GS新掲示板 発言集[09](No.801〜900)


[900] 次は英国 投稿者:阿部隆史 投稿日:2009/01/09(Fri) 20:11
前回同様、各発動機を装備した英軍機の紹介から...

ペガサス     ウォーラス、ソードフィッシュ、ハンプデン、ウェリントン
マーキュリー   ブレニム、グラジエーター、ライサンダー
パーシュース   スキュア、ロック
トーラス     ボーフォート、アルバコア
ハーキュリーズ  ボーファイター、スターリング、ハリファックス
セントーラス   ファイアブランド、テンペスト2、スピアフィッシュ
ケストレル    マスター
ペリグリン    ワールウィンド
バルチャー    マンチェスター、トーネード
マーリン     バトル、スピットファイア前期、ハリケーン、モスキート、
         ランカスター、デファイアント、フルマー、ホイットレー、
         バラクーダ、リンカーン
グリフォン    スピットファイア後期、ファイアフライ
レイピア     シーフォックス
セイバー     タイフーン、テンペスト1


こうして並べてみると米国ほど判り易くはないね。
でも御安心、順を追って説明すると意外とスンナリは把握できるから。
ちなみに英軍機の発動機は同一機種でもかなり変化するので注意されたい。

ランカスターの場合、基本的にマーリンだが2型だけはハーキュリーズ。
ハリファックスは3型、6型、7型などがハーキュリーズで他はだいたいマーリン。
ウェリントンは1型がペガサスで2型がマーリン、3型がハーキュリーズ、4型が米製P&WのR1830。
とまあこういった次第なので...

さて上記の発動機だがまず最初に英国の発動機メーカーはブリストル、ロールスロス、ネイピアの3社である事を覚えて頂きたい。
次にブリストルは空冷、ロールスロイスとネイピアは水冷と覚えよう。
最後に上記のペガサスからセントーラスまでがブリストル、ケストレルからグリフォンまでがロールスロイス、レイピアからセイバーがネイピアと覚える。
これでもう大丈夫。
えっ大丈夫じゃないって?
そりゃそうだ。
まだ「どの発動機がどんな経緯で開発されたか。」を解説してないんだから。

最初に各発動機の冷却方式と気筒数、ボア、ストローク、排気量を挙げよう。

ブリストル  ジュピター    空9   146*190  28.7L
       ペガサス     空9   同上
       マーキュリー   空9   146*165  24.8L
       パーシュース   空9   同上
       ハーキュリーズ  空14  同上       38.7L
       トーラス     空14  127*137  25.4L
       セントーラス   空18  148*178  53.6L
ロールス   ケストレル    水12  127*140  21.0L
       ペリグリン    水12  同上
       バルチャー    水24  同上       42.0L
       マーリン     水12  137*152  27.0L
       グリフォン    水12  152*168  36.7L
ネイピア   レイピア     空16  89*89     8.5L
       セイバー     水24  127*121  36.7L


それでは空冷の総本山ブリストルから。
ブリストル製発動機の話はジュピターから始めねばならない。
第1世界大戦直後に生産開始されたこの発動機は瞬くうちに世界中に広がり各国航空機業界を席巻した。
ジュピターは単に輸出されただけではない。
ソ連ではM22としてライセンス生産(I−15やI−16の初期型に装備)され日本でも改良版が中島の寿(寿の「じゅ」はジュピターのジュ)として生産されたのである。

第2次世界大戦勃発時になると流石にジュピター本体は実戦機用発動機と呼べる存在では無くなっていたがその子孫が続々と生まれていた。
まずジュピターに過給器を装備したペガサス。
シリンダーのストロークが短くなり小型化(よって戦闘機向き)したマーキュリー。
マーキュリーを3バルブ化した改良型のパーシュース。
これを14気筒化し馬力を増大させたハーキュリーズ。
更にストロークの短い新シリンダーに換えて空気抵抗を減らしたトーラス。

ジュピターからトーラスへの流れはシリンダーの小型化とそれを補う為の気筒数増大及びバルブや過給器など周辺機器の改良につきる。
よって排気量自体は最初のジュピターに比べ重爆用のハーキュリーズだって10Lしか増えていないしトーラスに至っては減っているくらいだ。
日本に於いて寿(24.1L)の後継たるハ5系(37.5L)が大排気量となったのと大きく違う。
もっとも排気量=馬力ではないので英国技術力の真価を表す好例とも言えるが。

なおブリストル製空冷発動機の最終決定版はシリンダーのボア、ストロークを共に先祖返りの様に長大化しあまつさえ18気筒化したセントーラスであった。
セントーラスの排気量は日本のハ42(4式重爆)や米のR3350(B29装備)に匹敵する53.6Lに及ぶ。
ただし第2次大戦はセントーラス装備機が実戦参加する事なく終わった。
要するに間に合わなかったのである。

空冷発動機にとって気になる直径だがトーラスが1170mm、マーキュリー系が1307mm、ハーキュリーズが1320mm、セントーラスが1405mm、ペガサス系が1405mmだ。
ちょっと長くなったので英国製水冷発動機は次回に譲るとしよう。

[899] 謹賀新年 投稿者:阿部隆史 投稿日:2009/01/05(Mon) 18:59
明けましておめでとう御座います。
本年も宜しく御願い申し上げます。

[898] あけましておめでとうございます。 投稿者:C物品 投稿日:2009/01/04(Sun) 20:17
皆様、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいいたします。

前回の投稿した内容に一部誤りがありましので訂正いたします。


成瀬政男教授の「科学技術の母胎」によれば、
1940年代のボールベアリングのボールの精度(表面のでこぼこ)については、
欧州(SKF社)が0.002mm以内に対して、
当時の国産では0.012〜0.15mmと、欧米製に比べて6〜8倍の「荒さ」のようでした。
修正
成瀬政男教授の「科学技術の母胎」によれば、
1940年代のボールベアリングのボールの精度(表面のでこぼこ)については、
欧州(SKF社)が0.002mm以内に対して、
当時の国産では0.012〜0.015mmと、欧米製に比べて6〜8倍の「荒さ」のようでした。

航空機の発動機関係では内容の濃い話で盛り上がっていますね。
発動機の馬力を向上させるのは陸海空どの乗り物でも難しいですね、これが、船ならば、主機を連装して減速装置でひとつの軸にして出力するって手も使えますが・・・・

1 独逸のハインケル・クライム爆撃機用に開発されたDB610V12エンジンの連装
2 日本海軍の試作偵察機「景雲」のハ70−10型の連装
3 米国のP75のアリソンV3420(P40のV1710の連装)

などはことごとく実用化に失敗していますね?

冷却が難しい航空機だと連装ではなく、発動機自体向上しかないのは、大馬力発動機で出遅れた日本としてはつらいですね?

でも、私の浅い考察でも、独逸(コンパクトで高速な4発爆撃機?)とか日本(高速偵察機?)は失敗しているとはいえ、なんとなくコンセプトがわかるんですが、米国のP75って、どのようなコンセプトだったのでしょうか?主翼がP40、脚がF4Uで馬力が連装エンジンで2600馬力ってバランスが悪すぎるような気がします。

[897] 謹賀新年 投稿者:魔界半蔵 投稿日:2009/01/04(Sun) 08:41
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

昨年のエンジンのお話、解りやすく勉強になりました。
実は形式名とか陸海軍呼称とかがややこしくて、これまで敬遠しておりました(^_^;)
性能だけでなく日米のエンジン行政の違いなんかも面白そうなので、今度調べてみようと思っております。

[896] 謹賀新年 投稿者:K-2 投稿日:2009/01/02(Fri) 01:51
 あけましておめでとうございます。K−2です。

次に出るゲームは日露戦争100周年と言うことで、
「日露戦争2」と勝手に予想してます。
今年も面白いゲームを宜しくお願いします。

今年も宜しくお願いします。

[895] 謹賀新年 投稿者: 投稿日:2009/01/02(Fri) 01:10
明けまして おめでとうございます。

次に出るゲームにも期待しています。
あまり書くと要望にもなってしまいますが
次期製品の案内発表を楽しみに待っております。

本年もよろしくお願いいたします。

[894] 今度は米国 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/12/29(Mon) 17:39
まず米軍の大戦中における主要な実戦用航空機と装備発動機をまとめよう。
米軍が使用した発動機の種類は意外と少ない。

R1830装備:P35、P36、B24、C47、PBY、F4F、TBD
R2800装備:P47、P61、B26、A26、F6F、F4U、F7F、F8F
R1820装備:B10、B17、B18、F2A、SBC、SBD、F4F8
R2600装備:A20、B25、P70、B23、SB2C、TBF
R3350装備:B29
V1710装備:P38、P39、P63、大部分のP40
V1650装備:P51、少数のP40

ねっ、たった7種類(それも自国開発は6種類)でほとんどの米軍機が網羅できちゃうでしょ?
しかもR3350はB29専用、V1650はP51専用みたいな物だから米軍の発動機はR1830、R2800、R1820、R2600、V1710の5種類だけ気にしていれば良いのだ。

さてそれではメーカーと気筒数及び排気量から。
RとかVとか付けられて4ケタの数字を並べられると暗記力の弱い人間はひるむ。
だけど心配ご無用!
この数字にはちゃんと意味がある。
Rは空冷、Vは水冷を表し4桁の数字は排気量(ただしメートル法ではなくインチ法)を表す。
更にサブタイプとして末尾に数字とアルファベットが付いてF6F5の装備発動機だと「R2800−10W」となる。
なお末尾の数字が偶数だと海軍用、奇数だと陸軍用となりWは水エタ噴射装置付きである事を示す。

上に挙げた7種類の発動機はR1830(14気筒)とR2800(18気筒)はP&W、R1820(9気筒)とR2600(14気筒)及びR3350(18気筒)はカーチス・ライト、V1710はアリソンによって開発された。
V1650はなんの事はない。
英ロールスロイスのマーリンを米の自動車メーカーであるパッカードがライセンス生産した物だ。

ちなみR1830はツインワスプ、R2800はダブルワスプとも呼ばれP&Wのワスプシリーズに属する。
これらの始祖はR1340(ワスプ)で他にもR985(ワスプジュニア)やR1535(ツインワスプジュニア)などの兄弟がいる。
まあこれらの装備機は練習機やOS2Uなどの水上偵察機、連絡機もしくはSB2Uなどの旧式機なので本文では取り上げない。

P&Wがワスプ一族ならライトはサイクロン一族(なんか仮面ライダーみたい)だ。
R1820はサイクロン9、R2600はサイクロン14、R3350はサイクロン18と呼ばれる。
面白いのは日本軍で早々に姿を消した9気筒発動機が米軍では大戦終結までB17に装備され頑張り続けた事だ。

各発動機の諸元を以下に示す。
なお大戦には間に合わなかったがB36に装備されたR4360(ワスプメジャー)も参考例として記載しよう。

発動機名 ボア*ストロークmm 排気量L
R1830  140*140      30
R2800  146*152      45.9
R4360  146*152      71.5
R1820  155*174      30
R2600  155*160      42.7
R3350  155*160      54.5
V1710  140*152      28
V1650  137*152      27

気になる空冷発動機の直径はR1830が1222mm(1224mm説あり)、
R2800が1342mm(1321mm説あり)、R4360が1372mm、R1820が1400mm、R2600が1397mm、R3350が1413mmで空冷としては一番排気量の小さいR1820の直径が一番大きい。
先ほど面白いと言った9気筒発動機がこれで米軍がカタログデータより信頼性、実用性、量産効果を重視していた事の証左と言えよう。
小直径空冷発動機に拘り続けた日本と対照的に思える。

[893] 更新のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2008/12/28(Sun) 20:27
本日、弊社の年末年始休暇および通信販売に関するお知らせを掲載いたしました。
http://www.general-support.co.jp/exinfo.html

[892] 確かにわかりにくいですよね 投稿者:ともも 投稿日:2008/12/27(Sat) 22:44
太平洋戦記2文庫版届きました。
ありがとうございます。

確かに、発動機の名称ってわかりにくいですよね。
なんでああなっちゃったんだろう。


今回の発動機の話は面白かったです。
発動機から航空機を見てみると、
普段とはまた違ったものが見えました。

[891] 1月5日 投稿者: 投稿日:2008/12/26(Fri) 19:53
突然ですが 1月5日に市ヶ谷方面に出張と相成りました。
まだ 切符がとれていないので どうなるかわからないのですが
靖国神社にも参拝できればな、と思っております。

もし 会う機会がありましたならば
よろしくお願いいたします。

[890] 栄に栄えあれ 投稿者:ケンツ軍曹 投稿日:2008/12/25(Thu) 19:23
栄についての質問がこれほどの反響になるとは思ってもいませんでした。
色々と勉強させていただき本当にありがとうございます。
わけても排気量についてのお話は目からうろこが落ちる思いでした。
今日はクリスマス。
これから年末年始にかけて忘年会シーズンとなります。
皆様、胃腸を壊さぬよう御自愛下さい。

[889] 多気筒化の障害 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/12/25(Thu) 15:57
ボアを大きくすれば高速回転時にうまくシリンダーを冷却できなくなる。
ストロークを大きくすると発動機直径が大きくなり空気抵抗が増加する。
かくして空冷発動機は複列化し14気筒もしくは18気筒への道を歩んだ。
ところが...

この多気筒化への道は平坦な道ではなかった。
14気筒は割とスンナリ実現化できた。
栄にしてもハ5系にしても。
米のR1830や独のBMW801、ソ連のシュベツォフM82も同様だ。
だが18気筒化はそう簡単には行かなかった。
大体、大戦中に1000基以上量産され実戦で使われた空冷18気筒発動機は誉とハ42及び米のR2800とR3350(B29が使用)の4種に過ぎない。
なんと英独ソの3列強ですら空冷18気筒をモノにできなかったのである。
(モノは言いようだ。高性能な水冷発動機で音に聞こえた英独にとって空冷18気筒はさして必要では無かったとも言える。)

全ての空冷星型18気筒が難産だった訳ではないが誉は特にツワリが酷かった。
米製R2800の77%しかない排気量で同等の2000馬力を叩き出し、なおかつ抵抗面積もまた77%のコンパクト設計!
これでどっか問題がなけりゃどうかしている。
まあ、問題の中には時間さえあれば解決できるモノも幾つかあったしそうでないモノもそれなりにあったが...

さて、日本は負けたので1945年8月15日を境に航空機用発動機の開発は「もう考えなくて良い事」になったが勝った側には「その後」が控えていた。
どうあっても出力及び排気量の増大を図らねばならなかったのである。
よって既に18気筒化をやり終えた米に続き英ソも空冷複列18気筒の実用化へ乗り出す。
「英は良質な水冷があるから空冷なんて要らないじゃない。」と言うなかれ。
水冷は水冷で頭打ちとなる事情がかいま見えてきたのだ。

かくして英国は空冷複列18気筒のセントーラス(53.6L)を量産(開発自体は戦前から始まっていたが実用化及び量産化は戦後になった)しファイアブランド、ブリガンド、バッキンガム、テンペスト2、シーフューリーなどの機体に次々と装備していった。
ただしこれらの機体はどれも1000機未満しか生産されていない。
英国としては同盟国に米国がいるんだもの。
「とりあえず体面を保つ兵力」さえ維持出来れば無理をしてまで開発/量産しなくても良い。

それに比べソ連の方は深刻だった。
なにしろ何時、原爆を搭載したB29が飛来するか知れやしないのだ。
毒には毒をもって制す。
言い換えればB29に対抗するにはB29。
幸い大戦中、ソ連に不時着したB29がありソ連は早速、コピーした。
Tu4の誕生である。

でもB29が装備したR3350(離昇2200馬力)に匹敵する発動機が生産できなけりゃ機体だけコピーしたって張り子の虎だ。
さてソ連の空冷発動機の系譜を眺めてみよう。
ソ連製空冷発動機の源流はシュベツォフ設計局による米国のライト製R1820(9気筒:B17やSBD、F2Aなどに装備)のライセンス生産に始まる。
M25と呼ばれるこの発動機はI−15やI−16に装備されスペインやノモンハンなど世界各地で大活躍し改良型のM62やM63へと発展していった。
なおソ連の空冷発動機を彩るもうひとつの流れとしてツマンスキー設計局による仏グノーム・ローヌのライセンス生産と改良型があるのだが話がややこしくなるのでここでは触れないでおこう。

一方、米のライト社はR1820を14気筒化したR2600を開発、B25やTBF、SB2Cなどに装備され爆撃機用発動機として発達していった。
これは戦闘機用としてはストロークの短いP&WのR1830(14気筒)やR2800(18気筒)があったからである。
そしてR2600の後継となる18気筒空冷発動機がB29に装備されたR3350であった。

ソ連だっていつまでも9気筒で我慢しているつもりはない。
だが14気筒化に際しソ連が歩んだ道はR2600のライセンス化ではなくM63の14気筒化であった。
M82と命名されたこの発動機はLa3やLa5、Tu2用として1940年から70000基以上も生産された。
これを更に18気筒化したのがASh73である。

よってR1820の孫であるR3350とM25(R1820のライセンス版)の孫であるASh73はイトコ同士にあたり構造上、多くの類似点が見られた。
これをTu4(B29の無断コピー)に装備するのだからくっつかないはずはない。
ただしソ連内における空冷18気筒化の開発は艱難辛苦を極めM70、M71、ASh72と試作が繰り返されASh72になってようやく量産化のめどがたった。

それだけではない。
ASh72にはR3350には付いている排気タービンが無く燃料供給はキャブレター式であった。
つまりTu4はB29と外見はそっくり馬力は同等であったものの高々度性能が劣り故障も頻発するデッドコピーだったのである。
もっとも不時着で入手した米製R3350を解析し後日、ASh73にも排気タービンと燃料噴射装置がつけられる様になったが。

そしてその頃...
米軍は既に6発戦略爆撃機B36の戦力化を着実に進めていた。
同機の発動機はP&W製R4360(71.5L)で空冷4列28気筒であった。
だがこの発動機を頂点とし空冷星型発動機の多気筒化は終焉を迎えた。
もしターボジェットやターボプロップが実用化されなければ空冷4列発動機が主流となる事があり得たかも知れない。
しかし「全シリンダーを均等に冷やさなければならない」と言う宿命をレシプロ発動機が持つ以上、冷却の複雑な空冷4列は整備性に於いてターボジェットやターボプロップに太刀打ちできなかったのである。

なおこれら戦後の航空機並びに発動機開発には東西対立が背景にあった。
連合軍諸国は事と次第により本気で「3回目」をやるつもりだったのだ。
1949年8月29日(ソ連初の核実験)までは。
でも共倒れになっては元も子もない。
以降、正面決戦はタブーとなりダモクレスの剣の下で繰り広げられるポーカーはカードがオープンされないまま1991年12月26日(ソ連崩壊の日)までレイズされ続けていった...

[888] 発動機名称の問題 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/12/23(Tue) 13:56
零戦21型が装備した発動機は栄12型(正式な海軍名称はNK1C)である。
1式戦1型が装備した発動機はハ25である。
この発動機は双方とも中島製でほぼ同一である。
ただし陸海軍で若干仕様が異なる為、完全な同一では無いらしい。

零戦22型が装備した発動機は栄21型(NK1F)である。
1式戦1型が装備した発動機はハ115である。
この発動機は双方とも中島星でほぼ同一である。
ただし陸海軍で若干仕様が異なる為、完全な同一では無いらしい。

これでは不合理極まりない。
第一、陸軍式だと発動機の系列がうまく把握できない。
よって陸海軍統合呼称が制定されるに至った。
かくして栄12型はハ35−12型、栄21型はハ35−21型と呼称される様になったのである。

なんの事はない。
「栄」の一文字が「ハ35」の三文字になっただけだ。
天風(統合名称ハ23:旧陸軍名称ハ13)、瑞星(ハ31:ハ26及びハ102)、火星(ハ32:ハ101及びハ111)、金星(ハ33:ハ112)、BH(ハ44:ハ219)、誉(ハ45:同左)、熱田(ハ60:ハ40及びハ140)も同じである。

また元々、海軍で通称の無かったハ41とハ109はハ34になりハ104はハ42、ハ211はハ43となった。
つまり統合呼称を要約すると単列星型がハ23、複列星型14気筒がハ31〜35、複列星型18気筒がハ42〜45、水冷がハ60となる。
だがちょっと考えてみて欲しい。

旧陸軍発動機呼称にハ23〜60までのナンバーが無ければ問題はない。
だが既に多くの発動機がこの範囲に割り振られていたのだ。
100式司偵や99式襲撃機が装備したハ26、3式戦が装備したハ40、100式重爆や2式単戦が装備したハ41などである。
よって紛らわしい事このうえなかった。
統合名称の複列星型18気筒が42から始まるのはせめて41を外し混乱を少なくする為の措置であろう。

それにしても....
どうせ混乱を防ぐのなら統合名称に「ハ」なんて付けないで欲しかった。
僕としては当掲示板来訪者諸氏が混乱しない様にできるだけ誉、栄など通称で表記しそれが出来ない物についてはなるべく統合名称で表記するつもりでいる。
ちなみに統合呼称のハ50番台は複列22気筒や4列28気筒、4列36気筒などのオバケ試作発動機が跋扈するバケモノ屋敷であった。

[887] 無茶は駄目だけど、ぎりぎりじゃないと勝てない 投稿者:ともも 投稿日:2008/12/22(Mon) 22:54
ベアリングは今でも技術力がいる製品ですからね。
精密さが性能を大きく左右しますし。
今でも人件費の高い日本が3分の1程度のシェア占めてるらしいです。

>誉は離昇出力時95オクタン、通常91オクタン仕様で、終戦時まで概ね(少なくとも疾風の部隊には)
>高オクタン燃料は供給されていたようです。(学研の歴史群像「四式戦闘機疾風」89ページ参照)
wikipediaからですが、もともとは100オクタンで使うように設計されていたみたいです。
水メタ使ってやっと91オクタンの燃料でも通常に運用できるようになりました。
誉の一一型で圧縮比が7.0、二二型から8.0になってます。他のエンジンはほとんど6台(元になった栄は7.0)です。
圧縮比が高いほど、ノッキングを起こしやすいことは明らかなので、ここからも誉がノッキングに弱い設計であることがわかります。
もちろん、稼働率が悪かった原因はそれだけではないんですけどね。

> え〜と、それって雷電・鍾馗と同じじゃないんですか?

