーロッパキャンペーンをプレイ中です。もう何度目のプレイでしょうか。
いま、ベルギーが宣戦布告してきて、アルデンヌの森を装甲軍で突破したところです。
事前に、アルデンヌを急降下爆撃機で、しつこく爆撃して、フランス軍兵力を減らしておいたのが効きました。
航空機の集中攻撃は効きますね。航空艦隊の大兵力で攻めれば、マジノ線の崩壊も叶おうというものです。
わたしは愛煙家なものですから、たばこを吸いながらのプレイなのですが、みなさんは、たばこはお好きですか?
わたしはショート・ピースを愛用しております。缶入りのがかっこいいのです。箱入りもかっこいい。
「ポケットの中のデザイン史 日本のたばこデザイン1945→2009」という本によりますと
1904年(明治37年)の主な国産たばこには、チェリー(10本・6銭)スター(10本・7銭)リリー(10本・5銭)
などがあったようです。これは・・・!以前、阿部さんから教えていただいた、明治時代末期のサケ缶と、ほぼ同額ですね!
今なお現役の、ゴールデンバット(10本・4銭)という格安たばこも、もちろん存在していました。これはソバと同額です。
物価を調べるのはハマリますね。その時代の暮らし向きが伝わってくるようです。 

[3773] Re:[3772] スポーツ機 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/15(Wed) 14:21
> しかし、平時はバカ売れで450機程度じゃ戦時とはフタケタ違いますね。
> 終戦とともに業界の再編成が凄い勢いで進む訳だ。

発言[2199]や[3673]でも書いたけど読んでない方もいらっしゃるだろうからもう一度・・・

「佐久間一郎伝」145頁によると中島飛行機創業者の中島知久平氏は「中島飛行機は戦争に勝っても負けてもつぶれる。勝てば飛行機はこんなにたくさん要らない。そうなったら低馬力の自動車工場にするより仕方がないだろう。それでもアメリカのフォードがダンピングしたらかなわない。」と言ったと記述されている。
つまり戦後、中島飛行機が富士重工となりスバルを生み出したのは「やむにやまれず」ではなく経営陣にとっては「予測のついた既定の路線」だったのだ。
中島飛行機の重役であ中川氏は1936年から1937年にかけて欧州視察に派遣されたが視察対象は航空機産業と「自動車産業」であった。 

[3772] スポーツ機 投稿者:K-2 投稿日:2016/06/14(Tue) 22:08
>スポーツ機(貧乏な日本と違って欧米じゃスポーツ機もかなり多い)
そういえばスーパーマリンもマッキもシュナイダーカップで名を馳せた
メーカーでしたね・・・

しかし、平時はバカ売れで450機程度じゃ戦時とはフタケタ違いますね。
終戦とともに業界の再編成が凄い勢いで進む訳だ。 

[3771] Re:[3770] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/14(Tue) 10:15
おぉっ!
凄いじゃないか、6位になったぞ。 

[3770] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/12(Sun) 16:55
価格コムのゲームソフトランキングで太平洋戦記3が9位になった。
前回は5月27日で3〜4日は一桁にいたんだけど10日余りは二桁になっていた。
今度はどれくらい一桁にいられるかな? 

[3769] Re:[3767] 気になるあのメーカーは・・・ 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/09(Thu) 15:37
> 小型単発機なんて軍用以外だと殆ど需要が無いって事ですね・・・

農業機やスポーツ機(貧乏な日本と違って欧米じゃスポーツ機もかなり多い)、練習機などでかなりの需要はあるが「高くちゃ売れない」から利益が少ないのだ。
つまり薄利多売である。

その点、旅客機は双発のDC2でも武装兵なら28人、エコノミークラスなら32人、ビジネスクラスで21人も乗れるので1機当たりの価格が高くても結構、売れるよ。
でも買ってくれるのは航空路線会社と各国政府くらいだから数は限られる。 

[3768] Re:[3767] 気になるあのメーカーは・・・ 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/09(Thu) 10:39
> どこぞのサイトで見たのですが、1939年時点でのアメリカの航空機メーカーの
> 生産力(マンアワー)が載っていて、トップはなんとマーチン。

戦前としてはB10がバカ売れしたからね。
海外輸出も含めると約350〜450機も売れたらしい。

> 2位がダグラス、3位がロッキードだそうです。この3社で50%を軽く超え。

ダグラスが儲かったのはDC2及びDC3の双発旅客機だ。
ロッキードのヒット商品はやはり双発旅客機のエレクトラ(スーパーエレクトラと合わせて約260機)である。
機数じゃなくマンアワー(利潤はそれに比例する)で比べると圧倒的に多発大型機に軍配が上がるようだ。

> 4位のボーイングは10%に届きません。

もうピーシューターは時代遅れだしB17はやっと量産が始まったばかりだし青息吐息で散々な時代だったのだ。
もし参戦していなければボーイング社は・・・

> まあ、戦争が始まってしまえばガラっと変わったのかもしれませんが、
> 小型単発機なんて軍用以外だと殆ど需要が無いって事ですね・・・
> みんな民間の大型機メーカーだもの。

なにしろ旅客機は外国が買ってくれるからね。
だから中島も戦前は必死になってAT2旅客機を開発したんだ。
1930年代後半あたりだと世界の単発戦闘機の大部分は多分、ソ連機が占めていたんじゃないかと思う。
スペインやら中国やらモンゴルやらそこらじゅうにいたもん。
ソ連の場合は利潤度外視だしね。

> てか、グラマン、ヘルキャットでどんだけデカくなったんだか。

やっぱ性能低下を忍んでも大胆な主翼折り畳み機構で搭載機数の増大化を可能にした所が成功のキーポイントだろう。
なにしろマスの利点がセールスポイントだと数が売れるからね。

> しかしマーチンかぁ・・・・・・

ダグラスはマーチンの元社員だったそうだが彼が独立しなければマーチンはさぞや大メーカーになっていただろう。

[3767] 気になるあのメーカーは・・・ 投稿者:K-2 投稿日:2016/06/08(Wed) 22:55
どこぞのサイトで見たのですが、1939年時点でのアメリカの航空機メーカーの
生産力(マンアワー)が載っていて、トップはなんとマーチン。
2位がダグラス、3位がロッキードだそうです。この3社で50%を軽く超え。
4位のボーイングは10%に届きません。
ベルもグラマンも2%以下で、誤差の範囲です。
まあ、戦争が始まってしまえばガラっと変わったのかもしれませんが、
小型単発機なんて軍用以外だと殆ど需要が無いって事ですね・・・
みんな民間の大型機メーカーだもの。
てか、グラマン、ヘルキャットでどんだけデカくなったんだか。

しかしマーチンかぁ・・・・・・ 

[3766] Re:[3765] [3764] 太平洋戦記3 米国国力 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/07(Tue) 19:19
「実際に生産された数量」と書いても出典を書かなきゃ説得力がないよね。
冨永謙吾著「定本・太平洋戦争」503頁によれば太平洋戦争中の日本航空機生産数は65300機で米国は265175機で約4倍である。
だけど機数だけで比較しても意味があるだろうか?
4発機と単発機では全然、工数が違う。
そこで500頁を開くと両国が生産力のピークを迎えた1944年度の比較が記載されている。
これによると航空機の機体重量総合計が日本の110885000ポンドに対し米国は965581000ポンドで8.7倍にもなるのだ。
それと私見だが日本は急速に搭乗員を養成しなくちゃならなかったから練習機を増産する必要に迫られたけど裾野の広い米国はさほど練習機を生産せずとも良かったんじゃなかろうか?
手元に根拠となる数値がないけどさ。
こうした訳で米国の航空機生産力は日本の約9倍、それらから欧州戦域に派遣した兵力を差し引いて約4倍とデータ化したのである。

[3765] Re:[3764] 太平洋戦記3 米国国力 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/07(Tue) 17:13
>ところで、米本土マップを情報から見ることが出来ますが、その中に米国生産力が表示されていますよね。あれはどういう根拠があるのでしょうか?

根拠となるのは艦船が「実際に生産された数量」で航空機は「実際に生産された数量」の約70%、陸戦兵器は「実際に生産された数量」の50%だよ。
シナリオによって異なるけど。
本来なら米国には200以上の根拠地がないといけないんだが抽象化して24箇所にしてある。
だから製鉄所だの精錬所だのが全く存在せず航空機、艦船、陸戦兵器の工場だけとなってるが日本と同じ尺度でデータ化したら艦船を建造する根拠地だけで50以上は必要になってしまう。
でないとあれほど沢山の艦艇や貨物船を建造できない。
具体的な数値で示すと航空機や陸戦兵器は国家生産力から工数を算出し需給状況に合わせて生産し国家備蓄に繰り込まれる。
第2段階作戦シナリオ開始時の米国家生産力は航空機が2835だから工数は283であり毎ターンおよそ4発重爆なら40機、単発戦闘機なら140機生産する。
あまりここで書くとネタバレになっちゃうので詳細はメールで問い合わせて頂戴。

[3764] 太平洋戦記3 米国国力 投稿者:チャカポン 投稿日:2016/06/07(Tue) 15:21
いつもお世話になっております。 太平洋戦記3、計画を練るだけでこれまでのゲームライフでも五指には確実に入るくらい面白いです。5桁くらい学生の身ながら出す価値は十二分にありました。

ところで、米本土マップを情報から見ることが出来ますが、その中に米国生産力が表示されていますよね。あれはどういう根拠があるのでしょうか?以前の掲示板を拝見させていただくと、日本の工場や資源には明確な根拠があるようでしたが。

史上最大のラスボス、米国の情報は少しでも収集したいのです。

よろしくお願いします!

[3763] Re:[3761] 日本人は醤油味 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/06(Mon) 10:34
> 学研のムック本「戦場の衣食住」の中に陸軍野戦糧食史というのがあって、明治時代から太平洋戦争末期までの糧食・給水・補給体制が載っています。

同書による1938年時の日本陸軍乾燥野菜は人参、ゴボウ、白菜、ホウレンソウ、小松菜、キャベツ、茄子、甘藷、馬鈴薯、南瓜の10種だそうな。
他に乾物として豆類、干瓢、切干大根、椎茸、ぜんまい、コンブ、さらしコンブ、高野豆腐、ヒジキ、素麺(乾麺)、蕎麦(乾麺)の11種があったらしい。
海軍に存在し陸軍に存在しない乾燥野菜及び乾物は長葱、里芋、蓮根、わらび、ワカメである。
海軍の乾燥野菜にコンブが含まれないのは不思議だが調味料に類別されていたのかも知れない。
陸軍にワカメがないのも不思議だし干椎茸や豆類だって海軍にあってよさそうな物だ。 

[3762] Re:[3761] 日本人は醤油味 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/03(Fri) 16:45
> 乾燥野菜って何かと思ったら切り干し大根とか。日本だなぁ。

高橋孟著「海の男の艦隊料理」によると日本海軍の乾燥野菜には人参、ゴボウ、白菜、ホウレンソウ、小松菜、キャベツ、長葱、茄子、甘藷、馬鈴薯、里芋、蓮根、南瓜、切干大根、わらび、ワカメ、ヒジキの17種があったらしい。
海藻も野菜扱いとは驚きである。

