英国艦上戦闘機史

「もし、よろしければ第二次大戦中の英国の標準的な艦載戦闘機を教えて頂けるでしょうか。」と言う質問が寄せられた。
本文はその回答である。


第1節 開戦時
1939年9月の第2次世界大戦勃発時、英海軍空母搭載機は以下の通りだった。

空母
アークロイアル   ソードフィッシュ雷撃機42、スキュア艦爆18
フューリアス    ソードフィッシュ雷撃機18、スキュア艦爆8、ロック艦戦4
カレジアス     ソードフィッシュ雷撃機24
グローリアス    ソードフィッシュ雷撃機36、シーグラジエーター艦戦12
ハーミス      ソードフィッシュ雷撃機9
イーグル      ソードフィッシュ雷撃機18


なんと艦戦はたったの16機(しかも4機は前方に機銃を撃てないロック!)しかいない。
これは当時の英海軍がスキュア艦爆(これにしたって26機しかいないが...)に戦闘機としての任務(ちなみに第2次世界大戦に於ける英軍機の初撃墜はアークロイヤルの803飛行隊のスキュア:マッキューン大尉による)を兼用させていた為である。
(よって空母戦記2ではスキュアを艦爆ではなく艦戦に類別している。なお開戦時の英海軍艦上戦闘機をシーグラジエーター12、スキュア18、ロック6の総数36とする資料もある。いずれにしたって異常に少ない。)
でもまあこれじゃあ流石に寂しいと思ったのであろう。
イーグルなどは臨時編成でシーグラジエター3機を搭載(当時、地中海に於ける唯一の艦戦部隊となった。臨時編成なので搭乗員のうち2名は雷撃機乗りである)している。
この3機で2ヶ月間にイタリア機11機を落としたそうだから面白い。
後に正規の戦闘機小隊が配属されたのでこの臨時小隊は解散したそうだが。
まあすったもんだした挙げ句、1年後の1940年9月時で英海軍の艦戦はシーグラジエーター15、スキュア33、フルマー30の総計78機に増えている。
でも日米海軍に比べると純然たる戦闘機の数はまだまだ少ない。
その後、マートレット(米国のF4F)やらシーハリケーンやらファイアフライやら機種が色々増えてにぎやかになっていくのだ。
ちなみに英海軍のトップエースはエバンス少佐でスコアは16.5機(一説には6機)である。
彼はスコアの大部分をフルマーで挙げたとされている。


第2節 緒戦期
1939年9月の第2次世界大戦勃発時に於ける英空母の所属部隊は以下であった。
本国艦隊(スカパフロー)     アークロイヤル、フューリアス
地中海艦隊(アレクサンドリア)  グローリアス
海峡艦隊(ポートランド)     カレイジアス、ハーミス
東洋艦隊(シンガポール)     イーグル

この時点での敵はドイツ海軍であってイタリア、日本は参戦していない。
ソ連、米国も中立国なので当然の事ながらバレンツ海の船団護衛戦も発生しない。
ちなみに欧州に於ける英海軍の戦いは以下の4水域で繰り広げられた。
本国周辺水域、地中海水域、ノルウェー水域、大西洋水域
どこでどんな海戦が発生したかちょっとかいつまんで見よう。

本国周辺水域:ケルベロス作戦、アッシャント海戦
地中海水域:マタパン海戦、カラブリア海戦、ペデスタル作戦など多数
ノルウェー水域:ナルビク海戦、バレンツ海戦、北岬海戦
大西洋水域:ラプラタ海戦、Uボート戦

でも開戦時にはまだノルウェーも中立国なので火花を散らす場所は本国水域と大西洋水域しかない。
そしてそこに所在する英空母は4隻であった。
だが早くも開戦から17日目にカレイジアスがU29に雷撃され戦没してしまう。
なおこの時点で最も憂慮すべき敵はドイツの通商破壊艦であった。
よって通商破壊艦を駆逐する為、多数のキラー部隊が編成されアークロイヤルはK部隊、ハーミスはM/N部隊に編入(ちなみに仏空母ベアルンはL部隊)されイーグルはセイロン沖、グローリアスは紅海、フューリアスは北大西洋の航空哨戒に従事する。
1940年に入ると地中海艦隊のグローリアスが本国艦隊に編入(グローリアスの代わりに東洋艦隊のイーグルが地中海艦隊に編入されたが同艦が到着したのは同年5月)され「使用可能な4隻」となったが同年4月にドイツ軍が発動したノルウェー侵攻(ヴェーゼル演習作戦)の矢面に立ち6月にはグローリアスが独戦艦シャルンホルスト及びグナイゼナウに撃沈されてしまう。
そして同月、イタリアの参戦により地中海水域での戦いが勃発する。
(6月のノルウェー降伏によりノルウェー水域の戦いは一旦幕を閉じる。だが1941年6月のソ連参戦によってこの水域での戦いは再燃する。)
この時点で英海軍が保有している空母は4隻に過ぎず当面、地中海にある空母はイーグル1隻しかいない。
普通だったら大いに困る所だ。
だが英海軍は奮起しアークロイヤルとハーミスを地中海に回航、イーグルと共にイタリア艦隊を襲いまくる。
更にフランス海軍艦艇がドイツに接収されるのを防ぐ為、カタパルト作戦を発動。
英空母はフランス艦隊も容赦なく襲いまくる。
7月 5日  伊駆ゼフィロ撃沈、ユーロ大破(イーグル)
7月 6日  仏戦艦ダンケルク撃破(アークロイヤル)
7月 8日  仏戦艦リシュリュー撃破(ハーミス)
7月 9日  カラブリア海戦参加(イーグル)
7月20日  伊駆パンカルド撃沈(イーグル)

そして同年8月、期待の新鋭装甲空母イラストリアスが就役(竣工は同年5月)し翌月には地中海に到着。
かくして地中海を舞台とした激烈な航空戦の幕が切って落とされた。
まったくこの時点でのイラストリアス登場は「待ってました!」とばかりに感ずる。
フォーミタブルの竣工が1940年11月、ビクトリアスが1941年5月、インドミタブルが1941年10月なのだが続々と竣工したこれら4隻(装甲空母の5隻目となるインデファティガブルが1944年5月、6隻目となるインプラカブルが1944年8月の竣工なのでこの2隻は大戦末期しか活躍していない。)で第2次世界大戦の英空母陣は支えられたと言っても過言ではないだろう。
だって開戦時の英空母6隻中2隻がイタリア参戦前に戦没し残り4隻中3隻が1942年末までに戦没しちゃうんだから。
ちなみに1941年9月時の時点で英空母が搭載していた艦戦はシーグラジエーター5、フルマー58、シーハリケーン34、マートレット(米国のF4F)32の総計129機であった。
前述した開戦時の主力艦戦がスキュア、1年後がスキュアとフルマーが半々だったのに比べ2年後ではフルマーが完全に主力艦戦の座に着いたと言えよう。
さてさて3年目は?


