GS新掲示板 発言集[02](No.101〜200)


[200] 宣伝不足? 投稿者: 投稿日:2005/10/27(Thu) 01:47
こんばんは

唐突ですが、裏トーナメント開催中です

宣伝不足か みんな飽きてしまったのか…。
参加者が少なめです。

是非、参加してくださいね。

[199] Re:[197] 対戦御礼他 投稿者:パエッタ提督 投稿日:2005/10/17(Mon) 23:05
>まつかぜさん

こちらこそ遅くまで有難う御座いました。
私としても軽量級対戦ではやり残したことが一杯あるので是非再戦をお願いしたい所です(笑

個人的には、ソミュア隊に続いて決戦兵力の積もりだったテキサスレンジャー隊(M5×4)が全く何の活躍もせずに全滅してしまったのが心残りでなりませんw
うーん、緒戦の段階で不用意に接近しすぎたのかな。あそこで戦力温存しておけば、砂嵐の際にそれに紛れた突破も出来たかもしれないのに。
ま、アフターカーニバルですがw

HEAT弾、二式が二両で四両喰ったことを考えれば、運用次第では十分役に立ちそうですね。
とは言え、やはり距離を詰めなきゃ如何にもならんぽいですが。
距離による威力低下が無いのでどうも遠距離戦を挑んでしまいがちですが、やっぱり近くないと当たりませんねえ。ベテラン乗せておかなかったら果たして戦果が有ったかどうか。。
そういう意味では、乱戦にも対応できる二式は結構重宝するかも。

http://www.geocities.jp/adm_paetta/


[198] 聴音機 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/10/17(Mon) 18:48
聴音機の機能は耳をそばだてて音を聴く事である。
尾籠な話だがトイレに先客がいるか確かめる時、普通ならノックする。
ノックが返って来たら先客がいると諦め他を探す。
でもノックをしないでも先客がいるか確かめる方法がある。
トイレのドアに耳をあてじっと中の音を聴くのだ。
(大変、怪しい行動なので決して実際にやってはならない。)
探信儀を使用して目標を探知するのはノックに相当し聴音機はドア耳に相当する。
ちなみに探信儀の利点は距離が測れる事であり聴音機の利点は自己の存在を秘匿できる事と後方などを除く全周囲を同時に探知できる事である。
また探信儀の場合、探信音を発信したら目標に探信音が当たって返って来るまで次の発信ができない。
水中での音波伝達速度は空気中の約4倍で1450m/sだ。
すなわち93式探信儀を探信速力12ノットで使用した場合の探知距離は1300mだから往復で2600mに2秒弱かかる。
加えて探信音は全周ではなく指向性をもって水中を進むので360度の全周を捜索するにはかなり回数の発信が必要となる。
この点、聴音機は大変便利だが「どっちの方向から音がくるか?」と「音はどの程度大きいか?」しか判らない。
さて聴音機はどういった原理で音の方向を判定するのだろう?
例えば93式聴音機だが艦底に直径3mの円周を描く形で16個(資料によっては15個)のマイクが埋め込まれている。
理屈としては音源に最も近いマイクが一番早く音を拾いもっとも離れたマイクが一番最後に音を拾うのでマイクを特定できれば良い。
だが音は水中を秒速1450mで進むのだから3mの距離差では1/483秒の時間差で判定せねばならない。
とてもじゃないが人間技では無理だ。
そこで各マイクとヘッドフォンの間に遅延回路を組み込み先に音が通ったマイクに時間的変化を与える事によって音源方向の特定(詳しくは深田正雄著「軍艦メカ開発物語」p87を御参照されたい。)がなされた。
こうして開発されたのが93式聴音機である。
ただし93式聴音機は「よし、作ってみよう」でスパッと完成した訳ではない。
まず1930年に米国のMV式聴音機、1932年にドイツから保式聴音機が輸入(戦史叢書98巻ではこれに加え米国からK式聴音機が輸入されたとある)されたものの双方とも国産化できず翌年、ドイツから技術者を招聘してやっと出来上がったのである。
ちなみに捕音機を30に増やしたのが大型艦用の零式聴音機であった。
なお聴音距離であるがこれは自艦の速力、天候、目標の状態で大きく変化する。
潜航中で停止もしくは微速状態の潜水艦は自艦ノイズが極めて少ない。
一方、艦隊もしくは船団を組んで航行中の水上艦艇はノイズの塊だ。
よって同程度の聴音機を備えていても潜航中の潜水艦は遙か彼方から艦隊(船団)の音を捉えるし艦隊(船団)の護衛艦は「目と鼻の先」まで潜水艦を見つけられない。
かくして同じ水測兵装でありながら護衛艦は探信儀、潜水艦は聴音機を主兵装とする。
戦史叢書46巻「海上護衛戦」によると日本海軍潜水艦の場合、戦前に建造された海大型(伊53〜58、70〜75)や巡潜型(伊7〜8)には93式探信儀が装備されているが戦史叢書98巻「潜水艦史」によると探信儀は「探信音が敵に傍受されて被探知の原因となる恐れがあるとして開戦初期の建造潜水艦には一時装備が見合わされた。」と記述されており更に「その後、性能が向上した3式探信儀が完成して昭和19年以降再び装備されるようになった。」とある。
つまり「探信儀より聴音機が主」どころか「聴音機のみの潜水艦」が随分、いた訳だ。
さてそれでは潜水艦の93式聴音機はどの程度の距離で目標を探知できるのであろうか?
軍艦メカ開発物語だとスクリュー音で10000m位からとしている。
潜水艦史だと集団音で25000〜30000mだ。
丸「軍事テクノロジーの挑戦」だと20000〜30000m、独航船で15000m。
いずれにしてもかなり長い。
これに対し護衛艦が装備した93式聴音機の探知距離は「世界の艦船217号」p66だと陽炎の場合で自艦速力8ノットで3200m、12ノットで1400m、14ノットで1000m、初月の場合で6ノット5000m、12ノット2600m、14ノット2000mと激減する。
93式聴音機や零式聴音機についで日本海軍が開発したのが捕音機数を80に増やした4式聴音機で改松型駆逐艦などに装備された。
更に捕音機数48の5式聴音機も開発されたがこれは量産化されていない。
また探信儀や聴音機の他に磁力で潜水艦を探知する磁探も試作され1943年秋にY装置として敷設艇怒和島に搭載された。
これを制式化した兵器が1式3型探知装置であるが海防艦62号に装備されたものの量産化には至らなかった。
ちょっと駆足で説明したけど次回は連合軍の水測兵装に触れたい。

[197] 対戦御礼他 投稿者:まつかぜ 投稿日:2005/10/17(Mon) 00:09
>>パエッタ提督様
鋼鉄対戦、大変楽しませていただきました。
次回対戦を楽しみにしております。
軽量級対戦、面白いネタだと思いますので、またお願いしたいところであります。

対戦概略
「20t以下 火力貧弱」級対決(「峠の虎」シナリオ)は、中央平地部での壮絶な?殴り合いで終始しました。
両軍の主な使用車両は以下の通り。
ソミュアS35(防御力過剰?トーチカのような騎兵戦車w)
R35/45(足の遅さ以外は堅実な戦力)
クルセーダー3(良くも悪くも無難な選択?)
プーマ(路上なら最強の戦闘力。。反則かもw)
二式砲戦車、四式自走砲 というところ。

途中、砂嵐が発生し、両軍とも?視界不良に乗じた迂回包囲を図るも周到なる哨戒戦に阻まれ、有効射程ぎりぎりでの射撃の応酬となり、侵攻部隊の突破作戦?は阻止されました。

双方とも乗員練度は総じて低く、そのためかHEAT弾による損害が続出、という意外な経過をたどりました。
(命中弾、有効打、ともに少なく、反面、スリルと冷汗は大量に発生しましたw)
以上、簡略ながら御報告まで。

[196] あらら 投稿者: 投稿日:2005/10/16(Sun) 00:21
なんとかHPを更新しました

裏は、36cm搭載艦10隻同士の戦い。
条件はそれのみで、旗艦は3隻のみ。

米艦なし、や巡洋戦艦のみなら高性能火薬1.2倍とかもルール化しようか検討中です。

勝つために、似たような編成ばかりになりがちなのは
ある程度やむなし、と思っておりますが
そのあたりはルールや賞でなんとかしたいと思っております

御意見 お待ちしております

[195] Re:[193] 果たし状 投稿者:まつかぜ 投稿日:2005/10/15(Sat) 00:35
> という訳でいざ尋常に立ち会えいw>まつかぜさん

承知!
設定等、特に異議ありませぬ。
では今宵、貴ホストを探索に参ります。

[194] 訂正&追加 投稿者:パエッタ提督 投稿日:2005/10/14(Fri) 23:05
メルアドが間違っていたので取り急ぎ。
adm_paetta@hotmail.com
上記が正しいアドレスです。入力し直したので投稿者名のリンクも直っていると思いますが、一応。


あと、使用車両制限の「例外として24口径などの短砲身は可)というのが説明不足のような気がしたので追加します。
これ、逆の言い方をすれば
「20t以下なら75ミリ以上の砲搭載車も使用可。ただし24口径などの短砲身のみに限る」
という意味です。
100ミリ以上の砲になると短砲身でも絶大な威力を発揮しますが、そういう車両の殆どは重量級なので問題なしと判断しました。
まあ四式自走砲やビショップなどは使用可となりますが。。。。

http://www.geocities.jp/adm_paetta/


[193] 果たし状 投稿者:パエッタ提督 投稿日:2005/10/14(Fri) 22:32
という訳でいざ尋常に立ち会えいw>まつかぜさん

設定は以前うちの板に載せてたやつをベースに以下の様に決定しました。


使用マップ:峠の虎
使用車両:制限なし。ただし20t以下で75ミリ砲以上の砲非搭載のものに限る。(例外として24口径などの短砲身は可)
兵員連度:古参兵1/3に新兵2/3、あるいは一般兵1/2に新兵1/2
投入戦力:20両まで
演習開催時期:10/15午後八時


どうしてもソミュアたん使いたかったので20tを上限にしました(^^;
長砲身75ミリ級がいないので、低速重装甲の歩兵戦車系の価値が結構上がるんじゃないかと思います。バレンタイン最強か?

何か要望等御座いましたら御連絡ください。
掲示板メールどちらでもOKですので。

http://www.geocities.jp/adm_paetta/


[192] Re:[189] 空母2とか鋼鉄2とか 投稿者:まつかぜ 投稿日:2005/10/14(Fri) 00:06
>>パエッタ提督様
> > > そこで私の登場ですよw

お待ちしてました。
というか、ようやく15日(土)夜が都合つきそうなので、
某所で連絡してみようかと思っていたところです。

> というか鋼鉄の軽量級対決ですよ軽量級。ハァハァ

設定についてはお任せしますので、御都合よければ「果たし状」をお願いしますw
移動距離が大きいと、小生とにかくM−18ヘルキャットに頼りがちですのでw、速度が遅い車両でも使える設定がいいかな、と愚考します。


>翔鶴型をはじめとする大型艦や、護衛任務には使用できない程、航続距離が短く小船体の駆潜艇に聴音機や探信儀を装備し護衛の主力たる海防艦、駆逐艦が後回しなんだから。

駆逐艦は水雷戦最優先、というのは納得できなくもないですが(汎用のフネをそこまで偏った考えで、と思うが)それにしても海防艦が後回しとは。。。
占守型は北方海域の漁業権益保護の観点が大きいそうですが、戦時の船団護衛に転用、というのは装備面では織り込み済みだと思っておりました。
対米六割の呪縛というべきか、船団護衛を後回しにした帝国海軍を象徴する状況のひとつに見えます。

冗談抜きで、占守型以前の「海防艦」(三笠とか)を重油焚きにして、爆雷と高角砲山積みにして使うべきだったのかも知れない、などと妄想してしまいました。

[191] 探信儀 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/10/11(Tue) 19:20
まずは訂正。
MV式を初の探信儀と記述したが聴音機の間違いである。
よって正しくは以下となる。

だけど日本海軍の場合、初の本格的量産型探信儀がフランスのSCAM製探信儀(1936年輸入)を参考とし国産化した93式探信儀であり朝潮型以前の駆逐艦は竣工時、全く探信儀を装備していなかった。
(なお93式探信儀以前に91式探信儀が存在するが実験兵器だったらしく水上艦で装備されたのは駆逐艦有明と夕暮のみであった。)
なんと占守型海防艦も竣工時には探信儀を装備していない。
では聴音機はどうか?
日本初の聴音機は米国のMV式(1930年輸入)に始まりついでドイツの保式聴音機(1932年輸入)を国産化した93式聴音機(捕音機数16:ただし15とする資料もある。一般に捕音機の数が多いほど聴音能力が高い。)が量産されたがこれまた朝潮型以前の駆逐艦と占守型海防艦には装備されていなかった。

また3隻しか建造されなかった第1号型駆潜艇は水測兵装の実験艦であり1号と2号はMV式聴音機と93式探信儀、3号は93式聴音機とSCAM製探信儀を装備していた。
これが初の量産型駆潜艇(9隻建造)となる4号型では93式聴音機と93式探信儀に統一されている。

それではまず93式探信儀について。
前述した如く探信音を発して目標の位置を測定するのが探信儀である。
映画なんかに出てくる「ピーンピーン」って奴だ。
日本初の量産型探信儀である93式探信儀は「世界の艦船320号」によると3型の場合で周波数17.5Kヘルツ、探知能力は探信速力12ノットで1300m、14ノットで1000m、測距誤差100m、指向性12度、方位誤差3度となっている。
失探近接距離(探信儀はあまり近いと使えなくなる)は500m、表示は記録ペン読取式だそうな。
なおこの装置は整流覆が無いのでノイズが多いのも欠点であった。
次に量産された3式探信儀はドイツのS型探信儀をモデルとして開発された物で整流覆がつき表示もブラウン管式に改良されている。
周波数は13Kヘルツと16Kヘルツの2段切り替え式で探知能力は探信速力12ノットで2000m、14ノットで1200m、測距誤差100m、指向性30度、方位誤差2度、失探近接距離150m。
データ的に見ても随分と向上した様だ。
ただし3式探信儀は船体中心線に装備出来なかった為、反対舷に死角ができる。
よって海防艦などでは2基装備する事が多かった。
また駆逐艦で竣工時から3式探信儀を装備したのは改松型だけである。
さてモデルとなったS型探信儀はと言うと「世界の艦船234号」p77によると測距誤差50m、方位誤差1度、有効距離8浬と記述されている。
とてつもなく有効距離が長いがこれは恐らくUボートによる無音潜航状態であろう。
なにしろ水中で水測兵器を操作する時、最大の邪魔となるのが水測兵器を取り巻く水流と自艦のエンジン音ならびに振動なのだから。
停止している艦で水測するのなら相当、良い精度が発揮できる。
でも潜水艦が停止、もしくは微速で待ち伏せするのに比べ護衛艦がその様な状態で戦う事は殆どありえない。
魚雷は数千m離れた目標を攻撃できるけど対潜兵器(ヘッジホッグだって200mちょっとだ)はそうはいかないからね。
(船団は常に移動しているし。)
つまり同じ水測兵器を使用していても潜水艦側の方が遙かに有利って訳だ。
聴音機については次回となる。

>駆逐艦の聴音機未装備の話とあわせて考えると、当時の水測兵器は、ハード、ソフト、両面の事情のために、大型艦に優先配備されていたのではなかろうか。。。

大型艦と同時に駆潜艇も優先された。
なお日本海軍は小型艦用の93式聴音機(捕音機16)についで大型艦用の零式聴音機(捕音機30)を開発している。
でもおかしな話だよね。
翔鶴型をはじめとする大型艦や護衛任務には使用できない程、航続距離が短く小船体の駆潜艇に聴音機や探信儀を装備し護衛の主力たる海防艦、駆逐艦が後回しなんだから。

[190] 裏トーナメント再開に向けて 投稿者: 投稿日:2005/10/10(Mon) 23:22
こんばんは

土曜日ようやく仕事から解放された嵐です
来週には また 拉致されるみたいですが
つかのまの休息を楽しんでおります

さて、裏トーナメントの再開にむけて
一番のネックになるのは登録フォームなんです。
再開しても、とっても簡単なものになると思いますが
御容赦くださいませ

[189] 空母戦記2とか鋼鉄2とかの話 投稿者:パエッタ提督 投稿日:2005/10/10(Mon) 23:10
>まつかぜさん

> 小生の禁断症状が悪化したらw ここでも対戦者募集をさせていただこうかと思ってますので、皆様よろしくお願い致します。


そこで私の登場ですよw
いや、自分の板にも書いたのですが、週末あるいは平日でも午後八時以降なら基本的に時間が有りますので、対戦は可能です。
というか鋼鉄の軽量級対決ですよ軽量級。ハァハァ


ところで、現在私は空母戦記2のキャンペーンに挑戦中です。
船こそ失っていないものの、勝とうが負けようが、蜻蛉の如くバタバタ死んでいく搭乗員に涙する毎日であります(つД`)
プレイ途中にちょこちょことメモを書き留めているので、いずれそれを元にリプレイ記を拙サイトに掲載する積りなので、その際には皆様ご笑覧くださいませ。

http://www.geocities.jp/adm_paetta/


[188] Re:[186] 他いろいろ 投稿者:まつかぜ 投稿日:2005/10/10(Mon) 22:49
>>阿部さん
例によって丁重なる御回答ありがとうございます。

音響兵器(水測兵器)
以前、大和に乗っておられた方の話を伝聞した事があるのですが、どうもその方は水中聴音をされていたらしい。
(表向き最大速力27ノットとなっているが、音を聞いている限りではもっともっと速かったと思う、という話でした)
駆逐艦の聴音機未装備の話とあわせて考えると、当時の水測兵器は、ハード、ソフト、両面の事情のために、大型艦に優先配備されていたのではなかろうか。。。
どうだったのでしょう。

>>嵐様 (&GS担当者様)
御配慮痛み入ります。
音楽CDによるパソコン破壊、まことに御愁傷様でございます。。
無理にでも開催!など叫ぶつもりは毛頭ございません。
公式でも裏でも、開催されればいいなあ、という対戦中毒者の戯言ですので、受け流しておいて下さいませ。
(開催されればそれに越したことはないですが、自分が楽しむために、同好の士の過重な負担を求めるつもりはないです。開催の暁にはその反動で奔るかもw)

小生の禁断症状が悪化したらw ここでも対戦者募集をさせていただこうかと思ってますので、皆様よろしくお願い致します。

本題からほど遠い事で恐縮ですが。
小生基本的に、敬称は「様」を使うようにしてます。ただ、この板での阿部さんの役割を考えて、
(板管理、解説、説明、進行役をもなさる方なので)
あえて少しだけくだけた「さん」でもいいかな、と考えてます。御意見あれば御遠慮なくどなたでも突っ込んで下さいませ。
ではでは。

[187] Re:[185] 初めまして 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2005/10/06(Thu) 18:47
本掲示板では要望は禁止事項となっておりますので次回からはメールにて御送付下さい。
なお提督がゲームに与える影響につきましてはネタバレとなりますのでこちらからメールにて御連絡させていただきます。

[186] Re:[183] [182] [181] 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/10/06(Thu) 18:38
> 同じ時代でも、国により、数字の見方により、危害半径の測定条件は大幅に違うのではなかろうか、と。

まったくもってその通り。
だから危害半径なんてのはあやふやな目安に過ぎないのだ。
基本的に最大潜航深度が大きい潜水艦は水中爆発に対して強いだろうし小さな潜水艦は弱いだろう。
また水中爆発は海面方向に拡散するから潜水艦の直下で爆発するのと直上ではかなり危害半径が異なる。
発射管やハッチ、潜望鏡など開口部付近では浸水しやすくなるしね。

> その辺からすると、前投兵器の登場は大きかったのでは、と思います。対潜攻撃の選択肢が大幅に広がりますし、個艦レベルでは、射界が全方位に大幅に広がりますから、以前ほど大きな運動性能が要らなくなる進歩では、と思います。

いや、大戦中のヘッジホッグは固定式のMK10だったから護衛艦は速力は低くて構わないものの旋回性能は重要なファクターとなっていたらしい。
ちなみにヘッジホッグの射程について色々な数値があるのは発射機に固定式のMK10と旋回式のMK15(戦後のタイプで海自の護衛艦などに多く装備された)があり弾薬に通常弾と長射程のMk10弾があった為だ。
世界の艦船「アメリカ駆逐艦史」によると
MK10発射機 通常弾   183m
MK10発射機 MK10弾 257m
MK15発射機 通常弾   172m
MK15発射機 MK10弾 240m
更に元はヤード表記されていたのをメートルに換算した時、端数を切り捨てたり切り上げたりで色々な数値になっている。

> あと、ヘッジホッグについてですが、
> 命中時は残りの23個もすべて誘爆していたのでしょうか?

全て誘爆する。
1個では弾量29.5キロ、炸薬13.6キロであまり効果はない。
24発全てが42×36mの狭い範囲内で爆竹の様にはじけまくるから絶大な効果があるのだ。
ヘッジホッグは2発ずつ0.2秒間隔で発射されるから全部発射するのに2秒ちょっとかかる。
発射された24発の対潜弾はあらかじめ角度、方位が固定されており上述の距離を飛翔した後、36×42mの楕円の円周(つまり120m)に沿って着水する。
つまり5m間隔だ。
潜水艦の全幅は海中型(呂33)で6.7m、乙型(伊15)で9.3m、U7型Cで6.2mあるから5m間隔なら取り逃がす事はない。
そしてヘッジホッグの対潜弾は着発信管だから5mなんて距離で爆発したら次々とドミノ倒しの様に誘爆する。
つまりヘッジホッグは1発も爆発しないか全部爆発するかのいずれかなのである。

ちなみに発射に2秒ちょっとかかると書いたがこれが荒天時に大きな影響を及ぼす。
ヘッジホッグのMK10発射機は四角形で一辺僅か3m程度の小さな物(発射機重量2.3t)だ。
そこに24発の対潜弾がズラリと装填されているんだけどそんな狭い間隔で並んだ対潜弾がどうして42×36mの広範囲に散らばるかと言うと1発、1発が角度を変えて装填されているからに他ならない。
2秒ちょっとの間に発射された24発の対潜弾はもし艦が動揺していないなら投網を投げた様に空中で広がり綺麗に42×36mの楕円を作って着弾するだろう。
けれど荒天下でローリング(横揺れ)やピッチング(縦揺れ)のさなか発射するとどうなるか?
同時に24発発射されるのなら問題はないが艦が揺れると発射している2秒の間に角度が次々と変わってしまう。
つまり弾着範囲が極端に狭くなったり広がり過ぎたり楕円じゃなくなったりしてしまうのだ。
ちゃんと立ち止まって立小便をするのなら汚すのは電信柱だけで済むがダンスしながらするとなると...
とんでもない事になる。

> 一斉爆発と説明している文献と、命中弾のみの爆発と説明している文献があり、どっちかなぁと思っていたのです。

どっちも本当。
「命中弾のみ爆発」と記述しているのを良く見かけるがこれは対潜弾1発単位ではなく24発1セットと考えて書かれている物である。
1発も命中しない場合は全く水中爆発が起こらないから。
正しくは「命中弾のみ爆発」でなく「命中した時のみ爆発」なのだと言えよう。

[185] 初めまして 投稿者:突撃兵 投稿日:2005/10/06(Thu) 16:42
空母戦記2買いました。
1.3パッチをあててプレイしています。
ミッドウェー海戦1でやっとこさ引き分けました;(ヘボ
お話の途中に割り込むようで申し訳ありませんが、
ゲームについて思いついた要望を少々。

・800×600以上の解像度に対応して欲しい。
・海戦終了の損害、戦果報告をもっと詳しく表示するように
 して欲しい。
 (艦船の小破、中破、大破数、 航空機の喪失数、撃墜   数、戦死した提督)
できれば一部未登場の艦船を追加も・・
(日本海軍の扶桑、山城とか)
また、自分が読んだ限り提督が艦隊に及ぼす影響について
マニュアルに記載が無かったのですが、どのような影響を
具体的に及ぼすのかも教えてください。

乱文失礼しました。

[184] 現在仕事中 投稿者: 投稿日:2005/10/06(Thu) 01:55
まだ 仕事をしています

丁寧なお答え、感謝致します。
職場の先輩に、兵器に詳しい方がおられたことは
少し書いたと思いますが、ヘッジホッグについて
爆雷とは全然違う、と申しておりました。
内容は、阿部さんがこちらの掲示板で書かれたものと
ほとんど同じでした。(敬称はまつかぜ様にならい「さん」とさせていただきました)

護衛艦の速力の話から、えらい話が大きくなってしまいました。
チャットなどで、よく私は兵器に詳しいと思われている人がおられましたが
もう ど素人だとバレバレですよね。

まつかぜさんのおしゃっていた対戦トーナメントというのは
私にも言われているのでしょうか。
私は、本当に忙しくなってしまったので
そういう余裕はあまりないので御迷惑をおかけしています。
某掲示板群キャラ問題で注目されている会社のCDで
このまえのPCが壊されまして…過去のデーターがないので
ちと困っている、というのもあります。
あと集計のcgiがいじれない&サーバーがない、というのも一因です。

最後になりましたが、画像の入った雑記帳にまとめていただけるそうで感謝いたします。
では。

[183] Re:[182] [181] 投稿者:まつかぜ 投稿日:2005/10/05(Wed) 21:51
航空戦、対潜戦、ともに興味深く拝見しております。
不勉強者ながら少々。