> おせちの缶詰(クワイとか)もあったとか。
> そういえば「死闘の水偵隊」で、ニューギニアの基地でカニ缶を食べて、なんと贅沢だとか思った話がありましたね。

同書には海軍の缶詰としてサケ缶、しらたき缶、ウド缶、ミカン缶、みつば缶、カニ缶、カマボコ缶、タケノコ缶、ホッキ貝缶、広島菜缶、鶏水煮缶、グリンピース缶、牡蠣水煮缶、マッシュルーム缶、アスパラガス缶、コンビーフ、ローストビーフ缶、コンデンスミルク缶、フキ缶、マツタケ缶などが記載されている。
「そのまま食う事が前提」だった陸軍の缶詰と違い食材として利用する野菜類が多いのが特徴だ。
さすが天下の大海軍、これだけ色々とあれば遠洋航海でどこの国に行っても相手国の賓客をもてなす事が出来そうである。
一般兵の口には滅多に入らないだろうけど。 

[3761] 日本人は醤油味 投稿者:K-2 投稿日:2016/06/02(Thu) 23:14
>軍歌「雪の進軍」は映画「八甲田山」でも歌われてましたが
自分は究極超人あ〜るで歌っていたのが・・・・


学研のムック本「戦場の衣食住」の中に陸軍野戦糧食史というのがあって、
明治時代から太平洋戦争末期までの糧食・給水・補給体制が載っています。
当初は牛缶をアメリカから輸入してたけど大味で不評だったとか、
国内の缶詰メーカーの技術力が低くて大量調達できなくてアメリカまで
醤油を運んでアメリカのメーカーに製造してもらったとか。
日露戦争で牛の絶対数が足りなくなって、魚缶が全面採用になったとか。
(鰯缶とかも載ってました)
黎明期には糒とともに鰹節が非常食として持たされていたようです。
乾燥野菜って何かと思ったら切り干し大根とか。日本だなぁ。
おせちの缶詰(クワイとか)もあったとか。
そういえば「死闘の水偵隊」で、ニューギニアの基地でカニ缶を
食べて、なんと贅沢だとか思った話がありましたね。 

[3760] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/02(Thu) 22:48
> 電気冷蔵庫なんて、モダン住宅に住んでいるような人しか所有していなかったでしょうから、缶詰は一般家庭でも重宝したことでしょう。

サケ缶が7銭だった1912年(明治45年)頃の物価を見ると・・・
1914年にジャムパンが4銭であんパンが2銭、1915年に牛乳が3銭4厘、1917年にソバが4銭だった。
まあ今ほど安くはないけど中流家庭が「ちょっと御馳走」の時には買える程度の価格だった様だ。
牛缶?
こっちは中流じゃちょっと手が出そうにないよ。

>ところで重巡の空母改装後の姿で利根型だけはエンクローズドバウの先進的(?)な姿なのに気付いたんですが何か理由があるんでしょうか?

もちろん、理由があるよ。
答えは簡単、実際に利根型だけはエンクローズドバウで改装案が設計されたからなんだ。
出典は学研の新戦史シリーズ47号「利根型巡洋艦」127頁だよ。

[3759] 雪の進軍 投稿者:多聞丸 投稿日:2016/06/02(Thu) 20:15
軍歌「雪の進軍」は映画「八甲田山」でも歌われてましたが
某戦車アニメでも使われて周知度が凄く上がった気がします^^
ところで重巡の空母改装後の姿で利根型だけはエンクローズドバウの先進的(?)な姿なのに気付いたんですが
何か理由があるんでしょうか?

[3758] 缶詰の味 投稿者:旧式野郎 投稿日:2016/06/02(Thu) 18:12
> 牛缶を生産するには牛肉が必要だが天然の好漁場であれば漁船の燃料代と人件費、加工賃だけで恐ろしく安く缶詰はできる。

なんと、日本が明治時代には缶詰大国になっていたとは!
電気冷蔵庫なんて、モダン住宅に住んでいるような人しか所有していなかったでしょうから、缶詰は一般家庭でも重宝したことでしょう。
携帯口糧は牛缶、サバフレーク缶、マグロフレーク缶に、K−2さんが教えてくださった赤飯ですか。
携帯口糧かは分かりませんが、その時代に、鹿肉の缶詰も有ったと思いました。丘に立つ鹿の絵が描いてありました。
当時の缶詰、味を見てみたいですね。果たして美味いのか、それとも・・・ 

[3757] ロシアの水産資源 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/02(Thu) 18:06
ロシアは長い国境と広い領海をもつ広大な国だ。
だが漁業に利用しうる海洋面積は驚く程、狭い。
なぜなら海岸線の殆どが北極海に面しており漁業など論外だからである。
ちょっとヨーロッパ正面に目を向けて見よう。
漁業でロシアが利用できるのはフィンランド湾に臨む猫の額程度の海域に過ぎない。
カスピ海や黒海もロシアの領海(今はウクライナ?)だが暖流だの寒流だの大陸棚だのが無いから好漁場とは言えないのだ。
では数多のロシア人の腹を満たす魚はどこで賄われているのだろうか?
2011年のロシア漁獲量は4233万tだったが、なんと65%に達する2792tは極東ロシアでの水揚げなのである。
それ程までに極東ロシア海域の水産資源は価値が大きい。
「日露戦争」では講和条件に漁業権なんて入れなかったけど「建国紀」ではルール化する予定だ。
漁業権と科学技術導入による缶詰工場、他国の戦争による缶詰価格の高騰は見逃せないビジネスチャンスとなるかも知れない。
その為には常に他国の動静を諜報活動するのが肝要と言えよう。
戦争は起きてから缶詰工場を建設したり大型漁船を建造しても間に合わないからね。 

[3756] Re:[3753] [3752] [3751] [3750] [3749] 歩兵の本領! 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/02(Thu) 17:12
> なるほど、保存の利くものばかりですね!缶詰も、いろんな種類がすでに有ったのではないでしょうか。

日本の缶詰の歴史は明治維新の文明開化によって幕を開いた。
日本缶詰協会によると国産缶詰の量産は明治10年10月10日に始まったらしい。
でもこれからしばらくの間、缶詰は「舶来の輸入品は高価だからなんとか低廉な国産品を」との視点に過ぎなかった。
だが1905年に締結されたポーツマス条約によって状況が大きく変わる。
世界有数の漁場を抱える極東ロシア領海での漁業権を手に入れた日本は水産物の缶詰で躍進し缶詰輸入国から輸出国に大きく変わったのである。
牛缶を生産するには牛肉が必要だが天然の好漁場であれば漁船の燃料代と人件費、加工賃だけで恐ろしく安く缶詰はできる。
日本缶詰協会によると明治45年頃の価格は牛缶25銭に対しサケ缶は7銭だったらしい。
おまけに戦争が始まると交戦地域で漁業ができなくなり各国軍は兵食としての缶詰の需要が高まり売上げはドシドシの伸びた。
企業が儲かれば政府も儲かる。
日本製缶協会によると1938年の日本の輸出総額は18億円、うち缶詰は1億1382万円だったそうだが翌年は2億5千万円(出典は日本缶詰協会)に倍増している。
さて、携帯口糧の缶詰だが当初は外国に習ってか牛缶が多かったようだ。
しかし日本人の嗜好に合い経費的にも好ましい魚缶が次第に増えていった。
ちなみにどんな魚が食われていたかと言うと丸エキストラ版30号159頁によればサバフレーク缶とマグロフレーク缶らしい。 

[3755] Re:[3754] 2008年 投稿者:ケンツ軍曹 投稿日:2016/06/02(Thu) 12:23
> つか、この頃ケンツ軍曹さんいらしてましたね。

覚えていて下さる方がいらっしゃるとは感謝感激です!
これからも是非、宜しくお願いします。

[3754] 2008年 投稿者:K-2 投稿日:2016/06/01(Wed) 23:33
>第二次大戦当時の、潜水艦の乗務員の方の糧食を写真で見たことがあります。

かなり前に映画「轟沈」の鑑賞記事についてリンク張った事がありましたが。
http://www.warbirds.jp/truth/ijn-sub2.html
ビールや祝賀会用の赤飯缶詰なんかも積んでたようですね。

つか、この頃ケンツ軍曹さんいらしてましたね。
砂漠のラッコさんも見ないなぁ。

[3753] Re:[3752] [3751] [3750] [3749] 歩兵の本領! 投稿者:旧式野郎 投稿日:2016/06/01(Wed) 17:56
> 基本的に乾パンと糒(ホシイ)と米と缶詰だよ。

なるほど、保存の利くものばかりですね!缶詰も、いろんな種類がすでに有ったのではないでしょうか。
小津安二郎監督作品「学生ロマンス 若き日」(昭和4年)という無声映画だったと思いますが
出演俳優が、缶詰を食べる場面が何とも印象的でした。何を食べているかは、映像が粗すぎて判別不可でした。
私には蟹に見えるのですが・・・ホワイトアスパラガスだったかもしれません?
兵隊さんにとっても、食事はさぞ楽しみだったことでしょうね。
第二次大戦当時の、潜水艦の乗務員の方の糧食を写真で見たことがあります。
瓶サイダーや缶ドロップが写っていたのを思い出しました。 

[3752] Re:[3751] [3750] [3749] 歩兵の本領! 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/06/01(Wed) 17:30
> ところで携帯口糧は、何を持って行ったんでしょうね?
> 私のイメージでは、どうしても鰹節しか思い浮かばないんです。

基本的に乾パンと糒(ホシイ)と米と缶詰だよ。
乾パンは日清戦争あたりでも使用されていたけど試行錯誤の段階だった。
乾パンの製造技術が進歩すると次第に糒が使われなくなり昭和6年に現在とほぼ同じ乾パンが完成する。 

[3751] Re:[3750] [3749] 歩兵の本領! 投稿者:旧式野郎 投稿日:2016/06/01(Wed) 16:11
はじめまして。返信ありがとうございます。

> 歩かざる者、歩兵に非ず!

当時の歩兵は、さぞ過酷な任務だったでしょうね。
輜重兵など、考えただけでもゾッとします。

> 携帯口糧さえあれば3日や4日、どうと言う事はないのです。

ところで携帯口糧は、何を持って行ったんでしょうね?
私のイメージでは、どうしても鰹節しか思い浮かばないんです。
昔読んだ、日露戦争のスパイ小説かなんかで鰹節が出てきたかも
しれませんが、忘れてしまいました。

> そうなったら僕の好きな「父よあなたは強かった」の如く泥水をすすったり草を噛んだりするしかありません。

「父よあなたは強かった」聴いてみました。
悲しいメロディーが胸に突き刺さります。 

[3750] Re:[3749] 歩兵の本領! 投稿者:ケンツ軍曹 投稿日:2016/06/01(Wed) 13:24
お初にお目に掛かります。
皆さん、お元気でしたか?
もう覚えてらっしゃらないでしょうね、僕の事は。
横レス失礼させて頂きます。

> その威力をさらに増していったと思いますが、今度は燃料が心配です。

歩かざる者、歩兵に非ず!
歩いてこそ歩兵なのです。
携帯口糧さえあれば3日や4日、どうと言う事はないのです。
5日目?
近くに散兵線があれば華と散りますが無かったらどうしましょう?
そうなったら僕の好きな「父よあなたは強かった」の如く泥水をすすったり草を噛んだりするしかありません。
とほほ。 

[3749] 歩兵の本領! 投稿者:旧式野郎 投稿日:2016/05/31(Tue) 22:10
返信ありがとうございました。
「歩兵の本領」聴きました。歩兵とともに、騎兵や砲兵が活躍する姿が、目に浮かぶようです。
思えば、歩兵という兵科の威力は絶大ですね。それが自動車化歩兵、機械化歩兵となって
その威力をさらに増していったと思いますが、今度は燃料が心配です。 

