GS新掲示板 発言集[36](No.3501〜3600)



[3600] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/09/21(Mon) 09:45
> で、大型艦をずんどこ建造した場合、名前が問題になると思うのですが、どんな名前が良いでしょうか?ドイツは一次大戦の頃から名前が苦しそうだったし・・・
(カイザーとかケーニッヒとか)

普通は地名、都市名、人名だよね。
帝政ドイツ海軍も巡洋艦、巡洋戦艦、古い戦艦はそうだった。
不思議なのはカイザー型とケーニッヒ型だ。
日本語に訳したら王様型と皇帝型だもん。
固有名詞がなく称号だけってのは変だよなあ。
このやり方で行くなら市長型や村長型もアリなんじゃない?
他国にならうとしたら「島の名前」や「川の名前」が良いかもね。

> 有名どころはみんな陸軍軍人ですしねぇ。 

しょうがないよ(笑)
海軍どころか統一国家の歴史が浅いし。



> そんな現実もありうるわけですね、明治建国記では。

目下、考慮中なのでまだ何とも言えないなあ。(笑)

> ひょっとして科学技術が発展すると宇宙開発とかも可能になるんでしょうか? 

いや、明治百年って事は1960年代なのでそこまでは行かないよ。

[3599] あなたの名前は? 投稿者:K−2 投稿日:2015/09/20(Sun) 21:09
GD2文庫版の発売で思い出したのですが、ドイツは戦車だけ造ってるうちは
鉄不足とは無縁で、資源のない日本とは違うなぁ〜と思っていましたが、
造船所で戦艦大量建造に走ると、とたんに鉄が不足し始め、いずこも同じか、
と思ったものでした。
で、大型艦をずんどこ建造した場合、名前が問題になると思うのですが、
どんな名前が良いでしょうか?ドイツは一次大戦の頃から名前が苦しそうだったし・・・
(カイザーとかケーニッヒとか)
有名どころはみんな陸軍軍人ですしねぇ。 

[3598] Re:[3591] [3590] [3588] [3587] [3579] イベント 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/09/20(Sun) 19:39
> そうした意味で僕がかつて他社でデザインした現代戦某ゲームの後継作とも言える。

あれですか!確か設定では在日米軍および在韓米軍は撤退してグアムやハワイまで後退してましたね。そんな現実もありうるわけですね、明治建国記では。

戦闘画面ではミサイルが飛び交ってましたっけ。衛星による敵艦隊追尾とかキラー衛星による敵衛星破壊とかもありましたし。
ひょっとして科学技術が発展すると宇宙開発とかも可能になるんでしょうか? 

[3597] Re:[3593] [3592] なるほど 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/09/20(Sun) 19:28
> > もしかしたら世界的に大規模な戦争が一切行われず
> > 海の覇者が戦艦のまま推移して原子力戦艦なる面妖な艦がいるかもしれませんね。
> 
> う〜ん、それはどうかな(笑)
> 1.大規模な戦争が行われていなければ原子力の実用化が進んでいたとは思えない。
> 2.空母や潜水艦ならいざ知らず戦艦の原子力化にメリットがあるとは思えない。
> (ソ連のキーロフの例があるが純粋な原子力艦ではなく実験艦的な色彩が強い様に思われる)

某シミュレーション戦記(作者は海洋冒険小説と称してましたが)に「ヨ●ンハイム」という原子力戦艦がありました。大和型とほぼ同型で日本に発注して購入した戦艦を原子力戦艦に改装したと言う設定です。
ま、原子炉から抽出したエネルギーを熱光線として照射して敵艦船を焼き払うとか荒唐無稽な兵器でした。

原子力戦艦か〜、建造可能なら某国首相は1隻ぐらいは欲しいんじゃないでしょうか?誰とは言いませんが 

[3596] ランキング 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/09/20(Sun) 13:08
おおっ?
価格.comのPCゲームソフトの売れ筋ランキングで太平洋戦記3が久々に10位に浮上したぞ。
太平洋戦記3が売れるのは有り難いがGD2文庫版をもう少し店頭に並べてくれると嬉しいんだけどな・・・ 

[3595] ガ島補給戦20 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/09/13(Sun) 19:18
前回、米魚雷艇の活躍について縷々述べたが米魚雷艇とて常時、沿岸に張り付いてはいられない。
米魚雷艇基地はツラギに在り日本軍がやって来そうな頃合を見計らって出撃するのだ。
ツラギ、タサファロンガ間は46km(戦史叢書77巻p159の地図)である。
つまり40ノット(72km/h)のPTボートだと全速で40分近くかかる。
よっていち早く揚陸してとっとと退散すれば会敵の機会はぐっと減る。
ドラム缶の場合はずっとプカプカ浮いてるから駄目だけどね。

それではここで「如何にすれば揚陸時間を短縮できるか?」と言う視点から揚陸作戦の根本を概括しよう。

1.まず目的地まで外洋を越えて行かねばならない。
2.ついで接岸し積荷を揚陸せねばならない。
3.更に揚陸した貨物を集積所まで輸送せねばならない。

さて接岸だが埠頭/桟橋があれば至って簡単に事は済む。
埠頭/桟橋から道路が伸びトラックが待ち受けて入れば揚陸も簡単だし集積所までドライブするのも快適だろう。
でも砂浜に上陸するとなればそう簡単に事は済まない。
ここで上陸用舟艇(大発など)の出番となる。
つまり荒波越えて泊地まで航海して来た輸送船が搭載する貨物をクレーンで上陸用舟艇に移載(作業1)し、次に上陸用舟艇は砂浜まで移動して接岸、更に上陸用舟艇から積荷を揚陸してトラックに積載(作業2)し集積所へ向かうのだが・・・
いや、作業1と2でえらく時間がかかるのである。
作業1でもたもたしてると敵艦がやって来て輸送船ごと沈められてしまうだろう。
作業2でもたつくと夜が明けて敵機が来襲し積荷が燃やされてしまうだろう。
すなわち制空権のない日本にとって揚陸とは時間との勝負なのだ。

1.輸送船から上陸用舟艇への移載
2.上陸用舟艇の接岸
3.上陸用舟艇から車両への移載
4.車両による集積所への移送

どうすれば時間が短縮化できるだろうか?
まず最初に、あらかじめ舟艇へ貨物を積載しておき「目的地到着と共に迅速に舟艇を発進させ往復しての揚陸は行わない」とする方法が考えられる。
この方法をとったのが日本海軍の哨戒艇(旧式駆逐艦改装)や1等輸送艦(新造小型艦)、陸軍特殊船(新造大型艦)で米軍でもこれらに相当するマンリー型APD(旧式駆逐艦改装)やC・ローレンス型APD(新造小型艦)、LSD(新造大型艦)などが存在する。
もちろん、対費用効果的に通常の輸送船で貨物を運び舟艇がエッチラオッチラと往復して揚陸するのが「時間的に余裕があり敵の妨害を受ける危険性が無い」のならば一番良い。
米国で量産された7200総tのリバティ船の載貨重量は10920t、戦前日本で建造された6200総tのAD型貨物船は載貨重量9240tである。
ただし載貨重量には286tの自船用燃料なども含むのでAD型貨物船の最大搭載量は8954t(本当はここから更に乗員やら乗員用の糧食、消耗物品などが必要となるがきりがないので省略する)となる。
この搭載物を陸に運ぶのだが舟艇の搭載能力は日本の大発の場合で13tに過ぎず1隻の大発でAD型貨物船の全搭載物を揚陸するとしたら延べ689往復もしなくてはならない。
仮に大発が10隻だったとしても69往復だ。

それでは1隻の大発は1日に何往復できるのだろう?
大発の速力は8ノットだが船団泊地と海岸との距離は水深や地形によって大きく変わるから一概に一航程の距離や時間は決められない。
搭載や揚陸に掛かる時間も物資や兵器によって大きく変わる。
例えば歩兵1個小隊なら「乗船!」と命令すればたちどころに乗り込むし「下船!」と号令をかければ即座に上陸するだろう。

だが33キロの食料梱包360個だとしたら?
乗船と叫ぼうが下船と叫ぼうがウンともスンとも動きはせず1個、1個を人力で運ばなければならないのである。
だとしたら運搬員の人数が重要だ。
馬を揚搭する事を考えてみよう。
揚陸する時は歩兵と同じで簡単(ただし号令は「下船!」ではなく「ハイ、ドウドウ」となるが)だが載せる時は?
1頭ずつモッコを付けたクレーンで大発に載せるのだから大変だ。
火砲や車両も難しいよ。
一挙動で済むから時間はさしてかからないが海面が荒れて大発が揺れると搭載自体が不可能となるかも知れないからね。

ではどうやって揚陸の効率化を図るか?
まず考えられるのは大発の数を増やすって方法だ。
だが制空権を握り昼夜を問わず揚陸できるならともかく夜陰に乗じて短時間に揚陸せねばならないのなら何隻もの大発に搭載するなんて不可能なのだ。
だからこれはボツ。
次にあらかじめ大発に物資、兵器、兵員を搭載しておいて泊地で急速に大発を発進させる方法が考えられた。
これが日本海軍の哨戒艇で後に一等輸送艦に発達した。
米海軍のAPDも上陸用舟艇を搭載して任務に当たるが日本海軍の同種艦ほど徹底した舟艇の急速発進はできない。
米海軍で本格的なこの系統の艦が登場するのはLSDからである。

3番目に登場したのが「大発を使わずに揚陸できないか?」と言う事で輸送船を直接、接岸させる為に二等輸送艦やSS艇、LSTなどが開発された。
だがこのタイプは艦首に門扉を設置せねばならないので低速で航洋性も悪かった。
輸送するのが貨物などであった場合、大発や二等輸送艦、LSTなどが接岸してから多くの時間がかかるのも問題だった。
よって揚陸時の時間短縮を図る為、大発や二等輸送艦、LSTに物資搭載済のトラックを搭載する事が考えられた。

これは多数のトラックを搭載する二等輸送艦やLSTならそれなりに有効な方法だが1両しかトラックを搭載できない大発では極端な輸送量の減少となる。
基準排水量1500tの一等輸送艦の搭載力は260tだが大発を4隻しか搭載出来ないので実際の揚陸量は13×4の52tに低下する。
更に大発へ1式6輪自動貨車乙を搭載すると積載量は3tに過ぎないから実際の揚陸量は僅か3×4の12tに低下してしまう。
これではとても話にならない。

2E型貨物船(海トラ)の基準排水量は僅か431t(870総t)に過ぎないが載貨重量は1567tで燃料19tを除いた最大搭載量は1548tに及ぶ。
つまり基準排水量で1/3に過ぎない海トラ1隻で「3tの貨物を積んだトラックを載せた大発を4隻搭載した一等輸送艦129隻」に相当する輸送力がある。
制空権が我にあり敵魚雷艇の脅威がないなら海トラでエッチラオッチラ運ぶのが効率的だろう。
だがそうは問屋が卸さない。
最大速力9ノットの海トラが生き残れるほど最前線の海は安全でないのである。
沈められてしまえば1tも陸軍部隊に届かず効率もヘッタクレもない。
だが1500tの一等輸送艦が12tしか運べないのでは非効率この上ない。

そこで今度は大発などの舟艇に代わり水陸両用車が開発される事になった。
マトリョーシカの様な入れ子式と異なり水陸両用なら搭載数を増やせる。
一例を挙げると一等輸送艦に大発+戦車で搭載したなら4両しか揚陸できないが水陸両用の特2式内火艇だと倍近い7両が搭載できる。
一等輸送艦に物資揚陸専用の特4式内火艇2型(全長9m、搭載量6t)を搭載したスペックデータは手元にないが上面図を見る限り5両は搭載可能に見える。
そうなれば揚陸量は6×5の30tに増える。

米国も同じ事を考え水陸両用車の開発を推し進めた。
ひとつ違うのは水陸両用車と言っても装軌式のLVT系列(積載量は2型で2.6tだったが3型以降は4tに増加)と装輪式のDUKW系列(積載量は2.5t)の2種類を開発した事である。
装軌式は装輪式に比べ高価で運用コストも高かったが搭載量が多くリーフに対し走破性能が大きく優っていた。
更に米国はこれらの水陸両用車を迅速に発進させる為、LSDも建造しタラワ攻略戦(ガルバニック作戦)から戦列に加えた。
如何に水陸両用車が有効であっても貨物船で前線まで運び一旦クレーンで海上に降ろしてから兵員や貨物を移載するのでは水陸両用車の持つ迅速性が著しく失われてしまう。
LSTに水陸両用車を搭載し洋上から発進させるのなら迅速に運用できるが接岸可能なLSTに水陸両用車を搭載するのはリーフが存在する上陸作戦以外ではあまり効果的ではない。
そこで舟艇に貨物を搭載したまま発進できるLSDが着目された。

ちなみに基準排水量4790tのLSDは貨物積載量1500tだったが舟艇は戦車もしくはトラック1両を搭載するLCM18隻に過ぎなかった。
トラックの積載量は2.5tだから積載合計は僅か45tである。
これが水陸両用車ならばLVTの場合で92両(積載合計368t)、DUKWの場合は108両(積載合計270t)に増える。
ただし米国の場合、水陸両用車の迅速性はあまり意味をなさなかった。
なぜなら常に制空権を保持していた為、夜陰に乗じて急速に揚陸する必要性はどこにもなかったからである。

なお日本は躍起になって揚陸の迅速化を模索したが水陸両用車の実用化と量産に関しては後塵を拝して終戦までモノにならなかった。
一等輸送艦や二等輸送艦にしても実戦投入は1944年まで遅れた。
大発を発進させる哨戒艇は戦前から存在したが大発搭載数は1〜2隻に過ぎず大きな戦力とはならなかった。
直接接岸式の揚陸艦は陸軍のSS艇から始まる。
だが1番艦の竣工こそ1942年4月と早かったが2番艦の竣工は1943年7月まで遅れた。
よって基本的に日本は通常の大発輸送や駆逐艦を利用したネズミ輸送、潜水艦を利用したモグラ輸送、大発を遠距離航海させるアリ輸送に頼らざるを得なかったのである。
  (続く) 

[3593] Re:[3592] なるほど 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/09/05(Sat) 11:57
> もしかしたら世界的に大規模な戦争が一切行われず
> 海の覇者が戦艦のまま推移して原子力戦艦なる面妖な艦がいるかもしれませんね。

う〜ん、それはどうかな(笑)
1.大規模な戦争が行われていなければ原子力の実用化が進んでいたとは思えない。
2.空母や潜水艦ならいざ知らず戦艦の原子力化にメリットがあるとは思えない。
(ソ連のキーロフの例があるが純粋な原子力艦ではなく実験艦的な色彩が強い様に思われる)

> 発売を楽しみに待たせていただきます。

声援ありがとう。
頑張るよ。 

[3592] なるほど 投稿者:よし 投稿日:2015/09/04(Fri) 19:44
> うん。
> そしてその源流は「日露戦争」であり萌芽は「英雄ナポレオン」から始まる。

前に御社に伺ったときにちょっと話題に登りましたけど
英雄ナポレオンだけはプレイ経験がないのが惜しいです。
当時のゲーム雑誌読んでいて睡眠時間決めることでコマンド回数決まったり
子供がいるかいないかが勝利条件に大きく関わったりするのを見て
面白い切り口だと思ったのがせいぜいで。
睡眠時間がナポレオンの健康に直結するであろうことは予想できますが。

> なんて事はない。
> 僕のゲームデザインの原点回帰なのだ。
> ただひとつ違うのは・・・
> 建国期は維新百年後までを扱うので原子力空母が登場する現代の東西冷戦対決(プレイ次第で冷戦じゃなくなる)までを扱うって点だ。
> そうした意味で僕がかつて他社でデザインした現代戦某ゲームの後継作とも言える。

原子力空母ですか。
もしかしたら世界的に大規模な戦争が一切行われず
海の覇者が戦艦のまま推移して原子力戦艦なる面妖な艦がいるかもしれませんね。

さておいて、個人的な興味で長々と失礼しました。
発売を楽しみに待たせていただきます。 

[3591] Re:[3590] [3588] [3587] [3579] イベント 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/09/04(Fri) 08:26
> しかし、あの時代に外に打って出ないということはロシアの南進を許すことになりますし

許しちゃえば?
それもひとつの考え方だよ。

> 国内世論からも噛みつかれそうですし

ここが一番のネックになるだろうね。
征韓論争再びって訳だ。

> 貿易に基盤を置いた技術立国をあの時代に目指すのは大変そうではありますね。

大変そうだが戦後の高度成長や日本人の民族的特性、島国と言う地形要因を考えると不可能って話でもなさそうだ。
ここが思案のしどころで建国期の醍醐味となるだろう。

> ふと思ったんですが太平洋戦記3の帝国国防方針は
> 要素を簡略化して期間を短くした建国記の雛形の一つなのでしょうか?

うん。
そしてその源流は「日露戦争」であり萌芽は「英雄ナポレオン」から始まる。
なんて事はない。
僕のゲームデザインの原点回帰なのだ。
ただひとつ違うのは・・・
建国期は維新百年後までを扱うので原子力空母が登場する現代の東西冷戦対決(プレイ次第で冷戦じゃなくなる)までを扱うって点だ。
そうした意味で僕がかつて他社でデザインした現代戦某ゲームの後継作とも言える。 

[3590] Re:[3588] [3587] [3579] イベント 投稿者:よし 投稿日:2015/09/03(Thu) 23:13
> もちろん可能である。

なるほど。
しかし、あの時代に外に打って出ないということはロシアの南進を許すことになりますし
国内世論からも噛みつかれそうですし貿易に基盤を置いた技術立国を
あの時代に目指すのは大変そうではありますね。
ふと思ったんですが太平洋戦記3の帝国国防方針は
要素を簡略化して期間を短くした建国記の雛形の一つなのでしょうか?
 
> 当然、そうなる。
> 列強は意地悪だからね。
> でも捨てる神有れば拾う神有りだ。
> 普段から欲張ったりせず、八方美人の「良い子チャン」して色んな国の系列大学を建てて人物を招聘し文化交流にいそしていれば多分どこかが手助けしてくれるはずだ。

教育もそこまで細かくデータ化されると言うことですか。
なるべく予算つぎ込みたいところですね。
史実でも関東大震災でトーハクと科博の前身の博物館が大打撃受けたとき
金に糸目付けなかったんじゃないかレベルの本気度で
今のトーハクの本館と科博の日本館を建設しましたし。 


[3589] ダウンロード販売開始のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/09/03(Thu) 18:32
本日『グロス・ドイッチュラント2文庫版DL』のダウンロード販売を開始いたしました。
http://www.general-support.co.jp/link2.html 

[3588] Re:[3587] [3579] イベント 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/09/03(Thu) 09:02
> 三笠に行く前に久しぶりに相模屋でやきとり立ち食いして
> 本当に変わった横須賀の町を歩いて。

西友の跡地にでっかい高層ビルが出来上がったよね。

> ドブ板通って汐入まで歩いて京急に乗りましたけど
> もうちょっと時間に余裕があれば吉倉の入り口見て
> JR横須賀駅の脇通って逸見まで歩きたかったところだったんですが。

ちなみに吉倉とは海自の艦艇用桟橋がある所だ。


> 建国記では主力艦の建造をあきらめ、海外からの購入のみに徹して
> その分の浮いた金を教育や医療、工業に回して
> 教育水準の上昇や病気リスクの回避をして国力の根底を上げ、
> 大量の工作機械を買い/製作して戦後日本が行った
> 高品質な商品を武器に世界を相手に商売をするという道を戦前から行うことも可能なのでしょうか?