爆雷の危害半径
性能として色々数字はでているようですが、
被害潜水艦の頑丈さや構造、船体の大きさの違いによる衝撃波の回り込み具合など、空気中での爆発よりわかりにくい部分があると思いますが、どうでしょうか。
同じ時代でも、国により、数字の見方により、危害半径の測定条件は大幅に違うのではなかろうか、と。
だからといって、そこまで専門的なことは、判明したとしても理解できないですが。(苦笑

護衛艦の動き方等々
実戦経験者への取材を素材にした、とされている小説を読むと、当時の対潜作戦って、重圧で胃に穴を開けながら相手の腹をさぐり合いつつ何日もぶっ続けの戦だったんだ、という印象を持っています。
魚雷にしても、爆雷にしても、牽制とかフェイントとかで、かなり使っていて、爆雷などは本当に山ほど要るのだろうなと。
(当時の潜水艦の水中速度と、輸送船の速度が大したことなかった等々で、急なポジション変更以外はせいぜい12〜16ノットくらいの機動性で間に合っていたらしいので、スピード感は皆無とか。)
その辺からすると、前投兵器の登場は大きかったのでは、と思います。対潜攻撃の選択肢が大幅に広がりますし、個艦レベルでは、射界が全方位に大幅に広がりますから、以前ほど大きな運動性能が要らなくなる進歩では、と思います。

ちなみに、嵐様のサイトで出た、九三式爆雷投射器ですが、小生はてっきり、中国沿岸部作戦での、水雷艇の肉迫攻撃対策(今で言うCIWSみたいな)かな、と考えておりました。(おバカw

あと、ヘッジホッグについてですが、
命中時は残りの23個もすべて誘爆していたのでしょうか?
一斉爆発と説明している文献と、命中弾のみの爆発と説明している文献があり、どっちかなぁと思っていたのです。
某所で質問して、単純な触発信管だから一斉爆発はない、と納得していたのですが、阿部さんに「誘爆」と説明されるとまた???です。

> これらの謎は次回、解き明かされる。

本線の解説を大いに期待しております。
阿部さんはじめ、GSの皆様も御自愛の上御健闘下さいますように。

ではでは。

追伸 既存バージョンでいいから、何か対戦トーナメントみたいなの、やりたいなぁ。。。 

[182] Re:[181] 図がほしいですね 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/10/05(Wed) 17:36
>う〜む
爆雷の攻撃力の半径…数字だけでは
私のおつむは飽和状態。
紙に絵を書いて なんとか追いついている感じです。

世界の艦船217号p68によるとMK6爆雷の危害半径は5.5〜11mだそうだが堀元美著「潜水艦」p118だと6.3mで撃沈(MK7は10.6m)とある。
実際にMK6爆雷を使用していた艦の水雷長であった目黒の先生曰く「もっと危害半径は広いと思う」と言う事だし「5.5mで撃沈、11mまでで撃破」ではなく「5.5mで撃沈確実、11mまでで撃沈もしくは撃破」って事かもしれない。
また「潜水艦」p130には爆雷の炸薬にマイノール(MINOL)を使用してからは7.5mで目標の船体にヒビワレ(つまり沈没)、15m以内で損傷と記述されているがどの爆雷を使用してかはつまびらかにされていない。
なにしろ爆雷だって190キロのMK6から344キロのMK7、更には約1tのMKX爆雷まで色々あるからね。
図は抜書帳に載せる時、加える事にしよう。

>爆雷戦は、複数の艦が同時に爆雷攻撃、というのはなかったのでしょうか。

1目標に対して?
撃沈もしくは撃破するのが目的だったらあまり同時攻撃はやらないだろう。
大戦中に於ける複数の護衛艦から1目標への攻撃は一般的に次の2形式に分かれる。
1.1隻が攻撃(ブラザー)、1隻が補助(シスター)となりブラザーの攻撃中はシスターが捜索を継続し攻撃終了後、両者が役割を交代する方法(世界の艦船432号p100)
2.1隻がハンター、1隻がキラーとなりハンターは捜索、キラーは攻撃を担当する。
キラーは常にハンターの指示によって攻撃を実行する。(堀元美著「潜水艦」p133)
1の場合、当然の事ながら同時に爆雷を撒く事はありえない。
2はクリーピングアタックって言うんだがこれならハンターがキラーが2隻以上を管制できれば同時爆雷攻撃は不可能じゃないかもしれない。
でもキラーとハンター1隻ずつのペアで上手くやるだけでも相当の訓練が必要だそうだから2隻以上を管制するとなると...
実質上、無理に近いだろう。
一般的に「複数護衛艦による協同攻撃」ってセリフだと各艦が一斉に爆雷を撒きそうな雰囲気があるけど必ずしも同時に爆雷を落としてる訳では無いのである。
あっ、でも威嚇が主目的である場合は船団外周の護衛艦が同時に爆雷を1発ずつ撒くなんて事もあったらしい。

>あと、探知機というと、ヘッドホンをした兵員が探知する姿を思い浮かべたりするのですが当時の探知システムはどんなものだったのでしょう。

水中の潜水艦を探知する兵器を水測兵装と言うが国によって呼び方が少々異なる。
原理としては1.水中の音を耳をすまして聞く方式と2.電波を利用するレーダーに代わり音波を利用して反射を得る方式に大別される。
そして1の方法による水測兵装を日本海軍では水中聴音機、米海軍ではパッシブソナー、英海軍ではハイドロフォンと呼称し2の方式による物を日本海軍では水中探信儀、米海軍ではアクティブソナー、英海軍ではアスディックと呼称する。
めんどくさいので以降、1の方式の水測兵装を聴音機、2の方式の水測兵装を探信儀と呼称しよう。
さて聴音機は広範囲の音を探知し方位も若干、測定できるが距離は掴めない。
一方、探信儀だと距離が測定できるが捜索対象が狭く使用制限も色々と多い。
そこで聴音機で警戒し潜水艦の存在が明らかになってから探信儀で距離を測り攻撃する事になる。
聴音機と探信儀の双方を装備していればのハナシだが。
だけど日本海軍の場合、初の探信儀が米国のMV式を参考に開発された91式探信儀、本格的量産型がフランスのSCAM製探信儀(1936年輸入)を参考とし国産化した93式探信儀であり朝潮型以前の駆逐艦は竣工時、全く探信儀を装備していなかった。
なんと占守型海防艦も竣工時には探信儀を装備していない。
では聴音機はどうか?
日本初の聴音機はドイツの保式聴音機(1932年輸入)を国産化した93式聴音機(捕音機数16:ただし15とする資料もある。一般に捕音機の数が多いほど聴音能力が高い。)だがこれまた朝潮型以前の駆逐艦と占守型海防艦には装備されていなかった。
それでは聴音機も探信儀も無しで護衛艦はどうやって潜水艦を探知するのか?
見張員の視力によって探知するのである。
だがいくら日本海軍の見張員が練達の士であったとしても水の中までは見えない。
だから見つけるのは潜望鏡もしくは突進してくる雷跡と言う事になる。
そしてもしそれを見つける事ができなければ味方艦船に立ち上る水柱によって対潜戦が開始されるのだがこの場合、潜水艦の位置が特定できないので威嚇くらいしかできない。
よって水測兵装を駆逐艦、海防艦などへ増備する事が急がれ新造の陽炎型以降の駆逐艦と択捉型海防艦はもちろん既存の駆逐艦や海防艦、掃海艇などにも93式聴音機と93式探信儀が続々と装備(そのくせ駆潜艇は全部、竣工時から聴音機と探信儀を装備していたのだから不思議である。第1号駆潜艇の竣工は1934年、占守の竣工は1940年であった。占守に探信儀が装備されたのは1943年春であり聴音機は更にその後だった。)されていった。
丸軍艦メカ「日本の駆逐艦」によればまず探信儀、ついで聴音機が装備されたらしい。
それでは93式聴音機とはいかなる装置なのか?
93式探信儀とは?
米軍の水測兵装に比べどの程度の性能差があったのか?
93式シリーズの後継水測兵器は?
水測員は本当にヘッドフォンをしているのか?
これらの謎は次回、解き明かされる。
乞う御期待!

[181] 図がほしいですね 投稿者: 投稿日:2005/10/02(Sun) 23:28
う〜む
爆雷の攻撃力の半径…数字だけでは
私のおつむは飽和状態。
紙に絵を書いて なんとか追いついている感じです。

爆雷戦は、複数の艦が同時に爆雷攻撃、というのはなかったのでしょうか。
あと、探知機というと、ヘッドホンをした兵員が探知する姿を思い浮かべたりするのですが
当時の探知システムはどんなものだったのでしょう。

今週は忙しいので、掲示板を見ながら
来週にでも ぐぐろうかと思っています。

私のような軍事知識のない者にとっては
ゲームのバックグラウンドとして
非常にためになります。

潜水艦の海上護衛戦のゲームも面白そうですね

[180] 対潜戦 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/10/02(Sun) 16:21
これまで嵐氏の掲示板で対潜戦のハナシをしてたんだけど今日からこっちの掲示板へ引っ越す事にしたんでヨロシク。

さてヘッジホッグが如何に有効な対潜兵器であるかは前述した通りだが何故、爆雷との共存体勢が24年間(ヘッジホッグの登場が1942年、海自でヘッジホッグと爆雷の双方を装備する最終艦の駆潜艇「ひよどり」竣工が1966年)も継続したのであろうか?
そんなにヘッジホッグが優れているなら爆雷なんて不要だと考えはしなかったのだろうか?
今日はひとつここの所を掘り下げてみよう。
やはり爆雷には爆雷の利点があった。
まず双方の投射方法と制圧範囲について再述しよう。
ヘッジホッグは弾量29.5キロの着発信管付小型爆雷を射程183m(160mとする資料や180mとする資料、230m、257m、260mなど例によって色々あるが)で発射し長径42m、短径36mの楕円にばらまく。
投射される弾量合計は708キロ、制圧面積は1233平方m(前に1512平方mと書いたけどあれは間違い。長方形に着弾するんじゃなくって楕円形だった。)で1発でも目標に当たれば全弾が誘爆する。
世界の艦船217号65頁によれば1944年中期で命中率8%、1945年中期で10%だったらしい。
命中しなければ1発も爆発しないので目標をやっつけたかどうかすぐに判る。
もし爆発すれば大抵の潜水艦は撃沈、よほど運が良くても大破は免れない。
なにしろ合計709キロ(古鷹型重巡の主砲一斉射撃ですら合計750キロ)の爆雷が42×36mの範囲で一斉に爆発するんだから。
撃沈する事が目的なら「大変有効な兵器」と言えよう。
目標が42×36mにいればね...
多くの場合、いないから100回撃って8回命中(1944年時)なのだ。
それじゃ外れた場合どうするか?
護衛艦は「目標がいたと思われる位置」に突っ込み爆雷戦を開始する。
ここで米軍の護衛駆逐艦バトラー型が16ノット(時速30キロ)で行動し12発パターンで投射する場合を考えてみよう。
左右両舷にK砲が4基ずつ艦尾に投下軌条が2基ある訳だがK砲の射程は45m、68m、110mの3段階(MK6爆雷使用時:ただし18〜137mとする資料もある)である。
よって45m間隔で12発をまくには時速30キロ(分速500m)だと6秒間隔(めんどくさいので爆雷投射飛行時間やK砲の配置間隔(約2m)などは無視する)で投射と投下を繰り返せば良い。
MK6爆雷の沈降速度は秒速2.4m(これまた1.4とする資料や2.28とする資料が...)、爆発調定深度を60mと仮定すれば到達するまでの時間は25秒だ。
護衛艦は分速500mで航走しているのでが25秒だと投下後、208m離れた所で次々と爆雷が破裂してゆく。
MK6爆雷の危害半径は11mなので制圧面積は112×157mの17584平方mに及ぶ。
ただし爆雷戦は網の目が粗いので取り逃がす事が多いし水圧信管だからとにかく全部、爆雷が爆発しちゃうので「やっつけたんだか取り逃がしたんだか判定」するのが難しい。
加えて水中爆発の多発で水中がかき乱され目標を失探(ロストコンタクト)してしまう。
反面、目標に対する威嚇効果があるので撃沈/撃破は出来なくとも爆雷戦は護衛任務としての効果は高い。
潜水艦をやっつけるのが任務なのか船団を守るのが任務なのか?
ヘッジホッグはスグレモノの対潜兵器だが爆雷だってなかなか捨てた物では無いのである。

ちなみに当時のソナーは真下と後方(自艦のスクリュー音がうるさいからね)が死角なので爆雷戦開始時以降、常に護衛艦は目標を失探してしまう。
よって護衛艦が2隻コンビで行動していると1隻が探知、1隻が攻撃で役割を交代し目標を追い続ける事ができる。
なおヘッジホッグの欠点として荒天時に精度がガタ落ちする事が挙げられる。
これについては後日、詳述する。

[179] ノモンハン航空戦(その4) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/10/01(Sat) 19:04
さてノモンハン航空戦では日ソ双方がとてつもない戦果を発表し両軍とも自軍の勝利を主張した事は前述した。
だが仮に両軍が発表した自軍損害が正しいとすればノモンハン航空戦は日本の辛勝もしくは引分である。
それにしても戦果誤認は航空戦の常だが何故、ここまで大きな誤認が発生したのだろう?
前述した様にソ連側が主張する戦果660機は日本側の損害166〜192機の3倍だが日本側が主張する戦果1340〜1389機はソ連側損害207機の7倍以上に達する。
3倍と7倍、この差はどこから来る物なのだろう?
1つには大量の航空指揮官損耗によって日本側が総合的な情報収集力を失ってしまった事が挙げられよう。
2つ目には「思いこみによる戦果誤認の多発」が挙げられる。
前述の通りI−16の操縦席背部には防弾版が装備されており日本軍の7.7o機銃では全く貫通できなかった。
日本側の常識としては防弾版の装着など思いもよらないので目標の背後から接近し操縦士めがけて射撃して命中が確認できれば「落ちないはずはない」と言う思いこみがある。
しかもソ連軍機は射撃を受けた際に「とりあえず急降下して難を避ける」と言う戦術上の特性(丸エキストラ版19号で松村中佐が述べており丸648号では古郡曹長の談話として記載されている。同文ではソ連軍機のこうした行動を「偽装墜落」と呼称している。)をもっている。
当然である。
I−16は旋回性能では劣るものの急降下時の加速は抜群なのだ。
一方、97式戦は基本的に急降下で逃げたりせず巴戦に持ち込む。
だから日本軍の戦闘機搭乗員には「戦える以上、急降下したりしない。」言う先入観が常に頭にある。
敵機の背後に食い付き敵操縦士に向かって確実な射弾を浴びせかけ敵機が地表に向かって真っ逆様に落ちてゆくのにそれが「撃墜でない」とは到底、思えなかったであろう。
3つ目として上級司令部による意図的な誇大戦果発表があったらしい。
統帥権を無視した現地軍の独断専行による事変なのだから結果が思わしく無ければ責任者は処罰されるのだ。
まあこれについては「そんな事ない。」と言ってしまえばそれまでなので興味のある方は牛島康充著「ノモンハン全戦史」の一読をお勧めする。
なお大抵の場合、ハードウェアの防御力が高い軍と低い軍が交戦するとえてして防御力の低い軍の側が誇大戦果に陥りがちであると言えよう。
どこの国の軍隊も「自軍が保有している装備は敵軍も保有している」と思いこみ「自軍が保有していない装備は敵軍も保有していない」と思いこむ。
だが思いこみ通りに事は運ばない。
自軍戦闘機に装甲板が装備されていないとしても敵軍で装備されていない保証はない。
よって「自軍戦闘機なら確実に墜落するダメージ」を敵軍戦闘機に与えたとしても墜落するとは限らない。
米軍は他国の重爆を恐れてP38に20o砲を搭載しP39には37o砲まで装備したが日本やドイツ、イタリアの爆撃機にその様な大口径砲は全く必要でなかった。
12.7o機銃だけで充分だったのである。
反対に重装甲の米軍爆撃機を相手とする日本軍戦闘機に必要なのは何よりも火力だった。
だが海軍の零戦が20o砲を装備していたものの陸軍の単発戦闘機は開戦以降、3式戦丙型が初陣を迎える1943年末まで12.7o以下の機銃しか装備していなかった。
ここでひとつ米軍重爆の装甲について説明しておこう。
戦闘機の搭乗員防御は操縦席背後の防弾板に依存しているが重爆の場合はもっと複雑で機体各所に設置された防弾板で複合的に防御されている。
B25H型を例に取ると尾部銃座背後、操縦席全面、操縦席背後に9.5o装甲板、側部銃座脇、上部銃座背後に6.3o装甲板が設置されているのだ。
シュツルモビクの様に操縦席の周囲がみっちりくまなく防御されている訳ではないし分厚い装甲板を設置している訳でもない。
一見すると最厚9.5oなのだから12.7o機銃でなんとかなりそうに見えよう。
ところがそうは問屋が卸さない。
戦闘機は通常、目標の後上方から攻撃する。
これは降下しながら攻撃すると自己の速力に落下速度が倍加され短時間に目標に接近できる為である。
次に有効なのが真後ろから目標へ接近する方法だ。
この場合、目標より優速でなければいつまで経っても接近出来ないであろう。
更に後下方からの攻撃だとよほど目標と自己の速力に差が無いと接近するのは難しい。
降下すると速力が倍加されると言う事は上昇する時に減速するからである。
人間だって下り坂を走る時にはスピードが上がるし登り坂ではスピードが落ちる。
さて後上方からB25H型の操縦席を攻撃したと考えてみよう。
射弾はまず上部銃座背後の6.5o装甲板に当たる。
もし射弾が7.7oなら弾き返されここでアウト。
12.7o以上なら6.5o装甲ぐらい撃ち抜けるから上部銃座の搭乗員を倒し操縦席に飛んでいくだろう。
だが6.5o装甲を抜く為に射弾は相当の運動エネルギーを消費しているから繰上席背後の9.5o装甲はとても抜けない。
20o砲ならなんとかなるかも知れないが後上方からの攻撃は上部銃座と尾部銃座の双方に撃ちまくられるので返り討ちに会う危険も大きい。
真後ろから撃つとまず射弾は尾部銃座に当たり機銃手が倒れる。
ついで射弾は尾部銃座背後の9.5o装甲に当たり抜ける物なら更に機体前方に飛ぶ。
この射弾を遮る2番目の障壁は側部銃座脇の6.5o装甲ドアだ。
装甲ドアは完全に通路を遮ってはいないので一部の射弾はここで弾かれ一部の射弾は装甲ドアを貫通し一部の射弾は装甲ドアに当たらず機体前方に飛んでゆく。
そして射弾は3番目の障壁となる操縦席背後の9.5o装甲に当たるのだがこうなるともはや20o砲と言えど貫通は望めない。
一方、後下方からの攻撃の場合、障壁となるのは操縦席背後の9.5o装甲板だけなので射弾が命中すれば12.7oでも撃墜できるが接近する事自体が難しい。
上昇力の高い戦闘機なら別だが。
けれど戦闘機の上昇力を画期的に上げるのは難しい。
なんとか装甲板の設置されてない重爆の背面へ射弾を浴びせる方法は無い物だろうか?
ここで斜銃の登場となる。

[178] よき羊飼いの資質とは( Re:[174] ) 投稿者:凡龍 投稿日:2005/09/19(Mon) 00:33
はじめに

>阿部様
議論中止命令(苦笑)発令済みの話題に触れる事をどうかお許しください。

対潜護衛艦の速度が比較的低速なのは、発見した敵潜水艦を捕捉する際に自分が敵より相対的に高速すぎては却って捕まえにくいからだとも思います。

一般に艦船は公道上の自動車の速度と同じ速度かやや遅い速度で動きますが、自動車より質量も寸法も遙かに大きいのでその運動に於ける慣性の影響は自動車とは比べものになりません。つまり加速にも減速にも時間が掛かる上に旋回するのも自動車より大回りになると言う事です。

海中を遊弋する潜水艦を首尾よく捕捉して攻撃しようとすれば、相手は(WWUの水準ならば)どんなに気張っても10Kt足らずの速力しか出ないのですから水上艦の方が速過ぎれば却って敵潜の伏在位置から行き過ぎてしまうでしょう。減速しようとしても、元の速度が速すぎれば時間が掛かりその間に余計な距離を進んでしまう事になります。スクリューを逆回転させて無理矢理減速するという手もありますが、高速で機関を運転している時にそんな事をすればスクリューブレードやシャフト、駆動ギア、下手すれば機関本体や艦体構造にまで重大損傷につながるストレスを与える恐れがあり感心できません。
一方、対潜艦に襲われた潜水艦は、じっと動かずにいて敵をやり過せない場合、逆に敵艦の方へ少しずつ針路をずらしながら進んでいって彼我の相対速度を利用して敵艦をかわす事もします。短時間モーターを全力運転して加速したらすぐに止め、慣性で航走音を立てずに進む「無音走航(サイレントランニング)」と言う奴です。勿論ただまっすぐ進むだけでなく、舵を切って近づく敵艦の落とす爆雷の爆発圏のすぐ傍をすり抜けるとか、ダウントリムを付けて深く突っ込む事で動力を使わずに加速するとか、冷静な状況判断の元で色々な操艦技術を組み合わせなければ出来ない高等戦術ですが。
(>この部分はうらマッハ様への御返事でもあります)

WWU当時の水上艦の対潜兵器は現在と違い無誘導の爆雷(艦尾から投げ込むか前方に24発まとめ撃ちするかの違いだけ)しかないので捕捉した敵からつかず離れず反復攻撃する必要があります。一度捕捉した敵潜にもし逃げられでもしたら再度捕捉するのは大仕事ですから捕捉した敵潜水艦は状況が許す限り確実に屠っておかねばならないわけですし。その時敵潜のいる海域を自身の兵装の有効散布界に包み込める射点を保持するには加減速や回頭が出来るだけ短時間で艦長の意思通りにできなければなりません。

とすれば、対潜艦艇(海防艦でも駆潜艇でも対潜駆逐艦でも)に必要なものは、最高出力はそれほどでなくても敵の潜水艦より少し速い程度の速度を安定して発揮でき且つ加速や減速がスムーズに出来る機関と舵の利きのよいコンパクトな艦体(長時間の航海に耐える強度と乗員の居住性があれば尚良い)後は精度と信頼性に優れた索敵・通信機材と(必要最小限の)兵装でしょうか。
つまり、艦隊駆逐艦に要求されるような極端な高速性能の為の機関や艦体は要らないということです。30ノット以上の速度を発揮する対潜駆逐艦もありますが(フレッチャー級など)あれは元々「対潜戦闘能力も高い量産型艦隊駆逐艦」として開発されたものだと思います(だからこそアメリカはJ・C・バトラー級やタコマ級のような低速護衛艦も量産した)。
よく比較される松級は、同じ戦時急造計画の艦隊駆逐艦でも対潜戦闘に傾斜したタイプの船と言えます(だから最高速度が27ノットでも実用面での問題は無い)。

低速の対潜護衛艦艇と高速の対潜護衛艦艇は、通常
  @低速護衛艦は護衛対象の輸送船の周りを固めて輸送船を襲う敵潜水艦を迎撃する(護衛としての主兵力)
  A高速護衛艦は低速護衛艦の指揮を執り且つ必要ならば発見した敵潜水艦の追撃・掃討にあたる(総予備を兼ねる機動打撃兵力)
というHigh&Low mixな編成を採ると思います。
もちろん、輸送船の航路における脅威の度合いや内容によって低速艦と高速艦の比率を色々と変えることになる筈ですし、大戦末期の日本では護衛艦はおろか輸送船を用意する事もままならなくなっていたわけですが・・・。


ですから、エセックス様の仰っていた(と私は思っています)『低速護衛艦無用論』は、
   @対潜艦艇の戦闘力では極端な高速性は必要ない
   A通商護衛戦では安価な低速護衛艦と高価な高速護衛艦を適宜組み合わせて使い分ける(対潜掃討でも)
を要点として否定できるように思います。

結局の所、海防艦などの低速護衛艦は「純然たる牧羊犬」で松級のような護衛駆逐艦は「猟犬にもなれる牧羊犬」と言った役どころなんだと思います。全ての牧羊犬に「猟犬としても第一級の犬になれ」というのは羊飼い(護衛艦を造り使う者)として褒められた姿勢とは言えないのではないでしょうか。

他の方々が既に述べられた事の焼き直しになってしまったような気がしますが、一連の投稿を拝読して私なりに思った事を述べさせて頂きました。
どうも失礼しましたm(−−)m。

[177] Re:[174] 丙型海防艦 投稿者:うらマッハ 投稿日:2005/09/17(Sat) 23:03
> 潜水艦出現区域への到着が遅れれば遅れるほど、逃げ切られる可能性は高くなりますから。

僕も考えてみました。

潜水艦を発見するケースって、二つあると思います。
一つは潜ってる潜水艦をソナーで見つけるケースです。「ソナーに反応!!」ってノリです。この場合、潜水艦はかなり近くにいます。静かにしないと敵潜がどこにいるかわからないので、エンジンを派手に噴かすわけにはいかないです。ついでに近くにいるわけだから、スピード出さなくてもすぐに到着します。

もう一つは、哨戒機が、水上に頭を出して航行している潜水艦を空から見つけた場合です。哨戒機が近くにいる対潜艦にその場所を知らせた場合、対潜艦は遠くにいるらしい(すぐそばの場合もあるかも知れませんが)潜水艦を間接的に発見したことになると思います。
で、その対潜艦が、哨戒機が見たという潜水艦をやっつけに行こうと決心した時、その「潜水艦出現区域」に急いで到着しないといけないでしょうから、高速の駆逐艦の方が有利かも知れません。
でも、対潜艦って大抵は輸送船の護衛任務があるので、持ち場を離れて潜水艦狩りに行くわけにはいかないんじゃないでしょうか。それに、現場に急行しても潜水艦はびびって潜っているでしょうから、しつこく探さないと見つけることができないと思います。まあ、それを専門にする部隊もあると思いますが。