第3節 3年目の戦い
地中海の戦いが始まると共に英空母が縦横無尽の奮戦を果たした事は前述したが書き忘れていた事が二つある。
開戦時には予備艦であった史上初の空母アーガス(つまり世界で最も旧式と言う事で搭載機も20機に過ぎない)が改装されて再就役し1940年7月には英海軍初の護衛空母オーダシティが竣工(既存商船の改装)している。
オーダシティは5537総tの小型艦で搭載機は僅か6機に過ぎなかったが「商船からの改装艦でもなんとか飛行機を飛ばせるじゃないか!」と喜んだ英海軍は以降、護衛空母の建造に熱を上げ最終的に44隻の護衛空母を保有した。
しかしそのうち36隻は戦局が安定した1943年以降の竣工艦(残り8隻中1941年内に竣工したのは1隻だけ)であり当面の話には出てこない。
さて英空母の活躍だがフランス戦艦ダンケルク、リシュリューを撃破したりイタリア駆逐艦ゼフィロ、パンカルドを沈めたくらいでは終わらなかった。
1940年8月22日にはイーグルが伊駆オストロ、ネボムを撃沈して戦果を拡大し9月17日には到着したばかりのイラストリアスがベンガジを空襲して伊駆アキローネ、ボレアを撃沈する。
そして11月11日には言わずと知れたタラント空襲でイラストリアスが伊戦艦3隻を撃沈破し大殊勲を挙げた。
だが喜んだのも束の間、翌年1月のエクセス作戦(マルタ補給)に投入されたイラストリアスは同月10日、ドイツ軍急降下爆撃機の猛攻を受け大破してしまう。
イラストリアスの傷は深く年末まで米国で修理する事になった。
かくして地中海の英空母は前年の11月24日に竣工したフォーミタブルが地中海に到着する1941年3月10日までアークロイヤルだけとなった。
当時、イーグルは船体修理中、フューリアスは航空機輸送中、ハーミスは大西洋で独のポケット戦艦アドミラル・シェーアの捜索任務中だったからである。
まあ搭載機12機のハーミスや22機のイーグルでは最初から大きな戦力ではないが。
この到着したばかりのフォーミタブルが最初にやった大仕事が3月26〜28日のマタパン岬海戦であり伊戦艦ビットリオ・ベネトと重巡ポーラを撃破している。
加えて5月15日、次なる装甲空母ビクトリアスが竣工した。
このビクトリアスが最初にやった大仕事が5月26日の独戦艦ビスマルク追撃戦で見事に魚雷1本を命中させている。
地中海から急遽呼び戻されたアークロイヤルも2本命中させており功績はこちらの方が大きいが。
う〜ん、いいニュースだ。
英海軍空母部隊の未来がちょっと明るくなってきたぞ。
でも良い事ばかりは続かない。
なんと同月中にフォーミタブルがドイツ軍急降下爆撃機の猛攻を受け大破してしまうのである。
修理期間はこれまた6ヶ月に及んだ...
そして同年6月、ドイツ軍のバルバロッサ作戦(対ソ侵攻)が発動しソ連が連合国の仲間入りを果たす。
と、言う事は....
ソ連への輸送ルートを確保する為、英海軍はノルウェー海の制海権、制空権を確保せねばならなくなったのである。
ノルウェーの飛行場から飛来するドイツの長距離爆撃機は船団にとって大きな脅威だ。
これを追い払うには空母を随伴させるしか方法がない。
こうした中、10月10日には4隻目の装甲空母インドミタブル(第一陣の装甲空母はこれで打ち止め)が竣工したものの11月3日には座礁して大破してしまう。
(果たしてこれが同艦にとって幸運であったか不運であったか判断が難しい所だ。もし座礁してなければ戦艦P・ウェールズや巡戦レパルスと共に東洋艦隊編入が決定していたのだから。インドミタブルがいたらP・ウェールズは沈まずに済んだのか?それともインドミタブルは両艦もろとも撃沈されていたのか?う〜む。)
そして11月13日にはU81の雷撃でアークロイヤルが沈没、12月21日にはU741の雷撃で護衛空母オーダシティが沈没する。
もう踏んだり蹴ったりである。
イラストリアスとフォーミタブル、インドミタブルはまだ修理中、使える空母はビクトリアスとフューリアスに加え前述した搭載機の少ないアーガスにハーミス、2番目の護衛空母アーチャー(搭載機15)しかいない。
そして同年12月8日、太平洋戦争が勃発し同月10日には東洋艦隊が壊滅した。
散々である。


第4節 新たなる敵
開戦時に空母6隻(フューリアス、カレイジアス、グローリアス、アークロイヤル、イーグル、ハーミス)であった英海軍は1942年を迎えるまでに空母7隻(装甲空母4、護衛空母3)を増加させ空母4隻(カレイジアス、グローリアス、アークロイヤル、オーダシティ)を失った。
だが9隻のうち3隻(イラストリアス、フォーミタブル、インドミタブル)は修理中なので現有空母は6隻(しかもそのうちアーガスは搭載機20、イーグルは22、ハーミスは12、アーチャーは15しかないのであまり役にたたない)に過ぎなかった。
ここからインド洋の防衛兵力を捻出せねばならないのである。
当然、修理中の装甲空母が復帰するまで待たねばならなかった。
ちなみに前述した1942年の護衛空母で上半期に竣工したのはバイター1隻(それも5月)だけに過ぎない。
なお苦境に立たされていたのは空母ばかりではなかった。
主力艦とて同じである。
開戦時15隻保有していた主力艦に英海軍は3隻(キングジョージ5世、プリンスオブウェールズ、デュークオブヨーク)を加えたが5隻(R・オーク、バーラム、フッド、プリンスオブウェールズ、レパルス)を失っており3隻(Q・エリザベス、バリアント、ネルソン)は修理中であった。
つまり1942年正月の英海軍可動主要艦は空母6隻、主力艦10隻だけしかなかったので装甲空母3隻が復帰したとしてもここから空母3隻(インドミタブル、フォーミタブル、ハーミス)及び主力艦5隻(ウォースパイト、R・ソベリン、ラミリーズ、レゾリューション、レベンジ)を抽出するのはかなりの痛手だったと言えよう。
なにしろ欧州に残されたのは空母5隻(イラストリアスの復帰は4月まで遅れ当面はマダガスカル攻略などで使用されたので数に入らない)と主力艦5隻だけでありこれで地中海のイタリア海軍とノルウェー海のドイツ海軍を押さえ込まねばならなかったのである。
インド洋に派遣された英艦艇の動向については空母戦記2のシナリオ説明を見て頂ければ良いので省略するとして4月9日にハーミスが沈められた事だけを記しておこう。
英海軍としては「なけなし」をはたいて編成した新東洋艦隊なのでハーミスの喪失だけでも重大であり以降、消極策に転換したのも「やむなし」と考えられる。
ただし日本の参戦は米国の参戦をも意味しており米空母の作戦参加は英海軍にとって幾らかの助けにはなった。
開戦時、米海軍は7隻の艦隊型空母を保有(他に護衛空母1隻)していたがその内、3隻(エンタープライズ、サラトガ、レキシントン)は太平洋におり4隻は大西洋にいた。
大西洋の4隻中、ヨークタウンはすぐさま太平洋に回航しホーネットもこれに続いたがワスプは7月になって太平洋へ回航されるまで北大西洋の船団護衛や2度に渡るマルタへの航空機補給任務に従事している。
残る1隻のレンジャーは米本土−>北アフリカ間の航空機補給任務や北大西洋の船団護衛に従事した後、トーチ作戦では大きな役割を果たした。
さて、英空母の活躍であるがインド洋で敗退したインドミタブルとフォーミタブルは修理を終えたイラストリアスと合同し5月からマダガスカル攻略作戦に投入された。
そして同年6月、マルタへの補給を目的とするハープーン作戦が発動されイーグルとアーガスがこれに参加している。
よって話はマルタへと続く。


