GS新掲示板 発言集[27](No.2601〜2700)




[2700] 敵艦隊攻撃に関して 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/04/09(Mon) 23:02
敵艦隊攻撃についてです。既出でしたらすみません。
航空機による攻撃、潜水艦による攻撃、艦隊戦、それぞれでの目標設定は「2」と同様なのでしょうか?
雷装の97艦攻で36機は戦艦、72機は空母を狙え、と言った設定は可能かと思いまして。
また誤認率はどの程度でしょうか?

また艦隊戦は「2」と同様、昼戦・夜戦が乱数決定なのでしょうか?

>遠戦ってキ83の事では?
>キ88は川崎の「エアラコブラモドキ」なんだけど・・

すみません。某現代戦マンガを読んでいたのでうっかり混同してしまいました(笑)。
敵出現根拠地を叩きに行くとき、全損覚悟で空母1隻に震電を積むなんて荒業も可能なんですね。
あ、その場合、不時着扱いだから熟練度は下がりませんよね?

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/


[2699] Re:[2698] まとめレス 投稿者:うらマッハ 投稿日:2012/04/09(Mon) 22:24
> 太平洋2に比べ修理は短期間で済むよ。

下部の修理は特に早いのですよね。ドックのあるところまで回航する方が時間かかったりして。

> 鉄も要らないしね。

回航用に重油が割といるかも。護衛艦もつけないと潜水艦にトドメを刺されかねないですし。
そういえば、損傷した艦船を解体した場合、鉄はどれだけ回収できるのでしょうか。全部?

> 燃料を満載したタンカーを沈めたって連合軍は痛くも痒くもないよ。

言われてみれば・・・、米国の国家備蓄には燃料やタンカーが売るほど余ってそうです。
うまく行けば遠征中の敵艦隊を帰還させられるかもしれない程度でしょうか。でも、小型艦でも航続距離は結構長いのが多いんですよね。

[2698] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/04/09(Mon) 16:34
>太平洋3だと、艦船を修理する機会が増えそうですね。

太平洋2に比べ修理は短期間で済むよ。
鉄も要らないしね。

>魚雷二本が目安になりそうです。

魚雷がもったいないから連合軍のタンカーなんか撃つのやめたら?
日本にとっちゃ燃料もタンカーも貴重品だけど相手は世界一の産油国なんで燃料なんかタダ同然だしタンカーの建造だって大戦中、日本が建造した48隻に比べ588隻で桁違いに多いのだ。
燃料を満載したタンカーを沈めたって連合軍は痛くも痒くもないよ。

>もしもハバクックが登場していたら、洋上重爆基地としてかなりの脅威になっていたかも?ですね。

あんな荒唐無稽なモノは完成しないだろうから脅威にはならないと思うよ(笑)
それと太平洋3では連合軍の兵器はエディターで変更できない。
理由は荒唐無稽な兵器が編集された場合、CPU側の思考が対応できなくなってしまうからだ。

>ちなみにエディタ使ってハバクックを登場させるとすると、史実(というか計画)にあてはめて能力を設定するとどのような数値が妥当でしょうか?

元が荒唐無稽なんだから妥当と言われても(爆笑)

>その場合、月光を対空迎撃にも使えそうな気がしますが、実際のプレイ上はどうなんでしょうか?

実際のプレイでも空母から月光を発艦できるよ。
着艦はできないけど。

>仮に迎撃できても近くに味方の飛行場がないと全損になりそうですが、空母がやられるよりマシなので。

近くに飛行場があっても迎撃で発進した戦闘機は離陸した艦隊に着艦しなくちゃならないから全損になるよ。

>またキ88遠戦も発艦できますか?

遠戦ってキ83の事では?
キ88は川崎の「エアラコブラモドキ」なんだけど・・・
ま、いいや。
どっちも空母から発艦できるよ。

[2697] Re:[2694] まとめレス 投稿者:うらマッハ 投稿日:2012/04/09(Mon) 10:43
> 神洲丸は1本じゃ沈まないけど商船構造だから2本喰らうとアウトだよ。

大破して速力がかなり下がるでしょうね。
太平洋3だと、艦船を修理する機会が増えそうですね。

> なにしろ8万3000tだからね。

ほんとに超大型ですね・・・。大和よりでかい。

> 沈めるのには約12本必要だよ(笑)

五月雨爆撃や要塞砲じゃ歯が立たない耐久力ですね。上陸戦を覚悟しないといけないかも。本土決戦シナリオのラスボス的存在になりそうです。

> 中速のシマロン型は11335総t、低速のエスカンピア型は9900総tだから日本のタンカーと耐久力はほぼ一緒だよ。

魚雷二本が目安になりそうです。

[2696] Re:[2694] まとめレス 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/04/08(Sun) 19:07
連投すみませぬ

> 陸攻を空母から飛ばしたいならエディター使って発進レベルを変更させる事ができるよ。

もしもハバクックが登場していたら、洋上重爆基地としてかなりの脅威になっていたかも?ですね。
ちなみにエディタ使ってハバクックを登場させるとすると、史実(というか計画)にあてはめて能力を設定するとどのような数値が妥当でしょうか?

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/


[2695] Re:[2694] まとめレス 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/04/08(Sun) 19:01
> でも60の99式双軽や月光なら発艦(着艦できないけどね)できる。

その場合、月光を対空迎撃にも使えそうな気がしますが、実際のプレイ上はどうなんでしょうか?
仮に迎撃できても近くに味方の飛行場がないと全損になりそうですが、空母がやられるよりマシなので。

またキ88遠戦も発艦できますか?

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/


[2694] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/04/08(Sun) 16:35
>特設水上機母艦も一発くらうと沈んじゃうですね。

うん、特設巡や特設潜水母艦もね。

>敵の制空権内に突っ込むときは大型輸送艦を準備したいところです。

神洲丸は1本じゃ沈まないけど商船構造だから2本喰らうとアウトだよ。

>連合軍の超大型輸送船なら魚雷一発じゃ沈んでくれなさそうです。

なにしろ8万3000tだからね。
沈めるのには約12本必要だよ(笑)
その代わり沈んだらまるまる1個師団の壊滅だから大きいよ。

>敵が連れて来るタンカーも結構しぶといんでしょうね。

中速のシマロン型は11335総t、低速のエスカンピア型は9900総tだから日本のタンカーと耐久力はほぼ一緒だよ。

>了解で〜す。ちなみに、日本側は空母から陸攻を発進させたりはできないんですよね?

1式陸攻の発進レベルは70だから大型空母の60からは発艦できない。
でも60の99式双軽や月光なら発艦(着艦できないけどね)できる。
また連合軍でも60のB25やA20、ブレニムは発艦できても70のB26やB18などは発艦できない。
つまりは発進レベル次第なのだ。
陸攻を空母から飛ばしたいならエディター使って発進レベルを変更させる事ができるよ。

[2693] Re:[2691] まとめレス 投稿者:うらマッハ 投稿日:2012/04/08(Sun) 12:34
> 太平洋3だと2A戦時標船(6600総t)やS型優秀船(7158総t)などの大型輸送船は大抵、潜水艦の魚雷1本で沈む。

敵潜水艦には要注意ですね。特設水上機母艦も一発くらうと沈んじゃうですね。

敵の制空権内に突っ込むときは大型輸送艦を準備したいところです。
連合軍の超大型輸送船なら魚雷一発じゃ沈んでくれなさそうです。

> それに対し川崎型(1万総t)、1TL型(9000総t)などの大型タンカーは2本、千歳型水上機母艦は3本だ。

大型タンカーは、一本は耐えるんですか。でもギリギリっぽいですね。
危険な作戦につれていくときは小型より大型の方が良さそうです。
敵が連れて来るタンカーも結構しぶといんでしょうね。

[2692] Re:[2691] まとめレス 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/04/07(Sat) 22:05
> ナイショ♪

了解で〜す。ちなみに、日本側は空母から陸攻を発進させたりはできないんですよね?

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/


[2691] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/04/07(Sat) 07:57
>タンカーのように簡単に沈みませんし、対潜哨戒もできるし、きっと空母型に改装する気にはならないでしょうね、よほど空母不足にならない限り。
>タンカーって大型でも、潜水艦の魚雷や重爆の爆弾に耐えられませんよね。

太平洋3だと2A戦時標船(6600総t)やS型優秀船(7158総t)などの大型輸送船は大抵、潜水艦の魚雷1本で沈む。
それに対し川崎型(1万総t)、1TL型(9000総t)などの大型タンカーは2本、千歳型水上機母艦は3本だ。

>おー、いろいろ使い出がありそうで楽しみです。ところで特設水上機母艦というと商船を改造したやつですよね。あれって、何機水上機が積めるんでしょう?いろいろ資料を見たんですが、はっきりと書いてあるものが少なかったです。

太平洋3では12機だ。
史実では神川丸型と相良丸の合計6隻が12機、山陽丸型1隻が11機、香久丸型2隻が10機となっている。

>これはイベントとして実施されるものなのでしょうか?
または条件次第でたびたび発生するものなのでしょうか?

ナイショ♪
だってその質問に答えたら「冒頭で犯人を紹介する推理小説」になっちゃうでしょ。

[2690] Re:[2687] [2683] 今更太平洋2 投稿者:うらマッハ 投稿日:2012/04/06(Fri) 19:14
> 太平洋3では補給用に軽油をゴッソリ(なんと瑞穂は3348tで飛龍の9倍、特設水上機母艦でも1000tで飛龍の3倍)搭載できるから小型タンカーの代わりに大活躍するよ。

タンカーのように簡単に沈みませんし、対潜哨戒もできるし、きっと空母型に改装する気にはならないでしょうね、よほど空母不足にならない限り。
タンカーって大型でも、潜水艦の魚雷や重爆の爆弾に耐えられませんよね。

[2689] Re:[2683] 今更太平洋2 投稿者:風神RED 投稿日:2012/04/06(Fri) 15:43

>とりあえず横須賀に回航してます。
>私も本土に戻しますね。

なるほどー、皆さんも横須賀に戻されるんですね。少し安心しました。

>太平洋3では補給用に軽油をゴッソリ(なんと瑞穂は3348tで飛龍の9倍、特設水上機母艦でも1000tで飛龍の3倍)搭載できるから小型タンカーの代わりに大活躍するよ。

おー、いろいろ使い出がありそうで楽しみです。ところで特設水上機母艦というと商船を改造したやつですよね。あれって、何機水上機が積めるんでしょう?いろいろ資料を見たんですが、はっきりと書いてあるものが少なかったです。

発売を楽しみにしてます。追い込み、頑張ってください。

[2688] ドゥーリットル空襲について 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/04/06(Fri) 09:53
「3」のゲーム概要を見ていたら、ドゥーリットル空襲が実装されているそうですね。

これはイベントとして実施されるものなのでしょうか?
または条件次第でたびたび発生するものなのでしょうか?

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/


[2687] Re:[2683] 今更太平洋2 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/04/05(Thu) 10:50
> 太平洋戦記2のグランドキャンペーンで、初期配置パラオに
> いる水上機母艦2隻ですが、皆さんはどのような使い方を
> されているのでしょうか?

太平洋3では戦闘機でも複座なら偵察や哨戒に使えるよ。
よって零式水観も対潜哨戒なら問題なし!

> 何か、初期によい使い道があれば教えていただけないでしょうか。

太平洋3では補給用に軽油をゴッソリ(なんと瑞穂は3348tで飛龍の9倍、特設水上機母艦でも1000tで飛龍の3倍)搭載できるから小型タンカーの代わりに大活躍するよ。
[2686] Re:[2683] 今更太平洋2 投稿者:ともも 投稿日:2012/04/05(Thu) 08:50
> 何か、初期によい使い道があれば教えていただけないでしょうか。

私も本土に戻しますね。哨戒に使える重爆を出来るだけ解体したくないので、旧式化した戦闘機や水観をアルミにしてます。序盤アルミが足りないので。

水上機母艦は意外と大活躍で、零式水偵に積み替えて対潜に使ったり、哨戒のデッドスペースを埋めるために使ったりしてます。見失った敵艦隊を探すときにもとても便利です。

[2685] 準備陣発令 投稿者:ハルトマン 投稿日:2012/04/05(Thu) 08:30


 太平洋戦記3いよいよ発売ですか!オメデトウ御座います。
 GSの皆さんにおかれましては、お疲れ様でした。
 販売が楽しみです。

山中峯太郎著「弓張嶺月下の夜襲」を読んだ事がおありだろうか?
未読の方は是非、御一読を。

 仙台第二師団「夜戦師団」の伝説の成立は、こんなところにもあったのですネ、是非一度、読んでみたいと思います。
 ガダルカナル補給戦今後が楽しみです。
 是非、第38師団128連隊の若林 東一中尉の話なども脱線で教えてください。

 索敵即攻撃の日本軍・・・弓張嶺の時は、将校全員が、事前に突撃路を昼間十分に確認したと言われますが、昭和の陸軍は・・・・何で?
 『日本軍実戦兵器』銀河出版でもガダルカナルでは、かなりの種類の兵器が、米軍に補獲されています(90式防毒衣等)が、日本軍もいろいろ運んだものだと・・・しかし、役に立たないのなら困りものです。兵站補給担当者の苦労が目に浮かびます。

[2684] 空母に改装するのはちょっと・・・ 投稿者:K-2 投稿日:2012/04/04(Wed) 22:10
>風神RED様
自分は水上機母艦は潜水艦狩艦隊用の空母として使ってますが、開戦当初はパラオや周辺基地の
零式水偵を集めて積んでも駆逐艦が近所に居ないので、とりあえず横須賀に回航してます。
トラックの船も、クェゼリンの船もです。よく父島の古鷹級4隻の存在を忘れるんですが。
ぐずぐずしてるとB17が飛んでくるしね。

[2683] 今更太平洋2 投稿者:風神RED 投稿日:2012/04/04(Wed) 16:16
太平洋3のゲーム概要も出たところで今更な話題ですが、
ちょっと皆さんにお聞きしたい事があります。
太平洋戦記2のグランドキャンペーンで、初期配置パラオに
いる水上機母艦2隻ですが、皆さんはどのような使い方を
されているのでしょうか?
 恥ずかしながら私は、いつも横須賀に戻しています。
載っている水上機は戦闘機扱いですから、対潜能力もあがり
ませんし、パラオに降ろしても露払い程度。
何か、初期によい使い道があれば教えていただけないでしょうか。

[2682] ガ島補給戦14 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/04/03(Tue) 11:17
42年9月28日、1人の参謀がラバウルの第17軍司令部から日本へ帰国した。
井本熊男中佐である。
彼は翌日、大本営へ出勤しガ島の現状について報告したのだが同日夕刻、突如として第17軍参謀長二見少将の罷免が決定された。
勿論、井本中佐の報告がその原因であり井本中佐自身もその著書「作戦日誌で綴る大東亜戦争」で「筆者の報告の日にこの人事措置が行われた事は筆者の報告がある程度原因している事は明らかである」と記述しており「二見将軍に相済まぬ事であったと感じている」と結んでいる。
もとより井本中佐に悪意はなく同書中で「尊敬する先輩を陥れようとするが如き考えは微塵もなかった」と書いており、ただ「楽観をいましめる事」(参謀本部の楽観視である)が主旨であったらしい。

しかし・・・
主旨はどうあれ、10月1日付けで二見少将は罷免のうえ退役させられた。
一説によれば井本中佐の報告は二見少将を断罪する為の材料として利用されただけであり二見少将に対する陸軍中央の対応はガ島撤退論議(ガ島補給戦10参照)の時点で既に決定していたとされる。
かくして第17軍は智将二見を失い泥沼に更に1歩、大きく脚を踏み出した。

