装弾数の話

さて、空戦で勝利を得るには自機に敵弾は当たらず自弾は敵機に当たるのが肝要だがそれには自機の火器の命中率と発射速度と装弾数と貫徹力が大きな要素となる。
これらのうち命中率は火器本来の性能もさる事ながら火器の装備位置で大きく変化する。
主翼に装備すると運動性が低下するだけではなく命中率も大きく低下してしまう。
その理由は全火器をやや内側に向け前方の固定距離でクロスさせている為である。

次に発射速度だが高速で機動しながら一瞬の間隙を縫って射撃する空戦では短時間で目標に弾丸を浴びせかける必要があり基本的に発射速度は高い方が好ましい。
だが「発射速度毎分1200発で装弾数20発、1秒しか撃てません」じゃ話にならない。
高発射速度にはそれなりの装弾数が必要だし「無茶苦茶な高発射速度」だとかえって弊害となる。
もっともそんな高発射速度の機関砲を量産するのは大戦中には無理(ドイツでは試作レベルまでは達していた)だったが...
また「単発戦闘機の固定火器装備事情」で書いた様に発射速度が遅いとプロペラと同調できないと言う問題も生ずる。
ちなみに同調式火器は「発射速度が早くなければ同調できない」が「同調する事によって若干、発射速度が低下する」と言う欠点も持っている。

これらの問題をクリアし敵機に上手く自弾を命中させても防弾板に弾き返されては意味が無いから火器にはそれなりの貫徹力が必要となる。
どの程度の貫徹力が必要かと言うと相手によって変わるので一概には言えない。
一例を示すとバトル・オブ・ブリテン時の英国7.7mmはDo17相手に充分有効だったし日本本土防空戦には20mmでもB29相手に力不足だった。

さて、ここからが問題。
発射速度はどの位あれば良いのだろうか?
さっき「発射速度は高い方が良い」と書いたが低くても火器の数が多ければ同じ効果が得られる。
よって「発射速度は高い方が良い」が「1分間に最低何発以上」と限ったモノでもない。
第2次世界大戦中、量産された各国の20mm砲の発射速度/毎分は日本陸軍のホ5が750、海軍の99式1号が520、99式2号が500、独のMG151/20が800(同調時720)、英米のHS404が600、ソ連のShVAKが800で発射速度はだいたい500以上800以下となる。
なおこれら各国20mm砲のうち99式1号、99式2号、HS404はスイスのエリコン社製品のライセンス版であった。
ただし弾薬は共通ではない。
元々、エリコン社の20mm機関砲は大威力(ケース長110mm)のFFS、中威力(ケース長101mm)のFFL、小威力(ケース長72mm)のFFの3種があり99式1号はFF、99式2号はFFL、HS404はFFSを原型としていた。
またドイツのMGFFもFFを原型としているが少しだけ弾薬のケース長(80mm)が大きかった。

それでは戦闘機の火器はどの位、装弾数があれば良いのだろうか?
目方が軽くて嵩張らないなら多ければ多い方が良い。
だが20mm弾は日本の99式2号銃の場合で1発210gもある。
紫電改の場合、これを900発積むから合計189kg。
弾薬箱の図体だってそれなりに大きい。
やっぱり弾薬の積みすぎは考え物だ。
戦闘機は機動力あっての兵器なのだから機体重量は軽ければ軽い方が良く「弾薬の必要最小限はどれくらいか?」が重要になる。
積みすぎで重くなり敵に後ろを取られ「弾薬を山ほど積んだままあえなく散華」ではこれまた話にならない。
1回の射撃で何発撃てば良いのだろうか?
1回の出撃で何回、射撃する必要があるんだろうか?

ここで単発戦闘機の火器の変遷をおさらいしておこう。
昔昔のその昔、戦闘機の機体外版が布製で主翼が何枚もありコックピットは解放式、脚も出っぱなしだった頃、世界中の単発戦闘機は2門の小口径火器を装備して空を飛び回っていた。
だが単葉だの密閉式コックピットだの引込脚だのが次々と取り入れられ始めた1930年代中盤、火器もまた新時代へ突入する事になった。
航空機用大口径火器(エリコン製20mmとそのライセンス版ならびにソ連のShVAK20mm、米国の12.7mmなど)の登場である。

当初、これら大口径火器は対爆撃機用として開発が進められた。
なぜならその頃はまだ単発戦闘機に防弾が施されておらず「戦闘機相手なら小口径で充分」と考えられていたからである。
爆撃機にしても防弾らしい防弾は施されていなかったのだが1930年代中盤はソ連のTB3や日本の92式重爆、米のB17などの4発重爆が出現するわ、日本の96式中攻、ソ連のSB2、英のブレニムなどの高速爆撃機が出現するわで世界中に「戦闘機無用論」に近い思想が吹き荒れていた。
これらの機体は大して防御力が強い訳ではなかったがすばしっこくて攻撃するチャンスがなかったり図体がでかくて一撃では致命傷にならなかったりしたので戦闘機に大口径火器を装備する事が求められた。

ただしこれまで装備されてきた小口径火器に代わって大口径火器が装備された訳ではない。
重量制限の厳しい単発戦闘機に2種の火器を混載するのは不合理の極みであったにも関わらず多くの国は混載の道を選んだのである。
大が小を兼ねないのは兵器のセオリーだが混載が主流となったのには大きな理由があった。

新たに登場した大口径火器の信頼性が低かったのも要因だが何よりもエリコン系は弾倉式と言う重大な制約を抱えていた。
大戦初期、零戦21型やBf109E4、スピットファイアB翼など多くの戦闘機が20mm砲2門を装備して大空を駆けめぐったがこれらの装弾数は各60発だった。
どれも皆、エリコン系火器で弾倉式だったからである。
巷間で「初期の20mmは弾数が少なく不評だった」と書かれているが日本海軍に限らず全世界(弾倉式を採用せず最初からベルト式にしたソ連を除く)で不評であった。

零戦21型が装備した99式1号20mmの発射速度は毎分520発だから約7秒しか射撃できない。
「これでは足りないぞ。」と誰でも思うだろう。
そして「ならば大きな弾倉を開発すれば良いではないか。」と誰もが考えつく。
だがひとくちに新型弾倉を開発すると言ってもそう簡単には問屋がおろさない。
弾倉式自動火器で次弾をチャンバーへ装填するにはバネの力を使用するがこのバネは強すぎても弱すぎてもいけない。
無闇やたらと強力なバネを組み込むと弾倉が弾詰まりを起こし弱すぎると装填できなくなってしまう。
よって弾倉式だとおのずと装弾数に限界ができる。
最初から装弾数を少な目に設定している弾倉なら容易に拡大/改良できるが極限を狙って設計された弾倉の改良となると「それなりの技術革新がなければ困難」(後述)だし仮に改良に成功しても故障し易くなりがちなのである。

零戦21型やBf109E4がエリコン系20mm2門に加え7.7〜7.92mmを2門ずつ装備したのは弾倉式だったからに他ならない。
ちなみに零戦21型の97式7.7mmは装弾数700発で発射速度毎分900発だから46秒、Bf109E4のMG17(7.92mm)は装弾数1000発(Bf109E3以前とF以降は500発らしい)で発射速度毎分1200発だから50秒も撃てた。
更にエリコン系20mmには発射速度と初速が遅く機敏な対戦闘機空戦に不向きだと言う欠点もあった。

面白いのはスピットファイアで同機の7.7mmブローニング銃の装弾数は僅か350発(300とする資料もある。またスピットファイア1型は300、2型以降は350とする資料もある)に過ぎなかった。
発射速度は1200(1000とする資料や1140とする資料もあり)なのでなんと17.5秒しか撃てないのだ。
ただし日独の小口径火器が各2門なのに英は2倍の4門を装備している。

なぜ英は小火器を2倍も装備し装弾数がこんなに少ないのだろうか?
これは英国が大戦当初に多銃主義を押し通した名残なのである。
各国が混載主義(日、独、仏、ソは20mmと7.5〜7.92mm、米は12.7mmと7.62mm)を歩み始めた頃、英国だけは多銃主義をとりスピットファイアやハリケーン、フルマーなどブローニング製7.7mm8門装備の単発戦闘機を続々と量産した。

多銃主義は「へたな鉄砲も数撃ちゃ当たる方式」なので練度の低い搭乗員でも目標に命中させられるが制限内の重量で火器を多くする以上、小口径(大戦後半に登場した雷電やFw190、紫電改など20mmの多銃主義については後述する)とならざるを得ない。
また全火器を同時に発射し弾幕を張るのが目的だから全火器の装弾数は基本的に同数(同数でないP51や装弾数の多いP47、F6Fなどもいるがここでは例外事項とする。)であり1門の装弾数は少なくなる。

これらの欠点があるものの英国の小口径多銃主義は「防弾版を装備しない相手」なら悪い方法ではない。
だが7.5〜7.92mmクラスの小口径弾だと7mm前後の防弾板で簡単に無力化されてしまう。
かくして装甲板を備えたBf109E3やE4が主力となりだした1940年後半、英国は大きな方向転換を迫られスピットファイアは7.7mm8門のうち4門を20mm2門(各60発)に代えたB翼を装備する事になった。
よってスピットファイアの7.7mmは装弾数が少なく門数が多いのである。

言うなれば装弾数の少ない英国戦闘機はエース向きではない。
幾ら有能なエースであっても弾がなければスコアを伸ばせないからだ。
空戦は総当たりのリーグ戦ではなく生死を賭けた勝ち抜き戦なので負けた方は墜ちるか戦闘空域外へ離脱する。
勝った側は次の相手を捜す。
燃料が無尽蔵ならどちらかが零になるまで空戦が続くかも知れないが無尽蔵では無いのでいずれ時間が来たら来襲側が引き揚げ空戦は終わる。
そもそも戦闘機と戦闘機が空戦をする目的だけで出会う事はあまりない。
大抵、来襲する側が爆撃機を連れてやって来て爆撃が終わればサッサと引き揚げる。
当然、戦闘機も爆撃機と一緒に引き揚げる。
だから「最後の1機が墜ちるまで空戦が続く」なんて事は滅多に起きない。
とは言え最初の敵を倒して生き残れば次の敵、そこでまた生き残れば更に次の敵、と何回かは続くだろう。
それが果たして何回なのかは重要なポイントだ。
もし回数が少ないなら装弾数を減らしてでも火器を増やすだろうし多いならその逆だ。