第5節 マルタ攻防戦
マルタはシチリア、トリポリ間に位置する地中海の島である。
面積は246平方qでグァムの半分程に過ぎない。
だがこの島を巡る戦いで英軍と枢軸側諸国は多大な犠牲を払うに至った。
1940年6月のイタリア参戦時、同地を守る航空兵力はシーグラジエーター6機からなる「マルタ島戦闘機小隊」だけであった。
だが逐次、増勢されマルタから発進する英爆撃機(主にボーフォート雷撃機とブレニム軽爆)によってイタリア本土から北アフリカへ向かう枢軸側船団は次々と犠牲になる。
その数は1941年の7ヶ月間で地中海全域にあった独伊商船の56%(クロステルマン著「空戦」84頁)に達した。
枢軸側にとって好ましい状況ではない。
よってマルタの英軍飛行場を撃滅すべく大規模な爆撃が繰り返された。
1942年3月20日から4月28日までにマルタに投下した爆弾は6557tで英本土航空戦(バトルオブブリテン:1940年9月)で全英に投下された量に匹敵する。
これら枢軸側の爆撃を撃退する為、戦闘機が不可欠なのは言うまでもない。
かくして英軍は空母を使用した戦闘機補充を繰り返したのだが1942年1月末にはマルタの戦闘機は30機以下にまで減少してしまった。
そこで1942年3月にはイーグル及びアーガスによって30機、4月にはワスプによって47機がマルタへ送り込まれたが4月22日には早くも可動17機に減少している。
よって1942年5月にもワスプ、イーグルによって62機が補充され以降も頻繁に「空母によるマルタへの戦闘機補充」が続けられた。
マルタ攻防戦に於ける英軍の損害は707機(クロステルマンの著書によると戦闘機だけで844機)、枢軸側の損害は567機に及ぶ。
英本土航空戦に於ける英軍の損害が915機だった事を考えればマルタ航空戦が如何に激烈であり空母による戦闘機補充が如何に重要であったか御想像頂けよう。
さてこうした状況下、マルタ攻防戦の山場となったのが1942年8月に発動されたペデスタル作戦である。
この作戦にはビクトリアス、インドミタブル、イーグル、フューリアスの4空母が投入されたがこれは英空母のほぼ全力(イラストリアスとフォーミタブルはインド洋方面で行動中)であった。
しかし早くも8月11日にはU73の雷撃によりイーグルが沈没し船団の防空戦闘機はビクトリアスのシーハリケーン6、フルマー16とインドミタブルのシーハリケーン24、マートレット10に減ってしまう。
フューリアスもスピットファイア38機を搭載していたがこれはマルタへの補充用であった。
更に翌日、ドイツ軍の急降下爆撃によりインドミタブルが大破(修理期間6ヶ月)する。
だが大きな損害を出したものの船団はマルタへ到着しなんとか生き延びるだけの補給物資は確保された。
マルタが生き延びた以上、滅びるのは枢軸側である。
補給の途絶えたアフリカ装甲軍はエルアラメインで敗北し退却を余儀なくされた。
ついで11月、トーチ作戦が発動される。
この作戦に投入されたのはビクトリアス、フォーミタブル、フューリアス及び護衛空母4隻で米軍のレンジャーと護衛空母5隻も参加した。
そして11月15日、護衛空母アベンジャーがU155の雷撃によって撃沈された。
なお1942年9月時の英艦戦はシーグラジエーター1、フルマー64、シーハリケーン42、シーファイア59、マートレット87の総計253である。
前年に比べ空母の数はそう増えていないのに艦戦が大きく増加しているのは搭載比率が大きく変化したせいであろう。
この時点で一番多いのはマートレットであるが全体の34%しか占めていないので主力とは位置づけがたい。
それにしてもたった1機のシーグラジエーター搭乗員の気持ちを考えると...


第6節 英海軍の空母建造計画
開戦時、英海軍は6隻の空母を保有していたが1943年を迎えた時点でこれらのうち5隻が戦没(カレイジアス、グローリアス、アークロイヤル、ハーミス、イーグル)しておりフューリアスだけが残存(アーガスは商船改装空母であり開戦時は予備艦だったのでここでは数えない)していた。
これに大戦中、新造された装甲空母4隻(インドミタブルは修理中)と護衛空母7隻(アーガスに新造8隻、喪失2隻)を加えた12隻(艦隊型空母5隻、護衛空母7隻)が当時の英海軍空母陣である。
ちなみにこの時点で日本海軍は艦隊型空母7隻(翔鶴、瑞鶴、隼鷹、飛鷹、瑞鳳、龍鳳、鳳翔)、護衛空母3隻(大鷹、沖鷹、雲鷹)の10隻を保有していた。
米軍の保有数は艦隊型空母4隻(エンタープライズ、サラトガ、エセックス、インデペンデンス)、護衛空母12隻(ロングアイランド、チャージャー、ボーグ、カード、カパヒー、コア、ナッソー、アルタマハ、サンガモン、スワニー、シェナンゴ、サンティー)の16隻である。
さて英空母の趨勢であるが既存空母の大きな減勢と装甲空母の強靱性が目立つ。
装甲空母は度重なる大損害にも堪え戦没に至らなかった例が多い。
ただし装甲空母が大破した例がこれまで悉く急降下爆撃だったのに対し既存空母5隻の戦没が潜水艦の雷撃による3隻(アークロイヤル、イーグル、カレイジアス)と水上艦による1隻(グローリアス)、急降下爆撃による1隻(ハーミス)なので比較するのはちょっと難しいかも知れない。
でもせっかく建造した装甲空母が次々と潜水艦の雷撃による犠牲となった日本海軍に比べれば「装甲空母を建造した意義があった」と言えるであろう。
なお1943年正月時点で英海軍空母陣は同上であったが5、6番目の装甲空母としてインプラカブル型2隻が進水を終え工事が進められており多数の護衛空母が米国に発注されていた。
更に6隻の装甲空母を補完する目的で軽空母16隻(コロッサス型10隻、マジェスティック型6隻)の建造が進められており1942年中に8隻が起工された。
これらの軽空母は高角砲を全く装備していない反面、搭載機数が多く商船構造なので建造が容易であった。
これまでの英空母が搭載機数を少なくしても防御力と対空火力の増大に傾注してきた事を考えると全く逆の発想でありこれらの軽空母建造によって「艦戦による艦隊防空」を英海軍が本格的に採用し始めた事がうかがえる。
それではこうしたタイプの空母が他国で見当された事は無いのであろうか?
ある。
1942年6月末、日本海軍は空母急造を主眼とした改D計画を策定したが航空本部はまだ不満とし大西瀧治郎少将立案の「航空母艦整備方針ニ関スル意見」を提出した。
これによる「補助航空母艦計画」では「戦後ハ荷物船トシテ使用スルカ又ハ廃棄スルモノナリ」としており「艦橋煙突:飛鷹型ニ準ズ」「飛行甲板全長:230m」「速力:28ノット」「搭載機:54機」「高角砲ヲ装備セズ」とあり極めてコロッサス型に似た性格の空母であったと考えられる。
ただしこのプランは採用される事なく終わった。
さて前述した如く艦隊型空母5隻、護衛空母7隻でスタートした1943年の英空母陣は同年中に護衛空母30隻、航空工作艦(ユニコーン:軽空母としての機能を兼ね備える)1隻を増勢した。
つまり北大西洋での船団護衛や上陸作戦の支援で有効な護衛空母の拡充が図られたと考えられよう。
よってこの時期の英空母は余り目立っておらず5月から7月にかけビクトリアスが米空母サラトガとソロモン諸島及びニューギニアで作戦行動した他には7月のシチリア上陸でインドミタブルとフォーミタブル、8月のサレルノ上陸ではイラストリアス、フォーミタブル、ユニコーン及び護衛空母4隻、9月のタラント上陸ではユニコーン及び護衛空母4隻が上陸作戦の支援に参加した程度であった。
この間、3月27日には護衛空母ダッシャーが事故により爆沈し7月にはインドミタブルが雷撃によって大破(修理期間8ヶ月)し戦列を離れている。
なお1943年9月時の英艦戦はフルマー3、シーハリケーン17、シーファイア98、マートレット117、ヘルキャット28、コルセア76の総計339機である。
マートレットはこの時点でも最も多いがやはり全体の34%に過ぎず本年もまた主力艦戦と位置づけ難い。
しかし援英機が過半数を占めている事は重要な要素であろう。
もう一点、注意せねばいけないのはコルセアの登場である。
米軍では陸上機として採用され1945年まで艦載化(実用試験は1944年4月)が遅れたコルセアを英海軍ではいち早く艦戦として採用した。
(英海軍でのコルセア採用が米海軍を触発したのである。)
多量の爆弾を搭載できるコルセアが登場した事で英海軍の艦戦搭載比率は一層、高くなったと考えられよう。
ただし装甲空母の前期型3隻は格納庫が1段(天井までの高さ4.9m)だったのでコルセアを搭載できたがインドミタブル以降の後期型は搭載機数を増やす為に格納庫が2段になった為、高さが4.3mと低くなってしまい全高の高いコルセアが搭載できなかった。