ここで、ガ島に対するネズミ輸送に話を戻そう。
10月1日に青葉支隊司令部がガ島へ上陸したのに続き2日には駆逐艦5隻が兵員250名と糧食をガ島に送り届けた。
叢書28巻の56頁によると第2師団到着前のガ島兵力を川口少将は約9000名(ただし戦病死約2000名を含み健在者は約5000名)と報告している。
そして3日には日進による初の輸送(他に駆逐艦9隻)が行われ第2師団司令部、野砲5門、牽引車7両、糧食31t、弾薬、兵員890名が上陸した。

以降もネズミ輸送は4日に駆逐艦5隻、5日は6隻、6日は6隻、7日は5隻と繰り返され8日には2度目の日進による輸送(駆逐艦5隻を含む)で重砲などが戦列に加わった。
9日は軽巡1隻と駆逐艦9隻、10日は駆逐艦3隻、11日は日進、千歳と駆逐艦6隻、14日は軽巡3隻と駆逐艦4隻、17日は軽巡3隻と駆逐艦15隻がネズミ輸送に投入され陸軍兵員9091名、海軍兵員560名、陸軍高射砲3門、海軍高射砲4門、15榴8門、10榴2門、野砲7門、山砲5門、速射砲18門、連隊砲14門、大隊砲13門、迫撃砲19門、牽引車11、糧食160t及び弾薬がガ島に揚陸(叢書83巻の226頁参照)された。
第17軍司令部のガ島進出は9日である。

ネズミ輸送は17日をもって終了とされたが陸軍からの緊急弾薬輸送要請により19日に駆逐艦3隻で実施された。
だがこれは空襲によって中止を余儀なくされている。
なおネズミ輸送が中止されたのは近々、第2師団による総攻撃が開始される為であり総攻撃が成功し飛行場が奪回できればネズミ輸送と言う緊急手段に頼る必要がなくなるという目算があったからである。

なお当時、着実なネズミ輸送と平行し更に二つの輸送作戦が実施された。
10月15日に実施された高速船団による輸送作戦(ガ島補給戦7参照:搭載した重砲は15榴8門、10加4門)とアリ輸送(ガ島補給戦6参照)である。
だが双方とも失敗したので日本陸軍は重砲による米軍陣地の破砕と第2師団による正攻法を中止し密林機動と夜襲に戦術を切り替えた。    (続く)

[2681] Re:[2678] 更新のお知らせ 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/04/01(Sun) 09:35
> またWindowsVistaおよびWindows7の64bit版対応となりました。

ありがたい!これで安心して購入できます。

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/


[2680] ガダルカナルの後 投稿者:住所不定有職 投稿日:2012/03/31(Sat) 23:57
ガダルカナル関係に直接関係していない面もあり、つたない文ではありますが飛び入りさせていただきます。

太平洋戦争における陸軍の南方や米軍に対する認識については学徒出陣でフィリピンにて戦闘を経験した山本七平氏の著書に、下級将校からの視点としていくつか記載があります(概要)

1 米軍に対するための教育
  山本氏あ将校として教育を受けている途中で
  (想定地図は満州等)
  「ただいまからア号教育を実施する」と宣言される
   ただし、教官はあとで「なにを教育していいか
  わからない」と正直に学生に話す状態だったそうです。
 (教官はノモンハン等の具体的例を説明はしていた)
  この話からずれば、対米戦の認識や知識などについて
  必ずしも陸軍全体には行き渡っていなかったようです。
  ただし、アッツ島での米軍との交戦による情報はあった
  ようです。

2 南方への意識
  山本氏は砲兵将校として、103師団?でフィリピン
 に駐屯していましたが、フィリピン決戦のため、満州か
 ら移動してきた10師団(鉄)?の砲兵将校とのやりとり
 で以下の話があります
 鉄将校「このあたりで軍馬を徴用したいので教えてほし
 い」
 鉄の野砲は馬も車両もなくひ力搬送(人力)で上陸後移動 している状況を山本氏に説明
 山本氏「ぐ、ぐうんば?」
(山本氏、フィリピンには軍馬になりそうな動物はいない、
 水牛やロバはいくらいても役にたたないことを説明)

また別の場面で、「農業国といっても当時のフィリピンの大きな農地は麻等のプランテーション産業であり、日本の農村のように食糧が自給できていたわけではなく、戦争で交易が
途絶して産業が機能しなければ「畑の真ん中で餓死する」こともありうる」趣旨の記載をしている
山本氏は陸軍はまるで南方が資源の宝庫であり、進駐する部隊に「現地で徴発しろ」と安易に指示していたように感じた旨の感想をもっていたようです。
   
3 ジャングルと砲
  山本氏の部隊は師団長が砲兵のためか将校の勉強会?
 のようなことが盛んに行われていたようです。
  その中では、フィリピンのジャングルでは通常の索引砲
 は戦線への展開困難、射撃準備困難、空中から発見され
 やすく、対砲兵戦上不利であり、迫撃砲による運用が望
 ましいとの結論があったそうです
 (これがすでに展開された部隊装備に反映されたわけでは
 ないようですが・・・・)    
  また、上の話につながりますが、アッツ島で米軍が上陸 速やかに陣地転換した情報については、当時の日本の砲兵
 運用の常識から、「そんなことないだろう」と、部隊では
 本気でとらえていない雰囲気があったそうです。
(のちに、米軍と交戦した山本氏は「アッツはこうだったの
か・・・」と感じたそうです)

4 変な砲?
  山本氏がフィリピンのジャングルで最後に担当したのが
 著書によれば120mmカノン砲?、しかも、弾は徹甲弾
 しかない・・・
  山本氏の推測では満州でソ連のトーチカをたたくための
 砲が転用されたのでは?と予想していたようです、これを
 ジャングルから出没するゲリラに射撃するが、弾底信管
 のため、まったく効果ない、山本氏もそれを承知で「お
 仕事?」として実施している(山本氏は「ゲリラ側も
 日本軍はなんでこのような効果のない砲撃をするのだろう
 か?と思っているだろう」趣旨の記載をしています 

このようにガダルカナルの戦訓があったあとでも、フィリピン戦線の現場レベルでは従来の方針変更等はむずかしかったようです。

[2678] 更新のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2012/03/31(Sat) 19:34
本日『太平洋戦記3コーナー』に「ゲーム概要」のページを掲載いたしました。
http://www.general-support.co.jp/pw3/pw3.html

またWindowsVistaおよびWindows7の64bit版対応となりました。

[2677] ガ島補給戦13 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/30(Fri) 17:26
前回は重砲についての記述に重点を置いたので今回は川口支隊による総攻撃終了から第2師団による総攻撃終了までの全体の流れを追って行く事にしよう。

「ガ島補給戦11」で青葉支隊に所属する歩兵3個大隊全てが9月16日夜までにガ島に上陸したと記述した。
ただしこの時点ではまだ青葉支隊の司令部は上陸していない。
ここで「支隊」についてもう少し詳しく解説しておこう。

前に「支隊の名称」について解説したが今度は支隊の規模と指揮系統に触れる。
まず規模だがアリューシャン作戦に投入された北海支隊は第7師団隷下の独立歩兵301大隊を基幹に編成されており支隊長と大隊長を穂積少佐が兼任している。
次に一木支隊だが歩兵第28連隊を基幹に編成されておりこの場合もまた支隊長と連隊長は一木大佐が兼任していた。
こうした兼任の場合はさして問題がない。

だが南海支隊(歩兵第144連隊基幹、後に歩兵第41連隊が増加)や青葉支隊(歩兵第4連隊基幹)や川口支隊(歩兵第124連隊基幹)の場合、基幹となる歩兵連隊長とは別に支隊長として少将が任命されていた。
よって基幹となる歩兵連隊の兵力は歩兵連隊長の指揮下にあり、その他の砲兵や工兵などが支隊長の直率兵力となる。

だが・・・
南海支隊や青葉支隊と違い川口支隊には砲兵などが配属されておらず支隊長の直率兵力は僅か工兵1個小隊と独立無線2小隊、第24防疫給水部などに過ぎなかった。
つまり川口支隊では支隊長の権限が極端に小さかったのである。
更に川口支隊長が陸士26期だったのに対し歩兵第124連隊長の岡大佐は24期であった事も甚だしく異例(他の支隊でこの様な例は見られない)であった。
この様な問題を抱えた川口支隊が独立部隊としてガ島戦に投入された事は日本にとり極めて不幸であったと言わざるを得ない。

さて、総攻撃に失敗した川口支隊を回復させる為、日本海軍は次々と駆逐艦を派遣し物資を送り届けた。
9月16日には3隻、17日には2隻が物資を揚陸し18日には4隻が兵員170名と野砲4門及び物資を揚陸させた。
ついで20日にも4隻が物資を揚陸した。
だが21日に出撃した4隻は空襲を受けて2/3しか物資が揚陸できなかった。
更に24日に出撃した4隻が空襲によって2隻損傷し退避せざるをえなくなった。
そして10月1日、久々に4隻が出撃し青葉支隊司令部(80名及び物資)がガ島)へ上陸した。
だが同日、日本陸軍はとんでもない人事をしでかしたのである。           (続く)

[2676] Re:[2673] ガ島補給戦12 投稿者:うらマッハ 投稿日:2012/03/29(Thu) 23:32
> 重砲や牽引車を大発へ移載するには強力なクレーンが必要なのである。
> この為、水上機母艦の日進や千歳が投入される事になった。

なんで水上機母艦なんだろ?って内心疑問でした。なるほどクレーンが必要だったんですね!

> ガダルカナル戦記によれば野戦重砲兵第4連隊本部がラバウルに到着した際、第17軍司令部から弾薬は充分に集積しているので大いに射撃する様に申し渡されたのだが野戦重砲兵第4連隊本部が調査した所、全て4年式15榴用であり11日のガ島上陸時、96式15榴用の弾薬は僅か90発しかなかったらしい。

同じ15榴でも「コレジャナイ!!」って感じですね。

> 「日本砲兵史」の1001頁には「射程を延伸する為、装薬を規定より5割増で射撃し最大射程の18.2kmを遥かに超えて実に23kmの射撃をしたが砲架の折損、駐退復座器の故障にあい4門の部品を集めて1門として射撃するという苦心」をしたと記述されている。

1門でも撃たれる方は精神的に嫌だったかも。

> 不要な4年式15榴弾薬の代わりにこの糧食を揚陸していればと思うのは私だけではあるまい。

揚陸された物資を見て「コレジャナイ!!」ってガッカリしたでしょうね・・・

[2675] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/29(Thu) 20:50
>米軍の教育映画とかでも「日本兵は密林戦のエキスパートだ」的なものがあったと思いますが
新兵達がなめないように戒めて強調して言ってたのか、
本当に日本兵は密林で強いと評価してたのか?
>どうなんでしょうかね。
>密林でも米軍の火力に圧倒されてたイメージなんですが・・

時期によって異なるだろうね。
ガ島戦では終始、日本軍との密林戦を恐れ防御と砲兵戦で対処していたし。
ガ島戦で勝ってから「なんだ、日本軍ってこんなものか」って事になったんだろう。
それにしたって全米軍が一度に意識変革できる訳じゃない。
徐々に変わっていったんだろうね。

>悪いのは配送業者(海軍)でしょうか?発注者(陸軍)でしょうか?それとも両方?

ネズミ輸送の駆逐艦はショートランドで陸軍部隊を搭載してガ島へ向かうんだけどショートランドにはこの搭載指示をする為に2名の陸軍の参謀が派遣されていた。
山本筑朗少佐と家村英之介少佐だ。
この2人の責任は確かに凄く重い。
けれどこの2人にだってガ島の状況が全くわからなかったのだ。
通信が途絶し状況が不明のまま次々と誤判断を繰り返した事が最も大きな敗因(15榴の弾薬についてはそればかりでもないけど)だろうね。
海軍だって「糧食の揚陸が優先!」と指示されていればそれに従ったと思うよ。

[2674] Re:[2673] ガ島補給戦12 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/03/29(Thu) 10:03
> たった1門しかなく射程も短い4年式15榴の為に貴重な輸送力を無駄にして不要な弾薬を輸送したのは人災としか言いようがない。
> 不要な4年式15榴弾薬の代わりにこの糧食を揚陸していればと思うのは私だけではあるまい。

悪いのは配送業者(海軍)でしょうか?発注者(陸軍)でしょうか?それとも両方?         

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/


[2673] ガ島補給戦12 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/28(Wed) 21:10
山中峯太郎著「弓張嶺月下の夜襲」を読んだ事がおありだろうか?
未読の方は是非、御一読を。
血沸き肉踊る名作だ。
日露戦争時の遼陽会戦で日本の第2師団が夜襲で弓張嶺を奪取する話である。
以後、夜襲なら第2師団、第2師団なら夜襲と言う図式が定着した。
「弓張嶺月下の夜襲」は1931年3月が初出の小説だからその時点で10歳から15歳だった少年達は1942年のガダルカナル戦時に21歳から26歳。
ガダルカナルへ送られた2師団兵士の大部分は読んでいた事だろう。

だが第2師団がガ島へ投入された目的は夜襲ではなかった。
前述した様に川口支隊による総攻撃失敗によって派遣が決定されたのは第2師団や「怪しげな新兵器」ばかりではなく「重砲」も含まれていたのである。
そしてそれは既存のネズミ輸送以外の新たなる輸送手段を必要とした。
今回は「ガ島に於ける重砲の話」である。

第2師団の増援は兵力規模が大きくなっただけで基本的には川口支隊に比べ大きな変化はない。
駆逐艦の隻数を増加すればなんとか対応できる。
だがいくら駆逐艦があっても重砲は1門も運べない。
重砲や牽引車を大発へ移載するには強力なクレーンが必要なのである。
この為、水上機母艦の日進や千歳が投入される事になった。

ガ島へ投入された重砲部隊は最終的に96式15榴装備の野戦重砲兵第4連隊第1大隊(3個中隊)と連隊本部、4年式15榴装備の野戦重砲兵第21大隊第2中隊、92式10加装備の野戦重砲兵第7連隊第2中隊の合計5個中隊に及ぶ。
1個中隊4門なので総計20門の重砲をガ島へ送りその火力で米軍陣地を破砕、しかるのちに正攻法で飛行場を奪還するのが大本営及び第17軍の計画であった。
ちなみに20門のうち主力は射程11900mの96式15榴12門である。
4年式15榴4門は射程が8800mと短く大きな戦力とはならなかった。
また射程18200mの10加には特別任務が与えられていた。

なお、これらの重砲がガ島へ進出した日時については叢書各巻や亀井宏著「ガダルカナル戦記」で差異がある。
前述の様に重砲を輸送するには水上機母艦もしくは輸送船が必要だ。
水上機母艦がガ島輸送に従事したのは10月3日、8日、11日の3回で輸送船は15日の1回なのだが叢書77巻では3日に4門、11日に4門としており8日の輸送物品は高射砲6門、10榴2門としている。
ところがガダルカナル戦記では重砲第一陣の上陸が11日で野戦重砲兵4連隊本部と96式15榴4門(野重21大の4門も同日)、15日の輸送船団で96式15榴8門と10加4門が上陸となっている。
こうした差異はあれど基本的に15日までに重砲20門が送られた。

当たり前の話だが重砲が威力を発揮するには弾薬の事前集積が不可欠となる。
ガダルカナル戦記によれば野戦重砲兵第4連隊本部がラバウルに到着した際、第17軍司令部から弾薬は充分に集積しているので大いに射撃する様に申し渡されたのだが野戦重砲兵第4連隊本部が調査した所、全て4年式15榴用であり11日のガ島上陸時、96式15榴用の弾薬は僅か90発しかなかったらしい。
とりあえずそれで米軍陣地を射撃したのだがすぐさま反撃を受けて早くも13日に96式15榴1門が敵の砲撃で破壊された。
本来なら残った19門が撃ちまくり、米軍陣地を破砕するはずだった。
だが前述の如く手違いで主力となる96式15榴の弾薬が集積されておらず、更に船団輸送の失敗(詳細は後述)で大量の弾薬を喪失してしまった。