更に進攻側と迎撃側でも話が変わってくる。
迎撃側は弾薬が零になれば着陸して補給できるが進攻側はそうはいかない。
帰り道で空戦する事もあり得るのだから着陸するまで常に残弾を必要とする。
米軍の戦略爆撃は昼間高々度だったから護衛戦闘機は多くの装弾数を必要とした。
ドイツの迎撃戦闘機が何処で何波、襲来するか知れた物ではない。
弾が無くなったからと言って爆撃機をおっぽりだしサッサと途中から引き返す事はできないし丸腰で単機帰投するのも危険極まりない。
米軍で使用された12.7mmAN/M2機銃の発射速度は毎分750発だがP40Eはこれを6門装備し装弾数は各281発(合計1686発)であった。
つまり射撃時間はたった22.4秒にしかならない。
これはP40Eが戦略爆撃機と共に行動する長距離護衛戦闘機ではなく航続距離の短い迎撃戦闘機だったからに他ならない。
長距離護衛戦闘機であるP51Bは火器が4門に減少したが装弾数は内側350発、外側280発(合計1260発)に増えている。
長距離護衛戦闘機の任務は敵迎撃機を「追っ払う事」であって「確実に敵を撃墜する事」ではない。
よって火力が減ってでも射撃回数を増やさねばならない。
また内側と外側で装弾数が異なるのは「せめて丸腰にならない様にとの窮余の策」なのであろう。
ついでP51Dになると火器が6門になり装弾数は内側400、中と外側が各270発(合計1880発)になる。
400発あれば32秒も撃てる。
更にP47Dでは火器が8門に増え全て425発(合計3400発)になった。
ここまでくると「火力も射撃回数も充分」であり「どちらを優先するか」と言う迷いは些かも感じられない。
これらP51BやP51D、P47DがB17を護衛してドイツ本土を昼間戦略爆撃したのである。
米軍の長距離護衛戦闘機は迎撃機を「追っ払う事」に関しては充分な能力を持っていたと言えよう。
ただし12.7mmに固執した事については少々疑問を感じる。
大戦末期まで殆ど無装甲だった日本海軍戦闘機相手ならいざ知らずドイツ戦闘機は次々と防御力を高めていき搭乗員背後の防弾板はどんどん厚くなっていった。
一例を示すとFw190A3は14mm、Me262は16mmである。
こうなるともはや12.7mmでは貫通できない。
たとえ米護衛戦闘機によって機体が破壊されても搭乗員さえ無事なら落下傘降下(ドイツにとって本土防空戦での迎撃は常に味方上空である)して戦線復帰し再度出撃する事も可能だ。
この場合、ドイツ軍は戦闘機を1機失うだけであるが米護衛戦闘機が被弾した場合は戦闘機1機と搭乗員1名(戦死か捕虜)を失う。
ドイツのバルクホルン中佐(2位スコア301機)は9回、ラル少佐(3位スコア275機)は8回、ルドルファー少佐(7位スコア222機)などは16回も撃墜されている。
つまりかなりの確率で敗者復活戦のチャンスが与えられるのだ。
これだけ撃墜されても戦死せず次々と新戦闘機に乗り換え再出撃するのだからスコアは伸びるはずだ。
それに比べ米軍の欧州戦線トップのガブレスキー中佐(米4位スコア28機)は1944年7月にドイツに不時着してあえなく捕虜となった。
他にもスコア17.75機のゼムケ大佐など捕虜収容所で終戦を迎えた米軍エースは数多い。
またドイツでスコア200機以上の撃墜者15名中、戦死者が僅か5名に過ぎないのもドイツ戦闘機の防弾が優れていた事を如実に物語っている。
ドイツに於いてスーパーエースが頻出した理由は単なる機体性能差や搭乗員の技術差だけではないのだ。
「どこで戦うか?」が重要なポイントとなる。
味方上空で戦う防空戦は敵地上空で戦う進攻作戦よりエースとなりうるチャンスが大きいのである。
充分に防弾された機体とちゃんと開く落下傘があればの話だが。

英軍に話を戻そう。
第2次世界大戦時、英軍は戦略爆撃を夜間としたので単座戦闘機の任務は海峡を挟んでのつばぜり合いに終始した。
つまり哨戒と迎撃が主(後に戦闘爆撃がこれに加わる)なのであまり装弾数を必要としない。
英軍単座戦闘機の航続力が短く火器の装弾数が少ない要因はここにある。
また英軍戦略爆撃機の高々度飛行能力は極端に悪く米は言うに及ばず日独の足下にすら及ばなかった。
つまり英軍は夜間爆撃を選んだのではなく夜間爆撃しか選べなかったのだ。
航空作戦の主軸が夜間爆撃である以上、単座戦闘機は戦場の花形たりえない。
まともに夜間飛行するのが困難なのだから。
よって英軍では他国ではあまり見られない複座夜戦のエースが多々輩出した。
ブラハム中佐(スコア29機)やバーブリッジ中佐(スコア21機)、カニンガム大佐(スコア20機)などだ。
彼らは夜戦相手に戦ってスコアを挙げたのだから爆撃機相手でスコアを伸ばしたドイツ夜戦エースや日本夜戦エースよりもっと高く評価されても良いのではないかと僕は思う。

さてそれでは英軍単座戦闘機の搭乗員はどこでスコアを挙げたのだろうか?
勿論、大半は迎撃で挙げた訳だ。
まず最初の大きな山場は言わずと知れたバトル・オブ・ブリテン。
1940年末までの短期間にロック大尉は23機(最終25機)、アラード大尉も23機(最終23.8機)、ハローズ少佐は21機(最終21.3機)、クロスリー中佐も21機(最終22機)、マッケラー少佐は20機(11月に戦死)、レイシー少佐は19機(最終28機)のスコアを挙げた。
だが多大なる損害に疲弊したドイツ空軍が戦術を夜間爆撃に変更したので単座戦闘機は徐々に活躍の場が無くなってしまう。
次に大きな山場となったのがマルタ。
基本的に地中海戦域では連合、枢軸双方とも昼間戦術爆撃を多用したので単座戦闘機は大いに活躍したが、わけてもマルタは英軍にとり迎撃戦のメッカとなった。
マルセイユ大尉(スコア158機)は北アフリカで151機を落としたがそのうち147機が単座戦闘機であり、更にその中の大部分を英軍機が占めていた。
つまり英軍としてもマルセイユ大尉やらミュンヒベルク少佐やらその部下やらを撃墜するチャンスは多いにあった訳で実際、多くのドイツ機が英単座戦闘機によって撃墜された。
部隊規模での戦果を比較すると英軍はドイツに対し劣ってなどいない。
ただしドイツ軍エースに比べ英軍エースのスコアが低調であった事は否めない。
なぜだろうか?
確かに米国から貸して貰ったP40はちょっといただけない戦闘機だった。
だがスピットファイアとBf109の取り組みはバトル・オブ・ブリテンで好カードだったしどの戦いでも決してひけなど取ってはいなかった。
にも関わらずドイツにのみスーパーエースが現れ英軍では現れなかったのか?

その理由は「英軍機の装弾数が少なすぎたから」である。
先に迎撃ではあまり装弾数を必要としないと書いた。
ただし...
スーパーエースを産み出すには装弾数が必要なのだ。
戦争に勝つのに貢献する兵器とスーパーエースを産み出す土壌となる兵器は必ずしも同一ではない。
スピットファアは不世出の傑作機だが「エース向けの戦闘機」ではないのである。
ただしエースでない搭乗員が最初のスコアを挙げるには絶好の機体だ。
多くの搭乗員が1機のスコアも記録しないまま非業の死を遂げる事を考えればスピットファイアが名機であると理解できる。
スーパーエースにはなれずとも運動性が良く1回の射弾量が多いのだから。
ところが小口径多銃主義によるスピットファイアの射弾量はBf109E3,E4の防弾板によって優位性を失い英軍もまた「装弾数60発の20mm2門と小口径の混載」の仲間へ加わらざるを得なくなった。

もっとも一夜にして両軍全戦闘機が防弾板を備えたのでは無かったから小口径火器の陳腐化は上げ潮の如く徐々に広がっていった。
そして新たに大口径火器の装弾数不足が問題化する。
元来、対爆撃機用だった大口径火器は迎撃戦で使うのが主なので装弾数が60発でもなんとかなったが、対戦闘機戦でも使うとなれば圧倒的に足りない。
零戦21型やBf109E4で7秒、スピットファイアB翼は6秒しか撃てないのだから。
ここで航空機の防御についてすこしまとめておこう。
火器を撃って敵機を撃墜するにはまず命中させる事が肝要であるが「どこに当てどの様な損害を与えるか」によって効果が異なる。
重要な順に列挙して見よう。
1.操縦士
2.燃料タンク
3.発動機
4.主要構造材

まず操縦士だが戦死させれば目的は全て達成される。
負傷だと落下傘降下で脱出してしまうがしばらくは戦列復帰できないので充分な効果が得られるし味方上空だと捕虜にできる可能性もある。
最低限、敵機を1機減らす事にはなる。
ただしそれだけ重要なアイテムだから大抵は防弾板で保護されているし標的面積も小さい。

次に重要なのは燃料タンクだがこれは発火させる事に意義がある。
ただ貫通させてもさして大きな効果は得られない。
そこで撃たれる側としては防弾板で囲っていたずらに重量を増加させるより貫通孔を即座に塞ぐ防漏タンクにする方が効果的となる。
また防漏タンクは「発火するのを防ぐ手段」だが「延焼を食い止める手段」として「自動消火装置」で対処する事もできる。
操縦士と燃料タンクは航空機にとって大きな弱点だがそれに比べ3番の発動機は少々、被弾した所でそう簡単には止まらない「鉄の塊」なので「止まれば墜ちる航空機の生命線」ではあっても弱点と言い難い。
見方によっては巨大な防弾板と考えられなくもない。
水冷式発動機のラジエーターなどは別だが。