それから当時は、情報通信や情報処理の技術が今みたいにすごくないので、対潜艦は自分の索敵範囲(ソナー)より外にいる敵、つまり他人の見た(聴いた)敵に対しては反応が遅かったり的確に動けなかったりするもんだと思います。
潜水艦出現区域に急行のつもりが、あさっての方向に急行しちゃうかも知れません。・・・さすがにそこまではないか。

[176] Re:[174] 丙型海防艦 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/09/17(Sat) 12:00
論点のすり替えは止めて頂きたい物です。

貴殿は発言[167]で「実際に潜水艦を捕捉して撃破する能力は、駆逐艦よりも大幅に劣るものになりませんか。」と言及しており対潜戦に於いて高速の駆逐艦が低速の海防艦より有利だと主張されております。
それに対する私の反論が[172]であり論点は「対潜戦に高速が必要か?」であったはずです。
連合軍潜水艦の攻撃力と日本海軍護衛艦艇の対潜能力を比較するのであれば駆逐艦、海防艦、駆潜艇の区分をせずとも連合軍潜水艦の攻撃力の方が優れているのは明々白々で「たくさん海防艦が沈められているから海防艦は弱いのだ。だから駆逐艦は強いのだ。」などとはなりません。
確かに多くの海防艦が連合軍潜水艦によって沈められましたが1944年以降の2年で駆逐艦は2隻しか連合軍潜水艦を沈めていないのにこの2年で日本軍駆逐艦は連合軍潜水艦によって30隻も沈められています。

> 潜水艦の速度がその程度であることははじめて知りましたが、それでも丙型海防艦の最高速は16.5ノットですから、諸外国の対潜艦と比べて大幅に不利ではないですか。

諸外国でも米国のタコマ型フリゲート(18〜20ノット)、英海軍の花型コルベット(16.5ノット)など量産された低速対潜護衛艦は多数あります。

この話題はこれにて打ち切りとさせて頂きます。

[175] Re:[174] 丙型海防艦 投稿者:扶桑 投稿日:2005/09/17(Sat) 11:53
>エセックス様

>>潜水艦出現区域への到着が遅れれば遅れるほど、逃げ切られる可能性は高くなりますから。

 いや、だから潜水艦出現区域へ行く際も、15ノット以上出すことはまれなんです。ソナーがきかなくなる程の速度を出して対潜行動をとるのは自殺行為ですし。
 また、「最高速度が30ノット以上」であることと「実際に出す速度が30ノット以上」とには大きな差があります。
 船団の護衛艦は、常に最高速度を出しているわけではありません。今まで述べているようにパッシブソナーがききませんし、燃料があっという間になくなるからです。当時の輸送船団の速度が10ノット前後であった事も考慮に入れれば、まわりをぐるぐる警戒している護衛艦の速度は15ノット程度でしょう。
 また、当時の魚雷の射程は数キロでしかありません。雷跡を確認した後、仮に最大戦速を命じて急行したとしても、大して速度がのらないうちに敵潜のいるところまで着いてしまいます。当時の艦艇の加速度は現代の車と違い、あっという間に最高速度が出せるようなものではありません。現場に着けば、あとは速度を落としての攻撃となります。


箇条書きにすると
・そもそも危険なので20ノット以上の速度を出さない
・仮に出したいと思ったとしても、当時の魚雷の射程や、艦艇の加速性能の関係上、最高速が出る前に現場に着いてしまう

 こういった理由があり、最高速度の差があったとしても大きなアドバンテージとはなり得なかったと考えられます。また、そうであったからこそ海防艦の速度を20ノット以下にし、数を稼ごうという戦略に出たのでしょう。



>>米国や英国の護衛駆逐艦は、輸送船団に潜水艦を近づけさせないばかりでなく、潜水艦を沈める道具にもなったけど、日本の海防艦は、前者は一部は果たせても、後者の機能も果たすには能力不足ではなかったかと私は思います。

 以前私も述べていますが、海防艦の主目的は「敵潜を撃沈すること」ではないと思うのですが・・・・
 また、米英の護衛駆逐艦は多くの場合、護衛空母や基地航空隊による「航空機による支援」が加わりました(日本でも零式水偵や九七艦攻などが対潜哨戒に出てはいますが、駆逐艦との共同攻撃の事例は少ない)。また「情報漏れによる待ち伏せ」もありました。これらの要素を無視し、海防艦の能力にのみ責任があるような言い方は言いがかりに等しいと思います。

[174] 丙型海防艦 投稿者:エセックス 投稿日:2005/09/17(Sat) 08:57
>> 史実でも、様々な理由で撃破された海防艦は多数ありますが、反対に潜水艦を沈めることができた日本の海防艦は、かなり少数のようですし。

これは事実だと思います。
戦果が7隻未満なのに対して、潜水艦の雷撃によって沈没した、丙・丁型海防艦は少なくとも24隻、おそらく実際はそれ以上ですから。
潜水艦の速度がその程度であることははじめて知りましたが、それでも丙型海防艦の最高速は16.5ノットですから、諸外国の対潜艦と比べて大幅に不利ではないですか。
潜水艦出現区域への到着が遅れれば遅れるほど、逃げ切られる可能性は高くなりますから。

米国や英国の護衛駆逐艦は、輸送船団に潜水艦を近づけさせないばかりでなく、潜水艦を沈める道具にもなったけど、日本の海防艦は、前者は一部は果たせても、後者の機能も果たすには能力不足ではなかったかと私は思います。

[173] 太平洋1942前編 (Re[87]) 投稿者:凡龍 投稿日:2005/09/17(Sat) 01:07
 昭和17年4月18日。先の真珠湾攻撃に始まる対英米戦争の連戦連勝に沸く日本人の頭上に春の晴天よりの霹靂が降り注いだ。
長躯ハワイより日本近海に侵入したアメリカ太平洋艦隊の空母―真珠湾の惨禍を幸運にも免れたエンタープライズと大西洋より増援されたホーネットの2隻―より飛来したJ・ドゥーリットル中佐率いるB25爆撃機編隊が春の麗の帝都東京を襲ったのである。
 空母機動部隊を率いた米海軍随一の猛将W・ハルゼー中将が言う所の「シャングリラからのヒロヒト陛下へのバースデープレゼント」は、日本の戦争指導部に深刻な衝撃を与えた。米海軍が主力戦艦部隊の再建をいまだ果たしていないとは言えその戦意はきわめて旺盛である事、明治以来ひたすら対外攻勢を主眼としてきた日本の軍事体制が国土防衛に於いて脆弱をさらけ出した事など開戦以来の連勝の中で省みられなかった種々の問題が表出したのである。
 中でも大きな問題は、海軍省が爆撃で被害を受け(爆撃部隊の内の1機が、数は少ないが執拗に攻撃してくる日本側の迎撃機に追われて予定外の所で爆弾を投棄して離脱した結果のいわば誤爆であったのだが日本側では海軍省も攻撃目標に入っていたのだと後々まで思っていた)、連合艦隊司令部より出向していた参謀チームがこれに巻き込まれて負傷した事である。彼らは、真珠湾で撃ち洩らした米太平洋艦隊の残余を殲滅して中部太平洋の制海権を完全なものにした後ハワイの前哨基地と言えるミッドウェー島を攻略、ハワイ攻略の足がかりと為す「MI作戦」について海軍省との最終協議を行う為に来ていたのだが、この変事で一時的にせよ人事不省状態となりさらに困った事にMI作戦関連の文書が相当数焼失してしまったのだ。その意味するところは、「MI作戦」の早期実行が不可能となったことと暫くの間は連合艦隊司令部主導の大規模作戦が不可能と言う事である。かくして大東亜戦争の第一段階戦略(米太平洋艦隊撃滅、マレー半島・フィリピン・インドネシア・「内南洋」以東の中部太平洋諸島海域の制圧による西太平洋の制海権確保)を完遂した日本帝国の次なる戦争の方針は、連合艦隊司令部に対抗して軍令部が主張していた「米豪遮断戦略」―ソロモン海、フィジー・サモア諸島攻略によりオーストラリアを無力化し、南太平洋廻りでハワイを目指す長期持久戦を睨んだ計画に否応なしに転換した。

 これに先立つ4月5日、「セイロン島沖海戦(日本側呼称、英国側呼称は「アッズ環礁沖海戦」)」が発生した。
 英領セイロン島の泊地機能の破壊と英東洋艦隊撃滅を企図した日本の遣印機動艦隊(第一航空艦隊を基幹とする)に対して東洋艦隊を率いるサー・J・ソマーヴィル大将が積極攻勢をかけた事で始まったこの戦いは、史上初の空母機動部隊同士の海戦となった。
       遣印機動艦隊:南雲忠一中将指揮、空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」主力
       東洋艦隊  :サー・ジェームス・ソマーヴィル大将指揮、空母「インドミタブル」「フォーミタブル」「ハーミス」戦艦「ウォースパイト」主力 
 英軍は艦載攻撃機の性能で劣勢なるも果敢な攻撃を繰返し日本側の空母「蒼龍」「飛龍」を戦闘不能にし、セイロン攻撃を諦めさせる戦果を挙げた。タラント港奇襲作戦やビスマルク追撃戦で見せた空のジョンブル魂がここでも再現されたのだ。但し、その代償としてソマーヴィルは空母「フォーミタブル」「ハーミス」戦艦「ラミリーズ」巡洋艦「コンウォール」駆逐艦「アロー」「パンサー」「グリフィン」を失った。この時「飛龍」所属の江草隆繁少佐指揮下の艦爆隊は「ハーミス」と「コンウォール」を中心に投弾命中率80%以上という、航空機の火器管制が高度に電子・電脳化された今日の基準でも驚異的な精度の攻撃を成し遂げた。
また、英軍の攻撃隊(フェアリー”アルバコア”が主力)の未帰還率は実に93%に達した。一方の日本の艦載機損耗率は50%。その大半は母艦の飛行甲板を破られた事での不時着水もしくは健在な母艦の格納庫を開けるために着艦と同時の海中投棄を余儀なくされたものだったが、ソマーヴィルが「マレー沖の悲劇」の戦訓を受けて急ぎ編成した防空輪形陣の高密度な対空砲火に拠るものも少なからずあった。イギリス側が30Ktだせる高速空母と20Ktしかでない低速戦艦を敢えて同一の戦隊に組み入れたのはこのためであった。全体に保守的ながらいざと言う時に柔軟な発想を見せる所は流石近代海軍の元祖である。
 ともあれこの戦いでセイロン島を守ったものの損害を受けた東洋艦隊は当時独伊軍と消耗戦を繰り広げていた地中海艦隊への増援が困難となり、インド洋における英国の制海権もかなり制限されたものとなった。
 
 4月29日(当時天長節)の御前会議で米豪遮断戦略の実施が決定、後に秘匿名称「海鳴」と呼ばれる南太平洋方面攻略作戦が立案された。

 5月1日、米豪遮断作戦の準備作戦としての色彩を帯びるようになったモレスビー(航空基地、軍港、ニューギニア島の中核都市を全て併せた複合拠点)攻略作戦が発動されその準備攻撃として1月末に既に基地化されたラバウルより大規模空爆が開始された。
 5月7日、一航艦よりモレスビー攻略部隊(MO攻略隊)の支援に転用された第五航空戦隊(五航艦)が、モレスビー防衛に出撃した米太平洋艦隊の空母機動部隊(TF17)とモレスビー沖で交戦(珊瑚海海戦)。
       五航艦(MO攻略隊支援):原忠一中将指揮、空母「翔鶴」「瑞鶴」主力
       TF17(太平洋艦隊) :フランク・フレッチャー少将指揮、空母「ヨークタウン」「レキシントン」主力
 当時の五航戦所属搭乗員は一航艦所属搭乗員の中では最も錬度が低く、他の航空戦隊の搭乗員から「妾の子」などと嘲笑される事もあったが、インド洋での実戦経験が物をいいTF17の空母「レキシントン」「ヨークタウン」の2隻を大破させた。が一方で「翔鶴」が小破する。このとき五航戦が米空母に止めをさせなかった事に対して原中将に一時批判が噴出したが、TF17への攻撃から帰投した艦載機の多くが損傷していて再度出撃した場合の安全な帰還が困難と考えられた為の攻撃中止命令であった事が判明し、非難の声は下火になっていった。これは日本海軍航空機全般の欠点である打たれ弱さを如実に示す事象であるが、深刻に受け止めるものはこの時点ではまだ極僅かだった。
 五航戦が搭載機を多く失ったことでモレスビー攻略作戦の続行が一時危ぶまれたが、「海鳴」作戦に参加するべくセイロン島沖海戦の損失機補充もそこそこにトラック泊地に到着していた一航艦の「赤城」と「加賀」を急遽増派して攻略部隊に合流させる事でその場をしのぎモレスビー攻略に成功する。ただし、この2隻の合流は作戦中止を決定する期限ギリギリだった事もあり、結局TF17を見逃さざるを得なくなってしまった(五航戦への批判がさほど尾を引かなかったのは一航戦も米艦隊を追撃できなかったという点では同じだという意見も出たからだと言われる)。
 モレスビーを重要拠点としてオーストラリア北岸に恒常的に圧力を加える事が可能となり、さらなる南進に於ける後顧の憂いを断った日本軍は、いよいよ「海鳴」作戦の発動を開始した。第一の目標はソロモン海制圧である。

 6月21日。それまでにブーゲンビル島、ニュージョージア島などの中継拠点を攻略した日本軍はいよいよ「ソロモンの天元」と目されるガダルカナル島の攻略を開始する。
 ガダルカナル島攻略の任務に当ったのは一航艦と五航艦の「赤城」「瑞鶴」を主力とするGK機動部隊(南雲中将指揮)とミッドウェイ攻略部隊から転用されてきた一木支隊と海軍陸戦隊を輸送する船団とその護衛艦隊(GK攻略部隊、近藤信竹指揮)であった。
       GK機動部隊(一航艦及び五航艦):南雲忠一中将指揮、空母「赤城」「瑞鶴」主力
本来なら一航艦の「加賀」も此処に加わるべき所だったが、生憎「加賀」は仮泊地のラバウルで米潜水艦の奇襲を受けて舵とスクリューを破壊され、むなしくトラックに引き返す事になった(結果としてはこれが彼女の幸運だったのだが)。「加賀」の脱落で懸念された艦隊航空兵力の不足は、先のセイロン島沖海戦で2隻そろって損傷した第二航空戦隊(二航艦)の残存機及びその補充割り当て機を転用することで2隻の大型空母に定数一杯の艦載機を載せるめどがついた。
 米軍は、太平洋艦隊の戦力回復を優先する方針を採った。この時米軍が南太平洋に回せる空母は、開戦劈頭にサンディエゴからハワイに増援に向かおうとした矢先に(米本土哨戒任務についていた)日本潜水艦に雷撃されて中破し、その傷が漸く治った「サラトガ」1隻のみだったからである。「シャングリラの使者」こと「エンタープライズ」と「ホーネット」は、陸上双発爆撃機を16機も載せて太平洋の半分を航海しあまつさえこれを発艦させるという無茶をやらかした当然の結果として真珠湾で飛行甲板の全面修理中だった(因みにドゥーリットル隊のその後はと言うと、爆撃後中国に強行着陸し国民党軍に保護される予定だったが、実際はドゥーリットル機も含めて全機墜落もしくは不時着で、爆撃隊搭乗員の大半は戦死もしくは日本本土や中国の日本占領圏で捕虜になるという惨状だった。ドゥーリットル本人はかろうじて捕虜にならずに済んだが)。
そのため、ガダルカナルに既に設営された基地(この当時は監視哨に毛の生えたようなもので、「ヘンダーソン基地」として名高い本格的な航空基地となるのは翌年1月になってからである。皮肉な事にその基礎を築くのはこれよりすぐガダルカナルを占領する日本軍であった)でも時間稼ぎの抵抗をした後降伏する予定で残留した最小限の兵員を除くすべての要員が撤収していた。
 かくしてガダルカナル島は後の記録の表現を借りれば「昼飯の仕度より簡単に」占領された。僅か2隻の空母しか動員できない現状であまりにも簡単に作戦目標を達成できた事と敵艦隊主力がなんら行動を起こさなかったことは、幸運というには些か出来すぎておりむしろ敵の深慮遠謀の証左と見るべき処であったがそれをはっきり口にするものはその時誰もいなかった。「勝利病」というべき驕りが日本軍を静かに冒し始めていた。(続く)

私も横レスで大変失礼します。
ただいまの拙文は、私のキャンペーンシナリオプレイの内、1st〜2ndステージの展開についてゲームプレイで目にすることの出来る情報だけでは判らないもしくは矛盾する所に自分なりに脳内補完をくわえた上で極大雑把に記述したものです(^^;)。

皆さんが「空母戦記」シリーズで疑問に思われる事の一つとして、『なぜ、MI作戦がキャンペーンシナリオに組み込まれていないんだ?』というのがあると思います。
冒頭の帝都初空襲の件は、それについての私なりの(かなり苦しい)解釈だと思ってくださいませ(^^;)。

あと、明らかにショートシナリオからのパクリな状況設定のセイロン島沖海戦ですが、これは文中でも出てますように地中海方面の英海軍を少しでも弱体化させて同方面の枢軸国が多少なりとも踏ん張れるようしたいと言うありがちな思惑に拠る改変です<これだけであちこちから訴えられそうですが、実際欧州戦線が史実以上の速さで終息したらおそらく日本もじきにOUTだと思うので(^^;)。

さらにもう一つ。珊瑚海海戦は勿論本来のキャンペーンシナリオにはないものですが、キャンペーンシナリオのコンセプトがFS作戦にあるのなら進攻ルートの側面の安全を確保する為にはどうしても在豪米軍を黙らせる必要があると思うのでモレスビー攻略は(一時的な無力化でもいいので)必須だろうと思います。
そして、史実では昭和17年1月に日本が占領しているラバウルがゲーム中では4月になるまで連合国の預かりになっているのが何故なのかプレイし始めの時は気にもしませんでしたが今は少し気になっています(マップの連続性やシナリオのバランスの関係でこうなったのだろうなとは思いますが)。
そこで、「1stステージの攻略目標は画面ではラバウルだけど、ラバウルは史実通り1月に陥落してるから本当はモレスビーなんだ。これを落として米豪遮断作戦に移行するんだ」などと言う俺様設定を自分の心の中にインストールしてリプレイの記憶を再構成しております。
でもMyplay7thステージで失陥したのはデフォルト通りラバウルです。念のため(^^;)。

阿部様が心血注いで作られたシナリオに自分だけでの楽しみとは言え勝手な解釈をしてしまって申し訳ありません。


この続きは、勿論運命のニューカレドニア「第1次エスピリットサント島沖海戦」([56]参照)です。近日公開予定、請う御期待(笑)!?

[172] Re:[167] 日本の海防艦の対潜能力 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/09/16(Fri) 11:24
> あと、もう一点質問ですが、日本海軍の大量生産された丙・丁海防艦は、果たして本当に戦力になりえたのでしょうか。

充分なりえたと思う。

> 潜水艦にとって駆逐艦が恐ろしいのは、一つには駆逐艦が30ノット以上と高速で、現場急行能力も魚雷回避力も追跡能力も高いことが理由でしょうが、速度が潜水艦の潜水時のものと変わらない海防艦では、爆雷を持っている分、脅しにはなったでしょうが、実際に潜水艦を捕捉して撃破する能力は、駆逐艦よりも大幅に劣るものになりませんか。

対潜戦で速力はあまり必要ない。
輸送船に追随できない程、遅ければ困るが。
どちらかと言えば航続力の方が重要だ。
基本的に潜水艦の水中速力の2倍(ちなみに多くの場合、潜水艦は最高水中速力の60〜70%しか出さない。電池がすぐあがっちゃうからだ。よって最高水中速力に対して1.5倍あれば間に合う。)もあれば充分である。
また対潜艦艇が高速を出すと自艦の騒音がうるさくなって潜水艦を探知できなくなるのも問題だ。
ついでに言えば当時、米海軍が装備していたソナ−は必要に応じて船体下部から下方に伸縮させる方式だったから本格的対潜戦を実行しながら高速航行するのは実質的に不可能だった。
現在の対潜艦艇は潜水艦の水中速力が15〜20ノット以上に向上したから30ノット以上の速力が要求されてるしガスタービンの実用化で静粛性も向上したから速力が早いけど第2次世界大戦当時の本格的対潜艦はおしなべて低速なのである。

> 史実でも、様々な理由で撃破された海防艦は多数ありますが、反対に潜水艦を沈めることができた日本の海防艦は、かなり少数のようですし。

そんな事はない。
木俣滋郎著「敵潜水艦攻撃」によると海防艦の建造が軌道に乗った1944年以降で日本海軍の水上艦艇が撃沈及び大破して連合軍潜水艦(航空機等の共同攻撃も含む)は14隻だが海防艦による戦果が7隻、駆逐艦による戦果が2隻、駆逐艦と海防艦の協同による戦果が1隻、駆潜艇などその他による戦果が4隻となっている。
更に太平洋戦域でもっとも多くのスコア(6隻)を挙げた連合軍の対潜艦艇はDE635イングランドだが同艦の速力は23.5ノットに過ぎない。
対潜艦艇に高速力が必要とされない事の証左と言えよう。

[171] Re:[167] 日本の海防艦の対潜能力 投稿者:扶桑 投稿日:2005/09/16(Fri) 10:30
お久しぶりです。

>エセックス様
>>駆逐艦が30ノット以上と高速で、現場急行能力も魚雷回避力も追跡能力も高いことが
 対潜攻撃において、駆逐艦が20ノット以上の速度を出すことはまずありません(回避は別ですが)。あまり速度をだすとパッシブソナーが自分の騒音で使えなくなるため、非常に危険だからです。
 日本の海防艦の最高速度が20ノット弱、アメリカのエヴァーツ級護衛駆逐艦の最高速度が20ノットをわずかに超える程度なのは「コストをかけてそれ以上できるようにしたって使う機会がない」せいです。イギリスのハント級は25ノットを越えるようですが、これは対潜護衛だけでなく哨戒任務もやらせようというやや欲張った思想によるものです(魚雷を搭載していることからもその思想が伺えます)。
 また、うらマッハ様も述べていますが、当時の潜水艦の水中速度は10ノットを下回りますし、実際には騒音を抑えるために5ノットも出さないことが多かったようです。



>>大量生産された丙・丁海防艦は、果たして本当に戦力になりえたのでしょうか
>>速度が潜水艦の潜水時のものと変わらない海防艦では、爆雷を持っている分、脅しにはなったでしょうが、実際に潜水艦を捕捉して撃破する能力は、駆逐艦よりも大幅に劣るものになりませんか


 これだけで、「海防艦は戦力にはならない」というのは早計でしょう。

 まず第一に、海防艦に限らず護衛艦全般の第一の目的は「敵潜の撃沈」ではなく「とにかく船団を無事運ぶ」ことにあります。そりゃ敵潜を沈められるなら沈めたいですが、積荷のほうがよっぽど大事です。よって、「敵を沈めていないから戦力でない」というのは見当違いです。
 大西洋の話になりますが、米軍の護衛空母の搭載機が頭上を飛んでいたため、攻撃を断念したUボートはいくらもあります。このような場合、護衛空母は敵を沈めてはいませんが、りっぱに戦力になっていると思いませんか?

 また、日本の駆逐艦の対潜能力はかなりお粗末でした(のちに若干改善。重巡「最上」も爆雷を積んだとの証言あり)。そもそも爆雷の数が20個前後とまったく足りず、ソナーも性能十分とは言いがたいものがあります。それよりも、100個以上の爆雷を積み、改善されたソナーを積んだ小型の海防艦の方が脅威と言えます。

 さらに、駆逐艦が主に戦った大戦前半と、海防艦が主力になった後半とでは、米潜水艦の能力は、ハード面でもソフト面でも、また絶対数でもかなり違います。同じ戦い方をしたとしても、沈められる数はまた違ったものになるでしょう。
 
 最後に、「艦隊決戦用の駆逐艦の負担を減らした」というだけで、十二分に戦力としては成立しています。
 日本の艦隊決戦用の駆逐艦(いわゆる一等駆逐艦)は、ガダルカナルの戦いのころから、船団護衛や輸送任務で大幅に数を減じていました。大戦中期以降、海防艦がその任務を肩代わりして一等駆逐艦の損害を抑えたことは、数字にはならないものの大きな戦果といえるでしょう。(まあ遅きに失す、と言えなくもないでしょうが。肝心のマリアナでもレイテでも駆逐艦は数が不足、主力への雷撃を許すという事態になっていますし)

[170] Re:[167] 日本の海防艦の対潜能力 投稿者:うらマッハ 投稿日:2005/09/15(Thu) 22:47
横レスごめんなさい。

当時の連合軍側の潜水艦って、潜ると10ノットも出ないらしいので、10ノット以上で追いかけてくる海防艦はやっぱり恐ろしい存在だったと僕は思います。爆雷も駆逐艦よりいっぱい持ってるし。
水上に顔を出すと、逃げ足は速くなっても、見つかって海防艦に砲撃されるでしょうし。

[169] Re:[161] [160] 質問です 投稿者:プラモ派 投稿日:2005/09/15(Thu) 21:57
懇切な御説明まことにありがとうございます。
お忙しい中ここまで細部に渡った回答を頂けるとは考えてませんでした。
御礼が遅れて申し訳在りません。

> 第2次世界大戦勃発時、世界で最も弱火力の戦闘機を揃えた国家が日本だった。

多分あまり強火力ではないだろうと予測してましたが最弱とは思いませんでした。
それにしても単葉、引き込み脚、密閉式コクピットがWW2戦闘機の三大要素とよく言われますが強火力も四番目に加えて良さそうですね。

[168] 空母戦記2の対飛行場水平爆撃命中率 投稿者:ホルテン 投稿日:2005/09/15(Thu) 21:19
> 元来、水平爆撃は「もっと当たるはず」と言う人や「もっと当たらないはず」と言う人が多いので2,3,4%の3種類で命中率を変更できる。

阿部様の仰る通り、高々度爆撃では飛行場もちっぽけな標的ですね。水平爆撃基本命中率はデフォルトで3%、対飛行場では3倍の9%。それが忠実の命中率ならば、そのままでプレーしたいと思います。

どうしても対飛行場水平爆撃の命中率だけを増やしたい時は、基本命中率の設定で「水平爆撃を4%」「対艦水平爆撃時の命中率修正を0.8倍」にすると良いですね。これにより、対飛行場の命中率が9%→12%に上がりますが、対艦はあまり変わらず3%→3.2%ですね。間違っていたらご指摘お願い致します。

こういった設定や兵器データ変更が可能なのは本当にありがたいです。ゲームとして、シミュレーションとして楽しめて、GSさんの作品だな〜と実感します。色々な設定でキャンペーンを楽しんでいきたいと思います。ありがとうございました。

[166] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/09/15(Thu) 11:57
[165]
>実際は戦場で姿を見る前にどの程度情報を入手出来たのでしょうか?