もちろん可能である。

> 外圧が物凄そうな上にオメーのところには艦艇どころか資源売らねーよとなったりしそうではありますが。

当然、そうなる。
列強は意地悪だからね。
でも捨てる神有れば拾う神有りだ。
普段から欲張ったりせず、八方美人の「良い子チャン」して色んな国の系列大学を建てて人物を招聘し文化交流にいそしていれば多分どこかが手助けしてくれるはずだ。
(ゲームデザイナーがそう言ってるんだから恐らく間違いない)
日本海軍は日露戦争前、ロシア以外の列強全てに艦艇を発注したでしょ。
仏に装甲巡1,独に装甲巡1、米に防護巡2、英国に戦艦6、装甲巡4、防護巡1で伊からは装甲巡2を購入した。
一番たくさん発注した英と日英同盟を結び全く発注しなかったロシアと戦争したんだから判りやすい事、このうえ無いね。
もし、仏、独、米に発注してなかったら勝ったにしても今度は仏独米で「三国干渉再び!」って事態になったかもしれぬ。
そう考えると「国産化オンリーで自尊自衛」ってのも考え物だね。 

[3587] Re:[3579] イベント 投稿者:よし 投稿日:2015/09/02(Wed) 22:50
> おりしも今日は8月10日。
> 日露戦争の黄海海戦記念日だ。
> ここはひとつ、往時を偲ぶ方は「日露戦争」の「運命の8月」シナリオをプレイして頂きたい。

先日三浦半島1DAYキップで三崎口と金沢文庫に行く用事があったので
途中横須賀中央で降りて三笠を見に行くことに。
三笠に行く前に久しぶりに相模屋でやきとり立ち食いして
本当に変わった横須賀の町を歩いて。
三笠は三笠で上映映像にCGが使われた新作になってたり
これもまた時の移り変わりを実感しました。
ドブ板通って汐入まで歩いて京急に乗りましたけど
もうちょっと時間に余裕があれば吉倉の入り口見て
JR横須賀駅の脇通って逸見まで歩きたかったところだったんですが。

> 維新から暫くの期間、日本は工業力と経済力に乏しい発展途上国であり主力艦を国産するなど「夢のまた夢」であった。
> 日本初の国産主力艦である筑波が起工したのはようやく1905年1月14日になってからである。
> そして1922年にワシントン条約によって主力艦の建造が中断(空母への改装は除く)されるまでの18年間、日本海軍は主力艦を建造し続けた。

建国記では主力艦の建造をあきらめ、海外からの購入のみに徹して
その分の浮いた金を教育や医療、工業に回して
教育水準の上昇や病気リスクの回避をして国力の根底を上げ、
大量の工作機械を買い/製作して戦後日本が行った
高品質な商品を武器に世界を相手に商売をするという道を戦前から行うことも可能なのでしょうか?
外圧が物凄そうな上にオメーのところには艦艇どころか資源売らねーよとなったりしそうではありますが。 

[3586] 欧州を制する者(アドバイスその2) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/08/30(Sun) 19:24
兵器の開発に当たっては出世株を重点的にアップせねばならない。
その為には戦争計画に合わせたニーズを抑えるのが肝要だ。
例えば陸戦兵器でY号系列を重点的に開発したとしよう。
そうすると素晴らしい重戦車がドシドシを実用化されるがいつまで経っても対空火力の強い車両は登場しないのである。
もし対空火力の強い車両が必要ならW号系列か装甲車系列に重点を置くのがいい。
X号系列でもケーリアンがでてくるけど随分、遅くなるから多分、間に合わないだろう。
軽戦車系列も捨てたもんじゃない。
工数が少ないから数を揃えられるし空挺作戦に参加させられるのは軽戦車系列と装甲車系列の車両ばかりだ。
対装甲火力、対部隊火力、防御力、空挺作戦の可否、生産性、対空火力など様々なパラメーターの中でどれを優先するか決めるのは君自身なのだ。
ただし対ソ戦と対英戦では優先順位が大きく異なる事をお忘れなく。

[3585] Re:[3584] 大和設計案(その26) 投稿者:プラモ派 投稿日:2015/08/28(Fri) 08:22
> 随分、長くかかったが大和型の話はとりあえずこれにて終了とする。
> 皆様、お疲れさまでした。

大変、楽しく読ませて頂きました。
色々と勉強になりました。
大和型の設計案がキット化されたあかつきには是非とも挑戦したいと思います。 

[3584] 大和設計案(その26) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/08/25(Tue) 19:12
ここでひとつ各国新造戦艦の副砲を列記して見よう。
まず大和型最終案(F6)は15.5センチ副砲12門、米新造戦艦は12.7センチ砲20門、英新造戦艦は13.3センチ砲16門、仏のリシュリュー型は15.2センチ砲9門、伊のリットリオ型は15.2センチ砲12門、独のビスマルク型は15センチ砲12門、ソ連のソビエッキー・ソユーズ型は15.2センチ砲12門である。
これらのうち小口径の両用砲だった英米戦艦を除くと殆どの場合、副砲は12門(後方にしか装備しなかった仏戦艦だけ9門)だった事が判る。
だが射界は大和型が片舷、前方、後方の全てが9門で射界合計27門なのに対しリシュリュー型は片舷6門、後方9門、前方0の射界合計15門、リットリオ型は片舷、前方、後方の全てが6門で射界合計18門、ビスマルク型は片舷6門、前方8門、後方4門の射界合計18門、ソビエッキーソユーズ型は片舷6門、前方8門、後方8門の射界合計22門であった。
つまり副砲の射界合計が1番多いのは大和型でソビエッキーソユーズ型が次点に入る。
ここからして大和型では副砲配置の効率化を図った事が御判り頂けよう。

だが良い事づくめではない。
大和型の場合、中心線へ2基の副砲塔を配置した為に全長が必要以上に伸びてしまい、舷側へ1基ずつ配備した副砲塔の為に全幅が大きくなってしまった。
更に舷側副砲の首尾線射界を得る為、上甲板の大部分がクリアなデッドスペースとなったのである。

次に大和型の諸設計案がどうだったのかを考えて見よう。
まず原案のLB比は7.1だった。
ちょっとスマートなのはオールタービンの為だな。
これがタービンディーゼル併用のA、A1、A2案だと6.8になる。
そしてオールディーゼルのB、B1、B2、C、D案はどれも6.1だ。
3砲塔と4砲塔で同じLB比なのはちょっと腑に落ちない所もあるが第24回の文面を見て各自、葛藤して頂きたい。
G案は併用にもかかわらず最も高くて7.2、リーズナブルなK案は6.1。
平賀4砲塔のI案は6.9、40センチ砲装備のJ0案は6.7、J5案は6.4、J9案は6.9である。
最終形態となったFは6.3だったが併用からオールタービンに変わったのでF6では6.9に落ち着いた。
大体、こんな所である。

副砲装備数は原案、A系、B系、C、D、G系、F系が3連装砲塔4基の12門、J系、K系が3連装砲塔3基の9門、I案が4連装砲塔2基の8門だが片舷火力は原案、A系、B系、C、D、G系、F系が9門でJ系、K系が6門、I案が8門であった。
前方火力はF系が9門、Iが4門、他は6門、後方火力はI案が4門、A2とB2が6門、A1とB1及びJ系、K系、F系が9門、他は12門である。
つまり当初計画されたA系、B系、C、Dでは中心線上に副砲塔を配置しながらも前方及び後方へは必ずしも射界を得なかったがF系では副砲装備数が同数ながら射界効率は向上している。
だが主砲に隣接して中心線の副砲を配置したので防御上、危険極まりなく全長も長くなってしまい良い事づくめでは無かった。

ただし主砲塔直後に副砲があったので甲砲(51センチ砲)を装備する超大和型(A150)の建造に際しては副砲を撤去するだけで他の部分には手を加えずに設計出来たので「ケガの功名的な利点」となった。
とは言え、当初から甲砲装備を考慮してF系が設計された訳ではない。
甲砲の開発が始まったのは1940年末であり大和型の設計がF系に確定したのは1935年10月〜1936年7月だからである。
なお、真偽の程は定かでは無いが甲砲の完成後、既存の大和型もこれに換装予定だったとする説もあるらしい。

日本海軍の歴史は1855年の長崎海軍伝習所設立から始まり1945年の太平洋戦争終戦で幕を閉じた。
その90年に渡る歳月の間、常に主力艦を建造し続けていたのだろうか?
否。
維新から暫くの期間、日本は工業力と経済力に乏しい発展途上国であり主力艦を国産するなど「夢のまた夢」であった。
日本初の国産主力艦である筑波が起工したのはようやく1905年1月14日になってからである。
そして1922年にワシントン条約によって主力艦の建造が中断(空母への改装は除く)されるまでの18年間、日本海軍は主力艦を建造し続けた。
この期間に建造された日本海軍の主力艦は大部分が英国艦の模倣であり八八艦隊計画の長門型に至ってもクィーン・エリザベス型の拡大改良に過ぎなかった。
日本海軍が主力艦の建造を再開したのは無条約時代に入った1937年11月4日の大和起工からであり1942年8月5日の武蔵竣工までの5年間続いた。
つまり日本海軍が主力艦を建造していた期間は僅か23年間に過ぎない。
更に23年間と言いながらも模倣を除くと純粋な国産主力艦の建造は1920年2月16日の土佐起工からと考えられる。
もし土佐型が竣工していたなら「日本初の純粋な国産主力艦」と言えよう。
(扶桑/伊勢型をもって「日本初の純粋な国産主力艦」とする考え方もあるが長門型で英国流に戻っているのでカウントしない事にする)
だがワシントン条約の締結によって土佐型は竣工できなかった。
よって大和型こそが「日本初の純粋な国産主力艦」であり大和型の建造は「真に有用な戦艦とは何か?」の問いに対する日本海軍の回答なのである。

随分、長くかかったが大和型の話はとりあえずこれにて終了とする。
皆様、お疲れさまでした。 

[3583] 大和設計案(その25) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/08/20(Thu) 17:39
それでは大和型(F6)のLB比はと言うと6.9だ。
これを歴代の日本主力艦と比べると金剛型7.5、扶桑型7.0、伊勢型7.1、長門型7.3、加賀型7.6、天城型7.7、紀伊型7.8、13号艦型8.0で「一番のズングリ」となる。
まあ、古いフネと比べたって仕方ないね。
同時期に建造された他国の戦艦と比べるとしよう。

え〜と、まず大和型よりズングリしてるのは・・・
ネルソン型が6.6キング・ジョージ5世型6.6、ビスマルク型6.7、ノースカロライナ型6.6・・・
おひょっ!
サウスダコタ型なんて6.1しかないぞ!
もはやズングリを通り越してデブチンだなあ。
今度はスマートな方を探してみよう。
ライオン型7.3、ソビエッキー・ソユーズ型7.0、H型7.5、リシュリュー型7.3、リットリオ型7.2、モンタナ型7.4か。
そして際だって高いのがアイオワ型の7.9だね。
主力艦に類別して良いんだか悪いんだか判らない連中を加えるとアラスカ型の8.7、超甲巡の8.7、クロンシュタット型の8.5もあるんだが。

それはさておき、最もズングリなのと最もスマートなのが米国に集中しているのは33mのパナマ制限があるからなんだけど「米国が理想とする戦艦」がモンタナ型である事は間違いない。
キングジョージ5世型も第2次ロンドン条約の制限で建造された「不自然な設計の艦」だから妙にズングリしておりビスマルク型も英独海軍協定の制限スレスレ(実際は大幅に超過)だからズングリグループに入っている。
まあ、条約明けと言っても当初は色々な制限があって自由に戦艦を設計できなかったからなあ。

だから、こうして見ると「無条約期の新造戦艦」と言っても大和型よりスマートなのは大部分が未成艦や計画艦ばかり。
条約締結後の新造戦艦の中で実際に竣工した艦型の大多数は大和型と同程度のズングリであった。
そして「各国が本腰を入れて設計した新造戦艦」はどれも大和型よりスマートになった。
すなわち大和型とはズングリタイプの代表選手なのだ。
なぜ大和型はかくもズングリなのか?
46センチ3連装砲塔と言うデカブツを装備した為か?

ここでひとつ40センチ砲装備の大和型J設計案と米戦艦を比べて見よう。
公試排水量や火力で比較するとアイオワ型(53190t、33ノット、40センチ砲9門)に相当するのがJ2(54030t、29ノット、40センチ砲9門)、モンタナ型(65366t、28ノット、40センチ砲12門)に相当するのがJ9(61000t、30ノット、40センチ砲12門)である。
アイオワ型の全幅が33mなのはパナマ制限による物だがモンタナ型にしても36.8mに過ぎない。
それに比べ同じ40センチ3連装砲塔装備の戦艦でありながらJ2は38.5m、J9は38.9mでかなり太い。
つまり大和型は「46センチ砲だからズングリ」なのではなく「最初から設計コンセプトがズングリ」なのである。

かくも大和型がズングリ化した理由のひとつに「7機にも上る搭載機及び多数の艦載艇の全てを艦内に格納した事」が挙げられる。
主砲発射時の爆風対策などの見地からすればこの構造は確かに画期的だったのだ。
ただし「船体が傾斜したら艦載艇の揚収はどうするの?」とか本当に必要で有益だったかについては諸説有るが・・・
副砲の射界効率化を求め過ぎた事もズングリ化した要因と考えられる。 

[3582] アップデートのお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/08/18(Tue) 16:24
本日『空母戦記2』のアップデートプログラムVer1.9をリリースいたしました。
http://www.general-support.co.jp/update.html 

[3581] 欧州を制する者(アドバイスその1) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/08/18(Tue) 08:33
GD2で勝つ為には国家の生産力を落としてはならない。
その為には戦略爆撃への対処が肝要だ。
太平洋の島嶼地域を抑えれば戦略爆撃を恐れずにすむ太平洋戦記と違い浮沈空母たる英本土と睨み合うGD2では戦略爆撃が猛威をふるう。
拠点を守る高射砲に主軸を置くか?
それとも広範囲な空域防御に優れた防空戦闘機に重点を置くか?
いや、双方でなければならぬ。
双方ともが必要なのだ、絶対に!
わけても夜間戦闘機の拡充は不可欠だ。
よってヨーロパキャンペーンに於いてはカウツ夜戦を是非とも早急に戦力化せねばならぬ。
これが勝利への近道だ。
(みんな、頑張ってね) 

[3580] アップデートのお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/08/13(Thu) 18:39
本日『太平洋戦記3』のアップデートプログラムVer1.Eをリリースいたしました。
http://www.general-support.co.jp/update.html 

[3579] イベント 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/08/10(Mon) 15:25
おりしも今日は8月10日。
日露戦争の黄海海戦記念日だ。
ここはひとつ、往時を偲ぶ方は「日露戦争」の「運命の8月」シナリオをプレイして頂きたい。

いや、別にビール片手に激闘ソロモン海戦史を楽しむのも良いんだけどね。
ひょっとしたら「日露戦争」しか持ってないユーザーをいるんじゃないかと思ってさ・・・

おおっ、となると8月24日には空母戦記ユーザーの為に第2次ソロモン海戦の奨励をせねばならないかな?

[3578] Re:[3577] 燃ゆるキャンベラ、傾くクィンシー 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2015/08/09(Sun) 22:35
> 是非とも激闘ソロモン海戦史のシナリオをプレイして暑気払いをしようじゃないか。
> ビールをやりながら海戦史上に名が残るワンサイドゲームにチャレンジするのは週末ならでは楽しみだよ。

やりました。
5回やって任務達成大勝利4回、勝利1回です。
久々だったので最初の1回は鳥海に照射を喰らって沈没し思わぬ結果となりました。
呑んだビールは米国からの戦利品「バドワイザー」です。

[3577] 燃ゆるキャンベラ、傾くクィンシー 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/08/08(Sat) 18:44
今日は第1次ソロモン海戦の日だ。
是非とも激闘ソロモン海戦史のシナリオをプレイして暑気払いをしようじゃないか。
ビールをやりながら海戦史上に名が残るワンサイドゲームにチャレンジするのは週末ならでは楽しみだよ。
激闘シリーズなら短時間で決着が着くしね。 

[3576] 大和設計案(その24) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/08/06(Thu) 14:53
今回は主力艦のスタイルについて話をしよう。
スタイルと言っても横から見た艦影ではない。
ひとつ上から眺めてみよう。
主力艦を上から眺めると全長が長くて全幅が短い艦型はスマート、逆ならズングリしている。
これが上から眺めた艦船の特徴で一般に水線長(大抵は全長よりちょっと短い)を全幅で割った数値をLB比と言う。
すなわちLB比が高ければスマート、低ければズングリでLB比か高い程、同じ排水量、機関出力であれば速力が高くなる。
だから巡洋戦艦や高速戦艦は大抵、LB比が高い。
更に砲塔数が少ない場合でも出力が大きいと機関室のスペースがそれなりに大きくなるから水線長が増えLB比も高くなる。

さて、前回書いたローラーパスだがローラーパスが大きければ全幅も大きくなる。
当たり前の話だ。
そして主砲の口径が大きくなればローラーパスは大きくなり多連装化が進めば更にローラーパスが大きくなる。
ローラパスの増大化は全幅の増大を意味する。
逆に中心線上の砲塔数が増えると全長がどんどん長くなる。
これまた当たり前の話だ。

でも・・・
本当にそうなんだろうか?
ちょっと検証してみよう。

英国のR型、クイーンエリザベス型、フッド型、レナウン型、カレイジアス型はどれも38センチ42口径連装砲塔装備の主力艦だが装備数は各々4基、4基、4基、3基、2基である。
LB比と速力はR型が6.9で22ノット、クイーンエリザベス型が7.1で25ノット、フッド型が9.0で32ノット、レナウン型が8.3で30ノット、カレイジアス型が9.6で32ノットだ。
水線長は最短のR型で187m、最長のフッド型で259m、全幅は最小のカレイジアス型で24.7m、最大のフッド型で28.9mとなっている。
御覧の通り速力の速い艦型は砲塔数が少なくてもLB比は大きい。
また同じ砲塔を装備していても全幅に大きな差が有る事もお判り頂けよう。

次に同じ砲で連装砲塔と3連装砲塔の差について調べて見よう。
米国のニューヨーク型は36セチ45口径連装砲塔5基10門、ネバダ型は同じ砲を連装砲塔2基と3連装砲塔2基の合計4基で10門装備していた。
速力は双方とも20.5〜21ノットで大差はない。
だとすれば「砲塔数が1基少ないが3連装なのでローラーパスの大きいネバダ型」はLB比が小さく「砲塔数が1基多いが全て連装なのでローラーパスは小さいニューヨーク型」はLB比が大きい事になる。
ところがネバダ型は水線長175.26m、全幅29mでLB比6.0、ニューヨーク型は水線長172.21m、全幅29.1mでLB比5.9なのである。
どうなってんの?
5砲塔艦の方が水線長が短く3連装砲塔艦の方が全幅が小さいとは?