近いタイプになると思います。ただ、雷電や鍾馗よりも翼面荷重が必要ですから、当然速度性能は落ちるでしょう。
それでも初期型で500キロ台後半、最終的には600キロで空母着艦可能な戦闘機は作れたと思います。
F6Fと互角と考えると厳しいかもしれませんが、零戦よりはよっぽどマシで、互角程度に戦えたんじゃないかなと考えてます。
ただ、互角以上でと考えると無理ですね。火星ではやっぱり厳しかったとは思います。
航続距離が落ちることを考えると、まともに戦えたかも怪しいですね。
やっぱりエンジンですよね…。
架空の話なんで、実際は色々問題が起きて、結局開発が遅れたりしたかもしれません。


>R2800程、余裕だらけでなくともハ43くらいの余裕はあって然るべきなのではなかろうか?
戦時量産発動機としては。

旧日本軍はいつも性能差を無理に埋めようとして、大失敗してますね。
無理に装備を詰め込んだら船が転覆したり。零戦だって無茶したから急降下性能が悪い。
技術面だけではなく、作戦面でもぎりぎりだったり無茶しすぎたり。
結局、国力差があるから、余裕を持って戦ってしまっては勝てない。
だから、バックアップや余裕を考えずに全力やってしまう。
だけど、いざ不具合がでたら、それに対応する余裕がないんですよね。

うーん、今となっては、無茶しなきゃよかったのにと思っちゃうけど、
勝つために無茶をせざるを得なかったと考えるほうが妥当な気もします。
ただ、ほんのちょっとだけの余裕は欲しかったですね。無茶な部分だけでもやめればよかったと思います。

[886] 更に大事なのはストローク 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/12/21(Sun) 20:20
「877」で大事なのはシリンダーだと書いた。
空冷発動機ではシリンダーの数値の中でもストロークが大きな意味を持ち発動機の性格を表す。
ストロークが長ければ排気量が大きくなる反面、発動機直径が太くなって空気抵抗が増し短ければ小排気量かつ小空気抵抗となる。
つまり大馬力を要する爆撃機用と高速を要する戦闘機用が明確に分化する訳だ。

空冷発動機の排気量とストロークサイズ及び発動機直径比較:
        排気量    ストロ 直径mm
瑞星      28.0   130 1118 
金星      32.3   150 1218 
ハ43      41.6   150 1230 
火星      42.1   170 1340 
ハ42      54.1   170 1370 
天風      17.9   150 1208 
栄_      27.9   150 1150 
誉_      35.8   150 1180 
寿_      24.1   160 1290 
ハ5      37.5   160 1260 
ハ44      48.2   160 1280 
護_      44.9   170 1380 
光_      32.6   180 1360 

見ての通りストロークが長い発動機は発動機直径が大きい。
しかし...
誉とハ43はストロークが等しいのに発動機直径はハ43の方が50mm大きい。
これは何を意味するか?
ハ43は誉に比べクランクを中心とした内部設計に余裕があるのではなかろうか。
誉は整備性の悪さや低稼働率で悪名を馳せた。
そして誉の数々の欠点(混合気の配分問題や軸受破損、出力低下、配線燃焼など)のうち幾つかは時間と共に解決されていったが「根本的要因」による欠陥は何時までも残り続けた。
新型発動機が順調に動く様になるまでにはそれなりに時間がかかる物である。
「確かに誉は欠陥だらけだったがハ43の欠陥が露呈しなかったのは量産されなかったからだ。もしも量産されていたら誉同様、欠陥だらけだったに違いない。」と断じる人士もいる。
だが果たしてそうだろうか?
仮定論に過ぎないが「そうでもないんじゃないか?」と僕は思う。
同じ18気筒発動機ながら三菱のハ42は誉ほどの悪評は聞かない。
その三菱が手がけたハ43だ。
それなりにノウハウも蓄積されているだろう。
加えて前述した50mmの余裕がある。
誉は中島が技術の粋を尽くして造り上げた小型大馬力発動機だ。
たった排気量35.5Lなのに2000馬力もでる。
45.9Lで2000馬力の米R2800とは大違いだ。
凄いもんだなあと本当に思う。
ただし性能が凄い代わりに構造が緻密で整備時に隙間が狭くて指が入らなかったり配線が加熱部分に当たると焼け焦げてしまったり「整備員泣かせの困ったちゃん」でもあったらしい。
50mmの余裕が実際、どの程度の影響を及ぼすのか今となっては判らない。
でも「どうせハ43だって駄目に違いない。」と決めつけられないと僕は思う。
なお各発動機の正面面積を比較すると誉(109)、ハ43(118)、R2800(141)になる。
R2800程、余裕だらけでなくともハ43くらいの余裕はあって然るべきなのではなかろうか?
戦時量産発動機としては。

[885] 発動機はすげー難しいです。 投稿者:K-2 投稿日:2008/12/21(Sun) 01:16
>当時の国産では0.012〜0.15mmと、欧米製に比べて6〜8倍の「荒さ」のようでした。

昔、元戦車兵の方に話を伺った時にも、国産ベアリングは質が悪くて転輪がもげたりした、とか
隊長車だけ外国製の高品質ベアリング使ってた、とかいう話を聞きました。

>電装系や燃料系統のトラブルなどについても経験が必要だったのでは?

電気系統苦手だったし、高分子系の素材はもっと苦手でしたよね。実物があっても、同じモノが造れないくらい。
パッキンの素材とか、防弾ゴムの素材も、カネビアンができるまでダメだった訳ですし。

結局、産業革命の遅れを必死に追いすがって、機体やエンジンなんかはもう少しのところまで来たけど、
過給器やら無線やらプロペラやらレーダーやら補機類はまだまだ届かなかった、って事でしょう。
全てを列強並に開発して追いつくには日本の国力は小さすぎたし、またスタート時の差も小さくはなかったって事で。
逆を言えば、核となる機体設計とエンジンだけはなんとかもう一歩のところまで追いつけたのは他を切り捨ててた
からであって、そこら辺は戦争始まってからの戦車の切り捨て方からもわかる気がします。

>誉は高オクタン燃料(オクタン100)でちゃんとした性能をだせるように設計されたハイオク車だったわけです。

誉は離昇出力時95オクタン、通常91オクタン仕様で、終戦時まで概ね(少なくとも疾風の部隊には)
高オクタン燃料は供給されていたようです。(学研の歴史群像「四式戦闘機疾風」89ページ参照)

>零戦とは違う翼面荷重値の高い艦上戦闘機を開発、それに火星や金星、ハ41〜ハ109が搭載できれば、

え〜と、それって雷電・鍾馗と同じじゃないんですか?
鍾馗はとにかく速度第一で機体も小さく、燃料搭載量も少なく発展性もなさそうです。(しかも着艦無理そう)
雷電は重武装で防弾も充実してますが1500hpの火星11型では時速600kmに届かず火星23型を待つことになります。
って事はやっぱ火星じゃF6Fに対抗する艦戦は無理じゃないんですか?
雷電で着艦は事故続出しそうだし。かと言って、速度第一の雷電と違う設計だとそれより速度落ちるのは確実だし。
(現実はそうでも無いかもしれませんが、当時の三菱の理論ではそう思われていた訳ですから)
堀越技師が「マーリンが使えれば・・・」と嘆いたのもわかります。

現実問題、F6Fと同じ2000馬力級エンジンを積んだ紫電改はF6Fと互角か上回る性能を発揮してます。
その元の紫電は43年中に完成してます。楽するつもりで結果遠回りになっちゃったのと、
川西に戦闘機の経験が全然無かったせいで紫電は44年の後半、紫電改は45年までズレ込んでますが、
これを中島がやってたら44年初頭には量産始まってたでしょう。(っつーか疾風はそのくらいだし)
だからやっぱりここでもエンジン、なんですよね・・・・

>Bf109E3の全備重量が2586kgで3式戦1型が3470kg。
>同程度のエンジンなんだから900kg爆弾積んでるのと同じぐらいの負担だ。

三式戦は最初は3t無いのにどんどん重くなっていって、丙型までいくと最初に比べて1tくらい重くなってますよね。
まあ、P−40なんかは同じくらいの出力で4t越えてる訳ですけど。米軍機は重いなぁ。
ただ、三式戦は速度こそ日本機にしては速いけど、運動性や上昇力などが零戦・隼などより低いので
与しやすい、と米軍パイロットからは見られていた様ですね。

しかし、このエンジンと装備機体の一覧表を見ると、一線級のエンジンを開発・生産できたのが
三菱と中島だけだったってのが日本の国力を物語ってます。(だから中島知久平は偉大だと思いますが)

[884] 発動機は難しいですね? 投稿者:C物品 投稿日:2008/12/20(Sat) 21:45
発動機の件ではみなさん盛り上がっていますね?

当時の日本の工業力では大出力な発動機を円滑に動かすための基礎加工技術が欧米に比べて劣っているのが痛いですね?

成瀬政男教授の「科学技術の母胎」によれば、
1940年代のボールベアリングのボールの精度(表面のでこぼこ)については、
欧州(SKF社)が0.002mm以内に対して、
当時の国産では0.012〜0.15mmと、欧米製に比べて6〜8倍の「荒さ」のようでした。

また、当時の日本で欧米並みの水冷エンジンを運用するには、エンジン本体のほか電装系や燃料系統のトラブルなどについても経験が必要だったのでは?と思います。
(青海巌男「整備士から見た艦爆「彗星」:航空ファン1971年)

こればかりは、結構経験が影響するような気がします。
やっと国産機が量産化された時期の日本には、技術が熟成する時間がなかったのでやむを得ないとは思いますが・・・・

[883] 発動機のサブタイプ 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/12/20(Sat) 16:15
>開発メーカーの自社製発動機の身びいきもそうですが、
零戦や操作性、翼面荷重値の低さにこだわり過ぎてしまったのも、日本を滅ぼした要因だと思います。

操作性や翼面過重も重要な要素だけど「二兎を追う者はなんとやら」と言うからね。

>エンジンもあるけど、飛燕って重すぎませんか?Bf109と比べると大分重いんですよね・・・・(零戦や隼は言うに及ばず)

まさにその通り。
Bf109E3の全備重量が2586kgで3式戦1型が3470kg。
同程度のエンジンなんだから900kg爆弾積んでるのと同じぐらいの負担だ。
これでそれなりに性能を発揮したんだから3式戦のバランスは相当優れてたんだろうなあ。

さてそれでは日本の発動機がどの航空機に装備されていたか判りやすくまとめて見よう。

日本の発動機は色々ある見たいに見えるけど実は瑞星、金星、ハ43、火星、ハ42、寿、ハ5系、ハ44、天風、栄、誉、光、護、ハ40、熱田の15種だけで過給器の改良や回転数の向上、水メタ噴射装置の追加、排気タービンなどで馬力が増加しサブタイプが多いに過ぎない。
例えば金星の場合、金星4Xは1速過給器で1000馬力だけど金星5Xは2速で1300馬力、金星6Xは水メタで1500馬力と言った具合だ。
それと海軍と陸軍で別々の発動機名を付けたんでややこしくなっている。

−−−−−−−中島−−−−−−−−
寿4   96艦戦、97式戦

光    96式艦爆、97式司偵1、97式艦攻1

栄1X  97式艦攻3、98式陸偵12型、零戦21、1式戦1、99式双軽1
栄2X  零戦22、32,52、月光、1式戦2、99式双軽2
栄3X  零戦63、1式戦3
     栄1は1速、2は2速、3は水メタ噴射付で馬力アップ

誉1X  銀河
誉2X  紫電、紫電改、天雷、彩雲、4式戦
誉2X排 彩雲改、連山
     誉2は回転数増大、排は排気タービン付

護    天山11、深山改

ハ5   97式軽爆、97式重爆1、100式輸1
ハ41  2式単戦1、100式重爆1
ハ109 2式単戦2、100式重爆2
     ハ41は回転数増大、ハ109は2速化で馬力アップ

ハ44  キ87、キ94−2

−−−−−−−三菱−−−−−−−−−−
瑞星1X 零式水観、99式襲撃、97式司偵2、100式司偵1
瑞星2X 100式司偵2、100式輸送機2、2式複戦
     瑞星2は2速化

金星4X 96式陸攻21、零式水偵、99式艦爆11、97式大艇22型
金星5X 96式陸攻23、99式艦爆22、瑞雲、キ102乙襲撃
金星6X 零戦54、64、彗星33、1式戦4、キ116、5式戦、100式司偵3
金星6X排 100式司偵4、5式戦2型、キ102甲高戦、キ108高戦
     金星4は1速、5は2速、6は水メタ、排は排気タービン

火星1X 1式陸攻11、97式重爆2、深山、2式大艇11、強風
火星2X 1式陸攻22以降、2式大艇12以降、雷電、紫雲、天山12、極光
     火星は最初から2速、2Xで水メタ

ハ42  4式重爆、キ93襲撃

ハ43−1X 烈風、流星改1
ハ43−4X 閃電、震電
     4Xはフルカン

ハ43−1X排 烈風改、キ83遠戦、キ74遠爆、キ98、キ94−1

−−−−−−その他−−−−−−−−−−
ハ9   95式戦2型、98式軽爆

ハ40  3式戦1
ハ140 3式戦2
     ハ140で水メタ

熱田21 彗星11
熱田32 彗星12、晴嵐、
     32で水メタ

天風   東海、96式小水偵、零式小水偵、

[882] 現実的な可能性 投稿者:ともも 投稿日:2008/12/19(Fri) 04:47
>日本のエンジンは過給器が1段しか無かったのが問題な訳ですよね。栄とか、1段3速。
過給器の性能はスペックに現れにくい(というより過給器のスペックがわかりにくい)のでイマイチよくわからないんですが、
1段と2段の大きな差は、1段目と2段目の間で冷却できることと、2回も圧縮できるので高圧縮が望めることだと思います。
圧縮すると熱を持つので、ノッキングを起こしやすくなります。冷やすことによって、もう一度圧縮しても、ノッキングを起こしにくくなります。
1速2速の違いは、地上では圧縮しすぎてしまうので、それを防ぐために1速2速と分ける必要があるわけです。
1速2速の違いは大きそうですが、2速3速の差はあまりない気もします。

>そりゃ、高オクタン燃料はアンチノック性能いいだろうけど、ノーマル車にハイオク入れても性能上がらない訳だし。
でも、誉は高オクタン燃料(オクタン100)でちゃんとした性能をだせるように設計されたハイオク車だったわけです。
当時の日本の燃料は、海軍は92オクタン、陸軍は86〜88オクタン程度だったので、比較するとハイオク車ですね。
排気量:35.8 L、直径:1,180 mmという小ささなのに約2000馬力出せたのは、ハイオク設計だったためだと思われます。
今の車でもハイオク車は高性能ですし、ハイオク車が作れない、作っても故障するという点で、この差は大きかったと思われます。

>学研の歴史群像「飛燕」・五式戦
ちょっと高いので(貧乏学生のためお金ありません)
図書館で見つけたら読んでみます。ありがとうございます。

いい過給器が欲しいと嘆いてましたが、ないものねだりをしても仕方がないので、現実的に考えてみました。
当時の日本の技術力で作れたものを考えると、零戦とは違う翼面荷重値の高い艦上戦闘機を開発、それに火星や金星、ハ41〜ハ109が搭載できれば、
特に火星やハ109なら、600キロ程度の、F6Fに対抗できる艦上戦闘機を43年初めには採用できたんじゃないでしょうか?
もっとも、空母離着陸性能や航続距離はどうしても落ちてしまいそうですが…。
艦上戦闘機は、零と烈風しか開発されてなかった。一方米国には、F4UのバックアップにF6Fがあった。この差は大きいかもしれませんね。

開発メーカーの自社製発動機の身びいきもそうですが、
零戦や操作性、翼面荷重値の低さにこだわり過ぎてしまったのも、日本を滅ぼした要因だと思います。

太平洋戦記2文庫版購入させていただこうと思います。
戦記2持ってるんですが、友人にクリスマスプレゼントとして渡そうと思うので。楽しみに待ってます。

[881] ちょっとムキになってるかなぁ 投稿者:K-2 投稿日:2008/12/19(Fri) 00:22
>過給器
日本のエンジンは過給器が1段しか無かったのが問題な訳ですよね。栄とか、1段3速。
マーリンなんかは2段3速とか。DB601なんかはフルカン継手だったから無段変速なんでしょうけど、
過給性能はどんなモンだったんでしょうか?三式戦の高々度性能から言って、栄なんかよりは良さそうですが。

>最高速度
昔は、日本機は欧米機に比べてなんでこんなに遅いんだろう、と思ってましたが(低高度でも)
日本側の計測だと緊急出力時の速力で測定しないからだ、と言うことをつい最近知りました。
そりゃ、高オクタン燃料はアンチノック性能いいだろうけど、ノーマル車にハイオク入れても性能上がらない訳だし。

>つまり水冷1500馬力は空冷2000馬力に匹敵するって事だ。

確かにスピットファイアやBf109、P-51と疾風やコルセアあたりを比べるとそんな気もします。
が、スピットとBf109は、疾風やコルセアと比べて航続距離が全然短い>燃料積んでない
で、ハンデがあると思うので、やっぱP−51が特別なんじゃなかろうか〜と言う気も。

>確かに金星は最終的に1500馬力になったがその頃には火星も1850馬力になっている。

すみませんねぇ。よく、「金星は1500hp出てたんだから誉なんか使わずに信頼性高い金星使うべきだった」
とか書いてる本が多いもんだから、1500hp出る金星は、誉よりも登場遅いじゃん、って言いたくなるんですよ。

>DB 601をライセンス生産した結果が、飛燕ですね。
エンジンもあるけど、飛燕って重すぎませんか?Bf109と比べると大分重いんですよね・・・・(零戦や隼は言うに及ばず)
まあそれでも鍾馗T型より馬力小さくても速いってあたりが液冷の力なのかなぁ。

>ライセンス料の二重払いまでやってくれてますし。
ここら辺のいきさつは学研の歴史群像「飛燕」・五式戦に詳しく書かれていますのでご一読を。

>DB 601の生産に失敗したのもニッケル不足などの原因もあったわけですし

戦争後半はもう、代用材料のせいでボロボロですよね。栄31型なんかシリンダー吹っ飛ぶ事故が起きたり。
カタログスペック出せないのも当然ですね。

[880] ちょっと回答など 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/12/18(Thu) 20:15
>マーリンの方がもっと繊細でカリカリチューンなエンジンだった、という話も聞きます。(時期にもよるだろうけど)

DB601のコピーが出来なかった日本だもん。
マーリンのコピーだって難しかったと思うよ。
やっぱ自動車大国アメリカのパッカードだからできたんだろうね。

>液冷エンジンを大成させてる国は自動車産業を基盤として発展してる訳なので、自動車産業が町工場レベルだった
日本での液冷エンジン大成は元より望めない事だったのでしょうか。

そもそも空冷は生産が簡単で保守も簡単なのがウリな反面、馬力の割には空気抵抗が大きいのが欠点だ。
よって米英で空冷は元来、爆撃機向きとして扱われている。
(米艦戦は空冷だがこれはまあ、低高度が主な活動域だし。)
僕としては同じ速度を要求するなら空冷は水冷の3割り増しで馬力が必要だと考えている。
つまり水冷1500馬力は空冷2000馬力に匹敵するって事だ。

>R2800が高度6000でいくら出るのかわかりませんが、だとするとP51を1500hp級エンジンと言うのは違うような気も・・・

R2800にも排気タービンの有無や水噴射装置の有無色々などで様々なタイプがある。
だから同じR2800であってもP47とF6Fでは全く話が異なってくるのだ。
ちなみにF6Fの上昇力は高度が高くなるほど悪くなる。
排気タービンが付いてないからね。

>結局、信頼性高い1500hpエンジンって、金星と火星くらいで金星は水メタ噴射付きになってやっとで誉より登場が遅い。

さてさて、火星と金星が共に1500馬力ってのはどんなもんだろう?
火星の排気量は42.1Lで金星は32.34L。
つまり金星は火星の75%にしか過ぎない訳だ。
確かに金星は最終的に1500馬力になったがその頃には火星も1850馬力になっている。
また火星が1530馬力だった頃、金星は1300馬力に過ぎなかった。
同じメーカーが同じ技術レベルでエンジンを改良すれば排気量の差が明確に出てくると思う。

[879] 結局は過給器しかない 投稿者:ともも 投稿日:2008/12/18(Thu) 03:55
> 所が残念な事に当時の日本で一番、欠如していたのが「高度な技術開発力」なんだ。
まさにその通りでした。
DB 601をライセンス生産した結果が、飛燕ですね。

>陸海軍が協調しメーカー同士が「自社製発動機へのこだわり」を捨てればもう少し何とかなったと思うんだよ。
これも阿部さんのご指摘の通りだと思います。
同じDB 601ベースのアツタの稼動状況はマシですし。
飛燕にアツタをつめれば、飛燕もまともに空を飛んだかもしれませんね。
しかも、ライセンス料の二重払いまでやってくれてますし。

そう考えていくと、大排気量エンジンしかないわけですね。理解しました。
だけど、大排気量エンジンはポテンシャルは高いけど、デブで燃費が悪い。
空気抵抗や燃費の問題になってきますね。


