3連装砲塔から始まり造船所へと続く話

大和型は日本海軍艦艇としてはかなり特殊な艦型である。
大きいからではない。
3連装砲塔を主砲と副砲で7基も装備しているからだ。
日本海軍は数多の艦艇を建造してきたが3連装砲塔を装備したのは大和型の2隻と大淀、それに改装前の最上型に過ぎない。
これらのうち最上型4隻は20センチ連装砲塔に換装(そうでなければ大和型や大淀に15.5センチ3連装砲塔は回ってこない)したから大戦中の日本海軍艦艇で3連装砲塔装備艦は僅か3隻のみとなる。
超大和型も主砲は連装砲塔、副砲は廃止となる予定だったから大和型と大淀の3隻が如何に特殊であったかがお判り頂けるであろう。
それでは他国はどうであったろうか?

まずは3連装砲塔の本場、米国だ。
戦艦では1916年に竣工したネバダ型が連装と3連装を混載したのに始まりアリゾナ型、ニューメキシコ型、テネシー型、ノースカロライナ型、サウスダコタ型、アイオワ型、アラスカ型と3連装砲塔装備の戦艦を建造し続けた。
コロラド型?
あれはテネシー型に無理矢理、40センチ砲を装備する為に連装とした略同型艦だから特別なのだ。
その他の艦艇についても防空巡洋艦や駆逐艦などの軽快艦艇、空母などを除くとまともな巡洋艦で連装砲塔を装備したのはオマハ型が最後で以降はずっと3連装砲塔(ペンサコラ型は混載だけど)を装備し続けている。

うーすたあ?
あんなものは大きめの防空巡洋艦に過ぎないよ。

次は英国。
戦艦ではネルソン型を皮切りに次のキングジョージ5世では4連装と連装の混載となったが最終到達点のライオン型では再び3連装に戻る予定であった。
ばんがあど?
あんなものは廃物利用のエコ戦艦に過ぎないよ。
巡洋艦では防空巡洋艦を除くと1938年以降に竣工した全てが3連装砲塔を装備している。
つまりサザンプトン型10隻とフィジー型17隻だ。
英巡洋艦を見た時に3連装砲塔を装備していたら「新型だな!」と言えばまず間違いない。

お次はイタリア。
もちろん、ここは3連装の本家である。
戦艦では世界初の3連装砲塔装備艦であるダンテ・アリギエリ型を皮切りに連装との混載でC・D・カブール型、カイオ・デュイリオ型と続け無条約期のリットリオ型へ発達(未成艦のカラッチオロ型だけは連装だった)した。
これらの戦艦の副砲にも3連装砲塔が採用されているから「イタリア戦艦の3連装砲塔熱」は相当な物である。
ただし巡洋艦ではあまり3連装砲塔は採用されず最終発達型のアブルッチ型で3連装と連装の混載となった。
これの後継であるチアノ型も混載の予定だったから「もし戦争がなかった」としたらイタリア巡洋艦も3連装が主流となったかも知れない。

フランス。
ここの戦艦は3連装を飛び越して4連装に行っちまったぜい。
さすがアバンギャルドの国だ。
でもね、リシュリュー型の後部に装備している副砲は3連装なんだよ。
巡洋艦もエミール・ベルタンで3連装砲塔を実用化し、ついで6隻のガリソニエール型(更に略同型艦3隻が建造されたが未成もしくは戦後竣工)が量産された。
フランス海軍の3連装砲塔に対する取り組みもなかなかの物である。

今度はソ連。
ここは隠れた3連装砲塔のメッカだ。
最初のド級戦艦であるガングート型から始まりI・マリア型、未成に終わったボロジノ型、S・ソユーズ型、クロンシュタット型など「3連装砲塔を装備せねばソ連/ロシア戦艦に非ず(貸与艦は除く)」と言ったくらい3連装漬けである。
巡洋艦も然り。
初の近代的巡洋艦であったキーロフ型2隻から始まりM・ゴーリキー型4隻、チャパエフ型7隻(2隻は未成、ただし未成艦6隻とする資料もあり)、スベルドロフ型25隻(竣工は14隻、他は未成)が建造された。
これまた「3連装砲塔を装備せねばソ連巡洋艦に非ず(貸与艦は除く)」なのである。