更にもっと別の例を探してみよう。
そうだ、フランスがいい。
フランスは最初のド級戦艦として30センチ45口径連装砲塔6基を装備するクールベ型を建造したが2基は舷側配置だったので片舷火力は5基10門だった。
弾頭重量は432kgなので斉射火力は4320kgである。
そして次に建造したブルターニュ型からは弾頭重量575kgの34センチ45口径砲に強化され連装砲塔5基が中心線上に装備された。
斉射火力は5750kgでクールベ型に比べ33%の増大化となる。
これだけ火力が増大したのに常備排水量はクールベ型の23475tに比べブルターニュ型は23230tで殆ど変わらない。
そして続くノルマンディー型は24832tでこれまたサイズが殆ど同じだった。
ただし砲数は連装5基10門から4連装3基12門に増えている。
片舷斉射火力は6900kgになるからクールベ型に比べるとほぼ同大の船体で火力は60%増となる。
いやはや、大したもんだ。
さて、面白いのは連装5基のブルターニュ型が水線長164.9mで全幅27mでLB比6.1なのに4連装3基のノルマンディー型が水線長170.6m、全幅27mでLB比6.3だって事である。
4連装砲塔になったのに逆にスマートになっているのだ。
ちなみにこの3艦型は出力が25000〜32000馬力、速力は20〜21ノットでほぼ同等であった。

う〜ん、必ずしも「多連装=LB比少」や「多砲塔=LB比大」ではなさそうだ。 

[3575] 大和設計案(その24) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/08/05(Wed) 17:03
今回は主力艦のスタイルについての話をしよう。
スタイルと言っても横から見た艦影ではない。
ひとつ上から眺めてみよう。
主力艦を上から眺めると全長が長くて全幅が短い艦型はスマート、逆ならズングリしている。
これが上から眺めた艦船の特徴で一般に水線長(大抵は全長よりちょっと短い)を全幅で割った数値をLB比と言う。
すなわちLB比が高ければスマート、低ければズングリでLB比か高い程、同じ排水量、機関出力であれば速力が高くなる。
だから巡洋戦艦や高速戦艦は大抵、LB比が高い。
砲塔数は少なくても出力が大きいから機関室がそれなりに大きくなるからだ。

さて、前回書いたローラーパスだがローラーパスが大きければ全幅も大きくなる。
当たり前の話だ。
そして主砲の口径が大きくなればローラーパスは大きくなり多連装化が進めば更にローラーパスが大きくなる。
ローラパスの増大化は全幅の増大を意味する。
逆に中心線上の砲塔数が増えると全長がどんどん長くなる。
これまた当たり前の話だ。

でも・・・
本当にそうなんだろうか?
ちょっと検証してみよう。

英国のR型、クイーンエリザベス型、フッド型、レナウン型、カレイジアス型はどれも38センチ42口径連装砲塔装備の主力艦だが装備数は各々4基、4基、4基、3基、2基である。
LB比と速力はR型が6.9で22ノット、クイーンエリザベス型が7.1で25ノット、フッド型が9.0で32ノット、レナウン型が8.3で30ノット、カレイジアス型が9.6で32ノットだ。
水線長は最短のR型で187m、最長のフッド型で259m、全幅は最小のカレイジアス型で24.7m、最大のフッド型で28.9mとなっている。
御覧の通り速力の速い艦型は砲塔数が少なくてもLB比は大きい。
また同じ砲塔を装備していても全幅に大きな差が有る事もお判り頂けよう。

次に同じ砲で連装砲塔と3連装砲塔の差について調べて見よう。
米国のニューヨーク型は36セチ45口径連装砲塔5基10門、ネバダ型は同じ砲を連装砲塔2基と3連装砲塔2基の合計4基で10門装備していた。
速力は双方とも20.5〜21ノットで大差はない。
だとすれば「砲塔数が1基少ないが3連装なのでローラーパスの大きいネバダ型」はLB比が小さく「砲塔数が1基多いが全て連装なのでローラーパスは小さいニューヨーク型」はLB比が大きい事になる。
ところがネバダ型は水線長175.26m、全幅29mでLB比6.0、ニューヨーク型は水線長172.21m、全幅29.1mでLB比5.9なのである。
どうなってんの?
5砲塔艦の方が水線長が短く3連装砲塔艦の方が全幅が小さいとは?

更にもっと別の例を探してみよう。
そうだ、フランスがいい。
フランスは最初のド級戦艦として30センチ45口径連装砲塔6基を装備するクールベ型を建造したが2基は舷側配置だったので片舷火力は5基10門だった。
弾頭重量は432kgなので斉射火力は4320kgである。
そして次に建造したブルターニュ型からは弾頭重量575kgの34センチ45口径砲に強化され連装砲塔5基が中心線上に装備された。
斉射火力は5750kgでクールベ型に比べ33%の増大化となる。
これだけ火力が増大したのに常備排水量はクールベ型の23475tに比べブルターニュ型は23230tで殆ど変わらない。
そして続くノルマンディー型は24832tでこれまたサイズが殆ど同じだった。
ただし砲数は連装5基10門から4連装3基12門に増えている。
片舷斉射火力は6900kgになるからクールベ型に比べるとほぼ同大の船体で火力は60%増となる。
いやはや、大したもんだ。
さて、面白いのは連装5基のブルターニュ型が水線長164.9mで全幅27mでLB比6.1なのに4連装3基のノルマンディー型が水線長170.6m、全幅27mでLB比6.3だって事である。
4連装砲塔になったのに逆にスマートになっているのだ。
ちなみにこの3艦型は出力が25000〜32000馬力、速力は20〜21ノットでほぼ同等であった。

う〜ん、必ずしも「多連装=LB比少」や「多砲塔=LB比大」ではなさそうだ。 

[3574] Re:[3573] [3570] [3569] [3568] [3567] [3565] [3564] [3562] 大森貝塚 投稿者:いそしち 投稿日:2015/07/28(Tue) 15:33
> それもあるから2.26事件で海軍は一切、動かず陸軍と民間右翼の決起となった。
> おまけに襲撃された人物6名のうち3名が海軍大将、1名が陸軍大将、2名が民間人だったから「君側の奸を取り除く」どころか「陸軍によるあからさまな海軍上層部への攻撃」となってしまった。

なるほど、それでは陸海軍どちらかに偏重した予算配分をするともう一方がクーデターに走る可能性がありますね。


> 川路と西郷と大久保の関係は摩訶不思議だよね。

「翔ぶが如く」が再現されるのですね。
大いに期待します。 

[3573] Re:[3570] [3569] [3568] [3567] [3565] [3564] [3562] 大森貝塚 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/07/27(Mon) 15:57
> 軍部を忠実にするには多額の予算を計上してやる必要があるんでしょうね。

軍事予算が多いからって軍部のクーデターが皆無になる訳じゃないよ。
日本で発生した軍事クーデターとその発生要因を列挙すると・・・

1.竹橋事件−>待遇改善
2.5.15事件−>海軍軍縮を原点とする政党政治への不信
3.2.26事件−>上記に加え貧困を土壌とする社会不安
4.玉音盤事件−>戦争指導方針の対立

ねっ、純粋に予算(人件費)の増加で防げるのは1のケースだけなのだ。
まあ、軍縮も予算削減(こっちの場合は人件費じゃなく正面装備予算だ)と言えるが外交の一環でもあるしね。
仮想敵国が減らすんだからこっちも減らす訳で「純粋な軍事予算の低下」とは言えない気がする。
それもあるから2.26事件で海軍は一切、動かず陸軍と民間右翼の決起となった。
おまけに襲撃された人物6名のうち3名が海軍大将、1名が陸軍大将、2名が民間人だったから「君側の奸を取り除く」どころか「陸軍によるあからさまな海軍上層部への攻撃」となってしまった。
この時に出来た溝は今になっても埋まらない。
ちなみに襲撃対象となった1名の陸軍大将は陸軍内部で皇道派の政敵であったから狙われた訳で当初は襲撃対象にすら入ってなかった。

> あ〜でも陸軍と海軍の両方を優遇できるほどの予算ってやっぱりないんでしょうね?(笑)

2.26事件の場合は軍事予算が少ないから決起したんじゃなく「国民が貧困化したから決起した」ので軍事予算の安易な増大はかえって軍部のクーデターの要因になるよ。

> ちなみにクーデター起こされたからってただちにゲームオーバーじゃないんですよね?

さて、どうしようかな(笑)
ここはまだ検討中だ。 

> CIAやKGBですか(笑)。あ〜でも密偵組織自体が暴走することもありうるんですよね?

諜報機関のリーダーだって人の子だ。
場合によっては派閥意識を優先させる事もあるだろう。
川路と西郷と大久保の関係は摩訶不思議だよね。

[3572] 更新のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/07/20(Mon) 17:52
通信販売のページを更新し、『グロス・ドイッチュラント2文庫版』の通販受付を開始いたしました。
http://www.general-support.co.jp/mosale.html 

[3571] グロス・ドイッチュラント2文庫版 発売のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/07/13(Mon) 19:01
弊社新商品『グロス・ドイッチュラント2文庫版』の発売日が8月7日(金)に決定いたしました。
http://www.general-support.co.jp/gd2/gd2pe.html 

[3570] Re:[3569] [3568] [3567] [3565] [3564] [3562] 大森貝塚 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/07/12(Sun) 10:52
> 軍部が忠実なら富国強兵も結構だけど軍部が真っ先にクーデターを起こすかも知れないよ(笑)

軍部を忠実にするには多額の予算を計上してやる必要があるんでしょうね。あ〜でも陸軍と海軍の両方を優遇できるほどの予算ってやっぱりないんでしょうね?(笑)
ちなみにクーデター起こされたからってただちにゲームオーバーじゃないんですよね?

> よって要人には警護より「密偵による監視」が必要だ。

CIAやKGBですか(笑)。あ〜でも密偵組織自体が暴走することもありうるんですよね?

> 片っ端から裏切ってくるからGD2よりもスリリングになるだろうね。

うわ〜、楽しみ!!(歓喜)

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/ 


[3569] Re:[3568] [3567] [3565] [3564] [3562] 大森貝塚 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/07/09(Thu) 12:17
> 不満の目を摘んで叛乱や蜂起が起こることなく進めるのと、起きても対処できるように富国強兵に励むのと、どっちが楽なんでしょ?

軍部が忠実なら富国強兵も結構だけど軍部が真っ先にクーデターを起こすかも知れないよ(笑)

> あと、要人に警護をつけることにより暗殺成功の確率を下げたりと言ったことも可能になる予定でしょうか?

どちらかと言えば「要人警護」より「治安強化」で暗殺成功の確率は低下する。
ちなみに全ての要人は「反乱首謀者」の可能性を持っている。
よって要人には警護より「密偵による監視」が必要だ。
ただし密偵の存在が露見するとグレーだった監視対象がダークになってしまう可能性があるのであまり多く「密偵の監視」を使うのは考え物だ。
片っ端から裏切ってくるからGD2よりもスリリングになるだろうね。 

[3568] Re:[3567] [3565] [3564] [3562] 大森貝塚 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/07/08(Wed) 08:36
> よっぽど上手くやらなくちゃどれかが火を噴くだろう。

不満の目を摘んで叛乱や蜂起が起こることなく進めるのと、起きても対処できるように富国強兵に励むのと、どっちが楽なんでしょ?
ま、プレイスタイルにもよるのでしょうけど。

あと、要人に警護をつけることにより暗殺成功の確率を下げたりと言ったことも可能になる予定でしょうか?

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/ 


[3567] Re:[3565] [3564] [3562] 大森貝塚 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/07/06(Mon) 11:02
> (仮称)日本建国記の開発は順調と言うことでしょうか?

まだ「順調」とも「難航」とも言えないけど頑張ってやってるよ(苦笑)

> 親日的な外国人を任官させて要職につけることも可能になったり?

招聘と言う形で登場するだろうね。
メッケルやらクラークやら・・・

> ささいな誤解が遠因となり出奔したり、さらに徒党を組んで叛乱を起こしたり、とか?

不平士族やら軍部やら左翼運動家やら無政府主義者やら、とにかく火種は満載だ。
あちらを立てればこちらが立たず。
よっぽど上手くやらなくちゃどれかが火を噴くだろう。

> 太平洋戦記3の小国海軍についてですが、増強ONにした場合に敵対した時は降伏させるor講和するまで増強され続けるのだと思いますが、

そんな事ないよ。
小国海軍は最初に配備されているのが全てで後で増加したりしないよ。
増強ってのは「最初に配備されている艦艇数が増強される」って事で「最初にいる艦艇が逐次、増強されていく」って意味ではないんだ。
逐次増加となると欧州情勢を反映させなきゃならなくなるんで大変だからね。 

[3566] 小国海軍の増強について 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/07/05(Sun) 18:40
太平洋戦記3の小国海軍についてですが、増強ONにした場合に敵対した時は降伏させるor講和するまで増強され続けるのだと思いますが、進駐する場合は増強され続けるのは、進駐するまでですか?艦艇を接収するまでですか?

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/ 


[3565] Re:[3564] [3562] 大森貝塚 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/07/05(Sun) 18:34
> モース博士の書いた「日本その日その日」って本があって滅法、面白い。
> 幕末から明治維新にかけて日本に来た外国人の中にはペリーの様に嫌なヤツもいるがアーネスト・サトウやモース博士の様に親日的で立派な人物もいる。
> こうした人物の書いた本を読むのは実に楽しい。

(仮称)日本建国記の開発は順調と言うことでしょうか?
親日的な外国人を任官させて要職につけることも可能になったり?

>「彼の変な日本観」は誤解による部分も大きい
ささいな誤解が遠因となり出奔したり、さらに徒党を組んで叛乱を起こしたり、とか?

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/ 


[3564] Re:[3562] 大森貝塚 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/07/05(Sun) 10:40
> さらにモース博士もクセモノで縄文式土器の名付け親で
> そうなると時代区分の縄文時代までモース博士が間接的な名付け親になる上に
> 大森貝塚公園の像では縄文式土器まで持っているのに
> 考古学者ではなく生物学者だと言うオチが。

モース博士の書いた「日本その日その日」って本があって滅法、面白い。
幕末から明治維新にかけて日本に来た外国人の中にはペリーの様に嫌なヤツもいるがアーネスト・サトウやモース博士の様に親日的で立派な人物もいる。
こうした人物の書いた本を読むのは実に楽しい。
更に「嫌なペリーの書いた本」と「親日的な人物の書いた本」を読み比べると「同じ事が見方によってこんなにも違って受け取られてしまうのか」とびっくりする。
ペリーだって嘘つきじゃない。
「彼の変な日本観」は誤解による部分も大きい。
だから通訳は充分に気をつけねばならない。
「ほんのつまらない物ですが。」をまともに訳すと「つまらない物をよこすとは誠意がないのだな」と思う相手もいるのだ。
用心、用心。

[3563] Re:[3561] [3560] よこすかグルメ物語(第5回) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/07/05(Sun) 10:26
> 横須賀には海軍にちなんだ地ビールはありますか?

そう言えば昔、フィンランド製の東郷ビールってのが売ってたな。
その後、製造元がオランダに変わったけど今はどうなっているんだろうね?
あと米海軍横須賀基地内に地ビールの工場でSharkeysってのがあって黒ビールが旨いよ。
基地外では呑めないけどね。 

[3562] 大森貝塚 投稿者:よし 投稿日:2015/07/05(Sun) 01:25
大森貝塚も面白いものでNTTビルの横の通路を通って出る大田区の「大森貝墟」の石碑と
大森貝塚公園にある品川区の「大森貝塚」の石碑がありまして、
これは大田区と品川区の大森貝塚はウチの史跡だと言う
自治体同士の縄張り争いの結果で石碑がダブった経緯が。
今では大森貝塚の場所は品川区で見解の一致をみたらしいですが、
一応どっちも現在は国の史跡として認定されてる次第です。
さらにモース博士もクセモノで縄文式土器の名付け親で
そうなると時代区分の縄文時代までモース博士が間接的な名付け親になる上に
大森貝塚公園の像では縄文式土器まで持っているのに
考古学者ではなく生物学者だと言うオチが。

[3561] Re:[3560] よこすかグルメ物語(第5回) 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/07/04(Sat) 22:57
そういやこないだ酒屋で呉海軍ビールと言うのを見かけました。軍艦旗と戦艦のシルエットが描かれたラベルの小瓶ビールです。結構いい値段だったので買ってませんが。

横須賀には海軍にちなんだ地ビールはありますか?

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/ 


[3560] よこすかグルメ物語(第5回) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/07/04(Sat) 11:53
「庖丁塚の由来、日本武尊と料理神大伴黒主の走水ハマグリ伝説」

走水神社は弟橘媛(オトタチバナヒメ)を祭神とし境内に機雷が展示されている事で有名な社だがもうひとつの隠れた名跡がある。
包丁塚だ。

西暦110年、日本武尊指揮下の軍勢はきたるべき房総半島上陸作戦に備え対岸に位置する三浦半島の走水に布陣した。
1804年にナポレオンが行ったブーローニュキャンプ、1940年にヒトラーが行ったアシカ作戦準備、1944年にアイゼンハワーが行ったオーバーロード作戦準備みたいなもんである。
されどいっこうに波が鎮まらず日時は刻々と過ぎてゆく。
そんな時、地元の住人がハマグリの刺身を献じ日本武尊はおおいに喜んだ。
日本武尊はこの住人に大伴黒主の名を与え料理神に任じた。
かくしてこの故事にちなみ走水の地に包丁塚が建立されたと伝えられている。

ところが・・・
「大伴黒主」でウィキを検索しても平安時代の歌人しか出てこないんだよね。
なぜなんだろう?
今度は包丁神社で調べてみる。
あったぞ、南房総に高家神社ってのがあって料理神である磐鹿六雁命を祭っているのだそうな。
この神様、大伴黒主と何か関係があるのかな?