高度で馬力が出るかも大事ですよね。
過給器の性能が良いと、高高度の性能が良い。
艦載機にはあんまり関係がないかもしれませんが、迎撃機になってくると高高度性能が一番重要なわけで、
根本的な問題解決にはやはり過給器の性能向上しかなかったんじゃないかなと思います。

ただ、よく考えると、過給器で高い圧縮率実現したとしても、十分に冷却できたかどうか。
もし、十分な冷却ができないなら、高オクタン価のガソリンがないと意味なかったですね。
水メタノール噴射で、やっとまともにブーストできたわけですし。

DB 601の生産に失敗したのもニッケル不足などの原因もあったわけですし、技術云々よりも国力や資源の差が痛いですね。

[878] 気になる事を・・・ 投稿者:K-2 投稿日:2008/12/18(Thu) 00:33
幾つか気になることがあるのでカキコします。

>DB601とマーリンについて
よく、日本にDB601のような繊細なエンジンのコピーは無理だった、というような記述を見ますが、
マーリンの方がもっと繊細でカリカリチューンなエンジンだった、という話も聞きます。(時期にもよるだろうけど)
1000hpから1500hpクラスまで引っ張り上げたってのは日本の金星と一緒ですが、排気量の差に技術の差を感じます。
ただ、あんまり排気量の小さいエンジンの馬力を上げるのは冷却難しくなるし強度確保も大変だし、部品精度も
上げなきゃなんないし、日本みたいな国では難しかったでしょうね。
液冷エンジンを大成させてる国は自動車産業を基盤として発展してる訳なので、自動車産業が町工場レベルだった
日本での液冷エンジン大成は元より望めない事だったのでしょうか。

>馬力と排気量
排気量は基礎体力で、ブースト圧なんかが技、って印象なんですが。
あんまりシリンダーが大きいと、燃焼速度の限界の関係で今度は回転が上がらなくなるってのを聞いたことがあります。


>P−51
最高速度は層流翼(厚板構造の)の御陰って感じですが、上昇力・加速力はどうでしょうか・・・・
上昇力については昔見た資料だとF6Fがぶっちぎりでトップだった覚えがありますが・・・・
あと、誉なんかは離昇出力でこそ2000hpありますが、高度6000とかだと1600hpくらいしか出ないみたいです。
逆にマーリンは高度6000だと1700hpくらい出るってのを見たことがあるんですが・・・
R2800が高度6000でいくら出るのかわかりませんが、だとするとP51を1500hp級エンジンと言うのは違うような気も・・・

>何故誉か
結局、信頼性高い1500hpエンジンって、金星と火星くらいで金星は水メタ噴射付きになってやっとで誉より登場が遅い。
火星は最初から1500hpあったけど雷電で失敗してる・・・と考えると他にエンジンが無かったんだろうな、って事で。
学研歴史群像の「三式戦と五式戦」でも日本が目指してたのはDB605で、ハ40からそこまで発展させたかった様な旨が書いてありました。

[877] 大事なのはシリンダー 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/12/17(Wed) 21:22
さてと...
発動機の話題で活気づいてきて何よりだが「発動機の知識がちょっと...」と言う方の為にちょいとばかり基礎的な解説をしよう。

ごく当たり前の話だが発動機は燃料と空気を燃焼させ動力を産み出す。
この燃焼室がシリンダーで広ければ広い程、動力が大きくなる。
そしてシリンダーを放射線上に配置したのが空冷星形発動機でありクランクを主とした内部構造及びシリンダーを主とした外部構造によって構成される。

シリンダーは円筒形の燃焼室で一般的に内径をボア(前にシリンダーの直径と書いたが「内径」の方が正しい。以降はボアと呼ぶ)、長さをストロークと呼称する。
シリンダーの容積はボア÷2×3.14×ストロークであり発動機全体の排気量はシリンダー数×シリンダー容積となる。
火星の場合、ボアが150mm、ストロークが170mm、シリンダー数が14なので排気量は42.1リットルである。
なお14シリンダーエンジンを日本語では14気筒発動機と言う。
また日本海軍では同一サイズシリンダーを同一数、同一構造で装備した発動機を基本的に同一発動機名で呼称(例外として寿3型があるので全てではない)する。

米国も大体、同じである。
ドイツのエンジンはメーカー名+ナンバーで表記されるが同一シリンダーかつ同一排気量であってもナンバーの異なるケース(DB600とDB601など)が散見される。
英国も大体は「同一排気量なら発動機名が同じ」と言えるが「マーキュリーとパーシュース」の様な例外も見受けられる。

一番厄介なのは日本陸軍だ。
例えば三菱の火星の場合、プレイヤー諸氏も御存知の様に強風が装備した13型(離昇1460馬力)や雷電21型の23型甲(離昇1800馬力)、天山12型や極光の25型(離昇1850馬力)、1式11型の11型(離昇1530馬力)など様々な型式があるがこれらは同じシリンダーを同じ数だけ装備しているので排気量は全て同じなのだ。
発動機名称が火星なのだから一目瞭然である。
ところが火星とほぼ同じ目的で開発された中島のハ5改(離昇950馬力:97式重爆1型が装備)、ハ41(離昇1250馬力:2式単戦1型や100式重爆1型が装備)、ハ109(離昇1500馬力:2式単戦2型や100式重爆2型が装備)が同一シリンダーで同一数装備、同一排気量なのに発動機名が別なのだ。
把握しづらくて困ってしまう。
よって以降は日本海軍や米国流の呼称で解説するとしよう。

さて、同一サイズシリンダーを同一数装備した発動機は同一発動機だがシリンダー数を変えた場合はどうなるのであろうか?
これは「別の発動機だが同系列」と考えられる。
ちなみに空冷星型単列発動機のシリンダー数は奇数が基本(偶数だとピストンが同時に上死点と下死点に存在し故障の原因となる為)だがむやみにシリンダー数を増やすと発動機直径が大きくなり構造も複雑化してしまう。
よって空冷星型単列発動機のシリンダー数は大抵7もしくは9なのでありシリンダーが11や13になるのは現実的でない。
ちなみに日本初のオリジナル国産量産型航空機用発動機である寿(排気量24.1L)はボア146mm、ストローク160mmでシリンダー数は9であった。

排気量を増大させる手段にはシリンダー数を増やす以外にシリンダーサイズを大きくすると言う手もある。
第2次世界大戦時、諸列強が軍用機用に量産した星型発動機のシリンダーでもっとも大きかったのは日本の光でボア160mm、ストローク180mmであった。
これは量産された軍用機用星型発動機としてはボアで世界最大、ストロークで英のペガサスに次ぐ2位であり9気筒ながら排気量が32.6Lもあった。
ただしボアを大きくするとシリンダーの冷却効率が悪くなり高回転時に問題が生じてしまう。
「中島飛行機エンジン史」によると光で高回転実験をしたらかなりの障害がでたらしい。
加えてストロークが長いのも発動機直径が大きくなって空気抵抗が増すと言う欠点がある。
そこで中島は160mm×180mmシリンダーに見切りをつけ光の後継たる爆撃機用大型発動機としては新たにボア155mm、ストローク170mmの新型シリンダーを採用する事にした。
これが護である。

え?
シリンダーが小さくなったら排気量が減ってしまうんじゃないかって?
大丈夫、シリンダー数が14になり排気量が44.9Lに増えたのだ。
むやみにシリンダーを大きくするよりシリンダー数を増やした方が効果的なのである。
ここで「あれ?14は偶数だし11気筒以上は非現実的じゃないの?」との疑問が湧いてくるかも知れない。
心配ご無用。
寿や光は単列星型だったから偶数や11以上は御法度だったが護は1列7気筒を二つ繋げた複列発動機なのである。
複列化する事により各メーカーの発動機排気量は飛躍的に増大した。

かくしてシリンダーサイズを変えないまま各発動機は多気筒化により進化していく。
すなわち寿の14気筒化がハ5及びその改良型たるハ41と109で排気量は全て37.5Lであり18気筒化がキ87高々度戦やキ94高々度戦に装備されたハ44(48.2L)となったのである。
第2次世界大戦中、日本陸海軍の主要軍用機(練習機などを除く)が装備した空冷発動機のシリンダータイプと気筒数:排気量をちょっとまとめてみよう。

ボア×ストローク
1:140×130 瑞星(14:28.0L)
2:140×150 金星(14:32.34L)、ハ43(18:41.6L)
3:150×170 火星(14:42.1L)、ハ42(18:54.1L)
4:146×160 寿(9:24.1L)、ハ5系(14:37.5L)、ハ44(18:48.2L)
5:130×150 天風(9:17.91L)、栄(14:27.9L)、誉(18:35.8L)
6:160×180 光(9:32.6L)
7:155×170 護(14:44.9L)

見て判る通り1,2,3は三菱、4,5,6,7は中島の発動機である。
何故、両社が幾つものシリンダーを開発したかと言うのは用途が異なる為だ。
排気量は大きいが空気抵抗も大きい火星やハ5系は爆撃機用、その逆の栄や誉は戦闘機用であった。                    (続く)

[876] Re:[875] [873] 発動機の基礎体力 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/12/16(Tue) 18:43
> 総合力で見て、技術的な発展のない2000馬力(40L)エンジンよりも、洗練された1500馬力(30L)エンジンのほうがよかったんじゃないでしょうか?

洗練されてるって事は独のフルカン接手や英の過給器、米の排気タービンの様に高度な技術開発力を持ってるって事だよね?
所が残念な事に当時の日本で一番、欠如していたのが「高度な技術開発力」なんだ。
「洗練された1500馬力」が実現できるなら僕もその方が良いと思う。

> もちろん、機体の性能差というものもあると思いますけどね。P51が別格だっただけかも。P47はあの図体だし、F6Fは艦上戦闘機だし。

P51が第2次世界大戦最良戦闘機の一角である事は僕も「その通り」と思う。
そのP51の排気量が27Lなんだから「排気量は性能評価の指標とならないんじゃいか?」と言われると「う〜む、困ったなあ。」となる。
でも仰る通りにP51は機体設計が別格に良いからあれだけの高性能を発揮できたんじゃないかな?

> スピットファイアではグリフォンエンジンの方が速度性能いいですし。

ねっ、同じマーリン(P51はパッカードだがこれはマーリンのライセンス版)積んでるスピットファイアはP51程のの性能が発揮できず大排気量のグリフォンに移行せざるを得なかったでしょ?
ここからしてもP51がスピットファイアを上回る稀代の名設計だと思える。

う〜ん、でもどうかな?
機体と発動機の相性は「サイズがピッタンコ」で初めて発揮されるが逆にそれは「より大きな発動機への換装」ができず発展を阻む要因ともいえるからなあ。
誉と紫電改はベストフィットだったが誉と烈風は「×」だったし。
零戦も栄とは「◎」だが大きな発動機を積むのは無理。
これがまたP51となると「より排気量の大きい発動機」ではなく「いっそジェット化しちゃえ」ってんでFJ1フュリーになるんだから発展性があるんだかないんだか...

ああ、それと誤解の無い様に付け加えとくが僕はスピットファイアを「駄作」と決めつけている訳ではない。
同じマーリン(つまりパッカード)を装備した戦闘機としてP40があるがこの3機種を比べるとスピットファイアは限りなく1番に近い2番なのだ。
ハリケーン?
ああ、アレもマーリン装備の名機だが布製の機体じゃ...

> 日本に必要だったのは、新型の2000馬力級エンジンではなく、
> 1500馬力級でいいから、空気抵抗減らせる液冷技術と、高高度で飛べるスーパーチャージャーだったんじゃないでしょうか?
> あと何よりも信頼性。
> 液冷1500馬力があれば、遅くとも600キロは出せたでしょうし。対抗できたんじゃないかなと。

もちろんだ。
水冷1400馬力のハ140(アツタと呼んでも同じだが)を充分に生産し運用し英や独並のスーパーチャージャーを装備できればね。
でもやろうとして破綻したのが史実なので...
当時の日本ではハ140を1基製造するのに誉の3倍、栄なら4倍の労力(出典は歴史群像「四式戦闘機疾風」74頁)を要した。
「なぜ誉に期待をかけたのか?」は「優良水冷発動機の国産化に失敗」したからなんだ。

> まあ、当時の日本にこんなもの求めるのがそもそもの間違いですかね。

まったくもってその通り。

日本は水冷発動機の国産化に失敗し空冷+ターボチャージャー(排気タービンの事)に遅れをとり新型大馬力発動機(誉やハ43、ハ44)の実用化が間に合わず敗北を遂げた。
でもね...
陸海軍が協調しメーカー同士が「自社製発動機へのこだわり」を捨てればもう少し何とかなったと思うんだよ。
僕は。

[875] Re:[873] 発動機の基礎体力 投稿者:ともも 投稿日:2008/12/16(Tue) 15:51
はじめまして、初投稿です。
書き込みしようしようと思いながらしてませんでしたが、
発動機の話で盛り上がってるみたいなので、参加しようかなと。

>最大馬力や最高速度で凄い数値を出しても総合力で劣っては意味が無い。
>すなわち最大馬力や最高速度は「ある一定条件下に於いて出された結果」に過ぎず排気量こそが発動機のポテンシャルを決定する指標となる。

総合力で見て、技術的な発展のない2000馬力(40L)エンジンよりも、洗練された1500馬力(30L)エンジンのほうがよかったんじゃないでしょうか?


確かに、排気量は発動機のポテンシャル、特に馬力や速力を決定する重要な指標ではあるんですが、
最大馬力や最高速度で凄い数値を出しても総合力で劣っては意味が無い(笑)
実際は、P51のほうがF6FやP47よりも最高速が速いんですよね。
総合力という意味でも、加速力や上昇力でもP51のほうが上です。燃費、旋回性能などを見ても、P51のほうが上です。
火力や防御力で負けてますが、経済性や戦争への寄与度ではP51が上です。
もちろん、機体の性能差というものもあると思いますけどね。P51が別格だっただけかも。P47はあの図体だし、F6Fは艦上戦闘機だし。
スピットファイアではグリフォンエンジンの方が速度性能いいですし。
ただ、燃費はグリフォンのほうが悪く、あまり活躍はしてません。


自転車の例にたとえると、パワーのでかい相撲取りが、スマートでいい筋肉している競輪選手に自転車で勝てるわけがないわけで、
パワーはあるけど、息切れしちゃったら意味がないわけで、
排気量増大は、それなりにデメリットも大きかったんじゃないでしょうか?
パワーウエイトレシオをいかに改善できるか、排気量増大のデメリットをメリットが上回ることができるか、
当時の技術では、排気量増大エンジンは先進国でも微妙なラインではないでしょうか?
総合力ではそれほど大差はないかと。P51が最良レシプロ戦闘機の1つであることは間違いないですし。


日本に必要だったのは、新型の2000馬力級エンジンではなく、
1500馬力級でいいから、空気抵抗減らせる液冷技術と、高高度で飛べるスーパーチャージャーだったんじゃないでしょうか?
あと何よりも信頼性。
液冷1500馬力があれば、遅くとも600キロは出せたでしょうし。対抗できたんじゃないかなと。

まあ、当時の日本にこんなもの求めるのがそもそもの間違いですかね。

ちょっと航空機からは離れますが、一応体感した例ということで。
私、バイク乗るんですが、私が4気筒250cc、友人らのバイクが四気筒400cc、2気筒250cc、1気筒250ccと持ってて、
すべて乗り比べてみたんですが、なかなか違いが面白いです。
確かに排気量の大きな400ccは速いです。総合力は上です。弱点は大きくて取り回しがしにくいのと、燃費が悪い。
4気筒と2気筒1気筒を乗り比べると、4気筒のほうが馬力はありますが、燃費が悪いですね。5馬力ぐらいの差で、燃費がLあたり5キロ以上違います。
あと2気筒1気筒となるにつれて、エンジンのかかりが悪くなります。特に冬場はひどかったです。
排気量増大のためにシリンダー自体を大きくする場合そういう問題もあったんじゃないかなと思います。

[874] すげ〜や 投稿者:マルコメ 投稿日:2008/12/16(Tue) 07:08
> かくして日本は栄から誉(35.8L)、ドイツはDB605(35.7L)、米国はR2800(45.9L)、英国はグリフォン(36.7L)に移行した。

僕はいわゆるリッターカーってのに乗ってるんですが米軍の場合、その45台分ですか?
さぞかし燃料代も高くつくんでしょうな。
恐ろしい限りです。
それにしても今まで飛行機のエンジンは馬力表示ばかりなのでピンと来ませんでしたが排気量表示だと僕にも判りやすく面白いです。

[873] 発動機の基礎体力 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/12/15(Mon) 19:27
航空機の性能を表す指標として一般的に速度が用いられる。
そして速度を支える大きな要素として馬力がある。

だが馬力が大きければ必ずしも速力が高くなる訳ではない。
なぜならいくら大馬力でも空気抵抗が大きいと速度が高くならないからだ。
よって同馬力なら空冷より水冷の方が遙かに有利だし同じ空冷でも発動機直径(一般的には全幅でもある)の小さい方が有利になる。
とは言え馬力が大きいにこした事は無いのだから各メーカーは馬力の増大にしのぎを削る。

それでは発動機が大馬力を得る為にはどうしたら良いか?
まずは考えられるのは排気量の増大化だ。
発動機は燃焼室(シリンダー)で燃料と空気を爆発させ運動エネルギーを得る。
だからシリンダーを大きくするなりシリンダー数を増やすなりすれば簡単に排気量(燃焼室の総容量)は大きくなる。
大きくなるけど...
シリンダーを大きくしたりシリンダー数を増やしたりするのは「新型発動機を開発する事」と同じだからとてつもなく時間や経費がかかってしまう。
そこで排気量はそのままで馬力を増大化する事が考えられる。

大戦初頭、各国は1000馬力級発動機をひっさげて航空機開発に臨み排気量を変えないまま次々と馬力を増大させていった。
大戦初期の各国主要戦闘機発動機と排気量、離昇馬力を列挙してみよう。
日本:栄12型、27.9L、940馬力
英国:マーリン2、27L、1030馬力
米国:アリソンV1710−33、28L、1090馬力
独国:DB601A、33.9L、1050馬力

まあどれも同じ位の排気量だ。
排気量を変えないまま馬力を増大させるには...
排気量ってのは爆発の大きさなんだから爆発の回数を多くすれば良い。
つまり回転数を上げるのがひとつの方法だ。
DB601Aは排気量の割りに馬力が小さくはアリソンは馬力が大きいがこれはDB601Aが2450rpm、アリソンは3000rpmだからなのである。
しかし回転数を上げるってのは強度などの問題があってそううまくはいかない。
おまけに回転数が向上しても馬力が増大しない事があるってのがミソだ。

次に考えられるのが過給器による性能向上。
発動機ってのはどの高度でも同じ馬力が発揮できる訳ではない。
高々度だと空気の密度が薄くなって馬力がでなくなる。
そこで空気を濃縮する過給器が装備されるのだがこれを高性能化するのが肝要。
他にも発動機を冷却して効率化を図る水メタノール噴射装置など新機軸が次々と取り入れられ馬力は次第に大きくなってゆく。

しかし幾ら技術革新を重ねても何時かは天井が見えてくる。
結局は排気量の増大化に取り組まなければならないのだ。
同じ程度の技術レベルなら排気量が大きい方が大馬力に決まっている。
かくして日本は栄から誉(35.8L)、ドイツはDB605(35.7L)、米国はR2800(45.9L)、英国はグリフォン(36.7L)に移行した。
排気量が30L前後だった頃、各国は技術革新を重ね約1000馬力を約1200馬力、約1500馬力へと増大化させていったのである。
排気量30L前後のままで。

だから1500馬力級発動機を実用化するのには時間がかかるのだ。
ちなみに1500馬力発動機が開発されたと考えるより30L発動機の出力が1000馬力から1500馬力に進化したと考える方が理解し易いと思う。
そして次に現れたのが2000馬力を発揮する上記の35〜45L発動機なのだ。

それでは過給器などによる馬力増大を自転車を例として説明しよう。
同じ人間が変速機の無い自転車と装備されている自転車の乗ったとする。
高速運転と低速運転では適正ギアは違うし平坦路と登り坂でも勿論違う。
高性能な過給器を装備している発動機とそうでない発動機とでは大きな差が生まれそれが馬力に反映されるのだ。
でもね...

幾ら高性能なギアを備えていても乗ってる人間が虚弱だったら自転車は大して速く走らない。
一般人が15段変速の自転車に乗りママチャリに乗った競輪選手に挑んでもてんで勝負にならないだろう。
でも急坂などでギアを最大限に使えば一時的には優位に立てる。
しかし一時的に優位に立ったとしても「俺は競輪選手に勝ったぞ」と言う事にはならない。

航空機も同じだ。
最大馬力や最高速度で凄い数値を出しても総合力で劣っては意味が無い。
すなわち最大馬力や最高速度は「ある一定条件下に於いて出された結果」に過ぎず排気量こそが発動機のポテンシャルを決定する指標となる。
まあ「排気量こそ大きいが馬力の出ない駄目発動機」ってのも実在するから「排気量の多寡で発動機の優劣を比較するのも論外」と言えるが...
言うなれば「この子はやればできるのよ!」って教育ママにお尻を叩かれても勉強しなければ結局は成績の上がらないのと同じである。
ポテンシャルばかり高くてもねえ...