更に主要構造材となると...
機体外版に命中してもただ貫通するだけなら風通しが良くなるだけだし桁や肋材を破壊して飛行不能にするには相当の命中弾を与えて鋸で引き裂く様にしないと駄目だ。
そうした手段で航空機を撃墜するのは不可能では無いが相手によっては気の遠くなる迂遠な方法である。
ただしあり得ない訳ではない。
例え米軍重爆相手であってもたくさんの弾を一生懸命、同じ所に撃ち続けていれば何時かはきっと撃墜(零観でB24を撃墜した例がある)できるだろう。
またそれほど極端な例ではないが小口径多銃主義の英戦闘機はBf109Eの主翼を切り裂いたそうだ。
ちなみに構造材の破壊効果では小口径多銃主義以上に炸裂弾を撃てる大口径火器が威力を発揮する。
これらの弱点以外に外版が布張りだった場合は焼夷弾を撃ち込まれると一気に炎上し燃料タンクを撃たれたのと同じ状態になるから要注意である。
なお、意外に思われるかも知れないが木製機だと発火しにくいらしい。

ともあれ航空機を撃墜するには操縦士を殺傷するか火災を発生させるのが有効であり防弾操縦席装備の登場で小口径火器は次第に陳腐化していった。
となると大口径火器に頼らざるを得なくなる。
だがエリコン系20mmの装弾数は弾倉式なので60発に過ぎない。
よって各国とも大口径火器の装弾数増大化に血道を上げる事になった。
ただし米ソは別である。
米は12.7mmと7.62mmの混載であり12.7mmは弾倉式でなかったから12.7mmに統一するだけで事は済んだ。
ソ連は20mmと7.62mmの混載であったがなんと20mmは20mmでもエリコン系でない独自開発の20mmだったので装弾数は問題とならなかった。
ShVAKと呼ばれるこの20mmは弾倉式でなくベルト式だったのである。
そうなのだ。
賢明なる読者は既にお判りだと思うが「弾倉式なので装弾数が制限される」のなら弾倉式をやめベルト式にすれば良い。
ベルト式だと幾らでも延長できサイズ、重量の許す限り多くの実包を搭載できる。
ベルト式に於ける装弾数の限界は機構上の問題ではなくキャパシティもしくは機能要求上の問題に過ぎない。
かくして英はHS404をベルト式に改良したC翼(装弾数120発)を開発した。
これで12秒は撃てる。
更にC翼では7.7mm8門のCa、7.7mm4門と20mm2門のCb、20mm4門のCcの3種が選択できる様になった。
選べるたってどれにするかはもう考えなくても判るよね。
潤沢に20mm砲が供給されれば。
そう。
様々な事情があったから「C翼ができました。さあ、これからは大口径の時代です。小口径なんかうっちゃときましょう。」って訳にはいかなかったのだ。
でも段々に20mm4門のCc翼装備が増えていく。
一方、ドイツは弾倉式のエリコン系とは別にベルト式のモーゼル系(マウザー)MG151を開発した。
MG151は当初、15mmのMG151/15が量産されたがすぐ20mmのMG151/20に換えられた。
ドイツはかねてより同軸火器に関心を寄せていたがBf109のF型になって遂に実用化に踏み切る。
まずエリコン系のMGFF20mm砲(装弾数60発)をDB601Nの同軸に装備したF1が開発されついで火器をMG151/15に強化したF2が続いた。
更にF3で発動機がDB601Eに強化されF4で火器がMG151/20(装弾数200発)となりF型は完成の域に達する。
MG151/20の発射速度は毎分800発なので15秒撃てる。
ただしF型の登場は独エース達に賛否両論をもって迎えられた。

なにしろE型では2門だった20mmがF型では1門だけだ。
とは言えE型は翼内だったので命中率が低かったがF型では同軸なので命中率がずっと高い。
E型のMGFF砲は発射速度が毎分520発だったから2門で1040発なのに比べF型のMG151は毎分800発なので門数は2倍でも射弾量は1.3倍程度である。
加えてFF砲は初速600m/s前後でションベンダマになりやすかったがMG151は初速800m/sでなりにくい。
とまあこういった理由で単純比較はできないのだがメルダース達がもろてを挙げてF型を褒めそやしたのに対しガーランド達はF型にぶうぶう文句を言った。
なおこの頃になるとBf109とは別に空冷のFw190が戦場に現れる。
こいつは凄い。
「20mm2門で各60発しか撃てないのと1門で200発撃てるのとどっちが良い?」と比べ合ってる場合じゃない。
41年秋に現れたFw190A2はなんと20mmを4門も装備しているのだ。
内翼に発射速度毎分720発の同調式MG151/20を装弾数各250発(発車時間20.8秒)を2門、外翼にMGFF砲2門(Fw190のMGFF砲装弾数は資料によって45発、55発、90発など諸説あり)である。
つまりBf109ならE型1機+F型2機の3機分だ。
Fw190の登場はドイツの機関銃屋に大きな福音となった事だろう。

こうしてスピットファイアB翼で6秒、Bf109E4で7秒だった大口径火器の射撃時間はスピットファアC翼で12秒、Bf109F4で15秒になり「大口径火器の時代」が到来した。
これらの装弾数増大化は「弾倉式だったエリコン系の制約」をベルト式にする事で達成された。
ところが...
地球の裏っかわの日本では大きな弾倉を開発し装弾数を増やしたのである。
大きな弾倉を作るよりベルト式の方が良い事は日本だって判っている。
当然、ベルト式も開発した。
だが焦眉の急には間に合わない。
そこで暫定措置として100発入大型弾倉が開発されたのだ。
100発入大型弾倉は零戦32型から装備されている。
それではここで弾倉式とベルト式の差を比較して見よう。
まず零戦99式1号20mm機銃だが火器本体の重量は23kg、弾薬は1発の実包重量が192gだ。
それでは23kg+60×192g=34.52kgが火器本体+弾薬の重量かと言うとそうでもない。
弾倉の重量が別にかかるのである。
たかが弾倉と思ってはいけない。
なんと60発弾倉は8kgもあるのだ。
ちなみに100発弾倉はもっと重く17.8kgもあるらしい。
これが2門だから合計35.6kg!
それに比べベルト式は弾薬重量+リンク重量だがリンクは100発につき約1kgなので合計2kgにしかならない。
ベルト式の方がお得であるとすぐに御理解頂けよう。
重量的に得なだけではない。
スペースさえあればドシドシ装弾数を増やせるし飛行時のGにも強い。
だが幾らベルト式が良くても戦場では「すぐに使える新兵器」が望まれている。
新型弾倉の開発を「それなりの技術革新がなければ困難」と前述したが困難を乗り越えてでもそれを実現化した田中悦太郎技術大尉の苦労は大変な物であったらしい。
なおこうした給弾機構の改良に加え日本海軍は初速の増大を目的としエリコン製FFLをライセンス化した20mm2号銃の実用化にも乗り出す。
ケース長(実包重量210g)が大きくなって装薬が増え銃身長も長くなったから2号銃の初速は1号銃の600m/sから750m/sに増大した。
ただし銃本体の重量は38kgに増え発射速度も毎分500発に低下している。
通常、日本海軍の99式20ミリ機銃は銃身長タイプ(1号銃と2号銃)と給弾機構タイプ(60発弾倉が1型、100発弾倉が3型、ベルト式が4型)の組み合わせで表記される。
つまり1号銃1型とか2号銃4型とかいった具合だ。
さて、2号銃だがこれは1943年春頃から装備(零戦22甲型)されだしたらしい。
勿論、2号銃3型である。
これが2号銃4型となるのは44年3月に量産が始まった零戦52甲型になってからだ。
この時、日本海軍の機銃はやっと弾倉式の制約から逃れ欧米に追いついた。
えっ、2号4型の装弾数?
さぞ増えたろうって?
う〜ん、残念ながら零戦系では125発だったらしい...
でもね、これはスペース的な問題だったから烈風の200発や紫電改の250発などベルト式はおおいに戦力として貢献したんだ。
随分、遅すぎたけど...
もしもっと早ければ古峰氏の調査で存在が明らかになった零戦41型なんかも量産化され「幻の41型」とはなっていなかったかも知れない。

ここで話を同軸の本家フランスに移そうと思ったがフランスは装弾数60発の時点で降伏しちゃったからそれっきりだしなあ。
そう言えば日本は同軸20mm付イスパノスイザ発動機には随分と御執心だったっけ。
96式艦戦に装備(3号)したりドボアチンD510を輸入したり中島にキ12を試作させたり...
ま、いいや。
ところでこれから日本陸軍やイタリア、ソ連へ話を進めるのだがその前に以降、12.7mmクラスの火器を中口径と区分する事にする。
そうしないと話がややこしくなるからね。
なぜかと言うとこの3国(日本陸軍を1国に数えるのは語弊があるが)ではやたらと中口径火器の影響が強いからなのだ。
えっ、米国の方がもっと強いって?
そいつはそうだ。
でも米国はほとんど中口径一本槍だから門数と装弾数を数えるだけで済む。
それに比べ中口径御三家はエリコン四天王(仏、英、独、日本海軍)の様に混載しており米国と同じ訳にはいかない。
まずイタリアだが意外や意外、中口径火器に関しては先進国でいち早く国産のブレダ12.7mmSAFATを量産化して複葉のCR32あたりから装備した。
ところがこの機関銃、他国の中口径に比べ重いわ初速が遅いわ発射速度も遅いわでろくなもんじゃ無かった。
どの位、劣ってるかって?
それじゃドイツのMG131と比べてみよう。
前の数字がSAFAT、後の数字がMG131である。
重量29/18kg
初速765/790m/s
発射速度毎分700/900発
まあMG131の方が5年も後に出来た兵器だから比べちゃ酷かも知れないが。
なんにせよ、小口径よりは遙かに威力のある中口径を装備したんだからイタリアが大口径へ移行するのは大幅に遅れ、降伏するちょっと前に独のMG151/20を装備するにとどまっている。
なおイタリアは発動機もダメダメだったから大戦中盤から独のDB発動機に依存し始めDB601A、DB605と次々と輸入したりライセンス化したりした。
いいねよね。
ドイツと地続きってのは。
日本なんか遠路はるばる潜水艦を派遣してやっとこさMG151/50を800門と弾薬40万発(おいおい、1門あたりたった500発?)だよ?
それに比べ独伊間は貨物列車でピューだ。
うらやましい限りである。
G55やMC205、Re2005など末期イタリア戦闘機(通称5シリーズ)が高性能なのは有名だが、発動機がドイツ製で火器がドイツ製ときたら高性能にならない方がおかしい。
だからこれ以上、イタリア機について語る事はない。
ちなみに気になる装弾数だが大戦初期に12.7mmSAFAT2門を装備した各戦闘機はCR42が各400発、MC200が310〜370発、R2000が300発だったらしい。
末期のMG151/20を装備した5シリーズの装弾数は概ね20mmが各200〜250発、12.7mmが各350〜400発くらいである。

