実際の所、不思議な話なんだ。
3月10日の東京大空襲は...
対日戦略爆撃での被害者数は調査機関によって30〜55万名までのばらつきがあるけど、これは核兵器による被害差が多くを占めているのであって、通常爆撃では17万名弱〜22万名強の範囲内に収まっている。
加えて3月10日の被害も最小で8万3千名、最大で10万名以上とされているから極端な差はない。
つまり「核兵器を除いた対日戦略爆撃による死者」の過半数が3月10日の東京大空襲で生じたのはほぼ間違いないと言える。

ここで着目したいのは「3月10日の爆撃は特殊だったのか?」と言う事だ。
確かに3月10日以前に比べれば夜間、低高度、焼夷弾使用の点で特殊と言える。
だが3月10以降の爆撃に比べればなんら特殊な点は見られない。
東京の地理的特性だろうか?
そんな事はない。
木造家屋だろうが交雑した河川だろうが、日本の港湾都市ではどこでも当たり前の要素である。
第一、東京自体が何度も空襲を受けたにも関わらず3月10日程、大きな被害を受けた例は見あたらない。

300機以上で東京を爆撃したのは3月10日の334機(投下爆弾1782t)が死者約10万(1t当たり56名)、4月13日の352機(2140t)が2459名(1.1名)、5月24日が562機(3687t)で762名(0.2名)、5月25日の502機(3302t)が3651名(1.1名)だ。
通常戦略爆撃による県別被害で見ると1位が東京の約10万名、2位が愛知の11324名、3位が兵庫の11246名、4位が大阪の11089名、5位が神奈川の6637名、6位が静岡の6473名、7位が福岡の4623名だ。
ただし5位の神奈川は約1万名とする資料も見られる。

これを見ると1位の東京が極端に被害が大きく大都市圏が約1万名、大都市ではないが航空産業周密地域の静岡がこれに続き、その他は5千名以下であるのが一目瞭然である。
ちなみにこれらの被害は「1都市に対する1回の空襲」で発生した訳ではない。
県内には幾つも都市があるし、複数回の空襲を受けた都市もザラだ。
例えば大阪府の被害だが3月13日の3115名、6月1日の3150名、6月7日の1594名に周辺小都市を合算した数値だし兵庫県も3月17日の2598名、5月11日の1093名、6月6日の3184名に周辺小都市の分などを合算した数値である。
3月10日の空襲に匹敵、もしくは上回る規模の空襲は20回以上、行われたが被害者が5千名を越えたケースは見られない。

一概には言えないが300〜400機の空襲で3千名前後の被害が生じた場合が多い。
東京の場合、4月13日や5月25日がこれに相当する。
もしも3月10日に極端な大被害が生じていなかったどうであろう?
東京の被害累計は恐らく約1万名(3月10日を約2000名とし、4月15日の中規模爆撃を加算)となり「その他の大都市」と肩を並べるはずだ。
つまり3月10日の惨禍は爆撃した米軍にとっても予想外の結果であり「計算して出来る爆撃」ではないと思う。

その計算しきれなかった要素とはなんであろうか?
勿論、大規模な火災旋風である。
何も僕はルメイが根っからの善人で「そんなつもりじゃなかったんだ。偶然の産物なんだ。」と考えているとは思わないし、「米の戦略爆撃は人道的なんだよ。悪いのは火災旋風なんだよ。」と言うつもりもない。
計算して大規模火災旋風を発生させられるならルメイは何度でもやったろう。
だが有り難い事に3月10日と同じ事は最後まで再現できなかった。
だから僕は大規模火災旋風を伴う爆撃は計算して出来ないと考える。

かつて東京を襲った大規模な火災旋風は3度。
いわずと知れた関東大震災(死者数10〜14万名)と明暦の大火(死者数3〜10万名)だ。
明暦の大火を見ても判る様に、約300機のB29を飛ばさなくとも「たった振り袖1枚の火元」が大規模火災旋風に発達する例もある。
逆に600機のB29を出撃させたって出来ない物は出来ない。
冒頭で「不思議」と書いたのは、数ある戦略爆撃作戦で東京だけが大規模火災旋風を発生させた事と過去に2度も大規模火災旋風を生じさせた事で、これには何か因縁めいた物を感ずる。