さて次に「同一発動機は常に同じ特性を持つか?」を考えてみよう。
ここに別機体へ同一発動機を装備し比較した面白いデータがあるので紹介する。
日本陸軍が97式戦の採用にあたりテストした中島のキ27(全幅11.3m、全長7.53m、主翼面積18.56平方m)と三菱のキ33(全幅11.0m、全長7.54m、主翼面積17.8平方m)がこれで双方とも中島ハ1甲(排気量24.1L、公称620馬力/2300rpm/3700m、最大745馬力/2500rpm/3300m、離昇710馬力:海軍名称寿2型:ただし公称を780馬力/2900mとする資料や離昇を570馬力とする資料、最大を680馬力/3500mとするなどもある)を装備していた。

結果(km/h)は以下の通りである。
       キ27 キ33
0000m  420 412
1000m  437 433
2000m  445 454
3000m  467 474
4000m  468 468
5000m  467 461
6000m  463 454

どう?
面白いでしょ?
同一発動機を装備していると言っても重量や翼面積、空気抵抗が違うから差がつくのは判るんだが同一発動機なのに最高速を記録したのがキ27は4000m、キ33は3000mなのだ。
更に4000mではイーブンなのに高々度、低高度だとキ27の方が速く2000〜3000mの中高度だとキ33の方が速い。
まったくもって面白い。
同じ発動機であっても機体が違えば微妙に結果が変わってくるのだ。


>って話な訳で、日本のエンジン開発の遅れをクサしてるのではなく、与えられた条件の中で
最大の努力をやってたんだから雷電や鍾馗になったんじゃないのか、って話をしたつもりなんです。

いや、僕としてもクサしてると思ってる訳じゃないよ。
この掲示板を御覧になってる諸兄にそれなりの解説をさせて貰ってるだけなんだ。
まあ、みんなで楽しくやろうよ。

>けど、ダブルワスプだって開発開始から実戦投入まで4年近くかかっている訳ですから、
2年で投入した誉が不具合続出だったのは当然かもしれませんね。

僕もそう思う。
まあ結果として戦後の「自動車大国ニッポン」が誕生したのだから「遅すぎたので無駄だった」とならないのが救いかな?

[872] 発言修正のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2008/12/15(Mon) 09:24
発言[871]後半の引用部(870からの引用)は消し忘れと思われますので、その部分を削除いたしました。


[871] Re:[870] [869] エンジンの続き 投稿者:K-2 投稿日:2008/12/15(Mon) 09:16
> 僕の言いたいのは「他国戦闘機(米艦戦を除く)だって最初から1200馬力だったのではなくデビュー当時は1000馬力級だったし段階を経て1200馬力になったんだよ。」って事なんだ。

あ、いやこっちこそうまく話が伝わらなかったようです。
元の文章だと、
>迎撃戦闘機には大馬力が必要なので爆撃機用発動機がやむなく採用された

>鍾馗や雷電は、その時点で一番大馬力だったエンジンをなりふり構わず使っただけでしょう。
>零戦や隼の開発当時にはまだ存在していなかった訳ですし。

要は零戦開発開始時点では火星のような1500hpも出るエンジンは日本には存在しなかったし、
逆に言えばそういうエンジンが出来上がったから雷電は開発されたんじゃないんですか。
って意味で、いくら零戦や隼が優れた設計でも、同時期の外国機に比べ2割も馬力が劣ってたら
大分不利(結果を見るとそこまででは無かった気もしますが)なのは明らかです。
って話な訳で、日本のエンジン開発の遅れをクサしてるのではなく、与えられた条件の中で
最大の努力をやってたんだから雷電や鍾馗になったんじゃないのか、って話をしたつもりなんです。
(零戦に火星積む改造するくらいなら一から設計し直した方がマシだろうし)

更に言えば、雷電も紫電もコケて(紫電改になるまではコケてたようなもんですよね?)しまったから
最後まで栄を生産し続けて零戦作るしかなかったのが栄に頼り続けたように見える原因じゃないですか。
栄は誉に発展的解消されるエンジンだったんだと思います。

けど、ダブルワスプだって開発開始から実戦投入まで4年近くかかっている訳ですから、
2年で投入した誉が不具合続出だったのは当然かもしれませんね。逆に言えばだから額面上の
出力では同等まで追いついた訳ですから、こりゃとんでも無いことですよね。
産業革命最後発組、列強中唯一の非白人国家だったわけですから・・・・

[870] Re:[869] エンジンの続き 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/12/14(Sun) 18:36
> って見て行くとやっぱり同時期だと非力なエンジンだなぁ、って感じざるを得ません。

う〜ん?
うまく話が伝わらなかった様だ。
僕の言いたいのは「他国戦闘機(米艦戦を除く)だって最初から1200馬力だったのではなくデビュー当時は1000馬力級だったし段階を経て1200馬力になったんだよ。」って事なんだ。

スピットファイアmk1の引き渡しが1938年8月からでmk2の最初の引き渡しが1940年8月だから約2年。
ハリケーンが37年末と40年8月で2年8ヶ月。
P40が40年中頃と41年5月(D型)で約1年。
メッサーが37年3月と39年4月で約2年。
これに比べ零戦は初陣(試作機のまま)が40年9月で1130馬力となった32型の量産開始が42年4月だから約1年半。
あまり遅くはない。

つまり1200馬力に移行するのが遅かったのではなく元となる1000馬力級発動機を実用化するのが遅かったのだ。
同時期の他国戦闘機との馬力比較?
寅さん風に言えば「それを言っちゃあおしめえよ。」
だって栄の親に当たる寿(96艦戦や97戦が積んでる発動機ね)が「国産初の量産オリジナル発動機」だったのだ。
日本が独自に航空機用発動機(馬力に関わらず)を量産できる事自体が初列強から見て「エ〜、ウソ!ホントウ?シンジランナ〜イ!」ってレベルだったのである。
それを栄の頃には「初列強に比べたった2年程しか遅れてない」と言う所まで追い上げたのだからその努力たるや大した物なのだ。

言うなれば...
クラスでいつも駆けっこでビリッケツだった子が頑張って10位以内に入ったのである。
誉めてやらなくてはならない。
「なぜおまえは1等賞じゃないんだ。」などと言ってはいけない。
その子なりに努力したのである。

つまり僕はこういう事が言いたくて「アリソンやDB、マーリンも1000馬力程度だった時期がかなり長いと思うのだが」と書いたのだ。
決して「日本軍戦闘機の馬力が他国と同等」などと思っている訳ではない。

> 鍾馗T型      1250hp 1941年
> だって、やや遅い感がぬぐえないのですが。

だってしょうがないじゃん。
発動機後進国なんだもん。
あれだって日本としちゃ精一杯、大馬力なんだし実質的な量産型の2型(1型の生産は僅か40機!)では1520馬力に向上してるよ。

> 良かったかも知れないし・・・天山の問題もそんな感じでしたっけ?

いや、アレは別だ。
護の生産自体が中止されちゃったからね。

>R2800みたいに2300hpも出るエンジンならP47みたいにデカくて重くても馬力で強引に引っ張れる訳で。

P47はR2800と言っても排気タービン付きの高々度戦闘機だからちょっとばかり比較の対象外だろう。
低高度じゃかなりトホホだったらしい。

次は天然キング氏の質問について

>たとえば、「設計に無理はなく」と「開発に時間がかかった」と相反する文章があったり、
同じように生産された後「実用性も良好」とあれば「異常振動が発生」とどれが正しいのか
皆様の御意見をお聞かせいただけないでしょうか?

「中島飛行機エンジン史」によれば量産化しなかった事が惜しまれる良いエンジンだった様だ。
僕もこの説に賛同する。
じゃあなぜ護は量産中止となったのか?
これはやっぱ誉との兼ね合いだろう。
銀河も当初は護装備の予定だったとされてるしね。

[869] エンジンの続き 投稿者:K-2 投稿日:2008/12/14(Sun) 00:45
すいません、少し間が開いてしまいましたが。

>アリソンやDB、マーリンも1000馬力程度だった時期がかなり長いと思うのだが...

うーん、でも、
零戦11型 940hp 1940年
隼T型   940hp 1941年

に比べ、
スピットファイアU 1150hp 1940年
スピットファイアX 1440hp 1941年
ハリケーンU    1260hp 1941年
F4F3      1200hp 1939年
F2A2      1200hp 1940年
Bf109E    1100hp 1939年
Bf109F    1350hp 1941年
って見て行くとやっぱり同時期だと非力なエンジンだなぁ、って感じざるを得ません。

鍾馗T型      1250hp 1941年
だって、やや遅い感がぬぐえないのですが。

>もし最初から金星を装備していたらどうだったろう?

確かにトルクは金星の方がありそうですが、燃費的には栄の方が良さそうですから、
あれほどの大航続力は無くなったかも知れません。
でもそうするとガダルカナルを巡る戦いもかなり様相が変わってきたかも知れませんね。

>開発メーカーの自社製発動機の身びいきだと言えよう。僕はこれが日本を滅ぼした要因だと思ってる。

九六戦に零戦、烈風と三菱製艦戦は揃って中島製発動機を使わされてますが、相当悔しかったでしょう。
ただ、烈風なんかは誉が額面通りの性能出したとしてもあのサイズだと要求性能出せたか怪しいのでは・・・
百式重爆も、ハ109(ハ41だったっけ?)使わずに火星使ってれば、九七重爆くらい現場受けが
良かったかも知れないし・・・天山の問題もそんな感じでしたっけ?

>火星の直径が大きいと言っても、米軍のF6Fの発動機より小さい

R2800と同じくらい馬力出ているならそれでもいいと思うのですが、出力で負けてるってことは
F6Fと同じようなもの作っても性能で負けちゃう訳ですよね。
イギリスもドイツも実戦投入したのは大体1700〜1800hpくらいのエンジンまでだから
R2800みたいに2300hpも出るエンジンならP47みたいにデカくて重くても馬力で強引に引っ張れる訳で。
雷電や鍾馗程度じゃまだまだパワー不足だったって事でしょうか。

[868] 爆撃用発動機について 投稿者:天然キング 投稿日:2008/12/13(Sat) 20:49
こんばんは。1年以上の間が空いた、書き込みで失礼します。

戦闘機用発動機の書き込みを見て、どうしても知りたい爆撃機用発動機に
ついて皆様の知識をお聞きしたくて書き込みしました。

大型陸上攻撃機「深山」に使用された「護」(まもり)一一型1870hpについてです。
米製「サイクロン」を原型に国産化品「光」を7気筒複列14気筒したのまでは
数少ない資料本でわかるのですが・・なぜか、異なる情報があるので困っています。

たとえば、「設計に無理はなく」と「開発に時間がかかった」と相反する文章があったり、
同じように生産された後「実用性も良好」とあれば「異常振動が発生」とどれが正しいのか
皆様の御意見をお聞かせいただけないでしょうか?

よろしくお願いします。

PS GS社の皆様、この掲示板をご覧の皆様、今年も残り少な くなりましたが
 お体にはきをつけて、この年末を走りぬきましょう。

[867] 発動機の直径 投稿者: 投稿日:2008/12/06(Sat) 22:24
発動機の直径を調べるにも いろんな文書があるようですね。
しばらくは多忙なので 調べる暇もなさそうですが
折を見て調べたいと思います。

情報源を忘れてしまっておりまして 申し訳ありません

[866] おやおや? 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/12/05(Fri) 11:55
ウィキペディアではR2800の直径を1321mmとしているがグリーンアローのアメリカ陸軍軍用機集1908−1946には1342mmと記述されている。
グリーンアローの方が正しいとすると火星より2mm大きい訳だ。
まあどちらにせよ殆ど差はないから「火星とR2800は同じくらいの太さ」と考えておけば間違いないだろう。

[865] Re:[860] 皆様お久しぶりです。 投稿者:ケンツ軍曹 投稿日:2008/12/04(Thu) 20:17
皆さん、多大なるレスをありがとう御座います。
色々と勉強させて頂き恐悦至極です。
栄は開戦当初の時点で世界最優秀発動機の一角にあったと思うのですが誉へバトンを渡す時期が重要だったみたいですね。

[864] 活気づいてきて何より! 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/12/04(Thu) 19:29
それでは諸氏の御意見にちょっと補足など。

>どこかで「火星の直径が大きいと言っても、米軍のF6Fの発動機より小さい」
という話を聞いたことがあります。

F6Fが装備するR2800の巾が1321mm、火星が1340mmだから火星の方が大きいよ。

>ただ、同時期に三菱にも同クラスのエンジンがあるわけで。

三菱の「対栄用発動機」、それはズバリ瑞星である。
だから零戦の試作機にも瑞星が装備されたのだ。
零戦の設計者である堀越氏の名著「零戦」にも発動機の選定は瑞星と金星のどちらかであり「栄は候補にのぼらなかった」とまで書いてある。
また瑞星を選択した理由を金星では「審査の主導権を握るパイロットの受けがよくない」としている。
だが...
嗚呼、なんとした事か瑞星1型では充分な性能が発揮できず海軍から栄への換装を命じられてしまったのだ。
もしも瑞星2型が完成していれば栄に遜色ない性能を発揮できたであろうに無念なり...
と三菱開発陣が思ったかどうかは知らないが零戦の発動機は当初の思惑とは異なり栄に決定されてしまったのである。
もし最初から金星を装備していたらどうだったろう?
零戦は紆余曲折を重ね最終的には金星装備の64型で幕を閉じたが金星零戦は最終形どころか開発当初に設計陣が描いた「最初の零戦」であった。
とは言え排気量が栄の27.9Lに対して金星は32.34L。
1/7も排気量が大きけりゃそれなりに燃費も悪いから航続力が低下して史実通りの評価を得られたかどうか...


>すごく大雑把ですが、栄がざっと2万。瑞星が8千くらい?金星(60系は入れてません)が5千くらい。

資料によって数値が異なるのでなんとも言えないのだが栄の2万(21166らしい)と言う数字は「中島で生産された数」であり他社分を加えると3万(30100とも33233とも...)をゆうに越える。
ちなみに瑞星が約12800、火星が約14300、金星が約16700(60系含む)誉が8747、ハ5系が5535らしい。

>こう並べると、栄は「戦闘機用」。
陸軍が瑞星を随分使っている一方で、金星にはノータッチなのが目立ちます。

そりゃそうだ。
中島の14気筒発動機は戦闘機用小直径が栄、爆撃機用大直径がハ5系だからね。
それと発動機の選定だが軍の意向もそれなりに影響を及ぼすが何より重要なのが開発メーカーの自社製発動機の身びいきだと言えよう。
僕はこれが日本を滅ぼした要因だと思ってる。

>金星は、火星が出来上がるまでは大型機用って感じも受けます。(っつーか、それまでは大馬力エンジンが無かった?)

瑞星、金星、火星は全て14気筒で区別はシリンダーサイズによる。
直径×ストロークが140mm×130mmが瑞星、140mm×150mmが金星、150mm×170mmが火星。
直径やストロークが大きければ大きい程、排気量が大きくて大馬力となりストロークが大きければ大きい程、空気抵抗が増す。
だから瑞星はまさに軽戦闘機用発動機なのだ。
どの軽戦闘機にも装備されなかったけど。

>零戦や隼と同時期或いはちょっと前の外国戦闘機は(Bf109E、ハリケーン、F4F、P-40etc)みんな1,200馬力あります。

アリソンやDB、マーリンも1000馬力程度だった時期がかなり長いと思うのだが...

[863] どこかで 投稿者: 投稿日:2008/12/04(Thu) 00:37
どこかで「火星の直径が大きいと言っても、米軍のF6Fの発動機より小さい」
という話を聞いたことがあります。

日本の発動機は おしなべて米軍より小さかったという話でした。

昔の『丸』で、稼働率・馬力・直径のバランスを考えると
『栄』の後継に、『金星』を量産し、そのあと『誉』に移行すべきだった
という記事が書いてあったように記憶しています。

発動機は 直径・馬力・信頼性など いろんな要素がからんでいて比較はむずかしそうですが
やはり 誉の技術的な話に興味が尽きません。

まとまりのない文章で 申し訳ありません。

[862] 生産数はどうなの? 投稿者:K-2 投稿日:2008/12/02(Tue) 23:04
栄は零戦と隼に使用された事からこればっか目立ってしまいますが、三菱の瑞星と金星も沢山使われてましたよね。
ただ、同時期に三菱にも同クラスのエンジンがあるわけで。

栄・・・・零戦・月光・九七艦攻・隼・九九双軽
瑞星・・・零観・屠龍・九九襲撃機・百式司偵・百式輸送機
金星・・・九九艦爆・零式水偵・九六中攻・九七大艇

すごく大雑把ですが、栄がざっと2万。瑞星が8千くらい?金星(60系は入れてません)が5千くらい。
こう並べると、栄は「戦闘機用」。
陸軍が瑞星を随分使っている一方で、金星にはノータッチなのが目立ちます。
(60系になると今度は海軍が彗星くらいしか使ってないのに陸軍は五式戦・百式司偵・キ102と色々使いますが)
金星は、火星が出来上がるまでは大型機用って感じも受けます。(っつーか、それまでは大馬力エンジンが無かった?)
栄は終戦まで生産してたり中島以外でも転換生産してることを考えると、この生産数でいっぱいいっぱいなのでは?
「くらいしか」ないのではなく、「これだけで」限界だったのではないでしょうか。

>そうであれば2000馬力エンジンの誉を早期開発する事のみが最善の策だったのではないでしょうか。

同感です。誉は栄の18気筒版とも言える設計なのを考えると、栄に依存しすぎたと言うよりは、栄をパワーアップして
最後まで使い続けた、というべきではないでしょうか?(まあ、栄は栄で最後まで隼に使ってますが)
誉もよく叩かれますが、主力機に積める程の数を生産できたエンジンで、誉21よりも馬力出たエンジンてありますか?
そう考えると、故障多くても誉使うしか無いんだろうな〜と。他に無いんだもの。

>迎撃戦闘機には大馬力が必要なので爆撃機用発動機がやむなく採用された

鍾馗や雷電は、その時点で一番大馬力だったエンジンをなりふり構わず使っただけでしょう。
零戦や隼の開発当時にはまだ存在していなかった訳ですし。
零戦や隼と同時期或いはちょっと前の外国戦闘機は(Bf109E、ハリケーン、F4F、P-40etc)みんな1,200馬力あります。
鍾馗は爆撃機用エンジン積んでやっと互角なんです。
爆撃機だって、火星が完成してからはみんな火星です。
(ざっと数えても一式陸攻・天山・銀河(一部)・九七重爆2型・二式大艇)
でもその火星も、パワーアップして1800馬力になると故障頻発してますよねぇ。(雷電だけか?)

エンジンの生産数が増えなければいくら機体生産が増えても首なし飛燕と一緒ですね。
尤も、機関砲の方がもっと不足してたって話もあるし、それを言ったら一番足りないのは弾なのかも・・・
旧軍の兵隊さんが「アメリカの物量に負けた」と悔しがるのも判る気がします。

>もっと多くの機体で装備されるべきだったのでは?