次は日本陸軍。
そもそも火器が中口径や大口径になったのは小口径じゃ敵機が墜ちなくなったせいだ。
日本陸軍が「やべえ、こつら防弾板付けてるよ」と感じ自らも防弾板とそれを撃ち抜ける火器の開発に躍起になりだした契機がノモンハン事変。
もっともその前から火力の強化に無関心だった訳ではない。
前述した様に大口径を装備したキ12を開発してるしね。
だけどノモンハン事変を境に対象が大口径から中口径にシフトしたのだ。
爆撃機を主目標とするエリコンの同軸大口径より敵戦闘機の防弾板を撃ち抜ける中口径の方が役に立つと思ったのだろう。
なにしろ中口径なら装弾数は多いし発射速度は早いし「それで間に合う」ならわざわざ大口径にする必要はない。
かくして日本陸軍が開発したのが米の12.7mmAN/M2をデッドコピーしたホ103である。
米の場合、一見は間に合った様に思えたから中口径一本槍で押し通したがB17やB24に遭遇した日本陸軍は「とても間に合わない」と思った。
そこで急遽、大口径にも乗り出した。
どうしたかって?
前述した通り潜水艦でドイツのMG151/20を運んだのだ。
おまけにこれを装備した3式戦の発動機までDB601のライセンス版と来るからイタリアとおんなじである。
だけどここからが違う。
そう何度も潜水艦で輸入できないからね。
どうしても大口径を国産化する必要がある。
海軍の20mmを分けて貰えばいいって?
ノンノン、日本陸軍はそんな事しやしない。
日本陸軍の中口径(ホ103:口径12.7mm発射速度毎分800発)は米のデッドコピーだがなんと日本陸軍はホ103を拡大して20mmにしたのだ。
これを機体のどこにどう装備したかは「単発戦闘機の固定火器装備事情」で書いたからここでは省略する。
なお最初の頃、2式単戦や3式戦が中口径と小口径を混載していたのは「まだホ103の信頼性が低かった事」と「ホ103の生産量が充分でなかった事」が要因だ。
だからこうした問題が片づくやいなやすぐホ103の4門装備に移っている。
日本陸軍式中口径多銃主義の萌芽だ。
もし米重爆が出現しなかったら日本陸軍戦闘機は当分、ホ103を主力火器として使用し続けただろう。
所詮、潜水艦によるMG151/20の輸入も3式戦に対するホ5の装備も急場しのぎの方策に過ぎず開戦前には4式戦を「救国の大東亜決戦機」とする予定などなかった。
全て「米重爆が新登場したせい」なのである。
嗚呼、もし米重爆が登場しなかったら...
日本陸軍と米軍の戦闘機は双方とも中口径多銃主義で双方とも「中口径には堪えられない程度の防弾板装備」だから結構、良い勝負だ。
気になる装弾数は1式戦や2式単戦、3式戦が250発(18.7秒)で中口径としては少な目だがP40Eの281発やF4F4の240発と比べればトントンである。
太平洋を挟んで交戦する相手が同じ様な火器と防御体系で装弾数も似通っているのは大変面白い。

それにしても米重爆の奴め。
折角、日本陸軍が始めた中口径多銃主義が台無しだ。
もし日本で中口径じゃ手に負えない位の重爆が量産(そんなの不可能だが)されていたら米軍も中口径多銃主義を放棄して大口径へ移行したんだろうか?
米は当初から中口径多銃主義と並行してP39に超大口径を装備してるしP38へもたった1門ながら20mmを装備している。
大口径への移行はさして困難ではなかったはずだ。
そう言えばP51やF4Uでも20mm装備のサブタイプがあったっけ。
まあ、それはともかくとして話を日本陸軍に戻そう。
米重爆に対処する為に開発されたホ5だが元が米のブローニングなもんだから発射速度が毎分750発と早くベルト式なので装弾数も適宜に増やせた。
最初に装備した3式戦丁型は120発、次の4式戦では150発、5式戦では更に200発となっている。
ちなみに中口径の方も4式戦では350発に増えた。

なお5式戦では中口径が250発になったがこれはワザワザ減らしたのではない。
そもそも5式戦は3式戦2型の発動機換装型なのだ。
だから主翼は3式戦2型のままであり主翼装備中口径の装弾数も250発のままなのである。
こうして日本陸軍は中口径多銃主義から「米重爆対処の大口径と中口径混載主義」に進み4式戦乙型から大口径4門の大口径多銃主義となっていった。
えっ、その後?
4式戦丙やキ87、キ94は30mm2門と20mm2門の超大口径と大口径の混載だけどこうなると火力のインフレここに極まれりって様相になる。
装弾数はキ87の場合、30mmが各100発、20mmは各200発だった。

さて最後にソ連。
今までいろんな国の火器事情を紹介してきた。
もう一度おさらいすると当初、英は小口径だけ、独と日本海軍は小口径と大口径、米、伊、日本陸軍は小口径と中口径を装備していた。
ところがなんとソ連は大中小全ての口径を揃えて戦争を始めたのである。

これは「当たり前の事」に見えて「特殊な事」なのだ。
なにかと言うとサナダさんは「こんな事もあろうかと思って...」と言って次から次に新兵器を出してくれるがドラエモンじゃあるまいし実際にはそんなに都合良くいかない。
発動機についても片っ端からライセンス化しまくり上手くいったら量産化するといったやり方だったから「思いこんだら命がけ」のこちとらでは図りかねる部分があるのだろう。
まあ、おおらかと言うか大陸気質と言うか...
さて、小口径はいいとしてソ連が開発した中口径はベレジン12.7mmである。
この機関銃、重量は25kgと一般的だが初速860m/s、発射速度毎分1000発とやたら高性能だった。
ちょっとイタリアの12.7mmと比べてみてよ。
雲泥の差でしょ?
ドイツのMG131よりも高性能だがこれはまあ、ドイツのはコンパクトなんだから仕方がない。
コストパフォーマンスとしては同等だろう。
大口径のShvakに中口径のベレジン。
どこに出しても恥ずかしくない航空機関砲を2種類も持ってたんだから後は「どこにどうやって装備するか?」だけだ。
だけどここでソ連は大変な苦難に遭遇する。
詳しくは「単発戦闘機の固定火器装備事情」で書いたからそっちを読んで貰うとして気になる装弾数を見るとしよう。
まずYak1、3、7、9系列だが大口径が120発(9秒)、中口径が200発(12秒)でいたって少ない。
次にLa5が大口径2門で200発(同調なので発射速度毎分700として17秒)、La7は大口径3門に増えたがその分、装弾数が各100発に減らされたので8.5秒。
こうして見るとLa5はエース向きでLa7はそうでないのが面白い。
なお小中大と3種類の火器を取り揃えたソ連の単座戦闘機は小口径多銃のI−15やI−16の初期型、小口径と中口径を混載したMig1やMig3、小口径と大口径を混載したYak1やYak7、中口径と大口径を混載したYak3やYak9、大口径のみのLa5やLa7などと武装パターンが多岐に渡っている。
また木製主翼の為、装備位置が胴体に限られるので火器数が少ないのが特徴だ。
それとソ連戦闘機で忘れてはなないのがレンドリースのP39とP63。
ソ連で50機以上のスコアを挙げたエース7名の合計撃墜数は389機だがこのうち155機以上はP39もしくはP63による戦果である。
ちなみにトップエースのコジェドブ(62機)や5位のエフスチグネーエフ(53機)の乗機はLa5だった。

各国の紹介が終わったので全般状況の方へ話を戻そう。
エリコン四天王(日本海軍、英、独、仏)はいち早く大口径への先鞭を付けたが「60発の制約」の為、小口径にも頼らざるを得なくなった。
一方、中口径御三家(日本陸軍、ソ連、伊)は初の大口径がベルト式だったので「60発の制約」を味あわずにすんだ。
かくして「小口径のみ」で幕を開けた航空機用火器はエリコン四天王と中口径御三家+米国に分かれて進化したが航空機の防御が強くなると共に小口径の存在意義はどんどん低下していった。
単座戦闘機に「要らない兵器」を装備する余裕はない。
よってエリコン四天王がベルト式大口径へ移行した後に訪れた変革は「小口径の代替」であった。
これには3つの道がある。
小口径がなくなると言う事は火器が中口径と大口径だけになるのだから1「中口径のみ」と2「中口径と大口径の混載」及び3「大口径のみ」である。
そして1もしくは2を選択するには中口径がなくてはならない。
けれどエリコン四天王は第2次世界大戦勃発当初、中口径をもってなかった。
となると新たに中口径を開発するか3を取るしかない