叢書28巻の125頁では総攻撃前の10月19日に於ける第17軍砲兵部隊(住吉支隊)の保有火砲数と弾薬備蓄を以下としている。
野砲7門(1370+624発)、山砲3門(150発)、10瑠4門(不明)、4年式15瑠4門(420発)、96式15瑠11門(709発)、10加3門(742発)。
すなわち野砲は1門につき284発、10加は247発撃てるが主力の96式15榴は僅か64発でとても撃ちまくるどころの話ではない。
更に叢書28巻の124頁によると10月20日に10加1門が被弾し使用不能となっている。

なお、前述した10加の特別任務は飛行場への直接射撃であった。
だが地図を広げ定規を当てて見れば判ると思うが揚陸地のタサファロングからヘンダーソン飛行場までは20km少々の距離がある。
そこでどうしたか?
「日本砲兵史」の1001頁には「射程を延伸する為、装薬を規定より5割増で射撃し最大射程の18.2kmを遥かに超えて実に23kmの射撃をしたが砲架の折損、駐退復座器の故障にあい4門の部品を集めて1門として射撃するという苦心」をしたと記述されている。

さて、上述の如く「撃ちまくるどころの話」ではなくなったので重砲による米軍陣地の破砕は中止となった。
よって正攻法で第2師団が飛行場を奪還する作戦もやむなく変更され前回と同じく密林を機動して夜襲による飛行場奪回(10月25日)となった。
その結果は敗北(詳細は後述)である。

ちなみに叢書28巻の226頁では総攻撃終了後の11月上旬に於けるガ島火砲数及び弾薬備蓄量を以下としている。
野砲8門(78発)、山砲8門(2000発)、10榴4門(不明)、96式15榴11門(45発)、4年式15榴1門(2003発)、10加2門(162発)、高射砲12門(750発)。
必要な弾薬が足らず不要な弾薬が有り余っている事が見てとれる。
4年式15榴の弾薬が減少するどころか逆に増えているのは10月19日以降の増援で送られてきた分であろう。
叢書83の344頁ではでは11月2日のネズミ輸送で15榴の弾薬560発輸送(ただし347頁で未揚陸32発)とあるがこれなどはおそらく全て4年式15榴の弾薬であったと思われる。

たった1門しかなく射程も短い4年式15榴の為に貴重な輸送力を無駄にして不要な弾薬を輸送したのは人災としか言いようがない。
なにしろ11月2日のネズミ輸送は波浪の為、全物資を揚陸できず850梱もの糧食(約28t)が未揚陸のまま帰途につかざるを得なかった。
不要な4年式15榴弾薬の代わりにこの糧食を揚陸していればと思うのは私だけではあるまい。          (続く)

[2672] ジャングルの王者 投稿者:多門丸 投稿日:2012/03/28(Wed) 18:41
待ちに待った発売発表ですね!

>密林戦のエキスパート
米軍の教育映画とかでも「日本兵は密林戦のエキスパートだ」的なものがあったと思いますが
新兵達がなめないように戒めて強調して言ってたのか、
本当に日本兵は密林で強いと評価してたのか?どうなんでしょうかね。
密林でも米軍の火力に圧倒されてたイメージなんですが・・

[2671] う〜ん 投稿者:ケンケン 投稿日:2012/03/28(Wed) 00:48
>>4月28日発売
う〜ん発売自体は喜ばしいことだが
その日か、、、
87AWもその頃だし厚木のサクラ祭りも当日だし
諸々の軍事系雑誌もその頃発売だし
「また」破産しそうな4月末

[2670] おくればせながら 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2012/03/27(Tue) 21:06
発売日決定おめでとうございます。
39年シナリオを早くやりたい気持ちでいっぱいです。
僕としては史実の開戦までに戦争を終わらせてみたいです。

[2669] Re:[2660] [2659] [2655] [2654] [2649] [2647] [2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:うらマッハ 投稿日:2012/03/27(Tue) 19:41
> ほとんどどころかガ島へ渡った火砲、車両で帰ってきたのは1門、1両もないよ。

生きてる人間を連れ帰るので手一杯だったんでしょうね。

> でもこれらの部隊が派遣されたマレーやフィリピン、蘭印は鉄道もある植民地で密林と言いながらも決して未開地ではなかった。

同じ密林でも未開かどうかで、人間に対する厳しさがまったく違いますよね。

> それなのに「我々は密林戦のエキスパートだ」と勝手に思い込んで・・・

いざ戦闘となると、お強かったのかも(?)
でも密林を切り開いたり、サバイバルしたりする技能はあんまり勘定に入れてなさそうです。
「我々は密林戦のエキスパートだ」って内外に宣伝するのは良い効果がありそうですけど、上層部の人とかも信じ込んでしまうのは有害ですよね。

[2668] Re:[2661] 太平洋戦記3 発売日決定のお知らせ 投稿者:いそしち 投稿日:2012/03/26(Mon) 17:30
連休はゲーム漬になりそうな予感です。
楽しみに待ってます。

[2667] きたー 投稿者:風神RED 投稿日:2012/03/26(Mon) 11:57
> 弊社新製品『太平洋戦記3 最終決戦』の発売日が2012年4月28日(土)に決定いたしました。

その一報を待ちわびてました!

[2666] 果報を寝て待っていました 投稿者:GEN3 投稿日:2012/03/25(Sun) 20:52
昨日から風邪をひいて寝込んでいました。
しばらくぶりにPCを立ち上げて、こちらのサイトを見ると・・・
「果報は寝て待て」というのは本当ですね!!

http://senki3.geikyu.com/


[2665] 最終決戦買ます。 投稿者:予備自衛官 投稿日:2012/03/25(Sun) 16:47
お幾らでしょうか?

[2664] Re:[2661] 太平洋戦記3 発売日決定のお知らせ 投稿者:老兵 投稿日:2012/03/25(Sun) 15:40
> 弊社新製品『太平洋戦記3 最終決戦』の発売日が2012年4月28日(土)に決定いたしました。

朗報ありがとうございます。
ネット予約いつからでしょう?
発売日より先に届くとか特典あるといいな。
GWの予定を変更しないといけないですね。

[2663] 待っていました。 投稿者:koki2600 投稿日:2012/03/25(Sun) 12:48
連休前なのが、嬉しいです。

[2662] Re:[2661] 太平洋戦記3 発売日決定のお知らせ 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/03/25(Sun) 12:38
> 弊社新製品『太平洋戦記3 最終決戦』の発売日が2012年4月28日(土)に決定いたしました。

おお〜っ!待ちわびておりましたが、とうとう決定しましたか!

> なお「太平洋戦記3コーナー」のゲームスペックを更新しましたのでご覧下さい。

7の64bitは動作保証外なのかな?
それでもたぶん購入すると思いますが

> ゲーム概要につきましては近日中にアップする予定です。

[2661] 太平洋戦記3 発売日決定のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2012/03/25(Sun) 11:36
弊社新製品『太平洋戦記3 最終決戦』の発売日が2012年4月28日(土)に決定いたしました。

なお「太平洋戦記3コーナー」のゲームスペックを更新しましたのでご覧下さい。
ゲーム概要につきましては近日中にアップする予定です。

[2660] Re:[2659] [2655] [2654] [2649] [2647] [2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/24(Sat) 17:16
> 結構持っていってたんですね。ほとんど持って帰れなかったでしょうけど。

ほとんどどころかガ島へ渡った火砲、車両で帰ってきたのは1門、1両もないよ。

> 雪中行軍の訓練はしていても、ジャングルを行軍する訓練なんかしてないですよね、日本にジャングル無いし。

いや、開戦前には海南島で密林での機動演習したり近衛師団が仏印で密林戦の訓練したり色々、やってはいたんだよ。
でもこれらの部隊が派遣されたマレーやフィリピン、蘭印は鉄道もある植民地で密林と言いながらも決して未開地ではなかった。
それなのに「我々は密林戦のエキスパートだ」と勝手に思い込んで・・・
マレーやフィリピン、蘭印での常識はソロモンやニューギニアでは一切、通じなかったのだ。

> トラックも道が無いのであんまり活躍できなかったんでしょうね。

道と燃料とトラックと人と糧食と全て揃わなければ用を成さないからね。

> 日本の陸軍が南半球の島で米軍と戦うなんて、想像もしないでしょうね。

まあ北半球のフィリピン攻略はずっと考えていたろうし蘭印攻略は1940年夏の西方電撃戦以降は考えていたろうけど、植民地とも言えないような未開地に兵を進める事は考えていなかったろうな。

[2659] Re:[2655] [2654] [2649] [2647] [2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:うらマッハ 投稿日:2012/03/24(Sat) 15:34
> 分解不可能な砲身は約100kg(連隊砲の場合)になる。

重いっすね・・・。ジャングルの中を運んで行軍するのは無理っぽいです。

> 陸軍がガ島で失ったトラックは130両(叢書28の571頁記載)だそうだ。

結構持っていってたんですね。ほとんど持って帰れなかったでしょうけど。

> なんと驚くべき事にガ島の日本海軍設営隊はレーダーまで持っていたのだ。

海軍さんは意欲的にガ島に飛行場を設営したかったんでしょうね。

> 「ガダルカナルには道路が無いと言う事」と「密林で迷子になる事の恐ろしさ」を日本陸軍が知らなかったのは敗因の中でも重要なファクターだよ。

雪中行軍の訓練はしていても、ジャングルを行軍する訓練なんかしてないですよね、日本にジャングル無いし。
トラックも道が無いのであんまり活躍できなかったんでしょうね。

> まあ「南方で戦う事など当初から想定外」ではあるのだが。

日本の陸軍が南半球の島で米軍と戦うなんて、想像もしないでしょうね。

[2658] Re:[2655] [2654] [2649] [2647] [2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/03/24(Sat) 13:52
> 「ガダルカナルには道路が無いと言う事」と「密林で迷子になる事の恐ろしさ」を日本陸軍が知らなかったのは敗因の中でも重要なファクターだよ。

今でも低山にハイキングやキノコ取りに来て、道迷い遭難の末、疲労死する例がありますものね。
ましてやまともな地図もありませんし、GPSもない(笑)
餓死とされる中には熱疲労死も相当あったのではないでしょうか。

[2657] Re:[2656] [2653] [2651] [2648] [2646] [2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/24(Sat) 10:01
> 「3」で登場する陸軍戦闘「船」はあるのでしょうか?

ないよ(笑)
175tの強力曳船や90tの木製護衛艇をデータ化したってね・・・
2等輸送艦に相当するSS艇やハ101型(ゲーム中では小型輸送潜)に相当する陸軍輸送潜水艦、海軍の「しまね丸型タンカー空母」(ゲーム中では中速商船空母)に相当する陸軍の山汐丸型タンカー空母(ゲーム中では低速商船空母)、それにLSDに相当する神州丸、強襲揚陸艦の「あきつ丸」や熊野丸がでるんだからこれ以上、陸軍の船を増やしたってしょうがないよ。
それにもう100t未満になると「船」ってより「舟」って感じだ。

[2656] Re:[2653] [2651] [2648] [2646] [2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/03/24(Sat) 09:10
> 海軍ではないの「艦」ではなく「船」だね(笑)
> まあ、艦ってほど大きくはないけど。
> 強力曳船やら護衛艇やら色々あるみたいだよ。

「3」で登場する陸軍戦闘「船」はあるのでしょうか?

[2655] Re:[2654] [2649] [2647] [2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/24(Sat) 08:31
> その気になったら人力でも戦場に持っていけるわけですね。すごく重そうですが。

重いよ。
分解するたって限度があるからね。
分解不可能な砲身は約100kg(連隊砲の場合)になる。

> どうせならトラックとかブルドーザーもあったら、少しは人間の腹の減り方が軽減されたでしょうに。

トラックはあったよ。
陸軍がガ島で失ったトラックは130両(叢書28の571頁記載)だそうだ。
それと海軍の設営隊も随分、トラックを送っており亀井宏著「ガダルカナル戦記」の44頁によると米軍が飛行場を占領した時、使用可能な状態で35両も鹵獲されたらしい。
なんと驚くべき事にガ島の日本海軍設営隊はレーダーまで持っていたのだ。
当時の日本軍としちゃかなりの装備優良部隊だよ。

> いっそのこと牽引車に台車でも繋いで、海岸に揚陸した物資を運んだりしたらラクできるかな・・・?

燃料が潤沢に供給され道路が整備されていればね・・・
「ガダルカナルには道路が無いと言う事」と「密林で迷子になる事の恐ろしさ」を日本陸軍が知らなかったのは敗因の中でも重要なファクターだよ。
まあ「南方で戦う事など当初から想定外」ではあるのだが。

[2654] Re:[2649] [2647] [2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:うらマッハ 投稿日:2012/03/23(Fri) 20:13
> 山砲、連隊砲、大隊砲、速射砲はね。
> 分解できるし。

その気になったら人力でも戦場に持っていけるわけですね。すごく重そうですが。

> でも重砲はそうもいかないよ。
> だから牽引車をもってる。

食料が無くとも動く車両は頼りになりそうです。
どうせならトラックとかブルドーザーもあったら、少しは人間の腹の減り方が軽減されたでしょうに。
いっそのこと牽引車に台車でも繋いで、海岸に揚陸した物資を運んだりしたらラクできるかな・・・?

[2653] Re:[2651] [2648] [2646] [2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/23(Fri) 18:45
> 戦闘艦も持ってたんですか?

海軍ではないの「艦」ではなく「船」だね(笑)
まあ、艦ってほど大きくはないけど。
強力曳船やら護衛艇やら色々あるみたいだよ。

> 一桁順位と言っても良いほどだったんですか?

1位から5位は言わずと知れた英米日仏伊が占めるだろう。
ついで独ソ、更には南米ABC三国が続くからこれで10強。
まあ一桁は無理だね。
他にも10代でスペイン、オランダ、北欧諸国なんかが控えているよ。

[2652] Re:[2650] 服部戦史 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/03/22(Thu) 17:32
> でも「それまで延々と続いて来たガ島の飢餓の責任」についての記述はなく最終的なガ島戦の敗因については「約半年に渡る陸海軍懸命の奪回努力も遂に力ずくで押し返されここに戦略的撤退を余儀なくされた」と結んでいる。

「ベストは尽くしたものの、最後は運に見放されたから負けた」と総括したようにも読めますね。
勝てないギャンブラーの言い訳みたいですね。

[2651] Re:[2648] [2646] [2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/03/22(Thu) 17:21
> もちろんさ。

そういえば輸送潜とか持ってましたっけ。
「あきつ丸」も実質的には空母と呼んで差し支えないほどでしたっけ。
戦闘艦も持ってたんですか?

> 日本陸軍の艦船保有量は世界で何位になるんだろうね。

一桁順位と言っても良いほどだったんですか?