第7節 1944年(アジア編)
英空母による1944年の戦いはインド洋方面と大西洋方面に二分される。
これを同一時系列で書いてゆくとゴチャゴチャになって良く判らなくなってしまう。
そこでまずインド洋方面から話を始めよう。
ソマービル大将は1942年3月から英東洋艦隊司令長官に任ぜられていたが1944年正月の時点で英東洋艦隊に配属されている空母は皆無であった。
しかし1月にイラストリアスがコロンボへ回航され貴重な戦力となる。
同年3月、日本海軍の第16戦隊(利根、筑摩、青葉)がインド洋で通商破壊戦を繰り広げイラストリアスはこれの捜索に投入された。
ついで3月下旬には米空母サラトガがセイロンに回航され艦隊型空母が2隻になった。
前年は英空母ビクトリアスがソロモン、ニューギニア方面へ派遣され米軍の指揮下で作戦行動(やはり米空母サラトガと組んだ。)を取ったので今回はその逆である。
そして4月19日にはこの2隻でサバンを空襲した。
この作戦でイラストリアスはバラクーダ17機、コルセア13機をサラトガはTBF11機、SBD18機、F6F24機を出撃させている。
ついで5月17日にスラバヤを空襲しサラトガは本国への帰途についた。
かくして英東洋艦隊の艦隊型空母は再びイラストリアスだけになってしまったのだが前年7月16日に雷撃を受け大破したインドミタブルの修理が3月に完了していたので同艦の英東洋艦隊編入が決定され6月12日にはビクトリアスもまたセイロンへ回航されるに至った。
よって6月22日のアンダマン空襲はイラストリアス単独で行われたが7月22日の第2次サバン空襲ではイラストリアス、ビクトリアス、インドミタブルの装甲空母3隻が投入されている。
なお8月23日、ソマービル大将が在米海軍使節団長に栄転しフレーザー大将が東洋艦隊司令長官として着任した。
更に11月22日には本格反抗戦力として英太平洋艦隊が設立され有力艦艇の大部分が英太平洋艦隊に編入された。
英太平洋艦隊司令長官はフレーザー大将が任命され抜け殻となった東洋艦隊司令長官にはパワー大将が任ぜられている。
ちなみに海上で指揮を取る実質的な指揮官はフレーザー大将でなくローリングス中将であり空母部隊の指揮はバイアン少将が取った。
また12月にはインディファチガブルが編入され英太平洋艦隊の装甲空母は4隻に増勢された。
なお12月17日にはイラストリアスとインドミタブルによるマダン空襲が敢行されている。
これがインド洋方面に於ける1944年の英空母作戦のあらましだが大西洋方面について記述する前に若干、空母の増減について触れておきたい。
英海軍は艦隊型空母5隻(装甲空母4隻+フューリアス:ただしインドミタブルは修理中)、航空工作艦1隻、護衛空母36隻をもって1944年の正月を迎えた。
1943年に増加したのは護衛空母30隻と航空工作艦1隻だけである。
それに対し1944年中には装甲空母2隻、軽空母1隻、護衛空母6隻を増勢させた。
護衛空母の増加に歯止めがかかった反面、艦隊空母が大幅に増加した事に御注意頂きたい。
ちなみに英海軍に於ける空母の増勢は3段階に区分される。
まず開戦から1941年末までが第1期で1937年内に起工された装甲空母4隻が次々と竣工した。
これら4隻の建造期間は37〜48ヶ月である。
第1期の特徴は艦隊型空母の強化(実際には艦隊型空母の喪失が相次いだので補填にしかならなかった)と言えよう。
だが1938年には1隻も装甲空母が起工されず英海軍は米国で建造された援英用の護衛空母(英国で建造された艦もあったが)で「急場」を凌いだ。
これが第2期で1942年から1943年まで続く。
ついで1939年に起工された装甲空母2隻が竣工した1944年(5月3日インディファチガブル、8月28日インプラカブル竣工)から第3期に入る。
なにゆえ装甲空母の起工が1年しか休止されなかったのに「急場凌ぎ」が2年に渡ったのであろうか?
それは1939年に起工された装甲空母2隻の工期が54〜66ヶ月もかかった事による。
他国の空母と比較してみよう。
米国のヨークタウン型3番艦ホーネットは25ヶ月、エセックス型のうち参戦前に起工された5隻中4隻が21ヶ月、1隻が17ヶ月(エセックス型の最短記録は参戦後に起工されたフランクリンでなんと13ヶ月!)である。
日本では大鳳が32ヶ月、雲龍型が22〜25ヶ月であった。
これらと比較して英装甲空母第2陣の工期は極端に長い。
ちなみに1942年に起工された6隻の軽空母(コロッサス型)の第1艦が竣工したのも1944年である。
これも1944年が「英海軍空母陣が艦隊型に移行した時期」と位置づける要因となろう。
コロッサス型の場合、工期は1番艦コロッサスが30ヶ月、2番艦ベンジャンスが26ヶ月、3番艦ベネラブルが25ヶ月であった。
ただし1944年は「英海軍空母陣が艦隊型に移行した時期」(つまり大規模な空母運用か可能になった)ではあっても「英海軍が艦隊型空母の増勢を決定した年」ではない。
「英海軍が艦隊型空母の増勢を決定した年」はコロッサス型が続々と起工された1942年なのである。
艦船の竣工年月日は「いつからその艦が使える様になったか?」を知る上で重要だが起工年月日も「なにゆえその艦を建造したのか?」を知る上で重要だと言えよう。
コロッサス型の存在は「空母の大量喪失を補填する為、戦争中に量産化が決定された艦隊型空母」と言う観点から日本海軍の雲龍型空母に相当する。
雲龍型が次々に竣工したのは1944年であるが建造の契機となったのは1942年6月のミッドウェー海戦による敗北であった。
米海軍でこれに相当するのは「開戦後に起工されたエセックス型とインデペンデンス型」で竣工は1943年だが契機となったのは1941年末の真珠湾奇襲である。
日本海軍や米海軍の空母増勢推移について書き出すと長くなりすぎるのでここで一旦筆を置く。
ちなみに英海軍の空母の増減であるが2月に護衛空母スリンジャーが触雷し8ヶ月に渡って戦列を離れている。