それはその時によって色々と違うので一概には言えない。
例えば零戦については開戦前から中国経由で色々と米国へ情報が流れていたが「デマだろう」と言う事で取り上げられなかった。
一方、アリューシャン作戦以後は実機を入手できたんで能力調査はパーフェクトに近い。
情報を掴むには実機を入手するのが最善だがそれ以外にも方法は色々ある。
日本軍はB29を初めて見る前にB29の性能は殆ど知っていた。
これは多年に渡る日本陸軍の綿密な調査(戦史叢書「陸軍航空兵器」423頁参照)とB29のテストパイロットが日本軍の捕虜となった為である。

>それから、飛行場攻撃に水平爆撃はイマイチ成果が出ない(命中率が低い為)ですけど、史実ではどうなんでしょうか?

やはり命中率は低いと考えられよう。
なにしろ3000〜4000m下へ時速500q/h位で飛行しながら投下するのだから。
目標に向かって直進しながら400〜600mで投下する降下爆撃とは大違いである。

>回避中の艦に命中させるのは難しくとも、飛行場爆撃はもう少し命中率が欲しいところですが・・・

だから飛行場に対する爆撃は命中率を3倍にしたのだが...
元来、水平爆撃は「もっと当たるはず」と言う人や「もっと当たらないはず」と言う人が多いので2,3,4%の3種類で命中率を変更できる。
「2%と4%じゃあんまり違わない」と思う人もいるだろう。
でもその3倍なんだから6%と12%の差になる。
「12%でもまだ少ない」と仰るんなら僕としてはもうどうしようもない。
もしそうであればこれ以上は「要望」となるのでメールで御連絡下さい。


[164]
>ところで、米空母の弾薬搭載数はどのくらいなのでしょうか。

さあ?
どのくらいなんだろうね?
日本海軍の場合は各空母の搭載弾薬定数(実際にどれだけ搭載していたかは別の話だ)が決まっておりその数値が出せるから簡単だが米軍の場合は...
基本的に米軍は合理主義なんであまり定数を重んじない習慣がある。
それにコロコロと空母の搭載機部隊を変えるしね。
大体、900s爆弾1発のスペースに225s爆弾4発が収まる訳じゃないから空母の搭載機用弾薬庫に何が何発収まっているか合計重量で判断する事もできない。
こうなるとしょうがないから日本空母を参考例とするしかないな。
翔鶴型(75機)の航空機燃料が661キロリットル(ガソリンの比重を0.75として計算)でエセックス型(102機)が912キロリットル、搭載機1機当たりでみれば翔鶴型が8.8キロリットルでエセックス型が8.9キロリットルで大差ない。
よって同程度の回数、搭載機を運用する予定であったと考えられよう。
日本空母がどの程度、航空機に弾薬が搭載できたかと言うと以前、隼鷹を例にして書いた通り約8回だ。
魚雷を対地攻撃で使う訳にはいかないから爆弾が全部、陸用爆弾や通常爆弾なら艦攻は6.5回、艦爆は8回の対地攻撃ができるだろう。
(徹甲弾だって対地攻撃で使用されるケースもある。)

>地上基地攻撃の場合、何回程度の出撃に耐えられるものだったのでしょうか。

もし日本の空母と同程度に爆弾を搭載していたと仮定(僕としては米空母は遙かに多く搭載していたと推定するが)するなら5〜6回くらいじゃない?

>また、弾薬が尽きた場合は、補給艦から補給しながら、3週間や4週間程度、戦場に張り付いて二日毎位に爆撃を継続、といった話はありえたことなのでしょうか。

爆弾を洋上で航走しながら空母に補給するのは無理なんじゃない?
なにしろ重いから。

[165] 空母戦記プレー中に気になったこと 投稿者:ホルテン 投稿日:2005/09/15(Thu) 00:15
> 軟弱なる言葉を使うのはセーラさん(アルティシアとも言う)にとどめておこう。

ガンダム?かな? すみません、よく知らないんです(^。^;)
「軟弱」じゃなく「貧弱」ですね。訂正します。

戦闘機の武装については良く分かりました。武装や防弾についてはまだまだお聞きしたいことがありますが、キリがないので今度の機会に致します。ありがとうございました。

現在、空母戦記2をプレーしておりまして、ちょっと気になった点があるので質問させてください。日本軍側でキャンペーン4ステージをプレーしているところです。TBFの航続力を調べずに敵艦隊にうっかり近づき、アウトレンジ攻撃をされてしまいました。97艦攻より航続力があることに気付き、リロードして作戦変更した次第です。

でもどうなんでしょうか? 大戦中に完成した敵兵器の正確な情報など分からないわけだし・・・。そんなこと言い出したら、いつどんな新兵器が出現するか分かる事自体おかしいって話になってしまいますけどね┐('〜`;)┌

実際は戦場で姿を見る前にどの程度情報を入手出来たのでしょうか?
各国での違いも知りたいです。よかったら分かる範囲で教えてくださいませ。

それから、飛行場攻撃に水平爆撃はイマイチ成果が出ない(命中率が低い為)ですけど、史実ではどうなんでしょうか? 回避中の艦に命中させるのは難しくとも、飛行場爆撃はもう少し命中率が欲しいところですが・・・

[164] 米空母の弾薬搭載数 投稿者:エセックス 投稿日:2005/09/14(Wed) 15:31
ご丁寧な対応、ありがとうございます。
それは残念です。

ところで、米空母の弾薬搭載数はどのくらいなのでしょうか。
地上基地攻撃の場合、何回程度の出撃に耐えられるものだったのでしょうか。
また、弾薬が尽きた場合は、補給艦から補給しながら、3週間や4週間程度、戦場に張り付いて二日毎位に爆撃を継続、といった話はありえたことなのでしょうか。

[163] Re:[162] 核兵器について 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2005/09/13(Tue) 09:39
弊社としては当面、核兵器等の大量殺傷兵器をゲーム化する予定はありません。
理由については掲示板でなくメールにてお問い合わせ下さい。

[162] 核兵器について 投稿者:エセックス 投稿日:2005/09/12(Mon) 23:29
これは、個別のリクエストなどではなく、日本中のWW2を扱うゲーム全てに対する提案なのですが、やはり核兵器に触れることは必要なのではないでしょうか。

例えば、太平洋戦争、あるいは第二次世界大戦において、日本とドイツが、どれほどの戦闘機や軍艦、戦車を製造し、どれほど圧倒的な勝利を収めても、その国力や人材の層から考えて、核兵器の開発においては(特に日本は)米国に一年以上遅れを取った可能性が高く、そうなれば1945年の中盤から終盤頃を境に形勢は無条件で逆転してしまうことになります。
最低でも、日独のどちらかにおいて報復核の完成する、少なくとも一年くらいの期間は、一方的に米国の思うがままになる期間が続いたはずです。

日独がその頃まで、形勢が有利に戦いを進めていたとしても、東京やベルリンには、核爆弾が投下されたでしょうし、そうなれば運が悪ければ政府消滅による勢力崩壊、また純軍事面においてもこちらに核兵器がなく、向こうに核兵器のある期間中は、組織的な作戦が殆どできなくなってしまいます。
海軍も、陸軍も、空軍も、核攻撃による全滅を恐れて、大部隊が一箇所に集中することができないからです。

こうなれば、一見、ゲームはつまらなくなるかもしれないように思いますが、しかし、冷酷な歴史的事実ですし、ある意味、歴史背景を再現したり、リアリティを追求するという目標において、零戦の鈍足性や、末期日本軍の航空機の故障率の高さや、VT信管の登場などより、はるかに優先して再現しなくてはいけないファクターのように私には思えます。
(これは、一つのソフトやメーカーに対すると言うより、世界中の全てのWW2を扱ったゲームに対する意見です。極論をすれば、核兵器の存在を欠くWW2シミュレーションゲームは、それだけで45年以後のリアリティの面において、その50%くらいを失ってはいないでしょうか)

反対に、もしこのような分野を忠実に再現したゲームがあれば、世間でヒットすれば、おそらくある程度マスコミからも叩かれるでしょうが、しかし、従来のゲームの数倍リアリティが増すと言え、ゲームの操作性や面白さにおいても、あるいはシミュレーションの道具としての価値においても、今まで同種のゲームが世間に存在しなかったことから、革新的に存在になる可能性があるのではないですか)

また、上記でつまらなくなるかもしれない、と書いてしまいましたが、核競争が無理なら、なにがなんでも1945年の1月頃までには講和の段取りをつけなくてはいけませんし、そうでないなら、国を傾けて核開発に専念して、最低でも交戦国が核開発に成功する前後数ヶ月以内に、こちらも核開発に成功しなくてはいけないという脅迫的な条件が加わることになりますので、それはそれで新しい環境が加わり新しい思考をプレイヤーは要求されるという意味において、もしかしたらゲームが大変面白くなる可能性も、あると思います。
また、核開発に成功後も、その使い方を巡って選択を要求されたりもするでしょうし。

例えば、敵国の原野に落として講和の下地にするか、それとも万一数ヵ月後に敵国に開発された場合は報復される可能性があるにせよ、首都や大基地のうえにダイレクトに投下するか、とか。
また、核の登場によって、同盟国が勝手に単独講和して脱落してしまったりとか、従来のゲームでは再現できていなかったリアリティがかなり加わることになるとは思います。

以上、たまにしているリクエストとは少し趣の異なった意見と思いましたので掲示板に投稿させて頂きました。
宜しければ、他の方のご意見もお聞かせ頂ければ幸いです。

[161] Re:[160] 質問です 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/09/11(Sun) 16:10
> 7.7o機銃2門装備の97式戦闘機が20o砲2門と7.62o機銃2門を装備するイ16に対して弱火力なのは解るのですが他国の戦闘機に比べてはどうなのでしょうか?

それでは97式戦と同時期に開発された各国戦闘機の火力を列記してみよう。
97式戦は1935年12月に開発が開始され1936年10月に試作機が初飛行し1937年12月から量産された7.7o機銃2門を装備する単発単座戦闘機だ。
まずドイツで相当する戦闘機を探すと1935年9月に試作機が初飛行したBf109がこれに相当する。
Bf109は試作機段階では7.92o機銃2門の軽武装だったが初の量産型(1937年3月)であるB型では7.92o機銃3門となり1937年末から生産が開始されたC型では7.92o機銃4門に強化された。
次はイタリア。
スペイン内乱で活躍したフィアットのCR32は1933年4月に試作機が初飛行し1935年以降、続々と量産された複葉戦闘機で当初7.7o機銃2門だった武装は12.7o機銃2門に強化され後に7.7o機銃2門が追加される。
フランスはと言うと1935年に参考として日本が2機購入したドボアチンのD510が代表となるが同機には同軸式20o砲1門と7.5o機銃2門が装備されていた。
英国は1937年1月から部隊配備が開始されたグラジエーターが7.7o機銃4門で同年末から部隊配備が始まったハリケーンが7.7o機銃8門。
米国は1937年7月から部隊配備されたセバスキーのP35とほぼ同時期に量産されたカーチスのP36が97式戦の対抗馬となるが当初はどちらも12.7o機銃1門と7.62o機銃1門を装備するだけだった。
しかし後にP35は12.7o2門と7.62o機銃2門に強化されP36も12.7o機銃1門と7.62o機銃3門やら12.7o機銃2門と7.62o機銃4門やら7.62o機銃8門やら様々なタイプに強化された。
やはり諸列強戦闘機(列強じゃないけどオランダのD21(1936年初飛行)だって7.92o機銃4門だしポーランドのPZL.P11(1934年より量産)だって7.7o機銃4門だ。)に比べ97式戦の弱火力(97式戦より火力の弱い戦闘機は存在しない。すなわち最弱である。)は否めない。
こうして見ると97式戦の問題は「最初から少々、弱火力」であった所が他国戦闘機が次々と火力増強していく中、全く火力を強化しないまま3386機も量産した事にある。
すなわち量産が開始された1937年末の段階で97式戦は「ちょっと火力の弱い戦闘機」だったのだがノモンハン事変(1939年5月〜9月)の段階では「世界最弱火力の戦闘機」となってしまったのだ。
いや、最弱ではなかった。
もうひとつある。
日本海軍の96式艦戦も7.7o機銃2門装備でありこれが世界中の列強新鋭機の中で唯一、97式戦に匹敵しうる火力の戦闘機であった。
なおノモンハン事変の終結(1939年9月15日)は第2次世界大戦の勃発(1939年9月1日)と前後している事にも御注意頂きたい。
第2次世界大戦勃発時、世界で最も弱火力の戦闘機を揃えた国家が日本だった。
そしてその反動が零戦を生み出したのである。
ただし「零戦が20o砲を装備したので世界中が驚いた。」と言う記述がたまに見られるがこれは全くのマユツバなので気をつけて欲しい。
既にソ連はI−16の24型から20o砲を装備しているしフランスは日本が参考として輸入した程、同軸式20o砲の本家だ。
ドイツも頻繁にBf109に同軸20o砲装備を実験しているから驚くには当たらない。
英国だって零戦21型と同時期に生産されたスピットファイアMK1やMK2ですら20o砲装備型が少数だが生産されている。
P39に37o砲を装備した米国が驚くとは到底、思えないし単発戦闘機に20o砲を積んだからって驚いてくれるのはイタリアくらいであろう。
(ポーランドのPZL.P11の輸出型であるP24だって20o砲を装備している。)
「航空機に関しては後進国だと思われていた日本が20o砲装備の戦闘機を自力開発したんで驚いた」って言うんならありえるハナシだが。

[160] 質問です 投稿者:プラモ派 投稿日:2005/09/10(Sat) 18:42
7.7o機銃2門装備の97式戦闘機が20o砲2門と7.62o機銃2門を装備するイ16に対して弱火力なのは解るのですが他国の戦闘機に比べてはどうなのでしょうか?
世界全般の常識に照らし合わせて弱火力なのかソ連の方が一般より強火力過ぎたのかそこのところを是非教えて下さい。
それにしてもこの時代の航空機はあまりキット化されていませんね。
少なくともメジャーメーカーの低価格キットとしては。

[159] まとめレス 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/09/10(Sat) 07:27
[158]
> この航空戦で、97戦の火力が軟弱だと感じたパイロットは、日ソ両軍共にいたんでしょうか?

いた。
例えば檮原少佐などは丸エキストラ版19号で「火力装備が貧弱」と評しているしボロジェイキン中尉なども日本軍戦闘機の火力の弱さを指摘してる。
パイロットに限らず上級指揮官や戦史研究家も含め実に多くの人がこの事に触れている。
それと細かい事だが軟弱ではなく貧弱と表現した方が良いと思う。
軟弱なる言葉を使うのはセーラさん(アルティシアとも言う)にとどめておこう。

[157]
>空軍統合論はよく言われていることですが、当時の状況から考えると統合による利点は割に少なかったと思います。

なるほど、仰る事はわかる。
全ての機種を統合化するのは無理だろう。
だが長距離進攻戦闘機である1式戦(隼)の代わりに零戦を生産し2式単戦(鍾馗)があるんだから雷電の開発をやめる事は意味があるんじゃなかろうか?
2式複戦と月光について言えば...
どっちもやめて100式司偵の夜戦化に取り組んだ方が良かったじゃなかろうか?
あまり知られていないハナシだが昭和20年の段階で日本陸軍は並み居る対重爆用複戦の開発が軒並み難航しているのに業を煮やして片っ端から開発中止し対重爆用複戦の主力を100式司偵の戦闘機型にする生産計画を策定している。

4式重爆と銀河については...
難しいなあ。
でも4式重爆にあとから魚雷投下装置を付けた事を考えるとね...
銀河の航続力が長いったって自動操縦装置が不調だったから実際には長距離行動で難儀したそうだし。

>となると、空母搭載機は史実より、機体数においても搭乗員数においても余裕がなく、海軍内での発言力も弱い悲惨な状況に陥ることが予測されます。

空母搭乗員が陸上へ転用される危険性は少なくなる。
反面、空母機動部隊の搭乗員が大打撃を蒙っても陸上部隊から補充する事ができない。
発言力は...
確かに弱まり空母は戦艦の護衛になりさがるだろうな。

[156]
>当時の中島飛行機の設計者の発想と努力はすばらしいと何時も思います。軽戦の隼と重戦の鍾キは、1年違いの採用ですから・・・!!。この当時、こんなにパッパッと切り替えができたのは、恐ろしいほどの新製品開発能力、1社の飛行機会社と言うことを考えると、日本の中島飛行機だけだった様な気がするのですが・・・。

確かに中島(すなわち小山グループ)は良く頑張ったと思うけど川崎(すなわち土井グループ)の方が天才的で凄いと思う。
軽戦闘機のキ43(1式戦:隼)と重戦闘機のキ44(2式単戦:鍾馗)を擁する中島に対し川崎は軽戦闘機のキ61(3式戦:飛燕)と重戦闘機のキ60(1号機の製作は鍾馗が昭和15年8月、キ60は昭和16年3月で7ヶ月しか変わらない。にも関わらず火力が鍾馗の7.7o2門、12.7o2門に対し12.7o2門、20o2門と実に強大なのだ。この20oについては色々と謎が多いが。鍾馗1型とキ60の火力差は太平洋戦記2で言えば6と12の差である。)で立ち向かった。
軽戦闘機と重戦闘機の違う所は軽戦闘機が軽快な運動性と大航続力をもつ代わりに軽火力で防御力が弱い事である。
20o砲2門を装備する3型は量産化されなかったから隼は最後まで純粋な軽戦闘機のままだった。
鍾馗にしたって重戦闘機と言いながら最終型でも12.7o4門でさして大火力とは言い難い。
ところが...
軽戦闘機として開発された飛燕は当初、防御力は「全くなし」(軽戦闘機なんだから当然だ)だったが火力は重戦の鍾馗に匹敵するほど強力(20o砲を装備した時点で鍾馗を越えてしまった)であり防御力も次第に強化されていった。
1型甲 初号機〜112  防弾なし
    113〜420  タンクに3oゴム
    421〜500  6oゴム
1型乙 501〜513  同上
    514〜649  同上+8o防弾板
    650〜1376 12oゴム+8o防弾板

なお上記のデータは「航空機総集」による物であり「世界の傑作機」では1型丙から防弾板装備、丸の付録「日本軍の戦闘機」では2型丁から防弾板装備、土井武夫の回想録では防弾板を6oとしている。
それにしても改造に堪えうる融通性をもった機体を開発し1機種で軽戦から重戦へ見事に変身させた川崎の手腕は凄いと思う。
発動機の不調には泣いたが...
それはまあ、機体設計のコンセプトとは別の話だ。
いや、僕だって「飛燕の方が鍾馗より良い飛行機だ。」って言ってるんじゃないよ。
いくら融通性のある機体だってエンジンが不調で故障ばかり起こしてちゃ物の役にも立たない。
僕としては「中島も頑張ったけど川崎だって捨てたもんじゃない。」と言いたかっただけなんだ。
やっぱ生産するなら鍾馗だろう。
でも鍾馗は20oが積めない弱火力だしなあ。
いかん、そうなると前述した「雷電を止めて鍾馗」と矛盾するな。
なんとか鍾馗に20oが積めなかったのかな?
中島としちゃ無理して鍾馗に20oを積ませようとするなら次に作っている4式戦(疾風)の量産化を急いだ方が良い。
「じゃあ最初っから疾風を作っていれば?」と言ったって土台そいつは無理な話だ。
「なら3式戦の水冷エンジンをやめて空冷にしてれば?」ってそれは5式戦じゃないか!
でも水冷のハ140を装備した3式戦2型を空冷のハ112に代えたのが5式戦なんだから水冷のハ40を装備した3式戦1型をハ112の同系列であるハ102に代えるのできそうなもんだ。
ハ102自体は昭和16年3月から100式司偵2型で装備されてるしね。
キ61を空冷エンジンのハ102装備として開発して最初から主翼にマウザー20oを装備して...
うわっ、いつのまにか架空戦記ネタになっちゃった。

>37ミリ速射(対戦車)砲が大活躍してしまって、その機会を逸してしまった様な気がします。

日本陸軍の94式37o速射砲ね...
確かにノモンハンじゃBT戦車相手に良く頑張った。
しかし...
ガッカリさせて申し訳ないが加登川幸太郎著「帝国陸軍機甲部隊」によれば日本陸軍の97式中戦車の装甲25ミリは「37ミリ対戦車砲弾を至近距離(150m)で弾き返す事」を目的に決定された。
結果は上々である。
しかるに昭和14年4月、今度はラインメタル製37ミリ(言わずと知れたPak35/36だね。ソ連軍がこれをコピーしたのがM1930だ。)で撃ったところ...
見事に貫通、それどころか倍の300mで撃ってもやはり貫通してしまったのである。
かくして日本陸軍は「敵の37ミリ対戦車砲で簡単に撃ち抜ける戦車」と「25ミリの装甲は撃ち抜けない対戦車砲」を揃えて太平洋戦争を迎えたのである。
94式37o速射砲がノモンハンでソ連戦車をだいぶやっつけたのは本当だ。
だがこれはBT戦車の装甲(側面13ミリ、砲塔15ミリ)がペナペナだったからでありフィリピンやビルマじゃM3軽戦車が相手でも抜けずとんでもない目に遭っているのだ。
くわばらくわばら...

訂正:
[150]の7行目で「最初、ノモンハンにいたソ連航空部隊は第22戦闘機連隊(ザバルーエフ少佐:38機)」とありますがこれは第70戦闘機連隊の誤りです。
謹んで訂正致します。

[158] Re:[154] ノモンハン航空戦(その3) 投稿者:ホルテン 投稿日:2005/09/09(Fri) 01:28
ノモンハン航空戦について、大変興味深く読ませて頂きました。
この航空戦が陸軍に与えた影響は大きかったんですね。
自分が痛い目に遭わないとなかなか欠点に気が付かないとしても、海軍が陸軍の損害を深刻に受け止めてもおかしくない気がしますけど、真相はどうなんでしょう? やっぱりカヤの外だったのかな?

凡龍様、火力についてのコメントありがとうございます。
大口径機銃の弾道の悪さと携行弾数の少なさは、やはり大きなデメリットでしょうね。それでも必要に迫られた程、敵の防弾が充実していた事が想像できます。

ところで、弾道性という話になると、言わずと知れた米戦闘機等に搭載されていた12.7mmのブローニングM2があまりにも有名ですが、零戦の搭載していた20mm砲よりも重かったのはあまり知られていないようです。それを6〜8門搭載するとなれば、やはり大馬力エンジン機じゃなきゃ荷が重かったでしょうね。


> ノモンハン事変へ投入されたI−16は既に装甲板を装備していた。

この航空戦で、97戦の火力が軟弱だと感じたパイロットは、日ソ両軍共にいたんでしょうか?