[2650] 服部戦史 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/22(Thu) 17:16
服部卓四郎著「大東亜戦争全史」と言う本がある。
世に名高い「服部戦史」だ。
この本の中で服部大佐がガ島戦の敗因と飢餓についてどう考えているかちょっと覗いてみよう。

まず一木支隊の攻撃だが敗因を「敵の強力な反撃」としている。
川口支隊の攻撃が失敗した理由は「地形の不案内」と「攻撃準備の不十分」から始まり「敵の地上反撃と砲爆撃は猛烈を極め川口支隊は損害続出し部隊の掌握さえ困難となった」と続く。
そして川口支隊の退却で初めて「飢餓」と言う単語が出てくる。
その後、記述は第2師団の輸送、展開、進撃に移り総攻撃となるのだが・・・

なんと服部戦史ではこの敗因を「雨」としているのだ。
「将兵が最初に遭遇した敵はハイゼンたる豪雨であった。夜のジャングルはまったく行動不可能となり諸隊の出足は阻まれた。第一線両翼隊は雨のやむを待って午後9時15分乃至午後10時30分の間、その一部をもって敵陣に突入した。待ちに待たれた突撃であったがその結果は不成功であった。」
そしてこの辺では「苦戦に疲れ果てた将兵」と言った記述はあっても「飢餓」という文字は見当たらずどちらかと言えば弾薬不足の記述が多い。

ところが11月15日の大本営指示の記述から一転して「ガ島転じて餓島となる」と変わり「長期にわたる補給不足は殆ど全員の体力を消耗していた。」となる。
まあ服部大佐なりに「帰還して報告した11月12日以前と以降では大本営の認識が大きく変化した」と言いたいんだろうね。
でも「それまで延々と続いて来たガ島の飢餓の責任」についての記述はなく最終的なガ島戦の敗因については「約半年に渡る陸海軍懸命の奪回努力も遂に力ずくで押し返されここに戦略的撤退を余儀なくされた」と結んでいる。
やれやれ・・・

[2649] Re:[2647] [2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/22(Thu) 15:51
> そういや火砲を轢くのも人力だったのでしょうか。

山砲、連隊砲、大隊砲、速射砲はね。
分解できるし。
でも重砲はそうもいかないよ。
だから牽引車をもってる。
叢書83の226頁によると10月1日から20日までの間に輸送された牽引車は12両(船団輸送を含まず)だ。
詳細については178頁で3日に日進が7両、182頁で8日に日進が1両、188頁で11日に日進と千歳が4両、アリ輸送が1両としており合計すると1両多い。
叢書77の290頁では3日に日進が3両、8日に日進が1両、8日に日進が2両、11日に日進と千歳が4両としている。
船団輸送で上陸した10加中隊も当然、牽引車を保有しているし結構あるよ。
叢書28の付表では11月20日時点の保有量が野重4連隊が13両、10加中隊が10両(ただし2両は使用不能)となっている。

[2648] Re:[2646] [2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/22(Thu) 14:34
> 官僚は「前例にないことはやりたがらない」そうですから、仮にトップが号令かけたとしても「右に倣え」とは行かなかったでしょうね。

海軍の中堅将校は陸軍と違って品は良いからトップが決めた事なら従うと思うよ。
ただしトップ間の調整が大変で簡単には行かないだろうな。
一系化問題を解決するだけで一苦労だ。

> 曳航式大型運貨筒が初めて使われたのはどこの戦線ですか?

アッツへの救援だよ。
でも到着前に陥落しちゃったんで中止になっちゃった。

> なぜ、そうしなかったのでしょう?駆逐艦や潜水艦で事足れりと思ったのでしょうか。

いや、駆逐艦や潜水艦じゃ重砲は運べないから「事足れり」とは思っちゃいないよ。
(潜水艦で重砲を運ぶために運砲筒なんてのを開発したりしたが)
日進は43年7月に沈むまで頻繁に重火器輸送で活躍した。
千歳や千代田も使われたんだけど早々に内地へ帰還せざるを得なかった。
なぜかって?
勿論、空母に改装するためさ。
神州丸がいれば良いんだけど蘭印で味方の魚雷が当たって壊れたまんまだしね。
「あきつ丸」は既に竣工はしていたんだけど、どこでどうしていたのやら。
哨戒艇?
開戦時には12隻あったね。
でも2隻は大発を搭載できなかったしウェークで2隻、バリクパパンで1隻が沈みガ島へ米軍が上陸した時には7隻になっていた。
この7隻はすぐに投入されたんだよ。
4隻はガ島輸送、3隻はニューギニアのラビ輸送でね。
でも9月2日に哨35、1月12日には哨1、3月6日には哨34が戦没しガダルカナル戦が終わる4月には残存4隻に減っちゃった。
哨戒艇はえらく約に立ちそうなんだけどソロモン戦では主に中部ソロモンで多く使われており不明な点が多々あるんだ。
そうそう、12月27日には哨戒艇2号に糧食85tを搭載してガ島に強行揚陸する作戦が発令されてるよ。
でも潜水艦輸送がそれなりに効果を上げたので中止になったけどね。

> 陸軍は陸軍で自前の艦隊を持とうと画策していたりして。

もちろんさ。
日本陸軍の艦船保有量は世界で何位になるんだろうね。

> 他にも小説等の記述を鵜呑みにして作戦計画に取り入れてしまった例はあるのでしょうか?

小説ってよりは概念もしくは一般論ってかんじかな。
アジア諸国に対する民族差別意識とか・・・
「米国人は拝金主義者」とか・・・
「絹の靴下が手に入らなくなると米国婦人はギャーギャー言って和平に応ずるぞ」とか・・・
「米国人は3Kを嫌うから潜水艦に乗りたがらないぞ」とか・・・
まあ、陸軍は中国大陸や満洲での戦いを前提にしていたから、それ以外の世界はよく知らないのだ。
よく知らない事は風説に惑わされる。
しょうがないよ。

[2647] Re:[2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:うらマッハ 投稿日:2012/03/22(Thu) 14:18
> 重火器の揚陸については「いかに大発を使うか?」がネックとなる訳で日進や千歳、哨戒艇や「あきつ丸」などの集中使用でそれなりに可能だろう。

強襲揚陸艦チックな「あきつ丸」なんか得意そうな任務ですよね。

> 第17軍百武中将が[人員をやめ糧食及び飛行場制圧用弾薬のみ急送すべし」と命じて

そういや火砲を轢くのも人力だったのでしょうか。

> 大本営は「糧食不足なんて言ってるけど、きっと嘘ついてるんだよ。ホントはあるけど大げさに言ってるんだよ」と思ってたんだろうね。

あって当たり前のものを「不足」って言われてもピンとこないですよね。最近だと電力とか・・・

> 奪回し米軍が備蓄(ルーズベルと給与と呼称していた)していた糧食を入手することをあてにしていたらしい。

ニューヨークとかに住んでるブルジョワな方々が相手だったら上手く行きそうな気はしますね。
重火器で武装したカウボーイやインディアンが相手だったら無理そうですが(笑)

> 南方と言ったって色々あり「どこもかしこも米どころ」って状況じゃないのに・・・・

地理のお勉強は大切なんですね・・・

[2646] Re:[2645] [2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/03/22(Thu) 13:12
> ありもしない艦隊決戦に備えて駆逐艦を温存するのをやめ、「砂上の楼閣の様な第1航空艦隊」を練成する為に搭乗員を確保するのをやめればなんとかなったんじゃないかと思うよ。

とはいえ、海軍といえども突き詰めれば官僚組織。
官僚は「前例にないことはやりたがらない」そうですから、仮にトップが号令かけたとしても「右に倣え」とは行かなかったでしょうね。

> 糧食については曳航式大型運貨筒が半年早く完成していたら状況は格段に変わっていたかも知れないな。

曳航式大型運貨筒が初めて使われたのはどこの戦線ですか?

> 重火器の揚陸については「いかに大発を使うか?」がネックとなる訳で日進や千歳、哨戒艇や「あきつ丸」などの集中使用でそれなりに可能だろう。

なぜ、そうしなかったのでしょう?駆逐艦や潜水艦で事足れりと思ったのでしょうか。

> まあ、なんにせよ「陸海統合司令部の設立」が先でそれができないなら「いっそ海軍陸戦隊を強化して陸軍は一切、南東方面からは手をひいちゃえば?」となるのである。

陸軍は陸軍で自前の艦隊を持とうと画策していたりして。

> その理由は「南洋の島々にはバナナはパイナップル、マンゴーなどがたわわに実っていておなかが減ることは無いだろう」と考えていたからなのである。
> そりゃロビンソンクルソーや冒険ダン吉を読めばね・・・
> そう思うわ・・・
> でもロビンソンクルソーは旅団単位、師団単位で漂着した訳じゃない。
> そこの所の認識の甘さが大きな影響を与えた様だ。

確かに多少果物類が自生していたところで、千人からの腹を満たすほどはありませんよね。
冒険小説を参考にしてしまうとは恐るべし。

他にも小説等の記述を鵜呑みにして作戦計画に取り入れてしまった例はあるのでしょうか?

[2645] Re:[2644] [2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/22(Thu) 11:43
> プライオリティを考慮しないという状況はガ島戦後は多少なりとも改善されたのでしょうか?

多少は改善されたろう。
技術的な面に於いてはね。
でも組織の体質は変わっていないので・・・
まあ、おいおい話す事にしよう。

> でも作戦の主目的はそこに行き着くわけで。

どっちかって言うと海軍の問題じゃない?
そこまでグローバルになると。
ありもしない艦隊決戦に備えて駆逐艦を温存するのをやめ、「砂上の楼閣の様な第1航空艦隊」を練成する為に搭乗員を確保するのをやめればなんとかなったんじゃないかと思うよ。
糧食については曳航式大型運貨筒が半年早く完成していたら状況は格段に変わっていたかも知れないな。
重火器の揚陸については「いかに大発を使うか?」がネックとなる訳で日進や千歳、哨戒艇や「あきつ丸」などの集中使用でそれなりに可能だろう。
まあ、なんにせよ「陸海統合司令部の設立」が先でそれができないなら「いっそ海軍陸戦隊を強化して陸軍は一切、南東方面からは手をひいちゃえば?」となるのである。

> にもかかわらず糧食送らずに人員のみ送り込むとは、上級司令部は血迷っていたようにしか見えませんね。

血迷っていると言うより無知(詳細は後述)なのだ。

>「多少の空腹は精神力でなんとかしろ」ぐらいの考えだったのでしょうか?

どうもそうらしい。
11月3日朝、大本営陸軍部作戦課長服部卓四郎大佐が現地視察の為、ガダルカナル島903高地にある第17軍戦闘司令部に到着した。
亀井宏著「ガダルカナル戦記」763頁で第17軍の高級参謀であった小沼治夫大佐が以下の如く語っている。
「朝御飯だしたらね、もっと何か他にでるんだろうというふうに辺りを見回すようにするんですよ。(中略)1回の食事がそれだけだと判ったら服部君は「毎日こんな調子ですか?」ってたまげちゃってね。こっちはこの調子も何も御飯なんか一週間見ない時だってあるんだ。これだって良いほうなんだって言いましたがね。それで、まあこれはなるほどひどいもんだと言う事が大本営に伝わった訳ですね。」
なんと、連合艦隊は10月10日の時点で「ガ島の飢餓」を知ったが大本営陸軍部が知ったのは11月2日以降(多分、服部大佐が着任報告した12日)なのである。
これじゃ糧食を送らずドシドシと兵員ばかり送る訳だ。
第17軍百武中将が[人員をやめ糧食及び飛行場制圧用弾薬のみ急送すべし」と命じて以降も10月10日には293名、11日には1075名、15日には第1次船団、17日には2159名とガ島の人口は増大の一途をたどっていたのだ。

>でも「飢餓」は空腹と違って、全く動けなくなるというのに。

大本営は「糧食不足なんて言ってるけど、きっと嘘ついてるんだよ。ホントはあるけど大げさに言ってるんだよ」と思ってたんだろうね。

> それとも・・飢餓で動けなくなった兵のことはとりあえず棚上げしておいて、まずは飛行場の奪回が先、とでも考えたのでしょうか?

奪回し米軍が備蓄(ルーズベルと給与と呼称していた)していた糧食を入手することをあてにしていたらしい。
まさに「とらぬ狸のなんとやら」だ。
それと大本営陸軍部が「無知」でった背景には二つの要因がある。
ひとつは第1段作戦終了後、フィリピンを占領した第14軍が「糧食の自活につきては目途立ちたり」と報告し杉山参謀総長が1942年6月に「糧秣の大部は現地に求めることができた。将来も自活の諸施策の強化により特殊なものを除きほとんど追送を要しない。」と上奏し「既に48万tの米が内地に還送すみ」と付言しているのだ。
つまり「南方には糧食があり余っている」との認識が強くあった訳だ。
南方と言ったって色々あり「どこもかしこも米どころ」って状況じゃないのに・・・・
それこそガダルカナルやニューギニアは「特殊なもの」なのに・・・
もうひとつ。
ガダルカナルやニューギニアが「米どころ」じゃない事はちょっと無知な方々の中でも判っている人がいた。
それなのになぜ楽観視したのか?
その理由は「南洋の島々にはバナナはパイナップル、マンゴーなどがたわわに実っていておなかが減ることは無いだろう」と考えていたからなのである。
そりゃロビンソンクルソーや冒険ダン吉を読めばね・・・
そう思うわ・・・
でもロビンソンクルソーは旅団単位、師団単位で漂着した訳じゃない。
そこの所の認識の甘さが大きな影響を与えた様だ。

[2644] Re:[2643] [2642] [2641] 訂正 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/03/22(Thu) 00:08
> それなのに食料を送らなかったのが問題なのだ。
> 揚陸の優先順位をまったく考慮していないとしか思えない。

プライオリティを考慮しないという状況はガ島戦後は多少なりとも改善されたのでしょうか?

> ひょっとして「なんとか」ってのは飛行場奪回の事?
> だとしたら糧食だけじゃ「なんとか」は無理だろう。

でも作戦の主目的はそこに行き着くわけで。

> でも撤退するにしてもとりあえず糧食は送らなくちゃね。
> でなきゃ餓死してしまう。

にもかかわらず糧食送らずに人員のみ送り込むとは、上級司令部は血迷っていたようにしか見えませんね。「多少の空腹は精神力でなんとかしろ」ぐらいの考えだったのでしょうか?でも「飢餓」は空腹と違って、全く動けなくなるというのに。
それとも・・飢餓で動けなくなった兵のことはとりあえず棚上げしておいて、まずは飛行場の奪回が先、とでも考えたのでしょうか?

[2643] Re:[2642] [2641] 訂正 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/21(Wed) 08:30
> 飢餓状態では戦闘どころではないと思うのですが、それでも食料を輸送すればなんとかなると考えたのでしょうか?

と言うか、食料送って「なんとか」しなくちゃならないでしょ。
それなのに食料を送らなかったのが問題なのだ。
飢餓を解決する手段はふたつ。
「食べる人間を減らす事」と「食料を送る事」である。
前者を行うには負傷者、患者を戦場から後送する事が必要であり究極的には全部隊の後送(つまり撤退)が考えられる。
一番やってはいけない事は「食べる人間を増やす事」と「食料を送らない事」だ。
駆逐艦の数は少ない。
輸送力は限られる。
その少ない輸送力で何を運ぶか?
ここが問題だ。
最善は糧食である。
これを送ればみんな餓死せずにすむからね。
次は弾薬。
すくなくとも弾薬は飯を食わない。
最悪は人間だ。
飢餓状況がもっと悪化する。
そして日本軍は最悪の手段をとったのである。
叢書28の76頁によれば第17軍司令官は[人員をやめ糧食及び飛行場制圧用弾薬のみ急送すべし」と命じている。
だがこの指令は実行されなかった。
ショートランドからは続々と「人員は多く糧食は少ない配分」で輸送が続けられた。
凄まじいのは11月2日に軽巡1、駆逐艦11がタサファロンガに揚陸した時で搭載予定(叢書83の344頁)が兵員240名、糧食800梱、10榴弾400、15榴弾560、燃料448本なのに叢書83の347頁によると兵員30名、糧食850梱包(なぜか増えているが搭載時に若干、変動したのだろう)、15榴弾32、燃料13本を未揚陸のまま帰途についた。
揚陸の優先順位をまったく考慮していないとしか思えない。
これでは飢餓が拡大する訳だ。

ひょっとして「なんとか」ってのは飛行場奪回の事?
だとしたら糧食だけじゃ「なんとか」は無理だろう。
でも撤退するにしてもとりあえず糧食は送らなくちゃね。
でなきゃ餓死してしまう。

[2642] Re:[2641] 訂正 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/03/20(Tue) 21:44
> つまり飢餓の発生を知ったのは「米軍上陸から3ヵ月後」ではなく「2ヵ月後」って事になる。
> なお、発言[2638]で書いた「陸軍の実情が判明」ってのは飢餓の事ではなく「戦況が極端に悪化している」って事らしい。

飢餓状態では戦闘どころではないと思うのですが、それでも食料を輸送すればなんとかなると考えたのでしょうか?