第8節 1944年(欧州編)
1944年1月の時点で英海軍は艦隊型空母5隻を保有しており3隻が欧州(フューリアス、ビクトリアス、フォーミタブル)、1隻が太平洋(イラストリアス)、に展開し1隻が修理中(インドミタブル)であった。
更に装甲空母2隻(インディファチガブル、インプラカブル)が竣工間近でありコロッサス型軽空母も年末の竣工に向けて工事が進められていた。
この時期、大西洋方面に於ける英空母の活躍は独戦艦ティルピッツ攻撃に終始する。
ノルウェーのフィヨルドに身をひそめ出撃の機会を窺うティルピッツはドイツ海軍最後の戦艦にして欧州最大の戦艦であり連合軍の大いなる脅威であった。
フィヨルドにひそんだまま出てこないのなら害はない。
だがその確証がなければ常に船団へ戦艦の護衛を付けねばならず英海軍は大きな負担を強いられる。
実際に干戈を交えれば数隻の戦艦でティルピッツを屠る事が可能なのだがフィヨルドからでてこない以上、「なんらかの手段」を用いてティルピッツの撃沈を図らねばならない。
かくして空母の艦載機によるティルピッツ攻撃が企図されるに至った。
これが4月3日に発動されたタングステン作戦で英海軍はフューリアス、ビクトリアス、及び護衛空母4隻からバラクーダ42機(1600ポンド爆弾1発搭載10機、500ポンド爆弾3発搭載22機、爆雷搭載10機)、コルセア21機、F6F20機、F4F40機の合計123機を発進させた。
(フィヨルドは狭海面であるうえ防雷網を展張しているので雷撃できなかった。)
この作戦の命中弾は1600ポンド爆弾4発、500ポンド爆弾10発に及びティルピッツは大きな損傷を受ける。
(とは言えこの程度の爆弾では重要部を破壊する事はできない。)
ちなみに1600ポンド爆弾は728s、500ポンド爆弾は227sである。
更に4月24日にも同一兵力による空襲が企図されたが悪天候で出撃中止に至った。
ついで5月15日、フューリアス及びビクトリアスからバラクーダ27機、コルセア28機、シーファイア4機、F4F4機の合計63機が出撃したが雲に阻まれ投下を中止している。
5月28日にも同一兵力による攻撃が企図されたがまたもや悪天候により中止された。
その後、6月12日にビクトリアスはセイロンへ回航されティルピッツ攻撃の戦列から外れたが5月3日にはインディファティガブルが竣工した。
そこで7月17日、フューリアス、フォーミタブル、インディファティガブルによる攻撃が挙行されたがバラクーダ44機、コルセア18機、ファイアフライ12機、F4F18機の合計92機を出撃させたものの命中弾は得られなかった。
ちなみにこの作戦がファイアフライの初陣である。
なお8月15日には地中海でドラグーン作戦が発動され護衛空母5隻が参加した。
ついで8月22日、フューリアス、フォーミタブル、インディファティガブル、及び護衛空母2隻からバラクーダ31機F6F16機、ファイアフライ19機、コルセア24機、シーファイア8機の合計98機が出撃しティルピッツを攻撃したが雲に阻まれまたもや命中弾を得ていない。
更にこの作戦ではU354の雷撃によって護衛空母ナボブが大破すると言う失点まで重なった。
だが英海軍は諦めない。
8月24日にもフューリアス、フォーミタブル、インディファティガブルからバラクーダ33機、F6F10機、コルセア24機の合計67機が出撃し今回はなんとか1600ポンド爆弾1発、500ポンド爆弾1発を命中させる。
これが歴戦のフューリアスにとって最後のティルピッツ攻撃となり同艦は戦列を離れた。
(以降、練習艦任務につく。)
攻撃は8月29日にも続けられフォーミタブル及びインディファティガブルからバラクーダ26機、F6F7機、ファイアフライ10機、コルセア17機、シーファイア7機の合計61機が出撃したが命中弾は得られていない。
そしてこれが英空母による最後のティルピッツ攻撃となった。
ティルピッツ攻撃による英海軍の損失機累計は16機である。
それではティルピッツはその後、どうなったか?
結局、とどめをさしたのは英空軍のランカスター重爆による6t爆弾攻撃であった。
11月12日の事である。
さて英海軍艦隊型空母の動静であるがティルピッツが沈んでしまえば欧州にもはや強敵はいない。
よって12月、インディファティガブルが太平洋艦隊に編入され欧州にはフォーミタブルと8月28日に竣工したインプラカブルだけが残った。
この両艦が太平洋艦隊へ編入されるのも遠い先の事ではない。
ちなみに1944年9月時点での英海軍艦戦はシーハリケーン6、シーファイア173、ファイアフライ38、マートレット108、ヘルキャット92、コルセア228の総計645機である。
1位のコルセアは又しても35%...
結局の所、主力艦戦とは言えず1943年の1位であったマートレットがコルセアへ代替わりしたに過ぎない。
ただしマートレットが純粋な戦闘機であるのに対しコルセアは戦闘爆撃機なので戦爆の機種配分へ少なからぬ影響を及ぼす点に留意する必要がある。