[157] Re:[156] ノモンハン事件のことなので・・・ 投稿者:扶桑 投稿日:2005/09/08(Thu) 23:02
>>ハルトマン様
>>陸海航空隊の統合が可能であったなら

 歴史のifを私ごときが語るのは滑稽ですが・・・・


 空軍統合論はよく言われていることですが、当時の状況から考えると統合による利点は割に少なかったと思います。

 日米開戦以前の海軍航空隊は漸減作戦を戦略の基本にしており、航空機もまず延々と海の上を飛ぶ航続力、ついで攻撃力や機動力といった分野が優先されました。
 対し陸軍航空隊は、近接した敵に対する戦術的攻撃が主目的であり、そこまでの航続力を要求せず、また海上を飛ぶ技術も軽視されていました。(史実でもラバウル方面の進出は相当に渋っています)
 これだけ方向性の違うものを統合しても、どれだけ機種のスリム化が出来たかは疑問だと思います。すぐそばの敵陣を攻撃する爆撃機に海上を1700km先まで飛べる巨大燃料タンクや、魚雷を搭載する懸架装置があったとしても、コストがかかるだけでメリットは薄く、結局は九七重爆に似た機体と九六陸攻に似た機体が別々に生産されるでしょう。


 また、空軍が独立していたとしても、空母に載せる航空機は海軍航空隊にならざるを得ないでしょう。米軍の例を見ればわかると思います。
 となると、空母搭載機は史実より、機体数においても搭乗員数においても余裕がなく、海軍内での発言力も弱い悲惨な状況に陥ることが予測されます。
 つまりは統合とは言っても

 陸軍航空隊+海軍航空隊
→強力な空軍+脆弱な海軍航空隊(空母用)

となり、何の意味やあらんといったレベルの話になります。

 もちろん、情報の共有によって得られる利益は莫大でしょう。史実ではお互いに情報を隠しあい、同じようなものを別個に開発し、エンジンのライセンス料を二重に払ってどこぞの伍長に笑われているのですから・・・・・

 つまるところ、「空軍の統合」といった巨大な話でなく「情報の共有」こそが、当時の日本にでき、またベストな方法であったと私は信じています。

[156] ノモンハン事件のことなので・・・ 投稿者:ハルトマン 投稿日:2005/09/08(Thu) 21:03
 日本陸軍が、その後二式戦「鍾キ・キー44」を、軽戦主義の大多数のパィロットに不評だったにも拘らず積極的に採用した(我々の陸軍の印象からするととても謙虚です。)のも、ノモンハン事件の影響があったと、何処かの本で読みました。
 
 その後の陸軍の飛行機は、重戦型の戦闘機が採用され続けるわけですが、本当にこの時代、前にも話題になりましたが、陸軍さんと海軍さんがもう少し仲が良かったら(陸海航空隊の統合が可能であったなら)太平洋戦争もまた違ったかたちになったかと思うと少し残念です。

 考えてみると、プラグ一つ安定的な部品も無く、電気系統は故障ばかりとは言え、当時の中島飛行機の設計者の発想と努力はすばらしいと何時も思います。軽戦の隼と重戦の鍾キは、1年違いの採用ですから・・・!!。この当時、こんなにパッパッと切り替えができたのは、恐ろしいほどの新製品開発能力、1社の飛行機会社と言うことを考えると、日本の中島飛行機だけだった様な気がするのですが・・・。この辺のことを技術的観点から調べてみたら面白いような気がします。どうでしょうか?それともこのようなことは、各国・各社とも大したことではなかったのでしょうか?

  
 ところで、ノモンハン事件は、私の祖父(輜重兵)もソ連の飛行機に銃撃されたそうで(本格的ヤーボー攻撃の日本陸軍最初の名誉ある犠牲者?負傷ですけど・・・)、近親感を感じます。ソ連軍も「野外教令」試験の場、「全縦深同時制圧」の確立に苦労して日本軍歩兵に恐怖感を感じているし、日本軍は、近代戦の恐ろしさを実感、組織的な欠陥も暴露したのですが、37ミリ速射(対戦車)砲が大活躍してしまって、その機会を逸してしまった様な気がします。八月の攻勢以降のソ連の写真(8月までソ連軍には戦場報道記者が居なかったそうです。)と映画「戦争と人間」ばかり見てしまっているので、私も捕獲された、10センチカノン砲や多数の11年式軽機関銃の印象ばかり強くなってしまって居たようです。
 最近発売されたソ連側の資料翻訳「ノモンハン戦車戦」(大日本絵画)によれば、撃破されたソ連の戦車の8割が速射砲による被害で、その運用も巧みだったらしく、我々の印象の強い歩兵による攻撃(火炎瓶等)の被害は1割に満たないようです。
 前述の祖父が「速射砲の輸送最優先」と言っていたのがようやく理解できました。戦車恐れるに足らず・・・。自軍の戦車の不甲斐無さ(歩兵と共同攻撃じゃないのに)を見ても「ソ連の戦車とこれだけやれば・・・。」と思う参謀や幹部(ここが謙虚さに欠けます)が居てもしょうがなかったのかも知れません・・・!?。

[155] Re:[154] ノモンハン航空戦(その3) 投稿者:いそしち 投稿日:2005/09/08(Thu) 07:01
> ソ連が航空機の防御強化を始めたのはノモンハン事変からではない。
> ノモンハン事変へ投入されたI−16は既に装甲板を装備していた。

さっそくのお答え大変ありがとうございます。
勉強になりました。
ソ連と言うと人命軽視のイメージがありますがかなり早くから航空機の防御力を強化していたんですね。
考えてみれば名戦車T34もソ連製ですから防御力の強いソ連戦闘機があっても不思議ではないのですが。

[154] ノモンハン航空戦(その3) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/09/07(Wed) 19:58
まず[153]への回答から

>やはりソ連もノモンハンを境に防御力の強化を進めたのでしょうか?

ソ連が航空機の防御強化を始めたのはノモンハン事変からではない。
ノモンハン事変へ投入されたI−16は既に装甲板を装備していた。
厚さは戦史叢書「陸軍航空兵器」190頁では6.4o、丸648号や木俣滋郎著「陸軍航空隊全史」では9oとなっている。
戦史叢書「陸軍航空兵器」によれば撃墜したI−16の装甲板を見た為、日本陸軍は日本特殊鋼株式会社に研究を命じ昭和14年12月にキ44(後の2式単戦鍾馗)用として防弾板試作を同社に指示したとある。
なお同書によれば日本陸軍機で最初に防弾板を装備したのは99式襲撃機であり防弾板の製造メーカーは大同製鋼株式会社としている。
ひとくちに防弾板と言っても戦闘機用と爆撃機用で製造メーカーが異なるのは面白いね。
「I−16が防弾板を装備していた事」は「日本陸軍が戦果を過大評価した事」の素地となるのだが詳細は後述する。
ちなみにソ連軍が航空機の防御強化を始めた契機となったのは...
日華事変なのかスペイン内乱なのかもっと前なのか今の所、ぼくにはちょっと判らない。

さて、前回はノモンハン事変の航空戦が如何にして戦われたかを述べたが果たして両軍はどれだけの戦果を挙げたのだろうか?
日本側発表とソ連側発表の双方を記述している資料に航空情報別冊「世界の戦闘機隊」と丸648号があるがどちらもソ連側の数値を戦果660機、損害207機、日本側の数値を戦果1340機、損害171機としている。
ソシンスキー著「日ソ戦争と外交」に記載されているソ連側の数値は戦果660機、損害207機だ。
また「ノモンハン全戦史」では日本側発表の戦果を1370機としているがこれは上記の1340機に地上撃破30機を足した数値である。
戦史叢書「陸軍航空兵器」はどうであろうか?
戦果を1389機(うち戦闘機によるもの1332機)としており損害を192機(うち97戦119機)としている。
この資料は損害と補充量を機種と期間別に集計しており大変、素晴らしいが5月28日に光富中尉の97戦が撃墜されているのに6月20日以前の損害が0であるなど若干の疑問点も見られる。
桑田悦著「日本の戦争」に記載されている日本側の損害は166機である。
この様に日本側数値とひとくちに言っても戦果は1340〜1389機、損害は166〜192機に渡る。

日本側発表とソ連側発表。
どちらが正しいのだろうか?
日本側発表が正しいとすれば日本の記録的大勝利(戦史叢書を例にとれば1:7)だしソ連側発表が正しいとすればソ連の大勝利(1:3)である。
しかし両軍とも「相手が戦場に進出させた総航空数以上の航空機を撃滅したと主張」しているのだから両軍とも一概に信じがたい。
ここで仮に両軍が主張している戦果が正しいと考えてみよう。
ノモンハンの草原に日ソの航空機が大小取り混ぜて2000機以上も散乱している計算になる。
凄まじい光景だ。
日本側主張が正しいとしても約1500機、ソ連側主張が正しいとして約800機余。
やはりここは両軍の損害を「信頼できる数値」として見るのが良いであろう。
そうすると戦場に散乱する航空機は373〜399機となる。
多分、こんな所であろう。
よくノモンハン航空戦は日本軍の圧倒的勝利と言われる。
両軍が発表している自軍の損害を照らし合わせても日本の損害の方が少ない。
見方にもよるが日本の辛勝(悪く見れば引き分け)とは言えよう。
だが決して圧倒的勝利などではない。
第11戦隊に所属しノモンハンで5機のスコアを挙げた瀧山中尉は軍事史学128号47頁「前期は勝利、中期は五分五分、後期は負け」と記述している。
それでは日本軍の圧倒的勝利を主張する根拠はどこにあるのだろうか?
「前期は勝利」と「後期は負け」の2つの真理が共存する事がひとつの鍵となる。
1340機撃墜、40機地上撃破を主張する松村黄次郎中佐の場合、第24戦隊戦隊長として勝利の前期戦を戦い抜き中期戦の最中、8月4日に撃墜されて負傷し後送された。
つまり松村中佐はノモンハン戦の勇士ではあるものの「負け戦の後期戦」を御存知ない。
また松村中佐は丸エキストラ板19号113頁で「9月上旬における敵空軍の兵力は圧倒的に優勢で少なくとも前線にある小型機は1500機、大型機も300機を下らない」と判断されているが最終的にノモンハン航空戦へ投入されたソ連軍戦闘機は5個連隊(1個連隊は60数機)に過ぎず損害が潤沢に補充されたとしても戦場に1500機が集結するとは考えられない。
敵の所在兵力に対する過大評価が戦果の過大評価へ繋がった側面もあると言えよう。
先だって前期は勝利、後期は負け戦と記述したがどの程度の差があるか搭乗員の損耗を軸に論述してみよう。
ノモンハン航空戦で日本戦闘機搭乗員がどれだけ損耗したか指し示す資料は幾つかある。
まず航空情報別冊「日本陸軍戦闘機隊」だがこの部隊史で各戦隊の戦死者を合計すると第1戦隊が16名、第11戦隊が19名、第24戦隊が12名、第33戦隊が3名、第59戦隊が5名、第64戦隊が8名で合計63名となる。
だが361頁の戦死者一覧表だと合計66名だ。
この66名中、なんと半数の33名が4ヶ月に渡るノモンハン航空戦で最後の1ヶ月に集中(7月16日から8月15日までの戦死者は18名。これが中期に相当する。それ以前の2ヶ月で戦死者は僅か15名。)しており後期の苦戦が忍ばれる。
またソ連側は自軍損害207機を認めているが航空情報別冊「世界の戦闘機隊」132頁によるとこのうち8月20日以降の損害(停戦が9月15日なので交戦期間は26日間となりほぼ1ヶ月に相当する)は34機に過ぎないとしている。
つまり後期は戦死者33名でソ連機34機を撃墜してるので1名当たり1機となるが前期、中期の平均では33名で173機を撃墜しているので1名あたり5.2機になる。
前期、中期は3ヶ月に渡っているので月単位で見ると後期は33名が戦死し34機を撃墜しているのに対し前期、中期は平均11名の戦死で57機(ソ連軍航空機損耗を前期と中期に細分化できれば良いのだが資料がない。よって173÷3=57で月平均とする)を撃墜している。
これにより損害と戦果は反比例し「負け戦は損害ばかり多く戦果が少ない事」が御理解頂けよう。
ただし日本軍戦闘機隊戦死者数とソ連軍航空機損耗数の比較だと日本軍爆撃機の損耗や戦死に至らない日本軍戦闘機損耗などが除外されるので必ずしも実相は反映されない。
戦死者1名につき1機を撃墜しているのであれば「負け戦」とは見えないからだ。
よって次に「戦闘機隊戦死者数」ではなく「日本軍の航空機損耗数(戦史叢書による)」と比較してみる。
日本軍航空機損耗は8月21日以降が70機なのでソ連軍航空機損耗(34機)の2倍以上に達している。
立派な負け戦だ。
中期の日本軍航空機損耗は69機なので前期、中期のソ連軍平均損耗の57機と比較してほぼトントン。
五分五分と言えよう、
前期2ヶ月の日本軍航空機損耗は53機、2ヶ月分のソ連軍平均損耗114機と比較すれば半分以下の損害で立派な勝ち戦である。
瀧山中尉が「前期は勝利、中期は五分五分、後期は負け」と記述された事が納得できる。

ここでもう一度、日本軍戦闘機搭乗員の損耗に目を向け「ノモンハン航空戦が日本陸軍戦闘機隊に与えた影響」を考えて見よう。
なお搭乗員の損耗は戦死者だけではない。
戦闘機の損耗=搭乗員の損耗では無いが負傷(松村黄次郎中佐など搭乗員として復帰できなかった負傷者は大変多い)を含めれば損耗数はもっと増える。
軍事史学128号17頁によれば8月末までの戦闘機隊の人員損耗は「当時戦場にあった戦闘機操縦者のほぼ3/4にあたる76名」としており全期間での航空部隊の損害を戦死141名、負傷89名、中隊長以上の戦死傷17名としている。
更に航空情報別冊「日本陸軍戦闘機隊」によれば9月1日以降、少なくとも17名が戦死しており戦史叢書によれば9月1日以降の戦闘機損耗は24機(95戦6,97戦18)なので戦闘機搭乗員損耗は最終的に76+17=93名以上と考えられる。
本文の第1回でも書いたがノモンハン航空戦勃発時、日本陸軍の戦闘機部隊は合計23個中隊(1個中隊9機)で搭乗員概数は約200名だった。
その約半分が4ヶ月の航空戦で消えてしまったのである。
中隊長クラスの指揮官損耗は半分どころではなく遙かに多い。
これが拡張期の日本陸軍航空隊に与えた影響は多大であったと言わざるをえない。
もしノモンハン航空戦が無かったなら太平洋戦争に際し日本陸軍はかなりのペースで搭乗員を養成できたと考えられよう。
だが影響はマイナス面ばかりではなかった。
「航空機の補充はできても搭乗員の補充は困難である」と気づいた日本陸軍は日本海軍にさきがけいち早く戦闘機の防御力強化に着手したのである。
かくして誕生したのが前述した6.5o装甲板であった。

[153] Re:[150] ノモンハン航空戦(その2) 投稿者:いそしち 投稿日:2005/09/06(Tue) 07:47
前回は日本陸軍機が海軍機に対して防御力が高い理由を解説していただき有り難う御座います。
更に今回はノモンハン事変についての詳細な御説明、誠に感謝に堪えません。

> そして8月21日には第2次タムスク空襲、22日には第3次タムスク空襲が発動されたが7月12日に加藤中佐(第1戦隊:負傷)、7月29日に原田少佐(第1戦隊:戦死)、8月4日には松村中佐(第1戦隊:負傷)と各戦隊長以下、搭乗員の死傷が相次いだ。
> もはや前線の日本軍部隊はズタズタである。
> 注1)前回、ノモンハン航空戦で歴戦4個戦隊(計11個中隊)で死傷した中隊長を8名としたが9名である。(後任中隊長の死傷をいれると遙かに多い)

これではさすがに防御力強化に積極的になりますね。
やはりソ連もノモンハンを境に防御力の強化を進めたのでしょうか?

[152] Re:[149] [147] [146] [145] [144] 零戦の火力について 投稿者:凡龍 投稿日:2005/09/06(Tue) 01:30
>ホルテン様
私も一口乗せてください。

> なるほど。一撃離脱で撃墜するには重火力が必要だし、機動力も腕もあまり必要がないわけですね。ベテランが少なくなる一方の日本軍が通らざるを得ない道だったことが良く分かります。

重火力と言っても、30mm以上の大筒ともなると発砲時の反動の処理とか、すぐにお辞儀する弾道特性の把握とか、無駄弾を撃たないトリガーの加減とか色々な問題が絡んでくるので、ベテランでも慣れが必要だと思います(まあ、対重爆用の局地戦闘機が初めての愛機となる新米搭乗員なら却って重火器の使い勝手に慣れやすいかもしれませんが)。
12mm〜20mmクラスを4〜6丁と言うのが(機体性能にも因りますが)どんな敵機にも対応できる一番バランスのとれた火力構成と言えそうですね。
ベテランが少なくなると言うのは、先制攻撃で優位に立ったものの量・質共にジリ貧になる一方だった日独は勿論の事、国力に物を言わせた後手からの総動員でパイロットを大量育成した連合国側でも総兵力に占めるベテランの比率が低下すると言う意味では同じだったと思います。
ただ、一撃離脱主義を早期からハード・ソフト両面で徹底させていた連合国側は新人であれベテランであれ過酷な総力戦下に於いて生存率を高めることができ、その積み重ねが数の優位を活かすのに必要なだけの熟練度を達成する事に結実したのだと思います。
一方の日本軍ですが育成に手間暇のかかる格闘戦専門のパイロットに長く頼りすぎてパイロット教育の方針転換が速やかに出来なかったのが戦争後期の技量低下の一因でもあり戦闘機の設計思想の転換が遅れた理由の一つだったように思います。

> 無理矢理20mm砲を搭載した隼3型乙は、もう活躍の場がなかったんですね。後から重武装の改良を求められて、設計者もさぞ苦労したことでしょう。ガーランド中将が隼に搭乗するとしたら(又は新米パイロットに対して)、どんな武装を望んだのか興味ありますね。

機関出力(とそこから導き出されるペイロードと機動力との最大公約数的なリソース配分)から、ホ103(13mm)×2をリクエストすると思います。
尤も、「こんな練習機モドキでジャク達を戦場に連れ出す気か!」と中将自ら有志を募ってストライキを起こす可能性も高そうですが<ちょっと悪乗りでした(*_*)。

> 隼3型乙は失敗作としても、疾風の生産が始まっているのに、尚も隼が生産していたなんてビックリですね。ゲーム上なら旧式機はさっさと解体して原料にしたいところだけど、実際は色々な都合でそうもいかなかったのかな?

高性能の新型機は製造に手間もかかるし原料やお金も多く消費しますから現存の全ての部隊に配備されている旧式機と一朝一夕に交代させる事は平和な時代でもまず不可能です。まして長期間総力戦を戦っている状態ならなおさらでしょう。
それに、旧式機とはいえ広大な戦線を支える一翼を担う重要な存在ですから、旧式機を使う部隊のために損耗した分の補充用の機体を供給する必要があります。新型機で編成された部隊(機種転換組であれ新規編成であれ)を戦力化する時間を稼ぐ為にも旧式機部隊の活躍が不可欠と言える訳です。
新型機は先述の理由のためよほどの事がない限り旧式機を上回る生産・配備機数を確保できませんから、新型機が第一線の主力となって後も補助戦力として実戦配備されることが多いです。脅威度の低い敵に旧式機部隊を噛み付かせればその分新型機部隊はより強力な敵部隊との戦いに専念できるわけです。F6FやF4Uをあれだけ大量生産したアメリカも比較的穏やかな戦線の部隊や大西洋航路の護衛空母のためにF4Fの生産を続けてましたし。

「戦いは数だよ、兄貴」
         ―ドズル・ザビ―
            お粗末さまでした。

[151] 大和創刊 投稿者:社長@永鉄管理人 投稿日:2005/09/05(Mon) 23:20
流れを無視して申し訳ないです

http://de-club.net/ymt/
本日書店にて発見しました 1/250の大和が完成するそうです

[150] ノモンハン航空戦(その2) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/09/05(Mon) 20:15
それでは事変の推移についてあらましを述べよう。
1939年5月11日、日ソどちらかの軍が越境して国境紛争(第1次ノモンハン事変)が勃発した。
この際、それが「どちらかである事」はどうでも良かった。
要はどちらも「退く気はない」って事が重要だったのである。
かくして事変は拡大した。
陸戦について書くと長くなるので以降は航空戦、特に戦闘機部隊についてだけ述べる。
最初、ノモンハンにいたソ連航空部隊は第22戦闘機連隊(ザバルーエフ少佐:38機)と第150爆撃機連隊(29機)とその他15機(ノモンハン全戦史では17機)からなる第100混成飛行団であった。
そこで関東軍は制空権を得るため13日に第24戦隊(97戦2個中隊)を投入した。
第24戦隊は18日から哨戒を開始し20日には初撃墜(偵察機)を記録する。
ソ連側も黙っちゃいられない。
22日には第22戦闘機連隊(グラズイキン少佐:63機)と第33爆撃機連隊(59機:ただし38爆撃機連隊と記述する資料もある)を繰り出す。
24日には負けじと日本軍が11戦隊の半数(97戦2個中隊)を進出させた。
もはやノモンハン上空は大空戦である。
この戦いは日本軍が勝った。
日本が主張する戦果とソ連が発表する損害で食い違いが見られるものの5月中に撃墜されたのは28日に光富中尉が落とされただけでありソ連側も戦果が1機しか無い事と負けた事を認めているのだから。
29日、危機感を抱いたソ連軍はスムシケービッチ空軍副本部長が48名のベテラン戦闘機パイロットを率いて旅客機3機で前線に乗り出す。
ついで30日、日本の第11戦隊の残部(97戦2個中隊)が進出した。
「このまま事態が推移していくとノモンハンは航空機だらけになるな」と思われたが6月2日に第1次ノモンハン事変は終結する。
終結って言うと「ああ、停戦交渉が開催されてハナシがついたのだな。」って思われるかも知れない。
でも日本軍がちょっと兵を後方へ退いただけでソ連としちゃ何も紛争を終えたつもりはなかったのだ。
相変わらずソ連は兵力の増強に努めるので6月17日には当然の如く第2次ノモンハン事変が勃発する。
今度は日本軍も兵力を小出しにはしない。
6月19日、第2飛行集団(戦闘機は第1,11,24戦隊:合計97戦8個中隊)に展開命令が下される。
かくして日ソ両軍は再び激烈な航空戦を繰り広げ22日にはグラズイキン少佐、24日にはザバルエフ少佐が戦死した。
この余勢をかって発動されたのが6月27日の第1次タムスク空襲である。
ソ連軍飛行場を覆滅するこの作戦に日本軍は偵察機12機、戦闘機74機,軽爆6機、重爆21機の合計113機を投じ98機撃墜(日本陸軍戦闘機隊による数値:辻参謀の手記によると地上撃破を含め114機としている:丸648号では地上撃破を含め110機:世界の戦闘機隊では140機)の戦果(作戦に参加した第11戦隊の瀧山中尉ですら「とてもそんな数字にはならないはずです」と語ってるが)を報じた。
ただし当時のソ連軍兵力は空襲直前で戦闘機151機、爆撃機116機の計267機に過ぎず空襲による損害は14機(丸648の数値)としている。
最初は「負け」を認めていたソ連軍はこの頃から「大きな戦果」を主張し始め両軍の戦果発表は大きなズレを示し出す。
さて両軍はますます戦力を増強する。
7月21日、ソ連は第56戦闘機連隊を進出させ8月15日には日本が第64戦隊(97戦3個中隊)を投入。
そして8月21日には第2次タムスク空襲、22日には第3次タムスク空襲が発動されたが7月12日に加藤中佐(第1戦隊:負傷)、7月29日に原田少佐(第1戦隊:戦死)、8月4日には松村中佐(第1戦隊:負傷)と各戦隊長以下、搭乗員の死傷が相次いだ。
もはや前線の日本軍部隊はズタズタである。
この穴を埋める為、8月30日には第33戦隊(95戦3個中隊)、9月9日には第59戦隊(97戦2個中隊)、9月12日には第9戦隊(95戦3個中隊)と更なる増援が繰り出されたがもはや97戦部隊は払底しており増援の主力は複葉の95戦部隊と成り果てていた。
なお最終期、ソ連軍は第19,22,23,56,70の5個戦闘機連隊を擁している。
そして9月15日の第4次タムスク空襲をもって航空戦は終わりを告げ同日成立した停戦交渉によってノモンハン事変はその幕を閉じたのである。

注1)前回、ノモンハン航空戦で歴戦4個戦隊(計11個中隊)で死傷した中隊長を8名としたが9名である。(後任中隊長の死傷をいれると遙かに多い)

度々の質問にお答え頂きありがとうございました。
以前から気になっていた戦闘機の火力について、疑問が解けてきました。


> 時代の趨勢が小口径から大口径へと移り門数が増えていった背景には火力と防御のシーソーゲームがあった事は事実だがパイロットの急速養成による相対的ベテラン不足があった事も否めないと思う。

なるほど。一撃離脱で撃墜するには重火力が必要だし、機動力も腕もあまり必要がないわけですね。ベテランが少なくなる一方の日本軍が通らざるを得ない道だったことが良く分かります。

無理矢理20mm砲を搭載した隼3型乙は、もう活躍の場がなかったんですね。後から重武装の改良を求められて、設計者もさぞ苦労したことでしょう。ガーランド中将が隼に搭乗するとしたら(又は新米パイロットに対して)、どんな武装を望んだのか興味ありますね。

隼3型乙は失敗作としても、疾風の生産が始まっているのに、尚も隼が生産していたなんてビックリですね。ゲーム上なら旧式機はさっさと解体して原料にしたいところだけど、実際は色々な都合でそうもいかなかったのかな?