[2641] 訂正 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/20(Tue) 21:33
発言[2638]で海軍はガ島の飢餓を知ったのは大前参謀が報告した11月8日と書いたが叢書28の75ページによると飢餓の発生を陸軍が知ったのが10月9日の第17軍司令部ガ島進出時であり、海軍にもすぐに知らされた。
連合艦隊の宇垣参謀長は10月10日の戦藻録に「川口支隊の餓死に瀕しつつある」と記述している。
つまり飢餓の発生を知ったのは「米軍上陸から3ヵ月後」ではなく「2ヵ月後」って事になる。
なお、発言[2638]で書いた「陸軍の実情が判明」ってのは飢餓の事ではなく「戦況が極端に悪化している」って事らしい。

[2640] ガ島補給戦11 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/14(Wed) 19:42
川口少将は「糧は敵による」と胸算する楽観派であったが全ての日本軍指揮官がそうであった訳ではない。
当然、第17軍参謀長二見少将の様に「充分な兵力なくして勝機はあり得ない」と考える慎重派もいた。
よって二見少将は予備兵力である青葉支隊のうち第2大隊を9月4日のネズミ輸送でガ島に送って総攻撃に参加させると共に第3大隊を待機させた。
叢書14の437頁によると二見少将は川口少将に「現兵力ニテ充分ナリヤ?」とする質問と増援を送る用意がある旨の電信を送ったが9月6日、川口少将は「現兵力ニテ任務完遂ノ確信アリ」と返電した。
それでも総攻撃には間に合わなくとも11日に第3大隊はガ島に送られた。
そして15日早朝、川口少将から総攻撃中止の敗報が届いた。
かくして急遽、15日夜には青葉支隊第1大隊までもガ島に上陸した。

ここで青葉支隊について説明しておかなくてはなるまい。
日本陸軍の支隊には一木支隊、川口支隊、南海支隊、青葉支隊などがあるがその名称は前者ふたつが指揮官名に由来しており後者ふたつは地域名に由来している。
青葉支隊とは第2師団(師団司令部が仙台の青葉城)に所属する部隊で編成された支隊なのである。
第2師団は開戦時、内地にあったが第1段作戦では第16軍に属し蘭印攻略に従事した。
その後、FS作戦に際してポートモレスビー攻略担当部隊が必要となった為、第2師団の所属部隊で青葉支隊が編成された。

支隊長は第2歩兵団長那須弓雄少将、兵力は歩兵4連隊を基幹に捜索2連隊の軽装甲車1個中隊、野砲2連隊第1大隊、工兵2連隊第1中隊及び兵站部隊である。
既に5月中旬から青葉支隊は南東方面を統括する第17軍に属してフィリピン南部で待機していたのだがミッドウェーの敗北によるFS作戦の延期(中止)、陸路によるポートモレスビー攻略の開始及び南海支隊の投入、ガダルカナルへの米軍上陸と事態は目まぐるしく変転し青葉支隊は幾度も運用方針が変更された。
更に南東方面の事態急迫に伴い大本営陸軍部は8月29日、歩兵16連隊、歩兵29連隊など第2師団全部隊の第17軍編入を決定(作戦緊急措置案)した。
ただしこの時点では第2師団をガ島へ送る意図はなくニューギニアへ投入する予定であった。
だが9月15日に届いた川口少将の敗報が第2師団の運命を大きく変えた。

さて、15日の敗報は大本営をも大きく揺さぶった。
17日、杉山参謀総長は拝謁し「第17軍方面の今後の作戦指導の方策並びに大本営として採るべき処置」を上奏(叢書14の525頁)した。
この中に「青葉支隊の残部、第2師団主力及び戦車中隊、重砲中隊並びに大本営より先般、増加せる自動砲10、重擲弾筒30、火炎放射器10、その他の各種の兵器、資材を増加し陸海軍兵力の戦力を統合発揮し一挙に飛行場を奪回するの腹案を有しその攻撃時期は10月になると存す」とある。
これによって次の総攻撃の大略が決定した。
なにしろ奏上してしまったんだから取り下げる訳にはいかない。
なおこの奏上にはラビ作戦及びポートモレスビー作戦の為に第38師団を第17軍へ編入する事も含まれていた。

それにしても・・・
第2師団はともかく対戦車ライフル(自動砲ってのは20mm対戦車ライフルの事なのだ)10丁や重擲弾筒30(擲弾筒ってのは1個擲弾筒分隊が3門で編成され1個歩兵小隊に1個擲弾筒分隊が配属されるから10個歩兵小隊すなわち1個歩兵大隊の分しかない)や火炎放射器10台でなんとかなると思ってたんだろうか?
ちなみに叢書14の419頁では作戦緊急措置案の一環として送った兵器としてタテ器100及びタ弾700、防電具50、破壊筒25、火炎放射器10、自動砲20、重擲弾筒100、小迫撃砲30、97式曲射歩兵砲10、軽迫撃砲10、高射機関銃10、山砲用徹甲弾2000、火炎瓶1500、軽防楯300と記述している。

これには「えっ、1942年7月に発射試験を実施したタテ器を量産して現地まで送り届けるなんて時間的に無理なのでは?」とか「楯って何?」とか「火炎瓶って・・・そりゃないでしょ!」とかツッコミ所満載なのだがとりあえず火炎放射器の数は変化ないだけで半月の間に自動砲が半分、重擲弾筒は1/3になっちゃってる。
どうしてなんだろう?
それと・・・
火炎瓶や楯を上奏しなかったのはやはり陛下から「なぜ、そんなモノ送るの?」と御下問されるのを避ける為だったのだろうか?     (続く)

[2639] ガ島補給戦10 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/14(Wed) 08:12
そもそも一木支隊第2梯団の到着が遅れた原因は8月20日に米空母機動部隊が出現し決戦の危機が高まったからである。
そして24日、日米空母機動部隊は第2次ソロモン海戦で干戈を交えた。
結果は引き分けで双方とも空母機動部隊を後方へ下げた。

そこで一木支隊第2梯団を乗せた船団(3隻)は再びガ島へ進路を向けたのだが既述(ガ島補給戦7)の様に25日にヘンダーソン基地から発進したSBDによる空襲を受け金龍丸が沈没、作戦は中止された。
更に一木支隊第2梯団だけでガ島を奪回するのは到底無理なのでパラオにあった約5000名(叢書83の4頁)の川口支隊もガ島へ投入される事になった。
川口支隊の兵力を叢書28の571頁では3545名としており叢書14の386頁では「定員を1000名も越す大編成」と記述している。

一木支隊の兵力でも言える事だが戦史叢書も執筆者によって記述がまちまちなので1巻だけ読んで「戦史叢書にはこう書いてある」と金科玉条の如く盲信ぜず各巻を読み、戦史叢書以外の書籍も読み、なおかつ「全資料が間違いの可能性」も否定せずに熟考せねば実相は見えてこない。

さて、船団輸送を封ぜられた一木及び川口支隊を輸送する為に始められたのがネズミ輸送である。
当初、立案されたネズミ輸送は第1次が8月28日で実施部隊は第20及び第24駆逐隊が主力、第2次が29日で第11駆逐隊、第3次ならびに第5次は第1次とほぼ同一、第4次は第2次とほぼ同一で9月1日までに約4700名を輸送する予定であった。
だが大いなる期待をもって敢行された第1次ネズミ輸送は第20駆逐隊が空襲を受け駆逐艦1隻が沈没し2隻が損傷、中止のやむ無きに至った。
ここで第17軍司令部にガ島撤退論議が巻き起こるのである。

だが取り合えず第1次で引き返した第24駆逐隊と第11駆逐隊による第2次ネズミ輸送が29日に実施され約750名(叢書83の28頁、叢書77の205ページでは1390名及び速射砲4門、糧食9100日分としている)が上陸に成功した。
これによってガ島撤退論は鳴りをひそめ以降、9月7日まで間に約4500名(叢書77の206頁)がネズミ輸送によってガ島へ輸送された。
叢書14の405頁では9月7日までの輸送人員を「ガ島作戦開始以来」からの合計で9月7日まで陸軍約5400名、海軍約200名としているが、これは一木支隊第1梯団の900名を含んだ数値であろう。
また同書では輸送された兵器、物資を高射砲2門、野砲4門、連隊砲6門、速射砲14門、糧秣2週間分としている。
9月7日で2週間という事は9月21日までに勝負を決せねばならない。

一方、川口支隊のうち約1000名は大発のアリ輸送でガ島に向かったが首尾よく到着したのは150名だけで850名が落伍してしまった。
この収容に駆逐艦が派遣されたが叢雲が240名救出したとかサボ島及びセントジョージ島に450名漂着したとか各戦史叢書に断片的な記述はあるが全体像は杳として知れない。

さて、こうして集結した川口支隊は飛行場奪還を目指す総攻撃の準備を進めた。
決行日は当初11日の予定だったが8日に米軍がタイボ岬に上陸しスケジュールは大幅に狂った。
なお叢書14の474頁によると「タイボ岬付近出発時、将兵各人が1、2日分の糧秣を携行していたに過ぎず元来9月13、14日以降は「糧は敵による」と胸算していた」とある。

川口支隊は密林を踏破して米軍陣地に接近せねばならない為、極力装備を軽くして進撃したのであるがこれが大きく裏目にでた。
13日の夜襲に失敗した川口少将は総攻撃の中止を決定、「糧は敵による」どころか糧食の無いまま悲惨な退却戦を繰り広げる事になった。
504頁ではに川口少将の回想録からの引用として「糧食は概ね9月13、4日に食い尽くし一粒の米もなく全員絶食の状態で5、6日行軍した。」と記述している。
また481頁では敗北に終わった要因を17軍司令部の見解として「タイボに上陸した敵の為、一部の糧秣等を押さえられ且つ攻撃準備のため充分な時間の余裕がなかった事」とある。
この総攻撃に参加した日本軍は6217名で損害は1213名(米軍は143名)であった。
(続く)

[2638] Re:[2637] [2632] [2631] [2630] ガ島補給戦8 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/13(Tue) 12:21
> ま、部隊維持について様々な努力を重ねた前線部隊には頭が下がりますが、中央は兵站については前線指揮官に任せっきりで、ほとんど関心がなかったように見えますね。

中央が無関心と言うより「ガ島所在部隊が糧食不足に陥っている事」を海軍が知らなかったのだ。
叢書83の329頁には「ガ島から帰投した大前参謀は8日連合艦隊司令部に出頭しガ島の状況を報告、ようやく陸軍の実情が判明した」とある。
この8日ってのは11月8日だ。
8月7日に米軍がガ島に上陸して3ヶ月。
やっと連合艦隊は現地がどんな有様か知ったのである。

> 米国とかは逆ですよね?

確かに米国は兵站を重視するんだけど珍しい事にガ島戦では食料不足となり初期には3度の食事を2度に減らす事態も発生した。

> いずれにせよ「3」は補給線を如何に確保するかが問われるような気がします。補給線が確保できない場所を無理に占領すると痛い目にあったりしますか?

航空機用の燃料不足で痛い目に会うんじゃないかな。
それと大陸では鉄道の敷設が進まないうちに前へ出すぎると痛い目に会うかもしれない。

[2637] Re:[2632] [2631] [2630] ガ島補給戦8 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/03/12(Mon) 23:33
> こうなると運が味方についてくれなかったとしか言い様がない。

当時は、それこそ「天運、我にあり」てなところだったでしょうけど。後から考えると「悪運、ここに極まれり」。

ま、部隊維持について様々な努力を重ねた前線部隊には頭が下がりますが、中央は兵站については前線指揮官に任せっきりで、ほとんど関心がなかったように見えますね。
米国とかは逆ですよね?

いずれにせよ「3」は補給線を如何に確保するかが問われるような気がします。補給線が確保できない場所を無理に占領すると痛い目にあったりしますか?

[2636] Re:[2635] [2632] [2631] [2630] ガ島補給戦8 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/12(Mon) 16:03
> 衝撃を受けました。

ガッカリさせちゃったみたいで申し訳ないね。
でも事実を糊塗しとくのもまずいからね。

> やはりどちらかと言うと海軍ファンですから。

僕も別に海軍を嫌ってる訳じゃないよ。
それどころか「海軍が糧食のネズミ輸送を中止したからガ島将兵が飢え撤退せねばならなくなった。」とする意見に対し「いや、糧食補給の根幹はネズミ輸送ではなくモグラ輸送だったのだ。海軍は決してガ島の糧食問題をおろそかにしてはいなかった。モグラ輸送は継続する意思だった。」と声を大にして言いたいのである。

> でもここまで判明している以上、事実は事実として受け入れねばなりませんね。
> 残念ですが。

判って貰えて嬉しいよ。

> 司令官と参謀長が二人揃って撤退派なのに意見が通らないのですか?

キャラクターによる差異が大きいだろう。
第15軍の牟田口中将だったら参謀や隷下師団長の意見など聞かず強行に自分の意見を押し通したろうけど百武中将はジェントルマンだからねえ。
なにしろ百武中将には海軍大将の兄が二人もいるのだ。
それに通信畑で暗号解析の草分けだしとてもごり押しのできるタイプじゃないよ。
だからこそ海軍との調整が必要な第17軍司令官に抜擢されたんだろうけど。

> 若手参謀の権限はそこまで強大なのですか?

ガ島に派遣された第2陣である川口支隊の川口少将は第2師団や第17軍司令部のガ島来着後は右翼部隊の指揮官を勤めていた。
そして10月下旬の総攻撃を迎えたのだがなんと、総攻撃の前日、作戦参謀の辻中佐と意見が対立し敵前で右翼部隊指揮官を罷免されてしまうのである。
総攻撃直前の指揮官更迭がどれほど多くの悪影響を及ぼすかはまともな大人なら誰だって判るだろう。
勿論、参謀に指揮官の任免権などない。
あくまでクビを言い渡したのは第2師団長である。
でも師団長に進言しクビを切らせたのは辻中佐らしい。
ではなぜ辻中佐にそれだけの影響力があるかと言うと彼が大本営から派遣されている参謀であり背後に参謀本部の御威光があるからなのである。
普通、陸軍将校の人事は陸相(すなわち陸軍省の人事部)がおこなう。
でも陸大を卒業し参謀となった将校の人事は陸相ではなく参謀総長がおこなう。
だから参謀将校達は将軍達など怖くも何ともないのだ。
まあ、相手がジェントルマンだったらの場合だけど。

[2635] Re:[2632] [2631] [2630] ガ島補給戦8 投稿者:いそしち 投稿日:2012/03/12(Mon) 14:29
衝撃を受けました。
やはりどちらかと言うと海軍ファンですから。
でもここまで判明している以上、事実は事実として受け入れねばなりませんね。
残念ですが。

> 代表的なのはガ島戦を指揮する第17軍司令官の百武中将と二見参謀長だ。

司令官と参謀長が二人揃って撤退派なのに意見が通らないのですか?
若手参謀の権限はそこまで強大なのですか?
この部分も驚きです。

[2634] ガ島補給戦9 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/11(Sun) 19:41
ひとつガ島攻防戦の流れをおさらいするとしよう。
まず最初に日本海軍の第11及び13設営隊がガダルカナルにやって来て飛行場を設営し始めた。
上陸したのは1942年7月6日、工事を始めたのは16日だ。
そして8月5日には長さ800m、幅60mの滑走路が無事に完成する。

ところが2日後の8月7日、米第1海兵師団が上陸してきて滑走路(米はヘンダーソン飛行場と命名)は奪われてしまった。
米軍は滑走路が完成するまで虎視眈々と待っていたのだ。
すかざず日本軍はラバウルの第8艦隊でガダルカナルの泊地を夜襲、第1次ソロモン海戦で米の巡洋艦部隊を完膚なきまでに叩きのめす。
航空隊も連日のガダルカナル空襲を繰り広げる。
内地からもおっとり刀で空母機動部隊がソロモン海に駆けつける。

更にはミッドウェー海戦で大敗した為、グァムで訓練(待機)を余儀なくされた陸軍の一木支隊(当初はミッドウェー上陸部隊だった)がガダルカナル奪回に投入される事になった。
だが鈍足の輸送船で航海していてはガ島に到着するのが遅れる。
駆逐艦でガ島に運べば良いのだが2108名(叢書28の571頁による兵員数、叢書14の292頁では約2000名、叢書77の155頁では約2400名としている)の一木支隊全てを運ぶには駆逐艦が足りない。
そこで先遣隊となる第1梯団916名(約900名とする資料も多い)を駆逐艦で輸送し残部(第2梯団)は輸送船で運ばれる事になった。

ちなみに第1梯団の糧食は7日分(叢書14の297頁)であり、この時点での第2梯団到着予定は8月22日(叢書77の157ページ)であった。
第1梯団のガ島上陸は18日なので糧食残余3日分で補給を受ける予定だったのである。
ところが・・・

8月21日の攻撃で一木支隊第1梯団は脆くも敗退、第2梯団はガ島に接近できずに後退し第2梯団の第1陣ガ島上陸は8月29日まで遅れた。
つまり敗退した一木支隊第1梯団の生き残り(約130名)が糧食を食べ尽くしてから5日後の事になる。
餓島の始まりであった。               (続く)

[2633] 訂正 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/09(Fri) 16:29
「2.第1回、第2回、第3回と、ある時は誘い、ある時は押し、ある時は責任を負わすよう仕向け来たり。」

正しくは「2.第1回、第2回、第3回と随分と陸軍を引っ張り回したり。ある時は誘い、ある時は押し、ある時は責任を負わすよう仕向け来たり。」
[2632] Re:[2631] [2630] ガ島補給戦8 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/09(Fri) 16:23
> ところで、実際に撤退する以前には、撤退論者は陸軍にも海軍にもいなかったのでしょうか?