おしまいにドイツ。
ここは日本と同じく3連装砲塔には冷淡でポケット戦艦にサイズ的問題から装備した以外には採用せずビスマルク型、H型では連装砲塔とされた。

しゃるんほるすと?
あれは英独海軍協定のカラミで急に建造する事になったものだから38センチ連装砲塔が間に合わず、臨時措置としてポケット戦艦の砲を改修した物なのだ。
巡洋艦はベルサイユ体制下で15センチ3連装砲塔を装備したK型3隻及び改良型2隻を建造しているけど、ついで計画されたM型では連装になってるしなあ・・・
あんまり3連装に思い入れは無いみたいだね。
きっと発射速度が低下するのがイヤだったんだろう。

さて、こうして見ると各国、様々に3連装砲塔に取り組んで来た事が判る。
もっとも関心の薄そうなドイツだって「第2次世界大戦に参加した戦艦及び巡洋艦の半数以上の主砲」が3連装だし「無条約になって以降は3連装もしくは4連装ばっかり」ってのが世界的趨勢なのだ。
よって大和型ってのは世界的に見れば「大きいけど何の変哲もない戦艦」と言えよう。
だが日本海軍に於いては「たった3隻しかない3連装砲塔装備艦」として異彩を放っていたのである。

それではここで「なぜ日本海軍に3連装砲塔が少ないか?」を振り返ってみよう。
まず七大海軍国(米英日仏伊独ソ)がいつから3もしくは4連装砲塔の主力艦を保有したかを時期的に考えてみる。
伊は1913年に世界初の3連装砲塔戦艦を竣工させた。
ソ連(ロシア)は第1次世界大戦勃発時の1914年から3連装砲塔戦艦を続々と竣工させている。
米が3連装砲塔装備の戦艦を竣工させたのは第1次世界大戦中の1916年である。
仏はネーバルホリデイ中の1936年に竣工したダンケルクで史上初の4連装砲塔艦を世に送り出したが4連装砲塔自体は1913年に起工したノルマンディー型戦艦で先鞭をつけており決して多連装砲塔の後進国ではない。

一方、第1次世界大戦を連装砲塔で凌いだ独は屈辱のワイマール体制下でやむなく建造されたポケット戦艦ドイッチュラントで3連装砲塔の仲間入りをした。
1933年4月の事である。
英国は連装砲塔の王道を突き進んだが、ダインコートの頭がおかしくなったせいなのか、フィッシャー提督への怨念のせいなのか判然としないがG3型やN3型などの未成艦設計を経て1927年に3連装砲装備のネルソン型を竣工させた。

一方、日本海軍はネーバルホリデイ明けの1937年、七大海軍国中、唯一の大口径多連装砲塔未経験国であった。
なぜ、日本海軍はかくも連装砲塔に執着したのか?
それはひとえに師匠の英海軍が連装砲塔一筋(ダインコートがとんでもない道に引きずり込んでしまったが)だった為だが「連装砲塔をずらっと並べて船体長を長くし高速化を図った為」と「数撃ちゃいい多連装なんて目もくれずひたすら巨砲主義を信奉した為」である。
だから3連装砲塔の戦艦なんて大和型コッキリで終わりであり次には超大和型となったのだ。
(乙砲を装備した超甲巡もあるにはあるけどね)
次に巡洋艦の3連装砲塔だが独のK型軽巡1番艦の竣工が1929年、英のサザンプトン型軽巡1番艦の竣工が1937年、米のペンサコラ型重巡1番艦の竣工が1929年、伊のアブルッチ級軽巡1番艦の竣工が1937年、ソ連のキーロフ型巡洋艦1番艦の竣工が1938年、仏のエミールベルタン型軽巡の竣工が1935年のに対し最上の竣工は1935年なので決して遅くはない。
それなのになぜ、日本海軍の巡洋艦では3連装砲塔が華と咲かなかったのだろうか?