第9節 終盤戦
いよいよ英海軍艦上戦闘機物語も最終局面に入る。
まずは1945年に於ける英空母の行動をかいつまんで見よう。
年初の時点で主力の装甲空母6隻は4隻が太平洋(インドミタブル、ビクトリアス、インディファティガブル、イラストリアス)、2隻が大西洋(フォーミタブル、インプラカブル)に展開していた。
大西洋方面に於ける英空母の動勢は1945年1月に護衛空母セインがU482の雷撃によって大破した以外、大きな変化はない。
一方、太平洋方面であるが1月4日にインドミタブル、ビクトリアス、インディファティガブルの3隻を主力とするローリングス中将指揮下の第113部隊(ちなみにフィッシャー少将指揮下の第112部隊は護衛空母を中心とした補給部隊)がベラワンデリを空襲、ついで1月24日には上記兵力にイラストリアスを加えた4隻から発進した144機がパレンバンを襲った。
パレンバン空襲は1月29日にも繰り返され同地の精油所が大打撃を蒙っている。
そして3月23日、この装甲空母4隻はアイスバーグ作戦(沖縄攻略)に参加する為、英第57機動部隊(ローリングス中将)としてウルシー泊地を出撃した。
この時の搭載機は総計223機とされておりイラストリアスが50機、インディファティガブルが69機を搭載していた。
よってインドミタブルとビクトリアスの2隻は104機を搭載していた事になる。
さて沖縄戦であるがここで英空母は絶え間ない特攻の猛襲を受ける。
まず4月1日にインディファティガブルとインドミタブルが損傷し6日にはイラストリアスも損傷した。
その後、14日にイラストリアスが新着のフォーミタブルと交代(イラストリアスは本国に帰投)し20日に先島群島を空襲した後、英第57機動部隊は一旦、レイテへ帰投する。
(1944年1月に回航されたイラストリアスは太平洋戦域で最古参の英装甲空母であり最も船体疲労が激しかった。)
5月になると英第57機動部隊は再び前線に戻ったが4日にインドミタブルとフォーミタブル、9日はビクトリアスとフォーミタブルが特攻によって損傷した。
沖縄戦に於ける英第57機動部隊の損害は搭載機160機(事故を含む)、搭乗員85名に及ぶが装甲空母であった事が幸いし船体に重大な損傷を受けた艦はなかった。
なお1945年前半期に英海軍空母が活躍したのは沖縄戦だけではない。
5月15日には英第61機動部隊(ウォーカー少将)の第21空母戦隊(護衛空母ハンター、シャー、エンペラー、ケーディブ)がインド洋で日本海軍の重巡羽黒追撃戦に参加(英駆逐艦が撃沈)した。
更に6月、インプラカブルが太平洋へ回航され10日には同艦と護衛空母ルーラーを主力とする英第111部隊(ブリンド少将)がトラックを空襲している。
そして6月28日、英第37機動部隊(ローリングス中将)に再編された英空母部隊はシドニーを出港し日本本土へ向かった。
所属空母は後日、マヌスで合流した艦などを含めインディファティガブル、インプラカブル、フォーミタブル、ビクトリアスの4隻(インドミタブルは修理の為、残留。同艦もまたイラストリアスについで太平洋戦域では戦歴が古かった)、搭載機は255機(270機とする資料もある)であった。
英第37機動部隊の英空母は7月18日の日立空襲を皮切りに8月上旬まで日本本土を空襲して廻ったが8月11日には作戦を終えシドニーへ帰還している。
ただしインディファティガブルのみは以後も米艦隊と行動し日本近海に残留した。
なお7月25日には英第63機動部隊(ウォーカ−中将)がプーケット上陸作戦を敢行し護衛空母アミーアとエンプレスがこれに加わった。
この作戦中の7月26日、アミーアが特攻によって損傷している。
英海軍は更に太平洋艦隊の空母戦力を増強する為、最新鋭の艦隊型軽空母4隻(コロッサス、グローリー、ベネラブル、ベンジャンス)からなる第11空母戦隊をシドニーへ回航したが到着したのは終戦当日であった。
よってこれらの軽空母は戦後、香港やラバウルの接収に従事しただけであり実戦には参加していない。
もし早くに到着していれば大きな攻撃力を発揮したと思われるが装甲のないコロッサス型は損害もまた大きかったであろう。

さて1945年4月時点での英海軍艦戦だがシーファイア193、ファイアフライ61、マートレット73、ヘルキャット224、コルセア275の総計826機であった。
前年9月の総計が645機なので増加分は181機となる。
かたや空母の増加は搭載機数48機のコロッサス型4隻だけなので額面上は48×4=192機。
とすれば192−181=11なのだからコロッサス型4隻で艦攻はたった11機?
そんな事はあるまい。
恐らく英空母全体の戦爆比が変動したのであろう。
ちなみに開戦時に英空母が搭載していた艦上機はソードフィッシュ147、スキュア26、ロック4、Sグラジエーター12の合計189機であった。
すなわち戦爆比は8.4%(スキュアを戦闘機として数えるなら22%)となる。
また開戦時の英海軍艦上戦闘機をシーグラジエーター12、スキュア18、ロック6の総数36とする資料(総数232)もある。
この場合、戦爆比は7.7%(スキュアを戦闘機として数えるなら15.5%)だ。
それに対し1945年時、イラストリアスはF4U35機、TBF15機を搭載しており戦爆比70%、同時期のインディファティガブルはシーファイア40機、TBF20機、ファイアフライ9機を搭載して71%であった。
すなわち開戦時に比べ戦爆比が大幅に増大した事が判る。
また総計826機の戦闘機中67%の560機が戦闘爆撃機である事に注意せられたい。
ちなみにヘルキャット(英名ガネット)は英海軍へ1262機送られたがそのうち930機が戦闘爆撃機の5型であった。
よってこの時期に英海軍が使用していたヘルキャットは大部分が戦闘爆撃機であったと推測される。
戦闘機の機種についてはやはり1位のコルセアは33%だけだったが前年2位だったシーファイアが3位へ転落し援英機が全体の69%を占めるに至った。
次回は英海軍艦上戦闘機について総括して見たいと思う。


第10節 総括
英海軍の艦上戦闘機は大きく3系統に区分される。
それは艦載機として開発された複座戦闘機、陸上機を艦載化した単座戦闘機、援英機の米国製単座戦闘機である。
第2次世界大戦に際し空母を保有した国は日英米仏の4カ国であったが複座艦上戦闘機を開発し大規模に運用したのは英海軍のみであった。
ちなみにスキュアは艦爆であったが実質的には複座艦上戦闘機でありフルマー、ファイアフライへと続く複座戦闘機の先駆的存在に位置づけられる。
さて、複座戦闘機が単座戦闘機に比べ決定的に空戦能力が低い事は明白であるが英海軍が他国と異なり複座戦闘機を求めた理由としては以下の3点が考えられる。

1.洋上航法が可能なので攻撃隊の護衛戦闘機として有効である事。
2.上記と同じ理由により偵察機として使用できる事。
3.戦闘爆撃機として有効である事。

ただし1については爆撃機と同行する場合、戦闘機自体に洋上航法能力は必要無いし2についても偵察に回せるだけ充分な数の爆撃機があれば戦闘機を複座化する必要は無い。
3にしても別段、戦闘爆撃機が複座機でなければならない必然性はなく「単に英海軍の複座戦闘機の爆弾搭載力が大きかった」と言うだけだ。
それよりも英海軍が空母機動部隊の防空を戦闘機ではなく高角砲と装甲空母に委ねた事が重要である。
英海軍は6隻の艦隊型空母を保有して第2次世界大戦の勃発を迎え1943年末までに4隻の艦隊型空母を増加させたが同時点までの期間にダイドー型防空巡15隻を竣工(ダイドー型は16隻だが最終艦ダイアデムの竣工は1944年であった)させD型軽巡1隻、C型軽巡8隻を防空巡に改装した。
全ての防空巡が空母機動部隊の護衛に随伴した訳ではないが艦隊型空母10隻に対し防空巡24隻は大変多い。
米海軍の場合、開戦時の保有数7隻に1943年末までの増加数16隻で合計23隻の艦隊型空母に対し同時期の防空巡は6隻に過ぎなかった。
もっとも「新造駆逐艦の全てが防空駆逐艦」であった米海軍に対し英海軍はO型のうち4隻とL型のうち4隻及びP型8隻しか防空駆逐艦を建造しなかったので「英海軍の方が対空火力が強かった」とは言えないのであるが。
いずれにせよ第2次世界大戦勃発時、英海軍の空母が保有する単座戦闘機はシーグラジエーター12機だけであった。
果たして「複座戦闘機では充分な防空力足り得ないから装甲と高角砲を強化したのか?」それとも「装甲と高角砲で充分な防空力になりうるから戦闘機の複座化に進んだのか?」
卵と鶏の先を問うのと同じだが初の装甲空母イラストリアスが1936年度計画によって建造されておりスキュアの開発が試作発注1935年4月、初飛行1937年2月である事を考えると「理論の先行による同時進行形」の様にも見える。
(それを裏付けるかの如くスキュアは試作機の完成前から量産指示が出されている。)