[148] ノモンハン航空戦(その1) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/09/04(Sun) 22:48
さて以前、「自軍の損害報告はアテになるが戦果報告はアテにならない」と述べたが今回はノモンハン事変を例に取りそこの所を考察するとしよう。
ノモンハン事変は1939年5月11日に勃発し同年9月15日に停戦した日ソ両軍の国境紛争である。
えっ、たかが国境紛争レベルじゃ参考にならないって?
そんな事はない。
ノモンハン事変は日本陸軍航空隊にとって「とてつもない大戦(オオイクサ)」だった。
日本陸軍戦闘機搭乗員を調べる時のバイブルとも言える航空情報別冊「日本陸軍戦闘機隊」をひもとこう。
ここには日本陸軍のエース一覧と経歴があるがこれによると20機以上撃墜した搭乗員は23名おりそのスコアを合計すると計630機となる。
そしてそのうち416機がノモンハン事変でのスコアとなっているので太平洋戦争でのスコアはなんと214機だけだ。
(日華事変でスコアを挙げたエースは加藤健夫少将:18機や江藤豊喜少佐:12機などごく少数であり20機以上エースでは1名も存在しない)
昭和16年12月から昭和20年8月15日まで44ヶ月続いた太平洋戦争が214機でたった4ヶ月(僅か1/11の期間!)のノモンハン事変が416機?
太平洋戦争では陸軍航空隊の空戦が行われなかったのだろうか?
そんな事はない。
開戦直後のフィリピン航空戦やマレー航空戦、蘭印航空戦、それに続くビルマ航空戦やソロモン、ニューギニア航空戦、フライングタイガースと戦った中国航空戦、末期に死闘を繰り広げたフィリピン航空戦や台湾、沖縄航空戦ならびに本土防空戦。
随分と空戦はあったはずだ。
だがトップエース23名による1ヶ月あたりの撃墜機数で言えば太平洋戦争が5機弱なのに対しノモンハン事変は104機で20倍を越えるのだ。
「ソ連機はチョロイからね。米英軍機とは比べ物にならないよ。」とか「きっと太平洋戦争のエースは20機未満にギッシリひしめいているのだな。」と見るのもひとつの考え方であろう。
しかしここで「ノモンハンでの戦果報告はちょっと怪しくないか?」と考えるのも重要ではあるまいか?
いずれにしても日本陸軍航空隊にとってノモンハン事変が「とてつもない大戦」であったのは事実である。
なにしろノモンハン事変勃発当時、日本陸軍の戦闘機部隊は10個戦隊(第5戦隊や第13戦隊などの練習部隊を含む。これらの部隊や第4戦隊は1個中隊しか戦闘機を保有していないし第1戦隊や第24戦隊、第59戦隊は2個中隊編成である。)と1個独立中隊で23個中隊(97戦15、95戦8:当時は1個中隊約9機だったので搭乗員の概数は約200名)だったがこれらのうち20個中隊(97戦14、95戦6)がノモンハンへ投入され100名近い戦闘機搭乗員を失ってしまったのだから。
特に戦闘機指揮官の損耗は激しく戦死者だけで少佐1、大尉8、中尉10に及ぶ。
「ふうん、戦闘機部隊じゃ佐官の戦死者は1名だけか。」と思ってはいけない。
投入された7個戦隊(1、9、11、24、33、59、64)のうち33戦隊が戦場にいたのは16日、59戦隊は6日、9戦隊は3日だけなので戦い続けた4個戦隊に限れば11戦隊を除く3個戦隊全てで戦隊長が撃墜され負傷しているのだ。
特に第1戦隊では7月12日に戦隊長の加藤中佐が負傷し29日には後任の原田少佐が初陣で戦死、最終的には全中隊長と全将校が死傷するに至った。
損害が多発したのは第1戦隊ばかりではない。
歴戦4個戦隊(計11個中隊)でみれば中隊長11名中8名が死傷しその後任中隊長や中隊長代理達も続いて軒並み死傷している。
ノモンハン事変での指揮官大量喪失がその後の日本陸軍戦闘機隊に大きな影響を及ぼした事は言うまでもない。

[147] Re:[146] [145] [144] 零戦の火力について 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/09/03(Sat) 17:25
> そうですか。たとえ対戦闘機だろうが、やはり20mmは必要だったと感じますね。重武装仕様の52丙型といい、後の新型機が20mmを多く積んでいるのも防弾とのイタチごっこの結果という事でしょうかね。

「何が相手か?」によって大きく変わるだろう。
零戦21型や隼、1式陸攻を主要装備とした日本軍を相手にするなら7.7oでも充分だし米重爆が相手なら「最低でも20oは欲しい」って事になる。
英軍は7.7oの力不足を痛感し20oへ移行したが最初っから7.7oが力不足だった訳ではない。
英本土航空戦じゃ7.7oでドイツ機をバッタバッタと落としてる。
Bf109はE4から装甲板を装着し更に重装甲のFw190が登場するに及んで「もう7.7oじゃダメだ」って事になった次第だ。
でも13oクラスだって捨てたもんじゃない。
もし無力だったら零戦52型丙に3門装備したり紫電改31型で2門増やしたりしないだろう。
重爆には効かないだろうけど。
「重爆だけを相手にする」と決まってれば20o以上の砲だけを装備すれば良いし「戦闘機だけを相手にする」となれば13oでも充分だ。
しかし「場合によってどっちとも戦う」となれば「両方欲しい」って事になるんだろうな。
なにしろ零戦の20oは弾頭重量123gだけど13oは34g。
同じ重量で4倍の弾を搭載できるメリットは大きい。

> ガーランド中将は重量増加傾向を嫌ったのかな?

ガーランド中将は面白い人でね、大火力のBf109E(20o2門+7.92o2門)に代わり新型で機動性の高い軽火力のBf109F(15o又は20o1門+7.92o2門」が導入された際には「機関砲1門では絶対に不足」と主張し機動性を重視したメルダースやウーデットと対立した。
彼が大火力を欲したのは「我が軍の新しいパイロットたちの技術及び訓練の水準が低下していること」を憂えたからであり「全部のパイロットがウーデットやメルダースのような射撃の名手ではなかった」と述べている。
つまり「下手な鉄砲も数撃ちゃあたる」が真理なら下手に合わせて鉄砲の数を増やせば良いと言う合理的な発想の持ち主なのだ。
ちなみに機動性を活かす事ができるのはベテランだけである。
パイロット全てがベテランなら機関砲は1門で足りるし場合によっては坂井三郎氏の様に7.7oで充分(さすがに坂井氏も重爆相手には20oと言ってるが)かも知れない。
時代の趨勢が小口径から大口径へと移り門数が増えていった背景には火力と防御のシーソーゲームがあった事は事実だがパイロットの急速養成による相対的ベテラン不足があった事も否めないと思う。
なおガーランド中将は37oや50oに関しては「航空機の大艦巨砲化」と言って反対してるしMe262の30oに関しては絶賛してるので「機動力重視」とか「火力重視」ではなく「バランス重視」なのだろう。

> そういえば、陸軍でも隼の武装に不満の声があり20mmに載せ替えた型(何型か忘れました)が作られたそうですが、機体重量が増えた分以上の効果はあったんでしょうか?

7.7o2門で始まった隼の武装は1型乙で12.7o1門と7.7o1門に強化され1型丙で12.7o2門となった。
その後、隼は2型、3型甲と改良されたけど武装はずっと12.7o2門のままである。
その理由は隼の場合、主翼に機銃が装備できなかった為だ。
なら機首の機銃を20oに強化すれば良いのだがこれがそう簡単にはいかない。
基本的に機銃を大口径と小口径の2種類混載し装備位置を機首(モーターカノンを除く)と主翼へ分散配備する場合、大口径を主翼、小口径を機首に装備するのがセオリー(無論、例外はある)だ。
その理由は機首にはエンジンが存在するのでスペース(特に空冷では)が少ない事と同調装置の機嫌次第でプロペラ破壊の惨事を招きかねないからである。
でも「あっても役に立たない戦闘機」よりは「危険を承知」で隼を強化するのもひとつの考え方だ。
かくして登場したのが20o2門を装備した隼3型乙。
でもねえ...
登場したのが遅すぎた。
試作機を製造したのが昭和19年12月なんだもん。
もっと高性能で大火力の4式戦を量産してる最中なんだよ?
いや、それどころかアルミが足りなくて4式戦の量産があやぶまれ「木製4式戦」を試作してる御時世だ。
(ちなみに中島は4式戦の量産で忙しいので3187機で隼の生産を止め立川にバトンタッチした。立川で生産された隼は2494機に上る。また木製4式戦のキ106も立川だ。)
なんで今更、20oを2門しか装備できず555q/h(12.7o2門装備の3型甲の数値、3型乙はもっと遅いと思われる。だって「審査の結果、重量過大で不採用」だそうだから。)しか速力の出ない戦闘機を貴重なアルミを浪費して生産する必要があるだろう?
当然、試作機2機で開発は中止され3型乙は幻の戦闘機となるに至った。
(もっと幻なのは3型乙のエンジンを金星1250馬力に強化した4型である。計画中に終戦となったそうだがいやはや...)
「機体重量が増えた分以上の効果はあったんでしょうか?」との御質問だが僕には答える言葉がない。

[146] Re:[145] [144] 零戦の火力について 投稿者:ホルテン 投稿日:2005/09/02(Fri) 23:24
火力の疑問にお答え頂き、ありがとうございます。


> その小町氏が「7.7o機銃は装備自体が全くの無意味」と言ったニュアンスで語られたので僕もビックリした。

そうですか。たとえ対戦闘機だろうが、やはり20mmは必要だったと感じますね。重武装仕様の52丙型といい、後の新型機が20mmを多く積んでいるのも防弾とのイタチごっこの結果という事でしょうかね。


> ガーランド中将はね、「対重爆戦に20oは無力だ。37oや50oを装備しろ!」って主張する人たちに「20oでもなんとかなるんだ。空の大艦巨砲主義はやめろ!」って意味で書いてるんだ。

なるほど。空の大艦巨砲主義ですか。攻撃する側も防御する側も重量増加。ガーランド中将は重量増加傾向を嫌ったのかな? 船や戦車も同じですが、飛行機にとっては軽量化が第一なだけに、なんて無駄なことなんだろうって思います。そんなこと言ったら戦争自体が無駄だらけですけどね。

そういえば、陸軍でも隼の武装に不満の声があり20mmに載せ替えた型(何型か忘れました)が作られたそうですが、機体重量が増えた分以上の効果はあったんでしょうか? 日本の航空機用機銃は比較的軽量設計だったようですが・・・

[145] Re:[144] 零戦の火力について 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/09/01(Thu) 20:22
> これは興味深いですね。防弾機能の充実した後期の米戦闘機に対しては、さすがに7.7mmでは厳しかった事は想像できますが、もしかしたら対爆撃機に対しての話でしょうか?

小町氏は対重爆戦のエースとして名高いけど翔鶴に乗ってハワイ作戦、インド洋作戦、珊瑚海海戦、第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参加しF4FやらSBDやらを落としている。
よって決して対重爆戦のみで語られた訳ではない。
その小町氏が「7.7o機銃は装備自体が全くの無意味」と言ったニュアンスで語られたので僕もビックリした。
坂井氏が7.7oを多く用いたのは初めて実戦参加した時に乗っていたのが7.7o機銃しか装備していない96式艦戦なので7.7o機銃に習熟していたのが大きいと思う。
対して小町氏は最初に乗った実戦機が零戦なんだから考え方に大きな差ができたのだろう。

> 仮に20mm砲を取り外し、7.7mm機銃6丁だったらどうかな?
> F6Fは12.7mm6丁で、防弾装備・・・やっぱり厳しいか・・・
> でも、6丁の弾幕なら対戦闘機でそこそこ戦えた気もしますがどうでしょう。

だめだろう。
7.7o機銃の多数装備でなんとかなるなら英軍だってスピットファイアの武装(7.7o8門)を20oに代えたりしないと思う。
まして相手は重防御の米軍機だしね。

> 気になる人は初期の零戦の火力を下げれば良いのですね。

まさにその通り。

> 同じように、エアコブラの37mm砲も対戦闘機には使えたかどうか。戦闘機を37mmで撃墜した例ってどのくらいあるんでしょうか?

もっとも多くP39系の戦闘機を使用し多くの戦闘機を撃墜したのはソ連軍だ。
果たして彼らが37oをつけたまま使用したのかどうか...
実の所、僕はちょっと疑問に思っている。
弾薬供給の問題もあるしね。
仮につけたまま作戦参加させていたら37o砲(装弾数30発)でそれなりにドイツ軍戦闘機を落としたのか?
それとも対戦闘機戦では12.7o機銃だけを使用したのか?
どうなんだろうね?

> また「経験からすれば1機の空の要塞を撃墜するのに20ミリ機関砲の弾丸を約20発から25発名中させる事が必要だった。」というのは予想外でした。B17とは防弾機能が違うと思いますが、B29の迎撃で37mm斜め銃を使用するくらいですから、四発重爆相手に20mmでは厳しかったんでしょうね。

厳しいけど無力って訳じゃない。
護衛戦闘機を連れた重爆が相手って事もあるしね。
ガーランド中将はね、「対重爆戦に20oは無力だ。37oや50oを装備しろ!」って主張する人たちに「20oでもなんとかなるんだ。空の大艦巨砲主義はやめろ!」って意味で書いてるんだ。

[144] 零戦の火力について 投稿者:ホルテン 投稿日:2005/09/01(Thu) 19:43
> 撃墜王として名高い小町定氏に伺った所、「20ミリで撃つんじゃなかったら何で敵を撃つの?」と仰られた。

これは興味深いですね。防弾機能の充実した後期の米戦闘機に対しては、さすがに7.7mmでは厳しかった事は想像できますが、もしかしたら対爆撃機に対しての話でしょうか?

仮に20mm砲を取り外し、7.7mm機銃6丁だったらどうかな?
F6Fは12.7mm6丁で、防弾装備・・・やっぱり厳しいか・・・
でも、6丁の弾幕なら対戦闘機でそこそこ戦えた気もしますがどうでしょう。

坂井三郎氏が撃墜した戦闘機の大半が7.7mmの弾幕によるものなのは、九九式20mm一号銃の弾道や信頼性の悪さもあるが、20mm弾の携行弾数が少ない(大戦初期は120発)ことも要因になってるのではないでしょうか? もしそうだとしたら、ゲーム上の火力データが二一型と五二型で同じというのが気になってしまいます。おお!エディターはその為にあるのか!気になる人は初期の零戦の火力を下げれば良いのですね。

同じように、エアコブラの37mm砲も対戦闘機には使えたかどうか。戦闘機を37mmで撃墜した例ってどのくらいあるんでしょうか?

また「経験からすれば1機の空の要塞を撃墜するのに20ミリ機関砲の弾丸を約20発から25発名中させる事が必要だった。」というのは予想外でした。B17とは防弾機能が違うと思いますが、B29の迎撃で37mm斜め銃を使用するくらいですから、四発重爆相手に20mmでは厳しかったんでしょうね。

[143] 空母戦記2、ようやく購入 投稿者:ホルテン 投稿日:2005/09/01(Thu) 16:16
皆さんこんにちは。入場制限を設けたにもかかわらず話題が絶えないのは素晴らしいですね。私も久々に書き込みさせていただきます。

多忙生活から解放されたので、先日、心待ちにしていた「空母戦記2」を購入しました。数々の要望をしていながら発売日から3ヶ月も遅れての購入です。GSさんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。

少々シナリオをプレーしてみて、まず「良くできてるな〜」と思いました。前作「空母戦記」をシャブリ尽くした私にとっては、数々の改善と追加部分を確認する毎にいちいち「おっ!」と声をあげてる状態です。

ざっと取説に目を通しただけでプレーできるということは前作のシステムと似ているからですが、進歩が少なかったのではなく前作の完成度が高かったからだと感じています。しばらくは1人でシナリオとキャンペーンをプレーしまくりたいと思います。

プログラマーさんの体調はいかがでしょうか? Ver.1.3のおかげで、最初からサウンドを楽しむことが出来ました。しばらく通信対戦出来ないのは残念ですが、プログラマーさんにはバージョンアップの為に無理をされれないよう希望致します。

[142] Re:[141] [138] [127] 零戦の性能とか 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/08/30(Tue) 15:04
> では日本陸軍はどうなのでしょうか?
> 太平洋戦記2のデータをみると海軍機より若干高めに感じますが?

データと言うと太平洋戦記2に於ける防御力の事?
確かに防御力は零戦22型や32型が4なのに鍾馗1型が5、2型が7、99式艦爆11型が3に対して99式襲撃機が6で陸軍機の方が高いね。
その理由は鍾馗1型は最初から操縦席背面に13oの装甲板を装備しており2型からはゴムの防弾タンクが装備されていた為だ。
更に99式艦爆は無防備なのに99式襲撃機には下部カウリングと操縦席背面、操縦席床面に6o装甲板が装着されている。
開戦時、既に大量配備されていた99式襲撃機や試作機ながら実戦投入された鍾馗1型で装甲が充実していた事は日本陸軍が航空機の防御で日本海軍の一歩先(装甲板を装備した初の零戦である52型丙が制式化されたのは昭和19年10月)を進んでいた証左と言えよう。
ただしこれだけで「海軍は人命軽視で陸軍は人命尊重」と考えるのはいけない。
海軍の場合はアウトレンジ重視のあまり過大な航続力を要求し防御を軽視してしまった部分が多いと思う。
その点、陸軍の戦いは陸続きだから極端な航続力要求には至らないし不時着や落下傘降下での生還率も高い。
これに加え99式襲撃機で広範囲な装甲防御が採用された理由には地上からの小口径対空火器を防ぐ事が挙げられる。
(対艦攻撃では小口径対空火器の弾幕にさらされる事は少ない。飛んでくるのは小さくても20o以上の弾ばかりだ。よって6o程度の装甲を貼り付けても弾片防御の効果しかない。本当はこの弾片防御が重要だったんだが...)
また日本陸軍が早期に航空機の防御力強化を図った要因としてノモンハン事変での航空機大量損耗が大きな影響を与えたと考えられよう。

[141] Re:[138] [127] 零戦の性能とか 投稿者:いそしち 投稿日:2005/08/30(Tue) 07:13
> 特攻作戦に「搭乗員を救助するシステム」は存在しない。

考えてみればその通りですね。
人命を軽視する特攻戦術を大々的に始めた日本海軍なんですから防弾タンクや防弾板などの配備が後回しにされたのもうなずける話です。
では日本陸軍はどうなのでしょうか?
太平洋戦記2のデータをみると海軍機より若干高めに感じますが?

[140] 新たな疑問 投稿者: 投稿日:2005/08/28(Sun) 19:09
この掲示板での話を、職場の先輩とお話しておりました

先輩もだいぶと詳しい方らしく、いろいろな話を致しました。

そこで、零戦の話になったのですが
@ 零戦の栄エンジンを、米国基準のオイルやガソリンで運用したら
もっと性能があがったのか…という話と
A 四式戦飛龍が海軍で採用されるとすれば(靖国?)
スロットルレバーはわざわざ逆にしたのか
という話がでました

@は、疾風の最高速度があがった、という話からの発送で
Aは、海軍・陸軍の違いを話しているときのお話です。

ゲームには関係ないかもしれませんが…
(過去にオクタン価は戦中でそれほど低下していなかった
 という話があったのを先輩にお話しました)

[139] Re:[129] 無題 投稿者: 投稿日:2005/08/28(Sun) 18:56
> 嵐様
> >>日本軍の被害と連合軍の被害が
> >>連合軍の戦果と日本軍の戦果になると思いますが
>
>  必ずしもそうではありません。何をもって「戦果」とするのかにもよりますが、発着時の事故、航法ミスによる未帰還等の戦闘以外の要因での喪失は相当の数に及んでいます。

ここは、よくある戦果というか、
性能差を 彼我の撃墜数で比較しているものがほとんどなので
(私が読んだ範囲では)
それよりも、双方の被害を照らしあわせたほうが「より」正確になると思われるので
そういう比較はないのかなぁ、という意味の表現でした

零戦は長距離侵攻時に帰還できないことがあったり
B29の本土空襲で硫黄島の役割等を考えると
「空戦での墜落数≠未帰還数」になるのは
ようくわかりますね

[138] Re:[127] 零戦の性能とか 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/08/28(Sun) 17:52
「世界の傑作機15号」によればP47は第2次世界大戦中に15579機生産され2/3(つまり約10000機だ)が海外へ派遣されその54%(5400機位だな)が戦闘及びその他の原因で損耗したと言う。
このうち撃墜による損耗は824機、出撃時の損耗率は0.7%だそうな。
総出撃回数は545575回だそうだがその0.7%は3819機?
あれ〜?
数字が合わないぞ?
「出撃時の損耗」には「撃墜以外」も含むのかな。
となると撃墜(824機)+撃墜以外だが出撃時の損耗(2995機)+出撃しなかった損耗(1581機)=5400機って事になる。
総機銃発射弾数が134899415発(誰が勘定したんだろう?きっと忍耐強い奴だな)、総投下爆弾132482t、総戦闘飛行時間1352810時間(ちなみに総飛行時間を193万4千時間としている。米陸軍航空隊の戦闘飛行の定義はどうなってるのかな。)、総消費燃料20504000ガロン、総撃墜敵機数3752機とあるがどの程度信じて良い物だろう?
キルレシオは1:4.5。
これは「信じたくなる良い数字」だが総撃墜敵機数と言う数値自体が「へい、ジョニー。俺はメッサーを6機片づけたぜ!」「なにい、サム。俺はフォッケを9機だ。」って数値の累計だから鵜呑みにはできない。
ひとつ参考例をだそう。
P47ではなくF6Fの話となるがミリタリーエアクラフト「第2次大戦のアメリカ海軍機」によると太平洋でのF6Fの損失は270機、撃墜数は5156機、キルレシオは1:19とある。
これが「世界の傑作機」になると大戦中の米艦戦総撃墜数6477機、そのうちF6Fによる撃墜4947機(前述の5156機と近似値である事に注意)、キルレシオ1:49になる。
このキルレシオが正しいとすればF6Fの被撃墜数は100機に過ぎない。
ホンマかいな...
片目を失った坂井三郎氏だって昭和19年6月24日から7月5日までの12日間にF6Fを5機落としているよ。
とりあえず坂井氏の記録を怪しいと考える見方もあるが「坂井氏は米軍が太平洋戦争で失ったF6Fの1/20を1人でやっつけたんだ。やっぱり坂井氏はスゲ〜!」って見方もある。
でもここはやっぱり「たった100機はないでしょ。1:49はウソでしょ。」ってのが妥当なんじゃなかろか。
P47のキルレシオが1:4.5でF6Fが1:49。
戦った相手の差による要因もあるけど「同じR2800系エンジンを装備した同時期の単発単座戦闘機でF6FがP47の10倍も頑丈ってのはそりゃないでしょ。」って思わない?
たまたまP47でひとつ、F6Fで二つの数字があって比較検討できるから「ああ、こうした数値はあまりアテにならないな。」って判るけどこれがひとつだけだったらどうだろうか?
ウッカリ信じてしまう事もあるんじゃなかろうか。

ちなみにキルレシオがアテにならないのは「へい、ジョニー」の総撃墜数がアテにならないからだ。
P47の総損耗(5400機)や総被撃墜数(824機)、F6Fの総被撃墜数(270機)は「自慢話の集大成」じゃなく「自分の台所の家計簿」だからアテになると思う。
「世界の傑作機」のモスキートに記述されてる損失率も参考(大体、味方の損害にしたって被撃墜ってのは言葉として甚だ怪しい。なんでいなくなったのか誰にも判らないのが大部分だからだ。撃墜したのかもしれないし、事故で落ちたのかも知れないし、UFOに連れてかれちゃったのかもしれないし...未帰還数=撃墜数ならそれでもそれで良いが明らかな事故や遭難も含めるとなると撃墜と言う表現は難しい。やはり出撃回数に対する未帰還数が妥当なのでは?)になるから挙げておこう。
機種名:出撃回数:未帰還機数:損失率
ランカスター:156192:3340:2.13
ハリファックス:82773:1830:2.28
ウェリントン:47409:1332:2.80
モスキート:39795:254:0.63
スターリング:18440:606:3.81
ブレニム:12214:443:3.62
ただし上の数値から言える事は「出撃しても落とされにくい」と言う事であって「撃たれても落ちにくい」と言う事ではない。

なお「防御力を無視して機動力、火力を重視した零戦の開戦当初の評価」だけど...
有り体に言って「高い」につきる。
昭和16年9月の時点で日本海軍首脳部が立てた予測(戦史叢書「ハワイ作戦」より)では「開戦後、ジャワの線に到達するまでの基地航空隊の戦闘機損耗」を160%としていた。この160%ってのは実数じゃなくて紙の上の数値だろう。なにしろ予測なんだからね。台南空、3空、千歳空、山田部隊、ペリリュー派遣隊の常用定数と補用定数を足すと約180機(例によって資料によって異なる)だった。
実際の損耗は昭和17年3月いっぱいまでで「海軍全ての艦戦で300機」である。
300機のうち何機が基地航空隊だったのか手元の資料で判らないが「予想より少ない損害」であったのは間違いない。
なにより戦果はベラボーに大きかった。
これが「攻撃は最大の防御」になってゆくタネになるのだが...

そうそう。
日本海軍が戦闘機の防弾を軽んじた理由だけどもうひとつ書いて置かなければならない事があった。
仮に防弾板を操縦席背面に装着しても効果は「銃撃で搭乗員が死傷しないだけ」であり不時着や落下傘降下は免れない場合が多い。
自動消火装置にしたって同じだ。
効果は「火災が消せるだけ」であり燃料不足によって不時着や落下傘降下する事になる。
そして日本の落下傘はと言えば...
仮に「ちゃんと開く落下傘」が潤沢に配備されていたとしよう。
洋上に浮かぶ搭乗員を救助するシステム(潜水艦や飛行艇の運用など)が整備されていなければ「座して死を待つばかり」(泳いでいるんだから「座して」ではないが)となる。
だったらなまじ防弾板や自動消火装置をつけても効果は薄い。
「搭乗員を救助するシステム」があってこそ防弾装備が活かせるのである。
凄いのは彗星で初めて防弾板を装着したのは43型であるがこの機体は単座の特攻専用機であった。
すなわち突入する寸前まで搭乗員を防護する為に装甲板が装着されたのである。
決して搭乗員の生還率を高める為ではない。
特攻作戦に「搭乗員を救助するシステム」は存在しない。

[137] Re:[136] [135]痛いミスばかりで済みません 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/08/27(Sat) 20:02
> 「『1/10人前の若年搭乗員がせめて半人前に育つまでは死んでくれるな』という意図で当局は防御力強化を図った」というつもりで例の文を書いたのですが・・・若年軽視のニュアンスになってしまったのは明らかにこちらの表現ミスでした。申し訳ありませんm(−−)m。

なるほど、そう言う意味だったのか...
「若年搭乗員の場合は初陣=命日のケース」が多いもんだから「帰還しえた若年搭乗員」の意味だとは気づかなかった。
こっちこそうまく意味を理解できなくて失礼。

> この説明は実にわかりやすいですね。
> 厚さ3cmもあったらそりゃ重いわな・・・。
> タンクの内壁に流動性のゴムをコートするセルフシーリング式だったとしてもやはり相応の厚さのゴムが必要なんでしょうね

御理解頂けて嬉しい。
なにしろ零戦の防漏タンクってのは内袋式タンクって奴だから...