答えは簡単、日本海軍が「20センチ砲の方がずっと良い」と思ったからなのである。
そこで最上型の主砲を換装し「他国なら15.5センチ3連装砲塔にしたと思われる利根型や伊吹型」も皆、20.3センチ砲装備で建造した。
ひとつここで考えて見よう。
15センチクラスの3連装砲塔と20センチ連装砲塔はほぼイーブンである。
だから日本海軍では換装したのだが他国では20センチ砲へ換装した例は見られず条約が失効したり第二次世界大戦が勃発したりしても20センチ砲装備の重巡は建造せず15センチ3連装砲塔装備の軽巡を建造し続けた。
躍起になって20センチ砲装備の重巡を建造したのは日本海軍だけなのである。

米国?
確かに米国だけは日本と同じく条約失効後も重巡(バルチモア型など)を建造した。
だけどお金持ちだから15センチ3連装砲塔の軽巡もしこたま建造したのである。
ソ連?
う〜んあれは軽巡だか重巡なんだか・・・
いずれにせよ18センチで3連装なんだから砲塔の図体は米の20センチ3連装砲塔についで大きい。

ここでもうひとつ。
古鷹型を皮切りに世界各国はこぞって条約型軽巡を建造したが「20センチ3連装砲塔を装備したのは米国のみ」であり他は全て20センチ連装砲塔であった。
つまり20センチ3連装砲塔と言うのはかくも特殊な存在でありこれに準ずるのはソ連の18センチ3連装砲塔のみなのである。

これらの砲塔のスペックが掲載されている資料を紹介しておこう。

最上の15.5センチ3連装砲塔 180t 世界の艦船518号
最上の15.5センチ3連装砲塔 175t 軍艦メカニズム図鑑
利根の20.3センチ連装砲塔 177t 軍艦メカニズム図鑑
妙高の20.3センチ連装砲塔 150t 軍艦メカニズム図鑑
ブルックリンの15.2センチ3連装砲塔 156〜170t 世界の艦船518号
クリーブランドの15.2センチ3連装砲塔 168〜176t 世界の艦船518号
アストリアの20.3センチ3連装砲塔 299t 世界の艦船518号
カウンテイ型の20.3センチ連装砲塔 205t 世界の艦船354号
バルチモアの20.3センチ3連装砲塔 302〜309t 世界の艦船578号
デ・モインの20.3センチ3連装砲塔 458t 世界の艦船578号
金剛の36センチ連装砲塔 607t 世界の艦船212号
キーロフの18センチ3連装砲塔 236〜247t wiki

ねっ、キーロフの砲塔は重いでしょ。
日本重巡の20.3センチ砲が50口径で砲身長1015センチなのに対し18センチながら57口径もあるので砲身長1026センチで長さでは優っているのだ。
初速も900〜920m/sで日本海軍20.3センチ砲の835m/sより速いよ。
弾頭重量が随分、軽いから破壊力、貫徹力で劣るけどね。

さて、ここ日米海軍主力艦の砲塔配置レイアウトに話を進めよう。
米海軍主力艦の主砲塔数はワイオミング型の連装6基(12門)で最多となり次のニューヨーク型で1基減の連装5基(10門)、ネバダ型では更に1基減の混載4基(10門)で以降、ペンシルバニア型、ニューメキシコ型、テネシー型、コロラド型、レキシントン型、サウスダコタ型、サウスダコタ改型と4基が続いた。
きっとネーバルホリデイが到来しなければ未来永劫、米海軍は主砲塔4基の戦艦を建造し続けたに違いない。
ただし主砲塔4基と言っても門数は違うよ。
米国のやり方は14インチ連装砲塔の戦艦が建造可能なら次にこれを3連装化してより大きな船体に装備して門数を増やし、その次には14インチ3連装砲塔を16インチ連装砲塔に換装して同一船体で主砲のサイズを大きくし、次のクラスでは16インチ3連装砲塔に進むといった方法なのだ。
これだといつまで経っても砲塔数は4基のままである。
ちなみにネーバルホリデイ明けの米海軍は14インチ4連装砲塔3基(後に16インチ3連装砲塔に変更)のノースカロライナ型で戦艦の建造を再開しサウスダコタ型(新しい方ね)、アイオワ型と3基が続いたがモンタナ型で4基になった。
次はモンタナ型の3連装を18インチ連装にするつもりだったらしい。