空母は「艦隊の目」であり「一つでも多くの目が欲しい」と言う理屈は判る。
しかし機動力の低下を忍んでまで戦闘機を複座化し搭載機数の低下を忍んでまで空母の飛行甲板を装甲化する意味はどこにあるのであろうか?
私は「単座戦闘機と言えども複座機に随伴すれば洋上飛行できる」と言う「当たり前の事」を英海軍では「当たり前の事」だと考えていなかったのだと思う。

さてそれでは英海軍艦上戦闘機の変遷について解説しよう。
1939年1月の第2次世界大戦勃発時、英海軍は42機の艦上戦闘機を保有していたがそのうちの30機(ロック4、スキュア26)が複座機(全体の71%)であった。
そして1年後の1940年9月には艦上戦闘機78機中、複座機は63機(スキュア33、フルマー30で全体の80%)となる。
しかし複座機の全盛期はここで終わった。
1941年9月には艦上戦闘機129機中、複座機は58機(全機フルマー、44%)となり1942年9月には艦上戦闘機253機中、複座機は64機(全機フルマー、25%)にまで低下した。
更に1943年9月には艦上戦闘機339機中、複座機はたった3機(全機フルマー0.8%)となってしまいもはや複座戦闘機の系列そのものが消滅するかに見えたが翌年はフルマーの後継機ファイアフライの登場によって艦上戦闘機645機中、複座機は38機(全機ファイアフライ5.8%)に盛り返す。
まあ盛り返したと言っても微々たる数で「メーカーに対する申し訳程度」に過ぎない。
最終局面の1945年5月に至ってもこの兆候は変わらず艦上戦闘機826機中、複座機は61機(全てファイアフライ、7%)だけであった。
すなわち「複座機が英海軍艦戦の主力」であったのは1941年までであり以降、急速に単座戦闘機が増えて行く。
ただし単純に複座機が単座機に代わったのではない。
前述の数値を見て頂ければお判りと思うが第2次世界大戦勃発から始まって30機、63機、58機、64機、3機、38機、61機と推移している。
つまり機材更新の過渡期であった1943年から1944年の減少を除けば総数としての変動は少ない。
よって「複座機が減ってその分だけ単座機が増えた」とするのは当たらない。
「空母の数が増えたからその分だけ増えた」と考える事もできる。
だがそれだけでは説明がつかない程、単座戦闘機の増加は顕著だ。
単座戦闘機に取って代わられたのは実は艦攻なのである。
英海軍では元々、艦戦が少なく艦攻が多い。
第2次世界大戦勃発時に保有していた艦上機189機中、艦戦は8.4%、艦爆は13.6%なのに対し艦攻は78%にも及ぶ。
(艦上機数を232機とする資料もあるがこちらだと艦戦7.7%、艦爆7.8%、艦攻84.5%となる。いずれにしてもこれはスキュアを艦爆として見た場合の数値であり艦爆を0%として計算し艦戦に繰り込んだ方が良いかも知れない。)
これを日米海軍と比べて見よう。
日本海軍の場合、開戦時の飛龍が艦戦36%、艦爆31%、艦攻31%、翔鶴が艦戦25%、艦爆37%、艦攻37%で3機種がほぼ均衡している。
その後、若干変動し艦戦が増えて行ったが米英に比べれば均衡が続いた。
一方、米海軍の場合、開戦時のヨークタウンが艦戦23%、艦爆51%、艦攻18%、その他6%で艦爆偏重であったが以降は艦戦の増加が進み南太平洋海戦時のエンタープライズでは艦戦41%、艦爆43%、艦攻15%と極端な艦攻軽視になっていった。
当然ではあるが艦爆の主敵は空母、艦攻の主敵は戦艦である。
ただし空母と言えど装甲空母であれば艦爆より艦攻の方が有効であろう。
つまり装甲空母に主軸を置く英海軍にとっては艦攻が大敵であり装甲空母でない米海軍にとっては艦爆が大敵となる。
米英いずれも「自分にとって大敵となる機種」を主力とした事は興味深い。
この両国が交戦するケースは殆どありえないが両国海軍は仮想敵(つまり日独伊、場合よってはこれに仏)の空母建造方針をどう考えていたのだろうか?
「自分と同じ様に敵も考える」と信じていたのだろうか?
もし日本が翔鶴型から空母の装甲化をはじめていたとしたら?
米海軍の艦爆は無力化していたであろう。
日本が装甲空母を建造しなかったら?
艦攻中心に編制された英海軍艦上機部隊は立つ瀬がなくなる。
(英海軍艦上機部隊が日本海軍の装甲空母を攻撃する事例は存在しなかったが)
まあ「艦爆主体で編制された米空母」と「艦攻主体で編制された英空母」の双方を仮想敵として意識せねばならなかった訳だから日本海軍が均衡思想に落ち着いた理由もなんだか判る様な気がする。
ありえそうな話ではないが米英の空母機動部隊が戦ったらどうなるのだろう?
米海軍が用意した艦爆の大群は英海軍の装甲空母に有効な打撃を与えられずさりとて艦攻はほんの少ししかない。
英海軍だってせっかく用意した艦攻の相手が装甲の無い空母では...
恐らく双方とも有効打を浴びせられず空母はその真価を発揮できないだろう。
米海軍が艦攻、英海軍が艦爆を主力とすればブラッディな戦いになると考えられるが。