え〜と、磐鹿六雁命は日本武尊の父である景行天皇が東国巡幸において淡水門を渡る際にハマグリの刺身を献じ膳大伴部に任じられたそうな。
なぬ?
共通点有りまくりやんけ・・・

そもそも、景行天皇の東国巡幸ってのは息子の日本武尊が死んだ10年後に戦跡を巡視したハナシなのである。
きっと「大伴黒主」と「膳大伴部」の「大伴」がかぶったんだね。
ちなみに淡水門とは本居宣長著「古事記伝」によると浦賀水道の事で三浦半島の走水と対岸の房総半島を結ぶ海域を指すとしている。
つまりどっちにしても走水で取れたハマグリの刺身が包丁塚の起源となる訳だ。
(房総半島にも包丁塚があるけど)

そこで今回は「横須賀の貝料理」にハナシを進める。
でもね・・・
景行天皇の頃はともかく、現代では横須賀の海からハマグリはいなくなっちゃったのだ。
もし、いたにしても生食するのはちょっと憚られる。
なにしろ貝は食中毒が怖いからね。

さて「横須賀の貝」と言えばまずはアカニシだ。
横須賀では単に「ニシ」と呼ばれる事が多い。
砂地でも磯でも頻繁に見つけられる大きな巻き貝で群を作る習性があるからいっぺんに多数を捕まえられる。
ただし堤防にはあまりいないから海パンに水中メガネ、軍手で潜る必要がある。
捕ったら薄い塩水で茹で殻から串でつつきだして冷水で冷やした後、スライスして刺身にしワサビ醤油で食べるとバッチグーだ。
ツボ焼きにして食う人も多い。

次に紹介したいのはシッタカとイボニシ。
シッタカは円錐形の小さな巻き貝で正式な和名がバテイラ、イボニシはドズルの如き突起が付いた小さな巻き貝で横須賀の人間は双方を総称して「タマ」と言う。
横須賀では小さな巻き貝は全てタマであり細かく区分しないのだ。
全ての陸生巻き貝が「カタツムリ」、淡水巻き貝が「タニシ」である様にね。
タマは磯でも捕れるけど長柄のタモを使って堤防で取るのが一般的だ。
わざわざ海パン、水中メガネに身を固めタマを捕ろうもんなら友人達から「ププッ」と笑われる事、必定である。
タマは塩水で茹で楊枝でつつきだして食べる。
味はまあまあと言った所。

二枚貝の王者は何と言ってもウチムラサキだ。
これまた横須賀では正式な和名は通用せず「タコ貝」と呼ばれる。
砂地で海底から20センチくらいの砂中にいる。
これまた群を作るので最初のひとつを見つけるとゴソッと捕れるのだが最初のひとつを見つけるのが難しい。
海パンと水中メガネと熊手で丹念に海底をさらうのだがアサリなどの様に浅い所にはおらず1〜3メートルの所にいる。
なぜ1〜3メートルか?
それは引き潮の時は浅く満ち潮の時は深いからだ。
よって干満差が大きい日の引き潮で捕るのがベスト。
捕ったら直火の網焼きで口を開いたら醤油を垂らして食べると旨い。
これは旨い。

どこにでもいて誰でも捕れ、大変旨いのに30年前の横須賀では殆どの市民が食べなかったのがムラサキイガイ。
一般にはムール貝として知られているが横須賀ではカラス貝と呼ばれる。
多くの横須賀市民は食品ではなく「釣りのコマセ」と認識している。
磯や堤防ならどこにでもいるし糸で繋がって群れているから「捕ろう」と思うより「踏んづけて足をケガしないように気をつけよう」と思う事の方が多い存在だがスーパーで売ってたりレストランで法外な値付けをされていたりするのを見ると「なんだかなあ」と慨嘆し「資本主義経済のカラクリ」に疑問をもってしまう存在である。
夏は海パンを履いて捕れば良いが夏以外は長柄のタモ(網の反対の柄先は尖らせておき糸を切断するのに使う)を使い堤防で捕る。
料理法は直火の網焼きもしくは洋食全般(各自で調べて欲しい)である。
他にもアサリやらマテ貝やら横須賀で捕れる食用貝は色々とあるが思い出に残る貝料理はこんな所だ。

太古の昔、日本人は多くの貝を食べこれが和食の原点となった。
モースと申す米国人考古学者は大森で貝塚を発見し世に名を為した。
その業績を顕彰する石碑は弊社から程遠くない大森駅近傍にある。 

[3559] 更新のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/06/21(Sun) 18:37
本日『抜書帳』に「日本海軍の建艦計画 無条約時代」(世界の艦船 2011年12月号掲載)をアップしました。

http://www.general-support.co.jp/column/columun.html 

[3558] GD2のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/06/16(Tue) 18:31
『グロス・ドイッチュラント2』は完売の為、販売を終了いたしました。
後日、Windows8.1正式対応の文庫版として発売の予定です。 

[3557] Re:[3556] [3555] 太平洋戦記3の鉄道について 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/06/15(Mon) 00:17
早速のご回答ありがとうございます。

> タイとビルマの国境は地形が峻険でさすがの大英帝国も鉄道敷設をためらったくらいなのだ。

それなのに泰緬鉄道を建設してしまった旧陸軍はスゴかったと言うべきか無謀だったと言うべきか。

> 史実と違う例としてはビルマルートの鉄道もあるね。
> ここもとてもじゃないが鉄道なんか敷設できなかった。

21世紀の鉄道技術なら行けそうな気がしますね。費用対効果としては全く割りに合わないでしょうけど。

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/ 


[3556] Re:[3555] 太平洋戦記3の鉄道について 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/06/12(Fri) 08:41
>コンピュータプレイヤーのための仕様と解釈すれば良いのでしょうか?

うん、そうだよ。
タイとビルマの国境は地形が峻険でさすがの大英帝国も鉄道敷設をためらったくらいなのだ。
だから当時、ベンガル地方からマレー半島の流通は海上交通が主流だった。
これを忠実にシュミレートするとかなり厄介な事になるのである。
史実と違う例としてはビルマルートの鉄道もあるね。
ここもとてもじゃないが鉄道なんか敷設できなかった。 

[3555] 太平洋戦記3の鉄道について 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/06/11(Thu) 23:15
1940年6月になって仏印に進駐しました。そこで気が付いたのですが、タイ−モールメン間の鉄道路線ですが、タイやビルマが中立状態で、すでに鉄道が敷設された状態ですが、史実とは反するような気がしますが、コンピュータプレイヤーのための仕様と解釈すれば良いのでしょうか?

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/ 


[3554] 大和設計案(その23) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/05/27(Wed) 19:36
これまで砲塔の重量について色々と書いてきた。
確かに重量は砲塔の規模を測るのはひとつの目安だ。
だけど重いからって必ずしも比例して大きい訳じゃない。
重さは同じでも中身はスカスカって場合もあるのだ。
軽くたってサイズが大きければ船体はそれだけ大きくなる。
特に全幅は大きく変わるし船殻全体の中でも砲塔を装備しうるだけ幅の大きい部分は限られるからレイアウトにも影響を与える。
よって重さではなく大きさで砲塔を比較するのも重要なのである。

しかしビールの消費量じゃあるまいし「東京ドーム何個分」とか怪しい単位で砲塔の大きさを比べる事はできない。
そこで一般的にはバーベットやローラーパスの直径で砲塔の大きさが比較される。
でもあんまり書いてある資料が無いんだよ、トホホ・・・
ちなみにローラーパスとは砲塔旋回部の床の事(戦車のバスケット式ターンテーブルみたいな物だ)でバーベットとは砲塔旋回部の壁の事だ。
砲塔はグルグルと回るのだからどちらも円形である。

まずバーベット直径から始めよう。
世界の艦船559号によるとアーカンサス型(30センチ50口径連装砲塔)のバーベット直径は8.62m、アラスカ型(30センチ50口径3連装砲塔)は9.14mだ。
世界の艦船385号には40センチ3連装砲塔を装備した米新戦艦のバーベット直径は11.35m、コロラド型(40センチ45口径連装砲塔)は9.45mと書いてある。
世界の艦船753号でもコロラド型のバーベット直径を9.45mと書いておりビスマルク型(38センチ47口径連装砲塔)を10mとしている。
また歴史群像「アメリカの戦艦」によるとテネシー型(36センチ50口径3連装砲塔)とコロラド型のバーベット直径はほぼ同一らしい。

さて、次にローラーパス直径に移ろう。
まず大和型だが平間洋一著「戦艦大和」では12.274mとなっている。
世界の艦船545号に記載されているワシントン型(40センチ45口径3連装砲塔)のローラーパス直径10.49m、アイオワ型(40センチ50口径3連装砲塔)は10.51m。
金剛型のローラーパス直径は7.7m、長門型は9.0mの様だ。
世界の艦船449号だとライオン型(40センチ45口径3連装砲塔)のローラーパス直径は10.4mである。
世界の艦船212号に記載されている甲砲(51センチ45口径連装砲塔)のローラーパス直径は12.0mだ。

う〜ん、大和型より小さいのか・・・
側面図で比較するとバーベットは大和型より大きそうなんだが?
世界の艦船753号によるとコロラド型のローラーパスは8.41mでビスマルク型は8.75mらしい。
更に歴史群像「アメリカの戦艦」にはコロラド型よりテネシー型の方がローラーパスが10センチ大きいと書かれている。
つまり世界の艦船753号が正しいのならテネシー型のローラーパス直径は8.51mとなる訳だ。

ついでだから巡洋艦のローラーパス直径も書いておくとしよう。
世界の艦船281号によると利根型(20センチ50口径連装砲塔)のローラーパス直径は5.03m、最上型(15.5センチ60口径3連装砲塔)は5.7mである。
世界の艦船282号ではバルチモア型(20センチ55口径3連装砲塔)を6.02mとしている。
世界の艦船518号に於けるブルックリン型(15センチ47口径3連装砲塔)のローラーパス直径は4.65m、アストリア型(20センチ55口径3連装砲塔)は5.77mである。

ここでバーベット直径とローラーパス直径の両方が判明しているケースについてでデータを比較して見よう。
ワシントン型の場合、バーベット直径に対するローラーパス直径の比率は92%だがビスマルク型では87.5%だ。
つまりローラーパス直径が大きいとしてもバーベット直径が比例して大きくはならないと判る。
とは言っても大抵の場合、さほど極端な差にはならない。 

[3553] 大和設計案(その22) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/05/03(Sun) 13:11
さて次はフランスだ。
それではフランス戦艦の特色を考えてみよう。
まずフランス戦艦と言えば4連装砲塔のメッカとして名高い。
なぜ4連装なのか?
それは勿論、数を揃えるに合理的だからだ。

そもそもフランス海軍は大艦巨砲主義にあまり傾倒しなかった。
大艦巨砲主義の本質は相手より強大な火砲を装備して強靱な装甲を施し「自己は安全圏で相手は被安全圏の状況でアウトレンジする事」を目的としている。
つまり数の優位の否定に他ならない。
大艦巨砲の信徒であるならば「数揃えたって良いってもんじゃないよ。」とのたまわなくてはならないのだ。
大艦巨砲主義を否定するのなら1隻に装備する主砲の数を増やす事でも小さな戦艦を多数建造する事でも総合火力は増やせるのである。

さて、1912年5月21日、フランスは34センチ45口径砲を装備するブルターニュ型戦艦2番艦プロパンスを起工した。
竣工が1番艦ブルターニュより遅れてしまったので2番艦となってしまったが実質的には1番艦である。
この年に各国で起工された主力艦は英が34.3センチ45口径砲を装備するアイアンデューク型戦艦やタイガー型巡戦、米が36センチ45口径砲を装備するネバダ型戦艦、ドイツが30センチ50口径砲を装備するケーニッヒ型戦艦やデアフリンガー型巡戦、日本が36センチ45口径砲を装備する扶桑型戦艦や金剛型巡戦、イタリアが30センチ46口径砲を装備するA・ドーリア型戦艦、オーストリーが30センチ45口径砲のテゲトフ型戦艦でフランス海軍の34センチ45口径砲は標準的な「巨砲」であった。

その後、同年後半に英が38センチ42口径砲のクィーンエリザベス型戦艦を起工してから趨勢が大きく変わる。
各国は続々と更なる巨砲を装備した主力艦を建造し始めた。
それに対しフランス海軍がブルターニュ型に続き翌年起工したノルマンディー型は相変わらず34センチ45口径砲のままであった。
同年中に英は38センチ42口径砲装備のR型戦艦、ドイツは38センチ45口径砲装備のバイエルン型戦艦、米は36センチ45口径砲装備のペンシルバニア型戦艦、ロシアは36センチ52口径砲のボロジノ型巡戦を起工している。
日本も36センチ45口径砲を装備する扶桑型戦艦の2番艦を起工しているのでほぼ全世界の新造主力艦がブルターニュ型を上回る巨砲に移行したと見てさしつかえない。

ところが!
なんとフランスはノルマンディー型に続いて1915年計画で新造を予定したリヨン型戦艦も34センチ45口径砲装備としたのである。
1915年になると巨砲後進国のイタリア海軍ですら38センチ40口径砲装備のF・カラッチオロ型戦艦を起工している。
更に英に至っては実験的に46センチ40口径砲装備のフューリアス型巡戦を起工したのだ。

こうまでしてフランスがこだわった34センチ45口径砲だが世界の艦船259号では連装砲塔の重量が1030tで1門あたり515t、ノルマンディー型の4連装砲塔は1500tで1門あたり375tと記述されている。
なるほど、連装砲塔に比べ4連装砲塔は随分と合理的のようだ。
門数は2倍なのに重量は1.5倍で済むからね。

あれ?世界の艦船473号では連装砲塔の重量を1130tと書いてあるぞ?
それにしてもちょっと重すぎやしないか?
だって一回り大きい金剛型の36センチ連装砲塔だって607tだ。
おおっ、世界の艦船346号にはブルターニュ型の砲塔重量を弾薬を含み1門当たり515tと書いてある。
ふうん、弾薬込みの重量だったのか。

じゃあ、弾薬はどれくらいなんだろう?
ウィキだと34センチ45口径砲の弾頭重量575kg、搭載定数100発だ。
装薬重量は記載されてないけど大和型が弾頭重量1460kgに対して装薬330kgだからこの比率に準拠して計算すると1砲塔あたりの弾薬重量は約140tとなる。
1030−140=890t。
う〜ん、これでも40センチ45口径砲連装の長門竣工時と同格じゃないか!
英の38センチ42口径連装砲塔に比べたってベラボーに重いぞ?
ひょっとして装甲がムチャクチャに厚いのかな?

なんと!
ブルターニュ型の前面装甲厚は第1及び第5砲塔が340ミリ、第2砲塔が270ミリ、第3砲塔が400ミリ、第5砲塔が250ミリだ。
いったいどの砲塔の重量が記述されているのやら・・・
いずれにせよ何故か判らないがフランス製の34センチ45口径連装砲塔は大層、重いようだ。
ちなみに世界の艦船473号によるとダンケルク型の33センチ52口径4連装砲塔の重量は1497tらしい。
装甲は前面330ミリのようだが・・・
ありゃ、2番艦ストラスブールでは360ミリにされてるよ。
同一艦型なのに1番艦と2番艦で装甲厚が違ったり同じフネなのに第1砲塔と第2砲塔で装甲厚が違ったりヤッカイな国だよ、フランスは。 

[3552] 大和設計案(その21) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/04/27(Mon) 18:57
米国は条約下で保有した主力艦15隻に5種類もの砲塔を装備した。
30センチ50口径連装砲塔、36センチ45口径連装砲塔、36センチ45口径3連装砲塔、36センチ50口径3連装砲塔、40センチ45口径連装砲塔である。
それに対して日本はどうであったか?
36センチ45口径連装砲塔と40センチ45口径連装砲塔のふたつのみである。

なぜ米国に対し日本がこんなに砲塔の種類が少ないかと言うと「師匠の英国が少なかったから」となる。
よって英国が15隻の主力艦に装備したのも38センチ42口径連装砲と40センチ45口径3連装砲塔の2種類だけに過ぎない。
だから、あんまり書く事が無い。

このMK1と呼称される38センチ42口径連装砲を最初に装備したのはクィーンエリザベス型で世界の艦船518号には前面装甲331ミリ、天蓋115ミリ、750tと記述されている。
MK1の最大仰角は20度でクィーンエリザベス型5隻とロイヤルオークを除くR型4隻及びカレイジアス型2隻に装備された。
次にMK1の揚弾装置を改良したMK1*が登場した。
518号ではMK1の改正形式を4つとしている。
MK1*を装備したのはロイヤルオークとレナウン型2隻である。

後にMK1及びMK1*を装備した艦の大部分は仰角を30度に増大させる改装を受けMK1/Nとなった。
518号ではMK1/Nを前面装甲324ミリ、天蓋124ミリ、828tと記述しておりカレイジアス型の砲塔に同様の改装を施しバンガードに装備した砲塔をMK1/NRP2としている。
またフッドに装備された砲塔は当初から仰角30度で前面装甲373ミリ、天蓋127ミリ、880tのMK2であった。
装甲がだいぶ厚くなった分、50tほど重くなったって訳だ。
と、ここまでが世界の艦船518号の記事。
注意しなければならないのはこの記事で書かれている焦点が砲架の相違を中心にしている事で装甲の相違についてはあまり考慮されてない。
ちょっと他の資料で38センチ42口径連装砲塔を装備した英戦艦の前面装甲厚を並べてみよう。

ひとつ断っておくけど英国はインチヤードの国だ。
よって基本がインチ単位なんだけど資料によって1インチを幾つとして算定するか、更には端数をどうするかで数値が微妙に変わってくる。
でも1ミリ違うからっていちいち構ってたらキリがないのでちょっと位の差は同一として書くから御容赦願いたい。
まず問題が少ない所でR型だがウィキの日本文で270ミリとしているのを除き残り全てが330ミリとしている。
どうもウィキ日本文の誤植くさいね。

次はレナウン型、これは全てで280ミリとしている。
フッドも全資料で381ミリ。
ここまでは申し分ない。
困っちゃうのはカレイジアス型でウィキには330ミリと229ミリの2説がありコンウェイと世界の艦船439号は330ミリ説、世界の船70年は229ミリ説を採っている。
クィーンエリザベス型はウィキ、コンウェイ、世界の艦船429号、634号、753号などが330ミリ、ジェーンWW1や世界の船70年が280ミリとしているが大御所ウェイヤーが1914年版と1928年版では330ミリ、1940年版では280ミリとしているのが悩ましい所・・・
とまあ、こういう訳でMK1系列でも229ミリ、280ミリ、330ミリと色々あるみたいなのだ。

ちなみに世界の艦船634でフッドのMK2を1080t、某サイトではMK1を782tとしている。
MK2の1080tってのは世界の艦船212号で長門の40センチ45口径連装砲塔竣工時が900t、世界の艦船449号でコロラド型が935tってのを考えると重すぎる気がするね。
でも世界の艦船212号でコロラド型1245tってのを見ると妥当な気もする。
なんとも難しい感じだ。 

[3551] 大和設計案(その20) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/04/22(Wed) 11:43
さて次は米国。
トップバッターを飾るのは36センチ45口径連装砲塔のニューヨーク型。
世界の艦船212号によると864tで装甲重量は355tらしい。
つまり「装甲なしの重量」は509tとなる。
日本の36センチ45口径連装砲塔(411もしくは452t)に比べてちょっと重いね。
装甲重量も扶桑型の203tに対して1.7倍だ。
なお、米国製砲塔の特徴は動力が電気である事と俯仰が独立でない事だ。
つまりこれは交互射撃が出来ない事、もしくは「全門で同時に撃つのが可能である事」を意味している。
砲身の間隔を短く出来るので砲塔全体をコンパクトに出来るのも利点だ。
装甲は前面365ミリ、天蓋102ミリであった。

次のネバダ型ではこの連装砲塔と3連装化したのが2基ずつ装備された。
装甲は3連装砲塔の前面が457ミリ、連装砲塔は406ミリ、天蓋は双方とも127ミリに強化されたので重量はかなり重くなっただろう。
次のアリゾナ型では砲塔を4基全て3連装とした。
ちなみに某サイトではこの砲塔重量を748tとしている。
どうもこの数値は前述のニューヨーク型と見比べると「装甲なしの重量」なのではなかろうか。
次のニューメキシコ型では装甲は同一だが独立俯仰となり砲身も50口径と長くなったので重量(世界の艦船212号)は1127t(装甲411t)となった。
装甲なしだと716tだね。
う〜ん、重量が増えるならともかく減っちゃうのはちょっと納得し難い・・・
ちなみに某サイトでは911tとしている。

次のテネシー型はニューメキシコ型と一緒なので省くとしてコロラド型では40センチ45口径連装砲塔4基となった。
重量は世界の艦船449号で935t、某サイトで880t、212号では1245t(装甲490t:差は755t)である。
某サイトの数値だと748tの36センチ50口径3連装砲塔が880tの40センチ45口径連装砲塔に変わったので17.6%の重量増大となり世界の艦船212号だと716tが755tになったので5.4%の増大、装甲込みなら10.4%の増大となる。