一方、日本海軍は八八艦隊計画のトップバッターである長門型が連装4基(8門)で次の加賀型や天城型、紀伊型が1基増の連装5基(10門)、13号艦型が1基減の連装4基(8門)であった。
13号艦型及びその略同型艦を何隻建造する事になるのか判らないが、恐らく次のレベルアップは多分、連装砲塔5基となるのであろう。
だがネーバルホリデイが到来したので「13号艦型の次」の砲塔数は「多分」のままで終わり新戦艦大和型の主砲は「掟破りの3連装」となってしまったのである。
そして次の超大和型は砲塔数が3基のまま連装化(よって6門)する事になった。
こうして比べて見ると「砲塔数は4基のままで連装砲塔と3連装砲塔のコンバートで拡大を図る米海軍」と「連装砲塔のみとし砲塔数の増減で拡大を図る日本海軍」でアプローチの違いが良く判る。
面白いのは大和型から超大和型に移るプロセスでここだけは日本海軍が米海軍流のアプローチを試みている事であり、米海軍もアイオワ型からモンタナ型に移行する時だけは「砲塔数の増減」と言う日本式をとっている。

さて、日本海軍はこの様にして主力艦の拡大を進めていったのだがその背景には「高速絶対主義」があった。
3連装砲塔の艦はどうしたって船幅が広くなり速力が遅くなる。
戦艦にせよ巡洋艦にせよ日本海軍では速力が遅い事は許されない。
よって日本海軍の艦艇が火力を強化するには「より大威力の砲を開発」するか砲塔数を増やすしか選択の余地がないのだ。
だから僕は「13号艦型の次」は連装砲塔5基と考えたんだが後継主力艦にはもうひとつのハードルがあった。
ドック(および船台)の大きさだ。
ドック(および船台)より大きな主力艦は作ろうったって作れない。
また船台を使ってドックより大きな主力艦を作ったとしても入渠整備や修理ができなければ能力は低下する一方である。
八八艦隊計画の13号艦型が45.7センチ砲装備なのに47500tとかなり小さめなのは、ここにも要因がある。

ここでちょっと船台についてふれておこう。
主力艦を建造するにはドックと船台のふたつの施設がある。
呉で建造された扶桑以降の主力艦と横須賀の信濃はドック建造である。
それ以外の日本で建造された主力艦は船台で建造された。
でも太平洋戦記3ではドックと船台を別にするとルールがややこしくなるのでドックに統一してゲーム化した。

さて、横須賀工廠の船台だが現在、ダイエーショッパーズがあるあたりに存在していて僕が子供の頃はでかいガントリークレーンが威容を誇っていた。
でかい主力艦を建造するんだから船台もどんどん拡張すればいいかって?
ご冗談を!
船台の端はもう国道に達してたよ。
この船台で陸奥が進水(ウィキには5号ドックで建造されたって書いてあるけどあれは間違いだよ。陸奥は船台建造だし進水式の写真もたくさん残ってるよ)、天城が関東大震災で大破し、飛龍や翔鶴、能代、雲龍などがどしどし建造された。
大和型?
この船台じゃ無理だ。
だから信濃はドック建造に切り替えられあらたに6号ドックが建築されたんだよ。