[3748] Re:[3744] 無題 投稿者:プラモ派 投稿日:2016/05/31(Tue) 21:19
> おすすめの曲があったら、ぜひ教えてください。

私のおすすめは「歩兵の本領」です。
歌詞を読むだけで諸兵連合効果の重要性や陸海軍の枠を越えた統合作戦運用の必要性が感じ取れる素晴らしい歌です。
駐屯地の数も自然に覚える事が出来ます。 

[3747] 軍歌いいですね 投稿者:旧式野郎 投稿日:2016/05/31(Tue) 17:11
返信ありがとうございました。お二方の、おすすめの曲を聴いてみました。
「ラバウル航空隊」は、何だか特撮ソングのようで素晴らしかったです。
「橘中佐」は歌詞が格好いいですね。言葉遣いが今と違って硬くて良いです。
いずれも男らしい歌で、元気が出てきそうです。ありがとうございました。 

[3746] Re:[3744] 無題 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/31(Tue) 15:41
> おすすめの曲があったら、ぜひ教えてください。

僕が好きなのは「橘中佐」だな。
4番までの歌詞しか覚えてないけど・・・
(全部歌おうとしたら途中でトイレ休憩が必要かも知れない)
他に好きなのは「雪の進軍」、「空の神兵」、「轟沈」あたりだね。 

[3745] 軍歌 投稿者:多聞丸 投稿日:2016/05/31(Tue) 00:53
軍歌聴きます。「ラバウル航空隊」とか(小唄じゃないほう)
あと従軍経験のある親戚が南方や南洋じゃなく何故かみなシベリア抑留者なんです。(みな他界しましたが)
なんで「異国の丘」聞くと涙ぐんでしまいます。

[3744] 無題 投稿者:旧式野郎 投稿日:2016/05/30(Mon) 20:48
今宵は、軍歌をちょっと聴いてみました。
1.比島決戦の歌
2.進め一億火の玉だ
3.出征兵士を送る歌
軍歌といっても、どこか歌謡曲的でエンターテイメント性があり
当時の音楽も、ここまで進化していたんだな、というのが
わたしが持った感想です。皆様は普段、軍歌、お聴きになりますか?
おすすめの曲があったら、ぜひ教えてください。 

[3743] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/27(Fri) 15:50
価格コムのゲームソフトランキングで太平洋戦記3が8位になった。
どうかしばらく10位以内にいます様に。 

[3742] ふたつの誤算(続々々々) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/20(Fri) 19:55
ここまで読んできて「なぜ連合軍首脳部は1945年4月まで日本本土空襲を待てなかったのだ?」と思われた方が大勢いらっしゃるだろう。
その問いに対する答えは「1944年が大統領選挙の年でありその6月前後にはどうしても大きなイベントで国民の好感度を得たい」と言う思惑があったからなのだ。
だからこの年の6月にマリアナ攻略、ノルマンディー上陸、ローマ攻略、マッターホルン計画による日本本土初空襲と米軍は次々に大作戦を実施している。

そしてこれらが片っ端から上手くいったからルーズベルトは見事、選挙で勝利し米史上、最初で最後の4選大統領に就任した。
つまりマッターホルン計画は実質的な作戦と言うより選挙対策の宣伝的意味合いが強くマリアナの占領が確定した後もしばらく続いたのはルーズベルトの個人的都合が大きい。
だから宣伝さえ終わったらマッターホルン計画に固執せずマリアナへB29を集中投入した辺りは面子より実利を取る姿勢が感じられ、しぶとさが垣間見える。

さて、B29は以下の特徴をもつ。
1.ずば抜けて航続力が長い。
2.与圧キャビンが装備されており高高度性能が優れている。
3.多数の遠隔操作銃塔を装備し防御火力が充実している。
4.非常に速力が高く補足が難しい。
5.爆弾搭載量が非常に大きい。

これらの特徴は日米双方に大きな影響を与えた。
まず1だがこれを過小評価した日本陸軍は無駄に大陸打通作戦を発動させ貴重な資材と人命と時間を浪費し本土空襲の災禍を防ぎそこねた。
何故過小評価したのだろうか?
誰か正当に評価できる人物はいなかったのだろうか?

戦史叢書19巻195頁によるとB29はミッドウェーから東京を攻撃可能だと海軍の源田実大佐は言っていたらしいがこれは幾らなんでも過大評価だ。
196頁によると1943年末の陸軍の予測ではウェークから攻撃可能と推測しているが197頁の予想性能表の数値だとその場合の爆弾搭載量は1tになり桂林−九州は3tと推測してる様である。
だが実際はもっと航続力が長かった。
元来、海軍の陸攻は防御力が低い代わりに航続力が長く陸軍の重爆は防御力が高い反面、航続力は短い。
よってこうした評価の差になったのであろう。

次に2だがB29の高高度性能を恐れた日本側はやっきになって排気タービン装備の高高度戦闘機を開発したが難航を重ね最終的に実用化できなかった。
よって高高度で侵入するB29を殆ど迎撃できなかったのだがB29もまた高高度では爆撃が成功せず最終的に中高度以下での爆撃へ移行した。
結局、高高度性能は偵察と核攻撃以外、あまり役には立たなかったのである。
高高度戦闘機に振り回された日本側も日本側だが理論倒れに終わった高高度性能に固執し無駄に面倒臭い爆撃機を開発した米国も米国である。

今度は3だがB29の防御火力は凄まじく強力だったがルメイは日本の防空戦闘機が劣勢(本当は単発戦闘機はいっぱいあったが本土決戦に備えて温存し出撃させなかった)と考え機銃を撤去させ爆弾搭載量を増加させて出撃させた。
これが上手くいって日本は焦土と化した。
結果論から言えば「ルメイの大成功」となるが日本が温存策を取らなければかなりの損害(硫黄島を攻略できているか否かがこれに大きく影響する)が出ていたであろう。
日本側が愚かなのかルメイが強運なのか・・・
いずれにせよ無理して強力な防御火力を装備した事は無駄に終わった。

4は確かにB29の良い点である。
ただし高高度性能と違い昼間の中高度以下であれば全く追いつけない程ではなかった。
5も重要だ。なにしろ核爆弾は重いからね。
でもルメイの様に「機銃を降ろして爆弾を増載しろ!」って事になるなら「爆弾搭載量は多ければ多い程良い」と言う事になり「どれだけあれば充分か?」など関係なくなる。

つくづくB29は因果な爆撃機だ。
日本本土を戦略爆撃したからだけではない。
B29のせいで散々、日本陸海軍は振り回され果ては連合軍首脳部すらもかなり頭を悩ませられたからである。
つまり最初のB29運用構想と実際にB29が使われた状況はかなり乖離していたのだ。 

[3741] Re:[3740] [3739] [3738] [3737] [3736] 〈ふたつの誤算〉について 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/20(Fri) 13:55
訂正

> でも工期は96頁だと6年なのに2年3ヶ月となっている。
> でも工期は96頁だと6年なのに78頁だと2年3ヶ月となっている。

[3740] Re:[3739] [3738] [3737] [3736] 〈ふたつの誤算〉について 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/20(Fri) 13:47
> ところで、船台はドックより安価だと過去の造船所に関する発言で阿部さんはおっしゃりましたが、具体的な建設費などはわからないものでしょうか?大和型を作れる規模の船台を量産しようとしたらどれくらいの手間がかかるのかわかりません。どうかご教授お願いします。

信濃を建造した横須賀海軍工廠6号ドックの建造費は歴史群像「空母大鳳・信濃」96頁によると1700万円だ。
でも工期は96頁だと6年なのに2年3ヶ月となっている。
どっちがホントなんだろね。
おやおや、ウィキだと5年だよ。
まあ、諸説あるって事だね。
大和型が建造可能な船台?
船台で建造された大和型は三菱長崎で建造した武蔵だけだから武蔵関係の資料に書いてあるかもしれないね。
武蔵は建造にコストがかかりすぎて会社としては赤字になり「もういやだ!」って事で次の大和型は受注を断る方針になったらしい。
そうした次第で武蔵を建造した船台はすぐ部分的に解体し残部で給油艦やら駆逐艦を建造したんじゃなかったかな?
そんな具合で船台は使われるから「具体的な船台の建設費」ってのは新築した時ぐらいしか判らないと思う。
でもちょっと調べてみるよ。 

[3739] Re:[3738] [3737] [3736] 〈ふたつの誤算〉について 投稿者:チャカポン 投稿日:2016/05/20(Fri) 10:01
> もうひとつ理由がある。
> 根拠地の生産力をMAX999と定めており艦船建造やドックもこの範囲内でデザインせねばならない事だ。
> 戦略爆撃の効果も生産力の減少でルール化しなくちゃならないしね。

ありがとうございます。やはり、ゲームデザイン上のことでしたか。
ところで、船台はドックより安価だと過去の造船所に関する発言で阿部さんはおっしゃりましたが、具体的な建設費などはわからないものでしょうか?大和型を作れる規模の船台を量産しようとしたらどれくらいの手間がかかるのかわかりません。どうかご教授お願いします。

[3738] Re:[3737] [3736] 〈ふたつの誤算〉について 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/19(Thu) 12:18
もうひとつ理由がある。
根拠地の生産力をMAX999と定めており艦船建造やドックもこの範囲内でデザインせねばならない事だ。
戦略爆撃の効果も生産力の減少でルール化しなくちゃならないしね。 

[3737] Re:[3736] 〈ふたつの誤算〉について 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/19(Thu) 11:00
> ところで、太平洋戦記3では大ドックが最短4ヶ月で建造できますが、これは一体どんな理由があるのでしょうか?

これには2つの理由がある。
太平洋3ではドックで艦船が建造されるけど実際に艦船を建造するにはドックと船台の2種類がある。
詳しくは過去発言[1088]と[3410]を御覧頂きたい。
日本では大戦中、戦標船と海防艦を量産する目的で実に多数の船台が急造された。
それなのになぜゲームデザイン時に船台を省いたかと言うとシステムを簡略化するためだ。
よって太平洋3のドックは実際より遥かに早く経済的に建設できる事になっている。
もうひとつの理由はゲームバランスのためである。
船台にしたって大和型を建造できる規模の物は4ヶ月じゃ完成しない。

>信濃のドックや大神工廠のゴタゴタを考えるとちょっと短すぎる気がするのですが。

僕もそう思う。
でも上記の理由なので御理解頂きたい。 

[3736] 〈ふたつの誤算〉について 投稿者:チャカポン 投稿日:2016/05/19(Thu) 07:32
皆様、はじめまして。
世間知らずの新人ですがこれからよろしくお願いします。

ふたつの誤算、大変興味深く読ませていただきました。
太平洋戦記3でも、事前の計画通りに戦争が進むことはほぼなく、
予期しない事態に対処しなければならない際に、
「誤りあらばこれを改め勝機あらばこれに乗ず」の金言がなければ
自分も太平洋戦記3で大和を大活躍させて勝つことは出来なかったでしょう。

ところで、太平洋戦記3では大ドックが最短4ヶ月で建造できますが、これは一体どんな理由があるのでしょうか?信濃のドックや大神工廠のゴタゴタを考えるとちょっと短すぎる気がするのですが。

[3735] ふたつの誤算(続々々) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/18(Wed) 19:21
カルカッタ及び成都からの日本本土空襲は1944年6月16日に始まり翌年1月6日のの大村空襲で幕を閉じた。
1944年11月24日にはマリアナからの日本本土空襲が始まり非効率なマッターホルン計画はその存在意義を失ってしまったからである。
かくしてカルカッタ及び成都のB29を擁する第58爆撃航空団は逐次、マリアナに進出し1945年5月からは第21爆撃集団に所属して日本本土空襲に参加する事になった。