陸軍は、優先度の低そうな機体には瑞星当ててますし、海軍は金星の方をよく使ってます。
火星が出来てからは大型機は軒並み火星です。(中島のハ41とハ109がダメっぽかったからかもしれない)
エンジンの生産力(特に戦前の)は三菱が一番高かったようですし、栄はもっと使いたかったけど生産が追いつかないから
使う機種を絞って、他は瑞星や金星を使ってガマンしてた、ってところじゃないんでしょうか。
(九九艦爆とか栄でも良さそうな感じするし)

乱文多謝。

[861] Re:[860] 皆様お久しぶりです。 投稿者:いそしち 投稿日:2008/12/01(Mon) 21:32
> 皆様の御意見をお聞かせ下さい。

それではお言葉に甘え私見など述べさせていただきます。
栄が中島の誇る名エンジンであり零戦や隼の活躍を支えた原動力である事は疑う余地もありません。
心から賛同します。
しかし所詮は1000馬力級エンジンであり2000馬力級エンジンを装備したF6FやF4Uには対抗できません。
そうであれば2000馬力エンジンの誉を早期開発する事のみが最善の策だったのではないでしょうか。
栄は名エンジンですが長期間に渡って栄に依存しすぎたのが敗因の一つだった様な気もします。

[860] 皆様お久しぶりです。 投稿者:ケンツ軍曹 投稿日:2008/11/27(Thu) 21:33
それでは御期待に応え景気の良い質問をひとつ。
太平洋戦争開戦時に日本海軍は零戦、隼などの進攻戦闘機には栄発動機、鍾馗や雷電など迎撃戦闘機には火星やハ41などの爆撃機用発動機を使用しました。
迎撃戦闘機には大馬力が必要なので爆撃機用発動機がやむなく採用された事は理解できます。
しかし爆撃機で栄を装備したのが99式双発軽爆と97式艦攻くらいしかないのが腑に落ちません。
栄は相当に燃費が良いはず。
もっと多くの機体で装備されるべきだったのでは?
皆様の御意見をお聞かせ下さい。

[859] 更新のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2008/11/22(Sat) 19:45
本日、通信販売のページに『太平洋戦記2文庫版』を追加いたしました。

http://www.general-support.co.jp/mosale.html

[858] 申し訳ありません 投稿者:W・T・シャーマン 投稿日:2008/11/22(Sat) 19:09
 初メールに緊張してやってしまいました。
申し訳ありませんでした。
退散させてもらいます。

[857] 要望について 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2008/11/20(Thu) 17:04
>856
>855
恐れ入りますがこちらの掲示板では要望に関する書き込みは御遠慮下さい。
要望につきましてはメールにてご連絡下さいますようお願いいたします。

[856] ぜひ 投稿者:風神RED 投稿日:2008/11/20(Thu) 12:46
 太平洋戦記3での提督・将軍登場は私からもぜひに。
 ああ、要望書いたら駄目なんでしたっけ。
 でもぜひ。もし出たら即買いします。

[855] 続編期待 投稿者:W・T・シャーマン 投稿日:2008/11/20(Thu) 00:45
 ファン歴は長いのですが、初めてメールします。
もし、もし、太平洋戦記3等の続編があれば、グロスドイッチェラントの様に、提督等の人物を登場させてください。
 ミッドウェー海戦時の司令官に山口提督、大陸打通作戦に山下将軍等、自己満足以外の何物でもありませんが、お願いします。

[854] Re:[853] 感想など 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/11/18(Tue) 19:49
> しなくても良い特攻が行われ成功するはずだった作戦が
> 失敗に終わったと考えるのは哀しいです。

哀しい気持ちにさせて申し訳ない。
申し訳ないのだが...
大戦末期をテーマにするとどうしても避けて通れない山が山脈をなして連なっているのだ。
いずれ景気の良いテーマに戻りたいのでそうした質問や御意見をプレイヤー諸氏に期待するとしよう。

[853] 感想など 投稿者:いそしち 投稿日:2008/11/16(Sun) 14:14
ウルシー泊地の解説ありがとうございました。
かなりの大作で大変勉強になりました。
しかし勉強にはなったものの少し哀しくもなりました。
事実は事実として受け止めねばならないのですが
多くの犠牲を出した原因が米軍の物量優位や科学優位だけ
でなく日本軍統帥部の誤判断による物だとは。
これまでやむをえず特攻作戦が行われてきたと信じていた
のですがどうやらそうではなかったようですね。
しなくても良い特攻が行われ成功するはずだった作戦が
失敗に終わったと考えるのは哀しいです。

[852] ウルシー泊地(今日で終わり) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/11/11(Tue) 20:31
さてここで話を元に戻そう。
話の始まりは「嵐作戦で不思議なのは目標が依然としてウルシー泊地のままだった事」である。

第2次丹作戦で戦果が少ないながらもウルシー泊地を叩いた日本海軍であったが第3次丹作戦では「もぬけの空」のウルシー泊地を前に空振りし第4次丹作戦では「もぬけの空」のレイテ湾で空振り寸前に終戦を迎えた。
なぜこんな事になってしまったのだろうか?
それには2つの理由がある。

ひとつは米海軍の前進根拠地が頻繁に変更可能であると日本海軍が知悉していなかった事だ。
ウルシー泊地は巨大な礁湖に過ぎない。
だが米海軍はそこに第10補給修理部隊(サービス・スコードロン)を配置し重要な艦隊根拠地とした。
大事なのは「ウルシー泊地」ではなくそこに存在している「補給修理部隊」なのである。
ちなみに補給修理部隊と言うのは「ニミッツの太平洋海戦史」に於ける部隊名称であり同一の部隊を世界の艦船386号では第10役務戦隊、「神風、米艦隊撃滅」では第10補給任務群、「提督スプルーアンス」では第10支援部隊と記述している。
この補給修理部隊は必要に応じどの泊地にでも進出して「単なる礁湖」を一夜にして一大策源地に変えてしまう。
こうした発想は日本海軍にはなかった。
ゴールドラッシュが起こればたちまちの内に街が出来、ブームがされば瞬く内にゴーストタウンと化す米国人の国民性が造り上げたシステムと言えよう。

さて日本海軍が空振りを続けたもうひとつの理由、それは偵察不足だ。
トラックから飛び立った彩雲がウルシー泊地を偵察し回天やら銀河やらが攻撃するのが日本海軍の常套手段だったが第3次丹作戦ではこれが省略された為、空振りを演じ第4次丹作戦でもレイテ湾を前に危うく二の舞となる所であった。
なぜ重要な事前偵察が省略されたのだろう?
使える彩雲がなかったのだろうか?

彩雲はあった。
44年5月から実戦配備された彩雲は戦時中に463機生産(398機説あり)されたが終戦時になんと173機も残存していたのだ。
事前偵察が重要なのは日本海軍としても判りきっていた。
よって軍令部第1部も「航空作戦に関する情勢判断」の中で「トラック偵察兵力の充実、8月中彩雲12機程度保有せしむるを要す」として文書化(45年5月末作成)したのである。
増槽付彩雲の航続距離(5308km)は銀河に匹敵する。
当然、トラックまで飛ぶ事は可能だ。
ただし現地到着時の悪天候による不時着や滑走路状態悪化による着陸事故などで損耗する危険は否めない。
リスクを覚悟しても短時間で前線配備できる長距離飛行を選ぶか?
それとも光作戦(潜水艦による彩雲輸送)でエッチラオッチラ運ぶか?
日本海軍は光作戦を選んだ。
その理由は恐らく「貴重な彩雲をリスクのある長距離飛行で無駄にしたくないから」であろう。
ここで「機数に余裕のある彩雲がなぜそんなに貴重なのか?」と言う疑問が発生するがこの謎を解く鍵は第723航空隊の設立にある。

太平洋戦争末期、日本海軍は721〜725のナンバーを持つ特攻専門の航空隊を設立した。
桜花の実戦部隊である721空(昭和19年10月1日編成の神雷部隊)、桜花搭乗員の錬成を目的とした722空(昭和20年2月15日編成)、爆装彩雲の723空(昭和20年6月1日編成:6月10日編成説もある)、爆装橘花の724空(昭和20年7月1日編成:ただし橘花が完成していないので99式艦爆で訓練していた)、陸上用桜花の725空(昭和20年7月1日編成)である。
横須賀で編成され木更津で訓練した723空の定数は96機(定数が満たされる事は無かったが多数の彩雲を保有していたらしい)にも上り日本中の各航空隊は極端な彩雲不足に陥った。

723空が偵察してくれるなら何の問題もない。
だが723空は連合艦隊直属の「特攻専門部隊」であった為、他部隊では偵察任務を「命令」できず「依頼」は殆ど断られてしまった。
それでは723空は特攻で潰えたたのだろうか?
否、最終的に723空は特攻出撃する事なく終戦を迎えるに至った。
如何に高速の彩雲と言えども爆装時には72km/hも速度が低下してしまい米直衛戦闘機に撃墜される公算が高くなったからである。
よって723空の特攻出撃は「米軍による本土上陸」が起こるまで控えられた。
まったく「宝の持ち腐れ」とはこの様な事を指すのであろう。
723空と言う特攻部隊を編成しなければ大戦末期とは言えもう少しましな作戦を取り得たであろうと思うと残念でならない。

ウルシー泊地は1944年秋から終戦まで日本海軍にとり恐るべき牙城と映った。
しかしその実体は単なる礁湖に過ぎず使用された期間も僅か6ヶ月に過ぎない。
開戦前、日米双方で無名に近い存在だったウルシーが大戦末期に戦局の焦点となる事を誰が予測しえたであろう?
米空母機動部隊と第10補給修理部隊が去るとウルシーは再び静かな礁湖に戻っていった。
しかしもはやウルシーは無名の存在には戻り得ない。
太平洋海戦史を彩る各頁にウルシーの文字が燦然と刻み込まれているのだから。
嵐作戦に端を発したウルシーの話をこれで終えるとしよう。  (了)

[851] 祝発売 投稿者:魔界半蔵 投稿日:2008/11/05(Wed) 02:35
太平洋戦記2文庫版の発売、おめでとうございます。
GD2で貴社のSLGにハマった友人がいるんで、勧めておきます。
巷では風邪が流行っておりますのでご自愛下さいませ。

[850] 『太平洋戦記2 文庫版発売のお知らせ』 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2008/10/30(Thu) 20:58
これまで長らく在庫切れとなっておりました『太平洋戦記2』を新たに『太平洋戦記2 文庫版』として発売する事が決定いたしました。
発売日は12月5日(金)です。
文庫版では解説書とマップがPDF化されている他は旧パッケージ版の最新バージョンと同様のゲーム内容となっております。
税込み2980円とお求めやすい価格になっておりますので、お持ちでない方は是非この機会にお買い求め下さい。
通信販売のページからのお申し込みも近日中に対応する予定です。

[849] Re:[848] [847] 邀撃漸減作戦て? 投稿者:アルフレッド 投稿日:2008/10/28(Tue) 23:46
亀レスですがどうもありがとうございました。
かなり選択肢が少ない上にアメリカを過小評価した作戦だったんですね。
「激ソロ」では重巡がブルックリン級にコテンパーにやられ「栗田艦隊の突入」「スリガオ海峡」などのシナリオでもアメリカの旧式戦艦に大変に手こずりました。それどころかスリガオではマクマインとカワードの駆逐艦にコテンパーでした。

太平洋戦記2では日本海軍の航続力の不足とそれを補うための兵站拠点の建設は結構大変でした。
やはり、日本海軍の航続力を考えるとマリアナ〜比島を決戦水域と想定していたのも頷けますね。

[848] Re:[847] 邀撃漸減作戦て? 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/10/26(Sun) 17:38
> 資料が大変少ないのでわかりづらいのですが、マリアナで邀撃する予定だったのでしょうか?あるいは「太平洋戦記」のシナリオにあるようにマーシャルで行う予定だったのでしょうか?

戦史叢書「ハワイ作戦」38頁によると「決戦場としては昭和11年にはマリアナ諸島西方海面が選ばれていたが昭和15年ごろからはマリアナ諸島東方の海面が考慮されるようになった。」とある。
重要なのは以下の2点だ。

1.米国は西太平洋にフィリピンとマリアナ(グァム)の2拠点を有しており日米艦隊決戦の重要な要素となる。
2.米艦隊をいつ、どのコースで西進させるかは米国の判断による物であり日本に決戦場の選択権はない。

つまり日本海軍が「なんとしてもマリアナ西方で決戦しよう」と意気込んでも米艦隊がマリアナを通らずフィリピンに直行したらマリアナと全然、関係ない所で戦うしかないのである。
実際にこのプランはレインボー計画のオレンジ作戦O−3号「通し切符作戦」として実在した。

なお米軍としても「日本がどの様な攻め方をするか?」によって米艦隊の西進方法が変わるのでこれまた独り相撲は出来ない。
この点に於いて重要なのはグァムの帰趨だ。
米国としてはグァムを徹底的に要塞化(まるで日露戦争の旅順みたいに。)したかったがワシントン条約によってその道は封ぜられた。
となればグァムは簡単に陥落してしまうであろう。
だがフィリピンはそう易々とは奪われまい。
よってフィリピン直行となるのである。
その後、マニラへ向かう楽天的な作戦案だった「通し切符作戦」はミンダナオに拠点を設ける現実的な作戦案に修正され作戦期間が大幅に伸びマーシャル攻略が付加された。

1928年1月に立案されたスケジュールだと開戦から1ヶ月で第一派の艦隊が西進を始め2ヶ月後に到着、動員されるたび第二派、三派と増援を繰り出す。
マーシャルは西進の進撃路にあるから開戦から3ヶ月半に上陸して占領、フィリピンの制海権を確保したら開戦から5ヶ月を目処に先島諸島を占領、8ヶ月でグァム奪回、10ヶ月で台湾北部、1年で沖縄、一年半で奄美を攻略する。
そして奄美を拠点として対日戦略爆撃を遂行し開戦から2年弱で勝利を得る。
とまあこんな計画だがB29みたいな長距離戦略爆撃機が登場してくると話が大きく変わってくる。

いずれにしても日本がマリアナ西方海面だの東方海面だのを想定しているのは米国がグァムに固執していると頭っから信んじているから出てくる発想であって「グァムなんかどうせすぐ陥落するから奪回は後回しでいいや。」と考えている米国相手には何の意味もなさない。

> また、「激闘ソロモン」シリーズなどをプレイしていて果たして巡洋艦で戦艦の相手になったのでしょうか?何しろ日本の巡洋艦は装甲が薄いのでかなり分が悪そうです。

まあ決戦前夜の夜戦で巡洋艦と駆逐艦が全滅してもそれで米戦艦を数隻、撃破してくれれば御の字って言うのが漸減作戦の本意だから...
日本海軍は「戦艦が主力」と考えていたから「巡洋艦で戦艦を倒す」なんて事は殆ど考えていない。
勝つのはあくまで決戦当日真っ昼間の日本戦艦の主砲なのである。
巡洋艦や駆逐艦は決戦当日の米戦艦の数を減らす為の補助兵力(足軽と言ったら聞こえが悪いかも知れないが)に過ぎない。

> やはり、ハワイ作戦はやむを得なかったのでしょうね。

米太平洋艦隊がハワイへ進出したのは昭和15年5月7日である。
それまではずっと米本土のサンディエゴが母港だった。
日本空母の航続距離が如何に長かろうと開戦当日に米本土のサンディエゴを空襲するのは不可能だ。
つまりハワイ作戦は日本海軍にとってワシントン条約以来、ず〜っと夢想だにしなかった状態なのであり鴨が葱しょって鍋の中に入って来てくれた様な物だ。
だからハワイ作戦は降って湧いた様な突発的作戦であり日米双方の長年に渡る作戦計画を全て瓦解させるに至ったのである。

人は過去を見て未来を考える。
当時、日本にとっての過去とは日露戦争だった。
よって対米戦は満州をフィリピン、旅順をコレヒドール、バルチック艦隊を西進する米太平洋艦隊に置き換えるとすぐ理解できる。
世界を2/3周してヘロヘロになったバルチック艦隊を完膚無きまでに打ちのめしたんだから太平洋を横断してヘロヘロになった米太平洋艦隊を打ちのめすのも造作ないと思ったのだ。
ただし大きく違うのは日露戦争では英国と言う大海軍国が同盟国で回航中のバルチック艦隊に様々な妨害工作を加えてくれたお陰でバルチック艦隊がヘロヘロになったのに今度は敵に回った事と米国が陸軍国ロシアと異なる大海軍国だった点である。
米太平洋艦隊は太平洋横断くらいでヘロヘロになりはしなかった。
それどころか米海軍の長期間航行能力は日本海軍の常識を遙かに凌駕していたと言えよう。

[847] 邀撃漸減作戦て? 投稿者:アルフレッド 投稿日:2008/10/24(Fri) 22:05
ご無沙汰しております。仕事に追われゲーム時間も自由に取れない中御社の種々ゲームプレイしております。
レインボー計画に対抗する意味で立案された邀撃漸減作戦ですは事実はハワイ奇襲により中止に追い込まれています。
資料が大変少ないのでわかりづらいのですが、マリアナで邀撃する予定だったのでしょうか?あるいは「太平洋戦記」のシナリオにあるようにマーシャルで行う予定だったのでしょうか?
また、「激闘ソロモン」シリーズなどをプレイしていて果たして巡洋艦で戦艦の相手になったのでしょうか?何しろ日本の巡洋艦は装甲が薄いのでかなり分が悪そうです。
兵棋演習もしたと思うのですが、ワシントン、ロンドン軍縮条約で主力艦、補助艦艇に差がつけられた上に装甲が薄い日本艦艇だとマーシャルはかなり不利な気がします。

しかし、この作戦に関する資料本当に少ないですね。
やはり、ハワイ作戦はやむを得なかったのでしょうね。

[846] Re:[844] [842] [836] ウルシー泊地(そのまた続き) 投稿者:扶桑 投稿日:2008/10/19(Sun) 20:14
>>最終的には滑走路が肉眼で視認できなければどうにもならないのだ。

なるほど、着陸が最大の問題だったんですね。

雲が晴れている所の飛行場に不時着しようにも、灯火管制が敷かれている状況では難しいですし、被弾時や燃料不足になった際に直下の地点に不時着できないというのは怖いですね。もし、本当にどうしようもないなら、落下傘という手もなくはないですが・・・・・


>>計器飛行や天測飛行の他に自己位置を推定する方法がもうひとつある。
>>目的地から電波を放射して貰いそこに向かって進む事だ。

B-29は沖縄占領後になると、硫黄島と沖縄から電波を出してもらって、その角度差から位置を割り出すなんてこともやってたみたいです。
それでも、出撃するB-29の大半が硫黄島の直上を通ってから日本本土に向かっていますから、最後の所は「地上の目印」こそが最も頼りになったって事でしょうね。

[845] 追記 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/10/18(Sat) 21:11
知人から「日本陸軍機の本土防空迎撃が今ひとつだったのは計器飛行の習熟不足が原因なのか?」との問い合わせがあった。

それでは計器飛行についてもう少し説明しよう。
計器飛行とは目視によらず計器によって自己位置を測定し飛行する事だ。
それではどういう時に計器飛行するかと言うと地上の目標物が見えない雲上飛行、夜間飛行、洋上飛行もしくは砂漠や大平原の上空飛行などとなる。
現在の様に慣性航法装置やGPSがあれば自己位置の測定なぞ全く簡単だが大戦中のテクノロジーレベルではそうも行かない。
そこで計器飛行だが例えば現在地から100km直進した後120度右旋回してから100km飛び再び120度旋回し更に100km進むと現在地に戻る。
なんの事はない。
速度と方向及び時間がキッチリ計測できれば。
まあ方向は多分大丈夫だろう。
マリアナ沖海戦時の日本空母機動部隊の艦載機の様にコンパスがガタガタになっていなければ。
時間も多分大丈夫だろう。
問題は速度だ。
飛行中、終始無風であれば良いが十中八九そうは行かない。
大抵の場合、いずれかの方向に航空機は流される。
だから「計器測定上、我機の位置はココ!」と指し示してもなかなか、ドンピシャリとは決まらない。
計器飛行とは別にもうひとつ自己位置を測定する方法がある。
天測飛行だ。
月や星の位置から「地球上の自己位置」を測定するのだが驚く無かれB747ジャンボジェットも初期型には天測窓が付いていた。
そのくらい天測飛行は重要なのだ。
計器飛行や天測飛行の他に自己位置を推定する方法がもうひとつある。
目的地から電波を放射して貰いそこに向かって進む事だ。
でも戦闘中は敵も味方も無電封止しているから飛行場に帰投する時位しか期待できない。
更に電波源への方位は測定できても電波源までの距離は測定できないから雲上飛行だと飛行場上空を通過してしまいかねない。
通過してまた元に戻ってまた通過して...
それを繰り返しているうち墜落してしまうだろう。
結局の所、着陸するのが一番難しいのである。

多少の雲があっても周辺が開けている飛行場なら低層雲でも無理すれば離陸する事はできる。
そして計器飛行すれば目的地まで近づく事も可能だ。
しかし目的地上空が低層雲に覆われていればどうしたって着陸はできない。
「北九州一帯は雲に覆われており」と言う事は九州一帯の飛行場に着陸できない事を意味する。
よって計器飛行に習熟していようがいまいが出撃する事は不可能だ。
八丈島の件にしても羽田を離陸し洋上を計器飛行で無事、目的地まで到達したのに着陸できなかったのである。
飛行場上空でゴウゴウ音を立てて旋回しているのだから間違いない。
その飛行機に「帰りの分」の燃料があって幸いだった。
羽田上空の天候?
もし本州中部及び伊豆七島の全飛行場が着陸不能の状態だったら東亜国内航空は多分、離陸させなかったと思う。
少なくともそう信じたい。
そうでなかったら怖くて飛行機なんか乗れないよ。

[844] Re:[842] [836] ウルシー泊地(そのまた続き) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/10/12(Sun) 17:07
> とのことですが、実際にその作戦で二式飛行艇の搭乗員だった人物の書いた 「二式大艇空戦記」 という本によれば、どうも攻撃に失敗した10日のうちに、翌日の出撃の1時間延期が決定されていたようです。個人的には、もともと1時間の延期があった上に、寒さによるトラブルがあったのではないかと考えています。

なにしろ「寒さの為に発進が遅れた」としてるのが天下の「戦史叢書」だからムゲに否定する訳にはいかないのだ。
僕としては「ひょっとしたら寒さ説は単なる言い訳ではないか?」と思ってる。
大きな声では言えないが。

> 日本陸軍戦闘機は、この程度の低高度の雲を計器飛行で突破することができなかったのでしょうか?
> 日本陸軍の戦闘機は、実は地上が見えなければ夜間飛行ができなかったのではないかという疑惑が・・・・・

15年位前に八丈島へ行った時の事だ。
帰る日になって空港に行ってみると曇ってる。
かなりの低層雲だ。
時間になってYS11がやってきた。
でも雲上をゴウゴウ音を立てて旋回してるだけでいつまで経っても降りてこない。
そのうち羽田に帰って行っちゃった。
レーダーの完備している現代の日本の空港での話だよ。
やっぱり飛行機ってヤツは視界が悪いと離着陸すらおぼつかないのだ。
まあ雲の濃さと高度にもよるけど。
それと計器飛行だがこいつは大体の目安に過ぎない。
最終的には滑走路が肉眼で視認できなければどうにもならないのだ。
だからどうしたって飛行場上空は晴れてるか雲があるにしても「雲下にでればすぐに滑走路が見える状態」もしくは「邪魔にならない高層雲」でなければならない。
そして最も低い雲は...
霧だ。
よって霧だと一切、離着陸できない。
バルジ作戦時にしても開戦時の台湾にしても。

ちなみに戦史叢書「陸軍航空兵器」508頁によると昭和20年5月20日時点での日本陸軍本土防空飛行隊戦力は操縦者365名、保有機473機で気になる練度は甲104名、乙156名、丙105名であった。
保有機のうち夜戦と司偵は総計204機。
甲は問題なく夜間飛行できる搭乗員、乙は夜間飛行できなくも無いが「問題あり」の搭乗員なので「全夜戦が問題なく夜間飛行できる訳ではない」と言えよう。

[843] ウルシー泊地(果ては銀河の彼方まで) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/10/11(Sat) 18:59
さすがに日本海軍としても米軍がいつまでもウルシー泊地を前進根拠地としていない事に気づいた。
3月17日にウルシー泊地を出港し日本本土と沖縄を荒らしまくった米空母機動部隊はレイテ湾へ帰投したのである。

そして7月1日、レイテ湾で錨を揚げた米空母機動部隊は日本本土へとその矛先を向けた。
かくして今度はレイテ湾に帰投した時を狙う第4次丹作戦の準備が進められたのである。
攻撃隊は第5御楯隊(指揮官は第2次丹作戦と同じ黒丸大尉)として編成され石川県小松基地で訓練に従事した。

ちなみに第2次及び第3次丹作戦と異なる点は機数が25機になり1機増えた事と出撃基地が台湾になった事、目標がウルシー泊地からレイテ湾に変わった事などであった。
変わらなかった点は「偵察が行われなかった事」であり....
なんとも哀しいとしか言い様がない。
そしてやはり今回も米空母機動部隊は在泊していなかった。
7月1日に出港し終戦まで日本近海で空襲に明け暮れていたのだからいるはずがない。
しかしそうと知らない日本海軍は8月5日、第5御楯隊を台湾に進出させチャンスを待った。
今回の遠征は7月10日の関東地方空襲が皮切りだったから「1ヶ月のパターンでもうそろそろ帰投するだろう」と考えたのであろう。

更に日本海軍統帥部の考えを裏付けるかの様に7月31日の駿河湾艦砲射撃以降、米空母機動部隊はなりをひそめていた。
実際には洋上補給したり訓練したり悪天候で空襲を見合わせていたりしただけなのであるが。
そして8月9日、B29による長崎核攻撃とソ連の参戦、米空母機動部隊の空襲再開が突然、巻き起こった。
前日には通信情報で「米空母機動部隊がレイテに帰投する兆候」が見られたとの判断がなされた矢先である。
なおこの時の空襲は北緯37度以北(福島県いわき市以北)に制限され艦砲射撃も岩手県の釜石製鉄所であった。
これは「本州中部以南のいずれかの都市」が核攻撃の目標であった為、その影響を回避する措置に他ならない。

日本本土近海に米空母機動部隊がいるなら当然、レイテ湾はもぬけの空だ。
よって第4次丹作戦は実行を見合わせていたのだがその内に終戦となった。
                           (続く)

[842] Re:[836] ウルシー泊地(そのまた続き) 投稿者:扶桑 投稿日:2008/10/11(Sat) 11:05
どうもこんにちわ。お久しぶりです。


第2次丹作戦に関して、

>>なんと翌日は寒さの為に発進が遅れると言うアクシデント(第5航空艦隊司令部が故意に出撃を1時間遅らせたと言う説もある)が発生してしまった。

とのことですが、実際にその作戦で二式飛行艇の搭乗員だった人物の書いた 「二式大艇空戦記」 という本によれば、どうも攻撃に失敗した10日のうちに、翌日の出撃の1時間延期が決定されていたようです。個人的には、もともと1時間の延期があった上に、寒さによるトラブルがあったのではないかと考えています。



それと、高度計の話が出てきたついでに、一つ質問したいことがあります。

最近、戦史叢書の 「本土防空作戦」 を読んでいるのですが、日本戦闘機の計器飛行の能力に関して疑問が出ているのです。
例えば昭和19年8月20日の夜間空襲で、「北九州一帯は雲に覆われており、その高度は1000m付近であったから、戦闘機の攻撃および高射砲の射撃はいずれも不可能であった」 との既述がありますが、昭和19年末の日本陸軍戦闘機は、この程度の低高度の雲を計器飛行で突破することができなかったのでしょうか?