早期にリタイアした仏はともかくとして独はMG131を開発した。
前述した通りMG131の特徴はコンパクトな所にある。
Bf109にしてもFw190にしても機首に小口径(7.92mmのMG17)を2門装備していたのだがMG131はちょっとコブが突きだしただけでそのまま2門収まってしまったのだ。
後述する「日本海軍の場合」に比べこれは画期的な事である。
だいたいMG131(13mm)の弾頭重量は34gでMG17の11.5gよりMG151/15の57gに近い。
でも銃本体の重量は僅か18kg(資料によっては16.6kg)でMG151/15の42kgよりMG17の12.6kgにずっと近いのだ。
まあMG151/15は大重量の典型だから比較するのはちょっと芳しくないかも知れないが他国の中口径を探してもMG131並に軽いのは見あたらない。

これを装備したのはBf109が43年初頭のG1北アフリカ仕様機(装弾数300発:20秒)からであり、Fw190は44年初頭のA7(装弾数475発:31.6秒:400発説もあり)からであった。
当然、両機はMG131の他に大口径も装備していた。
装備数はBf109G1が同軸にMG151/20(装弾数200発:15秒)1門、Fw190A7がMG151/20を主翼同調2門(装弾数250発:20.8秒)+外翼2門(装弾数125発:9.3秒)である。
MG131の登場はFw190には対して大きな意味を持たなかったがBf109にとっては大きな火力強化となった事がお判り頂けよう。

まあこうしてドイツは割とスムースに中口径への交換を成し遂げた訳だが日本海軍はどうであったか?
えっ、日本海軍は陸軍からホ103を分けて貰えばいいって?
ノンノン、日本海軍も陸軍と同じでそんな事しやしない。
で、どうしたと思う?
なんと米軍の12.7mmをデッドコピーした3式13mm機銃を開発したのだ。
ただし口径は日本海軍の艦載機銃に合わせ13.2mmに変更している。
陸軍と海軍が揃って米軍の中口径をデッドコピーし揃って同じ苦労をするのだからなんと言って良いのやら...

この3式13mm(発射速度毎分800発:同調時700発)を装備した最初の戦闘機は零戦52型乙(20mm2号銃2門、3式13mm1門)で1944年4月に完成した。
装備位置は当然の如く7.7mmが装備されていた機首上面である。
ただし「単発戦闘機の固定火器装備事情」で書いた様に銃尾が大きく張り出したから右側の1門しか装備できなかった。
なお多くの資料で52型乙の武装が20mm2門+13mm1門+7.7mm1門と記載されている。
本当に大中小3種類の火器を全て装備したんだろうか?
だとしたら3種類の弾道が飛び交って照準しにくかったろうなあ...

さて苦労して開発された13mmだが零戦の機首に装備したら操縦しづらくてクレームバリバリだし1門じゃ火力も物足りない。
そこで52型丙ではこれを2門、主翼にも装備した。
装弾数は20mm2号銃2門が各125発(15秒)、胴体の13mm同調が230発(19.7秒)、主翼の13mmが240発(18秒)である。
主翼装備なら小口径の代替じゃないんだし何も中口径でなくっても...
それとも開発中だった烈風のふくみか?
重量で言えば3式13mmは27.5kgで20mm1号銃(23kg)と20mm2号銃(33.5kg)の中間だよ?
そんなにまでして中口径が欲しかったのか?
となりの芝生は青く見えるもんなあ...

零戦の他に3式13mmを装備した量産機は約200機の紫電改31型(量産されなかったと記述している資料もあり)だけである。
果たして日本海軍は3式13mmをどの様に位置づけていたのだろう。
試作機として烈風があるが同機は「日本海軍が目指していた理想の対戦闘機用単座戦闘機」であった。
よってその装弾数に片鱗が窺えるかも知れない。
さてと、20mm2号銃が200発(24秒)で3式13mmが性能要求時で400発(30秒)、実際が300発(22.5秒)か。
25〜30秒あれば充分と考えていたって事かな?
他をちょっと見とこう。
20mm2号銃をズラリと4門揃えた局戦の雷電21が内側銃210発(25.2秒)+外側銃190発(19.5秒)、紫電改が内側銃200発(25秒)+外側銃250発(30秒)となってる。
まあここら辺が日本海軍の見解なのだろう。

それにしても3式13mmがもっとコンパクトだったらいいのになあ...
って言ってるそばから日本海軍はMG131のライセンス版(2式13mm旋回機銃)を量産してるじゃないの!
なんだかなあ...
こうなるとちっともワカラン!

エリコン四天王、最後に控えし英国は...
一旦、2「中口径と大口径の混載」を諦めハリケーンやスピットファイア、タイフーン、テンペスト、ファイアフライでお馴染みの20mm4門による3「大口径のみ」となるかに思われたのだが...
やはり英国とて仲間はずれになるのは嫌だったらしい。
スピットファイア用に大口径と中口径各2門を装備するE翼を開発した。
これまでにA翼、B翼、C翼と説明してきたが「なにゆえとんでE翼?」と思われるかも知れない。
実はD翼は「偵察機用の非武装、翼内燃料タンク装備」なのである。

さて英国も中口径を備える事になったのだが、どういった手段を使ったのか?
日本陸軍は米国の12.7mmをデッドコピーした。
日本海軍も米国の12.7mmをデッドコピーした。
英国もか?
ノンノン、英国はそんな事しやしない。
ちゃんと米国から分けて貰ったのだ。
察する所、米英は日本陸海軍より仲が良かったと見える。
きっと「オトナ」なんだろう。
ところでこのE翼だがたいして装備されなかった。
英国紳士は米国製12.7mmがお気に召さなかったのかも知れない。
それではC翼の20mm4門か?
まあそれもそれなりに量産されたが意外と目に付くのが20mm2門のみの機体なのだ。
もはや1941年以降は英本土が他国重爆に脅かされている訳じゃなし大口径を多数装備するより機体を軽量化した方が得策だった。
英単座戦闘機は昼間長距離進攻しないしね。

さて、エリコン四天王(日本海軍、英、独、仏)が中口径の導入によって火力強化を図ったのに対し中口径御三家(日本陸軍、ソ連、伊)と米は如何なる方策を講じたであろうか?
まず米は「中口径に統一しました。」そして「どんどん装備数と装弾数を増やしました。」でもって「P47に辿り着きました」で終わり。
伊も1943年9月に降伏したのでもう述べる事はない。

となると以降は本土防空で「なりふり構わぬ火力増強」に血道を上げた日本陸海軍及びドイツに話の焦点が移る。
更に燃えさかるベルリンと東京を横目で見ながら「こいつぁいけねえ、この戦争が終わったら次はイデオロギー対決のバトルロイヤル第3ラウンドだ。ウカウカしてるとモスクワも灰にされるぞ。」と戦略爆撃機の国産化並びに本土防空態勢の確立にいそしんだソ連を忘れてはならない。
英国?
あそこはまあ、中口径万々歳の米国と双璧をなす大口径万々歳でスピットファイアのE翼を申し訳程度に作った以外、中口径には手を染めなかった。
よって更なる高性能の20mmを求めその終点に達したのがイスパノ5型20mmだった。
もう一度、説明しとくけど最初にスイスのエリコン社が作ったのがケース長20*110の弾薬を使用するFFS。
それをライセンス化し改良したのが仏のHS404。
更にそれを英が生産したのがイスパノ1型と2型でホワールウィンドやスピットファイア、ハリケーン、タイフーンなどおよそ殆どの英戦闘機に装備された。
また当初は60発弾倉式だったが途中からベルト式に改良され装弾数もスピットファイアC翼で120発、タイフーン140発、モスキートで150発となった。
このイスパノ2型と言う火器、20mmクラスとしちゃ世界最強のハイパワーだったが大きすぎてかさ張り、発射速度もちと遅めと言う欠点を持っていた。
ハイパワーなはずだ。
火器ってのは薬莢に入った装薬の力で弾頭を銃身から発射する事で初速を得る。
つまり薬莢(ケース長)が大きくて銃身が長ければパワーはそれだけ大きい。
ちなみにパワーが大きければ初速も大抵速いけど必ずしも正比例はしない。
なぜなら弾頭が軽ければパワーが小さくても初速が速くなるからだ。
「装弾数の話(1)」で各20mmのケース長を書いたけどダントツでしょ?
加えてイスパノ2型を装備したスピットファイアやタイフーンの写真を眺めて頂きたい。
「これでもか!」ってくらい銃身が長く突きだしているでしょ?
賢明なる読者はもうお判りと思うが英国が考えた火器の改良は銃身を短くして火器をコンパクトにする事だったのだ。
ハイパワーを求めた日本が1号銃から2号銃へと発展させたのと逆である...
さて、銃身を短くし機関部を改良した5型は初速が880−>840m/sへダウンしたものの銃本体重量が50−>42kgに減り発射速度は毎分650−>750発に向上した。
これを装備したのがテンペストである。
ねっ、銃身が短くなって主翼に収まっているでしょ?
装弾数もテンペストでは150発(一説によると200発)に増えている。
ただしイスパノ5型は登場が遅すぎた為、戦局にはさほど寄与しなかった。

さて本題に移ろう。
テーマは国家の死命を制する本土防空戦だ。
本土防空戦となるとなんとしても敵重爆を1撃で仕留めねばならない。
その為には大口径だ。
更には超大口径だ。
大口径と超大口径の混載だ。
もうエースなんかどうだっていいから1回の射撃で一撃必殺だ。
「次の機会」なんて悠長な事を言ってられなくなるから1門当たりの装弾数を減らしてでも大口径や超大口径の門数を増やすのが肝要だ。
そう、大口径や超大口径は対重爆用火器なのである。
とは言えベルト式で装弾数が多くなり長銃身化で初速も速くなった大口径は戦闘機に対しても有効だから両用と言えなくもない。

おまけに装甲板の厚さが4式戦で12mm、Fw190A3で14mm、Me262なぞは16mmになっていたから中口径じゃ「撃墜はできても搭乗員は殺傷できない有様」なので見方によっては「中口径はもはや陳腐化?」なのだ。
まあ、全戦闘機が強力な防弾板を備えていた訳じゃないから「中口径=対小型機用」、「大口径=両用」、「超大口径=対重爆用」って具合だろう。

かくして日独は超大口径(21mm以上の航空機用火器)の開発に取り組んだ。
しかし日本海軍の方は2式30mm(弾倉式42発)と5式30mm(ベルト式)を完成させたものの2式がごく少数の雷電や零戦、彩雲夜戦型に装備されただけで5式の方は戦力化されない内に終戦を迎えてしまった。
ただし5式も全く量産されなかった訳ではない。
いや、それどころか2000門以上も生産されたのである。
未だ完成しない天雷や烈風改、震電、閃電、電光などに装備する為に...
ちなみに5式30mmの重量は70kg、発射速度は毎分350発(450発説、500発説、530発説など諸説あり)で実包重量は660gだった。
考えてみてよ。
震電はこれ4門に各60発だ。
火器+弾薬重量は合計438.4kgにもなる。
それで撃てるのはたった10.2秒(530発説なら6.79秒!)に過ぎない。
まさに究極の1撃離脱戦闘機だね。
でも結局の所、超大口径は倉庫で眠ったままで...

