GS新掲示板 発言集[37](No.3601〜3700)


[3700] Re:[3699] [3697] [3696] はじめまして 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/03/11(Fri) 15:29
> わたくしごとで恐縮ですが、その昔、私の祖父とその弟さんが、歩兵第10連隊に所属していました。
> なので、満州の写真がたくさんあります。

僕の祖父は満鉄系列の満州電業に務めていたのでうちにも満州の写真が山ほどあるよ。
なんと僕の叔父は満州生まれなので満州治(マスジ)と命名されたのだ。
僕の父の最初の学歴は営口幼稚園(遼河の河口の営口市にある)から始まる。
父の小学校の修学旅行は大連だったそうだ。
その写真もあるよ。
ただし父は満州の小学校を卒業する前に旧制中学受験の為、帰国しちゃったけどね。

> ハルピンと書かれた駅らしき写真や、水着姿の西洋人の写真(なぜか裏にハルピンとある)、演習の写真など。

ハルピンの風物詩なんだけど白系ロシア人が真冬に水着で凍った池で遊ぶ寒中水泳みたいなもんがあったそうな。
たしか「虹色のトロッキー」にも出てきたような?

[3699] Re:[3697] [3696] はじめまして 投稿者:はちくまこ 投稿日:2016/03/11(Fri) 12:57
> このため動作が安定するまではアップデートはされない方がよろしいと思います。
ご回答、ありがとうございます。
しばらくこのままでいこうと思います。
わたくしごとで恐縮ですが、その昔、私の祖父とその弟さんが、歩兵第10連隊に所属していました。
なので、満州の写真がたくさんあります。
ハルピンと書かれた駅らしき写真や、水着姿の西洋人の写真(なぜか裏にハルピンとある)、演習の写真など。
連隊で購入したと思しき杯。
祖父は満州で頭部に銃弾を受け、帰国し、90歳手前まで生きました。
弟さんは、満州で士官学校(?)を出て、連隊とともにルソン島へ渡っています。そして、戦死。
太平洋戦記をプレイするたび、思いを馳せています。
長分、申し訳ありませんでした

[3698] 3月10日 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/03/11(Fri) 08:14
1945年3月10日の東京空襲で日本は甚大な被害を受けた。
なぜであろうか?
折からの強風、大規模火災旋風の発生、電子機器の能力不足による警戒網の不備など多くの要因があるが中でも夜間戦闘機と対空火器の数的劣勢は致命的だったと言えよう。
だが「全力を挙げて生産したのに劣勢だった」のか?
断じてそうではない。

前述した様に1944年10月以降、日本陸海軍は夜間戦闘機を生産していないのだ。
かくして夜間戦闘機の生産を終了した11月から翌年3月にかけての貴重な4ヶ月間の空費は致命的な結果を招いた。
もし月光の生産を継続していたら、2式複戦をキ102乙に生産転換しなかったら、どれほど多くの夜間戦闘機でB29を迎撃できたであろうか。
米軍とて夜間爆撃で自軍の損害が大きければ無闇に実施できはすまい。
夜間戦闘機の数が揃っていればB29を覆滅するまでには至らなくとも「貴重な戦略爆撃機を失うのは惜しい」と躊躇させる程度の打撃は与えられたであろう。

戦史叢書95巻414頁による月光の生産数は1944年4月が35機、5月40機、6月40機、7月27機、8月35機、9月40機である。
つまり大抵は月産40機と考えられる。
よって4ヶ月継続して生産したら約160機を生産できたであろう。
陸軍の2式複戦はどうであろうか?
日本航空史878頁によると生産数は1942年度220機、1943年度715機、1944年度715機だ。
ただし1944年度はキ102に生産転換した為、7ヶ月しか生産しておらず生産能力は月産100機を越えていたと推測できる。
つまり陸海合わせて140機、4ヶ月でおよそ560機を生産できたと考えられる。
夜間戦闘機の生産を終了させたのでこれが皆無となったのだ。
560機の夜間戦闘機は「焼け石に水」ではない。
3月10日の夜、来襲したB29は334機なのだから。
当時、夜間戦闘機の生産を中止した為に多くの被害が出た事を我々は忘れてはならない。

多くのマスメディアは東京大空襲を天災の如く扱う。
それは大きな間違いだ。
爆撃したのは米軍のB29だしそれを撃退できなかったのは日本軍だ。
どちらも人間だし人災なのである。
その責任を問う事と「何故、対処できなかったのか?」の問題を考える事は残された者の務めであると僕は考える。
終戦直後に米軍の罪を問う事は不可能だったから当時のマスメディアが天災の如く扱ったのはやむを得ないが現代のマスメディアについてはいかがなものか?

更に責任追及するのならば矛先は米軍だけでなく「充分に守れなかった日本軍」にも向けて欲しいものだ。
加えて米軍の夜間無差別空襲を批判するならば重慶に対して実施した日本海軍の夜間無差別空襲も忘れてはならない。
そうでなければ「棚上げ御都合主義者」とそしりを受けるであろう。 

[3697] Re:[3696] はじめまして 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2016/03/07(Mon) 15:42
> 最近、Windows10への無償アップデートの案内が来るのですが、果たしてアップデートしてこのままインストールしたゲームがプレイできるか心配です。

Windows10はまだ動作が不安定で機器対応も不十分なようなので、現在はまだ動作確認が取れていません。
もしお使いのPCで問題が発生した場合にサポートが充分に行えない可能性もあります。
このため動作が安定するまではアップデートはされない方がよろしいと思います。 

[3696] はじめまして 投稿者:はちくまこ 投稿日:2016/03/07(Mon) 11:08
いつも楽しくプレイさせていただいております。
どれも最高のSLG ですね!
私のツボにはまりまくりです!
いま、Windows8.1で、太平洋戦記3、GD 2DL,日露戦争DL、空母戦記DL、鋼鉄の騎士DLをプレイしています
最近、Windows10への無償アップデートの案内が来るのですが、果たしてアップデートしてこのままインストールしたゲームがプレイできるか心配です。
詳しいかた、教えて頂けないでしょうか?

[3695] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/03/01(Tue) 12:02
おおっ、久々に価格コムのゲームソフトランキングで太平洋戦記3が9位になったぞ。
皆様、有難う。 

[3694] Re:[3674] 日本本土空襲 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/28(Sun) 19:34
> 1943年9月以降で伸び率が低下したのは様々な要因による。
> 主立った要因を列挙してみよう。
> 
> 1.米軍の戦略爆撃による生産力の低下。
> 2.米潜水艦の跳梁による資源輸入の減少。
> 3.熟練工員の徴兵などによる人的資源の枯渇。

今回は「人的資源の枯渇」について解説しよう。
高橋泰隆著「中島飛行機の研究」216頁には太田製作所の従業員数が記載されている。
同書によると43年下半期には全従業員が社員であったが次第に徴用工員や勤労動員が増え44年下半期には12.6%、45年上半期は22%、終戦時には34%にも達した。
ちなみに社員数はそのままで徴用工員や勤労動員が増えた訳ではない。
44年下半期に33603名だった社員は45年上半期には12308名、終戦時には4372名へと激減しているのである。
彩雲及び天山を生産していた半田工場に至っては45年2月の従業員28569名中で徴用工員や勤労動員は74%を占めていた。
本人の意思に反し強制的に工場へ配属された徴用工員や勤労動員の勤労意欲は低い。
250頁によると浜松製作所の欠勤率は43年上半期に3%だったが45年1月は23%に増え7月には40%となった。

人的資源の枯渇問題は工員の技量低下だけにとどまらない。
陸海軍がメーカーへ派遣した監督官が引き起こす生産力低下が多発した。
「中島飛行機物語」の著者である前川正男氏は1944年初頭に僅か20代ながら荻窪製作所の補器工場長を命ぜられた俊英である。
1915年9月、東京で生まれた彼は1937年に横浜高専(現在の横浜国大)を卒業して中島飛行機へ入社するが翌年、招集され砲兵連隊へ入営する。
普通だったらこのまま戦争が終わるまで会社には戻れなかったであろう。
だが1942年6月のミッドウェー海戦で日本は大敗を喫し航空機の量産が急務となる。
この事態に際し会社から軍部に要請があり彼は7月に招集解除を命ぜられる。
つまり彼のケースに於いては「ものわかり」が良かったわけだ。
でもいつも「ものわかり」が良いとは限らない。
いや、これから戦局が悪化するにつれ「ものわかり」はどんどん悪くなってゆく。

「中島飛行機物語」104頁によると監督官の海軍少佐が「第一線では1機でもたくさんの飛行機を欲しがっている。増産の為には研究試作関係の人も工場に出てもらいたい。」と要望し研究職を予定されていた赤羽技師(米国留学し戦前は中島の米国駐在)まで工場勤務を命ぜられ誉の生産責任者となる。
米の航空エンジンを知り尽くしたスペシャリストなんだから開発部門で働けばさぞや大きな功績を挙げられただろうが勝手のわからぬ日本の工場と労働環境で何ができようか。
やむなく前川氏が補佐として次席になり親族の萩原吉平を主要スタッフとして抜擢する。
ところが今度は萩原氏が陸軍に招集され今度はどうしても招集解除が認められなかった。
加えて44年11月24日の武蔵工場爆撃で監督官から死守命令が下された。
結果としてこの爆撃で死者57名、負傷75名の合計132名の被害が生じている。
前線の兵士が命を賭けて死守するのは状況により大きな意味(拡大解釈して乱発したらこれも良くない)を持つが工員が工場施設と共に爆死したら米軍が喜ぶだけである。
「死守」とか「持ち場を離れるな」とか「美談」や「美言」に酔いしれたのは海軍流の「艦長は艦と運命を共にする」とした思想を源流としている。
「全滅」を「玉砕」と言い換えて作戦指導の不適切を隠蔽し戦死者の「忠君愛国精神」ばかりを声高に喧伝するのも同じだ。
こうした目的の為に貴重な航空機工場労働者の生命を危険に晒すとは何たる愚挙か。
さて、予想より多くの死傷者が生じた為、監督官達も次回からは工員の退避を許可した。
ただし製作所長及び各工場長並びに課長以上は死守が命ぜられた。
2回目の空襲による被害は死者60名、負傷21名の合計81名で1回目よりは少なくなったが工場にとってかけがえの無い幹部社員の喪失が生産にどれ程の影響を及ぼすか理解出来ない監督官は有害としか考えられない。
監督官こそ米軍の爆弾に当たって戦死したらさぞかし国益になると僕は思うのだが残念ながらそうはならなかった。

前川氏の著作だけでは公平を欠くので別の資料を紐解こう。
加藤勇著「佐久間一郎伝」167頁によると中島の武蔵製作所では陸海軍の監督官が30人もいたので全員に退避用の自転車を用意したと書いてある。
何の事はない。
監督官達は幹部社員に死守を命じ自分たちはさっさと自転車で逃げ出していたのだ。
これなら誰だって安心して死守を発令できる。
まことにアッパレなものだ。
悪いのは監督官ばかりではない。
同書171頁には「工場に詰めている憲兵は最後まで工場に踏みとどまることを佐久間一郎に求めていた。」と記述されている。

監督官の悪行をもうひとつ。
165頁には陸軍の首席監督官の野田大佐が中島飛行機創業メンバーで親族以外で重役筆頭の佐久間一郎武蔵製作所所長を告訴したとある。
罪状は「所長は夜間に懐中電灯を持って工場内を徘徊しているが米軍のB29に連絡しているのだ。」との事。
実際には単に所長みずから工場を見回っているに過ぎない。
なお、全ての監督官が愚者揃いだったわけではない。
なにしろ前述の前川氏だって中島に戻って来る前は他社で陸軍の監督官をしていたのだ。
「中島飛行機物語」には良い監督官の話も出てくる。
だが一部に愚劣な監督官がいれば死守命令を発令したり製作所長を告訴してりして国益を大きく損なうのだ。
後に軍需省によって中島飛行機は国有化され監督官問題は解決する。
製作所長の中川一郎は少将相当官になったのだ。
今度は派遣されている監督官がペコペコする番である。
ただし・・・
三菱など国有化されていない他のメーカーでは最後まで監督官が威張り続けた。 