当時の防空戦力には、二式複戦装備の飛行第四戦隊のような部隊もあり、複座戦闘機ですら計器飛行ができなかったというのは今ひとつ納得ができません。空中衝突や、帰還の際の地上激突を恐れたのでしょうか?


日本陸軍の戦闘機は、実は地上が見えなければ夜間飛行ができなかったのではないかという疑惑が・・・・・

[841] ウルシー泊地(野越え山越え谷越えて) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/10/08(Wed) 17:49
何故、日本海軍は偵察もせず「米機動部隊はウルシーに在泊している」と思いこんだのだろう?
確かにこれまでの米空母機動部隊の行動パターン(1ヶ月弱作戦して1週間弱補給)からみれば3月17日にウルシーを出港し既に1ヶ月半を経過しているのだから「もうそろそろ」と考えてもおかしくは無い。

日本海軍の空母機動部隊にしても一番活発に行動した時期の記録をみると1ヶ月以内に帰投している。
例として赤城を挙げてみよう。

1941年11月26日、ハワイ作戦の為、ヒトカップ湾を出撃し29日間の作戦行動後、12月24日内地帰投。
翌年1月17日、R作戦の為、トラックを出撃し11日間の作戦行動後、1月27日トラック入港。
2月15日、ポートダーウィン攻撃の為、パラオを出撃し7日間の作戦行動後、2月21日スターリング湾入港。
2月25日、ジャワ海掃討戦の為、スターリング湾を出撃し15日間の作戦行動後、3月11日スターリング湾入港。
3月26日、インド洋作戦の為、スターリング湾を出撃し28日間の作戦行動後、4月22日内地帰投。
5月27日、ミッドウェー作戦の為、内地を出港し6月6日戦没。

赤城の航続距離は巡航速度16ノット時で8200浬だ。
これはすなわち21日間(8200÷16÷24=21.3)の作戦行動を意味する。
ただし「どうあっても21日間しか作戦行動できない」と言う物でもない。
速度を落とせば燃費は良くなるし消費した燃料を洋上給油で補う事もできる。
とは言え燃料以外にも糧食などの消費物品があるので「いくらでも作戦行動できる」とはならない。
上記に於ける「赤城の21日間」はおおまかな指針と考えて頂きたい。
基本的には日米とも1ヶ月前後(ヨークタウン型は15ノット12000浬なので33日)が空母機動部隊の最大作戦行動期間だったのである。
多数のタンカーを配した洋上補給システムを米海軍が樹立するまでは。

大戦末期、米空母機動部隊は45年3月17日からの沖縄攻略(約3ヶ月強)と44年6月6日からのマリアナ攻略(約2ヶ月強)、45年7月1日からの日本本土空襲(約1ヶ月半)と3回に渡り長期間遠征を果たした。
これらの長期遠征は日本海軍にとって「まったく想定外の行動」であった。
日本海軍にはその様に大規模な「洋上補給システム」は存在しなかったのだから。

さて、それでは米空母機動部隊が3ヶ月の作戦行動を終え帰投する6月下旬にウルシーを攻撃すれば良かったのだろうか?
答えは「否」である。
6月下旬にも米空母機動部隊はウルシー泊地にいなかった。
3月17日にウルシー泊地を出撃した米空母機動部隊が同地に戻る事は2度と無かったのだ。
日本海軍の猛攻によって米空母機動部隊が全滅したからではない。
新たな艦隊根拠地であるレイテ湾に帰投したからである。
つまり45年3月17日以降に日本海軍が企図したウルシー泊地攻撃は全て無駄となった。

そもそも前進根拠地の必要条件は優良な泊地を備え最前線から遠すぎず近すぎもしない事である。
もし遠ければ往復の航海で燃料と時間を費やしてしまうし近すぎれば「安全な泊地」たりえない。
よって戦況が変化するにつれ前進根拠地が移る事は当たり前なのだがどう言う訳か日本海軍はウルシー泊地に固執した。
ただし第4次丹作戦の攻撃目標はウルシー泊地では無かった。   (続く)

[840] ウルシー泊地(話は続くよどこまでも) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/10/07(Tue) 19:58
第2次丹作戦から3日後の3月14日、米空母機動部隊はウルシー泊地を抜錨し前線へ向かった。
目指すは沖縄、アイスバーグ作戦の発動である。
この出撃は3ヶ月を越え第2次世界大戦の空母行動史上、最長記録となった。
なお銀河の突入により損傷した空母ランドルフは修理の為、泊地に残され代わりにイントレピッドがラドフォード提督指揮下の第4群へ編入された。

米空母機動部隊による空襲は18、19日の阪神地区を皮切りに本土沿岸を荒れ狂い24日からはその矛先を沖縄に向ける。
これに対し日本軍は天号作戦を発動。
海軍部隊はより細分化された菊水1〜10号作戦によってあまたの航空機、艦船を沖縄水域へ送り込むに至った。
そのさなか、第3次丹作戦が発動された。
日本海軍はまったく懲りていなかったのである。

まず5月1日、3航艦と5航艦から銀河各12機を抽出し木更津で第3次丹作戦の実行部隊となる第4御楯隊(指揮官野口大尉)を編成した。
第2次丹作戦と異なる点は彩雲による事前偵察が行われなかった事と搭載爆弾を800s2発(安定ヒレを外し無理矢理詰め込んだ)に増やした事である。
第4御楯隊は5月7日の0645に出撃したものの発進時に4機が故障、1機墜落、飛行中にも脱落機が続発し沖の鳥島上空に達した時は隊長機以下5機に激減、やむなく攻撃を中断し帰投するに至った。

翌日、10日の再決行を予定するが天候不良で12日に延期。
ところがこれまた天候不良で14日に延期するも当日、鹿屋基地に並べた銀河に米空母艦載機が襲いかかり第3次丹作戦は全面中止となってしまった。
果たして7日の攻撃で脱落機が続出せず攻撃が遂行されていたらどうだったであろうか?

冒頭で米空母機動部隊の作戦行動が3ヶ月を越える最長記録と書いた事を思い出して頂きたい。
当時、ウルシー泊地はもぬけの空だった。
だいたい鹿屋に来襲するのだから米空母機動部隊がウルシー泊地にいるはずがない。
そもそも事前偵察もせず「米機動部隊ウルシー在泊」と信じ込む方がどうかしている。
なにしろ5月4日には菊水5号作戦が発動され海軍機約300(うち特攻機136)が出撃し英空母フォーミタブル、インドミタブル、ビクトリアス、米軽巡バーミンガム、米護衛空母サンガモンなどに突入する激戦(この攻撃では桜花も使用され敷設駆逐艦ショウを撃破している。)が繰り広げられているのだ。
もはやこの時点から日本海軍統帥部の混乱は始まっていると言えよう。     (続く)

[839] ウルシー泊地(まだまだ続く) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/10/06(Mon) 21:14
銀河は雷撃可能な航空機だが元来は急降下爆撃機である。
だが「二兎を追う者一兎も得ず」の例え通り搭乗員に雷撃と急降下爆撃の双方を訓練させては錬成に時間がかかりすぎる。
そこで攻撃262飛行隊の場合、総兵力30機を急降下爆撃隊24機、雷撃隊6機と区分し第2次丹作戦には急降下爆撃隊のみが出撃した。
雷撃隊であれば低空水平飛行が専門なのだから海面激突は避けられたであろう。

急降下爆撃をしていたらどうだったであろうか?
結果論に過ぎないが高度300m以上は雲に覆われているのだから例え夜間でなかったとしても目標は発見できない。
また米軍レーダーの隙をかいくぐる為、低高度で進入する事は必要条件だった。
しかし低高度で進入するのであれば会敵時に敵の全容を把握するのは不可能だ。
夜間はなおさらである。
かくして銀河部隊は誉の故障続出に加え副操縦員のいない長距離飛行で多数の脱落機を出したうえ慣れない夜間の低空飛行で次々と海面激突するに至った。

第2次丹作戦は構想的には素晴らしい作戦だったが実施段階で「銀河を使用した特攻」に拘泥した為、充分な戦果を挙げられずに終わった。
悲劇は銀河部隊で実行された事で始まり到着が夜間になった事で拡大したと言えよう。

ここでひとつ銀河以外によるウルシー泊地攻撃を想定してみたい。
当時、日本海軍には信頼性の高い発動機を装備し副操縦員を搭乗させる事ができウルシーまで到達可能な航空機として1式陸攻があった。
低空水平飛行にしても1式陸攻は雷撃が主任務なのだからお手の物である。
何も銀河に800s爆弾を搭載し低空飛行で特攻する必要はなかった。
1式陸攻で雷撃しても良かったのだ。

さて特攻でなく通常の雷撃であれば残存機の着陸地が必要となる。
前述した「突入しなかった4機」を思い出して頂きたい。
第2次丹作戦は特攻作戦だが全機が突入した訳ではない。
指揮官の黒丸大尉以下4機は敵空母を発見できなかったので特攻せず艦種不明の目標に通常爆撃を行い1機はルモング島、3機はヤップ島に着陸した。
なおヤップ島に降りた3機のうち2機や着陸時に損傷したので残る1機に3機分の乗員9名と便乗者1名の計10名が搭乗し3月14日の午後、鹿屋へ帰着している。
ヤップ島の滑走路を充分に整備(爆弾の破裂孔が多数ありこれによって着陸時に銀河が損傷した)しておけば攻撃隊を収容できたのである。
ならば片道特攻する必然性はどこにもない。
それにも関わらず第2次丹作戦は特攻作戦として立案された。
誰か1式陸攻の使用を提唱する高級将校はいなかったのだろうか?

確かに銀河は1式陸攻より高速で優れた航空機だが「どの様な時でも優れている」のではない。
「銀河を使用した特攻」ではなく「1式陸攻を使用した通常雷撃」であれば損害も少なく大きな戦果を得られたであろう。
適材適所を忘れ杓子定規に性能のみを盲信した事により第2次丹作戦が悲劇的末路を辿ったと考えると残念でならない。 (続く)

[838] 銀河の高度計 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/10/04(Sat) 16:13
「銀河の高度計には30m以上の誤差がある」とする説や「その為に第2次丹作戦では海面突入が相次いだ」とする説がある。
私も最初は「なるほど、そうなのか。」と思った。
高々度から急降下し敵艦に接近する急降下爆撃機と低空で一直線に敵艦に接近する雷撃機では高度の変化量が全く違うし高度差が操縦に与える影響も違う。
双方とも「海面に激突すればお陀仏」である事に変わりは無いが艦爆が100m単位での高度差が重要なのに対し雷撃では10m単位になる。
だから「同じ高度計ではまずいだろう」と思ったのだ。

雷撃機用に製造(もしくは調整)された高度計で急降下したら物凄い高度変化で読みとれなくなるだろうし逆なら些細な高度変化は判らなくなる。
そこで元横空飛行隊長の有馬元少佐に「雷撃機と急降下爆撃機の高度計は別ですか?」と聞いてみた。
そうしたら「私は艦爆も艦攻も乗ったけど高度計は同じですよ。」と答えられた。
そこで第2次丹作戦時に銀河が海面に突入した話をしたら「海面すれすれを飛行している時に高度計を見る暇はありません。」と仰られた。
そりゃそうだ。
となれば「高度計が原因で海面突入」は×となる。

そもそも当時の高度計は「30m以上の誤差」どころかもっとアバウトな物だったらしい。
やはりそうなると海面スレスレの低空飛行は練度の熟達が物を言うのであろう。

[837] ウルシー泊地(またまた続き) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/10/02(Thu) 13:16
さてここからが妙なのである。
この15機のうち指揮官の黒丸大尉機を含む3機はヤップ島、1機はルモング島に着陸、11機が在泊米艦隊に突入した。
だが11機のうち敵艦に命中したのは1機(空母ランドルフ)だけでありその他の10機は次々と海面へ激突するに至った。
何故であろうか?

これは銀河が悪天候(雲高300mかつ夜間)のさなか海面ぎりぎりを水平飛行していたからに他ならない。
それでは丹作戦の攻撃方法について考えて見よう。
艦船に対する航空機の攻撃方法には高々度の水平飛行で実施される水平爆撃、低高度の水平飛行で実施される反跳爆撃や雷撃、降下して実施される急降下爆撃や緩降下爆撃、銃砲を使用する掃射などがある。

水平爆撃は接敵時にレーダーで補足される事と命中率が低い事、雲下の敵が攻撃できない事が短所であり対空砲火による損害が少ない事が長所である。
水平爆撃では投弾後、そのまま直進して敵の上空を通過する。
雷撃は接敵時にレーダーで補足されにくい事と雲下の敵が攻撃できる事、命中率がそれなりに高い事が長所である反面、対空砲火による損害が甚大である事や搭載力の大きい機体でなければ不可能である事、低高度での運動性が必要である事などが短所となる。
反跳爆撃は魚雷を搭載できない機体や「雷撃能力はあるものの魚雷の調達が不可能」な状況で実施される。
ちなみに雷撃は敵前1000m前後、反跳爆撃は200〜300mで投弾する。
雷撃や反跳爆撃では投弾後、機体を上昇させ敵の直上を通過する。
そうしないと敵艦に激突する恐れがあるからである。
降下爆撃は接敵時にレーダーで補足される事や雲下の敵が攻撃できない事は水平爆撃と変わりないが命中率が格段と高いと言う長所がある。
ただし急降下爆撃となると頑丈な機体でないと強度が不足するしダイブブレーキも必要となる。
降下爆撃では高度500m前後で投弾し機体を急激に引き起こす。
そうしないと間違いなく海面に激突してしまう。
なおこれらの攻撃方法とは別にもうひとつの対艦攻撃方法が存在した。
特攻である。

この攻撃方法では爆弾を搭載したまま敵艦に激突する。
さてこれまでに説明した攻撃方法のうち水平爆撃は敵艦と激突する事はありえず降下爆撃は敵艦より海面と激突する可能性の方が高い。
よって特攻は雷撃もしくは反跳爆撃と同じく低高度の水平飛行で接敵し最後の「上昇による回避」を行わないで敵艦に激突する。
海面スレスレの低高度で飛行するのだから敵艦に激突する前に海面へ激突する可能性も高い。
まして夜間は...           (続く)

[836] ウルシー泊地(そのまた続き) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/09/28(Sun) 21:11
それでは第2次丹作戦の概容を述べよう。
1.日本本土から直接、ウルシー泊地を攻撃する長距離空襲作戦である。
2.使用兵力は銀河24機(攻撃262飛行隊)と誘導に2式大艇5機。
3.装備は各機800kg爆弾1発で薄暮攻撃。
これらは第2次丹作戦を特徴づける要素だが後述する様に全てが裏目に出た。

なおこの作戦の発案者は豊田連合艦隊司令長官である。
彼は米機動部隊が硫黄島上陸の事前作戦として日本本土の関東地方を暴れ回った昭和20年2月17日に「この敵機動部隊がウルシー泊地に帰投した時を狙って叩いてやろう」と思い第2次丹作戦を決意(出典は戦史叢書「海軍部・連合艦隊7」)したらしい。
そして3月7日、通信情報により米空母機動部隊のウルシー帰投が判明する。
8日、攻撃隊の誘導及び不時着機搭乗員の救助を目的としウルシー北西200浬地点へピケット潜水艦(伊58)の派遣が命令される。
ついで9日、トラックの彩雲によって偵察が敢行され午後には空母5、軽空母3、護衛空母7、戦8、巡4、軽巡1、輸送船54の在泊と空母4、戦3、その他が入港中との偵察報告がトラックに入った。

敵機動部隊のウルシー在泊が確認されたのだから当然の如く第2次丹作戦は発動され攻撃予定日は10日と定められる。
しかしトラックで偵察写真を判読し内地へ打電したものの艦種と隻数の部分が電波状況の悪化でうまく届かない。
敵艦隊は在泊しているものの「ひょっとしたら敵空母は不在なのでは?」との不安が実施部隊指揮官(宇垣第5航空艦隊司令長官)の心の中で頭をもたげる。
九州南端の鹿屋基地からウルシー泊地までは3000km近い。
かなり早く発進しないと現地に到着した時は暗くなってしまうのだ。
刻々と時間は経ってゆく。
やむなく攻撃中止を決し庁舎に戻ってもう一度電文を照合した結果、なんと艦種と隻数が判明するに至った。
かくして翌日の再攻撃が決せられたのであるが...