いずれにせよ長門型の574tと比べるとぐっと重い。
装甲重量も長門型の竣工時326tに対して490tとヘビーだ。
なお長門型の前面は305ミリで天蓋は150ミリ、コロラド型は前面457ミリ、天蓋127ミリであった。 

[3550] Re:[3549] [3541] [3539] [3536] ダウンロード販売について 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/04/21(Tue) 09:09
うん、もうちょっと体験版を見つけ易いように少し工夫してみるよ。 

[3549] Re:[3541] [3539] [3536] ダウンロード販売について 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/04/20(Mon) 10:14
> > > ダウンロード販売サイトDLsite.comにて、弊社製品のダウンロード販売を開始いたしました。

公開作品が増えましたね。
DLサイト利用者としての要望ですが、各作品ページで体験版がダウンロードできる環境を構築されてはいかがでしょう?
仮に作品に興味が湧いても体験版もなしに一足飛びに購入するのはなかなかハードルが高いので。
ま〜こちらのサイトに来れば体験版はありますけど、開発元の公式サイトで体験版探しと言うのは普通あまりやらないと思うので。

あとは「萌え」要素がある場合、前面に押し出したほうが興味を持ってくれる確率が上がると思います。「萌え」要素はあくまで香り付けであって、本質は「燃え」のほうだと思いますが、それを理解かつ納得しているのは根っからのジェネラルサポートファンのみではないかと(笑)

http://www.dlsite.com/soft/circle/profile/=/maker_id/VG02209.html 


[3548] 大和設計案(その19) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/04/16(Thu) 21:09
さてさて9位以降となると色々な資料に色々な数値が出ているのでもう順位を検討するのが虚しくなってくる。
よって以降は順位を無視して話を進めよう。
まず日本から始めるとするか。

金剛型が竣工時に装備した36センチ連装砲塔は丸軍艦メカによると607tで装甲厚は前部254ミリ(250ミリ説あり)、天蓋76ミリ(75ミリ説あり)だったらしい。
これが改装後に前部が280ミリ、天蓋は152ミリ(150ミリ説あり)に増強され重量が684tに増えたそうだ。
世界の艦船212号では次に建造された扶桑型が614tで装甲重量203tとなっている。
扶桑の竣工時の装甲厚は前面280ミリ、天蓋114ミリ(127ミリ説やら152ミリ説やらもある)である。
614−203=411tだ。

でもどうなんだろうか?
金剛型に比べて装甲がかなり厚くなってるのに7tしか増えてないってのは?
まあ、同じ36センチ連装砲と言っても仰角が違うし装填形式も違うので重量は等しくないんだけどね。
なんと同一艦型ですら仰角が違ったりするのだ。
でも7t差はちょっと信じがたい。

おぉ、ウィキでは扶桑型を655tとしてるぞ。
これだと655−203=452t、金剛型との差は48tだ。
仰角や装填形式の違いにちょっと目をつぶるとして「装甲を含まない日本軍の36センチ連装砲の重量」を約452tと仮定しよう。
だとすれば金剛竣工時の装甲は607−452=155t、改装後は232tとなる。
金剛竣工時と扶桑竣工時の差は48t、装甲の違いは扶桑型の方が前部26ミリ、天蓋が38ミリ厚い。
扶桑竣工時と金剛改装時の差は29tで装甲の違いは金剛改装時の方が天蓋38ミリ厚くなっただけである。
つまり金剛型は竣工時に比べ前面が26ミリ、天蓋は76ミリ強化された訳だ。
36センチ連装砲塔は日本海軍主力艦8隻に40基も装備された艦載砲だが天蓋の装甲厚を38ミリ増やすだけなら29t位で済むと言う事になる。
扶桑竣工時は前面が24ミリと天蓋が38ミリ厚くなって48t増えたがここから天蓋38ミリ分の29tを引くとどうなるんだろう?
19tか。
前面を26ミリ増やすには19t位でいいのかな?

これが長門型の40センチ連装砲となると砲塔のサイズ自体が最初から大きいので話が大部違ってくる。
前述の如く竣工時は900t(装甲326t)で装甲は前面305ミリ、天蓋152ミリだった。
これが改装後、1024tに増え前面500ミリ、天蓋254ミリとなる。
前面で195ミリ、天蓋で100ミリの増加だよ・・・
さすが日本海軍が期待する大戦艦だ。
装甲を含まない重量は900−326=574tだから改装後の推定装甲重量は約450tにもなる。
いかになんでもちょっと重すぎじゃなイカ?
なんと砲塔重量の44%だよ!
つまり124tの増加だ。

あれ?
よく考えたら天蓋を38ミリ厚くするのに29t必要と考えた場合、102ミリ厚くするには2.7倍の78tが必要だし前面を195ミリ厚くするには7.6倍の144tが必要だから合わせて222tの増加となるはずだ。
でも増えたのが124tとなると・・・
どうも計算が間違ってるって事になる。

どこを間違えたんだろう?
装填機構や俯仰機構の差を無視したって事かな?
側面や後面の装甲を無視したって事かな?
それとも最初っから選択した数値が違ったって事かな? 

[3547] Re:[3546] [3544] [3542] [3538] [3537] 「いずも」見学記 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/04/15(Wed) 12:45
> 旧日本海軍の空母「赤城」や「加賀」も備砲のみによる基準で艦種が決められていたとしたら、航空巡洋艦と呼称されていた可能性もあったんじゃないでしょうか?

いや、そりゃないだろう(笑)
だってワシントン条約の期限が間近に迫りロンドン条約が批准された1930年10月の段階で世界の空母保有状況は英国6、米国3、日本3、仏1の13隻だったがこのうち「備砲が13センチ以上だったら航空巡洋艦」ってルールを適用したら英国のイーグル、ハーミス、米国のレキシントン、サラトガ、日本の赤城、加賀、鳳翔、仏のベアルンの8隻が空母じゃなくなっちゃうよ。
そして残った5隻のうち英国のアーガスと米国のラングレーは商船改装の護衛空母みたいなもんだから除外するとすれば純然たる空母はなんと英国の3隻だけになるのだ。
う〜ん、空母保有国は英国だけ?
それじゃ空母と言う言葉の持つ意味がなくなってしまうんじゃないかな。

当時、空母に巡洋艦クラスの備砲を装備するのは「とても当たり前の事」だったのだ。
かえって巡洋艦クラスの備砲を装備しなかった英国の3隻は「へえ〜、変わった空母だな、そんな弱わっちい軍艦造って大丈夫?すぐにやられちゃうよ。」って心配されるくらい特異な存在だったのである。
つまり「もっとも航空機の威力を重視していたのは英海軍」って事になる。
だから英国は旧式軽巡の主砲を次々と高角砲に換装して防空巡を揃えたりもしたのだ。

ただいかんせん「制空権を左右するのは戦闘機にあり」って事を英海軍が理解していなかったのが問題なのである。
空母の飛行甲板に装甲を張って高角砲をいっぱい並べたって制空権がなけりゃ襲い来る敵機を防ぎ止める事はできない。
よって「良い艦上戦闘機」を「数を揃える」のが重要である。
すなわち英海軍は「先見の明」はあるけど「消極的な防御」にこだわり日米の艦上戦闘機に主軸を置いた「積極的な防御」の後塵を拝したと言えよう。
おっと、このまま進むとハナシが長くなるから今日はこの辺で止めておこう。 

[3546] Re:[3544] [3542] [3538] [3537] 「いずも」見学記 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/04/14(Tue) 22:48
> ロシア海軍の艦種区分によるとSSMを装備してるか否かで航空重巡か空母かを決めてるそうだ

そういや米海軍のアラスカ級なんか主砲だけ見ると戦艦と言ってもいいような気がするのに大型巡洋艦でしたよね。

旧日本海軍の空母「赤城」や「加賀」も備砲のみによる基準で艦種が決められていたとしたら、航空巡洋艦と呼称されていた可能性もあったんじゃないでしょうか? 

[3545] Re:[3531] [3530] [3529] よこすかグルメ物語(第4回) 投稿者:いそしち 投稿日:2015/04/14(Tue) 21:38
僕も横須賀へ行って「いずも」を見学してきました。

> ボンポチだ。

せっかくですから相模屋にも行ってボンポチを食べてきました。
肉汁がジューシーで美味いですね。
他の串も随分食べてオミヤゲも包んでもらいました。
今度から横須賀に行く時はオミヤゲの定番になりそうです。 

[3544] Re:[3542] [3538] [3537] 「いずも」見学記 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/04/14(Tue) 16:02
> って事はその同型艦である遼寧も航空重巡って事になるのだ。

ロシア海軍の艦種区分によるとSSMを装備してるか否かで航空重巡か空母かを決めてるそうだから同型艦とは言え遼寧は空母に分類されるのかも知れない。 

[3543] Re:[3537] 「いずも」見学記 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/04/14(Tue) 15:49
> まあ、いいや。
> 随分と国家機密を知る事が出来たんだから「これでよし!」と艦を後にする。

カンチガイしてる人がいるといけないから補足しとくけど「国家機密」って書いたのは「防弾ガラス程度の些細な事をさも重大な機密めいて書いている冗談」だからね。
まじめに受け取っちゃダメだよ。 

[3542] Re:[3538] [3537] 「いずも」見学記 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/04/14(Tue) 15:39
> キエフ級も空母みたいでしたけど、対外的には重巡でしたっけ?

うん、航空重巡だ。
ちなみに次のA・クズネツォフ型も航空重巡である。
って事はその同型艦である遼寧も航空重巡って事になるのだ。

> 自衛隊の艦船の性能については特定秘密保護法における「特定秘密」だそうですが、特定秘密保護法の説明読む限り阿部さんは処罰の対象にはなりませんよね(笑)

勿論だ。
乗員に対して質問しちゃいけないとしたら、さぞかし静粛な一般公開となるだろうな(笑)

> 「いずも」の乗組員にしても、そのものズバリを口にしているわけではないのでセーフ・・ですかね?

当然、セーフである。
みんなそんなヘマはしないよ。 

[3541] Re:[3539] [3536] ダウンロード販売について 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/04/14(Tue) 10:52
> > ダウンロード販売サイトDLsite.comにて、弊社製品のダウンロード販売を開始いたしました。

掲示板管理者さま
お手数ですが<3540>の削除をお願いします。削除キー入れ忘れてしまったので。

↓こちらのページですね

http://www.dlsite.com/soft/circle/profile/=/maker_id/VG02209.html 


[3539] Re:[3536] ダウンロード販売について 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/04/14(Tue) 10:40
> ダウンロード販売サイトDLsite.comにて、弊社製品のダウンロード販売を開始いたしました。
> http://www.dlsite.com/

おお〜っ!以前の私の提案を採用していただいた・・かどうかはわかりません(笑)が、とまれありがとうごさいます! 

[3538] Re:[3537] 「いずも」見学記 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/04/14(Tue) 10:34
> 艦番に駆逐艦を表すDの文字が書かれていたから多分、対外的には駆逐艦で間違いあるまい。
> まるで「空母」みたいだ。

キエフ級も空母みたいでしたけど、対外的には重巡でしたっけ?

> まあ、いいや。
> 随分と国家機密を知る事が出来たんだから「これでよし!」と艦を後にする。

自衛隊の艦船の性能については特定秘密保護法における「特定秘密」だそうですが、特定秘密保護法の説明読む限り阿部さんは処罰の対象にはなりませんよね(笑)
「いずも」の乗組員にしても、そのものズバリを口にしているわけではないのでセーフ・・ですかね?

[3537] 「いずも」見学記 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/04/12(Sun) 17:14
「いずも」を見学してきたよ。
なにしろ史上最大の護衛艦もしくは駆逐艦だ。
艦番に駆逐艦を表すDの文字が書かれていたから多分、対外的には駆逐艦で間違いあるまい。
満載排水量で2万7千トンに及ぶ駆逐艦とは如何なるモノか?
その全貌をこの目に焼き付けねばならぬと僕は颯爽と艦に乗り込んだ。
ありゃりゃ、ずいぶんと広いよ。
まるで「空母」みたいだ。
(広いだけで空母と決めつけちゃいかんけどね)
格納庫をぐるっと回ってからエレベーターで飛行甲板に上がってみた。
おおっ、エレベーターの横で馬男が掃除をしていたぞ?
ちょっとビックリする。
(詳しく知りたい人は「護衛艦」「馬」「いずも」で検索するが宜し)
なにしろ海自が誇る最新鋭艦だ。
知りたい事は山ほどある。
よし、ここは老練で口の軽そうな船乗りを探すに限るな。
何を聞こうか?
まず艦尾のハッチだ。
「あれ何?TACTASS?」
「TACTASSじゃないけどTACTASSみたいなもんです。」
ふうん、なんだか判ったような判らないような話だけど、まあいいや。
別の乗員を探して窓ガラスのことを聞いてみる。
「あれ、防弾ガラス?」
「このフネのガラスが防弾かどうか答えられないんですけど海自でも最近の艦艇では防弾ガラスが次々に装備されているそうです。」
要はこのフネが新鋭艦かどうかって事で後は自分で考えろってハナシだな。
うん、だいたい判ったぞ。
キャットウォークを覗いてみる。
デカい音を出して不審船をビビらせる装置があった。
ちょっと音を聞いてみたい気がするが、もし聞いたら当分、ツンボになってしまうだろうな。
まあ、いいや。
随分と国家機密を知る事が出来たんだから「これでよし!」と艦を後にする。

オシマイ 

[3536] ダウンロード販売について 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/04/10(Fri) 17:38
ダウンロード販売サイトDLsite.comにて、弊社製品のダウンロード販売を開始いたしました。
http://www.dlsite.com/ 

[3535] Re:[3534] [3518] 米国大統領と米海軍 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/04/08(Wed) 08:49
> 戦後の日本の総理で旧日本海軍出身者と言うと45代総理の中曽根先生とか思い浮かびますが、他にどなたが該当するでしょうね?

海軍士官だったのは中曽根だけだと思うよ。
陸軍士官だったのは竹下と宇野だね。
他に兵籍があるのは田中と村山で両方とも陸軍だ。
だいたいこんな所じゃないかな。 

[3534] Re:[3518] 米国大統領と米海軍 投稿者:紺碧七 投稿日:2015/04/08(Wed) 06:41
戦後の日本の総理で旧日本海軍出身者と言うと45代総理の中曽根先生とか思い浮かびますが、他にどなたが該当するでしょうね?

[3533] 大和設計案(その18) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/04/07(Tue) 21:41
もう少し砲塔について解説しよう。
今日は最終案の主砲塔を長門やアイオワなど他戦艦と比較してみる。
まず実際に製造された世界最大の主砲塔だけどこれは約2700tの大和型だ。
2位はどれか?
アイオワ型?
う〜ん、ハズレ。
残念ながらアイオワ型は約1700tで4位なのである。
2位は意表を突いて仏のグラマー美人、リシュリュー型の2476tだ。
なにしろ4連装だからね、口径は38センチでも砲塔はデカブツだよ。
続く3位は同じ4連装のキングジョージ5世型。
世界の艦船634号によると約1900tらしい。
ただし世界の艦船330号では1582tと記載されているのでこっちが正しいとするなら順位が変わる。
4位はアイオワ型だが5位以降となるとちょっと難しくなる。
なにせ資料によって数値がバラバラなのだ。
その理由は大和の主砲塔で前述した様に「弾薬を含むのか?」と「装甲を含むのか?」によって重量が異なり旧式戦艦の場合は「仰角増大など内部構造の改造」と「装甲の増加」によって時期的な重量変化があるからである。
一例を挙げると世界の艦船212号では長門型を竣工時900t(装甲326t)、改装後1024tとしているが449号では867tとなっている。
コロラド型にしても1245t(うち490tは装甲:世界の艦船212号)、935t(449号)、880t(某サイト)など色々だ。
だから以下の話は参考程度に過ぎないと考えて頂きたい。
え〜前置きが長くなったが5位は・・・
1570t(世界の艦船449号)のネルソン型か1595t(某サイト)のリットリオ型か重量不明のサウスダコタ型のいずれかであろう。
サウスダコタ型の重量が判らないのは手元に見あたらないからだ。
御存知の方がいらっしゃったら御教示頂きたい。
ノースカロライナ型の重量は1425t(世界の艦船545号)もしくは1437t(世界の艦船212号)で前面装甲406ミリ、天蓋178ミリ、アイオワ型は約1700tで前面装甲500ミリ、天蓋184ミリである。
なおアイオワ型は50口径なので砲身重量だけで60tは重くなっている。
サウスダコタ型は前面装甲457ミリ、天蓋184ミリなのでノースカロライナ型とアイオワ型の中間に位置する。
まあ、この三者で5〜7位になるであろう。
8位はノースカロライナ型かな? 

[3532] 大和設計案(その17) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/03/29(Sun) 15:42
さて、大和型の主砲塔は重量がどの位あるのだろうか?
世界の艦船449号P103には旋回部重量2265tと記述されている。
世界の艦船391号P139では旋回部重量2510tである。
平間洋一著「戦艦大和」P35では総重量2770t、旋回部2510tだ。
「戦艦大和100の謎」P18だと総重量2774tとなっている。
随分、色々とあるようだ。

さて、そこで「究極の戦艦大和」P71を見ると・・・
砲塔旋回部重量が2510t(装甲790tを含む)と弾丸1発1.46t、装薬0.33tとある。
更に弾薬は定数300発で180発を旋回盤下方の給弾室に格納とある。
1.46×180=262.8tとなる。
旋回部重量と合わせると2510+262=2772.8t。
つまり前述の2770tや2774tがこの状態だ。
大抵の資料で弾薬の定数を1門当たり100発としている。
ただし「戦艦大和設計と建造」では本文中で定数100発としながらP12の表ではA案150発、F3〜最終案120発としている。

100発と120発のどちらが正しいのだろう?
F3案の青焼図面を見る。
これだと120発だ。
う〜ん?
今度は石橋孝夫著「図解日本帝国海軍全艦船1868-1945 戦艦・巡洋戦艦」P388を開いてみる。

あれ?
A案の定数130発って書いてあるぞ?
そして砲塔1基の弾薬は753tとなっている。
1門当たり251tだ。
これが全て砲弾なら251÷1.46=172発?
あれ、なんかおかしいぞ?
装薬込みだとすれば251÷(1.46+0.33)=140発?
これまたおかしい・・・
いったいA案の定数は140発、150発、172発のどれなんだろうか?