[3693] Re:[3674] 日本本土空襲 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/20(Sat) 21:55
> 1943年9月以降で伸び率が低下したのは様々な要因による。
> 主立った要因を列挙してみよう。
> 
> 1.米軍の戦略爆撃による生産力の低下。
> 2.米潜水艦の跳梁による資源輸入の減少。
> 3.熟練工員の徴兵などによる人的資源の枯渇。

それでは次に米潜水艦の跳梁について考えてみよう。
米潜水艦による商船の被害は開戦から1943年2月まで1回の例外を除き月10万t未満で推移していた。
しかし1943年3月から激増し始め6月までは常に10万tを越える被害を受けた。
7、8月はなんとか10万t未満となったものの9月からは再び10万tを越え11月にはとうとう20万tを越えるに至った。
更に44年となると20万t以上は当たり前になり10月は30万t以上を記録する。
ただし11月は20万t以上、12月は10万以上に戻った。
そして翌45年1月には10万t未満となり終戦まで10万tを越える事はなかった。

だがここで喜んではいけない。
商船の被害が減ったのは「殆どの商船が沈み尽くしてしまったから」なのである。
これでは航空機生産数を増やそうとしても増やせる訳がない。
米潜水艦による商船被害のピークは44年10月で以降は減少しているから44年10月以前に発生した伸び率の鈍化は米潜水艦の跳梁による影響が大と考えられる。
まあ、何にせよ航空機工場が出来上がっても資源の流入が断たれれば生産活動は止まる。
即ち米の日本本土空襲は国民士気の阻喪は達成出来ても言わば無用の殺生であった。
前述したが核兵器以外でもっとも多くの日本人の生命を奪った東京下町空襲が実施された45年3月の日本海軍実用機生産数は45年中で一番多い。
B29を大量生産するより、もっと早くもっと多くの潜水艦を前線に投入していれば日本はもっと困った状況に追い込まれていたであろう。

なお、僕は必ずしも「戦略爆撃機は民間人を大量殺傷する兵器」で「潜水艦は人道的兵器」と考えている訳ではない。
焼死が餓死に変わるだけかも知れないとも思っている。
だが、国民が餓死に直面する危機となれば何か打開策を実行したと当時の政治指導層と日本人に期待もしているのだ。
これからの政治指導層と日本人にもね。 

[3692] Re:[3683] 陸軍機の生産 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/19(Fri) 10:19
> 取りあえず陸海軍の協定では同数ずつの生産とされていた。

誤解があるといけないから申し添えて置くけどいつでも同数と言う訳ではないし厳密に同数と言う訳でも無いんだ。
大型機もあれば小型機もあるし実用機もあれば練習機もあるからね。
それに色々の事情もあるから生産機数の多い月もあれば少ない月もある。
戦史叢書87巻404頁に1943年の陸海軍生産機数(練習機も含む)が記述されている。

5月 陸635 海482
6月 陸645 海516
7月 陸608 海650
8月 陸704 海656
9月 陸777 海691

こうして見ると数は陸海で必ずしも同等じゃないね。
陸の方が多い月が大部分だけど海の方が多い月もある。
そして時が経つと生産機数はどんどん増えていく。
陸の川崎、海の愛知や川西の様に専従メーカーもあるけど三菱や中島は陸海双方の生産をしていたから片方を増やせばもう片方は減らさざるを得ない。
かくして陸海双方がメーカーに無理な要求をして資源の奪い合いをしたから事態は相当にややこしくなった。

1943年12月に始まった1944年度航空機生産計画の陸海軍事務折衝で陸軍側は陸軍28000機、海軍24500機のプランを提示したが海軍側は陸軍24000機、海軍26000機、なおかつ陸軍機中1500機を海上護衛で使用、加えて陸軍航空士官学校卒業者の一部を海軍に移籍する事を要求した。
これじゃハナシがまとまる訳が無い。
かくして「アルミ折半案を基礎として陸軍がアルミ3500tを海軍に譲渡」で決着し双方各自勝手に生産する事となった。
こうして生産された1944年の陸海軍生産機数(練習機含む)が451頁に載っている。

7月 陸1298 海1153
8月 陸1225 海1252
9月 陸1189 海1188

ねっ、だいたい同数でしょ。
最初っから「同数にしましょ」ではなく結果として同数になったのだ。
「均等にする」のは機数ではなくアルミだったのである。

なぜ大型機に固執した海軍が小型機優先の陸軍と機数で等しくなったかって?
戦局が逼迫し数を増やす為に小型機優先とならざるを得なくなったからである。
だから最初は銀河改造だった月光後継の夜間戦闘機がいつのまにやら彩雲改造や彗星改造になっちゃったんだろうね。 

[3691] 理由 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/18(Thu) 09:53
日本陸海軍が夜間戦闘機の生産を減らしていった理由を考えてみよう。

1.戦術思想
  攻撃を重視し防御を軽視する日本軍は夜間戦闘機を重視しない。
  なにしろ海軍に於いてはかつて戦闘機無用論すら登場したくらいなんだから。
  昼間戦闘機なら「爆撃機の護衛」といった副次的攻撃任務や戦闘爆撃機としての運用、果ては特攻まで任務となるが夜間戦闘機は純粋に防御だけで使われる。
  本土決戦が叫ばれ特攻機の増産が始まると真っ先に夜間戦闘機が削減対象となった。

2.エンジン
  基本的に夜間戦闘機は双発だからエンジンが2つ必要で不経済。
  更に月光の場合は栄装備だったが誉の生産拡大の為、栄の生産中止(零戦も金星に変更せざるを得なくなった)が決定されたので量産できなくなった。
  そこで極光の生産に移行する事が決まったのだが極光とて双発だから不経済は変わらない。
  よって火力不足を承知で単発の彩雲夜戦や彗星夜戦になったのだろう。

3.機体の経済性
  双発なんだから当然、機体が大きくてアルミの使用量も多く不経済。

4.優先順
  日本陸海軍にとって最優先は攻撃である。
  次は軍需産業の防御である。
  前述した様に軍需産業への戦略爆撃は昼間爆撃が主体となる。
  よって夜間戦闘機はあまり必要でない。
  最も多く市民に死傷者のでた1945年3月でも航空機生産量は低下しなかった。 

[3690] 夜間爆撃 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/17(Wed) 17:10
夜間戦闘機は夜間爆撃を迎撃する為に存在する。
そも「戦略爆撃及び夜間爆撃とはなんぞや?」については抜書帖の「戦略爆撃について」を読んで頂くとして今日は夜間爆撃の頻度と特質について解説しよう。
まず死者3000名以上の日本本土空襲(核兵器を除く)を列記する。

3月10日東京下町(死者約8〜10万名)
3月13日大阪(約3100名)
3月17日神戸(約2600名)
4月13日東京城北(約2400名)
5月25日東京山手(約3600名)
5月29日横浜(約8千から1万名)
6月 5日神戸(約3200名)
6月 9日名古屋(約2000名)
6月17日鹿児島(約2300名)
6月18日浜松(約2400名)
6月19日静岡(約2000名)
7月 1日呉(約2000名)
8月 1日富山(約2100名)
8月 7日豊川(約2400名)

上記のうち昼間爆撃されたのは5月29日の横浜と6月5日の神戸、6月9日の名古屋、8月7日の豊川だけである。
他は全て夜間爆撃なのだ。
では日本本土空襲は夜間にばかり実施されたのだろうか?
そんな事はない。
なにしろ夜間はP51の護衛が付けられないからね。
それじゃ硫黄島を占領した意味が無くなってしまう。
当然、昼間爆撃も散々、実施された。
1945年6月には100機以上のB29による空襲が19回実施されたけど10回が夜間で9回は昼間だった。
それではなぜ死者数の多い爆撃は夜間なのだろうか?
基本的に昼間は航空機工場、精油所、港湾施設に対する精密爆撃で夜間爆撃は市街地に対する無差別爆撃だからである。
よって夜間爆撃では死者数が飛躍的に増大する。
これが夜間爆撃の特質であり国民の生命及び財産を守るには夜間戦闘機が重要な役割を担う。
ただし「生産施設を守る」と言う点に関しては・・・

追記しておくが日本本土空襲の夜間爆撃で初めて死者1000名以上の惨禍が生じたのは3月10日の東京下町空襲であった。
それまでの空襲では昼夜合わせても1回での死者は1000名未満であり夜間爆撃は80機未満の小規模爆撃が5回実施されたに過ぎない。
それに比べ80機以上の昼間爆撃は13回を数える。
一方、陸海軍とも夜間戦闘機の生産は前年10月をもって終了しているから「5ヶ月の間、夜間戦闘機を生産していない状態」で3月10日の悲劇を迎えた。
だから夜間爆撃によってあれほどの人的被害が生ずる事を予測できなかった面がある事を申し添えておく。
米軍が夜間に無差別市街爆撃を実施すると考えていなかったのかも知れないし実際に3月10日までは昼間精密爆撃ばかりだったのだから。
だけど...
3月10日以降も夜間戦闘機の生産に熱心でない所を見るとやはり「国民の生命は二の次」と考えていたとしか思えないのである。 

[3687] Re:[3686] 夜間戦闘機 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/15(Mon) 19:18
さて、次に日本海軍。
戦史叢書95巻329頁によると当初、18年度計画で戦闘機4013機に対し夜間戦闘機は220機(全て月光)で5.4%、19年度計画は戦闘機10455機に対して夜間戦闘機は1680機(180機は銀河改造)で16%を生産する予定だった。
だが戦局が逼迫した1943年9月に1944年度生産計画は変更(334頁)された。
戦闘機10950機に対し夜間戦闘機は月光800機、銀河改造(極光)180機の計980機で9%となった。
これが1944年10月末に策定された1945年度計画(410頁)だと戦闘機12150機に対して極光500機、彩雲夜戦800機の計1300機で10%になる。
ところがこれまた1945年1月11日に変更され戦闘機12800機に対し夜間戦闘機は0となってしまった。
ただし413頁によると終戦によって雲散霧消した1945年度下半期生産計画では戦闘機4610機に対して夜間戦闘機は彩雲改造と彗星改造の合計300機を予定していたらしい。
6.5%か...
でも20ミリ斜銃1門の彗星改造機や30ミリ斜銃1門の彩雲改造機で充分に戦えるとは思えないんだがなあ。 

[3686] 夜間戦闘機 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/15(Mon) 14:12
それでは日本陸軍がいつ頃から夜間戦闘機を軽視しだしたのか考えてみよう。
戦史叢書87巻388頁によると1943年度の生産計画では戦闘機3510機に対して夜間戦闘機は460機の予定であった。
13%だね。
これが1944年1月11日に策定された410頁の19年度生産計画だと戦闘機16200機に対して夜間戦闘機は800機になる。
たった5%にすぎない。
キ102も1000機生産する予定だったが高高度用の甲型は設計開始前だし夜間用の丙型はハナシすら出てなかったので襲撃機の乙型だけである。
更に1945年5月28日に策定された502頁の1945年6月生産計画では戦闘機548機に対して司偵改造夜戦15機とキ102甲5機の計20機、7月は567機に対してキ102甲が7機、8月は355機に対して0となる。
合計すると3ヶ月に戦闘機1470機を生産しその内で27機が夜間使える予定だった。
たった1.8%だ。
しかも「スピードは速いが旋回性能に劣る司偵改造夜戦」と「まだちゃんと仕上がっておらず絵に描いた餅のキ102甲」なんだからなんともはや...