だがそんなにマッターホルン計画が非効率でマリアナからの作戦が効率的なら何故、米軍は最初からマリアナ攻略を前提にして日本本土空襲を実施しなかったのだろうか?
マッターホルン作戦の開始からマリアナからの作戦開始まで僅か5ヶ月しか経ってない。
その理由を戦史叢書19巻304頁では連合軍首脳部が1944年内に太平洋方面で「日本本土爆撃が可能な島嶼を占領し得るとは思われなかった」と記述している。
それに占領したとしてもすぐにB29の基地として使用できる訳ではない。
米軍がサイパンを占領したのは8月10日だが第21爆撃集団が日本本土爆撃を開始したのは11月24日で3ヶ月もの日時がかかった。
よって1945年初頭にマリアナを占領できても日本本土空襲ができるのは1945年4月以降になると予測された。

それに比べマッターホルン作戦は本来、1944年5月1日には作戦開始する予定(結局遅延した)だったので1年近くも差が開くと考えられたのである。
それならば何故、マリアナを予想以上に早く攻略できたのであろうか?
その理由は戦没した伊1号潜から暗号書を入手できたり、ニューギニアの第9艦隊司令部壊滅や海軍乙事件で「あ作戦」の計画書が入手できたり、T事件で日本海軍の基地航空隊と船団が脆くも壊滅したり、日本軍がガダルカナル戦で「大部隊は送れども食糧は送らず」といった自滅的作戦指導をして「盆と正月がクリスマスベルを鳴らしながらやって来た様な幸運」が次々と発生したからである。
その極めつけがマリアナ沖海戦で暗号が筒抜けだったり作戦計画がバレバレだった事を勘案しても主力2空母に次々と潜水艦の魚雷が命中し大鳳に至ってはガス爆発で脆くも沈むとはお釈迦様でも予想し得なかったであろう。
更に爆戦と言う中途半端な機種を配備したりアウトレンジ戦法と言う企画倒れの愚策を弄して自滅したのだから米軍は笑いが止まらなかったと思われる。

マリアナ沖海戦だけにしても「米潜の雷撃成功」と「爆戦」及び「アウトレンジ戦法」がなければ大きく勝敗の様相は変わっていたであろう。
元来、大鳳は敵の急降下爆撃に耐えうる装甲空母なのだ。
最終的には沈むにしても敵の第一撃に耐え第2次攻撃隊、第3次攻撃隊を発進して戦うべき存在なのである。
それが最後方に位置し航空機の航続距離のみを頼りにするアウトレンジ戦法で戦うとは「何の為に貼った装甲飛行甲板?」と聞きたくなる。
爆戦にしても「爆撃機としても戦闘機としても使える」としたフレコミで採用されたものの爆撃機としては緩降下爆撃しかできないので命中率は艦爆の半分以下であり戦闘機としての能力は搭乗員が艦爆出身者であった為に「空戦能力はほとんどなかった」(戦史叢書12巻378頁)という有様であった。

もし装甲空母の大鳳を前衛部隊の3航戦に所属する瑞鳳と代えていたらどうであろうか?
アウトレンジ戦法など採用せず前衛は大きく前進して戦端を開いたら?
爆戦など採用せず千歳や千代田には防空用の戦闘機を満載していたら?
どうせ後方にいては能力が発揮できない防空駆逐艦は思い切って前衛部隊に配属して防空能力を高めていれば?
長門にしても後方にいては役に立たないが前衛部隊に配属されていれば、もしも戦艦による洋上決戦が生起した時には参戦の機会があるかもしれない。

死児の齢を数える様だがこれらの「if」を少し検証してみよう。
マリアナ沖海戦の敗因は何よりも日本の艦載機が米戦闘機の迎撃で壊滅した点にある。
これはアウトレンジ戦法を取った為、米艦載機の航続距離では日本艦隊が攻撃できず全戦闘機が迎撃任務に充てられた為に発生した。
よって日本の前衛部隊が接近していれば米機動部隊はこれに攻撃隊を発進させていたであろうし攻撃隊に護衛戦闘機を随伴させるのなら迎撃に使用できる戦闘機は半減する。
よって日本海軍の各攻撃隊が米空母に投弾できる機会は大幅に向上し生残性も増大する。
確かに米の攻撃隊に襲われる前衛部隊は大きな損害を蒙るであろう。
多分、軽空母の2隻は即座に沈没し大鳳も大きな損傷を受けたかも知れない。

しかし多数の爆戦に代わり多数の防空戦闘機が存在し戦艦、巡洋艦、防空駆逐艦からなる対空火網が効を奏するならば米の攻撃隊とてただでは済まないだろう。
前衛部隊の日本空母が壊滅するのと引き替えに1、2、3航戦から発進した攻撃隊はどれだけの米空母を叩けるだろうか?3隻か?4隻か?5隻か?
いずれにせよその後、両軍の戦艦による決戦が始まる。
戦艦戦力なら大和型2隻を含む日本の5隻は米新式戦艦7隻に充分、対抗できる。

どんな戦いとなるのだろう?
案外、地中海で英伊の戦艦が演じた様に両軍、上手く近寄れず行ったり来たりの繰り返しで物別れとなったかも知れない。
アッツ島沖海戦やスラバヤ沖海戦の昼戦が遠距離砲戦に終始し決定的な勝敗がつかなかった様に。
何はともあれ、史実で生起した様な一方的な大敗は避けられたのではなかろうか。
まあ、それはさておき実際の話、日本海軍はマリアナ沖海戦で敗北しサイパンは連合軍の手に落ちた。
連合軍指導部が偉いのはここからでマッターホルン計画が難航するのならB29部隊全部をマリアナに集中させる事に方針転換したのである。

間違いは誰にでもある。
日本陸軍も連合軍指導部も大きな誤算をした。
しかし「棄てる神あれば拾う神あり」。
「誤りあらば改め勝機あらば乗ず」の心構えがある方に勝利の女神は微笑む。 

[3734] 第二次世界大戦中に編成されたB29装備部隊一覧 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/18(Wed) 08:41
第20空軍
 第20爆撃機集団(インド、中国方面)
  58爆撃航空団 後に第21爆撃機集団へ転出
   40爆撃部隊
    25爆撃飛行隊
    44爆撃飛行隊
    45爆撃飛行隊
    395爆撃飛行隊(44年10月廃止)

   444爆撃部隊
    676爆撃飛行隊
    677爆撃飛行隊
    678爆撃飛行隊
    679爆撃飛行隊(44年10月廃止)

   462爆撃部隊
    768爆撃飛行隊
    769爆撃飛行隊
    770爆撃飛行隊
    771爆撃飛行隊(44年10月廃止)

   468爆撃部隊
    792爆撃飛行隊
    793爆撃飛行隊
    794爆撃飛行隊
    795爆撃飛行隊(44年10月廃止)

 第21爆撃機集団(マリアナ方面)
  73爆撃航空団
   497爆撃部隊
    869爆撃飛行隊
    870爆撃飛行隊
    871爆撃飛行隊

   498爆撃部隊
    873爆撃飛行隊
    874爆撃飛行隊
    875爆撃飛行隊

   499爆撃部隊
    877爆撃飛行隊
    878爆撃飛行隊
    879爆撃飛行隊

   500爆撃部隊
    881爆撃飛行隊
    882爆撃飛行隊
    883爆撃飛行隊

  313爆撃航空団
   6爆撃部隊
    24爆撃飛行隊
    39爆撃飛行隊
    40爆撃飛行隊

   9爆撃部隊
    1爆撃飛行隊
    5爆撃飛行隊
    99爆撃飛行隊

   504爆撃部隊
    398爆撃飛行隊
    421爆撃飛行隊
    680爆撃飛行隊

   505爆撃部隊
    482爆撃飛行隊
    483爆撃飛行隊
    484爆撃飛行隊

   509混成部隊(核攻撃部隊)
    393爆撃飛行隊

  314爆撃航空団
   19爆撃部隊
    28爆撃飛行隊
    30爆撃飛行隊
    93爆撃飛行隊

   29爆撃部隊
    6爆撃飛行隊
    43爆撃飛行隊
    52爆撃飛行隊

   39爆撃部隊
    60爆撃飛行隊
    61爆撃飛行隊
    62爆撃飛行隊

   330爆撃部隊
    457爆撃飛行隊
    458爆撃飛行隊
    459爆撃飛行隊

  315爆撃航空団
   16爆撃部隊
    15爆撃飛行隊
    16爆撃飛行隊
    17爆撃飛行隊

   331爆撃部隊
    355爆撃飛行隊
    356爆撃飛行隊
    357爆撃飛行隊

   501爆撃部隊
    21爆撃飛行隊
    41爆撃飛行隊
    485爆撃飛行隊

   502爆撃部隊
    402爆撃飛行隊
    411爆撃飛行隊
    430爆撃飛行隊

第8空軍(沖縄方面)
  316爆撃航空団(作戦投入なし)
   333爆撃部隊
    435爆撃飛行隊
    460爆撃飛行隊
    507爆撃飛行隊

   346爆撃部隊
    461爆撃飛行隊
    462爆撃飛行隊
    463爆撃飛行隊

   382爆撃部隊
    420爆撃飛行隊
    464爆撃飛行隊
    872爆撃飛行隊

   383爆撃部隊
    876爆撃飛行隊
    880爆撃飛行隊
    884爆撃飛行隊 

[3733] ふたつの誤算(続々) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/16(Mon) 08:25
ここでひとつB29の編成について解説しておきたい。
通常、米陸軍航空隊は戦域別にエアフォース(Air Force:AFと略)を編成し航空機はその中のユニット(unit)に所属する。
日本語でエアフォースは「第8空軍」(英本土で対独戦略爆撃に従事した)や「第14空軍」(中国戦線で対日戦に従事した)などと訳される場合が多いが資料によって異なる。
戦史叢書に於いてすら巻によって空軍としている場合や航空軍としている場合、単にAFと記述されている場合など様々で統一が取れていない。

なお他の航空機と異なりB29だけは戦域に限らず全機が第20空軍の所属とされた。
よってワシントンに司令部を置く第20空軍は戦域をもたずインド方面とマリアナ方面のB29を合わせて指揮していたのだが終戦直前、マリアナへ進出した。
また終戦直前には英国から第8空軍が沖縄に転出し同地へもB29の配備が開始された。

ユニットの訳語は部隊だが爆撃機の場合、固有名称編成での最小規模はボマーメントスコードロン (Bombardment Squadron:BSと略)となる。
BSの訳は爆撃飛行隊もしくは爆撃中隊が多く指揮官の階級は多くの場合、中佐である。
戦史叢書19巻307頁によるとB29の搭乗員11名のうち将校は5名であり機長の階級は少尉から少佐までのケース(少尉、中尉の機長は例外的)が考えられる。
よって多くの将校を指揮する必要性から指揮官の階級が高いので私としては中隊と呼称するより飛行隊の方がよいのではないかと思う。

数個BS(B29の場合は初期が4で後に3)で編成されたのがボマーメントグループ(Bombardment Group:BGと略)で爆撃部隊、爆撃群、爆撃連隊(サンケイ「B29」)爆撃大隊(世界の傑作機)などと訳される。
指揮官の階級は殆どが大佐なので爆撃部隊とするのがよいのではないかと思う。
数個BG(B29の場合は4個)で編成されたのがボマーメントウィング(Bombardment Wing:BWと略)で爆撃航空団(「丸グラフィック」)、飛行団(サンケイ「B29」)、爆撃連隊(「世界の傑作機」)などと訳される。
指揮官の階級は殆どが准将なので爆撃航空団とするのがよいのではないかと思う。
B29を装備する爆撃航空団は最終的に6個編成された。