もちろん、いたよ。
特に陸軍にはね。
代表的なのはガ島戦を指揮する第17軍司令官の百武中将と二見参謀長だ。

叢書14の429頁には「百武第17軍司令官および二見第17軍参謀長が一木支隊だけのガ島先制攻撃に対して幕僚の積極論にも関わらず警戒的であった」と記述されている。
そして一木支隊第2梯団を乗せた船団が空襲で反転しショートランドに退避(8月25日)、ついで駆逐艦による第1回ネズミ輸送の空襲による失敗(8月28日)を受け「第17軍司令部ではガ島放棄問題が取り上げられたのはその翌日であった。」と書いてある。
更に「この際、むしろガ島を放棄する事にして一木支隊の残余を収容して軍は専心モレスビー攻略に任ずるのが賢明ではないか。それは百武軍司令官自ずからの意見であった。」と続いている。
また百武軍司令官は率直に「一木支隊を引き揚げてはどうか」と発言したとも書いてある。

でも駄目だった・・・
陸軍のメンツを主張する参謀達を抑える事ができなかったのだ。
まあ参謀達も「2回目のネズミ輸送が失敗したらその時に撤退を考えよう」って主張だったから仕方ないけどね。
ところが2回目のネズミ輸送は見事に成功しちゃうのだ。
こうなると運が味方についてくれなかったとしか言い様がない。

海軍?
なんと海軍は「陸軍をうまくソロモンの激戦に引きずり込む事」が狙いだったのだからこの時点で撤退する意図なんてあるはずがない。
邪推じゃないよ。
これは当時の連合艦隊参謀長だった宇垣提督が反省して日記(戦喪録)に自分で書いている事なんだ。
叢書28の426頁で引用しているその文面は「1.ガ島の問題の発端は海軍の無用心にあり。2.第1回、第2回、第3回と、ある時は誘い、ある時は押し、ある時は責任を負わすよう仕向け来たり。」となっている。
ひどい話だね。
なんと「本件は長官にも申し上げ各参謀にもその都度、諭示せる所なり」とあり叢書でも「連合艦隊首脳の一致した心境であろう」としているので「撤退しよう」と言い出す人は連合艦隊司令部にはいなかっただろう。
末端部隊にはいたかも知れないけどね。

[2631] Re:[2630] ガ島補給戦8 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/03/09(Fri) 12:25
あの手この手でガ島の維持を目論んでいたのですね。
ところで、実際に撤退する以前には、撤退論者は陸軍にも海軍にもいなかったのでしょうか?

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/


[2630] ガ島補給戦8 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/08(Thu) 22:07
ここで本稿の発端である航空機による糧食輸送に話が移る。
軍事史学182号の論文「旧日本軍の兵食」では「それにしても48機を飛ばして計2トン余とは多少の集計漏れがあったにせよ、あまりにも積載力が低い。」と酷評している。
確かに1機当たり52kg(1俵弱)ではかなり少ないが本当なのだろうか?
各叢書ではこのあたりをどう記述しているのだろう?

まず叢書83の450頁だがここには「陸攻延べ48機(7〜9機が6回)が12月20日から27日までドマ、アルリゴ間海岸に夜間投下を行った」と記述している。
「旧日本軍の兵食」とそう変わりはない。
ただし・・・

叢書28の414頁では「12月20日以降26日まで中攻9機で実施」とあり「1回の輸送量は約2.5トンで20、21、26日が投下に成功、23、24、25日は天候不良の為、中止」と書いてある。
叢書77の462頁も概略、同じだ。
なんと3倍ではないか。
おまけに出撃機数は半分だ。
と言う事は出撃機数は27機もしくは24機であり投下量は7.5tとなる。
なれば1機当たりの搭載量は277〜312kgで魚雷を積んだ時の1tに比べれば少ないが1俵弱なんて微々たる量ではない。
住谷資料による2tは「航空機によって投下された精米7.5tのうち入手に成功した分」なのだろう。
なにしろ木に引っかかったりし相当量が失われたそうだから・・・         (続く)

[2629] ガ島補給戦7 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/07(Wed) 20:40
ここで船団輸送について説明しておこう。
ネズミでもモグラでもアリでもない「船団」輸送である。
なお船団輸送は至極、当たり前の輸送なので何も生物の名前はついていない。
さて、ガ島に対する船団輸送は合計3次に渡って行われた。
第1次は一木支隊の第2梯団を乗せた3隻で8月25日の空襲で金龍丸を失って退避し作戦は中止(兵員は駆逐艦でガ島に運ばれた)された。

次は第2師団の16連隊や第38師団の230連隊、重砲部隊、高射砲部隊、独立戦車第1中隊、物資などを搭載した8隻で全て優秀船であった事から一般には「高速船団輸送」と呼ばれる。
ちなみに叢書28の80頁によるとこの8隻は各船に弾薬、糧食800立方mを搭載していた。
さて800立方mとは具体的にどれ位の重量になるのであろうか?
資料によって重量だったり梱包の数だったり容積だったりするのはちょっと困る。

さて・・・
叢書77の351頁ではガ島所在兵力と兵站所要1ヶ月を3万名6000立方m(つまり1日分は200立方m)とし配分を糧食135、弾薬65立方mと記述(2:1の割合だ)している。
3万名の糧食は1日25.8tである。
よって糧食1t=5.2立方m、1立方m=0.19tとなる。
であれば6隻の輸送船に搭載された糧食は約608tと推定される。

この輸送作戦を成功させる為、日本海軍は10月13日に金剛、榛名を投入してヘンダーソン飛行場を猛砲撃、その甲斐あって翌日6隻の輸送船は見事、ガ島に到達し叢書叢書83p221によると全部隊及び兵器と弾薬、糧食の8割を揚陸した。
う〜ん、素晴らしい。
なんか勝てそうだ。
でもその後がいけなかった。
夜が明けると空襲が始まり3隻の輸送船がたちどころに沈没した。
まあ、それでも揚陸自体は成功したんだからよしとするか。

だけど・・・
せっかく揚陸した物資にヘンダーソン飛行場に残っていた敵機が空襲を加えたんだ。
どの程度の被害が出たかと言うと叢書28の87頁による集積量は弾薬の1〜2割、糧食の半分(15日の電文)とある。
つまりこの時点で損害を受けたのは弾薬で糧食は300t位あった事になる。
ところが話はまだここで終わらない。
叢書83によると16日には空母ホーネットの艦載機による空襲が加えられ17日には米駆逐艦による艦砲射撃も受けたそうだ。
最終的に叢書83では爆撃と艦砲射撃によって「大部分を焼き払われた」とある。
なんてこった。
だからだろうね。
住谷資料では10月の輸送船揚陸を79tとしている。

最後の船団は11隻で11月13日夕刻、ショートランドを出港した。
この輸送作戦を成就する為に日本海軍は総力を挙げて支援、かくして生起したのが第3次ソロモン海戦である。
輸送船が乗せていたのは第38師団の229連隊、工兵38連隊、輜重38連隊、
山砲弾7000発、高射砲弾1万5000発、10榴弾4000発、15榴弾3000発である。
11月上旬におけるガ島の弾薬備蓄(叢書28の226頁)が山砲弾2000発、高射砲弾750発だった事を考えると船団の価値が伺い知れる。
糧食の搭載量については諸説あって叢書28の234頁では3万名の20日分としている。
これは510tに相当(別資料では30日分774t)する。

だけど・・・
米軍の空襲で船団は次々と被弾、沈没し4隻しかガ島に到達しなかった。
まあ、その4隻については到達後、鋭意揚陸に努めたんだけど翌日の空襲などでそれも次々に被弾、輸送船集積物資とも炎上するに至った。
叢書83の397頁によると最終的に残された糧食は米1500俵(90t)だそうな。
別の資料によると糧食3.5日分(69t)である。
ちなみに住谷資料では11月の輸送船揚陸を77tとしている。
「労多く成果少なし、船団輸送」(読み人しらず)                 (続く)

[2628] Re:[2626] レス遅れましてすみません 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/07(Wed) 15:13
> ドラム缶輸送についてですが、ドラム缶は甲板に立てて固定してあったのでしょうか?

そうなんじゃない。
寝かしてたらゴロゴロ転がって困るでしょ。

>それとも舷側に吊り下げてあったのでしょうか?

それだと揺れるたびに舷側にぶつかって大変だよ。
それに吊り下げるフックなんてどこにもないし。

> 立ててあったのだとしたらそれを降ろすのはさぞかし大変だったろうなと思います。200kgからあるドラム缶を傾けて転がして海に落とすのは。下手に手を滑らせて足の上に倒したら骨折するかもしれないですし。

発言[2600]で書いた様に中身は100kgだから缶の20数kgと合わせて120数kg。
たいした重さじゃないよ。
160kgの95式爆雷を扱っている駆逐艦の乗員としたら何の問題もないでしょ。

[2627] ガ島補給戦6 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/06(Tue) 23:40
実は11月24日以前にも潜水艦をガ島への補給作戦に投入した例がある。
ただし純然たる「潜水艦を使用した輸送作戦」と言い難いので除外した。
それは「物資を搭載した大発を潜水艦が曳航する作戦」でまことに不可思議な運用であった。
当然、潜水艦は浮上航行する。
だとすれば潜水艦の優位性はまったくない。
いや、あるとすれば接敵時に大発を切りはずし急速潜航で退避できるくらいか。
その場合、あとに取り残された大発は米水上艦なり米航空機なり「潜水艦が勝てないと判断した相手」によって袋叩きにされるであろう。
この不思議な輸送作戦を語るにはガ島に於けるアリ輸送の端緒から話を始めねばならない。

米第1海兵師団の上陸によってガ島攻防戦の幕が上がった時、日本が最初に投入した一木支隊は高速の駆逐艦で第1梯団を派遣した。
ネズミ輸送の始まりである。
この時、第2梯団は低速の輸送船によって運ばれたが第1梯団は全滅し川口支隊の増援が決定された。
更に米軍が航空機を急速に展開したので制空権は完全に奪われ低速の輸送船ではガ島に近寄れなくなってしまった。

やむなく日本軍はネズミ輸送を繰り返しガ島の兵力を増やして行った。
だが川口支隊長はこれが面白くなかった。
わざわざ海軍の駆逐艦に連れて行って貰わなくても最初から大発に乗って遠路はるばる航海し直にガ島に乗り着ければ良いと考えたのである。
その根拠はボルネオ攻略戦に際し川口支隊は大発による機動で結構、うまくいったからなのだが・・・

残念ながら今度は上手くいかなかった。
9月1日、川口支隊の1/3(124連隊本部+第2大隊+連隊砲中隊、速射砲中隊、機関銃中隊、工兵部隊など約1000名)は高速艇2、大発28、小発31の計61隻(叢書14の407頁による、叢書83の56頁では舟艇48)に分乗し勇ましくも大海原の外海に船出したのだが敵機には襲われるわ、大自然の猛威には晒されるわ、行方不明が続出するわで散々な目に会い大損害を出した。
なにしろ当初の予定通り124連隊長と共に9月5日、ガ島に到着したのは150名に過ぎずあとはてんでバラバラにガ島周辺のサボ島やらセントジョージ島やらに漂着し駆逐艦を派遣して捜索せねばならなくなったからである。

やはり基本的に天井すらない大発で外海にでるのは無理であった事、速力が8ノットではガ島に近づく前に敵機の空襲を受けてしまう事が問題であった。
本来ならこの時点でアリ輸送を諦めるべきであったのだ。
(もっと賢ければやる前から諦めていただろう。)
だが日本軍は不屈の精神でアリ輸送を繰り返した。

もっとも次では少しだけやり方を変えた。
まず5日間もかけ延々と航海を続けるのはやめ4箇所の中間基地を設けリレー式に変更した。
次に大発の大集団による航海をやめ初日は4隻、以降は6隻ずつで連日、出撃する事にした。
そしてここが大事なのだが中間基地の間では駆逐艦、ガ島突入時には潜水艦で大発を数珠つなぎで曳航する事にしたのである。
そりゃまあ、大発が自力で進むよりは遥かに速いであろう。
しかし・・・

まあ、何はともあれ第2師団の重火器を輸送する為に立案されたこの第2次アリ輸送、叢書83の166頁によると駆逐艦3隻と潜水艦3隻が必要とされ伊1、2、3の編入が予定された。
ただし9月25日の兵力部署では潜水艦は伊2、3の2隻、駆逐艦も天霧、綾波の2隻となってる。
また当初は駆逐艦1隻で大発を4隻曳航するはずだったがやってみたらうまく行かなかったので9月27日からは2隻曳航に変更された。
でもね・・・
そもそも中間基地の設営からしてうまくいかず進出した大発は敵機の空襲を受けてやられるわ、あいも変わらず「大自然の猛威」に晒されまくるわでやっと10月9日に伊2、3がガ島へ出撃したものの、そこでサボ島沖夜戦が発生し中止となってしまった。

こうなると陸軍のアリ輸送につきあっていられる程、海軍はヒマじゃない。
急遽、伊2と伊3には潜水艦部隊への復帰が命ぜられた。
となると大発は単独でガ島に向かわなくちゃならない訳で10月19日にはやっとこさ大発2隻がガ島に到着したのである。
でも10月29日にはアリ輸送そのものの中止が決定され多大な時間と器材、物資を消耗した中間基地の設営は「骨折り損のくたびれもうけ」となった。     (続く)

[2626] レス遅れましてすみません 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/03/06(Tue) 22:39
ご解説ありがとうございました。「2」より歯ごたえがあって面白そうなのは確かですね。

ドラム缶輸送についてですが、ドラム缶は甲板に立てて固定してあったのでしょうか?それとも舷側に吊り下げてあったのでしょうか?
立ててあったのだとしたらそれを降ろすのはさぞかし大変だったろうなと思います。200kgからあるドラム缶を傾けて転がして海に落とすのは。下手に手を滑らせて足の上に倒したら骨折するかもしれないですし。

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/


[2624] ガ島補給戦5 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/04(Sun) 20:20
日時、揚陸物資量、艦名及び艦型、輸送方法、敵兵力の順で記載している。
揚陸物資量は糧食と弾薬の合計である。
艦型には甲型、乙型、丙型、巡潜型、海大型がある。
集計すると巡潜型10回、海大型2回、甲型6回、乙型12(13回)、丙型 8回の合計38(39)回となる。
輸送方法には通常の大発移載(特に記載せず)、ドラム缶(ドと記載)、ゴム袋(ゴと記載)、特型運貨筒(運貨筒と記載)がある。
敵兵力のPTは魚雷艇、護衛艦は豪コルベットである。

なお叢書83では11月29日を「おおむね完了」(数値未記載)としているが叢書28では「大発故障、揚陸不成功」としている。
また叢書28では12月8日の揚陸量が未記載である。
更に叢書98では1月28日の伊26の記述があるが叢書83ではない。
伊26は乙型なので甲標的や特型運貨筒を搭載できない。
乙型の中でも伊27や伊28は備砲を撤去して甲標的を搭載したが伊26にその様な改装がなされたとする資料はまだ見た事がない。
よって本稿では叢書98を誤記と判断した。

上記の輸送作戦で揚陸された物資の合計は439tである。
だがその全てが糧食ではない。
叢書82の522ページによると12月26日以降に揚陸された糧食は250tとなっている。
弾薬などを含めると309tなので弾薬(医薬品含む)は59tとなる。
12月1〜25日は61tなので12月以降は311t。
61tのうちには若干、弾薬なども含まれるがとりあえず無視する。
311tは住谷資料の223tに比べだいぶ多い。
何故であろうか?
駆逐艦のドラム缶輸送では大きな差異は無かったのに?