さて、横須賀のドックだが幕末のウェルニー時代に4000tの1号,1000tの3号ドックが作られその後、1884年に余裕で巡洋艦を入渠できる6000tの2号ドックが作られた。
主力艦が入渠できる初の30000tドックが日露戦争直後の1905年9月に完成した4号ドックである。
でもこれだと八八艦隊計画の大型戦艦は入渠できない。
こうして建築されたのが50000tの5号ドックで4号ドックの隣に作られた。
建築が開始されたのが1911年、完成したのは1916年だった。
だがスペース的にまだ充分でないので拡張工事が実施され1924年に完成(ここで50000tとなる)した。
この5号ドック、目一杯まで長くしたので長さ的には大和型だって充分に入れた。
後に大和及びその後継艦用として建築された80000tの6号ドック(長さ335m)とさして変わらない322mもあったんだから。

でもね・・・
さっき4号ドックの隣に作ったって書いたでしょ。
そう、隣に4号ドックがあるから横方向に拡張できず底部の幅が35mしかなかったのだ。
これじゃ大和型は入渠できない。
かくして大和型用に作られたのが1940年に完成した6号ドックだ。
工期は5年である。
特徴は前述した様に横が広い事で底部の幅は48mもあった。
(ドックのサイズなどの数値は「世界の艦船289号68頁参照、建築経緯は時期は「横須賀経済経営史年表」参照)
なお現在の6号ドックは拡張されてもっと大きくなったらしい。
ウィキによると長さは365mだそうだ。
そりゃそうだ。
そうでなきゃ10万tのニミッツ型は入渠できないもん。

まあ、いずれにせよ適正なドックがなきゃ連装5基10門艦だろうが、3連装3基9門艦だろうが絵に描いた餅なのだ。
ネーバルホリデイ直前の日本海軍は高速主力艦が好きだったから可能なら連装5基10門艦を目指したであろう。
だけど5号ドックができたばっかりなのにすぐ6号ドックの建設に取りかかるのは予算的にちょっと難しいと思う。
だからと言っていつまでも5万t未満の主力艦で我慢する訳にもいかないけどね。

現在、6号ドックがある場所に「18インチの連装5基10門艦」を建造できるドックを建設するのは可能だろうか?
そりゃ可能だろう。
だって10万tのニミッツ型が入渠できるくらいに拡張できたんだから。
日本海軍がその気になれば多分、できたはずだ。
ドック工期が5年として八八艦隊計画の1番艦長門が艦歴9年に突入する1929年にポスト八八艦隊の1番艦が竣工するなら1924年には着工しなくちゃならないな。

ところでポスト八八艦隊の主力艦(18インチ連装5基10門艦)はどれくらいの大きさなんだろう?
連装4基8門艦の長門型は33000tで213mだった。
これが連装5基10門艦となると加賀型で39900t(+21%増)、231m(8%増し)だった。
同じ比率で増大するなら13号艦型は47500t、274mだから18インチ連装5基10門艦は57475tくらい、295mくらいって事になる。
随分、細長い艦だな。
でも、ミッドウェー型空母とおんなじくらいだ。
それならこれが入渠できるドックを作るのはそんなに無茶なハナシではないって事になるな。

ところで米軍の3年計画はどうだったんだろうか?
日本側の造船施設は横須賀、呉、長崎、神戸の4箇所で各1隻同時建造が限界だったんだけどあちらさんは?
う〜ん、3年計画の16隻はニューヨーク造船所で3隻、ニューポートニューズで5隻、ニューヨーク海軍工廠で2隻、メアアイランド海軍工廠で1隻、ノーフォーク海軍工廠で1隻、フォーリバーで2隻、フィラデルフィア海軍工廠で2隻が起工された。
建造予定じゃない。
ワシントン会議開催の時点までに日本の八八艦隊計画艦は半数しか起工しておらず半数は建造予定だったが米海軍の方は「もう作り始めちまった」のである。
米軍のこれら16隻のうち早めに起工して進水したメリーランドは進水後にWバージニアが同一造船所内で起工されているので船台の使い回しがきくが他は同時進行なので米海軍の主力艦建造能力は「同時15隻可能」となる。
つまり16隻対40隻で日本の2.5倍どころか建造能力では4対15で4倍近かった。
なお、日本の「主力艦の建造が可能な船台/ドックが4箇所だけ」は確実な数だが米の15箇所は「確実な数」ではなく実績値であり民間造船所を全て含めれば「主力艦の建造が可能な船台/ドック」はもっと多いかも知れない。