第20空軍の司令部はワシントンに所在するので直接、各爆撃航空団を指揮できない。
よって現地の各爆撃航空団を指揮する為に編成されたのがボマーコマンド(Bomber Command:BCと略)で爆撃機集団、爆撃隊(「航空情報」や郷田「航空戦略」)、航空団(「丸グラフィック」)、爆撃兵団(サンケイ「B29」)などと訳される。
指揮官の階級は准将もしくは少将なので爆撃機集団とするのがよいのではないかと思う。
当初、第20空軍はインドに第20、マリアナに第21、台湾及び比島方面に第22、アリューシャンなどの北方に第23爆撃機集団を展開する予定だった。
これらのうち最初に進出可能となったのはインド方面だったのでまず最初に第20爆撃機集団が編成されて同地に進出、指揮下に第58爆撃航空団が編入された。
かくして実施されたのがマッターホルン計画である。

この時点で第20空軍(アーノルド大将)の作戦部隊は第20爆撃機集団(ウルフ准将)だけでその指揮下部隊は第58爆撃航空団(サンダース准将)だけであった。
次に進出可能となったのはマリアナで同地には第21爆撃機集団が進出した。
本来なら続々と生産されるB29で続々と爆撃航空団を編成し第20と第21爆撃機集団の双方を増強して日本本土戦略爆撃を行う予定であった。
しかしインド方面は前述した様に補給に大きな問題を抱えていた。
かくして第20空軍はマッターホルン計画を中止し続々と編成されたB29の爆撃航空団を全てマリアナの第21爆撃機集団に編入したのである。
ただし例外として終戦直前、沖縄の第8空軍に第316爆撃航空団が編入されている。

さて、爆撃飛行隊や爆撃航空団の機数だがまず最初に幾つかの資料を漁ってみよう。
戦史叢書19巻305頁では第58爆撃航空団に所属する爆撃飛行隊を7機編成、爆撃部隊を28機編成、爆撃航空団の総数を112機としている。
これには予備機が含まれていない事に注意して頂きたい。
なお同書の452頁ではマリアナに進出した各航空団の1944年11月頃の各爆撃飛行隊を9〜11機編成と記述している。

サンケイ「B29」の67頁では第58航空団に所属する各爆撃部隊を28機編成としているが巻末では基本的なB29部隊の編成として爆撃飛行隊10機、4個爆撃飛行隊の35機+予備機10の合計45機で爆撃部隊、4個爆撃機部隊+予備機12機の合計192機で爆撃機集団と記述している。
これはちょっと計算がおかしい。
10×4+10は50であって45では無いからだ。
爆撃部隊の45機と爆撃飛行隊の10機が正しく予備機の10機が誤記の様に思われる。
なぜなら45機と予備10機が正しいなら実働は35機で4個飛行隊で割り切れない。
更に実働35機に対して予備10機だとあまりに予備の数が多すぎる。
また他の資料でも4個爆撃部隊による爆撃航空団192機編成が散見されるので爆撃部隊が45機なのは間違い無い様に思われる。
爆撃部隊は10機編成の4個爆撃飛行隊+予備機5機の45機編成なのではなかろうか。

戦史叢書4巻「大陸打通作戦1」66頁ではクォドラント会談で爆撃部隊を28機編成に決定したと記述している。
木俣滋郎著「陸軍航空隊全史」326頁では8機編成の4個爆撃飛行隊8機編成で爆撃部隊(32機)としている。
郷田充著「航空戦力・上」193頁では爆撃飛行隊を9〜12機編成、爆撃航空団の編成数を180機、後に192機としている。
冨永謙吾著「定本・太平洋戦争」に於ける第58爆撃航空団の編成定数は120機だ。

わかった?
つまり最初に編成された第58爆撃航空団は7機編成の爆撃飛行隊だったらしいが編成が逐次、拡大されどうやら最終的には12機になっていったようである。
それと同時に爆撃航空団に所属する爆撃部隊数も4個から3個に減少した。 

[3732] 山城 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/15(Sun) 10:36
マリアナ沖海戦で日本の空母機動部隊が大敗した直後、サイパン奪回の為、神重徳大佐は戦艦山城を基幹とする兵力での「殴り込み作戦」を立案(戦史叢書93巻274頁参照)した。
当時、伊勢型は航空戦艦に改装されていたので火力が減少しており大和、武蔵、長門、金剛、榛名の主力5隻はマリアナ沖海戦で南方から退避中、扶桑も渾作戦に従事していたので内地に在泊してサイパンへ出撃可能な戦艦は横鎮で練習艦になっていた山城だけだったのである。
第1次ソロモン海戦の立案者であった神大佐は以降もレイテ海戦、菊水作戦などで水上部隊の「殴り込み作戦」を繰り返した。
接近戦となる夜戦では山城の主砲でも米新式戦艦に充分、太刀打ちできるからさぞ活躍できるだろうね。
だけど船体下部が弾薬庫だらけだから被弾した時の誘爆がちょっと心配だ。 

[3731] Re:[3730] 「ソロモンキャンペーン」に挑戦 投稿者:かなやゆうき 投稿日:2016/05/14(Sat) 20:35
> 今回の殊勲艦は、36センチ砲12門斉射による支援砲撃で猛威を振るった扶桑型戦艦(1式弾使用時は新型戦艦相手に鬼神の如く活躍)

私も、キャンペーンでは「扶桑」型重宝しています。
主砲が12門あるのと、薄いですが全体に装甲が張られており、接近戦での小型艦砲撃を跳ね返す(古い思想ですが)防御力は、まさにソロモンキャンペーンにぴったりの戦艦だと思います。
激闘シリーズをやっていると、一番喜んでくれているのは、苦心して設計した造船官達ではないのかなぁ、と思います。 

[3730] 「ソロモンキャンペーン」に挑戦 投稿者:洛陽不覚 投稿日:2016/05/14(Sat) 18:52
皆様、お久しぶりです。流れを切ってしまって申し訳ありません。
超大型SLGは時間がなくてなかなかできないのですが、「激ソロ」と「八八」の文庫版はちょっとした時間でプレイできることもあり、ストレス解消(?)にフリーセットアップで色々と設定(コタバル沖海戦(昼間戦)など)して楽しんでいます。
さて、GWに久しぶりに「ソロモンキャンペーン」に挑戦しました。標準設定で2回目(文庫版では初)になります。
前回は「南部」に踏みとどまって勝利しましたが、今回は
第1ステージのアトランタ級によりいきなり鳥海が大破され、三川提督が戦死という史実とは全く異なる状況から始まりました。
初戦の損害を立て直せず「中部」を放棄、「北部」の第4ステージで増援の第1艦隊主力による反撃でなんとか電探戦艦、電探巡洋艦を撃沈し、「北部」マップでの死闘が始まります。
最終的には「中部」「南部」と奪回し、第14ステージで日本軍勝利となりましたが、なかなか厳しかったです。
今回の殊勲艦は、36センチ砲12門斉射による支援砲撃で猛威を振るった扶桑型戦艦(1式弾使用時は新型戦艦相手に鬼神の如く活躍)、物資輸送で大活躍した北上型巡洋艦の2隻でした。
その一方、第1戦隊旗艦の大和艦橋が破壊されて山本提督が戦死されたときは、正直、脱力と(私の)士気低下が著しかったですが…(苦笑)。

「激闘!」シリーズもまだまだ楽しめますね。 

[3729] ふたつの誤算(続) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/12(Thu) 16:15
51万の日本軍が100万の中国軍相手に1500qを突破した史上空前の大陸打通作戦(数値の出典は戦史叢書4巻)は壮大な無駄に終わった。
そして次に誤算をしたのは米国であった。
太平洋を望むワシントン州シアトルに本社を構えるボーイング社は米軍きっての重爆メーカーとして名高くB29の初飛行は1942年9月21日、シアトル近郊のレントン工場に併設されたボーイング飛行場で行われた。
太平洋を目前にした飛行なのだ。
目指す主目標は日本本土である。
空に舞い上がった巨鳥は西の彼方を睨み据えたに違いない。

開発に成功したら量産に移り部隊を編成して実戦投入するのが道理であろう。
ここで「どこに投入するか?」と言う問題が発生する。
この問いに対する米国の回答はマッターホルン計画であった。
インドのカルカッタ周辺を基地とするこの計画は1943年11月に策定された。
果たしてカルカッタを出撃したB29はそのまま対日戦略爆撃を実施できるのか?
勿論、できない。
幾らなんでも航続力が不足する。

機体の整備や弾薬の搭載、訓練などはカルカッタで行い対日戦略爆撃の本番だけ中国の成都で燃料の中継補給するのがマッターホルン計画の骨子なのである。
よってカルカッタと成都にはB29の発着可能な飛行場が必要であった。
渡辺洋二著「日本本土防空戦」によるとカルカッタの方は米軍の工兵6000名と現地労務者27000名が投入され5箇所の飛行場が設営(資料によっては4箇所)された。
問題なのは成都の方で4箇所(資料によって5箇所)の飛行場を設営するのは中国だけでやらねばならないから人力に頼る他はなくその労働力は戦史叢書19巻で20万余、「日本本土防空戦」だと20万以上で最終的には33万、前田哲男著「戦略爆撃の思想」では32万で予備に23万、食糧運搬として別に20万としている。

更にB29の大編隊を出撃させるのに見合った燃料、弾薬などの準備を忘れてはいけない。
カルカッタの方は簡単だ。
タンカーや貨物船で運べば良いだけだからね。
でも成都に燃料を備蓄するのはそう簡単ではない。
ビルマルートを遮断され孤立した中国首都の成都へ燃料を送る手段は空輸だけだ。
戦史叢書19巻395頁で成都でB29が中継補給する物資を1機23tとしている。
つまり100機では2300tになる。

それではどの様にしてこれを輸送するかと言うと戦史叢書4巻66頁では空輸の為、1944年10月までにC87輸送機2000機を使用する予定と記述されている。
C87とはどの様な輸送機なのだろうか?
なぜ通常のC47輸送機などを使用しないのだろうか?