[3685] Re:[3683] 陸軍機の生産 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/13(Sat) 17:55
> 実数では1942年1月〜1942年3月までの3ヶ月で生産された陸海軍実用機総数は1224機で1ヶ月平均では408機であった。

ちなみにこの数値の出典は日本航空協会「日本航空史」874頁である。
なお同書によると2式複戦の生産数は1944年度715機、1945年度0機となっている。
つまり陸軍も1945年4月以降は1機も夜間戦闘機を生産していないらしい。

それでは1945年3月以前はどうだったんだろう?
どうもキ102の生産開始と同時に2式複戦の生産をストップした様だからキ102の生産開始時期をチェックした方が良さそうだな。
ここで航空機総集4巻川崎篇をひもとくと・・・
なんと1944年10月からキ102の量産開始とある。
どうやら陸海軍は揃って1944年秋に夜間戦闘機の生産を止めてしまったらしいのだ。

年が明けたら米軍は高高度爆撃を諦め夜間爆撃に作戦変更するのに・・・
実にトホホなハナシだね。
もし陸海軍が総力を挙げて夜間戦闘機の量産に邁進していたら相当な打撃を米軍戦略爆撃部隊に与え日本本土空襲の被害を軽減出来たであろう。
まったく残念でならない。

[3684] Re:[3683] 陸軍機の生産 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/11(Thu) 22:29
戦史叢書「陸軍航空兵器の開発・生産・補給」382頁の「陸軍航空本部主要軍需品整備実績並びに予定表」によると1942年4〜6月の実用機生産は司偵55機、襲撃機129機、直協機52機、97戦237機、1式戦171機、2式単戦17機、2式複戦36機、99双軽95機、97重爆74機、100重爆41機、100輸送9機、1式輸送12機の合計928機となっている。
すなわち1ヶ月平均では309機だ。
前述した226機より多いね。
でもこの数字は「予定」なのである。
では実績はどうなのであろうか?
385頁に年間実績が記述されてるんだけど実用機と練習機を合わせた年間予定の6025機に対して5521機だったらしい。
1式戦みたいに年間766機の予定で763機を生産し達成率ほぼ100%の例があれば97戦みたいに年間855機の予定で生産803機なんて例もあるのでなんとも言えない。
どれもこれも均等で減ってる訳ではないのだ。
予定じゃなく月単位の陸軍実用機実績が見つかれば良いのだけどね... 

[3683] 陸軍機の生産 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/11(Thu) 18:09
「陸軍機の月別生産機数についても教えて欲しい」と言うメールを貰ったので少々、解説しよう。
取りあえず陸海軍の協定では同数ずつの生産とされていた。
本当にそうなんだろうか?
実数では1942年1月〜1942年3月までの3ヶ月で生産された陸海軍実用機総数は1224機で1ヶ月平均では408機であった。
日本海軍の1942年3月実用機生産は200機だからだいたい半々の様だ。
1942年4〜6月は1353機の平均451機で日本海軍が5月に生産したのが226機だからやはり半々と言える。
今度、もっと詳しく調べておくよ。

[3682] Re:[3681] たしか 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/10(Wed) 07:51
> ルメイが叙勲されたのって、航空自衛隊の育成だか設立に功績があったとかいうやつでしたっけ?

表向きはね。
でも自衛隊の設立に協力してくれた米空軍軍人は大勢いるし「それなのによりによってなんでルメイ?」と言う事なのだ。
まあ、ジョンソン大統領のハナシやら源田空幕長のハナシやら諸説紛々としているのだが・・・

[3681] たしか 投稿者:K−2 投稿日:2016/02/09(Tue) 21:48
ルメイが叙勲されたのって、航空自衛隊の育成だか設立に功績があったとかいうやつでしたっけ?
戦争には負けたくないものだなぁ・・・・ 

[3680] Re:[3678] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/09(Tue) 15:50
またもや補足。

> ルメイは民間人の殺傷は大きな戦果だと考えてたんでしょうね。

日本の航空産業は下請けの部品工場への依存度が高いから下町の市街地空襲で航空機産業へ大きな打撃を与えられるとルメイは主張したらしい。
結果はどうであったか?
最も大きな被害を出した戦略爆撃(核兵器を除く)は1945年3月10日の東京下町空襲(死者約8〜10万名)でそれに続くのが5月29日の横浜空襲(死者約8千から1万名)、6月5日の神戸空襲(死者約3千名)、3月13日の大阪空襲(死者約3千名)とされている。
だとすれば3月の航空機生産量は激減するはずだ。
結果は1945年1月の海軍実用機生産数が794機、2月は666機、3月は818機、4月は794機であった。
3月は激減どころか1945年中でもっとも生産機数が多いのである。
これを見てもルメイの主張は正当性が無く市街地に対する夜間無差別空襲は民間人の大量殺傷以外の何物でもない事が御理解頂けるであろう。 

[3679] Re:[3678] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/08(Mon) 12:54
> そのルメイに勲章くれてやってるんだからなんともはや・・・

補足しておこう。
米国政府がルメイを叙勲した事を言っているのではない。
1964年12月7日に日本政府が叙勲した事を言ってるのである。
だってどう考えてもおかしいよ。 

[3678] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/07(Sun) 19:39
>悪いのはルメイの野郎だってことで、話が済んでるのかな。

そのルメイに勲章くれてやってるんだからなんともはや・・・

>ルメイは民間人の殺傷は大きな戦果だと考えてたんでしょうね。

だろうね。

>夜間爆撃は民間人ばっかり、高高度はなかなか工場に命中せずで、やっぱり硫黄島からの護衛戦闘機が付いてから工場への戦果が上がるようになったのでしょうね。 

護衛戦闘機の登場によって戦略爆撃の破壊力は飛躍的に大きくなった。
その理由はB29の機銃を尾部以外全て撤去して爆弾搭載量を増やしたB型が空襲に参加する様になったからである。
落とす爆弾の量が増えれば当然、破壊力は増す。
1機当たりの爆弾搭載量は1945年2月15日の名古屋空襲時には3.5t、3月27日の大村空襲では2.9tだったが4月24日の立川空襲で4.2t、5月1日の岩国空襲で4.4t、5月3日の久留米空襲で4.8tと増えていき5月24日の東京空襲(山の手空襲)では6.4tとなった。
もちろん比例的に増えてはいない。
目標までの距離によって燃料積載量が変わるのでそれによって爆弾搭載量も変化するからね。
でも徐々に爆弾搭載量が増加していったのは確実だ。
5月25日の川崎空襲では6.5t、6月5日の神戸空襲で5.8t、6月9日の鳴尾空襲で5.6t、6月19日の豊橋空襲で6.5t、6月29日の岡山空襲では6.8tとなる。
更に7月6日の甲府空襲で7t、9日の和歌山では7.2t、12日の鶴見で7.4t、16日の沼津で7.9tと増え17日の平塚では8.5tとなった。
一番凄いのは7月28日の津で9.1tである。
それに加えB29の数が増えたのも大きい。
かくして4月4日には193機で1310t、4月7日には306機で1233tだった爆撃規模が約4ヶ月後の7月28日には599機で4471tにまで膨れ上がった。
米軍の燃料及び弾薬補給能力はハンパではない・・・

>排気タービンだけでなく、高射砲の射程不足もよく喧伝されていますが、夜間の中程度の高度での空襲なら性能ならとにかく射程は問題となるのでしょうか? 

ならない。
「くがやま」の高射砲? ふん!
てな位の物で数が大事なのだ。


>陸軍は・・・・・でも屠龍と百式司偵夜戦くらいか。
あ、あとキ102?

屠龍はいつまで造ってたんだろうね?
屠龍の生産機数は1690機なんだけどそのうち明石工場が大部分の1367機なんだよ。
その明石工場の屠龍生産ラインでキ102を生産したらしいんだ。
だからキ102の量産以降、明石工場では造ってないんじゃないかな?
そしてキ102ってのは...
238機生産されたけど215機は57ミリ砲を装備した襲撃機の乙型で発射速度が遅く空戦ではお話にならなかった。
空戦の出来る甲型も26機生産されたけどちゃんと仕上がったのは15機だけ、夜間戦闘機の丙型は1機も完成しなかった。
100式司偵戦闘機型の生産機数?
戦史叢書には56機、ウィキには90機って書いてあるね。
どっちにしても淋しい数だ。 

[3677] Re:[3674] 日本本土空襲 投稿者:うらマッハ 投稿日:2016/02/06(Sat) 23:33
> 排気タービンの開発に遅れをとった事はしきりと喧伝されるが「夜間戦闘機をろくに生産しなかったから夜間爆撃でボコボコにされた」と批判されないのは実に不思議である。

そういえばそうですね。
民間人が損害を受ける夜間爆撃を軽視していた、って批判がありそうなものです。というか軽視してた感じがする・・・
悪いのはルメイの野郎だってことで、話が済んでるのかな。ルメイは民間人の殺傷は大きな戦果だと考えてたんでしょうね。


夜間爆撃は民間人ばっかり、高高度はなかなか工場に命中せずで、
やっぱり硫黄島からの護衛戦闘機が付いてから工場への戦果が上がるようになったのでしょうね。 

[3676] Re:[3674] 日本本土空襲 投稿者:敬秀 投稿日:2016/02/05(Fri) 17:31
> なお、45年3月の本土空襲の特色はこれまでは昼間爆撃が主体だったのに対し来襲した2541機のB29のうちなんと2030機が夜間に来襲した事だ。

そう言えば火垂るの墓などの空襲関連の反戦アニメも大抵夜間空襲ですね...
やはり夜間の方が国民の戦意低下にも有効でしょうし...
これ程夜間に来ているのなら戦闘機隊よりも高射砲隊が戦果を挙げている理由がよくわかります

排気タービンだけでなく、高射砲の射程不足もよく喧伝されていますが、
夜間の中程度の高度での空襲なら性能ならとにかく射程は問題となるのでしょうか? 

[3675] F13 投稿者:K−2 投稿日:2016/02/04(Thu) 23:25
>日本海軍は〜夜間戦闘機の生産をしていなかったのである。
陸軍は・・・・・でも屠龍と百式司偵夜戦くらいか。あ、あとキ102?

>排気タービンの開発に遅れをとった事はしきりと喧伝されるが
そうなんですよねぇ。高高度精密爆撃は命中率悪いって早々に止めてるんですが・・・
空襲が本格化してからは大分低い高度で来てますよね。
高高度を飛んでたのは偵察機型くらいじゃないのかな。 

[3674] 日本本土空襲 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/04(Thu) 15:35
1943年9月以降で伸び率が低下したのは様々な要因による。
主立った要因を列挙してみよう。

1.米軍の戦略爆撃による生産力の低下。
2.米潜水艦の跳梁による資源輸入の減少。
3.熟練工員の徴兵などによる人的資源の枯渇。

なお、戦略爆撃による生産力の低下だが何も航空機工場やエンジン工場を直に爆撃せずとも精錬所や部品を製作する下請け工場を爆撃する事で充分に目的は達成される。
日本本土に対する戦略爆撃(マッターホルン作戦)が始まったのは1944年6月16日の八幡製鉄所空襲である。
6月の本土空襲はこの1回だけで7月にも空襲があったが小規模であった。
8月の本土空襲は3回で来襲機数は延べ129機。
9月は空襲がなく10月は来襲機数56機の1回だけに終わった。
11月は11日に29機による福岡空襲、21日に109機による熊本空襲と続いた。
これまでの空襲はインド及び中国奥地からの出撃だったので目標は九州北部に限られた。

だがマリアナ諸島が失陥し同地へB29が進出すると東北地方以北を除く本土全域が爆撃対象となり状況が一変する。
80機が来襲した11月24日の東京空襲はマリアナからの初出撃であり27日には62機が東京と浜松、30日には40機が東京を襲った。
つまり本格的な日本本土空襲は1944年11月からと見て良い。
12月の来襲機数は延べ409機に及ぶ。
だがこんな物はまだ序の口で1月の来襲延べ機数は686機になる。
2月の来襲機数は591機だったが別口で艦載機が延べ3490機もやって来た。
3月はB29の来襲が2541機、艦載機が3130機!
これはもういけません・・・

「定本・太平洋戦争」571頁によると日本の航空機工場の60%が焼失したそうな。
とは言え日本本土空襲が始まったのが44年6月で本格化したのが11月、激化したのが45年3月なので前回書いた「ピークから激減した最後の8ヶ月」の要因が日本本土空襲だとしても伸び率の鈍化と日本本土空襲は無関係である。
ピーク時の40%の航空機工場が残ってるのだから開戦時の2.4倍を生産できそうな物だが1.9倍(発動機ベースなら1.6倍)となったのは資材不足及び44年12月の東南海地震と45年1月の三河地震の影響であろう。

