本文の要旨は緒戦期に於ける日本軍航空機及び搭乗員の補充及び損耗状況の概括である。
一般的に緒戦期の日本軍航空部隊は鎧袖一触の戦いを繰り広げたとされているが、意外と損耗が多い事を御理解頂けると思う。
1.補充について
さて、戦史叢書87巻295頁では日本陸軍が開戦劈頭の南方作戦に用意した航空機数を591機としている。
だがこの数値は実数ではない。
開戦時、台湾の第5飛行集団に所属する戦闘機部隊には第24と第50の2個戦隊(計6個中隊72機)があったはずだが、この資料では1個戦隊分の36機しか記載されておらず、その他にもだいぶ機数が少なくなっている。
なお太平洋戦記2で南方地域に展開する陸軍航空機を合計すると合計712機となるが、これは実際の数よりやや多い。
例えば南方作戦に1式戦装備の部隊は第59と第64の2個戦隊が投入されたので72機としているが、実際には未充足であり1式戦は約40機しか用意できなかったらしい。
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1式戦1型 |
よって南方作戦に投入された日本陸軍機は600〜700機である事をまず含み置き頂きたい。
(310頁の充足状況表では1941年12月末の南方軍所属航空機数を定数991機:実数743機:充足率75%としている)
それでは本題にはいろう。
前掲の戦史叢書308頁にある損耗状況一覧表によれば、1941年12月から1942年3月までの航空機損耗合計はなんと588機となっている。
295頁の591機と照らし合わせると損耗率は99.4%だ。
(太平洋戦記2の712機と比較しても82.5%に達する)
それでは第1段階作戦終了時、南方に存在する日本陸軍機は3機だけだったのか?
そうではない。
損耗に対して内地から新造機などが補充されている。
309頁に航空機補充の実績が載っているので見比べてみよう。
機種 |
損耗 |
補充 |
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18機 |
24機 |
97式司偵 |
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16機 |
23機 |
100式司偵 |
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68機 |
85機 |
99式襲撃機 |
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134機 |
83機 |
97式戦 |
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83機 |
96機 |
1式戦 |
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機種 |
損耗 |
補充 |
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33機 |
34機 |
97式軽爆 |
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92機 |
80機 |
99式双軽 |
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92機 |
87機 |
97式重爆 |
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5機 |
6機 |
2式単戦 |
その他 |
47機 |
41機 |
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損耗合計 |
補充合計 |
688機 |
549機
(−39機) |
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つまり最初にあった機数から39機減っただけで戦力的にはさして低下していない。
少々減り方が目立つのは99式双軽で「有力な機種だが防御力が弱いので大いに使われ大いに損耗した」のがうかがえる。
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99式双軽 |
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97式戦 |
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また97式戦も大きく減ったが反面、1式戦が大きく増えた。
これは未充足の1式戦2個戦隊に配備されていた97式戦が1式戦に更新された為と考えられる。
すなわち開戦時に1式戦約40+97戦であった第59及び64戦隊は、第1段階作戦終了時に1式戦53機を保有していたのであろう。
ただし開戦時、南方軍に所属していた航空部隊の全てが第1段階作戦終了時まで作戦に従事していた訳ではないし、逆に途中から編入された航空部隊もあるので上記の表は必ずしも絶対的な保有機数とは言い難い。
だが第一段階作戦に於ける陸軍航空部隊の全体像を把握するには好適な資料と言える。
ちなみに1941年末の充足率75%に対して1942年3月末の充足率は73%(310頁の表より)なので、おおむね「開戦時とほぼ同等」と考えられよう。
しかしそれにしても「順風満帆の勝ち戦」とうたわれた第1段階作戦にしては随分多くの損害がでた物である。
勝ち戦でこれだけの損害が出るのだから消耗戦や負け戦となったら...
果たしてどの様な理由でこれだけの大損耗が発生したのであろうか?
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