インドから中国への空輸は一般にハンプ(こぶ)輸送と呼ばれる。
これは中途にヒマラヤ山脈が「こぶ」の様にそびえ立ち空路の難所だからである。
通常の輸送機でも行けない事はないが上昇限度ぎりぎりの飛行を余儀なくされる。
かくして排気タービン装備のB24重爆の派生型であるC87輸送機が投入される事になったのだがC87はたった287機で生産中止となった欠陥機であった。
そこで輸送力の不足を補う為、B29を使用してのピストン輸送が実施された。

ここでB29のカルカッタ進出を詳述しておこう。
マッターホルン計画は国家的事業だからB29はボーイング社のレントン工場やウィチタ工場は言うに及ばずベル社のマリエッタ工場、ノースアメリカン社のカンサスシティ工場、マーチン社のオマハ工場など全米各地で総力を挙げて量産された。
そして量産されたB29は東へ向かって続々と飛び立って行った。

「えっ、西じゃないの?」
「さっき日本は西に方角だっていったよ?」と言うなかれ。
確かに西に行った方が日本に近いけど日本の占領地域を抜けては行けないのである。
「急がばまわれ」と言うヤツだ。
米大陸を横断しカナダのニューファンドランドに集結したB29はまずモロッコのマラケシュに降りて給油し次はエジプトのカイロ、更にはパキスタンのカラチを経由しカルカッタまで飛行したのである。
さすが地球は丸いね。
平塚柾緒著「米軍が記録した日本空襲」28頁によるとB29のカルカッタ進出は4月2日で戦史叢書19巻304頁によると5月上旬までに141機がカルカッタに集結した。
「長旅ご苦労さん」と言いたい所だが4月13日にマラケシュで1機墜落、4月15日にはカイロで1機、カラチで5機墜落しその他にも2機が辿り着けなかった。
「日本本土防空戦」104頁では米国を離陸した150機のB29で5月8日に目的地へ到達したのは130機と記述している。

そして到着したB29はすぐさまピストン輸送にかり出された。
「米軍が記録した日本空襲」やサンケイ出版「B29」にはB29が燃料7t空輸可能とあり「戦略爆撃の思想」490頁には成都への燃料輸送にはB29が8回のヒマラヤ越え1930qの飛行が必要とある。
1機当たり23tと前述したが空輸量が7tなら往復4回ピストンしなければならない。
「戦略爆撃の思想」にある8回のヒマラヤ越えはこれを指すのだろう。

結論として100機のB29が日本本土爆撃する為には400機のB29がピストン輸送に従事せねばならずマッターホルン計画は誤算の上に成立した砂上の楼閣であった。
B29を進出させようにも地球をグルグル回る大遠征なのだからカルカッタの機数を増やすのは容易ではない。
500機のB29があるのなら500機で日本本土空襲をした方が良いに決まっている。
そもそも5月上旬までに到着したB29は141機だけなので500機など夢の話だ。
それなら80%のB29でピストン輸送し20%のB29で出撃するか?
だが少数での出撃は壊滅の危険が伴う。
よってまとまった数での出撃が前提となるのだが燃料の集積は微々たる量なのだから出撃ペースがぐっと落ちてしまう。

かくして50機以上の編隊によるカルカッタからの日本本土空襲は6月16日の八幡空襲63機、8月20日の八幡空襲80機、10月25日の大村空襲56機、11月21日の大村空襲109機で1〜2ヶ月に1回のペースで大変低調であった。
それに引き替えサイパン陥落後、同地に進出したB29による50機以上の大規模空襲は11月24日の東京空襲80機、11月27日の浜松空襲62機、12月3日の東京空襲76機、12月13日の名古屋空襲80機、12月18日の名古屋空襲63機、12月22日の名古屋空襲、12月27日の東京空襲72機と非常にハイペースで短ければ2〜3日、長くても10日以内には日本本土空襲を実施した。
結局の所、インドを基地としたマッターホルン計画は壮大な無駄に終わったのである。

なおインドのB29が日本本土空襲に活発でなかった理由は他にもあった。
日本本土を空襲しようと思うから大変なのだ。
カルカッタから直に攻撃できる目標なら困る事はない。
よって6月16日の八幡空襲の前に98機でバンコクを空襲した。
また成都経由で攻撃するにしても日本本土より防備の手薄な目標として鞍山の製鉄所が狙われ7月29日に96機、9月8日に115機、9月26日に117機で空襲された。
同様の理由で台湾もまた10月14日に130機で空襲された。
更に成都の備蓄燃料を消費しない目標としてパレンバンの精油所が狙われた。
中継給油地にはセイロンが利用され8月10日に56機が空襲している。
他に日本本土以外の目標としてラングーン、漢口なども空襲された。
特に94機による12月18日の漢口空襲は市街地に対する無差別空襲で大きな民間人の被害が生じた。
戦争は恐ろしい。
米軍の戦略爆撃機は同盟国の民間人すら容赦しないのである。 

[3728] ふたつの誤算 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/09(Mon) 19:31
最初に誤算をしたのは日本陸軍だった。
戦史叢書4巻「1号作戦1」24頁の1号作戦計画大綱案には作戦の目的の筆頭に「西南支那ニオケル敵空軍基地ヲ覆滅シ本土空襲等ノ敵企図ヲ封殺ス」とある。
また同書23頁ではその敵空軍基地を桂林及び柳州としている。
大陸打通作戦として名高い1号作戦の主目的は日本本土空襲の阻止にあったのだ。
一般に日本の軍部は本土防空に不熱心でありそれが日本本土の焦土化を招いたと考えられているが陸軍は本土防空を深く憂慮していたと言えよう。
ただしちょっと考えが足りなかった。

さて、1号作戦だが当初から本土防空を目的として立案された訳ではない。
まず1943年末に虎号兵棋が実施されたがこの時点では「海軍は頼りにならんから遅かれ早かれ太平洋方面は破綻するだろう。そうなったら頼みの綱は本土と大陸だ。今の内に大陸打通した後方の兵站線を安定化させよう」といった主旨であった。
それが紆余曲折して敵空軍基地攻略に変わったのである。

だがなぜ桂林、柳州の攻略で本土空襲の阻止が可能だと考えたのであろうか?
同書30頁によれば大本営陸軍部の服部作戦課長は「当時は桂林、柳州を覆滅すればそれで事足りると考えた。」との事である。
その根拠となるのは日本側のB29に対する性能判断で戦史叢書19巻「本土防空作戦」197頁によると1943年末頃は爆弾搭載量3tで航続距離6000q、作戦行動半径は2500qと推測されていた。
太平洋戦記3の線スケールで測ると判り易いが桂林−八幡間は2450qである。
つまりこの性能判断が正しいとすれば1944年4月17日に実施され11月10日の桂林及び柳州攻略で日本本土は空襲を免れるはずであった。
まさに日本陸軍は大陸打通作戦によって「攻撃的防空」を為さんとしたのである。

しかし結果はどうであったか?
1944年6月16日に九州の八幡製鉄所が空襲を受け大本営の企図は脆くも瓦解した。
B29は桂林ではなくインドのカルカッタから発進し成都で中継給油して八幡製鉄所に飛来したのである。
太平洋戦記3だと成都−八幡製鉄所は2954qになる。
なお戦史叢書19巻日本陸軍はこの空襲で撃墜された機体を調査しB29の性能判断を爆弾3t搭載で航続8150qと改訂した。
前は6000qと推測していたのだからおよそ33%の性能向上であり作戦行動半径に直すと3325qになる。
実際の性能は爆弾4t搭載で航続5600qである。
ただし機銃などを撤去し機銃手を搭乗させなければもっと航続力は伸び搭載力も増える。

日本陸軍はB29の航続力を過小評価して無駄な大陸打通作戦を実施しひいては本土防空の破綻を招いた。
当初からB29の性能を正当に評価していれば大陸打通作戦など実施しなかったし防空態勢もより充実させていたであろう。
成都まで攻略?
それができれば大陸作戦そのものが勝利で終わっている。    (続く) 

[3727] 更新のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2016/05/08(Sun) 19:31
本日、「サポート」ページを新設し、Windows10でエラーが発生した際の対処法について掲載しました。
http://www.general-support.co.jp/support.html 

[3726] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/05/06(Fri) 09:07
価格コムのゲームソフトランキングで太平洋戦記3が8位になったみたいだ。
誠に有り難い事である。 

[3725] お知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2016/04/28(Thu) 09:21
現在発売中の『世界の艦船』6月号 特集「現代の艦隊防空」にて、弊社デザイナー阿部隆史が執筆した「太平洋戦争における艦隊防空」が掲載されています。
是非、ご覧下さい。 

[3724] Re:[3723] 追記 投稿者:プラモ派 投稿日:2016/04/27(Wed) 18:48
> マイティマウスはR4Mの直系の子孫だがジニーはGr21もしくは27号爆弾の子供みたいな物だ。

なんかR4Mやマイティマウスって空飛ぶヘッジホッグみたいな兵器ですね。
日本海軍の対空奮進砲も似た感じがします。
お互い影響しあったんでしょうか?
最初に始めたのは誰か気になります。 

[3723] 追記 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/04/27(Wed) 15:55
おっと、核弾頭空対空ミサイルじゃなくて核弾頭空対空ロケット(どうせ核爆発させるなら面倒な誘導装置なんかいらねえって兵器)の話だった。
ジニー(可愛い魔女ではない)を忘れちゃいけないね。
マイティマウスはR4Mの直系の子孫だがジニーはGr21もしくは27号爆弾の子供みたいな物だ。
ただし破壊力がけた外れに大きい。
核ファルコンの弾頭は0.25キロトンで射程は16q、それに対しジニーの弾頭は1.7キロトンで射程は9.6q。
撃たれる側は嫌だろうが撃つ方もおっかねえだろうなあ・・・

[3722] Re:[3721] やっぱり戦闘機の数だ。 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/04/27(Wed) 13:16
> どうでしょうか・・・充分な防空戦闘機があって、毎回B29がそれなりの損害を
> 被っていれば、貴重な核爆弾を落とす前に撃墜されるリスクを恐れて躊躇したかも・・・

「毎回B29がそれなりの損害を受けてる」からこそ核攻撃にシフトするんじゃないかな。
サンケイシリーズ「B29」197ページによると終戦までに改造された核攻撃用B29は46機。
ウィキによる米国の核爆弾生産ペースは毎月1発。
虎の子の貴重な空母機動部隊を危険に晒し16機のB25を惜しげもなく棄て駒に使ってドーリットル空襲をした米軍がケチケチするとはちょっと考えられないよね。

> 28号爆弾とかで弾幕張る方がいいんじゃないかなぁ。

独空軍で210ミリ:109sのGr21や55ミリ:3.9sのR4Mが活躍したんだからドシドシ使えば日本本土防空戦でも対空ロケットはそれなりに戦果を挙げたかもしれないね。
ちなみにR4Mが発達した最終形態が空自初の全天候迎撃機セイバードッグに装備された70ミリのマイティマウスなのである。
日本の場合、60sの27号爆弾と7.6sの28号爆弾が開発されたがサイズ的には独空軍が使用した対空ロケット2種の中間であり速度や射程などの関係で上手く活用できたか不安だけどね。

> でもそのためにはやっぱり充分な数の雷電や紫電が必要だな。

有効な空対空ロケットが開発できれば隼3型でも結構、役にたったんじゃないかと思うよ。

> でもアメリカは一時期ソ連の核爆弾搭載爆撃機を確実に撃墜するために
> 空対空核ロケットとか戦闘機に積んでたんですよねぇ。

戦略爆撃機の核攻撃に対処する手段として米はマイティマウスを開発した。
意外にもロケット先進国のソ連は対空ロケットではなく大口径機関砲に傾倒しMiG15には37ミリ1門と23ミリ2門を装備している。
さて、マイティマウスを最後として空対空ロケットは消え去ったが次には誘導性能を持つ空対空ミサイルとして赤外線追尾のサイドワインダーが登場した。
次にレーダー誘導のファルコン(赤外線追尾タイプもある)が開発され更に必墜を期する為に核弾頭装備タイプが量産された。
その頃は戦略兵器に限らず必墜や必沈を期し空対空ミサイルや地対空ミサイル、空対艦ミサイルや艦対艦ミサイル、対潜ミサイルや核爆雷など核弾頭のオンパレードだったのだ。
誘導精度が向上したから核に頼らなくても必墜や必沈が期待できるようになり核弾頭のインフレが無くなったのである。 

[3721] やっぱり戦闘機の数だ。 投稿者:K-2 投稿日:2016/04/26(Tue) 23:54
>でも結果から言えば核兵器が登場すると・・
どうでしょうか・・・充分な防空戦闘機があって、毎回B29がそれなりの損害を
被っていれば、貴重な核爆弾を落とす前に撃墜されるリスクを恐れて躊躇したかも・・・
いや、飽和攻撃や不意打ちは米軍の十八番だしなぁ・・・

>キ109
機上から射撃する大口径砲が当たらないからAAMになった訳で。
28号爆弾とかで弾幕張る方がいいんじゃないかなぁ。
でもそのためにはやっぱり充分な数の雷電や紫電が必要だな。
でもアメリカは一時期ソ連の核爆弾搭載爆撃機を確実に撃墜するために
空対空核ロケットとか戦闘機に積んでたんですよねぇ。
今考えなくても狂気の沙汰だ。

ガーランドだって、シュワルベに30mm機関砲積んだら「空の大艦巨砲主義はやめろ」
って言ってるし。 

[3720] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/04/26(Tue) 15:33
>もしも排気タービン過給器が間に合って、じゅうぶんな数のキ109があったとしたら、B29もP51も都市への無差別爆撃は諦めたんでしょうか? 