さて、第2次世界大戦に際し大規模な戦略爆撃が実行されたのは米軍による対日戦略爆撃、米英軍による対独戦略爆撃、独軍による対英戦略爆撃である。
ここで、対日戦略爆撃と対独戦略爆撃、対英戦略爆撃を比較して見よう。
連合軍は多大な兵力を投入して対独戦略爆撃を遂行したが、投下爆弾量は対独戦略爆撃が136万t(英94万t+米106万tの合計200万tとする説もある)、対日戦略爆撃が16万5千t(サンケイ「B29」だと17万t)であった。
これらに比べ独が行った対英戦略爆撃の投下爆弾量は7万4千tでずっと規模が小さい。

被害はどうであろうか?
戦略爆撃で死亡したドイツ民間人総数は「攻撃高度4000」巻末資料によると57万名、米戦略爆撃調査団では30万5千名だ。
とりあえず今回は57万名として比較してみる。
日本の被害は30〜55万名だが核攻撃の分を引くと17〜22万名になる。
更に「大規模火災旋風と言う特殊事例だった3月10日の約10万名」を除くと、対日戦略爆撃の被害は約7万5千名から約10万名である。
よって今回は10万名として比較する。

なお前述した様に火災旋風には通常の火災旋風と大規模火災旋風の2種類があり、太平洋方面では3月10日の1回だけに大規模火災旋風が発生している。
その為、3月10日の被害は通常の50倍以上に達した。
こうした極端な事例の数値を含めると戦略爆撃の本質が見えなくなってしまうので、とりあえずは別にして集計せねばならない。
さて、日本の被害者数を投下爆弾量で割ると0.6(以降は被害者数/爆弾投下量を被害率と呼称する)になる。

それでは対独戦略爆撃で「大規模火災旋風」が発生した例はないのであろうか?
ある。
ドレスデン(死者3.5万名:投下爆弾6700t)やゴモラ作戦で目標とされたハンブルグ(死者5万名:投下爆弾9000t)などだ。
対独戦略爆撃での被害率は平均で0.42になるが両都市の場合、ドレスデンは5.2、ハンブルクは5.5で平均の10倍以上に達する。
両都市で大規模火災旋風が発生した事は各資料にも詳述されているので少し紹介したい。
「ライフ第二次世界大戦史・ヨーロッパ航空戦」によると、ハンブルクでは大規模火災旋風で気温が980度になり風速240km/hの旋風が吹き荒れたらしい。
ただしどうやって気温を判断したのか判らないがサンケイ「ドイツ空軍」だと気温は1000度以上、ウィキペディアだと800度となっている。
恐らく何かの推測値なのだろうが風速はどの資料も240km/hで同じだ。
いずれにせよもっとも低い800度でも人間が生存するのは不可能である。
ちなみに風速240km/hと言うのは第4艦隊事件で日本海軍が遭遇した大型台風の2倍であり、「ライフ」によると自動車が巻き上げられたらしい。

何故、木造家屋の少ない欧州都市でこれほどの火災が発生したのだろうか?
その鍵は各資料で詳述されるアスファルトの燃焼にある。
通常、アスファルトを可燃物だとは認識しない。
もしアスファルトを可燃物だと思ったら怖くてタバコのポイ捨てなどできはしないだろう。
だがアスファルトは石油化合物なので燃えるのだ。
とてつもない高温を加え続ければ...
そして燃えだしたアスファルトが熱源となりどんどん燃焼は倍加されていく。
東京は木造家屋が多かったので少量の焼夷弾で大規模火災旋風を発生させたが、欧州都市に比べアスファルトは少なかった。
それに比べ舗装化の進んだ欧州都市は一旦、大規模火災旋風が発生するととんでもない災厄となった。
ウィキペディアではドレスデンで発生した火災旋風の温度を1500度としている。

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