やむなく日本海軍は大口径を多数装備する事で米重爆に対処したのである。
その代表が20mmを4門装備した紫電や紫電改、雷電だ。
なんとなく20mm4門の紫電は「重武装の局戦だから艦戦の零戦52型丙より大火力」なイメージがあるが火器と弾薬の重量を合計した数値でみると紫電(2号銃4門の11型乙)が260kg、零戦52型丙が284.36kgで紫電の方が軽い。
言葉と言うのは難しい物で大火力と言うのは単に「重量の多くを火力に割いている」のではなく「火器が対重爆用の大口径火器で占められている事」を指すのかも知れない。
だとすれば中口径しか装備していない米軍機などは小火力の極みとなる。
まあ、小火力であっても1式陸攻などはいともたやすく撃墜できるので何ら問題にならないのだが。
ちなみにF6F5の火器+弾薬合計重量(中口径6門と弾薬各60発)は456kg、発射時間32秒であった。

戦略爆撃には3種類のやり方がある。
昼間爆撃と夜間爆撃、それに核爆撃だ。
そして昼間爆撃には単座戦闘機、夜間爆撃には複座以上の夜間戦闘機が対処する。
核爆撃には...
残念ながら対処するすべはない。
来襲する全敵爆撃機を撃墜/撃退するのは大変、困難で1機でもとり逃したら壊滅的被害を蒙るからだ。
全爆撃機に核爆弾を搭載できるか否かは問題だが...

こんな事を今頃書き出したのは「単座戦闘機の装弾数」がメインテーマな為、これまで全く触れてこなかった「複座以上の夜間戦闘機」をちょっとばかり解説せねばならなくなったからである。
欧州戦域の連合軍は英の夜間爆撃、米の昼間爆撃で絶え間なくドイツに重圧を加えた。
ところが対日戦では1944年夏まで日本本土に全く戦略爆撃できず、以降も「米軍のみの対日戦略爆撃」だったので様相を異にした。

米による対日戦略爆撃を決定するキーパーソンは以下の4点である。
1.B29(もしくはB32)の完成
2.マリアナの攻略
3.ルメイの登場
4.硫黄島の攻略

まず1.だが爆弾4tを搭載して航続距離5600kmのB29(もしくはB32)が完成しなければ対日戦略爆撃は思いもよらない。
硫黄島の早期攻略が可能ならば別だが。
次の2.だがインド発中国経由の爆撃では九州しか爆撃できない。
日本の主要工業地帯を戦略爆撃するにはマリアナ奪取が肝要なのである。

かくして開始された対日戦略爆撃は九州に対する6月16日の爆撃でその幕を開けた。
九州が目標となった理由はまだマリアナの飛行場が使えなかったからだが興味深いのは米軍がこの時、夜間爆撃をした事である。
目標の所在が明確でない夜間爆撃は基本的に無差別爆撃であり民間人殺傷もしくは士気阻喪を目的とする場合が多い。

なお夜間爆撃の利点は損害の軽減化にある。
夜間であれば対空火器の命中率が低いし迎撃も夜間戦闘機に限られるからだ。
元来、B29は排気タービンとノルデン照準器を駆使した昼間精密爆撃をする目的で開発された航空機である。
それにも関わらず夜間爆撃した理由は「慣れない初めての対日戦略爆撃」で大きな犠牲を払いたくなかった為と思われる。

よって以降、米軍は昼間爆撃に切り換えた。
ただし全面的にではない。
1944年11月末までに米軍は11回の対日本土戦略爆撃を行なったがその内6回が昼間、5回が夜間であった。
機数で見るなら全出撃機数586機中、416機が昼間、170機が夜間である。
数字を見てお判りの様に昼間爆撃は編隊規模が大きく夜間爆撃は小さい。
なにゆえ米軍は大規模編隊の昼間爆撃と小規模編隊の夜間爆撃を並行させたのであろうか?

これは日本側の迎撃体制を攪乱する為である。
欧州と違い「夜間爆撃専門の英軍」が存在しない以上、米軍だけでやるしかない。
なおこの時期に米軍が行った夜間爆撃は「迎撃体制の攪乱」と士気阻喪を目的としており「民間人殺傷を目的」としていない。
だから昼夜双方であり夜間の方は小規模なのだ。

さて米軍の昼夜爆撃は12月に入ると「昼間爆撃一本槍」に代わる。
ただし高々度からの昼間精密爆撃はサッパリ成果が挙がらない。
何度繰り返しても成果が挙がらず損害ばかり大きくなる。
そのまま昼間精密爆撃は3月まで繰り返されそこに3.のルメイ将軍が登場する。
彼が実行したのは大規模編隊による夜間爆撃だった。
勿論、目的は「民間人の大量殺傷」である。

まず手始めに1945年3月10日、東京の下町一帯が灰燼に帰し約10万名の民間人が死亡した。
戦争全期間の「本土空襲による日本民間人の死亡者総数」は約50万名だがその内の約33万名が核攻撃による物であり一般空襲の死者は約17万名となる。
そしてその中の半分以上が3月10日の被害なのだ。
ちなみに対日戦略爆撃のB29出撃数はのべ34790機で3月10日の出撃機数334機は約1%に過ぎない。
3月10日の空襲が「色々な意味で普通でない事」が御理解頂けよう。

この日を境に米軍は12日の名古屋、14日の大阪、17日の神戸と夜間爆撃を繰り返す。
米軍の「夜間爆撃一本槍」は「九州の飛行場に対する昼間戦術爆撃」や「港湾都市に対する機雷敷設」を間に挟みながら4月上旬まで続けられた。

そして4月7日、また新たなる局面が発生した。
P51とB29の戦爆連合編隊が中島飛行機武蔵工場を昼間爆撃したのである。
これは4.の影響に他ならない。
護衛戦闘機の登場によって米軍は重要工場に対する精密昼間爆撃も迎撃戦闘機を恐れず行える様になった。
かくして米軍は以後、終戦まで昼夜を問わず爆撃し続けたのである。

ここで状況を整理して見よう。
第1の局面は6月16日から11月末までの昼夜爆撃だ。
この期間の戦いはB29対日本夜戦とB29対日本単座戦闘機の2種類である。
第2局面は3月9日までの昼間爆撃でB29対日本単座戦闘機だけとなる。
第3局面は3月10日から4月6日までの夜間爆撃でB29対日本夜戦だけだ。
第4局面は4月7日から終戦まででB29対日本単座戦闘機、米護衛戦闘機対日本単座戦闘機、B29対日本夜戦である。
ここに至り日本単座戦闘機は重爆に対処できる火力と米護衛戦闘機に対応できる運動性の双方を持ち合わさねばならなくなってしまった。

日本陸軍戦闘機の超大口径火器は30mmクラスと37mmクラス、57mmクラスの3段階(40mmのロケット砲や75mmの高射砲はちょっと除外)に分けられる。
これら3段階のうち最初に実用化されたのは37mmクラスのホ203だった。
昔々のその昔、第一次大戦を横目で見ながら日本陸軍は「これからは塹壕戦の時代らしい。」と思い「塹壕戦なんだからトレンガンが必要だろう。」と考えた。
トレンチガンとは敵塹壕の中枢をなすトーチカの銃眼や機関銃座を狙撃する小口径歩兵砲だ。
かくして1922年に制式化されたのが11年式平射歩兵砲(37mm28口径)である。

これを発達させたのがホ203(実包重量838g)で2式複戦に装備され対B29戦に於いてかなりの活躍をした。
資料により重量が60、80、90kg、装弾数が16、25発、初速が410、570m/s、発射速度が毎分100、120、140発と諸説ありどれが正しいのかどれも正しくないのか皆目分からないが陸海軍を通じ日本で実用化され実績を挙げた唯一の航空機用超大口径火器なのは間違いない。
ホ203は旧式火砲の流用ながらそれなりに優秀であった。
そしてホ203を基礎に拡大したのが57mmのホ401である。
この火器の性能も重量150、160kg、初速495、565m/s、発射速度毎分30、50、80発など諸説あってハッキリしない。
装弾数は16発、弾頭重量は1550g、実包重量は2100gらしい。

それにしてもこの火器で何を撃とうと言うのか...
幾らB29が重防御でも当たりさえすれば37mmのホ203で充分だ。
問題は破壊力ではなく命中率なのである。
それなのにホ401の発射速度はホ203に比べ輪をかけて遅いから命中率はかえって低下してしまう。
だからどうしたって対航空機用ではなく対地上目標にしか使えない。
(これでB29を撃墜した例もあるにはあるのだが)
本土防空戦で大忙しの御時世にこんな火器が必要なのだろうか?
だが不思議な事にホ401もまた量産化されキ102乙に装備された。
そりゃそうだ。
キ102乙は対地攻撃用の襲撃機だもの。
問題は「1機でも防空戦闘機が必要な時に襲撃機を量産した事」にある。
よってホ401は量産されたもののホ203の様な実績は挙げていない。