なんと翌日は寒さの為に発進が遅れると言うアクシデント(第5航空艦隊司令部が故意に出撃を1時間遅らせたと言う説もある)が発生してしまった。
発進の遅れはすなわち現地到着の遅れを意味する。
おまけに銀河と言う機体を使用した事が大きな災いとなった。
銀河は航続距離5370kmを誇る最新鋭爆撃機だが装備する発動機の誉は信頼性にかける欠陥品だった。
しかも高性能化を達成する為、搭乗員数を3名(つまり副操縦手は無し)まで減らしたので長距離飛行時には自動操縦装置に頼らざるをえずこの装置がまた欠陥品だったのである。
かくして発進した24機は事故や故障で次々と脱落、ウルシー泊地に到着した時は15機(16機とする説もある)となっていた。     (続く)

[835] ウルシー泊地(続き) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/09/24(Wed) 19:30
さて10月1日にウルシーへ入港した米空母機動部隊は大急ぎで補給を終え6日には出港した。
きたるべきレイテ上陸の事前作戦として台湾及び沖縄の日本軍航空基地を叩く為である。
この出撃で米空母機動部隊は10月10日から16日に渡って繰り広げられた台湾沖航空戦、20日から始まったレイテ上陸の支援、それに続くレイテ海戦と獅子奮迅の活躍を遂げ10月30日にウルシーへ舞い戻った。
約1週間弱で補給し1ヶ月弱作戦行動を取るこのパターンはウルシーを前進根拠地とする期間、ほぼ踏襲される。
まずはフィリピン各地、台湾、仏印そして硫黄島などが次々と襲われた。

一方、日本海軍とてみすみす手をこまねいていた訳ではない。
米軍の前進根拠地がウルシーであると察知するやいなや潜水艦による特殊攻撃が企図された。
回天を使用した第1次玄作戦である。
だが潜水艦が首尾良く回天を潜入させても泊地がモヌケの空では効を奏さない。
そこで11月17日、トラックから彩雲によるウルシー偵察が敢行され空母4、戦7、巡及び輸送船100以上との報告がなされた。
当時、米空母機動部隊の主力はフィリピンを爆撃しまくっていたが運良くシャーマン提督指揮下の第38.3部隊(空母エセックス、タイコンデロガ、ラングレー、サンジャシント基幹)が在泊(出典は戦史叢書「海軍捷号作戦2」)していたのだ。
かくして11月20日、伊36と47から5基の回天が出撃しウルシー泊地を襲ったのだが戦果は給油艦ミシシネワを撃沈するにとどまった。

ちなみに小型潜航艇による港湾襲撃は日本海軍の常套戦術で開戦時のハワイ攻撃を皮切りにシドニー攻撃、ディエゴスワレス攻撃など数度に渡り甲標的を使用して実施されてきた。
玄作戦もこの流れを汲んでおり甲標的を回天に換えた亜流に過ぎない。
さて、こうした港湾攻撃は警戒の薄い時を狙っての奇襲が大前提なので1度実施してしまうと警戒が厳重になり2回目は相当難しくなる。
そこで次に日本海軍は空襲によるウルシー攻撃を企てた。
これが銀河を使用した第2次丹作戦である。         (続く)

[834] ウルシー泊地 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/09/16(Tue) 20:26
嵐作戦で不思議なのは目標が依然としてウルシー泊地のままだった事である。
大戦末期、ウルシー泊地は確かに連合軍の重要根拠地であった。
1944年9月23日に占領されてから1945年3月14日までの約半年弱の間は。
ちなみに米空母機動部隊はいつでもウルシーに在泊している訳ではない。
燃料問題で活動が制約された日本海軍と異なり米空母機動部隊は常に洋上で作戦を繰り広げ燃料、弾薬、糧食などの物資が欠乏したり乗員の疲労が蓄積した場合した時に泊地へ帰港する。

それではここでひとつ米空母機動部隊の動勢をふり返ってみよう。
開戦時、ハワイを根拠地としていた米空母機動部隊はドーリットル空襲(42年4月)を最終とするヒットエンドラン作戦を繰り返し日本の後背部を攪乱した。
ヒットエンドラン作戦による実利的被害は少なかったが日本海軍統帥部に与えた心理的影響は少なくない。
この5ヶ月に渡る米空母機動部隊の活動を第1期としておこう。
さて第2期は日米空母機動部隊同士が正面対決をした期間で珊瑚海海戦(42年5月)からミッドウェー海戦、第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦(42年10月)と半年間続いた。
かくして双方とも空母機動部隊は大損害を蒙り第3期の「再建期」に移る。

米海軍は可動空母0のお寂しい状態だったがエセックス型とインデペンデンス型が次から次へと戦列に加わるし艦載機と搭乗員の補充には事欠かない。
一方、日本海軍は瑞鶴と隼鷹を擁していたが搭乗員の補充で四苦八苦していた。
米軍にとって第3期は1943年7月まで9ヶ月間続く。
この間に米空母が活躍したのはサラトガが英空母ビクトリアスと共同で行った中部ソロモン空襲(1943年6月)くらいだ。
だが1943年8月末、再建成った米空母機動部隊による初作戦の幕が切って落とされた。
第2次マーカス空襲作戦である。
以降、米機動部隊はガルバニック作戦支援(タラワ上陸)や第2次ウェーク空襲、チェリーブロッサム作戦支援(ブーゲンビル上陸)など縦横無尽の活躍を遂げる。
それに比べ日本海軍は空母機動部隊の再建が一向に捗らなかった。
「い号作戦」や「ろ号作戦」で空母艦載機を陸上基地に派遣し搭乗員を一挙に消耗してしまったのがアダとなったのである。
ちなみに開戦以来、基本的に米空母機動部隊はハワイを根拠地として作戦行動(東京初空襲作戦の第18機動部隊の様にハワイに寄らず米本国から作戦目標へ直行した例もあるが)を繰り返した。
しかしいつまでもハワイの回りをうろついていても戦況は好転しない。
いつかはハワイに代わる大泊地をもった前進根拠地を手に入れなければならない。
かくして計画されたのがマーシャル攻略を目的としたフリントロック作戦である。

1944年1月22日、ハワイを出港した米空母機動部隊は戦争が終わるまで米本国ならびにハワイへ帰らなかった。
(一部の部隊や損傷艦船などが帰港する事はしょっちゅうあった。主力が帰って来る事は無かったとの意味である)
マーシャル諸島の中で米軍が目をつけたのはメジュロ(1月31日上陸)である。
再建から新根拠地獲得(メジュロ)までハワイを中心に米空母機動部隊が活動した5ヶ月が第4期の「ハワイからの進撃」となる。

メジュロ占領後、2月3日には早くも米空母機動部隊が入泊。
ちゃっちゃと補給を済ませ同月12日には出港し17日にはトラック、23日にはマリアナを空襲して暴れまくる。
一暴れしたらメジュロに帰港し補給を終えたらまた一暴れ。
こうしたメジュロを根拠地とする米空母機動部隊の活動は約4ヶ月に及ぶ。
更に6月6日、メジュロを出港した米空母機動部隊は新たなる局面打開に臨む。
戦略爆撃機発進基地となるマリアナの攻略だ。
サイパンへ上陸しマリアナ沖海戦で勝利を収めた米空母機動部隊は合計66日間にも及ぶ大遠征を終え8月11日にエニウェトクへ帰港。
これだけの大遠征となると補給期間もまた長く17日後の8月28日、米空母機動部隊は新根拠地獲得を目指して出港した。
そして9月23日、遂に米軍はウルシーへ上陸。
10月1日には米空母機動部隊がウルシーへ入港する。
メジュロ占領からウルシー占領までの8ヶ月は第5期の「メジュロからの進撃」と位置づけられよう。                               (続く)

[833] Re:[831] [830] ロンドン軍縮条約について 投稿者:いそしち 投稿日:2008/09/10(Wed) 20:24
> 地中海を主戦場とする仏伊は単に「沿岸で活動する小型艦」が欲しかっただけなのではなかろうか。

仏の超駆逐艦は超有名ですが逆に極小駆逐艦も建造していたのですね。
こちらは艦のサイズに比例するかのように有名でないのが笑えます。

> それと第1次ロンドン条約ではもうひとつ不思議な艦がある。
> 日本陸軍の神州丸だ。

陸軍が強襲揚陸艦や空母、潜水艦を自主建造するのは外国で思いもよらない事でしょう。
どこかで軍艦は海軍士官が指揮を取らなければならないと読んだ覚えがありますが神州丸の場合はどうなるのでしょうか?
[832] 発言削除のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2008/09/09(Tue) 13:55
投稿者からの依頼により、発言[832]を削除いたしました。

[831] Re:[830] ロンドン軍縮条約について 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/09/08(Mon) 16:37
> 改装後の 「五十鈴」 のような軍艦が仮に建造されたとしたら、どこにカテゴライズされるのでしょうか?


それでは第1次ロンドン条約に於ける制限外艦艇の定義を述べるとしよう。
まず600トン未満の艦艇だがこれらは無条件で制限外となる。
18インチ砲を装備しようが飛行甲板を有しようが全てOKだ。
(600トン未満の小型艦に18インチ砲を装備する事は不可能だろうし極小飛行甲板では飛行機の発着はできないだろうが)
次に600トン以上2000トン未満の場合、以下の艦艇が制限対象となる。
1.6.1インチを越える砲を有する艦
2.3インチ以上の砲を4門を越えて有する艦
3.魚雷
4.20ノットを越える速力を有する艦
ちなみにこの条項に照らし合わせ制限ギリギリの艦が米国で建造されたエリー型(1900トン、6インチ砲4門、速力20ノット)である。
しかし「条約上は大変お得な艦」であっても「性能的には大して使い道のある艦」ではなかったので結局2隻しか建造されなかった。
さて五十鈴型だが...
上記の規約によれば明らかに制限対象であり「1850トン以上もしくは5.1インチ以上の砲を有する艦を巡洋艦とする」に従えば立派に巡洋艦である。
なお細かい事を言うと駆逐艦と巡洋艦の境界は5インチ砲ではなく「5.1インチを越える砲」であり130ミリ砲もOKとなる。
これは重巡と軽巡の境界も6.1インチを越える砲(だから最上型も155ミリなのに軽巡とされる)なので注意されたい。

ひとつ不思議なのは第1次ロンドン条約で仏伊日海軍が制限外の600トン未満小型艦としてが水雷艇を建造した事である。
条約に調印した日本はともかく調印しなかった仏伊がなぜ?
特に仏は超駆逐艦を大量に建造し「補助艦の制限なんか知ったこっちゃねえ」を通した海軍だ。
世に流通する書籍の大多数は仏のラ・メルポメーヌ型、伊のスピカ型などを「ロンドン条約の制限外で建造された小型艦」と記すが果たして仏伊海軍は本当にその目的で建造したのだろうか?
地中海を主戦場とする仏伊は単に「沿岸で活動する小型艦」が欲しかっただけなのではなかろうか。

それと第1次ロンドン条約ではもうひとつ不思議な艦がある。
日本陸軍の神州丸だ。
第1次ロンドン条約の批准が1930年10月。
神州丸の起工が1933年4月。
進水が34年3月で竣工は同年11月。
そして第1次ロンドン条約の失効が1936年12月31日。
どう考えても条約が適用される艦船である。
しかるに...
あれは一体どんなカテゴリーに組みいれられるのだろう?
存在その物が秘匿されていたので何とも言えないが。

[830] ロンドン軍縮条約について 投稿者:扶桑 投稿日:2008/09/07(Sun) 22:45
こんにちわ。少し意見を伺いたい事が出てきたので書き込みをします。

先ほど、ロンドン軍縮条約について考えていたら、疑問点が出てきました。条約での駆逐艦と軽巡洋艦の定義は、

駆逐艦・・・1850トン以下、主砲は5インチまで
軽巡洋艦・・・10000トン以下、主砲は5インチを超え6.1インチまで

となっていますが、それなら「1850トンを超え、主砲が5インチ以下の軍艦」、つまり改装後の 「五十鈴」 のような軍艦が仮に建造されたとしたら、どこにカテゴライズされるのでしょうか?

恐らく、軽巡洋艦の範囲に入れられるとは思うのですが、どうなんでしょう。「それは超大型駆逐艦だ。条約違反だ!」という騒ぎになるのを想像するのも楽しいですが。

[829] Re:[828] [827] レイテ島の日本軍戦車について 投稿者:ハルトマン 投稿日:2008/09/06(Sat) 12:36
> > N少佐って長嶺先生の事?

早々のご返事ありがとうございます。そうです。長嶺先生です。著書「戦場 学んだこと、伝えたいこと」を読んで、生の戦場体験に感動した覚えがあります。今度お伺いしたときに、是非お聞かせ頂いてよろしいですか?

 助かります。これで長年の疑問が解けるような・・・、あとはメールで、お伺い出来る日時を連絡いたします。

[828] Re:[827] レイテ島の日本軍戦車について 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/09/06(Sat) 11:13
>  結構オタクな話題ですが、NHKの放送に出演していたN少佐以下、生き残りのかたがいるうちに、確認して置きたい気分です。

N少佐って長嶺先生の事?
防大の教授を退職されてからしばらくは軍事史学会の懇親会で良くお見かけしたし随分と面白い話も伺ったけれど15年位前から来なくなられたなあ...
いつもチロリアンハットをかぶっておられて凄く巨躯の方だった。
第1師団に関する情報なら長嶺先生へ手紙を書いて尋ねてみたら?
長嶺先生の住所をここに書く訳にはいかないから今度、来社した時にでも教えるね。

[827] レイテ島の日本軍戦車について 投稿者:ハルトマン 投稿日:2008/09/05(Fri) 23:40
 すみませんが私が疑問と言うか、阿部さん他皆さんにお聞きしたいのですが、レイテ島のリモン峠の戦いについて(最近NHKでも放映されましたが)かねてから疑問がありました。

 第一師団がオルモックに、奇跡の逆上陸した後、レイテ湾に向かい、リモン峠を越えたカリガラで米24師団と鉢合せする訳ですが・・・、日本軍の先鋒、捜索第一連隊(今田少佐)に本来配備されていたはずの94式軽装甲車が、この戦闘に参加していたのでしょうか?
 一般の戦記などでは、94式軽装甲車が活躍していることが多いのですが、第一師団レイテ会の「第一師団レイテ戦記」や「日本陸軍騎兵隊史」によれば、当時の捜索第一連隊の兵力は乗馬中隊1個中隊と重火器小隊1個(共に輜重第一連隊付属のトラック等に分乗)、それに現地配属された軽戦車1個小隊(3両マニラで編入されたものの1部)・野砲兵1個分隊・無線1個分隊となり、「第一師団レイテ戦記」を読み進めて行くと、満州からレイテ進出の船舶輸送力の制限からか、捜索連隊の全力でない事が分かります。
 つまり、戦車第二師団第六・第十連隊の各第一中隊(95式軽戦車中隊)が連絡・重火器運搬用にフィリピンのマニラで編入されており、これが第一師団捜索連隊付属の装甲車中隊と混同されていたような結論になるのですが・・・。

 結構オタクな話題ですが、NHKの放送に出演していたN少佐以下、生き残りのかたがいるうちに、確認して置きたい気分です。
 満州に残された第一師団の一部(捜索連隊装甲車中隊を含む)のその後の運命はどうなったのか?お分かりの方がいたら教えて下さい。

 私も世が世なら、第一師団特に赤坂の第一歩兵連隊入営だったかも(体だけは丈夫だし)・・・・、リモン峠で戦死された方の近所の遺族の方が・・・、14年除隊になった元軍曹が戦友たちの運命を・・・最近まで、私の蔵書をよく見に来ていて、本人の知りたいところを知り感動されていました・・・。
  この疑問、結構重大なんです。

[826] 砂漠のラッコ様へ 投稿者:ケンツ軍曹 投稿日:2008/08/31(Sun) 15:45
ドシュカの第3回はどうなったんデシュカ?
楽しみにしてますのでそろそろ再開していただけマシュカ?
宜しくお願いします。

[825] Re:[824] 轟沈と言えば・・・ 投稿者:ハルトマン 投稿日:2008/08/31(Sun) 07:06
> 自分は轟沈、観た事ないんですが、以前もここで話に登った「真実一路」のページで
> 「轟沈」の鑑賞記事がありました。
>
> http://www.warbirds.jp/truth/ijn-sub2.html
>
> K−2さんこの鑑賞記事面白いですね、いつの間にかに魚雷発射、捕虜尋問言う部分、この撮影意図と違う潜水艦の戦闘状況が、本物なのかも知れません。奥さんと一緒に観たと言うのも面白いです。

 十中八九本物の艦長と言う部分、当時の艦長は殿塚謹三中佐だったと思うのですが、あの神棚のシーン良いです。戦果札を掛けるシーンは下士官の方、多分出港時にも艦の主の様に振舞っているので、この方多分先任伍長かも知れません。

 まさに阿部さんの、抜書帳の「武運」に相応しい伊号第10潜水艦です。

 魚雷命中の爆発音「命中・・・命中ッ」の声、潜望鏡が上がり、攻撃報告の無線が打たれる、敵無線の傍受・・・「先方は了解しました」「敵はあわてて報告になりません」・・・敵のスクリュウ音・・・「深々度潜航爆雷防御ッ」・・・「敵速測れ」・・・「130度・・・近づきます・・・感4・・・感5・・・感いっぱいッ・・・爆雷ッ」と戦闘状況リアルです。機会があれば1時間ほどの作品ですし、K−2さんも一度ご覧になってみてください。

[824] 轟沈と言えば・・・ 投稿者:K-2 投稿日:2008/08/29(Fri) 23:24
自分は轟沈、観た事ないんですが、以前もここで話に登った「真実一路」のページで
「轟沈」の鑑賞記事がありました。

http://www.warbirds.jp/truth/ijn-sub2.html

映画も重要な資料なんですねぇ。
なんか、演出バリバリでないあたりが非常に好感持てます。

[823] 潜水艦の話なので 投稿者:ハルトマン 投稿日:2008/08/29(Fri) 08:36
 潜水艦の話なので、参加します。
 1/700の模型は、これまでになくエッチング部品が充実、精密な組上げが出来る様になりました。潜水艦や駆逐艦などの小型艦は、それほどの時間を掛けなとも、かなりのものが組み上がります。

 日本映画社の『轟沈』、軍歌『海底万里』が、現在私のマイブームです。そんな中、伊号10潜の出港シーン(特に艦首部分または外観は検閲のため伊号162号Orイ165号・イ166号が使われている)が、気分を高揚させて気に入っています。映画『Uボート』より白黒の分迫力あるかも・・・・カメラアングルもストリーも良いし。
 模型でもこの出撃シーンを作ろうと、悪戦苦闘中です。

 さて昭和18年3月から18年12月の間、日本海軍はインド洋で第14・30潜水隊ほか9隻で、敵商船21隻、6隻撃破の戦果を挙げました。このうち伊号10潜は6月〜10月に5隻を撃沈しています。不景気な世の中、仕事で行き詰った友人も、『轟沈』の映画から元気を貰ったと言っておりました。過酷な中の、あの笑顔の人たちは、転勤の多い海軍であっても、その後お亡くなりになってしまったのでしょう・・・・・・。何で日本海軍は、戦場の変化に合わせて、伊号潜水艦をもっと有効に使えなかったのか?世の中の変化について行けない現在の日本人にだぶります。

 それにしても、伊号潜水艦、模型でUボートと比べても、映画で甲板にいる人との対比でも・・・・・、デカイ!!

[822] Re:[820] 光作戦 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/08/12(Tue) 20:05
> 連合軍機動部隊は7月からずっと日本本土沿岸を空襲し続けており8月15日には関東沖で暴れまわっていたのである。
> 当然、ウルシーはもぬけの殻だった訳だし大本営の方もそれは周知だったはずだ。

目標が在泊していないのであれば彩雲がウルシー上空に到達した時点で作戦は中止されていたでしょうね。
それを考えるといきなり晴嵐で突入せず彩雲で事前偵察したのは怪我の功名といえるかも知れません。

> それを思うと実施部隊の悲哀と混乱が...

特に潜水艦は通信が遮断されるので終戦の混乱をテーマとしたドラマや映画で多数とりあげられますね。

[821] 8月10日 投稿者:いそしち 投稿日:2008/08/10(Sun) 18:40
8月10日と言えば日露戦争で黄海海戦が繰り広げられた日として有名です。
そこで今日は久しぶりに「運命の八月」シナリオでもやろうと思っていたのですが光作戦の話を読んでちょっと考えが変わりました。

今日は酒でも呑みながら「日本の一番長い日」のビデオでも見る事にします。
もう日も暮れてきた事ですし。

[820] 光作戦 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/08/10(Sun) 14:05
潜水艦を使用した壮大なる贅沢をもうひとつ記そう。
パナマ運河を攻撃する為に青嵐3機を搭載する特型潜が建造された事は有名だ。
結局の所、戦局が悪化し攻撃目標がウルシー泊地に変更された末、実行直前に終戦を迎えた事もね。
このウルシー攻撃が嵐作戦だがこれと並行しもうひとつの作戦が立案された。
光作戦である。

特型潜は当初、18隻の建造が計画されたが当時の日本にそれだけの超大型潜水艦を建造する余力は無かった。
だがそれなりの機数を投入しなければ空襲なんて意味をなさない。
そこで急遽、建造中の甲型潜(旗艦用潜水艦)が青嵐2機を搭載できる様に改装された。
これが甲型改2である。
昭和20年上半期、特型潜2隻(イ400、401)と甲型改2(イ13,14)を擁する第1潜水隊(航空兵力は合計青嵐10機)は来るべきパナマ運河攻撃に備え日夜、訓練と整備及び資材調達にいそしんでいた。
ところが情勢は日々、窮迫していきパナマ運河までいく燃料すらおぼつかなくなってしまった。
そりゃそうだ。
4月の大和出撃時の時ですら燃料事情は切迫してたんだもの。
なにしろ特型潜の燃料搭載量は1750t、甲型改2が1000t弱、合計して約5500t(ちなみに大和の燃料搭載量は6300t)にもなる。
伊達や酔狂で工面できる量(当時、呉にあった燃料は2000t)じゃない。
仕方ないのでイ400は満州、イ13と14は朝鮮まで行って燃料を補給した。
そんな事をしてるうち戦況は益々窮迫しパナマまで辿り着かない内に負けちゃいそうになったんでやむなく目標がウルシーへ変更された。

ここで不思議なのは第1潜水隊が二分された事だ。
本隊の特型潜2隻は青嵐各3機を搭載してウルシーを攻撃(嵐作戦)するが甲型改2の2隻は彩雲各2機を分解搭載しトラックへ向かったのである。
この彩雲でトラックからウルシーを偵察するのが光作戦なのだがどうにも釈然としない。
彩雲の航続距離が2860浬、トラック横須賀間が1840浬なのに何故、潜水艦で輸送するのか?
空路で往った場合、着陸時に天候不良で降りられない場合もあり得る。
だがそれにしても貴重な攻撃力(10機)の40%まで充てる必要があるのか?
ひょっとしたら10機の青嵐が揃えられなかったのかも知れない。
(青嵐の製造数は27機だが不具合で使用できない機体も多かったそうだ)
だとしたら少しでも攻撃力を増大させる為、無理して改装された甲型改2とは一体、何だったのか?
まあそれからすれば竣工した時には搭載する航空機がろくになかった雲龍型空母の方が悲劇的かも知れないが。

さて色々と疑問はあるがとりあえずイ13と14は7月中旬に大湊を出港、16日に米護衛空母部隊の攻撃でイ13を喪失するも8月5日にはイ14がトラックに到着し彩雲を揚陸している。
一方、イ400と401は7月26日に大湊を出撃しウルシーへ向かった。
そして8月10日(ちょうど63年前の今日だ)に彩雲の組み立てが完了し作戦可能となった。
ウルシー攻撃は8月17日の予定である。
しかし...
8月15日に日本が降伏し嵐及び光作戦は実行されないままその終幕を降ろした。

これで良かったのだ。
確かに1945年3月のウルシー攻撃(銀河を使用した丹作戦)では大きな戦果を挙げた。
とは言えいつでもウルシーに獲物がいるとは限らない。
(だから彩雲で偵察するのだが...)
連合軍機動部隊は7月からずっと日本本土沿岸を空襲し続けており8月15日には関東沖で暴れまわっていたのである。
当然、ウルシーはもぬけの殻だった訳だし大本営の方もそれは周知だったはずだ。
なのになぜそれを嵐、光作戦の実施部隊に通知しないのだろう?
なぜ作戦延期を指令しないのだろう?
終戦のドタバタでそんな事はもうどうでも良くなっちゃっていたのかな?
それを思うと実施部隊の悲哀と混乱が...