こうして見ると「まだ終戦時には生産力が残っていたのだな」と思われるかも知れない。
しかし45年5月の海軍実用機生産が単発557機と多発126機の合計683機、6月が単発417機と多発93機の合計510機、7月が単発297機と多発48機の合計345機で僅か2ヶ月で生産機数が半減している事を思えば9月末あたりで日本の航空機生産力は皆無に近くなっていたと考えられる。

なお、45年3月の本土空襲の特色はこれまでは昼間爆撃が主体だったのに対し来襲した2541機のB29のうちなんと2030機が夜間に来襲した事だ。
ところがなんと日本海軍は天雷などの試作機や彗星や彩雲、銀河などからの改造機を除き1944年11月以降、終戦まで一切、夜間戦闘機の生産をしていなかったのである。
これでは大規模な夜間空襲に対応できる訳が無い。
排気タービンの開発に遅れをとった事はしきりと喧伝されるが「夜間戦闘機をろくに生産しなかったから夜間爆撃でボコボコにされた」と批判されないのは実に不思議である。 

[3673] Re:[3672] 結構作ったモンですね 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/03(Wed) 07:37
> 42年の頃は「軍の言うとおりに増産なんてしてたら、戦争が終わった後に大不況になる」
> みたいなことが言われていたと、どこかのパイロットが書いていたなぁ。
> 戦争を楽観視して、過剰投資を避けていたのですかね。

「佐久間一郎伝」145頁によると中島飛行機創業者の中島知久平氏は「中島飛行機は戦争に勝っても負けてもつぶれる。勝てば飛行機はこんなにたくさん要らない。そうなったら低馬力の自動車工場にするより仕方がないだろう。それでもアメリカのフォードがダンピングしたらかなわない。」と言ったと記述されている。
また戦史叢書「海軍航空概史」282頁には航空本部の航空制度担当者であった角田求士中佐の回想として「飛行機増産の切実な要求は民間会社に十分に理解できず生産力をあまりに拡大し過ぎれば戦争終結後、その後始末に困るようになるのではないかと不安を抱くに至ったところも出ていた。」と記述されている。
海軍も海軍で景気の良い事や虚偽の大本営発表をしたりするものだから前線の実状はさっぱり内地の政策指導者や民間に伝わらない。

> 45年に入ってからは、生産力よりも資材の問題が大きいのでは?

ここら辺はこれから書くよ。 

[3672] 結構作ったモンですね 投稿者:K−2 投稿日:2016/02/02(Tue) 22:12
42年の頃は「軍の言うとおりに増産なんてしてたら、戦争が終わった後に大不況になる」
みたいなことが言われていたと、どこかのパイロットが書いていたなぁ。
戦争を楽観視して、過剰投資を避けていたのですかね。
ラバウルの辺りでバチバチやるようになって、1機でも多く前線へ!みたいなスローガンになって
メーカーも本機になっていったのかな。

45年に入ってからは、生産力よりも資材の問題が大きいのでは? 

[3671] 日本海軍の実用機生産 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/02/02(Tue) 17:50
さて、大型爆撃機の月産35機、局戦20機とはどの程度の数なのだろう?
日立の千葉工場が建設着手されたのは1943年春だが同年3月に生産された日本海軍機の陸攻は53機、局戦は1機だった。
当時はまだ陸爆の生産はないので陸攻数=大型爆撃機数と考えてよい。
大型爆撃機(陸攻+陸爆)の生産がピークに達するのは1944年11月の196機、局戦は1945年3月の140機である。

これらの数字から1943年春の時点で千葉工場の建設が日本海軍にとってかなり重要な生産力増強策だった事と1943年春とピーク時では生産力に大きな差がある事が判る。
とは言え1943年春の時点では試作機の域を出なかった局戦をピーク時と比べるのは無理があるし「1943年春の時点では小型爆撃機が多くて大型爆撃機が少なくピーク時は逆であった可能性」も考えると実用機の生産数全体で比較しなければ実像は浮かび上がってこない。

そこで今回は日本海軍の実用機生産数の推移について解説しよう。
まず開戦時だが戦史叢書「海軍航空慨史」では1941年12月を単発機111機、多発機68機の合計179機としている。
この集計での単発機は艦戦、局戦、水戦、艦爆、艦攻、水偵(観測機含む)であり多発機は陸攻、陸爆、夜戦、輸送機、飛行艇、哨戒機である。
多発機のうち大型爆撃機(陸攻)は56機で1943年3月より多い。
なぜであろうか?
その理由は開戦時に比べ1943年春では生産機種の優先状況が変化したからである。
1943年3月の生産総数は428機で開戦時の2.4倍だが多発機は75機で開戦時の1.1倍に過ぎない。
しかも多発機の中で陸攻以外の機種が開戦時は12機だったのに1943年3月では22機に増えている。
つまり海軍機生産の主軸は開戦時に比べ単発機にシフトし多発機の中でも陸攻は優先順位が低下したのである。
それにしても開戦から既に1年3ヶ月も経過してるのに生産機数があまり増加していないのを奇異に思われた方も多いであろう。

実の所、日本海軍は緒戦の大勝利から対米戦を楽観視しており開戦から半年に渡って本格的な航空機増産を実施していない。
以下は開戦から7ヶ月の日本海軍実用機生産数(単発機+多発機)である。
  41年12月 111+68 =179 単発+多発
  42年1月  113+61 =174
  42年2月  109+68 =177
  42年3月  124+76 =200
  42年4月  125+71 =196
  42年5月  143+83 =226
  42年6月  131+55 =186

一見して御判り頂ける様に一時的に200機を越えてもすぐに200機未満に低下しており大して生産量が増加していない。
航空機生産力の増強は一朝一夕にはできず段階を経て進める必要がある。
既存の工場から熟練工を引き抜き工作機械を調達し工場施設を構築し部品を供給する下請け工場を確保しなければならないからだ。
よって200機の生産力を500機に増やそうとすれば300機、400機の通過点を経ねばならず一足飛びに500機に到達する訳にはいかない。
それにも関わらず開戦後半年間の航空機生産は増強どころか足踏みを繰り返すに等しい状況にあった。

だが同年6月6日のミッドウェー海戦で大量の航空機を喪失しこの状況が一変する。
生産数は右肩上がりでぐんぐん伸び、なんとミッドウェー海戦から半年後の1942年12月には単発機316機と多発機92機の合計408機に達した。
つまり生産機数が2倍にも増えたのである。
  42年12月 316+92 =408
  43年3月  353+75 =428
  43年8月  468+73 =541
  43年9月  643+80 =723
  43年12月 681+121=802
  44年3月  736+113=849
  44年10月 766+237=1003
  44年11月 812+213=1025

その後も生産力はどんどん増え続け1944年10月には遂に千機を越えた。
だが11月の1025機をピークとして今度はどんどんと減少し終戦直前の1945年7月には単発機297機と多発機48機の合計345機にまで低下してしまった。
これが日本海軍航空機生産のあらましである。
要約すると開戦から約半年間、海軍実用機の生産力は殆ど変わらなかったが1942年6月のミッドウェー海戦敗北から生産力が増強され半年で生産機数は2倍に増えた。
それから9ヶ月後の1943年9月で4倍となるがこの頃から伸び率の低下が始まる。
開戦時の4倍まではどんどん増えていったがなかなか5倍にはならず6倍を達成したのは14ヶ月後になってからであった。

1.開戦からミッドウェー海戦までの7ヶ月:足踏み状態
2.半年で開戦時の2倍に増大
3.9ヶ月で開戦時の4倍に増大
4.14ヶ月で開戦時の6倍に増大
5.8ヶ月で開戦時の1.5倍に低下 

[3670] 無題 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/01/28(Thu) 08:30
ずいぶん問い合わせメールを頂いたので皆様の手間を省く為にちょっとコメントを。

1.He177とHe100は双方とも「大和計画」に新登場する。
2.登場するメリットは水冷エンジンの活躍域が拡がる事にある。
 これまで敵飛行場を制圧する4発重爆は三菱や中島の空冷エンジン装備機しか生産できなかった。
 戦闘機にしても3式戦など陸軍の川崎製しか生産できない。
 「大和計画」では水冷重視でエンジン開発しても海軍で局地戦闘機が生産できたり4発重爆が生産できるのがメリットとなる。
3.双方ともUボートで図面が届けられる。
 トリガーはHe100が熱田2型の完成、He177はハ70型の完成である。 

[3669] He177 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/01/27(Wed) 07:56
英名グリフォンとして知られるグライフ(独語)は猛禽の上半身と獅子の下半身を持つ伝説上の生物でギリシャ神のチャリオットを曳くのが役目とされている。
加えてバッカスの酒瓶と黄金を守るのも役目らしい。
まあ、本掲示板の読者に「グリフォンって何?」と尋ねたら「英国のエンジンでしょ」とか「巨大ロボ警官の敵役だった気がする」とか返ってきそうだが。

さて発言[3223]を読んだ方にはお判り頂けると思うが日本海軍はこのHe177グリフォン(グライフ)を日立航空の千葉工場で量産させようとした。
対抗馬は中島の連山である。
この両機、一見すると戦略爆撃機だが純粋な戦略爆撃機かと言うとちょっとばかり「?」となる。

戦略爆撃機とは工場や大都市、港湾施設など戦略目標への爆撃を主任務とする航空機で必ずしも大型機とは限らない。
小型であっても戦略目標に対して充分な効力を発揮できれば戦略爆撃機であり大型であっても戦略目標に手が届かなければ戦略爆撃機とは言えないのである。
そして対米戦に於いて日本側の戦略目標は米本土の工場及び大都市であり連山にしてもHe177にしてもそこまで航続距離が長くはない。
ハワイや濠州の港湾施設を戦略目標に含めるのであれば戦略爆撃機と言えなくもないがこれらを爆撃する為には発進地を相当、前方へ推進せねばならず戦局が逼迫した大戦中期の日本にとって現実的ではなかった。

ではなぜ、日本海軍は連山やHe177を求めたのであろうか?
その目的は敵飛行場の制圧である。
ラバウルとポートモレスビーで熾烈な航空戦が展開されていた1942年後半頃には敵飛行場を叩く事が重要課題だったのだ。
航空機総集5巻によれば1943年初頭に連山の開発指示が発令されたらしい。
ネックとなるのは排気タービン付誉エンジンの開発で上手く行かないケースも考えられた。
よって1943年春、日本海軍は月産大型爆撃機35機、戦闘機20機の千葉工場を建設着手(「世界の傑作機62」58頁参照)したと思われる。

定評あるドイツ機のライセンス生産なら大丈夫だと思ったんだろうね。
でもHe177にしたって水冷双子エンジンのハ70が予定通りに開発できなければどうにもならない。
連山の方は1944年10月1日に初号機が完成、23日に初飛行したがやはり排気タービンがダメダメでテストに明け暮れるうち戦局が逼迫して資材不足となり鋼製の連山改へ移行した。
ハ70は景雲と共に開発が進められたがこっちもダメダメである。
そうこうするうちに戦線はどんどん後退し遂に日本本土が戦略爆撃の脅威に曝される事態となった。
こうなっては「敵飛行場の制圧」なんて悠長な事を考えている場合ではない。
かくして連山もHe177も雲散霧消してしまったのである。

連山をたくさん造ってマリアナ諸島の米軍飛行場を制圧できたら素敵だが滑走路に穴をあけてるうちに日本本土にある連山の工場が灰になってしまうだろう。
いずれにせよ「飛行場制圧しか能のない4発重爆」は艦船攻撃の比重が大きい太平洋の戦いでは主役となりえない。
だから日本海軍も敗勢必至となってからは4発重爆を諦め双発の銀河や単発の流星に大きな期待を寄せたのだ。
ただし・・・
戦勢が抗していたり対艦ミサイルを装備出来るようになったらハナシは別である。 