> 過大な性能要求がなされていた事が、メーカーからも用兵側からも防御性能を省みる余裕を奪ってしまったということでしょうか。

それもあるし「攻撃は最大の防御」って思想が多角的な発想を阻んでしまったって事もあると思うな。

> 52型丙では何とかしてましたしね。それを考えると、戦闘機の要求性能に防御力を盛り込まなかった軍部は人名軽視ではないにせよ見通しが甘かったとか思考が硬直していたとか批判されても仕方がないような・・・。

52型丙の場合、出力が増えないまま火力の増大と防弾の充実と航続力の増大(燃料を9%増やした)を一挙にやったもんだから飛行性能が一挙に低下した。
困ったもんだ。

さて、それはともかく以前にイシカワ氏が「航空機は何発の被弾で落ちるか?」と質問されていた。
実際には当たり所や防弾装備の有無によって変わるので何発かなんて答えられる物じゃないんだがちょっと指標となる数値を見つけた。
ドイツの撃墜王として名高いA・ガーランド中将の著書「始まりと終わり」172頁によれば「経験からすれば1機の空の要塞を撃墜するのに20ミリ機関砲の弾丸を約20発から25発名中させる事が必要だった。」とある。
またどこかで4発重爆を落とすには37ミリ砲弾2、3発の命中は必要(どの本だったか失念した。失礼!)と言うのも読んだ覚えがある。
そりゃ20ミリ弾15発で落ちるB17もあれば30発で落ちないB17もあるだろう。
でも40発当たっても落ちないB17は「幸運な機体」と言えるだろうし10発未満で落ちるB17は「不運な機体」と考えられる。
では単発機は?
これについては坂井三郎氏が20ミリ弾2発の命中で単発機を撃墜したと書いていらっしゃったのを見た覚えがある。
2発と言うのは特殊なケースかも知れないが単発機の場合、20ミリ弾数発でも撃墜される場合が多いのではないかと思う。
例え相手がP47やF6Fであっても。
問題はP47やF6Fの背後に回って1撃を喰らわす事が困難だったって事だ。
なお坂井氏はスコア64機だが「零戦の真実」92頁で「私が撃墜した敵戦闘機の大半は七ミリ七の弾幕によって捕捉したものであり20ミリで撃墜したのはほんわずか数機である。」と記述している。
それでは7.7ミリ機銃で充分に太平洋戦争を戦えるのか?
そんな事はない。
やはり撃墜王として名高い小町定氏に伺った所、「20ミリで撃つんじゃなかったら何で敵を撃つの?」と仰られた。
小町氏のスコアの大半は20ミリによる物だと言う。
一概に比べられないがスコアの大半を大戦初期に挙げた坂井氏(1942年8月8日までに59機)と大戦後半にスコアを挙げた小町氏とではかなり状況の差があるのではなかろうか。
連合軍機の防弾機能の充実化と言う点に於いて。

[136] Re:[135]痛いミスばかりで済みません 投稿者:凡龍 投稿日:2005/08/27(Sat) 11:00
>烈風や紫電改など大戦末期に登場した日本海軍機だって航続力はかなり大きい。

大戦初期の冷戦に比べて零戦52型や紫電改の航続距離が短くなった事を批判しておられる(ように解釈できる)一文を読んだ事がありました。私はそれに引きずられていたようです。

>> 勿論、新規に補充されてくる若手搭乗員は技量が低下するだけでなく頭数も減る一方なので、僅かなりとも実戦経験をつんだ搭乗員の生存率が少しでも向上するようにとの狙いもあったのでしょうが。

>う〜ん、これも...
どちらかと言えば防御力不足で損耗するのはベテランではなく若年搭乗員なんだ。

「『1/10人前の若年搭乗員がせめて半人前に育つまでは死んでくれるな』という意図で当局は防御力強化を図った」というつもりで例の文を書いたのですが・・・若年軽視のニュアンスになってしまったのは明らかにこちらの表現ミスでした。申し訳ありませんm(−−)m。

>あると思うよ(後略)。
この説明は実にわかりやすいですね。
厚さ3cmもあったらそりゃ重いわな・・・。
タンクの内壁に流動性のゴムをコートするセルフシーリング式だったとしてもやはり相応の厚さのゴムが必要なんでしょうね(でないと、タンクの殻を破った弾を減速させる事もできないでしょうし)。

>設計者の堀越技師自身が著書「零戦」のなかで「燃料タンクと操縦者の防弾の要求はまったくなかった。」と書いており丸エキストラ版5号101ページで
>は「要求のない事までやろうと言う余裕はその時はまったく無いと感じていた。」と書いている。

過大な性能要求がなされていた事が、メーカーからも用兵側からも防御性能を省みる余裕を奪ってしまったということでしょうか。

>1000馬力級エンジンだって航続力を減らせばそれなりに防御力を増やせるよ。
>逆を返すと栄だって「要求さえあったらなんとかした」と設計者が言ってるんだから。

52型丙では何とかしてましたしね。それを考えると、戦闘機の要求性能に防御力を盛り込まなかった軍部は人名軽視ではないにせよ見通しが甘かったとか思考が硬直していたとか批判されても仕方がないような・・・。

>それは九七艦戦ではなく樫村兵曹の96式艦戦ではなかろうか?

今回一番の凡ミスでした。面目ありません○| ̄|_。

今回は自分でも赤面するような初歩的ミスだらけの投稿でしたが、一つ一つに丁寧にご指摘をしてくださった阿部様には本当に感謝の言葉もありません。
これからもよろしくお願いいたしますm(−−)m。

[135] Re:[134] [131]攻・防・動、先立つ物がなかりせば 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/08/27(Sat) 08:49
> 「戦闘機にとって必要最小限の防具」と言うべき三つ道具
> ―(操縦席背後の)装甲板と自動消火装置と防漏タンクを日本軍の戦闘機が戦争末期にようやく装備できるようになったのは、防御装備による重量増加がもたらす航続距離減少を気にしなくても良くなった、つまり侵攻してくる敵に追い込まれる一方になったからだと解釈出来そうですね。

いや、そんな事はないよ。
烈風や紫電改など大戦末期に登場した日本海軍機だって航続力はかなり大きい。
防空に任ずる戦闘機だけでなく大戦末期に登場した攻撃機、爆撃機だって航続力は大きいしね。

> 勿論、新規に補充されてくる若手搭乗員は技量が低下するだけでなく頭数も減る一方なので、僅かなりとも実戦経験をつんだ搭乗員の生存率が少しでも向上するようにとの狙いもあったのでしょうが。

う〜ん、これも...
どちらかと言えば防御力不足で損耗するのはベテランではなく若年搭乗員なんだ。
ベテラン(戦闘機に限るけど)は防御力の弱い戦闘機に乗っても滅多に被弾しないから結構、大戦を生き抜いて戦後、自伝なんかを書いている。
それに比べて若年搭乗員は...
防御力が弱いと初出撃が命日となるので日記が親元へ送付される事となる。

> しかし、阿部様のご教示を拝読するに、防漏タンクの方が自動消火装置より重いように私は感じました。タンクの(おそらく外側)ゴム被覆ってそんなに重量があるのでしょうか?

あると思うよ。
空になった18リットル石油缶をもちあげてごらん。
金属構造のくせに存外、軽いから。
逆に病院などで使う水枕を空にして持ってみると...
大して容量がないくせに意外と重いだろう。
ちなみに1式陸攻21型の暫定処置として燃料タンクに貼り付けたゴム板だって30o!
とてもじゃないが水枕の比ではない。
なお自重でみると「何にも防弾なし」の22型が1863s、「翼内タンクに自動消火装置付」の52型が1876sで差は13sしかないから自動消火装置ってのはそんなに重い物じゃないらしい。

> さて、前述の三つ道具をなぜ日本軍の戦闘機(特に零戦)は最初から装備しなかったのでしょうか?
> 言わでもがなの事でしょうが結論から言えば
> 「積みたくても積めなかった」からだと思います(つまり、世間で言われるような人命軽視の精神主義ありきではないという解釈です)。

う〜ん、これも...
設計者の堀越技師自身が著書「零戦」のなかで「燃料タンクと操縦者の防弾の要求はまったくなかった。」と書いており丸エキストラ版5号101ページでは「要求のない事までやろうと言う余裕はその時はまったく無いと感じていた。」と書いている。
更に同書では「しかし要求があればできない相談でもなかった。」と書いており遂には「もし私に神の知恵があったなら幾分航続力か運動性を防弾の為に犠牲とする事を申し出たであろう。」とある。
メーカーは機能要求重視だし用兵側は人命軽視とまでは言わないが作戦重視が強いみたいだね。

> それが出来なかったのは、純粋に技術論で言うなら
> 「使えるエンジンが非力な物しか無かったから」と言う事だと思います。

どうだろう?
1000馬力級エンジンだって航続力を減らせばそれなりに防御力を増やせるよ。
操縦席背面を覆うだけなら装甲板の重量はさして重い物じゃない。
P40の場合、全体で79sだが背面部に限れば56sだ。
ガソリンの比重が0.8として70リットルに相当する。
零戦21型の燃料搭載量848リットルから70リットル少なくなり航続力が8%少なくなったとしても防弾性能を向上させるべきだったんじゃなかろうか?

> もし十二試艦戦が金星搭載機として仕様決定していたら、零戦は史実ほどラディカルな格闘性能は発揮できないとしても速度や防弾性能、機体強度等の要素も含めて史実よりバランスのとれた汎用戦闘機になっていたかも知れません(既出の意見かもしれませんが)。あまりにも多くの犠牲者を出した大戦中盤の航空消耗戦ももう少しましな結果になっていたのではと思うと残念です。

う〜ん、金星を積もうが誉を積もうが用兵側が防弾性能を要求しない限り3種の神器のうちなにひとつついてこないと思うよ。
逆を返すと栄だって「要求さえあったらなんとかした」と設計者が言ってるんだから。

> 片方の主翼が半分折られたにも拘らず無事帰投できたヒコーキもいましたね<九七艦戦。

それは九七艦戦ではなく樫村兵曹の96式艦戦ではなかろうか?

[134] Re:[131]攻・防・動、先立つ物がなかりせば 投稿者:凡龍 投稿日:2005/08/27(Sat) 01:28
阿部様。度々の親切なご説明誠に有難うございます。私も色々と学ばせて戴いており大変助かります。

「戦闘機にとって必要最小限の防具」と言うべき三つ道具
―(操縦席背後の)装甲板と自動消火装置と防漏タンクを日本軍の戦闘機が戦争末期にようやく装備できるようになったのは、防御装備による重量増加がもたらす航続距離減少を気にしなくても良くなった、つまり侵攻してくる敵に追い込まれる一方になったからだと解釈出来そうですね。
勿論、新規に補充されてくる若手搭乗員は技量が低下するだけでなく頭数も減る一方なので、僅かなりとも実戦経験をつんだ搭乗員の生存率が少しでも向上するようにとの狙いもあったのでしょうが。
しかし、阿部様のご教示を拝読するに、防漏タンクの方が自動消火装置より重いように私は感じました。タンクの(おそらく外側)ゴム被覆ってそんなに重量があるのでしょうか?

さて、前述の三つ道具をなぜ日本軍の戦闘機(特に零戦)は最初から装備しなかったのでしょうか?
言わでもがなの事でしょうが結論から言えば
「積みたくても積めなかった」からだと思います(つまり、世間で言われるような人命軽視の精神主義ありきではないという解釈です)。
日本海軍の航空機に最も要求されていたのは伝統的戦術ドクトリン(漸減作戦)の上でも日本を取り巻く情勢の変化によって生じた長距離進攻作戦の上でも共通する要目である航続距離であったことを思えば、被弾しない限りはデッドウェイトにしかならない防弾装備は優先順位を下げさせられてもある程度やむをえなかったともいえます。
勿論防弾装備皆無の機体が中・長期的にどんな事態を使う側にもたらすかは史実を紐解くまでもなく明白ですから、(先を見る目がある人なら)何とか防御装備も付けたいと思っていた筈です(1式陸攻で、11型の燃料タンクを防漏仕様にする予定だったが航続距離減少を嫌った用兵側の意見で没になったという話を聞いた記憶があります)。

それが出来なかったのは、純粋に技術論で言うなら
「使えるエンジンが非力な物しか無かったから」と言う事だと思います。
エンジン出力に余裕があれば多少の自重増加があっても性能低下を抑えられますが、低出力エンジンを使う機体の場合相当無理をして軽量化しないと当初予定の性能発揮さえ危ぶまれる事になります。現に零戦の場合、試作の段階で低出力のエンジンを選んでしまった事(金星か瑞星かの選定で瑞星になった)がその後の発展性を制約してしまったとも言われています(瑞星とほぼ同スケールの栄シリーズとしか相性が良くない機体になってしまった)。
もし十二試艦戦が金星搭載機として仕様決定していたら、零戦は史実ほどラディカルな格闘性能は発揮できないとしても速度や防弾性能、機体強度等の要素も含めて史実よりバランスのとれた汎用戦闘機になっていたかも知れません(既出の意見かもしれませんが)。あまりにも多くの犠牲者を出した大戦中盤の航空消耗戦ももう少しましな結果になっていたのではと思うと残念です。

いまいちまとまりが無い文章になってしまいましたが、これにて結びとさせていただきます。


>主翼がもげちゃとべないだろ(程度にもよるが・・・)
片方の主翼が半分折られたにも拘らず無事帰投できたヒコーキもいましたね<九七艦戦。

[133] 恐縮です 投稿者:イシカワ 投稿日:2005/08/26(Fri) 19:07
阿部デザイナーをはじめ常連のお歴々にここまで懇切に御教示いただき身に余る光栄です。
まだ解らない点が多々ありますが随分と勉強になりました。
今後とも是非よろしくお願いします。

[132] Re:[125] [124] 初めての書き込みですが 投稿者:相良 投稿日:2005/08/25(Thu) 22:55
 ご丁寧な回答、ありがとうございます。ゲームバランスを考えるならば納得です。
 ハルゼーの機動部隊と書いたのは、ラバウルを機動部隊での強襲を考案、命令したのが、彼だったと記憶していたための誤りです。

[131] Re:[126] 是非教えてください 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/08/25(Thu) 19:41
さてそれでは航空機の防御力について少々...
なお本文では広義の意味で防御力に相当する機動性能(速力や旋回性能で優越していれば被弾する確率が少ないので防御力が高いと言えない事もない)や防御火力(撃ってくる敵をやっつけたり怖がらせたりすれば被弾する確率が少なくなるので防御力が高いと言えない事もない)は扱わず防御力を純粋に「撃たれ強さを計る指標」と考える。
航空機を撃墜すると言う事は目標を飛行不能にすると言う事だ。
どの様にすれば飛行不能となるか?
主翼がもげちゃ飛べないだろう。
(程度にもよるが...)
機体がボウボウ燃えても飛べまい。
エンジンやプロペラがいかれたって飛べなくなる。
(ここで双発機の優位性が問われる。)
でも何より大事なのは操縦者を殺傷する事だ。
そこで操縦者を保護する為に防弾装甲板が装備される。
まあ通常は操縦席の背面に取り付けられるのが一般的だが前方に付けられる事もある。
背面に取り付けるのは後方から敵戦闘機に食いつかれて撃たれるのが大多数の撃墜パターンであるからに他ならないが前方につけるのは対爆撃機戦の場合、敵の防御砲火でダメージを受けるのが少なくないからであり高角砲の弾片から操縦者を守る為でもある。
彗星43型の場合、操縦席前方には5o、背面には9oの装甲板が装着されていた。
果たして航空機を守る為には何oの装甲板を装着したら良いのだろう?
そしてその重量は?
一概に装甲が厚ければ重量が大きいと考えちゃいけない。
だって操縦士の背中だけを装甲で覆うのなら20o装甲を使う事だって可能だけどエンジンから燃料タンクから床まで全てを覆うのなら5o装甲を使ったって大変な重量となる。
世界の傑作機によると防御力に定評のあるP47の操縦席背面が10o(10oと書いてあるが僕は3/8インチの9.5oだと思う)なのでまあ厚みはそれくらいあれば充分意味があるみたいだな。
(よってFw190Aの14oやMe262の16oはかなりのもんだと思う。)
問題はどれくらいの範囲を覆うかだ。
ここで装甲重量が意味をなす。
ちょっと比べて見よう。
当然の事ながら零戦21型は0sだ。
対する米軍はP40が79s、P39Qが87〜105s、P63Aが121s、堅いんで有名なF6F3型が96s、改良されたF6F5型が110sである。
空母戦記2でF6F3の防御力を9としF6F5の防御力を10として差別化したのもここらの理由による。
(残念ながら全ての航空機の装甲重量を把握している訳ではないので当て推量による所もあるが...)
「随分、重い鎧を纏っているなあ」と思われるかも知れない。
でも独ソにはもっと凄いのがゴロゴロいるのだ。
Fw190でも対地支援用に生産されたA4U3(F型やG型の原型)なんぞはエンジンの周囲や機体底面に装甲をベタベタ貼り付けたんで装甲重量は357sに及んでいるしHs129B(通称:缶切り)の装甲重量は1000sに達している。
ソ連だって負けちゃいない。
シュツルモビクとして有名なIL2は装甲板で風呂桶状の箱を作りここにエンジンから操縦席から燃料タンクまで詰め込んだ物だから最大装甲厚8oの初期型で700s(でも初期型シュツルモビクの主翼は木なんだよ)、最大装甲厚13oの最終型では950sに及んだ。
限られた機体重量を装甲にさけば燃料や爆弾などの搭載量が減るのは自明の理だ。
よってシュツルモビクの爆弾搭載量は僅か600s、Hs129Bの爆弾搭載量は250sに過ぎない。
さすが独ソは装甲の国だねえ。
まあ地上から撃ち上げる機銃弾から機体下面全てを守るんだから基本的に操縦席背面だけを防備すれば良い戦闘機の装甲重量と単純に比較はできないが。

ところで戦闘機の防御は操縦席背面に装甲板をつければそれで終わりって訳じゃない。
前述したが火災は墜落の大きな要因だ。
事に羽布張の機体は材質が布なんだから燃えたら無くなってしまう。
金属構造の機体だって火災は災厄(木製であれば大災厄!)だ。
火災を防ぐ秘訣は火を出さない事と燃えだしたらすぐに消す事につきる。
こうして生み出されたのが防弾タンクと自動消火装置である。
ひとくちに防弾タンクと言うが装甲で燃料タンクを包み「敵弾をはじくタイプ」とゴムで燃料タンクを包み「敵弾は通すが燃料はこぼさないタイプ(防漏タンク)」に分かれる。
装甲で包んだ方が頑丈そうだけど1発でも貫通したら燃料がダラダラこぼれてボウボウ燃え出すから防漏タンクの方がずっと実際的と言えよう。
(防漏タンクとまでいかないけど1式陸攻は21型663号機からタンクに30oのゴムを貼り付けたりした。)
装甲板と防弾タンクに自動消火装置。
この3つが揃えば万全なのか?
とんでもない。
この3つが揃っているのが当たり前なのである。
さて零戦はと言うと...
残念ながら21型や32型、22型の時点では3つともついてなかった。
(だから空母戦記2じゃ防御力4)
でも52型になってやっと翼内タンクに自動消火装置がつく。
(よって空母戦記2じゃ防御力6)
更に52型乙からは胴体タンクにも自動消火装置がつき防弾ガラスも導入された。
(空母戦記2では乙型はデータ化してない。してたら7。)
ついで52型丙では胴体タンクが防漏タンクとなり操縦席背面に装甲板がつけられた。
(よって空母戦記2じゃ防御力8)
凄く強くなった様に見える。
でも装甲板と防弾タンクと自動消火装置を揃えるなんてのは当たり前の事だからF4F4と同程度の8に過ぎないのである。
まあ大口径機銃弾をバリバリ撃ち込まれれば主翼がもげたり機体構造が破壊されたりするので操縦者と燃料タンクが無事でも航空機は墜落してしまうしかない。
(そうでなければ墜落する米戦闘機は0になる。言い換えれば大口径機銃をバリバリ当てるしか米戦闘機を落とす方法は無いって事だ。いや、エンジンに当てて落とすって方法も考えられるな。でも話がめんどくさくなるから今は考えないでおこう。大体、大抵の戦闘機はエンジンの後ろに操縦席がありその後ろに装甲板がある。)
だが3つ揃えたら機体重量が大きくなって機動性が低下してしまった。
なお防御力の強化は以後も進み63型では翼内タンクも防漏タンクとなる。
しかし次の64型では零戦の機動性回復が主眼となったので翼内タンクはまたもや防漏タンクじゃなくなってしまった。
(よって空母戦記2じゃ防御力7)
とまあこんな次第で零戦の防御力は変遷していったのである。
お判り頂けたかな?

[130] 火災防止でしょうか 投稿者:うらマッハ 投稿日:2005/08/25(Thu) 11:03
> よく零戦は防御力が弱く米軍機は強かったと言われますが防御力の強弱は具体的にどの様な事をさすのでしょうか?

僕も独断と偏見でコメントさせていただきます。
ゲームでの防御力に大きく関わってるのは、燃料タンクの防弾装備だと僕は思います。翼内タンクをゴムで覆った一式陸攻34型が、それまで型より防御力が一気に1から7まで上がっていたりしてます。撃墜の原因に火災が多いそうですから、火災防止に努めると撃墜率が下がるんでしょう。
あと、戦闘機だと座席の後ろに鉄板を入れると効果的、みたいなことがよく本にかいてあります。
燃料や搭乗員のように、一発でも被弾するとやばい所を守るだけで、撃墜率はかなり下がるものなんだと思います。

[129] 無題 投稿者:扶桑 投稿日:2005/08/25(Thu) 10:55
嵐様
>>日本軍の被害と連合軍の被害が
>>連合軍の戦果と日本軍の戦果になると思いますが

 必ずしもそうではありません。何をもって「戦果」とするのかにもよりますが、発着時の事故、航法ミスによる未帰還等の戦闘以外の要因での喪失は相当の数に及んでいます。
 よく言われている逸話ですが、レイテ直前の日本機動部隊のパイロットは練度の低下著しく、発着艦訓練で毎日数名の事故死者を出す状態であり、それが「着艦で死ぬなら、帰らないで体当たりしたほうがましだ」という空気を生み、体当たり攻撃の意識的な下地ができた、というものがあります。 このように末期の日本軍の事故喪失数は増え、「日本軍の被害」=「連合軍の戦果」とは言いにくいものがあります。

また、
>>撃墜数と被撃墜数を知りたいのですが
>>正確な資料を持ち合わせていません。
「正確な資料」は現実的には存在しません。有名な零戦の初陣では「27機を全機撃墜。こちらの被害ゼロ」というのが通説ですが(先日のTVでもそう言っていた)、中国側の記録では「被撃墜13機」とあります。また、零戦1機が着陸に失敗大破したという話もあり、真実は神のみぞ知るといったところです。(一応、正式な記録にある「自軍の喪失数」はかなり正確だと思っていいでしょうが)

詳しくは阿部さんのコメントを待ちましょう。

[128] Re:[126] 独断と偏見ですが 投稿者:まつかぜ 投稿日:2005/08/25(Thu) 00:27
>>イシカワ様
はじめまして。たまにお邪魔してるまつかぜと申すものです。
大胆にも、一番槍めいたコメントを出させていただきます。(苦笑)御笑覧を。

> よく零戦は防御力が弱く米軍機は強かったと言われますが防御力の強弱は具体的にどの様な事をさすのでしょうか?

まず被弾についての備えとして、
 搭乗員、飛行機能防護のための防弾装甲
 火災発生予防と火災延焼防止、消火のための「いろいろ」
が挙げられると思います。
あと、ソフトウェアとして、
 被弾時、火災時の処置についての訓練水準
が入ってくるかな。
零戦については、防御、防弾についての配慮が、ほぼ全くなされなかったという意味で、日本の軍用機でも例外的な存在では、と考えてます。

> 太平洋戦記2や空母戦記2でも各航空機の防御力がデータ化されていますが今ひとつ意味が理解できません。

詳しくは阿部さんのコメントを待ちましょう。(無責任w

ジェット機の防御力が大きく設定されているのは、燃料の燃えやすさを配慮してあるのでは、と思います。
震電の防御力を大きくしてあるのは、正面からの「殴り合い」をきちんと想定した設計だったから、かな?

> 航空機は何発くらい被弾したら撃墜されるのでしょうか?