A案の砲塔重量もおかしい。
1基あたり装甲を除いて2654t、装甲が1162tで合計3816tとなっている。
最終案が装甲を含めて2510t(弾薬なし)なのに?
1.5倍以上ってのは誤差の範囲を逸脱しているよ・・・
ひょっとして2654tってのは「装甲を除いた重量」ではなくて「装甲を含めた重量」なのではなかろうか?(推論1)

それにしても装甲重量だって最終案の790tに対し1162tは重すぎる。
だって最終案は砲塔前面650ミリなのだがA案は584ミリなのである。
同じ46センチ3連装砲塔でありながら前面装甲厚が89%と薄いのに装甲重量が逆に147%と重いのは如何なものか?
この数値が正しいとするならば側面、後面、天蓋がやたらと分厚い事になる。
最終案の甲板装甲は200ミリ、A案の甲板装甲は228ミリであまり差はない。
最終案の天蓋装甲厚は270ミリだ。
甲板装甲や天蓋装甲は大落角弾への対処が目的だから最終案とA案でそんなに大きな差は無いと考えられる。
だとすれば「とんでもなく分厚い側面、後面装甲」でなければならない。
前面を薄くしてそんなに側面、後面を厚くするなんて考えられるだろうか?
とてもありえそうにない。
よってこの数値は「?」だと思う。

A2案は連装砲塔なのだが、その装甲重量が1237tなのもおかしい。
だって連装だよ?
3連装よりどう考えたって小さくなってるのに装甲重量が逆に増えているのだ。
装甲を除いた重量は3連装が2654t、連装が1869tで約1.5倍である。
まあ、装甲を除いた砲塔重量は砲身や砲架、俯仰装置、旋回装置などが主になるので門数に比例するのに対し装甲重量は必ずしも「3連装は連装の1.5倍」とならないけど。
とは言え同じ火砲を装備し同じ装甲厚でありながら連装の装甲重量が3連装より重いとは理解し難い。

ここで推論1を検証してみよう。
最終案は弾薬無しの旋回部重量が2510tで装甲790tだから装甲の無い砲塔本体の重量は1720tとなる。
これに対しA案が装甲を含めて2654tとなると砲塔本体重量は2654−1162=1492tだ。
ちょっと軽すぎるな。
更にA2案となると1869−1237=632t!
冗談でしょ?

う〜ん?
こりゃ、推論1は×だな。
でも「旋回部重量が1.5倍以上」ってのはとても納得いかないしね・・・
そもそも最終案の装甲790tに対して装甲厚が薄いくせに装甲重量がべらぼうに重いのがおかしいのだ。

ちなみに46センチ3連装ではあるが防御が薄いD案の砲塔装甲重量は956t(1224tのA1案の78%)、砲塔前面装甲厚は457ミリ(584ミリのA1案の78%)と記載されている。
多分、天蓋や側面、後面もA1案の78%の厚さなのだろう。
舷側装甲は381ミリ、上面は203ミリで双方ともA1案の88%だからD案では船体より砲塔防御の方が弱体化していると言えよう。    (続く) 

[3531] Re:[3530] [3529] よこすかグルメ物語(第4回) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/03/27(Fri) 13:21
> お勧めは何ですか?

ボンポチだ。
他の店ではボンジリやヒップなどと言う。
つまりは鶏のお尻の肉だ。
他には豚ハツや豚バラ、豚レバー、豚白モツなどが旨い。
奇異に感じられるかも知れないが横須賀ではこれらを全て「ヤキトリ」と称する。
つまり横須賀のヤキトリは関西の「ホルモン」や関東の「ヤキトン」と同義で「これに鶏肉が加わった料理」なのである。
もちろん、ボンポチだけでなく鶏肉やツクネなどもあるから御安心を。
ただし「レバー頂戴」や「ハツ頂戴」と言うと鶏ではなく豚のレバーやハツが出てくるからご用心されたい。
タンは・・・
まさか鶏のタンが出てくると思ってる人はいないよね? 

[3530] Re:[3529] よこすかグルメ物語(第4回) 投稿者:いそしち 投稿日:2015/03/25(Wed) 20:32
> 相模屋が誇る全自動焼鳥ロボだ。
> 今でも現役で動いているから「横須賀」「相模屋」「焼き鳥」「動画」で検索し是非とも驚嘆して頂きたい。

驚嘆しました。
折を見て今度、食べに行きます。
お勧めは何ですか? 

[3529] よこすかグルメ物語(第4回) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/03/24(Tue) 23:01
「甘味対決、日蓮の奇跡が生んだ角なしサザエもなかVS最強グルメロボさいか屋饅頭」

1253年(建長5年)5月、一人の僧が房総半島から小舟で海に漕ぎ出した。
僧の名を日蓮と言う。
彼は三浦半島に向かって漕ぎ進めたが次第に天候が崩れ激浪に翻弄され始めた。
やむなく舟を島に寄せた所、1匹の猿が現れ彼を洞窟まで案内した。
洞窟で夜を明かした彼は翌日、再び三浦半島を目指し漕ぎ進んだ。
以来、この洞窟は日蓮洞窟と呼ばれ島も猿島と呼ばれる様になった。

苦心惨憺のうえ、三浦半島の海岸に到着すると今度は石渡左衛門と名乗る漁師が現れ彼が舟を寄せるのを手伝ってくれた。
だがその漁師(善行が功を奏したせいか石渡家は以降、栄え続けた。第7代横須賀市長も石渡一族である。)、サザエの角で足を怪我してしまう。
そこで日蓮が経文を唱えるとあら、不思議。
三浦半島のサザエから角が無くなってしまった。
これが私が子供の頃より聞いてきた「日蓮、角なしサザエの伝説」である。

ところが・・・
最近ネットなどで調べて見ると「僕が聞いてきた話」と「現在、通説となっている話」に随分、差異が見られるのだ。
まず通説だと「海の上を猿が歩いてきて舟を漕ぐ日蓮に三浦半島の方向を指し示した」となっている。

みんな、ちょっと変だと思わないか?
猿が水の上を歩くなんておかしくないか?
孫悟空じゃあるまいしありえないよ、ホントの話。
それに日蓮が島に上陸しないとしたら日蓮洞窟はどうなる?
日蓮が泊まらなかったとしてら「単なる洞窟」になってしまうじゃないか。

それに浜で迎えた漁師の名が通説だと「左衛門尉」になってる。
いれずみ奉行じゃあるまいし漁師に「尉」はちょっと変じゃないか?
僕が聞いただけではない。
「横須賀こども風土記・上巻」180頁でもちゃんと左衛門となってるよ。
米ケ浜(「よねがはま」と読む)の地名由来にしても「僕の聞いた話」と通説では大きく違う。

ま、いいや。
僕が言いたいのは「日蓮伝説」ではなく「伝説に由来した菓子」なのだ。
横須賀中央駅の正面にある和菓子店「さかくら総本家」は創業1891年(明治24年)の老舗である。
ここの「角なしサザエもなか」は横須賀を代表する逸品だ。
この店は由緒ある店で鎮守府などで大きな行事がある時、いつも御用達となった。
一例を挙げると当時の横須賀には日本海軍の看護婦養成所があったがここの卒業式は盛大で1940年の場合は横須賀鎮守府長官長谷川清提督をはじめ大将1名、中将2名、少将8名もの高官が列席した。
この栄えある式典では海軍の外郭団体である水交社や東京の名店である中村屋と並び「さかくら総本家」(当時は坂倉)の菓子が使われている。

ちなみに横須賀看護婦養成所は英国医学の流れを汲んでおり日本医学界では異彩を放つ存在であった。
明治維新後、日本の医学界はドイツ医学を手本として飛躍的に発達したが海軍を中心とする一部には英国医学の流れが入っていた。
そしてナイチンゲールを祖とする看護学は英国の方が進んでいたのである。

それでは何故、日本はドイツ医学に傾倒し英国医学から離れたのであろうか?
ひとつには幕末期に来日し英国医学を日本に伝えたウィリス医師が維新後、薩摩藩に招聘されて西南戦争に巻き込まれ「英国医学が敗者の側になってしまった事」が大きな要因とされている。
ただし英国医学に学んだ海軍の高木軍医が脚気を解明するなど、主流とはなれなかったにせよ英国医学が日本医学に貢献した役割は大きかった。

横須賀看護婦養成所は後に横須賀共済病院併設の看護学院となったが戦後でもベルトのバックルには桜と錨がレリーフされておりベルト本体の中には包帯が仕込まれ何時、如何なる時でも対処できる教育が行われていたと言う。
何を隠そう僕の叔母は看護学院の出身でこれは本人から聞いた話だ。
ちなみに僕が生まれたのも横須賀共済病院である。
生まれた直後、うっすら目を開けたら看護婦さん達のバックルがキラキラ光っていたのをよく覚えている。(ウソだけど・・・)

まあ、それはさておき横須賀の老舗和菓子は「さかくら総本家」ばかりではない。
例えば松月堂だが公式には1912年(明治45年)の創業となっている。
だが本当の創業はそんな最近ではない。
1882年(明治15年)の横須賀市街地図が1957年刊行の横須賀市史(市制50周年)に掲載されているのだが、それに松月堂(菓子屋)とちゃんと記載されているのだ。
つまり創業は1882年以前と言う事になる。
おそらく1921年と言うのは会社として登記した日時なのであろう。
まあ、店の人に確かめた訳ではないけどね。
ここの名物は黒船来寇に際し接待として出された菓子を源流とする「くろふね饅頭」だ。

さてさて、伝説や故事来歴に彩られた浪漫のみが横須賀菓子の真骨頂ではない。
横須賀は天下に名高い海軍の街である。
それでは「これぞ海軍!」と言いうる菓子をご紹介しよう。
海軍と言えば工業力の粋を極めた軍艦が主役だ。
嘗ては百発百中の名射手に頼ったがこれからは名人芸の時代ではない。
科学だ、物量だ、合理化だ!
公算射撃で敵を降参させるのだ!
その為には全てを機械化せねばならぬ。
菓子に於いてまた然り!
だが時、既に遅し・・・
かくして日本は敗れた。
そして「今度は負けぬ」と民族は発奮し「さいか屋百貨店」で完全機械化饅頭製造機の「さいか屋饅頭」が生まれたのである。
半世紀以上も昔の我が幼き日、さいか屋の地下で「カチャコン、カチャコン」と音を立てて無人の機械が饅頭を生産するのを飽きる事なく見続けていた物だ。
これぞまさに近代工業の粋をつくした横須賀ならではのグルメロボットである。
もしもこの技術が10年早く実用化(さいか屋饅頭の完成は1950年頃らしい)されていれば戦局の挽回も夢ではなかったと言えよう。

更にここでもうひとつ、横須賀が生み出したグルメロボを紹介せねばならぬ。
相模屋が誇る全自動焼鳥ロボだ。
今でも現役で動いているから「横須賀」「相模屋」「焼き鳥」「動画」で検索し是非とも驚嘆して頂きたい。 

[3528] よこすかグルメ物語(第3回) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/03/23(Mon) 19:32
「ヤンキーが日本にやってきた!その1」(ドブイタキッドの横須賀ストーリー)

ちょっと前なら覚えちゃいるが3分経ったらわからねえな。
タコスの旨い店だって?ここにはたくさんあるからね。
俺はドブイタキッド、今日はここいらの旨い店を教えるぜ。
3分前の事は覚えちゃいねえが30年前の事ならバッチリだ。
横須賀っては何と言っても米軍の町だ。
アメリカンテイストのワイルドでキュートなタコスと言えばトップバッターは まずハニービーで決まりだ。
米軍基地の正門前だから迷う事はねえぜ。
金が無い時は店に入らず店頭でスティックドッグを買うといい。
アメリカ人でこいつをアメリカンドッグなんて言うイモはいねえぜ。
ちなみにハニービーのタコスはハードシェルだ。
チリとピザも旨いぜ。
2番手はもう無くなっちまったがマミースナック。
ここもよく通ったぜ。
テーブル席なんで落ち着いて女を口説く時に向いてたぜ。
3番手はアウトローサルーンだ。
ここのタコスはビッグサイズのソフトシェルだ。
チリビーンズも素敵に旨かったが米ケ浜に越しちまった。
店名もマルコポーロに変わったけど今はもう無い。
寂しいぜ、ベイビー。
国道16沿いの二階にあったパナマレッドにもよく行ったっけ。
そこのちょい先の角にある店はルンピアがとても旨かった。
西部劇気取りのカウボーイ野郎が集まるのはウェスタナだ。
ロデオマシンがイカしてたぜ。
そこの同系列の店でロックシティってのがあるんだがアカダマワインをボトルで売ってたぜ。
ミュージックはもち、ハードロックだ。
フュージョンだったらカボチャ屋って店があったんだが今はもうねえだろうな。
忘れちゃならないのは汐入駅の近くにあったウィチタのフライドチキンと防空壕の焼き肉だ。
防空壕ってのは文字通りに防空壕を改築した店で店名も「防空壕」だった。
岩肌むき出しの壁と天井でナイスだったぜ。 

[3527] ソフトフランスパン 投稿者:天井桟敷 投稿日:2015/03/23(Mon) 05:10
阿部先生
ソフトフランスパン史 すごいですね。
フランスパンを食べたくなりました。

http://MOTOR 


[3526] よこすかグルメ物語(第2回) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/03/22(Sun) 07:10
「佐久間一郎とフランスパン」

少年は歩いた。
久里浜の村落から横須賀海軍工廠に至る遠い道程を。
時は1908年(明治41年)、少年の名は佐久間一郎。
まだ、あどけなさの残る15歳であった。

「佐久間一郎伝」27頁によると彼は陽もまだ明けやらぬ5時半に起床し6時に家を出て山際の街道を歩いて大津練兵場を横切り浦賀街道へ抜け田戸を経由し7時に工廠に着いたそうだ。
彼の昼食は弁当か1銭5厘のフランスパン2個であったと言う。

ここで「フランパンってバゲットの事だろ?2本も食うとは凄えな。」と言うなかれ。
横須賀に於いてフランスパンとはバゲットに非ず。
成人男子の握り拳大で丸くてフワフワしたパンを横須賀ではフランスパンと称す。
ただし現在では外来者に誤解されぬ様にソフトフランスパンと称する店が多い。
彼が家を出てから工廠に着くまでの道筋には現在、中井パン店(創業1950年)、エスポワール(創業1894年)、横須賀ベーカリー(創業1928年)などが存在し横須賀の老舗パン屋では今でもソフトフランスパンを売っている。
なぜ横須賀でだけこの「ソフトフランスパン」が売られているのだろうか?

話は1853年(嘉永6年)に遡る。
黒船来寇に日本全土は震撼し鎖国から開国に国策を転換した大老井伊掃部は「ヘイ、カモン!」と1958年(安政5年)6月、日米修好通商条約に調印した。
黙ってないのは攘夷を断行せんとする諸藩と浪士達。
かくして日本は激動の幕末へと突き進んだのである。
そしてここに一人の英傑が日本を救わんと巨費(自分の金じゃないけどね)を投じ横須賀に一大軍港の建設を断行した。
嗚呼、誰あろうその英傑の名は小栗上野介。
今は横須賀のユルキャラとして「オグリン」(ちなみにペリー提督はペリリン)と呼ばれている。

彼が仏国より招聘したウェルニー(ユルキャラはまだないらしい)は1965年(元治2年)に来日し相模の寒村横須賀に製鉄所、造船所、灯台など次々と近代西洋建築を築き上げた。
もとよりかくの如き大事業、彼が一人で成し遂げられる物ではない。
彼が帯同したフランス人技術者は富田仁著「横須賀製鉄所の人びと」有隣新書刊によれば約110名(石工、職工、会計、設計技師、佐官、教師、製缶、建築など)にも及ぶ。
更に上級技術者達は家族を連れて来日したのでその数は更に膨らみ横須賀の居留地はフランス村の様相を呈するに至った。
学校も開校し病院も建設される。
当然、彼らはフランス料理を食し日本人にもその技術が伝えられる。
それを受けたのが内藤兵吉(かこさとし著「よこすか開国物語」)だった。
かくして横須賀ではいちはやく西洋のパンが焼かれる様になったのだが・・・

施設の規模が拡大し人員が増えるとパンの消費量は増大する。
だが新規にパン焼カマドを拡張しても急場しのぎには間に合わない。
「横須賀スキップ創刊号」P25によると、こうした事情により既存のパン焼カマドで効率良く生産できる様に考案されたのがソフトフランスパンだそうな。
故にこのパンは世界中で横須賀にだけ存在しているのである。
まあ、単なる丸いコッペパンに過ぎんのだが・・・

とは言え先人の叡智が生み出した日本初の本格的なフランス式パンだ。
日本初のパンであれば恐らく長崎のオランダ式だろうし純国産の観点では江川英龍(ビスケットに近いが)を忘れてはならないだろう。
薩摩の島津斉彬や水戸の徳川斉昭など開明派で名高い幕末諸侯もいち早くパンを焼かせて食っていたかも知れぬ。
だから今となって「どれが一番か?」などと詮索してもつまらぬ。
それよりもソフトフランスパンが「当時と変わらぬガラパゴス的パン」でありそれを現代でも手軽に食えると言う意義が大きい。

食うべし!
いざ、食うべし!
幕末と文明開化の荒波をくぐり抜けてきて今なお残るソフトフランスパンだ。
これを食わずして開国の意義は理解できぬ!
日本の未来は旨いぜよ。
(ちなみに龍馬の妻である「おりょう」は横須賀で生涯を終え、その「終の住処」となった場所に「おりょう会館」が建っている)

なお、ソフトフランスパンを買って自分の家で何か塗るのも一興だが善良なる横須賀っ子は「おばちゃん、○○塗って頂戴♪」と言ってバタなりジャムなり、クリームなりを追加料金で塗って貰う事の方が多い。
だってすぐに食べたいじゃん。
(この語尾に「じゃん」って付けるのは湘南地域の方言なのだ)

えっ?
一郎少年が誰かって?
え〜と、中島飛行機の重役にして発動機部門の総責任者、日本航空エンジンの父と言われた人なのだ。

予告!
「ヤンキーが日本にやってきた!その1」(ドブイタキッドの横須賀ストーリー)
「甘味対決、日蓮の奇跡が生んだ角無しサザエもなかVS最強グルメロボさいか屋饅頭」
「庖丁塚の由来、日本武尊の家来となっ料理神大伴黒主の走水ハマグリ伝説」
「海軍女将繁盛記(料亭小松の優雅なる酒宴)」
「まずいんだか、旨くないんだか判らないオベッタ焼の不思議な味」
「ヤンキーが日本にやってきた!その2」(ペリー提督の憂鬱な事情) 

[3525] 大和設計案(その16) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/03/19(Thu) 19:25
それではKとGの相違点を並べてみよう。
Kシリーズは最大で53600t、Gシリーズは最小で59500t。
えっ?
あんまり違わないなあ・・・
もっと明確な相違(G2Bは排水量以外データ不明なので対象外)はないかな?
うん、あったぞ。

1.Kシリーズは全部副砲が3基、Gシリーズは4基。
2.Kシリーズの出力は最大9万5千馬力、Gシリーズは最小11万馬力
3.Kシリーズの防御は全て対40センチ2万〜2万7千mだがGシリーズは対  46センチ2万〜3万mと2万〜2万7千mの2種が存在する。

つまりKシリーズはGシリーズより副砲が1基少なく軽防御かつ低出力なのだ。
排水量でKシリーズの最大とGシリーズの最小は5900tしか変わらないし全長だとKシリーズの最長はGシリーズの最短より大きいのである。
Kは艦政本部の主導による設計案で「経済性重視」、Gは軍令部の主導による設計案で「戦闘能力の充実」に主眼が置かれたとされるが具体的にはどこら辺にそれが表れているのだろうか?