ひとつここで開戦を控えた横須賀海軍工廠がいかに大忙しだったかを紹介しよう。
前述した「ガントリークレーンが威容を誇る横須賀の船台」だがここで1933年4月12日、空母龍鳳(当時は大鯨)が起工した。
進水は同年11月16日である。
そして早くも翌月11日には同じ船台で重巡鈴谷が起工し翌年11月20日に進水する。
ついで13日後には同じ船台で空母祥鳳(当時は剣埼)が起工し翌年6月1日に進水。
更に19日後には空母瑞鳳(当時は高崎)が起工し翌年6月19日に進水。

ねっ、休む間がないでしょ?
進水したらすぐさま次の起工準備が進められドシドシ建造されていったのだ。
この船台での造船は瑞鳳進水から19日後の1936年7月8日に起工し、翌年11月16日に進水した空母飛龍、その翌月12日に起工し1939年6月1日に進水した空母翔鶴へと続く。

まさに横須賀工廠は空母建造のメッカだねえ。
翔鶴進水後、大型艦としては敷設艦津軽が同年7月5日に起工し翌年6月5日に進水した。
でもここで横須賀工廠のもうひとつの顔である「潜水艦建造の総本山」が姿を現す。
ただし大型艦用の第2船台ではない。
すぐ隣の第3船台で1938年4月18日に伊17が起工、同艦の進水を待たず同年12月8日、同じ船台で並列に伊23が起工する。
無茶な事をするもんだ。
この2隻が進水するやいなや、同じ場所で伊29と伊31が建造される。
こうして伊36や伊180、伊182、伊184、伊185などがドシドシと建造されてゆく。

一方、大型艦用の第2船台は津軽進水後、1年3ヶ月のブランクが空いて1941年9月4日に軽巡能代が起工、翌年7月19日に進水する。
そしてそれから13日後、空母雲龍が起工し翌年9月25日に進水して第2船台は最後の大仕事を終える。
信濃?
あれは1940年5月4日に起工して1944年10月8日に進水したんだけど第6ドックで建造されたもんだからちょっとスケジュールから外れるのだ。
まあ、なんにしても1891年3月24日に進水した国産初の大型艦である巡洋艦橋立から数えて53年、信濃の竣工をもって横須賀海軍工廠は大型艦建造の任を終えたのである。

それではここで大型艦の工期について話を進めて見よう。
伊吹と言う軍艦がある。
空母に改装された重巡ではない。
14636tの装甲巡洋艦として建造され巡洋戦艦に艦種変更された先代の方である。
この伊吹、日本で国産された6番目の主力艦ながら、なんと起工から進水までの工期が約5ヶ月半で建造されている。
戦時急造で設計が簡易構造だったからか?
それとも手抜き?
ノンノン、そんな事はない。

伊吹は鞍馬型の2番艦なのだが1番艦の鞍馬は起工から進水まで約2年2ヶ月もかかっている。
ざっと4倍だ。
同型艦なのだから基本的に設計は同一(マストが三脚になったり機関がタービンになったりした点は異なっているけどね)で戦時急造やら簡易でない事は明白である。
どうもこの伊吹、建造した呉工廠が「金に糸目をつけず頑張ったらどれだけ短期間で主力艦が建造できるか?」にチャレンジした結果、早期に進水できたらしい。
この場合、金の糸目は労賃である。
ちなみに鞍馬の方がとてつもなく長く工期(当時の主力艦は起工から進水まで概ね1年から1年半)がかかったのは同時期に同じ横須賀工廠で日本初の国産戦艦にして世界最大の巨艦薩摩の工事が進行していた為だそうだ。
工員をそちらに取られてしまったらしい。