その飛行機の大きさ、性能、被弾部位、弾の種類、等々
色々ですので、一概に言えないのでは、と思います。
小銃弾1発で落ちる場合もあれば、機関砲弾何発も食らって落ちなかった事例もあります。

と、主観で回答めいたコメントを無謀にも出しちゃいました。
そのまま参考にはなさらないように(汗
諸賢の訂正、補足、突っ込み、よろしくお願いします。

[127] 零戦の性能とか 投稿者: 投稿日:2005/08/25(Thu) 00:08
いろいろな話がありますよね

私は性能を見る材料として
撃墜数と被撃墜数を知りたいのですが
正確な資料を持ち合わせていません。

日本軍の被害と連合軍の被害が
連合軍の戦果と日本軍の戦果になると思いますが
それを比べると、どうなるのでしょう。

防御を無視して、機動力を確保したと言われる零戦ですが
中期以降はマイナスに作用したと思いますが
開戦当初はどうだったんでしょう…興味あります

[126] 是非教えてください 投稿者:イシカワ 投稿日:2005/08/24(Wed) 14:26
皆様、はじめまして。
イシカワと申します。
僕も質問したい事があります。
よく零戦は防御力が弱く米軍機は強かったと言われますが防御力の強弱は具体的にどの様な事をさすのでしょうか?
太平洋戦記2や空母戦記2でも各航空機の防御力がデータ化されていますが今ひとつ意味が理解できません。
それと航空機は何発くらい被弾したら撃墜されるのでしょうか?

[125] Re:[124] 初めての書き込みですが 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/08/22(Mon) 14:36
>ラバウル基地がゲーム上ではあまりにも脆弱に感じてしまうのです。

まったくその通り。
これはマップサイズとシステム上の問題に起因する。
空母戦記2のキャンペーンシナリオでビスマルク諸島マップに存在する飛行場はラバウル1カ所だけなんだがひとくちにラバウルと言っても実際には北飛行場、東飛行場、ブナカナウ飛行場、ココポ飛行場、トベラ飛行場の集合体である。
僅か長さ6qに過ぎない硫黄島ですら北、元山、千鳥の3飛行場だ。
これらを全てマップ上に登場させる訳にはいかない。
なにしろ空母戦記2のマップは1ドット1.8q(1浬)だから。
よって数箇所の飛行場を1飛行場としてデータ化してるので1撃でやられてしまい脆弱なのである。
それとシステム上の問題。
キャンペーンで両軍の真ん中に相当するビスマルクやトラックに「難攻不落の大飛行場群」が登場すると手詰まりになってにっちもさっちもいかなくなってしまう。
それでラバウルあたりは史実よりかなり弱めに設定したと言う次第。
(ラバウル航空隊が弱くてガッカリするかも知れないが攻める段になって考えれば飛行場が弱いと大助かりなのだ。)
つまり史実よりキャンペーンのゲームバランスを優先させたのである。

>それに、陸上の据え付け高射砲は、艦船のそれに比べ命中精度がよかったと言われております。

そう言った話もあるにはあるんだけど陸上の高射砲は広範囲に点在しており必ずしも集中して火力を発揮できない。
実際の航空戦で陸上高射砲による航空機の損害がさほど大きくないのはマリアナに対する米軍機動部隊の空襲やガダルカナルなどに対する日本軍機動部隊の空襲を見てもお判り頂けよう。
また命中精度が良いと言っても「格段に良い」と言ったレベルでもないと思う。
動揺が無い為に若干、命中精度は向上するんだけど射撃指揮装置を含めたシステム全体から見れば艦載砲の方が優れている場合が多い。
更に艦載砲をそのまま陸上へ移設したケースについても深田正雄著「軍艦メカ開発物語」では「けっして有り難い状況ではなく保守の面でもいろいろ苦労があったものと思われる。」と記述している。

なおハルゼー提督が空母機動部隊を指揮してラバウルを空襲した事はないのではないだろうか?
1943年11月にラバウルを襲った米空母部隊の指揮官は第38機動部隊がF・C・シャーマン提督、第50機動部隊はポーネル提督だったし。

[124] 初めての書き込みですが 投稿者:相良 投稿日:2005/08/22(Mon) 01:22
 初めまして、今から十数年前に発売されていたPC−98時代のグロスドイッチェラントの頃からのファンです。
 空母戦記2は、陸上基地に対する機動部隊のアドバンテージを緻密なデーターで再現されており、連合軍機動部隊がトラック、マリアナ基地航空隊を一方的に葬った理由が納得させられます。
 ただ、複数の飛行場、滑走路を有し、陸軍だけで54門以上、海軍の高角砲を含めると100門以上の高射砲を有し、二年近くの航空消耗戦、ハルぜーの機動部隊の襲撃にもどうにか持ちこたえた、ラバウル基地がゲーム上ではあまりにも脆弱に感じてしまうのです。それに、陸上の据え付け高射砲は、艦船のそれに比べ命中精度がよかったと言われております。
 ゲーム上の仕様と言われれば、それまでですが、お時間がありましたら、陸上飛行場のデーター化について、ご教授いただけませんか。

[123] Re:[119] アップデートのお知らせ 投稿者:kt 投稿日:2005/08/13(Sat) 20:04
ver.upお疲れ様でした。
残暑厳しい折でもあります。くれぐれもお大事に。

[122] 感謝感謝〜 投稿者:モー太郎 投稿日:2005/08/13(Sat) 13:15
このアップデートを待ちこがれていました。
これ待ちで、プレイを控えていたほど。
思ったより早いアップデートで、喜びひとしお。
お盆休みに間に合わせるという、心憎い努力感謝致します。

プログラムご担当者の完全なご回復お祈り申し上げます。

[121] Re:[119] アップデートのお知らせ 投稿者:のりくん 投稿日:2005/08/13(Sat) 06:43
スタッフの皆様
空母戦記v1.3のリリース、大変有難う御座います。
いよいよ臨場感が増してくれるものと期待しています。

通信対戦機能ももちろん大切ですが、病気の回復期に無理は禁物です。プログラムのご担当の方も決して無理はなさらずに、バランスよくお仕事へと復帰されることを切に願っております。

[120] Re:[119] アップデートのお知らせ 投稿者: 投稿日:2005/08/12(Fri) 21:57
ようやくの音源搭載をよろこんでおります
早速 DLしたいと思います

プログラマーさんにもよろしくお伝えください。

[119] アップデートのお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2005/08/12(Fri) 18:26
本日『空母戦記2』アップデートプログラムVer1.3をリリースいたしました。
今回のアップデートではBGMと効果音が搭載されております。詳しくは「ダウンロードサービス」のページをご覧下さい。
長らくお待たせして大変申し訳ございませんでした。

まだプログラム担当が入院中であり外出許可を得ての作業となりますので通信対戦機能につきましては後日となります事を御容赦下さい。

[118] Re:[117] [116] 沿岸砲台と戦艦 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2005/08/10(Wed) 00:48
皆様お久しぶりです。

> フューリアスの46p35口径砲(正確には457oで18インチだ)はモニター艦の主砲に転用された後、最終的にはシンガポール要塞へ設置された。
> (そのシンガポール要塞は日本軍によりあえなく陥落した訳だがこの砲はその後どうなったのかな?)

日本軍は無傷で確保できたんでしょうか?
できたとしても相当、大きな砲でしょうから移動させるのは大変、困難だと思います。
だとすれば日本の降伏後、再び英軍の手に?
今でもあると面白いですね。

> また日本海軍の八八艦隊用40p45口径砲も軍縮条約で搭載する艦が無くなったので釜山要塞、壱岐要塞、対馬要塞などへ設置されている。

なるほど、製造した砲は無駄にはならなかったんですね。

> それにしても1940年度計画完遂時には戦艦が旧式15+新式25で38、空母が18となる訳だがこれでは戦艦偏重(空母は全体の32%)としか言いようがない。
> これが条約失効後に米海軍が描いていた「理想の艦隊編成」である。

今更ながら米国の強大な国力に恐れ呆れました。
5:5:3の比率どころじゃありませんね。

[117] Re:[116] 沿岸砲台と戦艦 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/08/07(Sun) 16:56
> それでも、航空機が活躍し始めるまで戦艦が主力艦だったのは、戦艦が地上砲台より強力な大砲を持っていたからだと思います。
> 地上砲台は艦砲よりも命中精度は高いですが、あまり大きな大砲は反動の問題で据え付けられないんだそうで、カノン砲だとせいぜい30センチ砲くらいが限界だそうです。

う〜ん、それはどうかな?
ドイツには80pの列車砲があるし戦艦の主砲をそのまま転用した要塞砲が世界各地にある。
フューリアスの46p35口径砲(正確には457oで18インチだ)はモニター艦の主砲に転用された後、最終的にはシンガポール要塞へ設置された。
(そのシンガポール要塞は日本軍によりあえなく陥落した訳だがこの砲はその後どうなったのかな?)
また日本海軍の八八艦隊用40p45口径砲も軍縮条約で搭載する艦が無くなったので釜山要塞、壱岐要塞、対馬要塞などへ設置されている。

さてそれでは「もしも真珠湾奇襲で太平洋戦争の幕が開けなかったら米海軍はどの様な艦隊編成をめざしていたか?」を考え「米海軍から見た戦艦の重要性」を検証してみよう。
御存知の通りワシントン、ロンドンの両軍縮条約で列強海軍は好むと好まざるとに関わらずいびつな艦隊編成を取らざるをえなくなった。
米海軍の場合、戦艦15隻、空母6隻(3隻未成)、重巡18隻(2隻未成)、軽巡19隻(9隻未成)、新式駆逐艦73隻(43隻未成)の状態で1937年の条約失効を迎えたがこの艦種比率はもとより米海軍が望んだ物ではない。
(条約に参加した各国海軍全てにフラストレーションが発生したと言えよう。)
よってどの程度の数の戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦で艦隊を編成するのが最適か各国海軍の思想は無条約時代に突入して初めて明らかとなる。
まず米海軍は1937年度計画で戦艦2(ノースカロライナ型)を建造した。
驚くべき事に1937年度艦はこの2隻だけで空母、巡洋艦、駆逐艦ともに皆無である。
次に1938年度計画で戦艦4(サウスダコタ型)、空母2(ホーネットとエセックス)、駆逐艦8(リバモア型)の予算を承認する。
更に1939年度計画で戦艦2(アイオワ型)、巡洋艦4(アトランタ型:ただしこの4隻を38年度とする資料も多い)、駆逐艦8隻(リバモア型)が加わる。
ここでちょっと合計して見よう。
戦艦8、空母2、巡洋艦4、駆逐艦16だ。
なんとも戦艦だらけで空母と駆逐艦が極端に少ない。
えっ?
そのあとでエセックス型空母を量産するから心配いらないって?
それでは1940年度計画を...
戦艦がアイオワ型4とアラスカ型6、モンタナ型5で実に15隻、空母がエセックス型10、巡洋艦がバルチモア型8(4とする資料もある)、クリーブランド型34(4隻とする資料もある)、アトランタ型4,駆逐艦8(リバモア型)でやはり断然、戦艦が多い。
ちなみに年度計画艦は必ずしも年度内に起工される訳ではない。
予算が承認され建造命令が発令されるだけだ。
アラスカ型などは6隻とも1940年度計画だが1番艦が1941年12月起工で1944年6月竣工、2番艦が1942年2月起工で1944年9月竣工、3番艦が1943年12月起工で建造中止、4〜6番艦は1943年6月の段階で計画中止となった。
モンタナ型6隻なども1940年6月に予算が承認され同年9月に建造命令が発令されたものの1943年7月に計画中止となっている。
逆に1941年度計画ではリバモア型72隻とフレッチャー型135隻が承認されたがこれらのうちリバモア型は前倒しで1939年から起工された。
(そうでなけりゃ駆逐艦不足でとても戦えなかっただろう。)
まあ言いたい事は「意外と戦前の米海軍は空母を軽視した大艦巨砲主義」であり「真珠湾奇襲ショック」で柔軟に方針を切り替えたと言う事だ。
もしも開戦が1年遅かったら大部分の米戦艦は既に起工していたろうから「とんでもなく戦艦だらけの艦隊」で日本と戦う羽目になっていたのかなあ...
いや、クリーブランド型巡洋艦を片っ端からインデペンデンス型軽空母に改装したくらいだ。
いざとなればアラスカ型やモンタナ型を空母に改装する位、米国にとっちゃ朝飯前かもしれない。
それにしても1940年度計画完遂時には戦艦が旧式15+新式25で38、空母が18となる訳だがこれでは戦艦偏重(空母は全体の32%)としか言いようがない。
これが条約失効後に米海軍が描いていた「理想の艦隊編成」である。

なお日本海軍の場合、開戦時兵力が戦艦10、空母10で空母は全体の50%となり米軍より随分、航空重視に見える。
更に1941年度計画までの兵力として戦艦4(大和、武蔵、信濃、111号艦)、空母6(大鳳、雲龍、祥鳳、龍鳳、隼鷹、飛鷹)を加えると戦艦14、空母16となる。
だけど大和型と改装空母を等価に考えちゃおかしいから大和型1隻を2隻分として考えると戦艦は18隻相当になり空母16から護衛空母と旧式の鳳翔を除き軽空母を0.5隻として計算すると空母も12隻相当に減る。
となると全体の空母比は日本海軍の場合、40%で米軍よりちょっとマシ程度になる。

[116] 沿岸砲台と戦艦 投稿者:うらマッハ 投稿日:2005/08/06(Sat) 20:56
楽しそうなので僕も書き込ませてください。

戦艦は水上決戦になると、意外と活躍できなかったりするものだと僕も感じます。巡洋艦や駆逐艦だけでも水上決戦できんじゃないの?みたいなことを考えたりしてしまいます。

それでも、航空機が活躍し始めるまで戦艦が主力艦だったのは、戦艦が地上砲台より強力な大砲を持っていたからだと思います。
地上砲台は艦砲よりも命中精度は高いですが、あまり大きな大砲は反動の問題で据え付けられないんだそうで、カノン砲だとせいぜい30センチ砲くらいが限界だそうです。
地上砲台は、巡洋艦や駆逐艦相手には圧倒的有利に戦えますが、戦艦相手だとやられっぱなしになると思います。
敵艦隊を水上決戦でやっつけようとするのも、敵に戦艦がいれば沿岸砲台では太刀打ちできないからだと思います。戦艦さえやっつければ水上決戦の目的も達することができるんだと思います。

戦艦は、巡洋艦や駆逐艦よりも攻撃的な兵器だったんだと思います。
航空機やロケットの登場によって、戦艦の攻撃性が失われ無用の長物呼ばわりされるようになったんでしょう。

[115] Re:[114] [113] [112] 戦艦大和 投稿者:凡龍 投稿日:2005/08/05(Fri) 23:28
一ヶ月ぶりです。

> でも夜戦だと駆逐艦や巡洋艦も活躍するので、戦艦と言えども主役にはなれないかも(w

レーダーの有無に拘らず夜戦の決戦距離は昼間のそれよりだいぶ短くなりますから、ドレッドノート級以来ひたすら遠距離砲戦に特化して進化し続けてきた戦艦にとっては却って不利になると言えます。
現に第3次ソロモン海戦ではサウスダコタが重巡の三式弾で上部構造をやられ、スリガオ沖海戦では西村艦隊が魚雷艇に行動の自由を封じられています。

もし航空機の進歩が大幅に遅れて、太平洋戦争が水上艦同士の戦い中心で繰り広げられたとしたら、戦艦同士の昼間砲戦がまず行われる事は確実でしょうが、そこで日米どちらが勝ったとしてもその後の夜戦で昼間勝った側の優位が覆される可能性が大きかったと思います。その結果日米どちらが戦争で勝利(十中八九亜米利加の勝ちになるでしょうが)しても、
「戦艦は強力だが効率が悪い」と言う結論が導かれて戦艦は遅かれ早かれ主力の座を退く事になっただろうと思います。

戦艦の「売り」の一つである遠距離攻撃能力にしても、誘導弾(ロケットもしくは魚雷)が戦艦の加濃砲より遙かに良好な費用対効果で代替することになると思うのでやはり昼間の海でも戦艦はミサイルを積んだ巡洋艦や駆逐艦に取って代わられる運命だったと思います。史実では、「弾頭を切り離して戻ってこられる有人誘導弾(苦笑)」と言うべき飛行機のほうがミサイルより先に発達したので彼らが戦艦(ドレッドノート級の娘のそのまた子孫)のコストエフェクティブネスの悪さを証明してしまったようなものですが。

尤も第一次世界大戦後の戦艦の発達(軍縮条約の期間中も水面下でハード・ソフト両面の研究は継続されていたはずです)はユトランド沖海戦の戦訓を「誤解」したところに端を発したともいえますから、(航空機の殆ど活躍しないもう一つの歴史での)第二次大戦でも同様のことを戦勝国側の海軍関係者がやってしまったとしたら、その後も戦艦が主力艦として暴走的な進化を続ける可能性はありますが。

[114] Re:[113] [112] 戦艦大和 投稿者:ウシヲ 投稿日:2005/08/04(Thu) 03:14
社長@永鉄管理人様
レスありがとうございます。

> 確かに巨大戦艦は当時無用の長物になっていました

昼戦の主役の座を空母に奪われ、結局ソロモンやスリガオとかの夜戦でしか活躍できませんでしたからね。
でも夜戦だと駆逐艦や巡洋艦も活躍するので、戦艦と言えども主役にはなれないかも(w

[113] Re:[112] 戦艦大和 投稿者:社長@永鉄管理人 投稿日:2005/08/01(Mon) 14:07
>空母戦記2をやってると大和の替わりに大鳳型2隻か雲龍型3隻があった方が良いと思うのですが、
>皆さんはどうでしょうか?
確かに巨大戦艦は当時無用の長物になっていました
そのきっかけを作ったのは他ならぬ日本による真珠湾攻撃で
戦艦が洋上決戦するという時代はそこで終わってしまったんですね・・

戦後60年という事で色々な物が放送されていますからなかなか見逃せません

ちなみにBS2で2日 1715〜1800 総合で4日 2425〜2510に「大和」の放送があります
(関東圏での予定ですので他の地域の方は各自確認して下さい)

[112] 戦艦大和 投稿者:ウシヲ 投稿日:2005/08/01(Mon) 00:22
みなさんこんばんは。
この前NHKの「その時歴史は動いた」で戦艦大和の最期についてやってました。
さすがに世界最大の戦艦だけあって圧巻です。
ですが空母戦記2をやってると大和の替わりに大鳳型2隻か雲龍型3隻があった方が良いと思うのですが、皆さんはどうでしょうか?

[111] Re:[110] 無題 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2005/07/26(Tue) 19:55
現在の所プログラム担当は入院しております。
容態が良くなり次第、病院に外出許可を貰い少しでも作業を進めたいのですがまだ予定が立ちません。
お待たせして申し訳ございませんがもうしばらくお待ち下さい。
御心配いただき誠に有り難う御座います。

[110] 無題 投稿者:のりくん 投稿日:2005/07/26(Tue) 09:29
スタッフの皆様
プログラマーの方のお具合はいかがでしょうか?
一日でも早くご健康を取り戻して頂き、再びご活躍下さることをお祈りしています。
現時点での、空母戦記2についてのアップデートスケジュールはもうお決まりでしょうか。可能であればお知らせ下さると助かります。

[109] 発言削除のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2005/07/22(Fri) 19:31
掲示板では要望の受付は行っておりませんので、発言109を削除いたしました。
要望はメールにてお送りいただければお答えできますので、宜しくお願いいたします。

[108] Re:[107] 改めて・・・・ 投稿者:阿部隆史 投稿日:2005/07/18(Mon) 19:52
> ちなみに部隊の呼び出し符丁は「19185」だったそうです

日本陸海軍部隊要覧(新風書房)24頁によれば19185の符号をもつ部隊は第13航空通信連隊である。
でもこの資料の方が間違ってるのかも知れない。
なお第244戦隊(編成地は調布)は34213だけど19○○○番台で終戦時、内地に展開していた航空部隊としては独立第4飛行隊(19031)、246戦隊(19196)、独立第82中隊(19529)、23戦隊(19026)、110戦隊(19030)、独立第3飛行隊、独立第83中隊(19530)などがある。
これらのうち独立飛行隊と独立飛行中隊は全て司偵部隊、110戦隊は重爆部隊だ。
となると残りは23戦隊と246戦隊なんだけど終戦時の保有機は23戦隊が1式戦28、2式単戦20、246戦隊が2式単戦17と4式戦7で5式戦は存在していない。
まあ色々と謎は深まるばかりだけど人間の記憶は錯綜するし活字の信頼性だってあやふやなんだからあまり気にしない方が良いと思う。

[107] 改めて・・・・ 投稿者:黒鯱 投稿日:2005/07/17(Sun) 18:32
聞いてみた所、調布でした。 私の聞き間違いだったのかも。
ちなみに部隊の呼び出し符丁は「19185」だったそうです

[106] ありがとうございます! 投稿者:黒鯱 投稿日:2005/07/15(Fri) 22:23
九十近い方ですので勘違いもあるかも知れませんね、ぼちぼち聞いてみます。
終戦後故郷に帰る途中、広島駅に寄ったそうです(陸軍の知り合いをたずねて)駅の近くの連隊?本部に近づいて見るとほんとに地獄があったそうです、「死体がすべて火葬されるまで結構期間があったんですね」と聞いたら、「まず生き抜く方が大切だったからね」といわれました。

[105] 近衛戦闘隊・つばくろ部隊・244戦隊? 投稿者:ハルトマン 投稿日:2005/07/15(Fri) 00:00
 黒鯱さんはじめまして、私もその千葉の方は、244戦隊の可能性が高いと思いますが、すみません、千葉の・・と言うところが引っかかります・・・!?。資料を調べてみると千葉方面で終戦時、三式戦を装備していたのは、昭和19年2月10日に編成完結した飛行第18戦隊、編成の担当は調布飛行場の244戦隊(昭和17年4月144戦隊を改称)でした。つまり244戦隊が母体(原隊)となる訳です。
 飛行第18戦隊は、
  使用機種  キ61(三式戦)・キ100(五式戦)
  作戦地域  フィリピン・日本本土・千葉県松戸終戦
  昭和20年4月7日Bー29、4機撃墜内1機体当たり で、小宅光男中尉が武功徽章を授けられています。
  また、他の資料では千葉県柏とする資料もあります。
  (パレンバンの第18練成飛行隊とは違うので注意。)

 当時の軍隊、特に下級の兵士・下士官の原隊意識は、現代の我々の入社時点の会社や支店対する帰属意識より、比べ物にならないくらい激しいものであったと言われます。その方が調布244戦隊が原隊なら、ご高齢であることなどから十分勘違いという事も考えられます(私も第一師団1連隊・3連隊の方々への28師団編成時の事情聞き取りで同様の経験をしました)。

 また、私の業界に、244戦隊に所属されていた社長さんがいらっしゃいましたが、「新米乗せて敵に突っ込ませる飛行機だった」かも知れないが、三式戦(飛燕)に乗れたのは嬉しかったと言います。その社長(終戦時伍長)は、244戦隊が滋賀県八日市で終戦を迎えた時、若干の新米者と調布基地に居たそうです。
 この辺にその当時の部隊移動、編成変えの実態把握の難しさや、体験者からの聞き取りの難しさがあります。
 
 是非、今後もそのような方の貴重な体験談を出来うる限り聞いてみて頂けるなら、それは現代に生きる我々の財産でありますので、またいろいろ教えて下さい。 

[104] ゲームの内容ではないのですが・・・・A 投稿者:黒鯱 投稿日:2005/07/14(Thu) 23:20
確認したら244戦隊でした、ちょうどテレビで中島飛行機工場近くの1t爆弾の不発弾のニュースをしていましたので聞いたら、「二発の命中で、あのでかい工場が半壊した」と言われてました。 終戦直後はあの辺にゴロゴロしていたそうです、分解して火薬を広げて焼いて処理してたそうです。

[103] Re:[101] ゲームの内容ではないのですが・・・・ 投稿者:鏑木兵衛 投稿日:2005/07/13(Wed) 19:55
黒鯱さんはじめまして。
五式戦を装備した200番台の部隊と言えば、小林少佐の244戦隊でしょうか?
いずれにしても貴重なお話を聞けて羨ましい限りです。

[102] 近況報告 投稿者: 投稿日:2005/07/12(Tue) 21:51
最近、ネット上で何もしていないように見える嵐です。
先日 TOP写真だけを変えましたが 中身まではいじれていません。
すみません。

さて 仕事は8月5日まで、休みがないようです。
たまたま仕事がなければ、休めるかもしれませんが
勤務表に休みの二文字はありません。

休み明けの8月6日から九州、呉方面に遊びに行きます。
時間があえば海事博物館でお会いできるかもしれませんね。

[101] ゲームの内容ではないのですが・・・・ 投稿者:黒鯱 投稿日:2005/07/10(Sun) 22:20
今も太平洋戦記2に燃えてる介護職です。今日入所の方と話していると、五式戦のパイロットだった方がいました!しかも二人!
一人は名古屋方面、一人は千葉の2○○戦隊(忘れました・・)
千葉の方は飛行時間は5000時間程、この方は痴呆はないため色々な話をしてくれました。日華事変くらいから乗っておられたそうで終戦後日航の誘いを断り田舎に帰られたそうです。
終戦間際に銚子沖を偵察中、グラマンに追いかけられ、燃料切れになり陸は山ばかりのため海に不時着し、怪我したのが最大の怪我だったそうです。  その方に英米の戦闘機で一番嫌だったのはどれですか? と聞いたら以外にP40と答えられました、「あれは早いし翼全体から撃ってきたから恐ろしかった」と言われてました。  三式戦について聞いたら「あれは稼動が上がらんかったから最後には、新米乗せて敵に突っ込ませる飛行機だった・・・なんで上はあんなことしたんだろか?
」と話されてました、名古屋の方は痴呆があるためほとんど聞けなかっのですが、千葉の方の話によると終戦間際にB29を撃墜し感状をもらったそうです、本人も撃墜され、火傷の治療中に終戦だったそうです。
そんな話を聞き、今日も本土防空戦をやってます。
最後に二人とも「逃げ足が良かったから生き残った」って感じで言われたのが印象的でした。
乱文ですいません、あと十年もしたら多分聞けない話だろうから書いてみました。


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