[819] Re:[818] [817] [816] [815] 疑問 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/08/09(Sat) 19:42
すいません。
潜水界は潜水艦の間違いでした。
あぁ恥ずかしい。

> 特3式内火艇だって2両しか積めないのは明白だ。

御回答有り難う御座います。
それにしてもたった2両だけとは...
まるでホワイトベースに搭載したモビルスーツみたいですね。

[818] Re:[817] [816] [815] 疑問 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/08/07(Thu) 17:55
> いったい1隻の潜水界にどれだけ搭載するのですか?

それでは日本海軍が「水中陸戦隊によってどんな上陸作戦を想定していたか?」を検証してみよう。
まず主力となる丁型潜水艦だが1942年10月に11隻の建造が改D計画の一部として追加された。
とは言え日本中のドックと船台は既存計画で建造中の艦艇や損傷艦の修理で手一杯だった。
よってその隙を見つけて各地(呉2隻、横須賀3隻、神戸6隻)で丁型潜水艦の建造が進められたのだが途中で任務が上陸作戦用から物資輸送用に変わった上、電池を増載する為に貨物搭載量を減らしたり再び貨物搭載量を増やす為に発射管を廃止したり改設計に改設計を重ねたので最終艦(伊369)の竣工は1944年10月9日まで遅れてしまった。

もとより日本海軍とてすぐに11隻の丁型潜が揃うとは思ってなかったろう。
1隻110名(丁型潜の陸戦隊乗艦数を120名とする資料もある)なら11隻で総計1210名となるが何隻ぐらい竣工したら作戦を実施するつもりだったのだろうか?
11隻のうち4隻(伊361、362、363、365)は比較的早期(1943年前半)に起工されたがここらあたりが作戦単位になるのではなかろうか。
そうなると440名もしくは480名。
支援部隊や兵站部隊を欠いたうえ定数割れした大隊兵力ってとこだな。
これ位の部隊を支援するなら戦車1個中隊ってのが相場だろう。
さて日本海軍の戦車中隊だが...
藤田氏の調査では横須賀第16特別陸戦隊は1個中隊10両だったらしい。
またパンツァー誌では特2式内火艇の場合、1個小隊2両編成で4個小隊+中隊本部1両の9両編成とある。
1個中隊2両とは極端に小規模だね。
なぜなんだろう?
この答えを解く鍵が原乙未生著「日本の戦車」198ページにある。
ジャジャ〜ン。
乙型潜が特4式内火艇を上甲板に搭載し潜航してゆく写真が4点掲載されているのだがなんと排水量2000t以上の乙型潜ですら特4式内火艇をたった2隻しか搭載できないのだ...
(竜巻作戦だって潜水艦5隻で特4式内火艇10隻をもっていく予定だった)
特4式内火艇の全長が11m、特3式内火艇が10.3m。
特3式内火艇だって2両しか積めないのは明白だ。
となると1個中隊10両の特3式内火艇を運ぶには...
たった440名の歩兵と10両の戦車を上陸させる為に丁型潜4隻(1440t×4=5760t)と乙型潜5隻(2198t×5=10990t)の合計16750tもの艦船(しかも高価な潜水艦!)を使用するとは何と贅を極めた上陸作戦であろう。

一方、米軍のLSTなぞは排水量1625tながら1隻で中戦車20両と兵員163名及びトラック多数を輸送できた。
これが10隻だと中戦車200両(日本の20倍)、歩兵1630名(日本の4倍)になる。
「水中陸戦隊の奇襲効果」がとてつもなく絶大でなければ割が合わない訳だ。
それなのになぜ、日本海軍はそんな怪しげな構想をうち立てたのだろう。
その答えは「日本の陸海軍が不仲だったから」に他ならない。
海軍としては毛頭、大規模な陸上部隊を編成する気はなかった。
なんせ「海軍」なのだから。
よって効率が悪くとも小規模兵力で上陸作戦を行うしかなく奇襲効果に頼らざるを得ないのである。
もしも陸海軍の仲が良かったら双方で同時に輸送潜水艦や護衛空母を建造したり戦車や迫撃砲、防空戦闘機、夜間戦闘機などを作ったり相うち揃って水冷エンジンで苦渋を嘗めたりしなくて済んだであろうに...
8月15日を前にして合掌。

[817] Re:[816] [815] 疑問 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/08/06(Wed) 20:38
貴重な御回答を有り難う御座います。

> 特3式内火艇は奇襲上陸作戦の為に開発されたのである。

びっくりしました。
まさか水中陸戦隊とは思いもよりませんでした。

> でなけりゃ大きな潜水艦を何隻も作って、耐圧構造の無茶苦茶生産効率の悪い戦車をわざわざ開発してとんだ散財だ...

いったい1隻の潜水界にどれだけ搭載するのですか?

[816] Re:[815] 疑問 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/08/04(Mon) 19:09
> それにも関わらず遙かに大きな車体を開発し水陸両用化するメリットが良くわかりません。

なるほど。
もっともな疑問だ。
1式中戦車の重量は17tなのに特3式内火艇は28t。
1.5倍も重量差にも関わらず火力や防御力はトントンだからなあ。
乗員数が多いってのは寂しがりやさんにはメリットかも知れないが兵器としては欠点以外の何物でもない。
図体がデカイってのも気弱な米兵を脅かすには良いかも知れないが1発対戦車砲弾を撃たれれば弱いのがバレバレだ。
それでは特3式内火艇に良い事はないのか?
そもそも何の目的で特3式内火艇は開発されたのか?
それを解き明かす鍵が一見、訳に立たなそうな100mの耐圧構造にある。

この機能は当然の事ながら潜水艦に搭載する為だ。
では何の為に?
離島へ戦車を送り届ける為か?
否。
特3式内火艇は奇襲上陸作戦の為に開発されたのである。

通常の上陸作戦は輸送船や揚陸艦を連ねて目的地に接近する。
夜陰に乗じて接近し夜明けと共に上陸するのが定法だがよっぽどの高速船を揃えねば前夜の航空哨戒で発見され奇襲効果は無くなってしまうだろう。
例えば米軍のLST(戦車揚陸艦)は最高速力12ノットだから払暁と薄暮を除く闇を10時間として夜間には120浬しか接近できない。
これに対し1式陸攻22型は3200浬以上の航続距離をもつ。
まあ往って探して帰ってだから哨戒範囲は1000浬程度になるが。
いずれにしても24ノットの高速船だって上陸前日の航空哨戒で発見される事は間違いない。
よって水上艦艇による奇襲上陸は太平洋方面ではあまり見られないのである。
欧州では英仏海峡やシチリア海峡などで頻発したけれどね。
さて水上艦艇による上陸作戦が航空哨戒で封ぜられるとなると...
潜水艦を使用しての奇襲を模索する事になる。

日本海軍は戦前から「潜水艦による奇襲上陸」に着目していたが本腰をいれたのは「ミッドウェー海戦」で敗退してからだ。
なぜミッドウェー攻略に失敗したか?
制空権の奪取に失敗したからだ。
ならば確実に制空権を奪取できる様に航空機と空母の増産に励めば良い。
だが日本海軍はそう考えなかった。
制空権が無くとも上陸でき奇襲効果が絶大な水中陸戦隊を思いついたのである。

かくして建造されたのが兵員110名と特殊上陸艇2隻を搭載する丁型潜水艦(途中で設計変更され物資輸送用になっちまったが)でありこれをバックアップする為に特3式内火艇が開発された。
考えてもごらん。
「敵など来るはずない」と思っている戦線後方へ戦車を伴った日本軍が突如として現れるんだから。
小規模兵力といったって効果は絶大だ。
絶大であって欲しい...
これは願いだ...
でなけりゃ大きな潜水艦を何隻も作って、耐圧構造の無茶苦茶生産効率の悪い戦車をわざわざ開発してとんだ散財だ...

効果が絶大であったかどうかは判らない。
ハッキリ言って効果は無かったかも知れない。
だが米軍が潜水艦を使用して繰り広げた幾つかの上陸作戦で日本軍が苦杯を嘗めたのは事実だ。
まあ「潜水艦を使用した奇襲上陸作戦」で先輩格にあたる米軍がそうそう戦線後方の戸締まりをおろそかにするとも思えないんだが...

[815] 疑問 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/08/03(Sun) 19:49
特三式内火艇についてお聞きしたい点があります。
皆様のお話をうかがってますと一式中戦車の砲塔をそのまま
装備しているのですから戦力的にはほぼ同等です。
それにも関わらず遙かに大きな車体を開発し水陸両用化する
メリットが良くわかりません。
通常の一式中戦車を二等輸送艦や神州丸、秋津丸に搭載する方が大量に作戦参加できると思うのですが?

[814] Re:[802] 99式空対空誘導弾 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/08/03(Sun) 14:52
> それにしても、名前の付け方は、昔も今も変わらないのですね。

ちょっと違うのはLMATが「1式軽対戦車誘導弾」ではなく「01式軽対戦車誘導弾」となり無理矢理フタケタ数字にしている点だね。
ひとつ謎なのは2000年に採用された兵器が見あたらないので判らないんだがこの場合、「00式」なのか「0式」なのかって事だ。
1式を01式にしてる位だから旧陸軍式の100式は絶対無いとと思うんだが...
誰か知ってる人がいたら解説して欲しい。

[813] Re:[812] [810] [809] [808] [806] 確かにコンポーネント流用しただけですね。 投稿者:いそしち 投稿日:2008/08/02(Sat) 19:05
> ざぶとん1枚!

ありがとうございます。
今後ともGS界の大喜利の末席で精進させていただきます。
猛暑厳しき中、皆様も御自愛下さい。

[812] Re:[810] [809] [808] [806] 確かにコンポーネント流用しただけですね。 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/07/31(Thu) 07:23
> 「船頭多くして船山を登る」のことわざ通り特式内火艇は艦船から陸上兵器となったのですね。

ざぶとん1枚!

[811] Re:[801] [800] デカブツ 投稿者:神家 投稿日:2008/07/30(Wed) 20:34
画像情報及びスペックなど阿部先生はじめ多くの方に教えを賜り恐懼に堪えません。
皆様、今後とも宜しくお願いします。

[810] Re:[809] [808] [806] 確かにコンポーネント流用しただけですね。 投稿者:いそしち 投稿日:2008/07/30(Wed) 19:27
> ○)なんと特2式内火艇の場合、95式軽戦車の3名に比べ6名(艇長、操舵手、副操舵手、砲手、機銃手、通信手)なのだ。

なるほど。
「船頭多くして船山を登る」のことわざ通り特式内火艇は艦船から陸上兵器となったのですね。

[809] Re:[808] [806] 確かにコンポーネント流用しただけですね。 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/07/30(Wed) 15:01
大した事じゃないんだがちょっと訂正。

×)この機能のせいで特3式内火艇の生産効率は物凄く悪くたった19両しか生産されなかった。

○)この機能のせいで特3式内火艇の生産効率は物凄く悪くたった19隻しか生産されなかった。

×)なんと特2式内火艇の場合、95式軽戦車の3名に比べ6名(車長、操縦手、副操縦手、砲手、機銃手、通信手)なのだ。

○)なんと特2式内火艇の場合、95式軽戦車の3名に比べ6名(艇長、操舵手、副操舵手、砲手、機銃手、通信手)なのだ。

当然、特2式内火艇の場合は右旋回や左旋回などとは言わず面舵、取舵と言わなければならない。
...かも知れない。

[808] Re:[806] 確かにコンポーネント流用しただけですね。 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/07/28(Mon) 11:17
> 結局開発開始した時点で手に入った一番強力な砲塔とエンジンをベースに使ったって事でしょうか。

一説によると97式中戦車の170馬力エンジンでも動く様に設計されていたらしい。
真偽の程は定かでないが。

> それとも運用上の理由か、動力切り替え(キャタピラ・スクリュー)のためか?

特式内火艇の図体がデカイ理由のひとつに乗員の数がある。
なんと特2式内火艇の場合、95式軽戦車の3名に比べ6名(車長、操縦手、副操縦手、砲手、機銃手、通信手)なのだ。
人間一人の重量は知れた物だが「大勢の人間が入るうつわ」と考えるならそれなりに車体は大きくなる。
特3式内火艇の乗員数などは7名(恐らく前記6名に装填手が加わる)だから大所帯である。
普通は副操縦手なんて載せないし機銃手と通信手は兼任する物だ。
だから特式内火艇は「特殊」なのかも知れない。

ちなみに特型内火艇の用途だけど...
2式:軽戦車
3式:中戦車
4式:対艦用(なにしろ主兵装が魚雷だから)
5式:突撃砲+対空戦車

昔から特5式内火艇の砲塔上面にあるミゾが気になっていたんだ。
あそこがパカッと割れて25mm機銃の銃身が75度まで上がるらしい。

それにしても特5式内火艇のアイディアはちょっと面白い。
M3リー対空戦車やらシャールB1対空戦車やら...

[807] Re:[803] 特三式内火艇 投稿者:三鷹の住人 投稿日:2008/07/28(Mon) 02:17
ネットで写真がないか検索したら次のページにありました。

ttp://military.sakura.ne.jp/army/j_kati.htm

特三式内火艇、確かに大きいですね

[806] 確かにコンポーネント流用しただけですね。 投稿者:K-2 投稿日:2008/07/27(Sun) 23:28
>だが「1式中戦車をベース」と言ってもそれはエンジンと砲塔を流用しただけに過ぎないのである。
確かに、砲塔とエンジン、あと転輪とサスを流用しただけですね。(しかもサスは車内収容してあるし)
結局開発開始した時点で手に入った一番強力な砲塔とエンジンをベースに使ったって事でしょうか。


>キングタイガーに匹敵する長さとマウスに準ずる高さの巨大な車体に
特二式内火艇も、九五式の砲塔が不釣り合いなくらい車体大きいんですよね。特に幅が。
フロートを付けても、水に浮くためにはあれくらいの大きさが必要だったのでしょうか?
それとも運用上の理由か、動力切り替え(キャタピラ・スクリュー)のためか?

>あの不思議な25mm機銃は仰角75度の対空火器なんだそうな。
それは初耳です。LTVとか撃つには適当かな〜と思ってたんですが。元は対戦車銃だった訳だし。

[805] Re:[803] 特三式内火艇 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/07/27(Sun) 17:50
さて、それでは...

> これが特二式内火艇で、特三式はこれを強化すべく、こんどは一式中戦車をベースに開発したものです。

う〜ん、ほとんどの書籍でそう記述されている。
だが「1式中戦車をベース」と言ってもそれはエンジンと砲塔を流用しただけに過ぎないのである。
よって今日は特3式内火艇の車体について解説しよう。

> ちなみにフロート装着を優先した形に作ってあるので、フロートを外した時の車体形状はカクカクしていて元の戦車とは似ても似つきません。

1式中戦車とは「元の戦車」とは言い難い関係だから「似ても似つかない」のは当然なのだ。

> 全長はフロートのせいとして、全高については、砲塔の上に潜望塔を付けていたので
> (これも陸に上がったら外す)これのせいで高い、と言えると思います。

所がこれがそうでもないんだな。
フロートを外した特3式内火艇の全長がどれくらいあると思う?
残念ながら「フロートを外した特3式内火艇の全長」はどの資料にも記載されていない。
しかしパンツァー誌254号40ページには特3式内火艇の1:65側面図が記載されている。
これを定規で測ると112o、これを65倍するとなんと7.28mになる。
恐るべき事に特3式内火艇の全長はキングタイガーよりチビッと大きいのだ。
更に凄いのは全高。
戦車ってのは車体の上に砲塔を載せており車体高+砲塔高が全高となる。
特3式内火艇の砲塔は1式中戦車とほぼ同一だが車体高は1式中戦車の約1.55mに対して2.52mもある。
1式中戦車の全高は2.38m(つまり砲塔高は0.83m)なので両車を並べると1式中戦車の全高は特3式内火艇の車体高にすら及ばない。
特3式内火艇の車体高はマウスの車体高2.62m(パンツァー誌179号の1:75マウス側面図より算出)に準ずる程なのである。
キングタイガーに匹敵する長さとマウスに準ずる高さの巨大な車体に47o砲を装備したちっちゃな1式中戦車の砲塔がちょこんと載っている。
それが特3式内火艇なのだ。

それでは着脱式展望塔を外した特3式内火艇の全高がどれだけになるか算出してみよう。
2.52+0.83=3.35
マウスには及ばないがSMKよりは大きいのだからデカブツとは言えるだろう。

さてそれと「特3式内火艇が1式中戦車を流用して開発されたと言えない理由」をもうひとつ挙げよう。
足回りに注目して頂きたい。
1式中戦車はチハから3式中戦車へ続く片側6転輪だが特3式内火艇は5式中戦車に酷似した片側8転輪なのだ。
もっとも特3式内火艇は5式中戦車より上部転輪が更に1つ多いから全くの同一ではないけどね。

> ちなみに特三式は潜水艦にも搭載可能で、深度100mまで潜っても平気なように作られていたとか。

この機能のせいで特3式内火艇の生産効率は物凄く悪くたった19両しか生産されなかった。
いや、こんなデカブツを19両も量産した事の方が凄いのかも知れない...

ちなみに特3式内火艇の欠点(生産効率)を解消したのが特5式内火艇である。

>しかし特三式を進化させると何故特五式のような使い難そうな形になってしまうのだろう??

あの不思議な25mm機銃は仰角75度の対空火器なんだそうな。
知らなかったよ。
太平洋戦記2や鋼鉄の騎士2の史実解説を書いた時点では。

[804] 特三式内火艇の写真 投稿者:パエッタ提督 投稿日:2008/07/27(Sun) 16:25
なんだか書き込むのはえらく久し振りです。
いつもROMしてはいるのですが。

さてお題の件ですが、手元にある資料だと『日本の戦車』(出版共同社)に「SB艇から発進する特三式内火艇」の写真がありました。
私はグランドパワー誌の方は見ていないので、ひょっとしたらK-2さんと同じ写真かもしれませんが、写真の提供元は福井静夫氏であるとキャプションが付いています。

しかし特三式を進化させると何故特五式のような使い難そうな形になってしまうのだろう??

加えてどうでもイイ話ながら、『日本の戦車』には日本陸軍が輸入した戦車の中にMkWやサン・シャモンがあると書いてありましたので、これらを含めれば日本陸軍も結構な数デカブツを保有していたと言えるのではないでしょうか(笑

つか、サン・シャモンなんてガラクタ輸入してたんだ。。。
いやまあフランス万歳とw

http://www.geocities.jp/adm_paetta/


[803] 特三式内火艇 投稿者:K-2 投稿日:2008/07/27(Sun) 00:50
とりあえずスペック。
全長:10.3m
全高:3.824m
全幅:3m
主砲:48口径47mm砲
最大装甲厚:50mm
最大速度(地上):32km
最大速度(水上):10.5km

開戦前から水陸両用戦車が欲しかった海軍ですが、陸軍の水陸両用戦車の開発が
頓挫してしまっていたため、九五式軽戦車をベースに独自に開発を始めました。
車体設計は割り切って、海の上ではフロート付けて、陸に上がったら棄てる。
水上走行もキャタピラに変なモノ付けたりしないで、スクリューを別に付けて。
こうした割り切りの御陰で、(実際に活躍したかどうかは度外視して)水陸両用戦車としては
世界的に見ても成功した部類だと思います。(ベースが九五式なんで戦闘力は弱いけど)
これが特二式内火艇で、特三式はこれを強化すべく、こんどは一式中戦車をベースに開発したものです。
一式中戦車がベースなんで前面装甲も50mm、主砲も47mmにパワーアップ。
重く、大きくなった分、浮力もたくさん必要で、フロートも大型化。この図体な訳です。
ちなみにフロート装着を優先した形に作ってあるので、フロートを外した時の車体形状は
カクカクしていて元の戦車とは似ても似つきません。
全長はフロートのせいとして、全高については、砲塔の上に潜望塔を付けていたので
(これも陸に上がったら外す)これのせいで高い、と言えると思います。
これらの車両は、敵根拠地への奇襲上陸に使うことを目的に考えられていた様ですが、
配備された頃には完全な守勢となっていたため、有効に活用出来ませんでした。
ちなみに特三式は潜水艦にも搭載可能で、深度100mまで潜っても平気なように作られていたとか。
(当然、乗員は潜水艦の中に乗りますが)

で、特二式の写真は結構沢山見かけるのですが、特三式の写真は自分は1枚しか知りません。
探せばもう少しあると思いますが、手元にあるのはグランドパワー96年11月号111Pの写真のみです。

[802] 99式空対空誘導弾 投稿者:三鷹の住人 投稿日:2008/07/26(Sat) 23:13
VT信管について検索していたら、99式空対空誘導弾という日本で開発したミサイルの名前を発見しました。
米国製のAIM-120アムラームと比較すると、どの程度違いがあるのでしょう。コストダウンを図っているらしいので、
同じ性能ならば99式空対空誘導弾の方が得ということにはなりますね。

それにしても、名前の付け方は、昔も今も変わらないのですね。

[801] Re:[800] デカブツ 投稿者:神家 投稿日:2008/07/26(Sat) 18:59
> かくして誕生したのが特3式内火艇で車体長は10.3mもあった。

凄い戦車ですね。
写真などはあるのでしょうか?
是非、詳細を教えて下さい。

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