前述した様に長さでないのは確かだ。
それなら幅は?
Kシリーズは36〜37m、Gシリーズは37.7〜38.9m。
たかが70cmと言う無かれ。
戦艦武蔵の建造に際しては船台の幅が狭かった為に工事が難航し大和より多額の費用がかかる要因となった。
なお、Gシリーズで37.7mなのは1つだけであり他は全て38.9mなので実質的には70cmの差ではなく2.9〜1.9mの差である。
更に喫水はと言うとKシリーズが10.1〜10.3mなのに対しGシリーズは全て10.4mだ。
既存のドックを使用するならば場合によっては底面を掘り下げねばならない。
そして拡張工事はできるだけ小規模(Kシリーズであっても少し拡げないと横須賀海軍工廠5号ドックには入渠できない)で済ませたい。
横須賀海軍工廠5号ドックに「長さは充分だが幅が足りない」と言う特徴(発言[3401]参照)があった為、こうした観点から「長さは多少長くても構わないが幅は出来るだけつめる事」とされたのではないだろうか?
まあ、憶測に過ぎないけどね。       (続く) 

[3524] よこすかグルメ物語(第1回) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/03/19(Thu) 09:29
「のりだんだん盛衰記」

君は「のりだんだん」を知っているか?
「のりだんだん」と聞いて心動かされぬ横須賀市民はいない。
そう、「のりだんだん」は古くから横須賀に伝わる伝統的な郷土食弁当なのだ。
だが、かつては一世を風靡した「のりだんだん」も「ほか弁屋の海苔弁」に押され今や見る影もない。
「のりだんだん」は時代と言う名のスチームローラーに押され消え去るしかないのか?
否、断じて否!
今こそ「のりだんだん」を復興させねばならぬ!
立ち上がれ、「のりだんだん」を愛する全ての学生、労働者および親愛なる日本国民よ。
だが、もはや母も年老いた。
かくなる上は自分で拵えねばならぬ。
自分で「のりだんだん」を作り自分で食べるのだ。

でね、作って食べたんだ。
「のりだんだん」を。
旨かったね〜。
およそ50年振りだろうか。
海苔を小さく切って醤油に浸し潜水艦の防音タイルの如くご飯に貼るのがポイントと言えよう。
丁度、味付け焼き海苔を半分にした位のサイズが良いかな?

ちなみに普段食べる2段の「のりだんだん」をフューリアス仕立てと言う。
そしてハレの日に食べる3段のを赤城仕立てと言う。
1段のは?
そんなの「のりだんだん」じゃない。
ただの「湿った海苔弁」だ!

「のりだんだん」を食べれない方は・・・
そうだねえ〜。
「太平洋戦記3」か「空母戦記2」か「激闘!ソロモン海戦史DX」のどれでも良いから三段空母赤城が登場するゲームをプレイして「だんだん気分」を味わって頂戴な。 

[3523] 大和設計案(その15) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/03/15(Sun) 19:26
欠番と言えばFシリーズもFに続くF1、F2が欠番(場合によってはF0も)でF3からF6まで続いている。
Fシリーズは主砲配置の前方重視がコンセプトだがなんとFは前方に連装と3連装を混載した8門艦でF3以降は3連装3基の9門艦である。
いったい何時、8門から9門へ変化したのだろう。
はたして欠番の艦は8門だったんだろうか?

8門艦と9門艦の違いも気になるがK案とG案でどこが違うのかも気になる。
概略では主砲が前方集中配置で小型なのがKシリーズ、大型なのがGシリーズだがKシリーズが8門艦なのに対しGシリーズには8門艦と9門艦が混在する。
まずKシリーズについて述べるとK案の他にK8月5日(その1)、K8月5日(その2)、K8月5日(その3)がある。
実はこのKシリーズ、数値が「?」だらけなのだ。
便宜上、K案をK0、K8月5日(その1)をK1、K8月5日(その2)をK2、K8月5日(その3)をK3として下記する。

K0 50059t 221×36×10.1 24kt 6600浬
K1 51900t 235×37×10.1 26kt 6600浬
K2 53600t 246×37×10.3 28kt 6600浬
K3 53600t 237×37×10.3 26kt 7200浬
(水線長×全幅×喫水である)

火砲の配置と数及び防御は同一で出力はK1が9万5千馬力、後は8万馬力だ。
9万5千馬力のK1に対して8万馬力のK2の方が2ノットも速いのは何故か?
K2とK3は全幅と喫水が同じで水線長だけK3の方が11m長い。
なのに排水量が同値なのは何故か?
K2とK3は同じ出力だが航続力はK3の方が600浬も長い。
つまり燃料搭載量がずっと多いと考えられる。
それなのに排水量が同値で水線長はK3の方が短いのは何故か?
Kシリーズは色々と判らない事が多い。

さて次はGシリーズだがなんとG、G0A、G1A、G2A、G2B、G8月10日、G8月12日(その1)、G8月12日(その2)の8案もあるのだ。
そもそもGの次に表記されてる数次は何?
そのまた次に表記されているアルファベットの意味は何?
それではGシリーズのデータをゾロッと下記する。

     排水量  速力 出力  航続  防御
G    65883 28 14.0 9600浬 2万〜3万m
G0A  65450 28 14.5 7200浬 2万〜3万m
G1A  61600 26 11.5 6600浬 2万〜2万7千m
G2A  63450 28 14.3 7200浬 2万〜2万7千m
G2B  63550 26
G8/10 59500 26 11.0 6600浬 2万〜2万7千m
G8/12 60000 26 11.0 7200浬 2万〜2万7千m
G8/12 60950 27 13.0 7200浬 2万〜2万7千m

G案は18ノット8000浬なので16ノット巡航に換算し9600浬とした。
G案は3連装3基で全て前向き、G0A、G1A、G2Aは3連装3基で2基が前向き、1基が後ろ向き、G2Bは一切が不明、その他の3案は混載の8門で全て前向きである。
さあ、ここで問題だ。
数値とアルファベットの意味は何でしょう?

対象となるのはG、G0A、G1A、G2Aの4案だ。
防御はGとG0Aが同一で他は違う。
出力は皆違う。
速力はG1Aだけが26ノットで他は皆、28ノット。
G以外の他3案に共通するのは「第3砲塔が後ろ向き」って事だ。
だからアルファベットは砲塔配置だと僕は推測する。
なら数値は?
4案全てで異なっているのは・・・
これは出力ではなかろうか?
ま、推測に過ぎんけどね。    (続く) 

[3522] Re:[3521] [3517] 武蔵発見 投稿者:いそしち 投稿日:2015/03/14(Sat) 15:43
> なぜ、栗田提督は愛宕が沈没した時、武蔵に将旗を移さなかったんだろう?

もし武蔵に将旗を移していたらシブヤン海で戦死する事になります。
そうしたら謎の反転もありませんね。
歴史が大きく変わる事になります。

> 大和の艦橋は艦長の森下提督、第1戦隊司令官の宇垣提督が既に乗っており、そこに第2艦隊司令長官の栗田提督や参謀長の小柳提督が加われば「提督のすし詰め状態」(幕僚だって大勢いるんだ)になる事は判りそうなもんだ。

これでは提督の価値が下がりますね。

> それとも虫の知らせ?

沈む船からは鼠も逃げ出すと言いますからね。 

[3521] Re:[3517] 武蔵発見 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/03/13(Fri) 19:43
> 大和の設計案で、盛り上がってますが、武蔵が、フィリピン海底で、発見されたそうです。

70年前の今日、武蔵は既にシブヤン海の海底にいた。
71年前の今日、武蔵がいたのはパラオである。
その時、将旗を掲げていたのは連合艦隊司令長官の古賀提督だった。
72年前の今日、武蔵がいたのはトラックで将旗を掲げていたのは連合艦隊司令長官の山本提督だった。
73年前の今日、武蔵はまだ竣工していない。

1942年8月5日に竣工した武蔵は1943年1月18日、呉を出港し前線のトラックへ向かった。
当時の艦長は有馬少将である。
トラックに到着してすぐの2月11日、山本提督が移ってきて連合艦隊旗艦となり甲事件で彼の戦死後、後任の古賀提督も武蔵に将旗を掲げた。
1番艦大和より後に建造されたのだから旗艦設備が充実しており当然の選択だったと言えよう。

だが3月31日の乙事件で古賀提督が殉職した後、武蔵から将旗が消えた。
本来ならすぐ後任の司令長官が任命されて武蔵に着任しスルスルと将旗を掲げる所なのであるが・・・
1ヶ月も南西方面艦隊司令長官の高須提督が連合艦隊司令長官の代行を務める異常事態が継続したのである。
更に連合艦隊司令部が前線から内地に移され豊田提督を司令長官とする連合艦隊の新司令部は巡洋艦大淀に将旗を掲げる事になった。
以降、武蔵は大和に将旗を掲げる宇垣提督の第1戦隊に所属して戦う事になる。

ちなみに将旗自体はすぐに武蔵へ掲げられた。
当時の艦長朝倉大佐が少将に昇進したからである。
でも朝倉提督は1944年8月に転出し猪口大佐が新艦長に任命された。
猪口大佐が少将に昇進したのは10月15日である。
24日に武蔵が沈んだ時、真新しい将旗も運命を共にした。

武蔵は日本海軍艦艇の中でもっとも司令部設備が充実した艦であった。
当然、どの提督も旗艦に望むだろう。
旧掲示板の発言[2168]でも書いたけど栗田提督はレイテへの出撃に際し「武蔵を旗艦にして頂きたい」と中央に意見具申(戦史叢書37巻375頁)している。
だがこの意見具申は却下された。
いずれこの話は書こうと思ってるんだけど・・・
色々とね、あったらしいんだ。

それにしてもなぜ宇垣提督は第1戦隊旗艦を武蔵にしなかったんだろう?
なぜ、栗田提督は愛宕が沈没した時、武蔵に将旗を移さなかったんだろう?
大和の艦橋は艦長の森下提督、第1戦隊司令官の宇垣提督が既に乗っており、そこに第2艦隊司令長官の栗田提督や参謀長の小柳提督が加われば「提督のすし詰め状態」(幕僚だって大勢いるんだ)になる事は判りそうなもんだ。
大和には第1戦隊の暗号書とかあったからかな?
それとも虫の知らせ?
何にしても不思議な事である。 

[3520] 無題 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/03/10(Tue) 18:52
ウッララ〜、ウッララ〜♪
と言ってもリンダじゃないよ。
ベッカンコの方だ。
だいぶ時間があいたけど「くろべ」の写真をギャラリーに載せたので御用と御急ぎでない方は是非、御覧あれ。

http://www.general-support.co.jp/gallery.html 

[3519] ダウンロード販売開始のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/03/09(Mon) 18:42
現在パッケージ版が発売中の『激闘!八八艦隊海戦史DX文庫版』のダウンロード販売を3月13日より開始いたします。
各サイトの販売ページが判り次第、ダウンロードページを更新いたします。
http://www.general-support.co.jp/link2.html

[3518] 米国大統領と米海軍 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/03/08(Sun) 17:05
昔、元陸将で防大教授だったM氏に「米国には陸海空軍と海兵隊、コーストガードと5軍があるが主導権を持つのはどれですか?」と尋ねた事がある。
M氏は旧日本陸軍士官学校出身でバリバリの砲兵将校、戦後は対空ミサイル教育の為に米国留学もされた米国通だったから「当然、陸軍!」と言うかと思ったら意外や意外に「海軍」とおっしゃられた。
米海軍と言えば主敵は日本海軍。
「敵を知り己を知れば」と故事にもあるが敵を知ると敵愾心に加え知日派への窓口ともなる。

それではちょっと戦後の米国大統領と米海軍、太平洋戦争の繋がりを並べてみよう。
さて、最初の戦後大統領は・・・
ありゃ、34代のアイクだよ。
この人と米海軍は何の繋がりもないし太平洋戦争とも関係がない。
はなから例外が飛び出しちゃったな。
ま、気を取り直して次は35代のケネディ。
彼は魚雷艇艇長に乗って太平洋戦争へ従軍し大尉で退役した。
ソロモン海で日本駆逐艦に魚雷艇をまっぷたつにされて沈められ泳がされたのは有名である。
次は36代のジョンソン。
海軍少佐として太平洋戦争に出陣したは良いが爆撃機に乗って出撃した所を台南空の零戦の追い回され散々な目に遭わされている。
37代のニクソンも勿論、海軍士官。
最前線には出なかったけどブーゲンビルの補給将校としてヒマを持て余し少佐で退役した。
38代のフォードは海軍士官として空母モントレーに乗艦しマリアナやフィリピンを転戦している。
最終階級は少佐だった。
39代のカーターも海軍士官で潜水艦乗りだったが任官したのは戦後で大尉として退役した。
41代の親ブッシュは海軍最年少のパイロットとして従軍したが小笠原で撃墜され塩水を舐めた。
海軍中尉で退役している。

ね、ズラッと海軍士官が並んでいるでしょ。
海軍士官にならなかったのは「陸軍に入隊したが軍人俳優として映画に出演しずっと米本土にいた40代のレーガン」と「州兵空軍にパイロットとして在隊した43代の子ブッシュ」くらいだ。
42代のクリントンと44代のオバマ?
このふたりは陸海空を問わずそもそも軍歴がないよ。

でも・・・
考えてみれば1993年のクリントン就任以降、米海軍と縁の無い大統領が20年以上続いているんだね。
右翼バリバリいけいけドンドンは困るが軍事オンチ政権もちょっと困る。
同盟国なんだから米国政府にはこれからも太平洋と米海軍に目を向け続けて頂きたいものだ。 


[3517] 武蔵発見 投稿者:天井桟敷 投稿日:2015/03/03(Tue) 14:31
大和の設計案で、盛り上がってますが、武蔵が、フィリピン海底で、発見されたそうです。

http://MOTOR 


[3516] 大和設計案(その14) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/03/02(Mon) 19:17
欠番が存在するのはJシリーズだけじゃないよ。
EとHが無いのは変でしょ。
誰だって不思議だと思うよね。
なぜ欠番になったのか、未発見なのか、だとすればどんな案だったのか・・・

そこで今日は「現在は発見されていない謎の砲塔配置」について考えてみよう。
どんな砲塔配置が考えられる?
えっ、46センチ連装5基10門?
そりゃちょっと無理だ。
だって砲塔の重量が大きな制約になるし全長が長くなりすぎるもん。
だから4基のA2案やI案が関の山なのだ。
だったら46センチ3連装4基12門?
まあ、可能ならそうしたいだろうけど、それが出来ないからI案で混載の10門になっちゃったのだ。

前方1基で後方2基の後方重視?
後方重視ってあんまり例がないんだよね。
ちっちゃな単装砲ならともかくちゃんとした連装砲塔や3連装砲塔で前方1基、後方2基ってのはとても少ないんだよ。
連装と言っても砲塔でないのなら英のハント型護衛駆逐艦や蘭駆逐艦のI・スウェアーズなどがあるけどね。

日本海軍は後方重視の総本山なので特型駆逐艦(24隻)や朝潮型(10隻)、陽炎型(19隻)、夕雲型(19隻)おまけに島風の合計73隻も建造したからよく見かけるけど海外の艦で実際に竣工したのは仏のル・アルディ型駆逐艦(8隻)、中国のニンハイ型軽巡(2隻)、独のK型軽巡(3隻)やライプチッヒ型軽巡(2隻)、スウェーデンのトレ・クロノール型軽巡(2隻)くらいだ。
日本艦73隻に外国艦17隻の合計90隻だから後方重視全体の日本艦が占める比率は8割にも達する。
だからひょっとしたら日本海軍は大和型の後方重視を検討したかも知れない。

46センチの4連装?
そりゃ幾らなんでも全幅が広くなりすぎて無理でしょ・・・
連装もしくは3連装で砲塔数4基以内か。
まあ、効率を考えなければ船体中央に配置する事も考えられるな。
英海軍は日本海軍の師匠なんだからG3型巡戦やN3型戦艦と似た奇抜なダインコート方式も不可能とは言えない。
場合によっては4基で1基だけ後方ってのも有り得る。
う〜ん、こうやって思いを巡らすのも楽しいな。  (続く) 

[3515] 紀伊型の集合型煙突 投稿者:洛陽不覚 投稿日:2015/03/02(Mon) 12:41
>東大が門外不出の平賀資料を「お宝発掘」で世に出しちゃったから現在では「紀伊と天城の集合煙突」が定説になっちゃったのだ。
>もうこうなったら誰にもどうしようもないよ(笑)

なるほど、そのような経緯があったのですか。存じませんでした。

>これもみな御大(もしくは赤門)が悪いのだと思って集合煙突に慣れ親しんで頂戴(大笑)

承知しました。慣れ親しむよう重ねて艦隊戦に繰り出します(笑)

>ちなみに、F社から天城型巡洋戦艦が発売されていますが、この模型は2本煙突です。
>でも、赤城(巡洋戦艦)の箱絵に描かれている赤城と並走している同型艦はなんと集合煙突タイプなのです。

早速、画像検索してみました。本当ですね。
画像で見るとイメージがつきやすくて良いですね(笑) 

[3514] Re:[3512] 紀伊型@八八艦隊DX文庫版 投稿者:かなやゆうき 投稿日:2015/03/01(Sun) 19:49
図面だけだと、私も違和感ありました。
でもGS版集合煙突の天城型、紀伊型の絵を見ているうちに格好いいなぁと思えてきました。
ちなみに、F社から天城型巡洋戦艦が発売されていますが、この模型は2本煙突です。
でも、赤城(巡洋戦艦)の箱絵に描かれている赤城と並走している同型艦はなんと集合煙突タイプなのです。
恐るべし、高荷画伯! 

[3513] Re:[3512] 紀伊型@八八艦隊DX文庫版 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/03/01(Sun) 17:34
> かつでは「近江」に「将旗」を掲げてトーナメントに参戦していたこともあり、2本煙突の「紀伊型」からの変更にちょっと戸惑いました。
> 2本煙突から統合型の1本煙突になったのは、当初の2本煙突デザインでは、それぞれ艦橋とマストに近いため煙害が生じかねません。
> そのため、いずれ統合型の1本煙突に変更される、とお考えだったからでしょうか。

東大が門外不出の平賀資料を「お宝発掘」で世に出しちゃったから現在では「紀伊と天城の集合煙突」が定説になっちゃったのだ。
もうこうなったら誰にもどうしようもないよ(笑)

> 個人的には、以前のデザインの方が好きだったものでして(笑)

これもみな御大(もしくは赤門)が悪いのだと思って集合煙突に慣れ親しんで頂戴(大笑) 

[3512] 紀伊型@八八艦隊DX文庫版 投稿者:洛陽不覚 投稿日:2015/03/01(Sun) 15:47
ようやく「八八艦隊DX文庫版」を入手しました。
また阿部デザイナー仕様の「船団攻撃シナリオ」に挑戦してみたいと思います。
ところで文庫版では八八艦隊計画艦の「紀伊型」(天城型)のデザインが以前のものと異なっていることに気がつきました。
かつでは「近江」に「将旗」を掲げてトーナメントに参戦していたこともあり、2本煙突の「紀伊型」からの変更にちょっと戸惑いました。
2本煙突から統合型の1本煙突になったのは、当初の2本煙突デザインでは、それぞれ艦橋とマストに近いため煙害が生じかねません。
そのため、いずれ統合型の1本煙突に変更される、とお考えだったからでしょうか。
個人的には、以前のデザインの方が好きだったものでして(笑) 

[3511] Re:[3510] ヴァレンタイン・プレゼント 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2015/02/28(Sat) 15:32
> 先年なんですが、実は宗教組織「ものみの搭」と思われる人間集団の活動成果がオンラインゲームで確認されたのですが、こういう話題はこの掲示板でできるのでしょうか?