[3668] Re:[3667] 雷電 投稿者:うらマッハ 投稿日:2016/01/24(Sun) 22:23
> なにしろHe100は最高速度670km/の高性能機だ。

GD2じゃかなり強かったです、He100D戦。
序盤で登場するのに速度16は圧倒的でした。火力6がちょっと残念。
航続距離は短いけど、北仏の端からロンドンに届くので問題なかったです。

> 更に武装は日本に送られてきた試作3号機は20ミリ1門+7.92ミリ2門だったけど試作9号機は20ミリ3門の大火力だった。

大火力化するとさぞ強いでしょうね。
太平洋では航続距離の問題で、前線への進出に難儀しそうですが。やっぱ空母で輸送かしら。 

[3667] 雷電 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/01/24(Sun) 18:36
雷電の開発が難航した為、強風を改造した川西の紫電が代わりとしてクローズアップされたのは有名だがHe100も再び注目され始めた。
なにしろHe100は最高速度670km/の高性能機だ。
600km前後をウロウロしている雷電や鍾馗、飛燕なんか目じゃない。

更に武装は日本に送られてきた試作3号機は20ミリ1門+7.92ミリ2門だったけど試作9号機は20ミリ3門の大火力だった。
日本は迎撃を主任務とする局地戦闘機を欲してたのだからきっと量産時には大火力化していただろう。
かくしてクルト・シュミット技師の来日、日立航空の千葉工場建設とハナシが次々に進む。
1943年春の事だ。

その頃、雷電はどんな状況だったのだろうか?
小福田著「指揮官空戦記」223頁によると雷電は1942年10月に量産開始とある。
さてそれでは戦史叢書「ミッドウェー海戦」627頁で雷電の量産状況をチェックしてみよう。
まず1942年10月に1機、11月に1機、12月に2機、翌年1月は無し、2月もなし、3月に1機・・・

ありゃりゃ?
とても量産なんて言える数じゃないぞ?
半年でたった5機・・・
月産1機にも満たないとは?
指揮官空戦記で量産って書かれていたのは「雷電11型として制式化された」って意味で実際には量産なんて夢のまた夢って状況だったのだ。
こうした事情でHe100のライセンス化が決定されたのである。

そして・・・
ドイツ機のライセンス化となればもうひとつの怪物がここに登場する。 

[3666] He100 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/01/24(Sun) 09:21
ハインケルときたらHe100を忘れてはならない。
発言[3223]でも書いたけど日本海軍は千葉県にあった日立航空の工場(現在の川崎重工千葉製鉄所)でドイツ機のライセンス生産を計画した。
この時、予定されたドイツ製戦闘機がHe100なのである。
He100のライセンス生産に関してはウィキや航空機総集(6巻168頁)、航空ジャーナル別冊第2次世界大戦ドイツ戦闘機62頁、丸写真集ドイツの軍用機55頁に記載されているが実機が日本に到着した日時やライセンス生産の経緯などについて幾つか相違が見られる。
到着日時はウィキが1941年、航空機総集が1940年、航空ファンには1940年5月と記載されている。

それでは日本海軍はなぜHe100をライセンス生産しようとしたのだろうか?
勿論、迎撃用の局地戦闘機としてだ。
すなわち三菱の雷電の対抗馬であり保険なのだ。
だから「多分、雷電の開発が上手くいく」となれば不要の存在となる。
雷電の開発が始まったのは1939年9月、計画要求が決定したのは1940年4月で当初はHe100と同じ水冷のDBエンジン(当時、13試ホ号エンジンとして開発され後にアツタとして実用化された)装備も検討(堀越二郎著「零戦」による)されていた。
つまり選択肢としてはHe100のライセンス化、水冷の雷電、空冷の雷電の3種が有り得たのである。
だが結局、アツタはそう簡単に実用化できそうもない事が判明し空冷の火星を装備した雷電が開発される事になった。
そして1942年2月末、遂に雷電の試作初号機が完成した。
これが期待通りの性能を発揮していればHe100のライセンス化など無用だったのだが・・・
残念ながらそうは行かなかった。 

[3665] Re:[3664] [3660] ハインケル 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/01/18(Mon) 09:20
> ハインケルさん。これはやっぱり「建国期」に登場するんでしょうか。

目下、考え中。 

[3664] Re:[3660] ハインケル 投稿者:うらマッハ 投稿日:2016/01/17(Sun) 20:52
ハインケルさん。これはやっぱり「建国期」に登場するんでしょうか。 

[3663] Re:[3662] [3660] ハインケル 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/01/16(Sat) 23:56
> と言う事はHe111が追加されるんですね!

BR20の代わりに登場するHe111(ユモ211装備)は時期的に見て戦前生産された機首が段差キャノピーのE3型となる。
でも段無しキャノピーファンの方もご安心を。
「大和計画」ではUボートによる技術支援が強化されるのでユモ211が国産化されているなら後日、段差無しキャノピーの新型設計図が送られてくるから。
他にもユモ211を装備するJu87CやJu87Eが日本海軍、Ju88Aが日本陸軍に送られて来る。
日本陸軍用にJu87BやJu87R、Ju87Dも増やす予定だよ。 

[3662] Re:[3660] ハインケル 投稿者:プラモ派 投稿日:2016/01/12(Tue) 21:40
> さてイタリアのBR20とドイツとドイツのHe111、君ならどっちを選ぶ?

と言う事はHe111が追加されるんですね!
これは楽しみです。
僕は当然、He111を選びます。 

[3661] すき焼き 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/01/12(Tue) 17:56
「炎の生涯」によるとハインケルさんは「すき焼き」がお気に召しドイツに帰ってからも日本から客が来ると自分で作ってもてなしたそうだ。
それでは「ハインケル流すき焼き」のやり方を紹介しよう。

1.バーナーに割り下を入れた鍋を置き加熱する。
2.細く切った葱、白菜、人参などの野菜を入れ煮る。
3.野菜を鍋から出し種類別の皿に盛る。
4.牛または豚または鶏の肉を鍋に入れて煮る。
5.肉を鍋から出し皿に盛る。
6.鍋に残った汁を器に入れる。
7.各自の椀に玉子の黄身を入れ並んだ皿から取って食べる。

ヲイヲイ、ハインケルサン・・・
大丈夫か?
僕の知ってる「すき焼き」とだいぶ違うんだが・・・ 

[3660] ハインケル 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/01/10(Sun) 08:22
97式重爆の量産に遅延をきたした日本陸軍は臨時措置として1938年にイタリアのフィアットBR20を「イ式重爆」として約80機輸入した。
重爆不足は理解できるとしてもなぜ、よりにもよってイタリア製なのであろうか?
たった500機少々しか生産さえなかったポンコツ機を100機近くも購入した理由は?
果たして日本陸軍は本当にBR20など欲していたのだろうか?

ウィキによると日本陸軍が本当に欲しかったのはドイツのHe111だったとされる。
また戦史叢書87巻162頁には「購入機の選定には外交関係を考慮」とありイタリアを三国同盟に誘引するのが目的であった事が記述されている。
また同書では「独国機の購入は望みが無く」とあるが本当だろうか?

ハインケル著「嵐の生涯」115頁によるとハインケル氏は1926年には日本海軍の招待で長門の水上機搭載工事の為に来日している。
更に1932年には日本の為に艦爆を設計し248頁では日本と友好的でありライセンス契約に良きパートナーであったと記述している。
本当に望みがなかったんだろうか?
イタリア機を選んだ理由は外交が主で「望みは大いにあった」んじゃなかろうか?

「大和計画」ではこのifを再現する為、1939年シナリオでは重爆輸入国の選定ができる。
さてイタリアのBR20とドイツとドイツのHe111、君ならどっちを選ぶ? 

[3659] Re:[3658] [3657] 無題 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/01/06(Wed) 08:22
ふむふむ。
「あけおめ」と「ことよろ」か。 

[3658] Re:[3657] 無題 投稿者:いそしち 投稿日:2016/01/05(Tue) 09:37
なるほど、そうきましたか。
それではこちらも。

こうした記事を阿部さんが書いて下さるこ
とでこちらも大変勉強になります。
よー
ろっぱ情勢の変動が太平洋での海軍戦略に大きな影響を及ぼす事が良くわかりました。

どうか本年も宜しく。 

[3657] 無題 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2016/01/03(Sun) 18:49
あべさんの書かれた記事を読みながら新年を迎える事が出来ました。
けっこう米海軍は上層部の意志が決まらないままハワイに進出したんですね。
おかげで真珠湾敗北の責を取らされたきん
める提督は気の毒としか思えません。

[3656] 年頭の御挨拶 投稿者:阿部隆史 投稿日:2016/01/03(Sun) 11:47
本年も宜しく御願い申し上げます。
どうか皆様にとって良い年となりますように。 

[3655] 謹賀新年 投稿者:K−2 投稿日:2016/01/01(Fri) 22:38
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。 

[3654] 年末の御挨拶 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/12/31(Thu) 11:19
一年間、色々と有り難う御座いました。
改めて御礼を申し上げます。
どうか皆様、良いお歳を。 

[3653] Re:[3649] お知らせ 投稿者:いそしち 投稿日:2015/12/30(Wed) 18:30
> 是非、ご覧下さい。 

拝読致しました。
米国のナンバー艦隊は真珠湾での敗北があってこその編成だったのですね。
言われてみればその通りなのですが今まで気付かずに過ごして来ました。
赤面の至りです。
日本は1から始まるナンバー艦隊、対する米国もナンバー艦隊ですが意味合いは全く違いますね。 

[3652] Re:[3649] お知らせ 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2015/12/27(Sun) 17:59
> 現在発売中の『世界の艦船』増刊『第2次大戦のアメリカ軍艦』に弊社デザイナー阿部隆史が執筆した「第2次大戦時の米ナンバー艦隊」が掲載されています。
> 是非、ご覧下さい。

早速、書店で購入しました。
正月休暇に入ったらゆっくり読ませていただきます。
それでは皆さん良いお年を。 

[3651] 大和計画(第6報) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/12/26(Sat) 19:28
ここで1939年シナリオのif設定で改装艦型を大鳳型にした場合を考えてみよう。

1939年9月のシナリオスタート時に空いてる大型ドックは呉の2号ドックだけなのでまずここで大鳳型(5番艦)を起工する。
1号艦は随分、工事が進んでるから1939年10月には大鳳型1番艦として竣工する。
そしたらすぐに同じドックで大鳳型(6番艦)を起工しよう。
次は1940年9月に2号艦が大鳳型2番艦として竣工、更に1940年5月には3号艦、6月には4号艦が大鳳型の3、4番艦として竣工する。
さあ、これで4隻の大鳳型を揃えて開戦に臨めるぞ。

更にさっき起工した大鳳型5、6番艦は1942年5〜6月には竣工するから第2段階作戦には充分間に合う。
なぜこんなに上手く進められるかって?
それは大鳳型の工期がすこぶる短いからなんだ。
翔鶴型の工期は1番艦の翔鶴が3年8ヶ月、2番艦の瑞鶴が3年4ヶ月かかったのに対し大鳳は僅か2年8ヶ月なのである。

戦時中だから急いで工事を進めたのだが当初から工期は3年の予定だったから翔鶴型よりずっと短い。
「翔鶴型抜きで大鳳型の建造ができたのか?」って問題はあるけど日本海軍が英のイラストリアス型装甲空母の情報を早期に掴んでいたら「無条約時代の到来と共に装甲空母の建造」って事も有り得たかも知れない。
あり得ないと思う方は大鳳型をやめて翔鶴型でどうぞ。
翔鶴型だって4隻揃えて開戦を迎える事はできるんだから。
ただし5、6番艦が竣工するのは1943年の第3段階作戦まで遅れるけどね。
そうそう、「空母は揃っても搭載機が無くっちゃね。」と言う方の為に今回の入門編は艦上機の初期配備数が大幅に増やしてあるよ。
その為に1939年シナリオの入門編を作ったのだから。 