ここでひとつ着目すべき数値がある。
叢書83では12月25日に伊9がドラム缶80を輸送したが揚陸は2/3(53になる)で12tとある。
ドラム缶53なら5.3tであるが12tとなっている。
よってドラム缶1を0.2tと計算しているのかもしれない。
だとすればドラム缶輸送の数量は半分で計算し直さなければならない。
ドラム缶輸送は89tなので44tを引くと1月分は185tとなる。
250+12月上旬分61tで311tとしているが44tを引くと267tであり住谷資料の223tと大差無くなる。

さて、ドラム缶の搭載量が何故、2倍の0.2tになったのであろうか?
多分、当初はドラム缶1個につき0.1tが決定しておらず幾つかの試案があったのであろう。
例えば叢書28の400ページにはドラム缶の搭載量を0.15t、駆逐艦1隻につき400個搭載による輸送計画が記載されている。
これだと駆逐艦1隻につき60tで実施された200個20tの3倍になる。
「策するは易し行うは難し。」である。

なお、駆逐艦によるネズミ輸送と潜水艦によるモグラ輸送との大きな差異はネズミ輸送が1度に多数の駆逐艦を投入し数日おきに実施されるのに対しモグラ輸送は基本的に単艦で連日、実施される点にある。      (続く)

[2623] ガ島補給戦4 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/04(Sun) 15:14
さて、駆逐艦のドラム缶輸送に続き潜水艦による輸送を説明しよう。
一般に駆逐艦による輸送はネズミ輸送、大発による輸送はアリ輸送と呼ばれるが潜水艦による輸送はモグラ輸送と呼称される。
以下にガ島補給作戦で実施されたモグラ輸送を列記する。

11月
24日  失敗  伊17乙 PT 航空機
24日  失敗  伊19乙 PT 航空機
25日  11t 伊17乙 半量
26日  32t 伊9甲
27日  30t 伊31乙
28日  20t 伊3巡
29日  失敗  伊2巡
30日  20t 伊4巡
計113t

12月
 3日  失敗  伊3巡  PT
 5日  20t 伊2巡
 6日  21t 伊6巡
 8日  20t 伊4巡
 9日  失敗  伊3巡沈 PT
26日  15t 伊21乙 ゴ
27日  15t 伊31乙 ゴ
30日  25t 伊19乙 ゴ
31日  25t 伊20丙 ゴ
計141t

1月
 1日  15t 伊168海 ゴ 6割 PT
 3日  20t 伊36乙  ゴ
 4日  15t 伊19乙  ゴ
 5日  15t 伊18丙  ド PT
 6日  21t 伊9甲   ゴ
 7日  18t 伊20丙  ゴ
 8日  12t 伊36乙  ゴ
 9日  12t 伊19乙  ド
11日  25t 伊18丙  ド
12日  失敗  伊9甲     PT
13日  失敗  伊16丙  ド 航空機
18日  失敗  伊9甲   ド 故障
20日  失敗  伊176海 ド PT
22日  18t 伊20丙  運貨筒
25日  18t 伊16丙  運貨筒
25日  12t 伊9甲   ド 2/3 PT
26日  18t 伊18丙  運貨筒
27日  15t 伊2巡   ド PT  一部未着
28日  10t 伊17乙  ド 航空機 一部未着
28日  後述  伊26乙  運貨筒?
29日  失敗  伊1巡沈  ド 護衛艦
30日  失敗  伊9甲   ド PT
計229t


(続く)

[2618] ガ島補給戦3 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/03/01(Thu) 21:18
すこし駆逐艦のドラム缶輸送を補足しておこう。
1次から7次までの輸送数と到着数を書いたが駆逐艦の作戦参加数を書いておかなかった。

一見するとドラム缶輸送数が1次で1360、2次で1500、4次で1200、5次で540、6次で600、7次で150となっているから1次から3次までは投入駆逐艦数が多く5次以降は激減した様に見える。
だが投入駆逐艦数は1次が8隻、2次が10隻、3次が11隻、4次も11隻、5次が10隻、6次が9隻、7次も9隻でそんなに変わらないのである。

それなのに輸送数が激減した理由は投入駆逐艦数の中に占める警戒任務駆逐艦の数が1次と2次の2隻から3次は3隻、4次から6次は5隻と逐次増大(7次は4隻)し相対的に輸送任務の駆逐艦が減少したからであった。
更に1次では輸送任務駆逐艦1隻につき200〜240だったドラム缶搭載数が次第に減少し6次では150(7次では矢野大隊の輸送が主任務だったので30)となった事も要因のひとつである。

ルンガ沖夜戦の如き事態が想定されるのであればどうしても警戒駆逐艦を増やさざるを得ない。
よって駆逐艦によるドラム缶輸送は投入駆逐艦数に対するドラム缶輸送量が減少し補給作戦としては対費用効果が低くなっていった。        (続く)

[2617] ガ島補給戦2 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/02/29(Wed) 07:32
話を再開しよう。
ひとつ注意して欲しいのは輸送手段による差異だ。
ガ島への輸送手段としては駆逐艦によるドラム缶輸送がとみに有名である。
しかしドラム缶輸送は臨時手段であり成功しさえすれば輸送船が量的には多そうに見える。

だがなんと・・・
※1では輸送船の166tに対して駆逐艦は212t、潜水艦は288tで潜水艦の方が多いのだ。
更に状況が逼迫した12月以降に着目し11月以前の輸送量を除くと駆逐艦の149tに対し潜水艦は223tで1.5倍にも達する。
本当だろうか?
ガ島への糧食輸送の主役はドラム缶を積んだ駆逐艦ではなく潜水艦だったのだろうか?

※1は貴重な資料だが他の数値ともつきあわせて検証せねばなるまい。
対象となるのは戦史叢書28「南太平洋陸軍作戦2」、40「南太平洋陸軍作戦3」、77「連合艦隊3」、83「南東方面海軍作戦2」などである。
なお、これら各巻は陸軍もしくは海軍の視点で論述されていたり戦略的視点もしくは戦術的視点で論述されているので数値などにも多少の差異がみられる。
その他、「歴史群像」各巻や「世界の艦船」各巻も参考資料としている。

さて・・・
叢書83巻には駆逐艦によるドラム缶輸送として以下の数値が記載されている。
11月30日、第1次、ドラム缶1360、輸送任務に失敗し全部不着。
12月3日、第2次、ドラム缶1500、310着。
12月7日、第3次、輸送任務に失敗し全部不着。
12月11日、第4次、ドラム缶1200、220着。
1月2日、第5次、ドラム缶540+ゴム袋250、全着し定量5日分。
兵員17000名とすれば73tである。
このうちドラム缶が54tなのでゴムは19tとなる。
ゴム袋250で19tなら1袋は7.6kgくらいと思われる。
1月10日、第6次、ドラム缶600、250着。
1月14日、第7次、ドラム缶150+ゴム200袋、全着。

上記のドラム缶輸送を集計すると705t輸送され167tが到着。
到達率23%となる。
167tは※1の149tにかなり近い数値と言えよう。
潜水艦の方はどうであろうか?
まず12月26日以降の合計で糧食250t(糧食以外は37t)と記載されており12月1〜25日は61t(糧食以外も含む)なので311tになる。
311÷167=1.86である。
つまり※1の1.5倍どころか戦史叢書83巻では2倍近い数値となっている。
ガ島将兵の命脈を保っていたのは駆逐艦のドラム缶輸送ではなく潜水艦による糧食輸送だったと言えよう。        (続く)

[2616] Re:[2615] [2614] [2613] [2612] [2611] [2609] 「2」における必勝作戦は「3」でも通用しますか? 投稿者:うらマッハ 投稿日:2012/02/28(Tue) 21:01
> > てことはすぐには増援は来ないですね。
>
> うん。

2〜3ターン連続で進攻すれば、補充が来る前に陥落させることも出来そうですね。天候が晴れなら、少なくとも2ターンは雨降らないですし。
・・・鉄道のないプレイヤー側の根拠地だったら、連続進攻を受けると増援が間に合わないかも。

> 確かに「補充要請が発令されるのは定数を割った時」だが「やってくる補充が必ずしも定数からの欠損分」とは限らない。

なんらかの敵ユニットは前線に移動してくるものなんでしょうね。

> 敵の部隊タイプには機動軍やら守備軍やら他にも色々あって一様じゃないよ。

機動軍らしきユニットが移動してくると、定数アップで攻勢に出てくる前兆かも。

> それが方面軍方式なのだ。

攻めてくる時、特定の兵種配分で来そうです。
攻め込まれて逃げる時は足並み揃いますね。退却先で処理が混乱しないようにするのが大変そうな気がします。

> よって後方こそ要偵察なのだ。

敵の攻勢を察知できれば、増援送ったり逃げる準備ができますね。

> のんびり兵力を集めていたら取れたはずのモノも取れなくなっちゃうよ。

大軍で攻めると落伍での損害が大きいでしょうから、小兵力で押し切れる内に占領地を増やした方が良さそうです。
序盤なら歩兵の突撃とかで押し切れるかしら。

[2615] Re:[2614] [2613] [2612] [2611] [2609] 「2」における必勝作戦は「3」でも通用しますか? 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/02/28(Tue) 07:17
> てことはすぐには増援は来ないですね。

うん。

>でも鉄道移動があるので、出現根拠地が近いところはすぐ来るかも。

もちろん。

> 定数以上は前線には出てこないことになりますね。

いやいや、そうでもないんだ、これが。
確かに「補充要請が発令されるのは定数を割った時」だが「やってくる補充が必ずしも定数からの欠損分」とは限らない。
「どういった時にどれだけの補充がやって来るか?」とか「敵根拠地に所在する兵力の組織的構成は?」とかはヒミツだからこれ以上は公表できない。
ただし・・・
敵の部隊タイプには機動軍やら守備軍やら他にも色々あって一様じゃないよ。
それが方面軍方式なのだ。

>でも定数が増えた時、一気に前線のユニット数が増えそうです。出来れば敵後方の根拠地も偵察しておいた方が安全かも。

太平洋3では隣接してれば偵察してなくても情報が見れるよ。
よって後方こそ要偵察なのだ。

> 序盤の英軍は定数が少なそうな予感です。

その通り。
だから序盤の電撃戦で取れるだけ敵根拠地を掠め取らなきゃならないのだ。
のんびり兵力を集めていたら取れたはずのモノも取れなくなっちゃうよ。

[2614] Re:[2613] [2612] [2611] [2609] 「2」における必勝作戦は「3」でも通用しますか? 投稿者:うらマッハ 投稿日:2012/02/27(Mon) 22:24
> 定数を下回ったら方面軍から補充要請が出され優先順位に従って補充部隊が編成される。

てことはすぐには増援は来ないですね。でも鉄道移動があるので、出現根拠地が近いところはすぐ来るかも。
定数以上は前線には出てこないことになりますね。でも定数が増えた時、一気に前線のユニット数が増えそうです。出来れば敵後方の根拠地も偵察しておいた方が安全かも。

> だけど「定数がいかほどか?」はヒミツだし状況によって逐次、変化する。

序盤の英軍は定数が少なそうな予感です。

> そうした意味で太平洋3は予備兵力と物資の後方集積、鉄道網の整備が課題となるよ。

陸の方でも輸送が大事なんですね。
イザというときに退却できる環境を整えておかないと「降伏」ボタンを押す展開になるかも。

[2613] Re:[2612] [2611] [2609] 「2」における必勝作戦は「3」でも通用しますか? 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/02/27(Mon) 09:44
> ひょっとしてCPU側が大陸方面で兵力を補充するときもこの機能を使うのかな。

「始点、終点、移動量を入力するだけで長距離の物資移動を設定できる機能」ってのは「プレイヤーに負担をかけずスムースにゲームを楽しめる為に用意した機能」だ。
CPUは「面倒くせえ」なんて言わず黙って処理してくれるのできっとこの機能は活用しないと思うよ(笑)

> パケット式輸送、とでも言うのでしょうか。ユニット移動もできますよね?

陸戦ユニットが鉄道移動できるかって事?
だったらできるよ。
陸戦ユニットが長距離物動のプロットに含まれるかって事?
だったら「陸戦ユニットは物資じゃない」から含まれないよ。

> 方面軍が兵力不足になった時点で、後方の出現根拠地に「〜行きののユニット群」が出現するとか?

する。
定数を下回ったら方面軍から補充要請が出され優先順位に従って補充部隊が編成される。
だけど「定数がいかほどか?」はヒミツだし状況によって逐次、変化する。

> 退却時の弾薬輸送用に後方ユニットを置いておかないとヤバイ気がします。

それより「退却が発生しそうな根拠地に無闇に物資を集積しない事」が肝要だね。
後方に集積しておいて必要に応じて送れば良いんだから。
そうした意味で太平洋3は予備兵力と物資の後方集積、鉄道網の整備が課題となるよ。

[2612] Re:[2611] [2609] 「2」における必勝作戦は「3」でも通用しますか? 投稿者:うらマッハ 投稿日:2012/02/26(Sun) 21:12
> 後方の出現根拠地に登場した兵器や部隊は定められた兵力を残置しあとは前へ前へと進んでいく。

2はたしかバケツリレー的にユニットがスライドしてきたので、コマンド数さえあればすぐに前線に補充が届きましたよね。
・・・探してみると旧掲示板[4152]で解説されてました。

> でも太平洋3ではトコロテン方式じゃなく「方面軍方式」を採用しているので動きが全然、違う。

特設ページの日本国内根拠地一覧のところに、「始点、終点、移動量を入力するだけで長距離の物資移動を設定できる」機能が紹介されてますが、
ひょっとしてCPU側が大陸方面で兵力を補充するときもこの機能を使うのかな。
パケット式輸送、とでも言うのでしょうか。ユニット移動もできますよね?

方面軍が兵力不足になった時点で、後方の出現根拠地に「〜行きののユニット群」が出現するとか?