さて、それでは実績を挙げなかった次の超大口径に筆を進めるとしよう。
まず最初は30mmのホ155。
4式戦丙に装備した超大口径火器がこれだ。
このホ155、もとをただせば20mmのホ5の拡大型なのだ。
つまり米製12.7mmブローニングのコピーがホ103で、その拡大型20mmがホ5、更にそれを拡大したのが30mmホ155となる。
ホ155の実包重量は520gで4式戦丙型、キ83(装弾数100発)、キ87、キ94(装弾数100発)、キ102丙、火龍などに各2門の装備が予定されていた。
重量は50kgと超大口径としては極端に軽く発射速度は毎分600発だった。
つまりカタログデータとしては最高傑作と言えよう。

でもねえ...
本家本元の米国ですら「ブローニング系のショートリコイルは大口径には不向き」と判断してたし日本陸軍も「20mmのホ5でも少々無理があった」と反省してる位だ。
その30mm版なんだからどうしたって故障しないはずがない。
多分、アラが出なかったのは実戦に間に合わなかったからなんじゃないかな?
けれど日本陸軍はよくよくブローニング系が好きだったと見える。
こう書けばわかるでしょ?
もっと凄いのが出てきそうだって事が...
そう。
日本陸軍は作ったのだ。
ホ155を37mmに拡大した究極のブローニング系ホ204を。

この火器の性能は重量が130、180kg説、初速が600、710m/s説、発射速度が毎分200、400発説とあってちょっと実体が掴めない。
装備されたのは100司偵の改造戦闘機(斜銃)やキ102甲、キ108などの高々度戦で2式複戦の後継と言える機体達だった。
ホ204は前述した対地用の57mmホ401に比べれば対航空機用のまっとうな火器なんだから実戦投入できなかったのがちょっと惜しまれる。
まあ故障しなければの話だけど。
ちなみに装弾数はキ102甲やキ108が35発だったらしい。
100式司偵の斜銃は航空機総集などで装弾数200発と記述されているがこれは何かの間違いだろう。
ホ204の実包重量は985g(弾頭475g)だから200発も積んだらえらい事になる。
全く不可能とは言えないがちょっと納得し難い数字だ。

さて37mmのホ204や57mmのホ401は陸軍航空機用火器の横綱的存在だがここが進化の到達点だったんだろうか?
いやいや、まだ上がいた。
本当の頂点は対地用に開発された57mmホ402なのだ。
えっ?
57mmの対地用ならさっき出てきたホ401で充分だろうって?
うん、僕もそう思う。
でも日本陸軍は開発したのだ。
更に強力な超大口径火器「ホ402」を...
ホ402の実包重量は3250g(弾頭重量2700g)、初速は750m/s、発射速度は毎分80発、重量は500kgに及ぶ。
そしてこれを装備する為に開発されたのがキ93襲撃機だ。
こんなデカブツを装備するんだから重爆なみの巨体になったが装弾数は20発と意外に少ない。
反面、副武装として主翼に2門装備された20mmホ5(主翼に2門装備)の装弾数は各600発とメチャメチャ多い。
出典は航空機総集だけどこれも100式司偵の斜銃と同じで「何かの間違い」なのかも知れない。

次にドイツ。
地球の裏側の太平洋戦域では日本陸海軍が今一歩の所で超大口径を物にできずB29相手にほぞを噛んだがドイツ本土防空戦じゃ超大口径を装備した猛禽達が連合軍4発重爆を昼夜分かたずギッタギタに叩きのめした。
結局は負けちまったが...
あれ?
ビュルガー(モズ:Fw190)やウーフー(フクロウ:He219)は猛禽だけどシュワルベ(ツバメ:Me262)は猛禽じゃないな。
まあいいか。

正直言ってドイツ本土に来襲するB17やB24、ランカスターやハリファックスを叩き落とすには20mmのMG151でも充分に思われるのだがそこは凝り性なドイツ職人魂、超大口径の航空機用火器としてふたつの逸品を産み出した。
MK103とMK108である。
この両者は口径がどちらも30mmだったが弾薬は別であり火器としての性格が驚くほど異なっていた。

ちなみにこれらの火器名に付けられたMKのスペルは型式を表すMARKの略ではない。
機関砲を表すモーターキャノンの略なのだ。
ドイツでは30mmクラスから機関砲、それ未満を機関銃としてるので他国では機関砲扱いの20mmでもMG(マシンガン)に類別されている。
日本海軍では30mmだって機銃、日本陸軍では12.7mmでも機関砲だから「銃と砲の違いは何?」なんて考えない方が宜しかろう。
それでは両者の解説に移る。

まずMK103だがこれはW号戦車の車体(クーゲルブリッツやツェルシュテーラー)や艦船(U21型)に装備して航空機を撃つわ航空機に装備するわの万能機関砲であった。
ここで少し考えて欲しい。
「航空機を撃つ火器」と「航空機が撃つ火器」は根本的に用途が違うのだ。
MK103はかなりの高初速(940m/s)だったがこれはケース長(184mm)が大きく砲身も長かったからである。
そして何故、高初速が求められたかと言えば長射程(5700m)と命中率の高さが求められたからに他ならない。
基本的に対空兵器は高初速だからね。
ただしケース長が大きければ反動がそれだけ大きくなるので反動を吸収する閉鎖器は重厚長大になる。
高初速を得るために砲身を長くすれば重量は更に増える。
かくしてMK103の重量は141kgにも達した。
まあ戦車や艦船にとっちゃ屁でもない程度だが航空機にとっては由々しき問題だ。
閉鎖器が重いから発射速度も毎分400発と遅い。
これまた空戦で使用するには芳しくない。

それでは何故、「航空機を撃つ火器」のMK103が航空機に装備されたのか?
その理由は上空からAFVを撃つ為である。
対空火器は高初速なので射程が長いだけでなく貫徹力も高い。
だから88mm砲などの様に対戦車火器としても重用された例が多い。
MK103装備したのはHs129やFw190系(翼下追加装備)、一部のBf109K(同軸)などである。

さて、対戦車用として優秀なMK103の長所はとりも直さず対空用としては短所の羅列となる。
ここで登場するのがMK103と正反対のスタンスで開発されたMK108だ。
すなわちケース長が半分以下の90mmしかなく短砲身だから初速は505m/sと滅法低いが発射速度は毎分600発と高く重量がたった60kgしかない。
なにしろ航空機の防弾板は厚くても20mm未満だから貫通を目的とするならMG151/20やHS404、日本海軍の2号銃などの20mmクラス大口径火器で充分なのだ。
ゴルゴ13の如く見事に急所に当てられればね。
でもそんなのは無理。

A・ガーランド中将曰く「経験からすれば1機の空の要塞を撃墜するのに20ミリ機関砲の弾丸を約20発から25発命中させる事が必要だった。(「始まりと終わり」172頁)」だそうな。
小型機を撃つ時は搭乗員や発動機に当たる可能性が高いから火器の貫徹力と防弾板の厚さで勝敗が決するけど大型機に対しては「どれだけの弾量を撃ち込んだか?」が決め手になるんだね。
これは前述した「航空機を撃墜する方法4」の「主要構造材の破壊」になる訳だ。
このやり方が通用するのは炸裂弾を撃てる大口径以上が大部分になるんだけど20mm20〜25発は30mmのMK108で何発に相当するんだろうか?
一説によるとどうも約4発らしい。
となると効率は20mmの5〜6倍である。
発射速度がMG151/20の75%かつ初速が低いから命中率が若干低下したと考えても3倍くらいにはなるだろう。
う〜ん、いいねえ。
絶大な火力向上だ。

でもね...
超大口径のMK108にも大きな欠点があったのだ。
そう。
幾らケース長が短くなったと言っても超大口径なんだから装弾数がやたら少ないのである。
装備した航空機はBf109G6(1門:65発:6.5秒)、Ta152(1門:90発:9秒)、Ta154(2門:110発:11秒)、Me262(4門:80もしくは100発:8秒もしくは10秒)など多岐に及ぶがどれもこれも至って少ない。
敵が4発重爆だけなら1撃離脱で帰ってくればいいのだから心配ないが護衛戦闘機をかいくぐって迎撃するのであれば...
ちょっと使いにくい火器だよね。
よって護衛戦闘機との空戦が避けられないBf109G6はMK108を同軸に1門装備した他、対護衛戦闘機用には2門のMG131を使った。
これに比べ護衛戦闘機に回り込まれる恐れの殆ど無い高速のMe262は副武装無しで機首にMK108を4門も装備している。
なんとも恐るべき火力だ。
Me262を装備したJV44航空団は大戦末期に4発重爆をドシドシ撃墜した。
その理由としてエース搭乗員の技量とジェットによる高速性がまず挙げられるがMK108の大火力も忘れてはならないだろう。
なおMK108はプレス構造で作られた無骨な機関部と極端に短い砲身から「砕石器」と渾名されていた。

