太平洋戦争中の日米海軍空母機動部隊を比較すると、高角砲による防空能力の差が大きい事に気づかされる。
しかし米海軍の全艦艇が個艦レベルで多くの高角砲を装備していた訳ではない。
日本海軍に比べ個艦レベルで最も多く高角砲を装備していたのは駆逐艦である。
戦艦、巡洋艦は日米同等(もしくは米側の方が若干多い)であり、空母では逆に日本海軍の方が多くの高角砲を装備していた。
つまり日米海軍機動部隊の防空能力差は駆逐艦に於いて最も顕著であったと言えよう。
なにしろ「殆どの駆逐艦の主砲が高角砲」であった米海軍機動部隊と「秋月型と松型を除く全駆逐艦の高角砲装備数0」の日本海軍機動部隊を比べるのだから致し方あるまい。
それでは空母機動部隊に於ける日本海軍駆逐艦を少し眺めて見よう。
開戦時、日本海軍の空母機動部隊に配備された駆逐艦9隻は陽炎型と朝潮型であるが、これらは3年式12.7センチ50口径砲を装備していた。

陽炎型駆逐艦

太平洋戦争中に日本海軍の駆逐艦が装備した砲には3年式12センチ45口径砲や98式10センチ65口径高角砲、89式12.7センチ高角砲などがあるが開戦から秋月型が配備されるまでの間、空母機動部隊に配備された駆逐艦は全て3年式12.7センチ50口径砲を装備している。
まさに3年式12.7センチ50口径砲は日本海軍駆逐艦を代表する砲と言えよう。
さて、この3年式12.7センチ50口径砲だがこれには仰角40度のA型、75度のB型、55度のC型、75度のD型の4種がある。
しかし仰角は75度あっても射撃する度に砲身を下げねばならないので、対空射撃時は発射速度が毎分4発(米海軍の12.7センチ38口径砲の発射速度は毎分18発ないしは22発)と遅く使い物にならなかった。
毎分4発の発射速度は米軍の1/5の能力を意味しない。
1発目を撃って射撃諸元を修正している間に目標はどこかにいってしまうから「撃てるのは運まかせの初弾のみ」となる。
加えて日本海軍の駆逐艦(秋月型を除く)には対空用の射撃指揮装置が装備されていなかったので「発射速度が遅いだけでなく当てるのも困難」だったと言えよう。
(夕雲型、島風型では高角測距儀が装備されたが殆ど「焼け石に水」である)
ちなみに「なぜ日本海軍が仰角75度、発射速度毎分4発と言う中途半端な3年式12.7センチ50口径砲を駆逐艦に装備したか?」と言う問題であるが、この答は重巡高雄型へ装備された仰角70度の3年式20.3センチ50口径砲や空母赤城、加賀へ装備された仰角70度の3年式20センチ50口径砲と一緒に考えて見る必要がある。
やはり先輩格の英海軍が仰角70度の20.3センチ50口径砲をカウンティ型重巡に装備したり仰角60度の15.2センチ50口径砲をネルソン型戦艦の副砲として装備した事が要因となっているのではなかろうか。
これらの砲は日本海軍の場合と同じで結局は対空戦の役に立たなかった。
一方、ワシントン条約後に米海軍が建造した駆逐艦(旗艦として建造されたポーター型とソマーズ型を除く)には戦艦、空母、巡洋艦に装備された高角砲(両用砲とも言う)と同じ12.7センチ38口径砲4〜5門が優秀な対空用射撃式装置と共に装備されていた。

リバモア型駆逐艦

空母、戦艦、巡洋艦の対空火力強化に熱心であった日本海軍が「駆逐艦の対空火力強化」に於いてだけ冷淡であった事は大変、興味深い。
ただし日本海軍とて空母機動部隊に随伴する護衛艦の対空火力が貧弱で良いと考えていた訳ではない。
そこで次は日本海軍空母機動部隊の護衛艦構想の変遷について考えてみよう。
まず1941年4月に第1航空艦隊が編成された時、同部隊に所属していた空母以外の艦艇は第7駆逐隊(曙、漣、潮:特型)、第23駆逐隊(卯月、菊月、夕月:睦月型)、第3駆逐隊(汐風、帆風:峯風型)、朧(特型)、秋雲(陽炎型)の10隻であった。

 第1航空艦隊の空母随伴艦(1941年4月)
(特型)
特型
特型
卯月睦月型
菊月(睦月型)
夕月睦月型
汐風(峯風型)
帆風峯風型
特型
秋雲(陽炎型)

つまり秋雲を除き全て「空母に随伴できない航続力の短い旧式艦」だったのである。

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