[3650] 大和計画(第5報) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/12/24(Thu) 18:31
さて今日は1941年シナリオについて解説しよう。
1941年の場合、シナリオ開始時に日本国内の大型ドックでは呉で1号艦(大和)と111号艦(紀伊)、佐世保で2号艦(武蔵)、横須賀で110号艦(信濃)、神戸で130号艦(大鳳)が建造されている。
よって今回は130号艦が「史実通りに大鳳型空母」のまま起工されたか「ifによる戦艦」として起工されたかを選択する。
史実通りなら130号艦以外の4隻、ifなら5隻全部が艦型変更対象となる。

次に「どの艦型が大和型として決定されたか」を選択する。
第4報で「翔鶴型も選択艦型に含まれている」と書いたら「それなら是非、大鳳型も!」との要望が来たので急遽、大鳳型及び大鳳改型も加える事となった。
要望された方が仰るには「翔鶴型なんて中途半端な空母でなく最初から装甲空母にしておけば珊瑚海海戦であんな結果にならず圧勝してたはず。だとすればミッドウェー海戦なんて起こらなかった。是非とも再現したい!」だそうだ。
大鳳型も変更可能するのでどうか頑張ってね・・・

ところで1941年だと大和は竣工直前で63468tまで出来上がっているんだがこれを47471tのK案に変更すると15997tの鉄が無駄になっちゃうと心配してる方はいらっしゃらないだろうか?
御心配なく!
差の分はちゃんと国家備蓄に加算されるので大丈夫だよ。

1941年の場合、K案に変更すると大和は当然、開戦直後に竣工するしおまけに15997tの鉄がボーナスで入る。
武蔵も竣工直前となりボーナスの鉄は5889t。
紀伊は225ターン後の1943年10月頃、信濃もほぼ同じ頃に竣工する。 

[3649] お知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/12/22(Tue) 12:11
現在発売中の『世界の艦船』増刊『第2次大戦のアメリカ軍艦』に弊社デザイナー阿部隆史が執筆した「第2次大戦時の米ナンバー艦隊」が掲載されています。
是非、ご覧下さい。 

[3647] 大和計画(第4報) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/12/19(Sat) 20:58
> なにしろ開戦時に大和だけではなく武蔵、できれば信濃も戦列に加えたいのですから。

それではそこの所を解説しよう。
今回、用意するシナリオは1939年の標準と入門編、1941年の標準と入門編の4本だ。
これらのシナリオで大和型を起工から建造する事も出来るが
1941年シナリオだと多分、決戦に間に合わない。
1939年シナリオだって竣工は随分、先のハナシとなる。
こうなると「最終案は工期が長い」とか「K案は短期で建造できる」とかどうでも良くなってしまう。

でも御安心あれ。
「大和計画」はそんな構造になってないから。
1939年の場合、シナリオ開始時に日本国内の大型ドックでは呉で1号艦(大和)、佐世保で2号艦(武蔵)、横須賀で3号艦(翔鶴)、神戸で4号艦(瑞鶴)が建造されている。
そこでまず最初に3、4号艦が「史実通りに翔鶴型空母」のまま起工されたか「ifによる戦艦」として起工されたかを選択する。
史実通りなら1〜2号艦のみ、ifなら1〜4号艦が艦型変更対象となる。

次に「どの艦型が大和型として決定されたか」を選択する。
大和型ではないが翔鶴型も選択艦型に含まれているので「戦艦なんかいらね〜や。俺は空母一筋でいくぜ。」といった方にも「大和計画」はお勧めである。
シナリオ開始時に1号艦大和は最終案の基準排水量64000tのうち27957tまで工事が進んでおり竣工予定は1941年12月6ターンであった。
K案の基準排水量は47471tでかなり小さく工期は125ターン短い。
よってK案であれば1940年12月1ターンに1号艦大和は竣工するし2号艦武蔵も1941年7月末の竣工で開戦に間に合う。

ifにして3、4号艦も変更対象とするのなら翔鶴は信濃、瑞鶴は紀伊と艦名が自動変更される。
1939年シナリオのスタート時に翔鶴(信濃)は11008t、瑞鶴(紀伊)は9984tまで工事が進んでいる。
K案の基準排水量は47471tなので未工事分は信濃が36463t、紀伊は37487tとなる。
大和型の新造規模は133tなので信濃の竣工は275ターン後、紀伊は282ターン後である。
つまり信濃は1941年12月6ターン、紀伊も1942年1月中には竣工する。
と言う訳で・・・

> 可能ですか? 

可能だ。

1941年シナリオについてはまた後日。 

[3646] 獅子鍋 投稿者:K−2 投稿日:2015/12/16(Wed) 21:58
すみません、少し言葉に綾があったかもしれません。

>何代が経つと豚になってしまうそうで・・
ってのは、完全に豚になるって意味では無くて、
「これ、どう見ても猪の肉じゃないよね」ってところまで
変化してしまう、と言うことのようです。

[3645] Re:[3644] しし鍋 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/12/15(Tue) 08:35
> ちなみに他の県で、猪ブランドを立ち上げて安定供給するために飼育を試みた
> ところがあるらしいのですが、何代が経つと豚になってしまうそうで・・・

へぇ〜!
猪と豚を交配させたのがイノ豚だって事は知ってたけど猪を何代か育てれば豚になっちゃうんだ・・・
家畜化して狼が犬になったり猪が豚になったりするのには何百年もかかる様な気がしてたんだけどそうでもないんだね。
反対に豚を野生化させたらどうなるんだろう?
やはり数代で猪になるのかな・・・ 

[3644] しし鍋 投稿者:K−2 投稿日:2015/12/14(Mon) 21:44
ああなんてことでしょう。
実はウチの地元は猪の産地(っつっても野生の猪を駆除してるだけ)なんです!
今、隣の席の奴がその担当で、今年は150頭余り駆除いたしました。
最近は田んぼにまで突っ込んでくるので。
一応、ブランドも立ち上げて、製品化もして、軌道に乗ってきていたのですが、
例の原発事故でオジャンに。未だにセシウムが検出されるので食用は無理です。
ちなみに他の県で、猪ブランドを立ち上げて安定供給するために飼育を試みた
ところがあるらしいのですが、何代が経つと豚になってしまうそうで・・・ 

[3643]  投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/12/14(Mon) 12:16
今年もK−2氏から葱をもらったよ。
そこで夕べは「しし鍋」をこさえた。
とは言っても「ししの肉」(猪)なんて手に入らないから近縁種である豚肉を使った。
だからまあ「しし鍋」(ぼたん鍋とも言う)ではなく「しし鍋モドキ」ってとこかな。
みんな「二番煎じ」って落語知ってる?
あれに「しし鍋」がでてくるんだが熱い葱と食う様が旨そうな事、旨そうな事。
豚肉と葱と豆腐と茸と人参を味噌で煮込んだ「しし鍋」は風邪を引かぬ絶好の予防薬だ。
皆さんも煎じ薬(燗酒)と共に是非、どうぞ。 

[3642] Re:[3641] 大和計画(第3報) 投稿者:いそしち 投稿日:2015/12/13(Sun) 19:14
家族との温泉旅行から帰ってきたら色々と新情報が並んでいてビックリです。

> D案はB系列の経済型で防御が弱いけど基準排水量が小さく大和最終形態より9ヶ月弱も工期が短い。

魅力的ですね。

> K案は攻防走の全てで劣るが基準排水量が最小の経済型で大和最終案より工期が1年も短かくなる。
> 早期の開戦を望むか数を揃えたいのならお勧めだ。

こっちも魅力的です。
なにしろ開戦時に大和だけではなく武蔵、できれば信濃も戦列に加えたいのですから。
可能ですか? 

[3641] 大和計画(第3報) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/12/11(Fri) 07:28
たくさんの設計案があるのでどれが良いのか迷うだろう。
だけど心配する事はない。
自分の戦略方針に適合した設計案を選べば良いのだ。
どれが良くてどれが悪いと言う事はない。
戦略方針は十人十色なんだから。

「とにかく速力が高ければ良い」と言うプレイヤーには原型がお勧めだ。
諸設計案中最速で31ノットの速力を誇る。
ただしタービンなので燃費が悪く基準排水量も大きいから工期が長い。

初期に作成されたA系列の諸案は30ノットと高速で航続力も最大だがこれまた基準排水量が大きいので工期が長く混成機関だから燃費もそこそこ。
これに対抗して作成されたB系列の諸案はディーゼルなので燃費が最良だけど速力は28ノットに低下する。
D案はB系列の経済型で防御が弱いけど基準排水量が小さく大和最終形態より9ヶ月弱も工期が短い。

I案は46p主砲を10門装備しており火力が最大である。
中期に作成されたG案は軍令部主導で実はこれが本命だったらしい。
K案は攻防走の全てで劣るが基準排水量が最小の経済型で大和最終案より工期が1年も短かくなる。
早期の開戦を望むか数を揃えたいのならお勧めだ。

最終形態の出発点となったF案は火力と防御力の小さいのが難点だった。
「性能はあまり気にせず見た目が大和型なら構わない」のなら経済的だからお勧めである。
F案の欠点を修正したF3案は攻防走のバランスがまずまずで経済的でもあったが皺寄せを食った航続力は諸案中最低の4900浬まで低下してしまった。
航続力なんか短くても困らないと言うプレイヤーにお勧め。
「とにかく1門でも主砲を多く!」と言ったプレイヤーにお勧めなのがJ3案である。
46p砲ではなく40p砲になってしまうが12門も装備しており主砲門数最多である。

最終形態はみんな知ってるよね。
簡単に言えばF3案の混成機関をタービンにし燃料搭載量を2倍以上に増やして7200浬の航続力を確保した設計案だ。
よって基準排水量が大幅に増大し工期が長くなってしまった。
タービンなので燃費が悪いのも欠点である。

さあ、どれを選ぶ?
決めるのは君自身だ。 

[3640] 失礼しました; 投稿者:多聞丸 投稿日:2015/12/09(Wed) 00:09
なるほど、コレでいいんですね。
ホニIが対戦車車両でホニIIが火力支援用と思い込んでおりました;
K−2さん、阿部さん有難う御座いました。 

[3639] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/12/08(Tue) 08:18
>さて今更ながら気付いたのですが1式砲戦車1型の砲射程が3になってるんですがコレは1の間違いじゃないかと思うのですが射程3でいいのでしょうか?

3で良いんだよ。
K−2氏が解説してくれた様に90式野砲が3だからね。
ラッチェブムを自走化したSU76や25ポンド野砲を自走化したセクストンも3でしょ。
ただしホニがこれらと違うのは自走砲であると同時に砲戦車でもあると言う事なんだ。
つまり同一の車体でありながら砲兵連隊に配備された車両は自走砲で戦車連隊の砲戦車中隊に配備された車両は砲戦車なのである。
同じ様な例は屠龍で戦闘機部隊に配備されたら2式複戦、爆撃機部隊に配備されたら2式襲撃機となる。
米軍にも似たケースがあって似た車両でありながら歩兵部隊に配備されたら戦車、騎兵部隊に配備されたら戦闘車となっている。

>全面装甲で覆われているのは、米軍の準備砲爆撃が凄まじいという事実を認識したという事では無いでしょうか。

ホニVが密閉砲室なのは自走砲としての機能より砲戦車としての機能が重視されていたからだと思うよ。
意外かも知れないけど砲兵達は密閉されるのを嫌うんだ。
自由に手足を伸ばしてエッチラオッチラと砲弾を運ぶのが仕事だからね。
でも敵と直接照準で撃ち合うとなったらそんな事は言ってられない。
小火器弾もバンバン飛んで来るだろうし榴弾や迫撃砲の弾片もアチコチから飛んでくるからね。
それに前からあった戦車師団は砲兵連隊が編入されていたけれど大戦末期に編成された第4戦車師団なんかは砲兵連隊が編成されず戦車連隊の砲戦車中隊が拡充されたからそうした事情もあったんだと思うよ。

[3638] 自走野砲です 投稿者:K−2 投稿日:2015/12/07(Mon) 23:07
>ホニT
一式砲戦車(ホニT)は、もともと砲兵が九○式野砲の自走化案として考えたモノなので、
九○式野砲と同じ射程3で問題ないハズです。
戦車部隊用の砲戦車は、短砲身75mm砲装備で旋回砲塔式の試製一式砲戦車(後の二式)を
作ってたのですが、用兵側からの評価が低く採用にならなかったところをホニTに
目をつけて採用した訳です。(だから二式砲戦車がホ「イ」で、一式砲戦車がホ「ニ」なのです)
実際、戦車部隊のホニTも、戦車のような直接照準器は装備していなかったということですし。
よって、ホニVも、結果的に主砲威力から対戦車戦闘が期待されていましたが、元々は
ホニTと同じく砲兵用の自走野砲です。全面装甲で覆われているのは、米軍の準備砲爆撃が
凄まじいという事実を認識したという事では無いでしょうか。

[3637] 2型じゃありません 投稿者:多聞丸 投稿日:2015/12/07(Mon) 18:57
久しぶりにお邪魔します。そんな時にパワーアップキットの朗報が!
その際には独伊軍が派遣される(敵味方?)シナリオも見たいところです。

さて今更ながら気付いたのですが1式砲戦車1型の砲射程が3になってるんですが
コレは1の間違いじゃないかと思うのですが射程3でいいのでしょうか? 