今度はソ連。
第2次大戦中に生産された大部分のソ連製戦闘機は航空機用大口径として20mmのShVAKを装備した。
よってShVAKはソ連戦闘機の主要大口径火器と考えてさしつかえない。
ただしソ連にはもうひとつの重要な航空機用大口径火器があった。
そしてこの火器は戦闘機には殆ど装備されなかった。
果たしてこの火器はなんであろうか?
爆撃機の旋回機銃か?
そんな事は無い。
ソ連爆撃機が装備した大口径火器は大抵、ShVAKだった。
勿体ぶってないで種を明かそう。
この火器の正体はIL−2シュツルモビクが装備したVYaなのだ。
ほぼ1機種(それも初期型はShVAK装備)にしか装備されなかったのにVYaはなんと64655門も生産されている。
そりゃそうだ。
なにせIL−2の生産数は世界航空機史上最多(Bf109を最多とする資料もある)の36183機だからね。
しかも2門ずつだから数も多くなる訳だ。
ところでソ連軍がShVAKとは別にVYaを量産した理由はなんであろうか?
装備機が襲撃機なんだから賢明なる本掲示板読者諸兄はすぐわかるよね。
そう、貫徹力と破壊力の向上なのだ。
VYaの口径は23mmでShVAKより3mmしか大きくなってないがケース長は99mmに対して152mmと1.5倍も大きくなっている。
よって初速が905m/sとShVAKの750m/sよりだいぶ速くなった。
加えてたった3mmしか口径が違わないのに弾頭重量が200g(ShVAKは97g)もあり枢軸側AFVに対して恐るべき破壊力を発揮した。
ねっ、数字で比較すると凄いでしょ。
ShVAKとVYaの関係は前回書いたMK103とMK108の関係に非常によく似ていて興味深い。
となればMK103の欠点がそのままVYaに反映されるのは火を見るより明らかである。
ズバリ、重量が過大で発射速度も遅いのだ。
ShVAKは42kgだったがVYaは66kgもあり発射速度は毎分800発から毎分600発に低下している。
まあ用途が用途なんだから仕方ないけどね。
さて、話を元に戻そう。
重要なのは「米英戦略爆撃機に対してソ連軍迎撃戦闘機が如何にして火力強化を図ったか?」なのである。
「それじゃ、なんで対戦車用のVYaの解説?」と思われるかも知れない。
これにはちゃんとつながりがあるのだ。
それまでドイツの戦術支援機や戦闘機ばかり相手にしていたソ連軍はとんと戦略爆撃機に対する迎撃戦に縁がなかった。
しかし日独が表舞台から消え、ふと気がついてみるといつの間にか英米の戦略爆撃機と相対せねばならなくなった。
おまけに相手は核兵器なんてとんでもない物を持っている。
よってマジで一撃で落とさなくてはならない。
となるとドイツ相手では充分だった20mmShVAKはあまりにも破壊力が物足りない。
そこで対戦車戦で威力を発揮した23mmを次世代大口径に選んだのだ。
だが前述した欠点があるからVYaをそのまま使う訳にはいかない。
戦略爆撃機を迎撃する上で必要なのは貫徹力でなく破壊力だけだ。
かくしてケース長を115mmに短くして初速を690m/sに落とし重量を僅か37kgに抑えたNS23が新型大口径火器として開発された。
これを装備したのがLa9で機首に4門(装弾数各75発)装備している。
NS23は発射速度が毎分550発だから射撃時間は僅か8秒に過ぎない。
ただし弾頭重量はShVAKの2倍なのだから発射速度の低下を考慮しても4門のNS23で実質的にShVAK6門以上の火力が発揮できる。
さあ、次にソ連は何を考えると思う?
勿論、23mmの発射速度向上と超大口径の開発だ。
これを2門装備したのが朝鮮戦争の花形MiG15である。

かくして登場したのが発射速度を毎分800発に向上させた新型のNR23だったが装弾数は各80発で射撃時間は僅か6秒に過ぎなかった。
あまり欲張らず「1機の迎撃戦闘機が1機の重爆をしとめれば充分」と考えればそれで足りるのだろう。
なにしろJS3重戦車の主砲弾搭載数だって28発だからね。
ロシア人は思いの外、欲張りじゃないのかも知れない。
それとも江戸っ子みたいに「宵越しの弾薬はいらねえ!」って話かな?
まあ、それはさておき、MiG15はNR23の他にもうひとつ新型火器を装備した。
NR23が副砲ならば主砲に相当する超大口径N37の登場である。
口径37mmのこの火器の弾頭重量は735gもあった。
なおNS23が対戦車用だったVYaのケース長を短くして開発された様にN37も対戦車用のNS37(重量170kg:900m/s)のケース長(195mm)を155mmに短縮化して開発されたらしい。
この為に初速が690m/sに低下して貫徹力が落ちたが発射速度は毎分300発から400発に向上し重量も103kgへ減少した。
装弾数は40発で射撃時間もこれまた僅か6秒だった。
だが発射時間は短いもののN37と2門のNR23が発揮する火力はShVAK7.7門分にも匹敵し1秒間投射弾量は10.2kgに達した。

一方、MiG15の対抗馬たるF86が装備したのは米戦闘機の主要火器ブローニング製12.7mm6門(装弾数各300発)であった。
もっとも従来のAN/M2を改良したAN/M3なので発射速度がこれまでの毎分750発から1200発に向上していた。
1秒間投射弾量は5.76kgである。
なお開発元のノースアメリカン社は大戦中にP51を量産し戦後はこれをジェット化したFJ1フュリーを開発した。
そのFJ1フュリーの主翼と尾翼を新設計したのがF86である。
これらノースアメリカン製戦闘機が皆、12.7mm6門を装備していた理由は任務が戦闘機を相手に戦う制空戦闘機だったからに他ならない。
ただし...
P51がB17やB24の護衛戦闘機として長大な航続距離を誇ったのに対しF86は航続距離が短く戦術的任務しかこなせなかった。
まあB29だのB36だの極端に航続距離の長い戦略爆撃機が登場して来ちゃ護衛戦闘機を随伴させるのは不可能に近くなるからね。
硫黄島みたいに丁度良い所へ飛行場が確保出来れば別だが。
となると戦略爆撃の様相は重爆対迎撃戦闘機の空戦が基本となり「迎撃戦闘機は護衛戦闘機との空戦を考慮しなくて良い」と言う事になる。
だとすれば制空戦闘機のF86と迎撃戦闘機のMiG15の空戦は生起しない。

そうなる筈だったのだ。
ソ連本土防空戦に於いては。
だけど朝鮮戦争は「ソ連本土防空戦」ではなかった。
いわゆる「代理戦争」なのだ。
よって戦術爆撃が主体であり戦闘機同士がしのぎを削って制空権を奪い合う。
これはすなわちF86の領分だ。
かくしてMiG15は不本意な空戦に臨み惜敗を遂げたのである。
ここで双方の火器を比べて見よう。
1秒間投射弾量ではMiG15が圧倒的に有利だ。
ただしMiG15が1秒間に33.3発しか発射できないのにF86は120発も発射できる。
おまけにMiG15が6秒しか撃てないのにF86は15秒も撃てる。
つまりMiG15のタマは当たれば怖いが滅多に当たらず、撃ったらすぐ弾切れしてしまう。
こうなるとF86に軍配が上がるのは自明の理だ。
仕方あるまい。
なにしろF86はMiG15や戦術爆撃機を追っ払う為に開発された戦闘機なのだから。

とは言え朝鮮戦争で戦略爆撃機が投入された例が皆無だった訳ではない。
そしてその時にMiG15は大きな働きを示した。
えっ、MiG15が米戦略爆撃機を全滅させたかって?
いや、そこまでは...
なにしろ空には米戦闘機がぶんぶん飛び回っているからね。
B29にかなりの打撃を与えたものの米戦闘機に阻まれ撃墜まで至らなかったケースが多いらしい。
だけどもし米戦闘機がいない状況でB29がMiG15に襲われたらとんでもない損害を受けた事だろう。
逆にF86がB29を襲ったらどうであろうか?
多分、大した損害は与えられまい。
幾らジェットで高機動力でも所詮12.7mmは12.7mmなんだから。
もし12.7mmでB29が簡単に墜せるなら日本陸軍は日本本土防空戦で苦労しなかっただろう。
えっ、米軍機のF86が米軍機のB29を迎撃する想定なんか無意味だって?
ご冗談を。
大戦後にソ連軍が量産した戦略爆撃機Tu4がB29のデッドコピーだって事を忘れて貰っちゃ困る。
確かにTu4は高々度性能がB29に比べて劣るけど核兵器を搭載できるしソ連としちゃ立派な戦略爆撃機なのだ。
これが大挙して来襲したら米国とて焦土と化すだろう。
いやはや米国はとんでもないバケモノをソ連にプレゼントしちまった訳だ。
幸い米ソ双方が核装備のB29とTu4を繰り出しF86とMiG15がこれを迎撃する事態には至らなかったが....
もっとも1950年の時点で米戦略爆撃機主力をB29と考えるのはちょっと無理があるかも知れない。
なぜなら既にB36の配備が始まっていたのだから。
MiG15がB36を迎撃したらどちらに軍配が上がるのだろうか?
B36は防御火力(20mm16門)と防弾板で身を固めたタイプの米軍重爆としては系列の最後に位置する存在だ。
果たしてインディアンの大群の如く襲い来るMiG15を防ぎ止められるか否か大変興味がある。
それはそうと一部の航空機評論家が朝鮮戦争のキルレシオから「F86は傑作、MiG15は駄作」と評価しているが僕は一概にそうとばかり言えないと思う。
なにせ開発目的が全く違う。
テニスプレイヤーがテニスが上手いのは当たり前だ。
MiG15が戦闘機相手の空戦で負けるのは相撲取りにテニスをさせ「負けるのは運動神経が悪いからだ」と言う様な物である。
やはり相撲取りは土俵の上で評価して貰わないといけない。

それでは戦後のソ連戦闘機は対戦略爆撃機用の迎撃戦闘機一点張りだったのだろうか?
そんな事はない。
MiG15とほぼ同時期に開発されたYak15は23mm砲2門、La15は23mm砲3門装備で制空戦闘機としての色彩が強かった。
でも米の戦略爆撃機がいつなんどきモスクワ上空に現れるか知れないんだよ?
どうしたって対戦略爆撃機用のMiG15の方が必要に決まっている。
まあ「全面核戦争なんて起きないんだよ。だったらしょちゅう発生する代理戦争に備えて戦術支援用の制空戦闘機を量産した方がお得」って考え方もあるが。
本気で全面核戦争を考えたソ連とそうでなかった米国。
MiG15とF86は見た目がソックリだが装備火器の系統がまったく逆なのはこうした事情が背景にある。

ところで装弾数の話だが...
対戦略爆撃機用にどんどん口径が大きくなり逆に装弾数はどんどん少なくなっていった。
つまり射撃時間が短くなり一撃離脱戦術しか出来なくなっていったのである。
そして行き着いた先は...
空対空ミサイルの登場だ。
でも航空機用火器が廃れた訳ではない。
現在でも軍用機はバルカン砲などの火器を装備しているし装備している以上、「装弾数はその程度が適正か?」と言う問題が常に存在する。
ちなみにF15は20mmM61A1バルカン砲を装備しているが装弾数は940発だ。
果たしてそれが適正なのか否か?
きっと何処かで誰かが装弾数について語り合っている事だろう。
(了)


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