さて、話を戻そう。
英海軍の空母搭載機は異様に艦攻が多く次第にこれが単座戦闘機に代えられていった。
理由は艦隊の上空直衛能力を増す為である。
その理由は何か?
地中海とバレンツ海で枢軸側航空機による艦船被害が激増した為だ。
ソ連に向かう船団にとってノルウェーのドイツ空軍は脅威でありマルタへ向かう船団にとっても地中海沿岸の枢軸側空軍は恐るべき相手であった。
つまり英海軍にとって艦隊直衛能力の増強が焦眉の急となったのは地中海での戦いが激化(クレタの陥落によって焦点がマルタに移る)し独ソ戦が勃発した1941年6月以降と言う事になる。
これを裏付けるかの様に開戦後、2年間に渡って英海軍は単座艦戦を増勢させていない。
当初、戦闘機を搭載していなかったイーグルにシーグラジエーターを搭載(たった3機だけ。それも搭乗員は艦攻乗り。)したりバレンツ海にCAM船を投入したりしてお茶を濁している。
だが1941年に装甲空母のイラストリアスやフォーミタブルがドイツ空軍機によって大破した事がよほどつらかったのだろう。
打開策が「一刻も早く高性能の単座艦戦を開発する事」と「空母の新造を急ぐ事」ならびに「空母の単座戦闘機搭載数を増やす事」に尽きるのは明白である。
よって3年目の1942年9月時では単座艦戦が激増するに至った。
もっともいきなり単座艦戦を増やそうとしてもそう簡単に問屋は卸さない。
もはや戦時中なのだから「高性能の単座艦戦」を独自に開発するのは無理だ。
やむなく当座は英空軍の陸上機を改造した暫定的単座艦戦か米国製の輸入品(援英機)に頼る事になる。
(英海軍が「独自の単座艦戦開発」を諦めた訳ではない。後述する。)
かくして英海軍の単座艦戦はシーグラジエーターからシーハリケーン、シーファイアへと続く「英空軍改造機の系列」とマートレット(F4F)、コルセア(F4U)、ガネット(F6F)からなる「援英機の系列」に分化した。
これらのうちもっとも大きな影響をなしたのはコルセアであろう。
1940年に試作機が初飛行したコルセアは1941年6月に制式化されたものの特異な形態から実用化に遅れ量産型が完成は1942年6月まで遅れた。
しかも同年9月に行われた米空母の着艦テストでは艦戦としては不適と判断され海兵隊の陸上機として配備されたのである。
だが英海軍は性能の高いコルセアを艦戦として運用する事を諦めず1943年6月からはイラストリアスへ搭載されるに至った。
英海軍のコルセア艦載化に影響された米海軍もこれを追随したが米空母のコルセア搭載は1945年(艦載の再テストは1944年4月に実施)まで遅れた。
なおコルセアは単に高性能な戦闘機であっただけではなく爆弾搭載量が大きかったので戦闘爆撃機としても有力であった。
コルセアの登場まで英海軍空母の攻撃力は艦攻と複座艦戦に委ねられていたが以降は単座艦戦でも大きな攻撃力となったのである。
かくしてコルセアは単座艦戦の福音であると共に複座艦戦衰退及び艦攻減少の引き金ともなった。
ただしコルセアにも欠点があった。
巨大な解放式格納庫の米空母を対象として設計されていた為、主翼を折畳むと翼端が天井につかえてしまうのである。
よって英海軍向けのコルセアでは翼端を若干、短縮せねばならずそれでもまだ天井の低いインプラカブルとインディファティガブルには搭載できなかった。
またインドミタブルの場合は下段格納庫にしか搭載できない。

さてここで英海軍に於ける単座艦戦と複座艦戦をもう一度比較して見よう。
まず当初の考えだが単座艦戦は防御的兵器、複座艦戦は攻撃的兵器であった。
艦隊の上空直衛専任の単座艦戦に対し複座艦戦は洋上航法できるので攻撃隊の護衛に使用できたからである。
それでは交戦対象について考えて見よう。
空母機動部隊同士の艦隊戦で直接、艦船に攻撃を加えるのは艦攻、艦爆(もしくは爆弾を搭載した戦闘機、以降で艦爆と表記する場合は戦闘爆撃機も含める)である。
よって直衛戦闘機が敵の艦攻、艦爆を撃滅したならばいくら敵の戦闘機が襲ってこようとさして問題にはならない。
すなわち直衛戦闘機は攻撃隊の艦攻、艦爆を撃退するのが主任務(敵の護衛戦闘機と戦うのは副次的任務に過ぎない)であり攻撃隊の護衛戦闘機は直衛戦闘機から艦攻、艦爆を守るのが主任務(目標となる敵艦隊上空に敵の艦攻、艦爆が存在するケースはあまりない。)となる。
戦闘機と戦闘機が戦うには機動力の優劣が重要な要素となるのは明白だ。
つまり直衛戦闘機と戦う護衛戦闘機には機動力が要求されるのだが複座艦戦は機動力で単座艦戦に優るのであろうか?
答えは否である。
優るどころか極端に劣ってると言えよう。
結論として「複座艦戦は護衛戦闘機として不適」となる。
それでもなお英海軍が複座艦戦に執着した理由は何処にあるのだろう。
複座艦戦でなければ護衛任務をこなせないと誤解しつづけたのであろうか?
はたまた偵察機に空戦能力を持たせたかったのであろうか?
いずれにしても艦爆や艦攻と同一行動を取るのなら単座艦戦で充分な護衛任務が果たせる事を零戦やF4Fが実証し単座艦戦が戦闘爆撃機として優秀な事をコルセアが実証した。
やむなく英海軍もこれに追随し多数の単座艦戦を空母へ搭載するに至ったが「英海軍独自の単座艦戦」を開発する計画は無かったのであろうか?
ある。
複座艦戦を量産した世界唯一(と言っても空母保有国自体、他に日米仏しかないが)の英海軍であったが「まったく単座艦戦を無視」していた訳ではなかった。
1940年に開発着手されながら第2次世界大戦に間に合わなかったファイアブランドは英海軍初にして最後の「英海軍独自の単座艦戦」であった。
なおファイアブランドは当初、直衛専用の単座艦戦として開発(1940年なのだから当然である)されていたが1942年2月27日の試作機発飛行後、同年夏から攻撃にも使用できる単座艦戦に方針が変更された。
だが護衛任務に従事する艦戦としてではない。
なんと自機が魚雷を搭載する「雷撃戦闘機」としてである。
この雷撃戦闘機型(2型)は1943年3月に初飛行したが装備している水冷エンジンが供給不足に陥った為、急遽空冷エンジン装備の3型が開発(1943年12月初飛行)され更にダイブブレーキを装備し急降下爆撃が可能な4型がこれに続いた。
ただし4型が初飛行を迎えたのは1945年5月であり最初の部隊配備が編制されたのは太平洋戦争が終結した同年9月であった。
雷撃と急降下爆撃の双方が可能で20o機銃4門を装備しているのは結構だがファイアブランドの速力は560kmに過ぎずこの時点では世界最弱の艦戦に過ぎなかった。
だがひとつ見方を変えてみよう。
「20o機銃4門を装備し雷撃と急降下爆撃が可能な単座の航空機」と言えば...
驚くべき事に米海軍のモーラーやスカイレーダーがこれに相当するではないか。
スキュアが「限りなく艦戦に近い艦爆」であったと同じくファイアブランドは「限りなく艦攻に近い艦戦」と考えられよう。
もっともモーラーの爆弾/魚雷搭載力はファイアブランドの3倍で航続力は2.5倍、速力だって30q以上高かったが。
いずれにしても低性能な万能機であるファイアブランドは220機しか生産されずより高性能なターボプロップ艦攻ワイバーンと交代させられてしまった。

結論づけると英海軍艦戦の変遷は複座艦戦から単座艦戦への移行であり以下の要因がキーワードとなる。
1.地中海及びバレンツ海の戦闘で直衛戦闘機不足を痛感した。
2.単座艦戦でも護衛任務に充当できる事が判明した。
3.充分な爆撃能力を持つコルセアが単座艦戦として登場した。

「第二次大戦中の英国の標準的な艦載戦闘機は何か?」と尋ねられ「最初はフルマー、次は英空軍機の改造機と米海軍の援英機とファイアフライのごたまぜ」と答えるのは簡単だ。
これが日本海軍の場合だったら「零戦」と即答すりゃ良いし米海軍でも「F4Fと後継のF6F。F4Uは艦戦不足から海兵隊の戦闘機部隊を空母へ搭載したケースが大部分。」と答えれば説明しなくても大体納得して貰える。
だが英海軍の場合は「なぜごたまぜになったのか?」を説明すると結構、骨が折れる。

かくして2004年8月末から始まった英海軍艦戦の話も足かけ4ヶ月を経てこれでおしまい。


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