[3636] 大和計画(続報) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/12/06(Sun) 16:20
大和型戦艦の建造は開戦の可否を決する程の大事業であった。
また大和型戦艦は軍縮条約失効後、様々な変遷を経て完成したのでありその設計案は20以上にのぼった。
せっかく太平洋戦記がプレイできるのだから多数の設計案の中から「これこそが我の求める真の大和」を選び出し戦列に加えたいと誰もが思うであろう。
GS掲示板でもこの件に関して要望があったしメールや手紙でも多数の要望とご意見を頂いた。
もちろん20数案の全てと言う訳にはいかない。
まったくデータ不明の案もあるし他の案と差別化できない案も多々あるからだ。
よって大和型設計案の中から13案を厳選し1939年シナリオ(帝国国防方針)及び1941年シナリオ(大東亜戦争)でプレイできるパワーアップキットを開発する事になったのである。
無料のバージョンアップとする事も考えたが弊社の現況では無理であり大和計画の開発を止めるか出来るだけ安価にして有料とするかの二者択一となった。
どうか御了承頂きたい。
なお出来るだけ安価とする為、販売形態はダウンロード販売のみとなるのでこの点についても御了承願いたい。 

[3635] Re:[3634] 大和計画 投稿者:いそしち 投稿日:2015/12/05(Sat) 20:48
これは楽しみです!
期待してますので是非、詳細をお願いします。 

[3634] 大和計画 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/12/05(Sat) 18:02
唐突だけど現在、太平洋戦記3のパワーアップキットを開発している。
当初は12月8日の奇襲発売を目論んでいたんだけど諸般の事情で少々、遅れる事になってしまった。
まあ、無理して後顧に憂いを残してもいけないからね。
でもそんなに遅れず近々、完成させるから御安心あれ。
テーマはずばり大和型でサブタイトルは「大和計画」。
詳細はまた今度。 

[3633] Re:[3632] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/11/30(Mon) 11:43
なんと太平洋戦記3が価格コムのPCゲームソフトランキングで8位に上がったよ。
7位以上で太平洋戦記3より古いソフトはひとつもないから随分、健闘してると言えるよね。
これも皆様のおかげだ。
感謝! 

[3632] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/11/21(Sat) 12:14
おおっ、価格コムのゲームソフトランキングで太平洋戦記3がまた9位に復帰できたぞ。
有り難い事だ。 

[3631] 更新のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/11/13(Fri) 15:00
本日『抜書帳』に「連合艦隊はいかに戦ったか?」(世界の艦船 2010年12月号掲載)をアップしました。
http://www.general-support.co.jp/column/columun.html 

[3630] Re:[3621] お知らせ 投稿者:いそしち 投稿日:2015/11/12(Thu) 19:39
> 現在発売中の『世界の艦船』12月号 特集「ビッグ7」に弊社デザイナー阿部隆史が執筆した「ビッグ7の戦歴」が掲載されています。
> 是非、ご覧下さい。 

読みました。
結構、長門型の速力で軋轢があったのですね。
米戦艦は低速であればこそ思い切った作戦投入が出来たのだと思います。
そうなると低速な護衛空母の存在意義も重要ですね。 

[3629] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/11/06(Fri) 15:01
>ビッグ7の各艦を見るとやはり、日本艦は美しいと感じます。

僕もそう思うよ。

>長門型も大和型も伊勢型も、日本艦はどこか綺麗です。

やはり艦橋と煙突のバランスが良いんだろうね。 

>しかし、最後まで消火活動を続けて亡くなられた2等航海士を含めて「さんふわあ だいせつ」船長並びに救援に駆け付けた各船の皆様に対しては、敬意を表すると共に、亡くなられた故人のご冥福をお祈りいたします。 

シーマンシップは日本の無形の財産でありそれが認識されるケースは非常に少ない。
まあ、少ないって事は安全が保たれているって訳なので良い事でもあるんだけどね。
スペックや数だけだなら近隣周辺諸国の隆盛も大した物だが最近の海運事故を見るとひどい有様だ。
だから無形の財産に感謝し育てて行かなければならないと切に思うよ。
領海侵犯や不法な埋め立て工事をする事件が昨今、世相を騒がせているが「無形の財産を持っていない国」こそ海洋の重要さや危険を知らず無理なごり押しが通ると信じているようだ。
やはり海洋大国である日米英は手を携えて秩序の維持に務める必要があるね。 

[3628] Re:[3623] [3622] [3621] お知らせ 投稿者:プラモ派 投稿日:2015/11/05(Thu) 19:46
> ピットロードから発売されてるみたいですよ。

良い情報をありがとうございます。
最近は随分と新しいキットが発売されているんですね。
勉強になりました。

> 値段もそう高くないようです。
> 籠マストはエッチングらしいですね。

これは手が震えそうです。

> 試してみては如何ですか?

ぜひ、トライしてみます。 

[3627] 無題 投稿者:敬秀 投稿日:2015/11/05(Thu) 19:00
阿部さんご返答ありがとうございました。
初期の陸軍=フランスのイメージが強かったので、
まさか38式の時代にドイツ製の兵器が使われていたとは
思いませんでした。まだまだですね。精進します。

ビッグ7の各艦を見ると
やはり、日本艦は美しいと感じます。
籠マスト、どうしても好きになれないんですよね...
ネルソン級は面白いのですが、綺麗ではないかな(笑)
長門型も大和型も伊勢型も、日本艦はどこか綺麗です。 

[3626] シーマンシップ 投稿者:かなやゆうき 投稿日:2015/11/05(Thu) 16:47
「ビッグ7の戦歴」拝読しました。
長門が、落ちなかった「落とし穴」、そのような話(落とし穴)があったんですね。

最近の「世界の艦船」には、珍しく「「ビック7」プラモデル・ラインナップで模型情報も紹介されています。記事内にもありますが、PT社の製品は早めにゲットしないと入手難になります(ローマやリシュリューは再生産されるまで1.5倍以上の闇値がついていました。再生産品は微妙に値上げされています)

同「世界の艦船」での「「さんふらわ あだいせつ」火災事故を検証する」記事で、付近を航行中の船が続々と救援に駆け付けた、日本人船員の誇るべきシーマンシップであり、船長が最後の1名を下船させるまでは退船しない、となかなか船を離れなかったことを絶賛していましたが、陸奥の爆沈原因を思うと複雑な心境です。
しかし、最後まで消火活動を続けて亡くなられた2等航海士を含めて「さんふわあ だいせつ」船長並びに救援に駆け付けた各船の皆様に対しては、敬意を表すると共に、亡くなられた故人のご冥福をお祈りいたします。 


[3625] アップデートのお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/11/04(Wed) 18:03
本日『太平洋戦記3』のアップデートプログラムVer1.Fをリリースいたしました。
http://www.general-support.co.jp/update.html 

[3624] Re:[3621] お知らせ 投稿者:奈良漬け 投稿日:2015/11/04(Wed) 15:57
> 現在発売中の『世界の艦船』12月号 特集「ビッグ7」に弊社デザイナー阿部隆史が執筆した「ビッグ7の戦歴」が掲載されています。
> 是非、ご覧下さい。



お知らせ、ありがとうございます。

是非、読んでみます! 

[3623] Re:[3622] [3621] お知らせ 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2015/11/04(Wed) 15:26
> コロラド型がなかなかキット化されないのは籠マストの処理が難しいからなんでしょうね。

ピットロードから発売されてるみたいですよ。
値段もそう高くないようです。
籠マストはエッチングらしいですね。
試してみては如何ですか? 

[3622] Re:[3621] お知らせ 投稿者:プラモ派 投稿日:2015/11/04(Wed) 08:00
> 現在発売中の『世界の艦船』12月号 特集「ビッグ7」に弊社デザイナー阿部隆史が執筆した「ビッグ7の戦歴」が掲載されています。
> 是非、ご覧下さい。 

ビッグ7ですか!
ネルソン型と長門型ならWLで作った事あります。
コロラド型はまだありません。
コロラド型がなかなかキット化されないのは籠マストの処理が難しいからなんでしょうね。 

[3621] お知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/10/28(Wed) 18:26
現在発売中の『世界の艦船』12月号 特集「ビッグ7」に弊社デザイナー阿部隆史が執筆した「ビッグ7の戦歴」が掲載されています。
是非、ご覧下さい。 

[3620] グロス・ドイッチュラント2文庫版 通販特典サービス 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/10/23(Fri) 19:32
棚卸しのため倉庫を整理した時に『グロス・ドイッチュラント2』旧パッケージ版の解説書が1箱出てきました。
よって弊社通信販売にて『グロス・ドイッチュラント2文庫版』をお買い上げの方には
特典サービスとして旧パッケージ版の解説書、兵器図鑑、付属マップをお付けいたします。

こちらの特典サービスは数に限りがございますので、在庫が無くなり次第、終了させていただきます。
ご了承下さい。

なお今まで弊社通信販売で『グロス・ドイッチュラント2文庫版』をご購入いただきましたお客様にも、後日郵送させていただきますのでご心配なく。 

[3619] Re:[3618] [3617] 明治建国期の外交 投稿者:Zabara 投稿日:2015/10/17(Sat) 20:53
>外地(植民地や属国)の自治権だけではなく本国諸地域の自治権も関わる事である
>中央集権国家ではなく山内容堂などが構想した諸侯会議の実現となる。
なるほど、国内自治まで考えが及びませんでした…
高度な地方自治もありえるのですね

ゲームが明治元年、鳥羽伏見の戦い前後ですから
数多くの可能性があって面白そうですね
建国期というのは様々な可能性に満ち溢れているとは言え
明治建国ほどロマン掻き立てられる時期もそうはありません

私も、ぜひとも発売日に購入したいと思います!

http://kokopa.blog23.fc2.com/ 


[3618] Re:[3617] 明治建国期の外交 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/10/17(Sat) 11:48
> (あまり知識が無いので、連邦国家なるものが当時存在していたのかはわかりませんけれど…一応アメリカ合衆国は連邦国家でしょうか?)