それでは伊吹の建造実績がどれほど凄い事なのか他と比べてみよう。
なんと日本海軍創設以来、1945年8月15日の敗戦に至るまで1万t以上の軍艦で伊吹より早く起工から進水まで工事した艦は皆無なのである。
(空母冲鷹は5ヶ月だけど元が客船の商船構造だから例外とする)
短い方から挙げていくと1年未満で進水できたのは後に空母へ改装された剣崎(祥鳳)と高崎(瑞鳳)の約半年、大鯨(龍鳳)の7ヶ月、千代田の11ヶ月、重巡鈴谷の11ヶ月半となる。
これら5隻のうち4隻が他艦種からの改装空母ってとこが憎いね。

さて、ここでT氏にご登場を願おう。
T氏は軍艦研究の権威である。
皆もT氏の著作を数冊は目にした事があるに違いない。
このあいだ、そのT氏と会ったのだが面白い話を聞いた。
昔、T氏は海軍の元技術将校だったF元少佐(H元中佐かM元大佐だったかも知れない、酔って聞いたからちょっとうろ覚えなのだ)と面談した時、「日本海軍はネーバルホリデイで数度に渡り主力艦の改装工事をしていますが1度で済ました方が合理的ではなかったでしょうか?」と言ったそうだ。
そうしたら元技術将校の大先生に「何を言うか!改装を数度に分け、造船所の仕事を増やしたのだ。無理して工期を延ばした苦労をお前は判っておらん!」と一喝されたらしい。

そうなのだ。
海軍工廠とは言っても造船所であり職工は民間人である。
よって発注が無くなれば解雇されてしまう。
造船所が職工を雇用したまま運営し続けていく為には細く長く工事を続けていくしかない。
一時的にせよ全く仕事が途絶えてしまえば全ての職工が失業してしまうが少量でも仕事があるなら数人でひとつの工事を担当し皆が家族を養ってゆけるように労務管理できる。
軍艦の建造と言うと「押せ押せの突貫工事で倒れる職工が続出する情景」ばかり思い浮かぶが平時に於いては逆の場合の方が多いのだ。
戦時だって予算の関係があるから闇雲に工事を急ぐ訳にはいかない。
平時は職工の数に対して工事が少なかったから「無理して工期を延長」したが戦時となると建造量はウナギ上りに増えるし損傷艦が続々と還ってくる。
職工の数にだって限りがあるから全部の船台、ドックで突貫工事はできない。
ドック及び船台数と職工数、それに仕事量の需給バランスが保たれてこそ海軍工廠は機能を充分に発揮できるのだ。

さて、前回は1万t以上の軍艦で起工から進水まで短期間に工事を終えた艦を紹介したが今回は長い方の艦を見るとしよう。
一般的にはどんな軍艦の工期が長いと考えられるかな?
大きな軍艦?
だとすれば大和型だが進水までに要した期間は大和が約2年9ヶ月、武蔵が約2年7ヶ月(信濃は約4年5ヶ月もかかっているが「空母への設計変更に多大な時日を要した事」と「進水までに艤装工事をほぼ終えていた事」が原因であり例外である)で長門の2年2ヶ月に比べさして長くはない。
大きいからといって必ずしも比例して工期が長くなる訳では無いのである。
手間がかかった艦の代表としては占守型海防艦が挙げられよう。
占守型は860tの小艦ながら約9万工数もかかった。
大和型は64000tの大艦ながら約170万工数で竣工している。
tあたり工数では占守型の104に対し大和型は26で1/4に過ぎない。

占守型の場合はひとえに設計上の問題から工期が長くかかったのだが労務管理や景気対策上の観点から工期が長くかかる場合もある。
こうしたケースでは同一設計の同型艦なのに工期に大差がある事が散見される。
同じ姉妹でも安産があれば難産もあるのだ。
一例を挙げると前回、取り上げた鈴谷だが同艦は進水まで1年未満だったにも関わらず最上と三隈は約2年5ヶ月、熊野は約2年半もかかっている。
なお、総じて重巡はネーバルホリデイ期の雇用対策が反映された為、工期が長い。
愛宕などはなんと進水までに約3年2ヶ月もかかった。


前のページに戻る