諦めないだろうね。
キ109を充分な数生産してしまったらその時点で日本は必敗したと考えられるので。
詳細は後述。

>一説によると、日本は本土防空よりフィリピンや沖縄の決戦に優先して航空兵力を投入したため、排気タービン云々より前に迎撃機の数そのものが足りなかった、という話があります。

その通り。

>フィリピンに投入された疾風と紫電が全部本土防空に使われていたら、B29の損害もかなり違っていたのではないでしょうか。

まったくその通り。

>まあ、フィリピンが、沖縄が陥落したらシーレーンが崩壊して資源が入ってこなくなりますから、本土の空だけ守っていても意味ないかもしれませんが。

これまたその通り。

>なので、暫く前に阿部社長が言われていたように、充分な数の屠龍と月光があれば排気タービンが完成していなくても無差別爆撃を諦めたかもしれません。

重要なのはここなんだ。
負けるにしても東京大空襲の分の民間人被害は減らせたかも知れないと思うのでね。
でも結果から言えば核兵器が登場すると・・・

>これでは特殊戦闘機などは生産もままならなかったでしょうか。

僕の知人で西田さんと言う人がいた。
西田さんの御父君は比叡の沈没時の艦長だった西田大佐なんだけど西田さんは海軍に進まず陸軍の飛行将校になった。
所属は4式重爆装備の第7戦隊で終戦時はキ109の中隊長として朝鮮にいたそうだ。
西田さんからキ109について色々と聞いたがとてつもなく酷い航空機だったらしい。
まず主要装備の75ミリ高射砲だけど地上に据えて飛行中の航空機に撃ってもなかなか当たらないのに飛行中の航空機から飛行中の航空機に撃ったら絶対に当たらない。
まあ、高射砲ってのは当たらないのが当たり前で、だからこそ時限信管が付いてるのだが目標までの距離が正確に測距できない空戦で時限信管なんてまるで意味をなさない。
15発しか装弾数がないから弾幕も張れないしね。
つまり空戦に際し75ミリ高射砲は何の役にも立たないのである。
キ109を1機生産すると言う事は高性能の4式重爆1機と優秀なクルー1組、地上に配備すれば充分に役立つ高射砲1門を無駄にすると言う事に他ならない。
キ109は44機発注されたが22機で生産終了とされた。
当然である。

排気タービン?
22機分として44台の排気タービンが生産されていたとしたら「キ87やキ94に装備されていたらそれなりの活躍をしたであろう排気タービンがむざむざ無駄になった」としか言えない。
75ミリ高射砲で対艦攻撃をするとした意見もあったようだが重量7s程度の弾頭では艦船に対して効果は望めず「対舟艇攻撃のみ」に任務限定されたそうだ。
つまり米軍の上陸当日しか作戦機会が無いのである。
それも「多分有効な作戦はできない」といったレベルだったらしい。
西田さんも自分の部隊や装備をあまり悪く言いたくない様だったけど。

>硫黄島が失陥したことで、無差別爆撃は不可避だったのかもしれません。

いや、これは逆でね、硫黄島を奪取したからこそ米軍は安心して昼間爆撃出来るようになったんだ。
だから無差別爆撃(夜間爆撃)しなくても良くなったんだけどそれでも米軍は昼間爆撃と交互に無差別爆撃(夜間爆撃)を続けた。
硫黄島からP51が出撃出来る様になった1945年4月7日以降の夜間空襲はもう言い訳の聞かない民間人大量殺傷作戦である。

>いいアイデアだと思うけどなあ・・・75mm高射砲での遠距離攻撃・・・ 

がっかりさせちゃった様で申し訳ない。 

[3719] Re:[3718] 戦いは数だぜ兄貴! 投稿者:旧式野郎 投稿日:2016/04/26(Tue) 02:08
返信ありがとうございます。こんな夜中に失礼します。

疾風も紫電も忙しく、屠龍も月光も足りない。
これでは特殊戦闘機などは生産もままならなかったでしょうか。
硫黄島が失陥したことで、無差別爆撃は不可避だったのかもしれません。
いいアイデアだと思うけどなあ・・・75mm高射砲での遠距離攻撃・・・ 

[3718] 戦いは数だぜ兄貴! 投稿者:K-2 投稿日:2016/04/25(Mon) 22:06
>もしも排気タービン過給器が間に合って、じゅうぶんな数のキ109があったとしたら

一説によると、日本は本土防空よりフィリピンや沖縄の決戦に優先して航空兵力を
投入したため、排気タービン云々より前に迎撃機の数そのものが足りなかった、
という話があります。47戦隊の疾風は本土防空で有名ですが、疾風の殆どは
フィリピンに投入されていましたしね。
フィリピンに投入された疾風と紫電が全部本土防空に使われていたら、B29の
損害もかなり違っていたのではないでしょうか。
まあ、フィリピンが、沖縄が陥落したらシーレーンが崩壊して資源が入ってこなく
なりますから、本土の空だけ守っていても意味ないかもしれませんが。
なので、暫く前に阿部社長が言われていたように、充分な数の屠龍と月光があれば
排気タービンが完成していなくても無差別爆撃を諦めたかもしれません。
どれくらいの数をもって充分と言うのかにもよりますが。
充分すぎる数を用意すると、燃料や整備員や飛行場が足りないかもしれませんし。 

[3717] Re:[3716] 日本本土航空戦 投稿者:旧式野郎 投稿日:2016/04/25(Mon) 19:09
> 硫黄島の戦略的価値はそれ程にも大きかった。

もしも排気タービン過給器が間に合って、じゅうぶんな数のキ109があったとしたら、B29もP51も都市への無差別爆撃は諦めたんでしょうか? 

[3716] 日本本土航空戦 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/04/25(Mon) 16:47
硫黄島の戦略的価値は大きい。
そして一般的には以下の2点がその主要素と言われている。
1.P51の基地として活用できるので日本本土に対し護衛戦闘機を随伴した昼間爆撃が可能となる。
2.損傷を受けたB29が帰途に不時着場として活用できる。

だが本当にそれだけであろうか?
硫黄島にはもっと大きな戦略的価値があり米軍が「大きな損害を蒙っても硫黄島を奪取する必要性」を考えたのはその要素の為だったのではなかろうか。
そもそも我々日本人はB29による対日戦略爆撃を「本土防空戦」と称し戦史叢書に於いても19巻を「本土防空作戦」しているが一方的に爆撃され防空のみに終始した訳ではない。
果敢にもB29の基地であるマリアナ諸島を空襲し敵わぬまでも一矢を報いた事もあった。
つまりその時点では「日本本土防空戦」ではなく「日本本土航空戦」だったのである。
その反撃部隊が出撃した基地こそが硫黄島であり硫黄島の失陥によって「日本本土航空戦」が終わり「日本本土防空戦」が始まったと言えよう。
硫黄島の戦略的価値はそれ程にも大きかった。 

[3715] Re:[3714] [3713] 求む!GD3! 投稿者:旧式野郎 投稿日:2016/04/21(Thu) 23:12
> 直近の大作は明治維新からの百年間を扱った「建国紀」だけどGD3も考えてはいるよ。

ありがとうございます。GD3の構想はあるのですね!いつまでもお待ち申し上げます。

建国記では、あの「千円札の大先生」とか、五百円札とか、百円札の方々が、登場されるのですか!
そういえば、その時代を扱ったゲームは何故ゲーム界には無いのだろう?と疑問に思っておりました。溜飲が下がる思いです。
どのようなゲームシステムになるのか、非常に興味深いです。続報、期待しております。 

[3714] Re:[3713] 求む!GD3! 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/04/21(Thu) 15:42
> 「グロス・ドイッチュラント」の最新作の計画は、現在ございますでしょうか。

直近の大作は明治維新からの百年間を扱った「建国紀」だけどGD3も考えてはいるよ。
でもまずは「大和計画」を完成させなくちゃいけないからね。

> 尊敬する阿部デザイナー様、何年でもお待ち申し上げますゆえ、GD3を、どうかよろしくお願いしますっ!

申し訳ないけど気を長くして待っていて下さい。 

[3713] 求む!GD3! 投稿者:旧式野郎 投稿日:2016/04/20(Wed) 14:36
こんにちは。お久しぶりです。
新作ソフトの開発は進んでおられますでしょうか。
いつまでも気長にお待ち申し上げております。
どうぞ、お体にお気をつけて、また素晴らしいソフトウェアを、つくってください!

なお、ここで質問して良い事かどうか分かりませんが(ダメなら削除ねがいます)
「グロス・ドイッチュラント」の最新作の計画は、現在ございますでしょうか。
前作発売から、早いもので9年が経ちましたね。わたしなどは、いまだにプレイして、楽しんでおります。
このゲームの大ファンです。グロス・ドイッチュラント3が、発売されるのを夢に見て毎日過ごしております。
尊敬する阿部デザイナー様、何年でもお待ち申し上げますゆえ、GD3を、どうかよろしくお願いしますっ! 

[3712] Re:[3711] 捕物帖 投稿者:いそしち 投稿日:2016/04/17(Sun) 22:23
> なぜ岡っ引きには七と付くのが多いのだろう?

平次の子分でガラッ八ってのもいますよ。
まだ岡っ引き見習いですが。

> いそしち氏は海軍犯罪に興味があるようだがひょっとして現代の岡っ引き?