もちろん米国は連邦制国家だ。
ここで気を付けねばならないのは外地(植民地や属国)の自治権だけではなく本国諸地域の自治権も関わる事である。
となると中央集権国家ではなく山内容堂などが構想した諸侯会議の実現となる。
まっ、どういう国を作るかはプレイヤー次第だ。
でもなりゆきによって西南戦争やら竹橋事件やら公家の反乱やら秩父事件やら色々と頻発するので御用心、御用心。

[3617] 明治建国期の外交 投稿者:Zabara 投稿日:2015/10/15(Thu) 19:48
明治建国期が進められると聞いて
いてもたってもいられず久しぶりに書きにきてしまいました!
(前に書き込みした時は太平洋戦記3発売前の時ですので
4.5年ぶりになります)
実は構想を聞いた時から、ずっと心待ちにしておりました

一度も戦争をせずに…ということで色々と想像を
掻き立てられるのですが外交好きの私としては
他国との交渉周りがどうなっているのか物凄く気になっています。

と、いうのも明治建国時代
(ゲームがいつの時代から始まるのかわかりませんが)
に行われた、蝦夷共和国戦争などは色々扱いが面白いからです。

正確にいえば「幕臣達が自主独立の地を求め蝦夷地を要求した」この戦争
榎本武明の言を信じれば
「あくまで日本政府に背くことでは無く、幕臣達の安住の地として自治を認めてほしい」というのは、いわゆる連邦国家構想になります。

これは後年「朝鮮併合」で韓政府側の要求であった
「日本への併合条件として韓政府の強力な自治権(内政および軍事)」に
相通じるものがあります。

もちろん現実においては、当時の情勢を踏まえれば蝦夷共和国の存在は許すことはできず
朝鮮半島は完全併合されて、日本は連邦国家にはなりませんでした。

ですが、この辺りは、もしゲーム内で扱われるとするならば…ただの属国扱いなのか、それとも自治領となるのか…どう表現されるのか気になっております。

(あまり知識が無いので、連邦国家なるものが当時存在していたのかはわかりませんけれど…一応アメリカ合衆国は連邦国家でしょうか?)

あとは大アジア主義による…共栄圏構想…
これはいわゆる第二次世界大戦の日本主導では無く
明治時代のアジア主義の方々の当初の予定?であった、中国を盟主にした大韓帝国と日本による対欧州のアジア共同体の結成など
(中国はやる気がなかったので無茶苦茶ハードルは高そうですが)
この辺りの外交情勢をどう表現されるのか、楽しみで仕方がありません。

http://kokopa.blog23.fc2.com/ 


[3616] Re:[3605] [3604] [3602] [3596] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/10/07(Wed) 11:51
おぉっ、しばらく10位台で一進一退を繰り返していた太平洋戦記3がまたぞろ9位に戻ってきたぞ。
これも皆様と天のおかげ。
ありがたや。

それにしてもカメラ系量販店で他の作品は置いてくれるのにGD2文庫版だけ置いてくれないのは何故なのかな?
つくづく謎だ・・・ 

[3615] 太平洋の方が好きなんですか? 投稿者:K−2 投稿日:2015/10/05(Mon) 23:09
> 何かまともに使われたドイツ輸入兵器ってありますか?
阿部社長の言われたとおり、三八式野砲をはじめとする
各種三八式の砲がドイツ製ですね。日露戦争の頃のだけど。
アメリカ製ならフォードのトラックが山ほど。

>> 逆にドイツで使われた日本兵器はあるんでしょうか。
>各種技術はあるけど兵器としてはないんじゃない?(笑)
九四式水偵が!(笑)
買いに来たとは言うけど、運用したとは聞かないしなぁ。
空母赤城を見学しに来たって話は有名だけど、一番欲しい
カタパルトが装備されてなくてがっかり・・・な話も。
それで独自に開発したカタパルトがムカデ砲方式なのは
なんだかね。
そういえば訪独潜水艦で運んでいった自動けん吊装置と
無気泡発射管の技術はどうなったんでしたっけ?


しかし今はいい時代になりましたね。
お金なくてもネットで検索すれば自分の子供の頃なんかより
遙かに詳しい情報がタダで見られます。
自分が子供の頃は親父の持ってたジュニア版太平洋戦史だけが
情報源でした。

>彼は私立中に行っちゃったので、話し相手がいないのです。
自分は弟がそのテの趣味の話し相手でしたが、ドイツモノに
行っちゃったからなぁ。趣味が昂じて今は模型屋店員です。
ネット上はともかくリアルに顔合わせる人だとカミさんくらい・・・
(松本零士の戦場マンガを全巻揃えてる程度)


>あとは明石の工作器具や大和をつくったプレス機とか...
こういう話がこの歳で出てくるのが凄いなぁ。
なかなかこういう地味なジャンルには興味が行かないかと。

[3614] Re:[3613] >K−2さん 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/10/05(Mon) 17:46
> 何かまともに使われたドイツ輸入兵器ってありますか?

鹵獲品では3.7センチPak35/36が随分使われたね。
あと航空機用のライセンス品では7.92ミリのMG15。
かってにコピーしたのが99式8.8センチ高射砲。
ちょっとしか生産(もしくは購入、鹵獲)しなかったのなら他にもあるよ。
古いもんだったら38系の大砲は重砲も野砲もクルップが原型だ。


> 逆にドイツで使われた日本兵器はあるんでしょうか。

各種技術はあるけど兵器としてはないんじゃない?(笑)

[3613] >K−2さん 投稿者:敬秀 投稿日:2015/10/05(Mon) 16:52
そうですね...
確か小三で戦国三国、小五でこの道でしたかね。
きっかけは12戦艦言える程度の同業者の友達だったかな?
彼は私立中に行っちゃったので、話し相手がいないのです。

ご回答ありがとうございます。
やはり運用できなさそうですね...
ドイツからの輸入兵器は、
航続距離等運用面で全般使いにくいでしょうね。

何かまともに使われたドイツ輸入兵器ってありますか?
MG151ぐらいでしょうか?
あとは明石の工作器具や大和をつくったプレス機とか...

逆にドイツで使われた日本兵器はあるんでしょうか。
酸素魚雷は運用上不必要で使われてないですし...
質問させていただきます。 

[3612] すごいですね・・・ 投稿者:K−2 投稿日:2015/10/04(Sun) 23:59
>敬秀さん
その歳で太平洋戦記3とは凄いですね。
きっかけは何でしょうか?そこが気になります。
自分はオヤジが昔そういう趣味だったのでこの世界に入りましたが。
自分もこの掲示板を訪れて既に20年近く・・・
当時は結構若い方だろうと思ってましたが既にいいオヤジです。
若い方が増えるのはいいですね。

>和製ティーガー
まずあんなに厚い装甲を陸軍関係では作った事がない。
エンジンは五式みたいに航空機用エンジンでも積んでごまかすにせよ、
足回りがかなり絶望的ですかね。
それから照準器とか、超重い砲塔を旋回させる動力とか
ベアリングの質も不安だなぁ。クラッチもですかね。
みんなダメじゃん。
それよりも積み卸しできる港や船が・・・とか、使う戦場の
道路や橋は耐えられるのか、とか不安てんこ盛りですな。

零戦がバトルオブブリテンで活躍って、時期的に間に合いますかね。
とても数が揃わないのでは・・・・

[3611] 無題 投稿者:敬秀 投稿日:2015/10/04(Sun) 16:36
阿部さんご回答ありがとうございます。
まぁやはり無理でしょうね。
用兵上でも難しそうですし..
逆に零戦がバトルオブブリテンで活躍というifが
普通に語られてるあたり技術力の差を感じさせられます。
あれも用兵上無理と聞きましたが。

多分最年少購入者...だと思うのですがね。
一応歴史なら6年間かじってるので、
そこらの大人には負けないと自負しているのです。 

[3610] Re:[3609] 無題 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/10/03(Sat) 18:51
> 太平洋戦記3で気になったことなのですが、
> ゲーム内でティーガー戦車が日本で量産できますよね?
> これって実際に技術面では可能だったのでしょうか?

多分、無理だろうね。
まず第一にあんな上等な主砲を生産できない。
次にマイバッハエンジンのフルコピーなんて到底、不可能。
まあ、簡単にコピー出来るんなら米英もソ連も困ったりしないよなあ。
潜水艦のコピーも航空機用ダイムラーベンツエンジンの上手く行かなかったんだから当然、陸もダメだろう。

> 明治建国記は高校受験終わったあとにして頂きたいです、、

えっ!
まだそんなに若いの?
ちょっとビックリした・・・ 

[3609] 無題 投稿者:敬秀 投稿日:2015/10/03(Sat) 01:21
阿部さんパスワード発行ありがとうございました。
周りで軍事を語る相手がいなかったのですが、
ここで存分に楽しまさせて頂くつもりです。

太平洋戦記3で気になったことなのですが、
ゲーム内でティーガー戦車が日本で量産できますよね?
これって実際に技術面では可能だったのでしょうか?
呂500は無理でしたし、やはり難しいのでしょうか?
面白いifだと思うのですが、質問させていただきます。

明治建国記は高校受験終わったあとにして頂きたいです、、
ゆっくりでいいので完成度の高いゲームを期待しています。 

[3608] Re:[3607] ワルキューレの騎行と言えば 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/09/30(Wed) 00:26
> そいや、阿部さんはあのアニメはご覧になられました?

みたよ。
戦国自衛隊みたいな感じ?
面白いけどちょっとローリー強すぎ?
まっ、2期が楽しみだね。 

[3607] ワルキューレの騎行と言えば 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/09/29(Tue) 09:31
自衛隊が異世界に進出して戦う某アニメのイタリカ攻防戦の場面でも使われてましたね。
その場面で「ワルキューレの騎行」が使われている点について否定的な意見がネット上で散見されてますね。

そいや、阿部さんはあのアニメはご覧になられました? 

[3606] Re:[3603] 軍艦マーチならぬ・・・ 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/09/25(Fri) 07:39
> >紺碧七様
> するってーと、出港時にかかる曲は「ワルキューレ騎行」ですな。

ヒトラーはワグナー好きだったそうですから、ピッタリ。

とはいえ「ワルキューレの騎行」聴くと、あの映画のシーンを思い出してしまいますけど。 

[3605] Re:[3604] [3602] [3596] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/09/24(Thu) 12:42
おやおや。今日は10位だ。
新しいゲームソフトが出るとどうしても下がっちゃうけどしょうがないよね。
初回分がはけて落ち着けばまた席が空いて順位が上がって来るから気にしなくても良いのだ。 

[3604] Re:[3602] [3596] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/09/23(Wed) 09:00
今日は9位か。
ちょっと下がったけど10位以内で3年以上前のゲームソフトなんて他にひとつしか無いんだから上出来だな。 

[3603] 軍艦マーチならぬ・・・ 投稿者:K−2 投稿日:2015/09/22(Tue) 22:45
>紺碧七様
するってーと、出港時にかかる曲は「ワルキューレ騎行」ですな。

しかし、和平交渉で分捕ったフランス空母(ジョッフルとか)、
役に立つのか立たないのか・・・・北アフリカもらった方が良かったか?

[3602] Re:[3596] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/09/21(Mon) 13:02
やった♪
今日は8位になったぞ。 

[3601] Re:[3599] あなたの名前は? 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/09/21(Mon) 10:45
> どんな名前が良いでしょうか?ドイツは一次大戦の頃から名前が苦しそうだったし・・・
> (カイザーとかケーニッヒとか)
> 有名どころはみんな陸軍軍人ですしねぇ。

ワルキューレの名前とかどうでしょう?ブリュンヒルデ、ゲルヒルデ、ヘルムヴィーゲ、オルトリンデ、ヴァルトラウテ、ジークルーネ、ロスヴァイセ、シュヴェルトライテ、グリムゲルデと9隻分あります 

[3600] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/09/21(Mon) 09:45
> で、大型艦をずんどこ建造した場合、名前が問題になると思うのですが、どんな名前が良いでしょうか?ドイツは一次大戦の頃から名前が苦しそうだったし・・・
(カイザーとかケーニッヒとか)

普通は地名、都市名、人名だよね。
帝政ドイツ海軍も巡洋艦、巡洋戦艦、古い戦艦はそうだった。
不思議なのはカイザー型とケーニッヒ型だ。
日本語に訳したら王様型と皇帝型だもん。
固有名詞がなく称号だけってのは変だよなあ。
このやり方で行くなら市長型や村長型もアリなんじゃない?
他国にならうとしたら「島の名前」や「川の名前」が良いかもね。

> 有名どころはみんな陸軍軍人ですしねぇ。 

しょうがないよ(笑)
海軍どころか統一国家の歴史が浅いし。



> そんな現実もありうるわけですね、明治建国記では。

目下、考慮中なのでまだ何とも言えないなあ。(笑)

> ひょっとして科学技術が発展すると宇宙開発とかも可能になるんでしょうか? 

いや、明治百年って事は1960年代なのでそこまでは行かないよ。

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