> だから戦線が膠着していても油断してるといきなりひっくり返る。

退却時の弾薬輸送用に後方ユニットを置いておかないとヤバイ気がします。

[2611] Re:[2609] 「2」における必勝作戦は「3」でも通用しますか? 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/02/25(Sat) 17:39
> 「2」において日本軍がサイヨク、英軍がモールメンで膠着している状態で、ラングーンに上陸作戦を仕掛けて占領すると、英軍がモールメンからラングーンに侵攻してくるので、上陸部隊は輸送船に撤退。

まず太平洋3では「上陸作戦時を除き陸上部隊は洋上の艦隊/潜水隊に撤退できない」のでラングーンの日本軍は降伏するか全滅するまで戦うかの選択を迫られるよ。

> その後、手薄になったモールメンをサイヨクから大部隊で力攻めして奪取。その後、モールメンに日本側が大部隊を駐屯させて、英軍の大部隊がラングーンに封殺されて遊兵化しました。
> 「3」での連合軍側の思考は、このようなケースではどのように判断してくるのでしょうか?

それを今、ここで僕が明かすことは「作家が推理小説の冒頭で犯人を紹介するに等しい」(※1)と思うんだけど・・・

>「2」のような必勝法が通用してしまいますか?

「敵を遊兵化させる作戦が絶対に通用しない」となったらそんなSLGは誰もプレイしてくれなくなるだろうね。
古来、戦争とは「如何に敵を遊兵化させるか?」(※2)を求め進化してきたからだ。
だけどそれだけに「簡単に遊兵化できるのは宜しくない」ってのも確かに言えるだろう。

太平洋2で大陸方面の連合軍を支えてきた戦略は基本的にトコロテン方式だった。
後方の出現根拠地に登場した兵器や部隊は定められた兵力を残置しあとは前へ前へと進んでいく。
後は最善線の根拠地で「周りに陥とせそうな根拠地があるか?」を思考しあれば基本的に攻める。

でも太平洋3ではトコロテン方式じゃなく「方面軍方式」を採用しているので動きが全然、違う。
方面軍方式がどんな物かを詳述するのは※1があるので無理なんだけどかいつまんで言えば「モールメンに多数の英軍が居ても幾つかの方面軍が編合されている集団であり単一の存在ではない」って事だ。
GD2にみたいに「英第1軍と英第2軍及び英第3軍がダンケルクに存在」と表示されてないけどね。

そりゃ※2があるから「エサを用意して敵を誘い込み蓋を閉じて遊兵化させる」って事ができる局面はいくらもあるだろう。
そうでなけりゃ面白くもなんともないからね。
けど太平洋2に比べれば3は遥かに難しくなるよ。
なにしろトコロテンじゃなく方面軍方式だし各方面軍の主要進攻ルート、適正兵力、任務などが時期や戦況、季節などによって順次、変化していくからだ。
だから戦線が膠着していても油断してるといきなりひっくり返る。
内容が判ってテストプレイしていても腰が抜ける程、驚く事があるよ。

[2610] Re:[2605] [2604] [2603] [2602] ちょっと疑問? 投稿者:ハルトマン 投稿日:2012/02/25(Sat) 14:12
>ご丁寧なご回答有難う御座います。勉強になります。

> なにしろ色々と支配者が代わった土地だ。
> 最初は日本軍。
> 次はソ連軍。
> その次は国民党中国軍。
> 最後に中共軍。
>
 いやぁ〜、そこから考えるとあのソ連が、よく国民党中国に、領土を含め、良く返還しましたね。
 東清鉄道(中支線)以来、俺の土地だと良く主張しませんでした。
 いずれ中共軍が勝利をおさめ、東アジアにおける、東欧のような状況にしようと思ったのでしょうか?
  
>
> いやいや、94式75mm榴弾の場合、弾頭重量6kgに対し炸薬量は僅か0.8kgに過ぎない。

 なるほど納得しました。
 炸薬量からして液体ガスとしても、赤なら相当な量を撃たないとなりませんね。
>

 これで、スキリしました。お忙しいところ、ご回答頂き、有難う御座いました。

[2609] 「2」における必勝作戦は「3」でも通用しますか? 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/02/24(Fri) 22:48
「2」において日本軍がサイヨク、英軍がモールメンで膠着している状態で、ラングーンに上陸作戦を仕掛けて占領すると、英軍がモールメンからラングーンに侵攻してくるので、上陸部隊は輸送船に撤退。
その後、手薄になったモールメンをサイヨクから大部隊で力攻めして奪取。その後、モールメンに日本側が大部隊を駐屯させて、英軍の大部隊がラングーンに封殺されて遊兵化しました。
「3」での連合軍側の思考は、このようなケースではどのように判断してくるのでしょうか?「2」のような必勝法が通用してしまいますか?

↓参考記事「2」のリプレイ

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/archives/5614020.html


[2608] Re:[2607] [2606] 「3」の陸戦 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/02/24(Fri) 22:29
詳しい解説ありがとうございます。だいたいイメージできました。

[2607] Re:[2606] 「3」の陸戦 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2012/02/24(Fri) 15:15
陸戦シークエンスについてご説明します。
まず陸戦参加ユニットは前衛、支援、後方に区分されます。
 前衛:砲射程1の車両/火砲および兵員
 支援:砲射程2以上の車両/火砲
 後方:弾薬運搬用の輸送馬とトラック

最初に故障チェックを行い、故障率に応じたユニットが参加兵力から除かれます。
(陸戦終了時に復帰します)

陸戦の1ラウンドの手順は以下の通りです。
戦術命令選択(両軍が総攻撃や突撃、撤退などの戦術を選択)
進攻側落伍/地雷損耗チェック
戦闘開始
 射程4砲撃戦:重砲、要塞砲などの砲撃
 射程3砲撃戦:野砲などの砲撃
 射程2砲撃戦:山砲の砲撃
 射程1砲撃戦:旋回砲(戦車タイプ)の砲撃
 射程1砲撃戦:その他(対戦車砲など)の砲撃
 射程1砲撃戦:固定砲(突撃砲タイプ)の砲撃
 銃撃(機関銃や小銃の銃撃)
 白兵戦(突撃や夜襲など特定の戦術を選んだ時のみ実施)
損害による士気低下チェック(5%、7%、10%の選択式)
輸送力低下による弾薬損耗
第1ラウンド終了

以上の手順を第5ラウンド(4、5、6の選択式)まで繰り返します。
どちらかが撤退もしくは退却したら追撃戦ラウンドが行われ、撤退/退却する側は一方的に撃たれます。
(ただし追撃戦ラウンドで射撃できるのは前衛の車両ユニットおよび騎兵のみです)
陸戦終了時に故障ユニットおよび落伍ユニットの一部(割合はシナリオ設定で変更可)が復帰します。

士気により選べる戦術命令が変化し、士気0になると撤退/退却しか選べなくなります。
いかに敵に士気ダメージを与えて撤退/退却させるかが重要となり、全滅は発生しにくくなっています。
(太平洋戦記2よりGD2や日露戦争に近い形式です)


なお砲撃、銃撃、白兵戦の火力配分は以下の通りです。
 射程2〜4砲撃戦:前衛と支援が目標となります。
 射程1砲撃戦  :前衛が目標となります。
          ただし前衛が全滅している時は支援が目標となります。
 銃撃、白兵戦  :前衛の車両以外のユニットが目標となります。
          ただし前衛が全滅している時は支援が目標となります。
後方ユニットが目標になる事はありません(追撃戦を除く)。


また『太平洋戦記3』では内陸、孤島とも空挺部隊単独での空挺作戦は行えません。
いずれも陸戦や上陸戦との協同攻撃が必須となります。
これは太平洋2であった「爆撃機の大集団と少数の空挺部隊があるだけで勝てる」といった必勝法に対応した改良です。

[2606] 「3」の陸戦 投稿者:紺碧七 投稿日:2012/02/23(Thu) 23:46
質問ですが、「3」の陸戦はどのようなフェイズ進行になりますか?いまいちイメージが湧きません。「2」よりもだいぶ複雑ですよね?
また孤島以外への空挺降下については「3」も「2」と同様、陸上部隊との共同侵攻のみで空挺部隊単独での敵根拠地への降下侵攻は行えませんか?

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/archives/cat_50030320.html


[2605] Re:[2604] [2603] [2602] ちょっと疑問? 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/02/23(Thu) 22:44
> ソ連と停戦・降伏した時に、武器は差し出し、引き渡した訳で・・・

火砲や銃火器は引き渡したろうね。
でも弾薬はどうかな?
手元にないものは引き渡しようがないよ。
なにしろ1500発(装薬や弾薬箱を含め12t以上)と言えば火砲(約1.2t)の10倍だ。
満鮮国境に後退した時、とても持っていけるはずがない。
となれば停戦になった時・・・
ガス弾の所在地はソ連の戦線後方って事になる。
だから引き渡せるはずがないんだ。

>降伏後日本兵が労務で、地中に埋めたと言うことですか?

そんな事はないと思うけど。
だったら少し位は話が残ってるでしょ。
満鮮国境へ後退した時、日本軍が埋めたってのは考えられるけどね。
だってむざむざ敵手に渡したくないでしょ。

>破棄したのはどなたなのでしょう?

なにしろ色々と支配者が代わった土地だ。
最初は日本軍。
次はソ連軍。
その次は国民党中国軍。
最後に中共軍。
どれだろうね?

> 仕事柄パイプを扱うので、二人の処理員が持っていたのは、通常の手の大きさとして約10センチです。10センチ榴弾砲の弾なら解ります。7.5センチか15センチ砲が主力だとすると腑に落ちなかったので・・・。

太平洋戦争の開戦直前、日本陸軍は甲師団の野砲3個大隊のうち2個大隊を10榴に改編する計画を立てており実施している最中だった。
だから開戦が数年遅れていたら日本陸軍の甲師団の砲兵連隊が保有する火砲の2/3は10榴になってるはずだったんだ。
残念ながら1個大隊を10榴化するにとどまってしまったけど。
だから・・・
関特演の時に集積されたと思われるガス弾に10cmのものがあったって何の不思議もないのだ。

>6千トンなら38式野砲の弾量6kg弾頭部1/3として、2kg300万発納得です。

いやいや、94式75mm榴弾の場合、弾頭重量6kgに対し炸薬量は僅か0.8kgに過ぎない。
弾殻の鉄に比べ炸薬はずっと軽いからだ。
ガス(液体)だって同じ事。
だから300万発どころかもっと多いよ。
全部のガスが砲弾用に使用された訳じゃないけどね。
充填されず終戦まで備蓄されていたガスが半分くらいあったらしいし。

[2604] Re:[2603] [2602] ちょっと疑問? 投稿者:ハルトマン 投稿日:2012/02/21(Tue) 23:42
 早々にご回答有難うございました。

> 関東軍がソ連軍に引き渡したの?

> ソ連と停戦・降伏した時に、武器は差し出し、引き渡した訳で・・・、降伏後の敵軍の武器の所有は、たとえ使えない兵器だとして・・・・降伏後日本兵が労務で、地中に埋めたと言うことですか?破棄したのはどなたなのでしょう?

> 40万発は野砲266門分でありたいした数じゃないよ。

>なるほど!!
>
> 映像で口径わかるの?

> 仕事柄パイプを扱うので、二人の処理員が持っていたのは、通常の手の大きさとして約10センチです。10センチ榴弾砲の弾なら解ります。7.5センチか15センチ砲が主力だとすると腑に落ちなかったので・・・。
>
> 大久野島で生産してたみたいだね。
> なんでも約6千tだとか。

>6千トンなら38式野砲の弾量6kg弾頭部1/3として、2kg300万発納得です。

> 満洲にある大量の弾薬をどうやって運ぶの?
> 関特演で日本は大量の弾薬を満洲に送ったし終戦時にも満洲各地に弾薬は随分、残ってた。

 なるほど・・・納得です。

[2603] Re:[2602] ちょっと疑問? 投稿者:阿部隆史 投稿日:2012/02/21(Tue) 13:59
>  中国国内に残されたガス・生物化学兵器の処理のニュースがあり。終戦時ソ連に引き渡したのだから、ソ連(ロシア)の責任では?

関東軍がソ連軍に引き渡したの?
そりゃ初耳だ。
集積された弾薬はほっといて主力が南の満鮮国境地域に下がった所で停戦したはずだけど。
引き渡したとするならソ連は受領証を出したの?
だとしたらソ連の責任だ。

>  しかも、一砲につき7.5センチ(山砲・野砲)では、一基数100発程度・15センチ榴弾砲については1基数50発です。

昭和2年に改定された戦時編成表による砲兵の携行区分は甲師団の野砲では1門につき砲側に136発、中隊に50発、大体に75発、連隊に41発、師団輜重隊に231発、砲兵廠に967発の合計1500発(日本砲兵史48頁参照)となっている。
大陸打通作戦時に集積された弾薬は野砲1門につき1250発である。

>  40万発以上あるなんて、野砲だったら4000門分で、36門の師団野砲連隊なら111基数です。

40万発は野砲266門分でありたいした数じゃないよ。

>  映像では、どうも口径が違うような気がするし・・・。

映像で口径わかるの?
測らなくちゃわからないと思うけど。

>  ガス弾はアカ(青酸砒素)を中支で臼撃砲で使用した話がありますが・・・。

日本砲兵史106頁によると野山砲のガス弾は赤弾(クシャミ)、黄弾(イペリットまたはルイサイト)、青白弾(青酸)の3種だそうだよ。

>  そんなに日本軍は、生物化学兵器や・ガス弾生産したのでしょうか?

大久野島で生産してたみたいだね。
なんでも約6千tだとか。

>  もし、通常弾を生産し、それだけの通常弾が満州に備蓄されていれば・・・ガ島でも・・・否、戦争勝てたのではありませんか?

まさか(笑)
満洲にある大量の弾薬をどうやって運ぶの?
日本は弾薬不足で戦争に負けたわけじゃないよ。
関特演で日本は大量の弾薬を満洲に送ったし終戦時にも満洲各地に弾薬は随分、残ってた。

そりゃ、ある程度は使ったよ。
だから大陸打通出来たんだしね。
でも満洲から南方に派遣された部隊は充分な弾薬を持って行けなかった。
輸送船が足りなかったからだ。
そしてその輸送船でさえも米潜の雷撃で海没し次々と丸腰砲兵部隊になってしまった。
更に糧食も...

[2602] ちょっと疑問? 投稿者:ハルトマン 投稿日:2012/02/21(Tue) 07:38
 中国国内に残されたガス・生物化学兵器の処理のニュースがあり。終戦時ソ連に引き渡したのだから、ソ連(ロシア)の責任では?
 対応期間が10年延長されたとのことですが・・・?

 日本軍のガス弾は7.5センチか15センチが主力だったと思いますが・・・。
 しかも、一砲につき7.5センチ(山砲・野砲)では、一基数100発程度・15センチ榴弾砲については1基数50発です。
 40万発以上あるなんて、野砲だったら4000門分で、36門の師団野砲連隊なら111基数です。
 20個師団で5基数・・・!!  
 映像では、どうも口径が違うような気がするし・・・。
 ガス弾はアカ(青酸砒素)を中支で臼撃砲で使用した話がありますが・・・。
 そんなに日本軍は、生物化学兵器や・ガス弾生産したのでしょうか?
 もし、通常弾を生産し、それだけの通常弾が満州に備蓄されていれば・・・ガ島でも・・・否、戦争勝てたのではありませんか?

 これも、北方領土の話と同じですか・・・?
 差し支えない範囲で教えて下さい。

[2601] Re:[2600] ガ島補給戦1 投稿者:うらマッハ 投稿日:2012/02/20(Mon) 22:53
> 1日2.2合あれば確かに飢えはしないだろう。

救助を待ってる遭難者だったら問題ない量かもしれませんけど、塹壕掘ったりするには少なすぎる量ですよね。

> 作戦当初はそれなりの量が供給され次第に減少されていったのだ。

最初のころはモリモリ食って元気一杯だったのかな。ちょっとずつ食べて飢餓に勝つより、敵兵に勝つ方が大事でしょうし。

> つまり輸送実施2700本以上、揚陸530本である。

沢山食料を送ったつもりでも、現地には2割くらいしか届いてないのですね。

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