磯七と改名しようかとも思いましたが。
ははっ、買いかぶりです。
ただの遊び人ですよ。 

[3711] 捕物帖 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/04/16(Sat) 19:38
佐七に半七、伝七。
なぜ岡っ引きには七と付くのが多いのだろう?
いそしち氏は海軍犯罪に興味があるようだがひょっとして現代の岡っ引き?
ちなみに現代では「ねーびーしーるず」もしくは「けーむたい」と言うらしい。 

[3710] Re:[3708] ギンバイ 投稿者:いそしち 投稿日:2016/04/03(Sun) 17:51
> 帝国海軍から海上自衛隊に連綿と受け継がれた伝統行事に「ギンバイ」がある。

戦後でもまだギンバイが実在していたと言う事実が驚きです。
終戦と共に無くなったとばかり思ってました。
ひょっとして精神棒もまだ実在ですか?
新聞等では色々な隊内DV問題が報道されたりしますが。 

[3709] Re:[3708] ギンバイ 投稿者:プラモ派 投稿日:2016/04/03(Sun) 12:24
> 彼の説明によるとギンバイが無くなった契機は2007年12月の「しらね火災事件」だったそうな。
> この事件では「しらね」のCICで私物の冷蔵/保温庫が発火し電子機器が丸焼けになってしまった。
> まさに海自を揺るがす一大事である。

昔は時計泥棒が原因で陸奥が爆沈しましたが今はつまみ食いが原因でヘリ護衛艦が燃え上がるのですね。
未来はどうなるのでしょう?
CICのディスプレイでエッチなサイトを見て秘密情報が外国に漏洩するとか・・・ 

[3708] ギンバイ 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/04/02(Sat) 18:15
帝国海軍から海上自衛隊に連綿と受け継がれた伝統行事に「ギンバイ」がある。
漢字で書くと銀蠅だ。
艦の公的な物資(主に食糧などの消耗品だが備品の場合も含む)を窃盗する事だが発覚しても正式な刑事事件として処理されるケースはまれである。
もちろん裁かれ罰は与えられるのだが法規的な物ではなく体罰、外出禁止、罰当番、リンチとなるらしい。

さて、このギンバイが昨今ではすたれたとのハナシを海自の知人から聞いた。
私は驚いて「へえ〜!」と言った。
船乗りにギンバイをやめさせるなんて事はオシャカ様とイエス様と大岡越前が揃って説いても不可能だと思っていたからである。

彼の説明によるとギンバイが無くなった契機は2007年12月の「しらね火災事件」だったそうな。
この事件では「しらね」のCICで私物の冷蔵/保温庫が発火し電子機器が丸焼けになってしまった。
まさに海自を揺るがす一大事である。
そして私物の家電製品持ち込み厳禁の通達が海幕から出された。

なぜギンバイが発生するか?
船の中だからである。
陸にいれば外出して個人的に購入できるけど船乗りはそうもいかないからね。
「補給長や艦長と話して肉や魚を売ってもらえば?」と仰る方もいるだろうが自衛艦とて官公庁なのだからそんな事はできない。

となれば・・・
勝手に食料庫に侵入し欲しい物を手に入れ自分で調理する事になる。
なぜギンバイが可能なのか?
この質問に彼は「カギの入手が重要です。」と答えた。
多くの場合、カギは二つ以上ありひとつは管理責任者がもつ。

管理責任者が怪しいって?
冗談じゃない、物が無くなって一番困るのは管理責任者なんだからシロだ。
カギを入手可能で責任をあまり追及されない者、それは防火責任者である。
多くの場合、下手人は防火責任者もしくはその周囲の人物で「カギを入手可能な者」なんだそうだ。
あまり細かく書くと文句を言われそうだからこの辺にしておこう。

さあ、食料庫からギンバイしてきたブツはいったい何であろうか?
カップ麺?
ばかな、そんな物だったら自分で買ってロッカーにしまっとくよ。
もしも陸上勤務だったら自分のアパートや営舎の共同冷蔵庫になにがしかの食糧を備蓄できるだろう。
でも狭い艦内でそんな訳には行かない。
(食料庫の物はいつか自分らが食うのだ。先にちょっと食ったってどこが悪いと言う思想があるらしい。)
よって公的な食料庫が狙われるのだ。
(いつか自分達が食う食料が入ってるんだから自分の家の冷蔵庫と同じであると発展的に考えるらしい。)
当然、ブツは精肉、鮮魚、野菜、冷凍食品などである。
でもそれらはそのままじゃ食えないので調理する必要がある。
そこで炊飯器、トースター、ガスコンロなど私物の家電製品が登場する訳だ。
これらが一切、御法度となったので自動的にギンバイが無くなったそうである。
まあ、調理せずとも食えるチーズやハムくらいのギンバイはこれからもあるだろうけどね。
でもそんな程度の物は「やばい橋を渡ってまで食いたいとは思わない」のだそうだ。 

[3707] 豚スキ 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/03/23(Wed) 07:41
K−2氏から葱を貰ったんで豚スキにして食ったよ。
旨かった。
妙に桜の開花が早いと思ったら急に寒がぶり返した今日この頃。
皆さんも風邪などひかぬように葱をご賞味あれ。 

[3706] また私事ですが・・・ 投稿者:はちくまこ 投稿日:2016/03/19(Sat) 20:05
>ハルピンの風物詩なんだけど白系ロシア人が真冬に水着で凍った池で遊ぶ寒中水泳みたいなもんがあったそうな。

なるほど、そういうことがあったんですねー、どうりで外人女性の顔がしかめ面なんですね(寒いから?)

>いずれにせ前線の米兵は民間人だろうが子供だろうがおかまいなしだ。

私の小学時代の恩師も、幼いころ機銃掃射を受けたといってました。
焼夷弾が人間を貫通するのも見たそうです。

反対に、歩兵第10連隊に所属していた祖父の戦時の話は面白い話が多かったです。
お尻に銃弾受けたときのこととか、頭に受けた銃弾の跡を毎回見せてきたりとか(弾が入った跡と、出た跡のふたつある。頭蓋骨ではねた?よくわからない)、歩兵銃の撃ち方とか。被服係だったらしく、楽ばかりしていたとか。

ルソンで戦死した弟さんは、日記(軍人専用ノート)が残ってまして、それが非常に生々しい。
最初のほうは毎日、上官の赤ペン添削が入ってます。
ある日、兵の誰かが自殺したらしく、その翌日、中隊長が朝礼で「悩み事は思いこまないで相談しなさい」と言っていたり。
軍人手帳も残ってまして、これは近所の人ので、大正年代に作られたものと思われ、軍人勅諭(難しくて読めない!)や、当時の閣僚の一覧、皇族の一覧などがある。
板垣征四郎や、高橋是清の名前があったりするんです。
部隊の所属歴など、細かく記入されています。なんと、終戦直後、ソビエトに抑留された記録が!

あとのほうのページには、切り株から方角を知る方法や、時計の長針、短針と太陽の位置で方角を知る方法など、簡単なサバイバル術が書いてあります。

いつか、皆様にお見せできたらいいですね 

[3705] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/03/15(Tue) 08:13
>昭和20年3月13日は母親の17歳の誕生日でもありました。

僕の母の誕生日(公式の日付で実際は違う)は3月10日だったよ。
>8月14日の大阪砲兵工廠への集中爆撃では女学校の級友が何人も亡くなっているそうです。

戦争中に女学校って事は僕の母より幾つか御年上だね。
母が女学校に入学(最後の女学校組で翌年からは新学制の高校になった)したのは終戦後になってからだった。

>足腰弱って、介護系老人センターに両親ともにおりますが、何とか今年も誕生日を迎えられました。

それは良かったね。
僕の母は昨年10月にあの世へ行っちゃったよ。
81歳だった。

>太平洋3をプレイしていて思うのですが、米軍の重爆隊って爆撃してきたところを迎撃機で撃墜し続けると、なんだか消極的になってきます。
補充のペースが遅くなってる感じです。しつこく爆撃されずに済むので助かってますが、そういう行動ロジックなんでしょうか?

そうだよ。
米軍機は進出拠点に飛来してから何度も中継地を経て前線へ行くので飛行場規模の制限やら天候やらで補充できるまで随分時間がかかるのだ。
進出拠点から直に日本本土を空襲できれば良いけどさすがにB29でもそんな芸当はできないからね。
B36なら可能だが「だったら米本土から直に行っちゃえば?」って事になる。
B50をデータ化しとけば「進出拠点から直に日本本土空襲」って手が使えたんだけどね。

>そういえば、英軍の重爆(リンカーン重爆)はなかなかしつこいですね。迎撃度が高い時に大損害を与えてもまた来ます。 

これはアッズが進出拠点=出撃地なので損害を受けてもすぐに補充できるからなのだ。 

[3704] 大阪大空襲の返信 御礼 投稿者:内藤空力 投稿日:2016/03/15(Tue) 06:48
コメントをありがとうこざすます。
昭和20年3月13日は母親の17歳の誕生日でもありました。8月14日の大阪砲兵工廠への集中爆撃では女学校の級友が何人も亡くなっているそうです。(公式には死者は400人未満ですが、5千人以上ではと言われている)

そして平成28年3月13日は母親の88歳の誕生日でした。
(米寿は数え年でやるので、去年に済んでいます)
足腰弱って、介護系老人センターに両親ともにおりますが、何とか今年も誕生日
を迎えられました。
ちなみに父親は昭和20年4月に天王寺師範学校繰り上げ卒業と同時に召集されて、和歌の浦で
「敵の戦車が上陸したら地雷を抱えて突撃せよ」
と言われていました。何度も敵機の銃撃を受けたと言ってます。現在、満90歳です。 

[3703] 太平洋3の米重爆隊 投稿者:うらマッハ 投稿日:2016/03/14(Mon) 21:42
太平洋3をプレイしていて思うのですが、米軍の重爆隊って爆撃してきたところを迎撃機で撃墜し続けると、なんだか消極的になってきます。
補充のペースが遅くなってる感じです。しつこく爆撃されずに済むので助かってますが、そういう行動ロジックなんでしょうか?

そういえば、英軍の重爆(リンカーン重爆)はなかなかしつこいですね。
迎撃度が高い時に大損害を与えてもまた来ます。 

[3702] Re:[3701] 大阪大空襲 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/03/14(Mon) 16:44
僕の父は満州からの帰国後、横須賀に住んでたんだけどドーリットル空襲の時、B25が投弾した瞬間を目撃したそうだよ。
飛行機や軍艦が好きだったから「見慣れない双発機が飛んでいるなあ。何だろ?」と思っていたらポロッと落としたんだそうな。
以来、横須賀は殆ど空襲を受けないまま戦後を迎えたので勤労動員組の彼から聞く戦争中の話は長門や信濃にメッセンジャーボーイとして行かされた話や地下工場で零戦の爆弾架を造らされた話ばかりである。

母は学童疎開組なのでひもじい話を随分と語った。
疎開しているうちに5月29日の横浜空襲で本牧の彼女の実家は焼けちゃった。
さいわい祖父母は無事だったので大船との境にある本郷に越して暮らしたそうな。
母の話だと戦争中なのに横浜の学童疎開は解除になり児童は親元に帰されたとの事。
母は本牧の小学校から本郷の小学校に転校したけど通学途中で単発機の機銃掃射に会い随分、怖かったと語った。
さいわいケガはしなかったが回りで大勢の大人が血まみれになったそうな。
最初は艦載機かなと推測したが母は「銀色だったと思う。確かじゃないけど」と言ってたからP51じゃないかな。

いずれにせ前線の米兵は民間人だろうが子供だろうがおかまいなしだ。
上層部(ニミッツやスプルーアンスなど)には立派な人物もいるんだけど人口の大部分を占める底辺のアメリカ人は下品だからね。
よって目下の所、大統領選が気がかりな事だ。
下品な連中の頭目が下品な大統領じゃ歯止めが利かないよ。 

[3701] 大阪大空襲 投稿者:内藤空力 投稿日:2016/03/13(Sun) 10:21
中国駐在、丸7年を過ぎるところの内藤空力です。
相当のお久しぶりです。
私の母方実家は戦前、大阪市港区で商売をやっていたのですが、昭和20年3月13日の空襲で倉庫とかやられて「ひな人形が燃えてしもた」と悲しんでいたら、6月1日の空襲で住居もやられてしまいました。母親は(当時17歳)重傷を負いまして、3回摘出手術(最後は子供3人産んでから)をやりましたが、未だに米粒大の金属片が体内にあります。
中国に来ると「戦争中のお前の両親はどうしていたか」と質問されますが、この話をすると黙りますね。
ちなみに、「9.11」があった時、母親は崩壊するワールド・トレーニング・センターを見ながら「ザマアミロ」と思ったそうです。「アメリカは民間人を殺しまくったから、いつかはその罰があたる」と。 

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