できません。
禁止事項に抵触します。 

[3510] ヴァレンタイン・プレゼント 投稿者:言蛇 投稿日:2015/02/28(Sat) 14:11
「人言を 繁みと妹に 逢はずして
   心のうちに 恋ふるこのころ(万葉集2944)」

阿部社長ならびにスタッフの皆様、遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。
『激闘!八八艦隊海戦史DX文庫版』で盛り上がっているようですが、阿部社長にとっても「戦艦大和」はやっぱり特別な艦なんですね。
がんばって『激闘!八八艦隊海戦史DX文庫版』、手に入れてみます。

遅ればせながら先日のヴァレンタイン、言蛇からは今年、阿部社長にプレゼントをすることにしましたのでお知らせします。
内訳は「英軍機甲妖精空母インドミタブル」&「英軍P級妖精駆逐艦パラディン」(現在、鋭意建造中)
世界大戦時、戦場に突如現れるようになった「フー・ファイター」に対する特務部隊としてお役立てください。
過去の記事ですが訓練支援艦「くろべ」の記事は珍しかったです。阿部社長は第二次大戦までが専門と思っていました。

先年なんですが、実は宗教組織「ものみの搭」と思われる人間集団の活動成果がオンラインゲームで確認されたのですが、こういう話題はこの掲示板でできるのでしょうか?

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/ 


[3509] 大和設計案(その13) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/02/26(Thu) 19:28
Jシリーズは各シリーズの40センチ砲版だと解説したが具体的に「どれがどれに対応しているか?」をチェックしてみよう。
まずJ0だけど速力がちょっと低いのでG1A相当、J2はその速力強化タイプなのでG2A相当と考えられる。
JXはJ0と火力、出力、航続力、防御力が同等でサイズがほんの少し大きくなり速力が0.5ノット高くなっただけに過ぎない。
J3は均等配置の4砲塔なのでA2案に対応していると考えられよう。
J9はJ3の出力を大幅に増やし速力を高くした改良型で「もうこうなると大きさから言って対応はモンタナ型?」と言いたくなる。

やばい・・・
Jシリーズの事ばっかり書いてたら愛着が湧いてきちゃったぞ。
本来は「46センチ砲の開発が失敗したら?」って事で「滑り止めみたいな存在」のはずだったんだが。
なんだか「頑張れJ9、モンタナに負けるな!」とか「それゆけJ2、アイオワなんか目じゃないぞ!」と応援したくなってきた。

次にJ6だが出力や主砲配置などが不明なのでどれの対応なのか判らない。
いや、そもそもJ0やJXとどこが違うのかも判らない。
ひょっとしたら意外な主砲配置なのかも知れない。(Fの40センチ版?)
40センチ連装砲塔2基と3連装混載のJ5は文句無くI案の対応だが、もはや金剛代艦平賀案そのままに近いので折角だからここで三者を並べてみよう。

艦型 公試排水量 速力 全長m 全幅m  舷側装甲
金剛 37600 26 232 32.2 381ミリ
J5 53540 28 246 38.3 381ミリ推定
I案 65050 28 268 38.9 432ミリ推定

さて、ここで欠番について考えるとしよう。
普通なら46センチ3連装砲塔を40センチに換装するなら40センチ4連装砲塔が登場しそうだがFシリーズにそれは見当たらない。
40センチになっても3連装砲塔のままなのだ。
また40センチ3連装砲塔であればターレットサイズが小さくなってグッとスリムになりそうな物だがJシリーズでも全幅は広いままである。

これはどうにも釈然としない。
前述した様にJシリーズはJ0からJ9まであり確認されているのは7種類。
しかもJ6は砲塔配置が判明していないのだから実際には6種類だ。
「欠番の設計案は最初から存在しないんだよ。」などと言いたもうな
J0からJ9まで10種類のうち未解明の4種類をアレコレと想像する所にロマンがあるのだから。
それじゃ、どんな配置が考えられるだろうか?

えっ、利根?
そりゃあんまり突飛だ。
ぼくとしてはそうだねえ〜、46センチ砲連装4基で均等配置のA2案が13号艦型の再来ならば天城/紀伊型の再来となる40センチ連装5基の設計案が検討されたとしてもおかしくはないと思っている。
それと40センチ4連装砲塔は検討されても良さそうな気がする。
米のノースカロライナ型初期設計案や英のキング・ジョージ5世型、仏のダンケルク型やリシュリュー型など世界中が4連装に進もうとしている趨勢なんだから日本海軍が検討すらしないってのはちょっとねえ?   (続く) 

[3508] 大和設計案(その12) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/02/24(Tue) 17:07
さて、前回触れなかったJシリーズに筆を進めよう。
Jは各型全ての40センチ版だと思えば良いのでシリーズとしてのコンセプトはない。
まず判明しているJシリーズの諸案を下記する。

J0 52000t 前方 242m 27.5kt  9門
J2 54030t 前方 255m 29.0kt  9門
JX 53000t 前方 244m 28.0kt  9門
J3 58400t 均等 252m 28.0kt 12門
J5 53540t 混載 246m 28.0kt 10門
J6 51800t 不明 247m 28.0kt  9門
J9 61000t 均等 270m 30.0kt 12門

JXとはJ(8月10日)案の事である。
航続力はJ2が18ノット/6000浬で他は16ノット7200浬である。
それではJ2が16ノット巡航で航走したら航続力はどうなるのであろうか?
混成で16ノット/7200浬は燃料搭載量4327tのF5案と同等である。
F5案の燃費は1t当たり1.66浬だ。
混成18ノットの燃費は「海軍造船技術概要の燃費」と1.4浬と判る。
だとすれば4327×1.66=7182で16ノット巡航の航続力が判る。
何の事はない。
16ノット7200浬と18ノット6000浬は表現は異なるだけで燃料搭載量は同じなのである。

防御力はJ0〜JXが40センチ弾に対して安全圏18000〜27000m、J3〜J9は40センチ弾に対し20000〜30000mとされている。
設計案では具体的な装甲厚ではなくこうした記述なのだがA〜D案(Dを除き同一)や最終案など数値が判明しているケースもあるので類推はできる。

A案  舷側432ミリ 上面229ミリ 砲塔584ミリ
D案  舷側381ミリ 上面203ミリ 砲塔457ミリ
最終案 舷側410ミリ 上面200ミリ 砲塔650ミリ 天蓋270ミリ

安全圏はA案と最終案が対46センチで20000〜30000m、D案が対40センチで20000〜30000mである。
「あれ、A案と最終案はなんで厚さが違うの?」と思われるだろう。
艦艇の防御は必ずしも全体に同一な装甲を施すとは限らない。
設計者が弾薬庫や砲塔の装甲を重点的に強化したいと考えれば、その分の装甲重量を他から転用せねばならないのだ。

砲塔の数値にご注意頂きたい。
A案は全体へ対して比較的に均質な防御を施しているが最終案では主砲塔を重点的に固めているのである。
よって設計案のレベルでは安全圏で同一の数値であっても装甲厚は必ずしも同一とは限らない。
さて、大和設計案の防御は対46センチ20000〜30000m、対46センチ20000〜27000m、対40センチ20000〜30000m、対40センチ18000〜27000m、対40センチ20000〜27000mの5種類なのだが舷側と上面に分けると以下になる。

舷側装甲
対46センチ20000m A案で432ミリ
対40センチ18000m
対40センチ20000m D案で381ミリ

上面装甲
対46センチ30000m A案で229ミリ
対46センチ27000m
対40センチ30000m D案で203ミリ
対40センチ27000m

J0〜JXは舷側装甲や主砲塔前面の防御に重点を置きJ3〜J9は上面や天蓋に重点を置いたと考えられる。
多分、J3〜J9の装甲厚はD案と同じだと思われるが確証はない。
J0〜JXの装甲厚は舷側装甲や主砲塔前面はD案より厚く上面や天蓋は薄いと考えられるが舷側装甲や上面装甲は同等で砲塔前面や天蓋で変化している可能性もあると思う。   (続く) 

[3507] もし戦わば 投稿者:よし 投稿日:2015/02/22(Sun) 23:41
>いずれにせよ「レーダーが役に立たない昼戦」で「天候が大遠距離射撃のできる晴」で「注水チェックを最大」にして上手く間合いをとって戦えば大和の性能を存分に発揮できるぞ。
>そうなると主砲がちょっと多い事くらい問題じゃ無くなるのだ。
>これぞ大艦巨砲主義の精華である。
と言う事で試してみました大和型4隻対八八艦隊16隻。
条件はどちらも同じで弾薬は15倍、注水チェック15%、で大落角弾射撃あり。
全滅するまでに何隻沈められるかと思ってたら
一度も遭遇せずに離脱して行った長門陸奥加賀土佐をのぞいた
八八艦隊の12隻が全部沈んで大和型は一隻も損失なし。
主砲弾薬庫は破損状態になった艦はあれど破壊された艦は一隻もなし。
まさかここまで一方的になるとは。
次はモンタナ型4隻対三年計画艦16隻をやってみようかと。 

[3506] 大和設計案(その11) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/02/22(Sun) 19:27
さて、ここでもう一度、大和型の開発案を大系的にまとめてみよう。
まず各シリーズの頭文字(アルファベット)を以下に並べる。
もう充分に判っている方はちょっとくどいと思われるかも知れないが「なりゆき」で始めてしまった話なので説明の順番があまり良くないのだ。

1.原案:タービンのみ
2.A:機関は混成、砲塔配置でA、A1、A2の3種に区分
3.B:機関はディーゼルのみ、砲塔配置でB、B1、B2の3種に区分
4.C:Bのエコ版で低速の戦艦タイプ
5.D:Bのエコ版で高速の巡戦タイプ
6.F:A1のエコ版で主砲が1門減の8門、後に9門に増えエコでなくなった
7.G:Aの発達系
8.I:A2の発達系で平賀デザインの火力強化型(10門)
9.J:40センチ砲装備タイプで大きいのや小さいのなど多数ある
10.K:Aのエコ版で主砲が1門減の8門

簡単に説明すると原型から源を発した進化の流れは機関と主砲配置の差異によりAからB2の6本の流れに別れ、それが様々なシリーズに変化していった。
よって階層構造(変遷図だともっと解りやすいんだけどね)で書くと以下になる。

原案(機関はタービン、砲塔配置は前方集中で3連装:9門)
 1.A(機関は混成、砲塔配置は前方集中で3連装:9門)
  1−1.G(同上で3連装もしくは混載8〜9門)
  1−2.K(同上で混載:8門)

 2.A1(機関は混成、砲塔配置は前方重視で3連装:9門)
  2−1.F(同上で3連装もしくは混載8〜9門)

 3.A2(砲塔配置は前後均等の連装:8門)
  3−1.I(同上で混載:10門)

 4.B(機関はディーゼル、砲塔配置は前方集中の3連装:9門)
  4−1.C(同上)
  4−2.D(同上)

 5.B1(機関はディーゼル、砲塔配置は前方重視で3連装:9門)

 6.B2(機関はディーゼル、砲塔配置は前後均等の連装:8門)

なおJは40センチ砲であれば全て包括されるので上記には含まれない。

「ディーゼルのみ」ってのは冒険が過ぎるから早々に候補から外された。
最終的に出揃ったG、K、F、Iなどの諸案のコンセプトは「主砲を1門でも多く」がI案、「可能な限り船体を小さく」がK案、「合理的な範囲で戦力を高く」がG及びF案となる。
となればGとFが残るのが道理で主砲配置を防御や機関配置の効率で有利前方集中とするか、保守的だが柔軟な運用に利便性のある前方重視とするかが問われた。
それでまあ、色々と紆余曲折の揚げ句、最終的にF案と決定したのである。   (続く) 

[3505] Re:[3504] Re「激ソロ文庫版」船団攻撃シナリオ(案) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/02/21(Sat) 23:03
> 独側でプレイしてみました。
> 史実通りどころか、すぐ照射されて集中砲火を浴びて撃沈されてしまいました。
> 単艦夜戦ではレーダーがないと接近遭遇戦になり難易度が上がりますね。

えっ、レーダー付のカウンティ改にしちゃったの?
それじゃあ、とてもかないそうにないね・・・
みんな、やるときはレーダー無しのカウンティにしなきゃダメだよ。
史実だとカンバーラントは参戦出来なかったんだしね。 

[3504] Re「激ソロ文庫版」船団攻撃シナリオ(案) 投稿者:洛陽不覚 投稿日:2015/02/21(Sat) 18:16
> やってみたよ。
> 面白かった。

ありがとうございます。
史実ベースではありませんが、楽しんでいただけたのであれば嬉しく思います。
同時に自分でシナリオを考えると、ゲームを楽しむためには「バランス」が重要だということがよく分かりました。 
「八八艦隊文庫版」を入手したら、阿部デザイナー設定も試してみたいと思います。

> ラプラタ海戦も良いんじゃないかな?

独側でプレイしてみました。
史実通りどころか、すぐ照射されて集中砲火を浴びて撃沈されてしまいました。
単艦夜戦ではレーダーがないと接近遭遇戦になり難易度が上がりますね。 

[3503] 大和設計案(その10) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/02/20(Fri) 19:18
AシリーズとBシリーズ6タイプのうち4タイプが3連装砲塔3基9門、2タイプは連装砲塔4基8門である。
連装砲塔のデメリットは門数が1門減少するだけではない。
砲塔数が増えるので主要防御区画が増えてしまい同等の防御を求めるのであれば装甲重量が増大する。
砲塔自体の重量も見逃せない。
概略設計では3連装砲塔3基前方集中配置のA案と連装4基配置のA2案は双方とも公試排水量68000tなのだが詳細な重量区分表だとA案の船体装甲重量20852t、砲塔装甲3488tに比べA2案では船体装甲重量21637t、砲塔装甲重量4950tと大きく増加している。

それにも関わらずなぜ、連装砲塔案が検討されたのであろうか?
その理由は「連装砲塔に利点が多かった」からに他ならない。
まず日本海軍の主力艦が装備した主砲だが砲塔の旋回、砲身の俯仰、砲弾の装填、砲身の復座は水圧を動力としている。
実はこの動力が「全門で同時に撃つ」には充分でなかったのだ。
「全門で同時に撃つ」のは不可能ではなかったが発射速度が大きく低下する。
更に多数弾が同時に着弾するので射撃管制に困難が生じ命中率も下がる。
よって半数ずつの砲での交互射撃が基本となった。
だから機構上は連装砲塔の方が合理的だったのだ。
みんなも連装砲塔で1門だけ仰角を上げた戦艦主砲の写真を見た事あるでしょ。

そして「だった」と書いたのは問題が動力不足に起因する事であり動力不足が解決すれば発射速度の低下は招かずに済むからである。
3連装砲塔になったからと言ってすぐに「全門で同時に撃つ」となるのではなく基本としては「半数ずつの交互射撃」(奇数だから割り切れないが)なのだがそれまで連装砲塔で訓練し術力を高めてきたソフト的資産を捨て一気に3連装砲塔に切り替えるのは難しい。
よって大和型戦艦の設計案でも連装砲塔と3連装砲塔の利害得失が検討されたのである。
恐らくは連装砲塔の方が若干、発射速度が速く出来るのであろう。
命中率を向上させやすいのであろう。
機構的に不安がないのであろう。

だが発射速度なんて造兵屋が頑張って技術革新をすれば向上できるだろうし命中率なんて鉄砲屋が頑張って訓練すれば最初は低くてもおいおい当たる様になるだろうし不安なんて霊験あらたかな神社のお札を貼っておけば雲散霧消するだろう。
要は「保守的になりすぎちゃうのってどうよ?」って考えが大勢を占め初期に検討された連装砲塔4基案はボツとなったのである。    (続く) 

[3502] Re:[3501] [3497] 「激ソロ文庫版」船団攻撃シナリオ(案) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/02/20(Fri) 16:35
> ひとつ今度は八八艦隊海戦史DX文庫版で試してみよう。

ドイツ側でやってみたよ。

> それどころか輸送船は低速8隻、高速4隻の合計12隻が使えるから獲物を3倍に増やせるし「駆逐艦しか配備できない部隊」の制限が無くなるからもっと色々な変化が楽しめるよ。

とりあえず高速輸送船4隻だけにしてみた。
開始は日没1時間前からで天候は小雪、波高は3で始めたんだが会敵前に濃霧となり圧倒的に不利な状況となった。
前方に駆逐艦、中段にティルピッツ、後方に支援射撃のみの目的でシャルンホルストを配置したんだがマップ最右端からフレッチャー型4隻を随伴したD・O・ヨークが突然現れシャルンホルストとまさかの反航遭遇戦!
シャルンホルストの豆鉄砲で撃ち抜ける訳ないから全部の火砲でフレッチャー型を射撃し次々に3隻炎上させる。
(ああ、勇ましきシャルンホルストもこれでオシマイだな...)と思いきやD・O・ヨークから飛来した命中弾2発はことごとく主砲塔に命中しカキーン、カキーンと弾き返えされる。
「ええい、ままよ」と敵艦めがけ舵を切って遭遇戦を挑むが彼我の副砲、高角砲はバシバシ当たってレーダー、探照灯などを破壊するもバイタルパートや主砲塔はちっとも抜けず抜かれずもの別れに終わる。
嗚呼、豆鉄砲いと哀し・・・
一方、応援に駆けつけたティルピッツの近くに輸送船が出現、シャルホルストへ「元気で暮らせ、さようなら」と発光信号を送り輸送船討伐に向かうがなかなか捕まえられず濃霧が晴れたと思ったら日没になっちまった。
結局最後までワシントンは姿も見えず。
戦果はフレッチャー型1隻と輸送船1隻の撃沈、フレッチャー型2隻とD・O・ヨークの撃破、損害はシャルンホルストの中破と相成りました。
チャンチャン

[3501] Re:[3497] 「激ソロ文庫版」船団攻撃シナリオ(案) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2015/02/20(Fri) 10:41
> テーマは「もしティルピッツが積極的にソ連向け船団攻撃に出撃していたら」です。

ひとつ今度は八八艦隊海戦史DX文庫版で試してみよう。

> 米英:ワシントン、D.O.ヨーク フレッチャー型駆逐艦4隻×1隊 輸送船×4隻
> 独軍:ティルピッツ、シャルンホルスト Z23型駆逐艦3隻×1隊

この編成なら八八艦隊海戦史DX文庫版のフリーセットアップでも可能だ。
それどころか輸送船は低速8隻、高速4隻の合計12隻が使えるから獲物を3倍に増やせるし「駆逐艦しか配備できない部隊」の制限が無くなるからもっと色々な変化が楽しめるよ。
輸送船を1隻ずつバラしても良いしね。
天候はバレンツ海らしく冬型で変動率はスリリングな展開を期待して悪天化、好天化のともに15%が良いかな。
時刻は夕闇にまぎれて終末を迎える薄暮ちょっと前くらいが緊迫すると思う。
払暁から始めるとレーダーの有無で序盤の情勢が固定化しちゃうからなあ。
大落角弾はもちろんアリだ。
開始時の天候は晴でも雪でも気分次第、波高も同様としよう。
注水失敗率は独が0%、連合軍は10%かな。
天候が変わると随分、盛り上がると思うよ。

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