日本陸軍が編成した最大規模の戦車部隊は機甲軍であり戦車師団がそれに準ずる。
ただし機甲軍は昭和17年4月に設立されたものの昭和18年10月には解散してしまいまったく実戦を経験しなかった。
更に戦車師団もルソン戦と大陸打通作戦を除く師団単位で運用された戦例はない。
戦車師団は本来、4個戦車連隊編成なのだがこの両作戦にしても大陸打通作戦は戦車第3師団が2個連隊、ルソン戦も戦車第2師団は3個連隊しか戦車連隊を保有していなかった。
これらの作戦でも集中運用はされず連隊単位で逐次投入されている。
加えて色々な資料に出てくる戦車第2、第3師団の作戦投入戦車数はどうも釈然としない部分がある。
よって日本軍の戦車部隊運用は連隊単位で把握するのが良いであろう。

95式軽戦車
97式中戦車
98式中戦車

開戦時の日本戦車部隊兵力
開戦時の陸軍戦車部隊兵力は戦車連隊数計15個(1〜14、23)

第1戦車団(3、5、9連隊)
第2戦車団(4、10、11連
第3戦車団(1、2、6連
その他6個独立連隊

南方攻略には7個連隊を使用する予定であったが、実際に使用されたのは6個であった。
その内訳は以下の通りである。
第3戦車団、独立4、7、14連隊(14連は第3戦車団へ配属)

それでは開戦時に各戦車連隊はどれだけの戦車を保有していたのであろうか。
原乙未生著「日本の戦車」から実数を挙げてみよう。

保有車両 合計数
1連隊 (95式軽戦車×15、97戦車×31) 46両
4連隊 (95戦車×38) 38両
5連隊 (97戦車×38) 38両
6連隊 (95戦車×12、97戦車×25) 37両
7連隊 (89戦車×32) 32両
11連隊 (95式軽戦車×5、89式中戦車×8、97式中戦車×28) 41両
14連隊 (95戦車×32) 32両
23連隊 (95軽戦車×10、97戦車×36) 41両

一瞥して判る様に各戦車連隊の戦車保有数は約40、また4連や14連の様に軽戦車のみからなる部隊(これが4個連隊あった)と5連や7連の様に中戦車のみの部隊、その他の部隊の様な混成など3パターンの編成があった。
開戦時の実数が判らない部隊もあるし混乱も避けたいので太平洋戦記2では1個連隊を40両とし、混成の場合は軽戦車10両、中戦車30両としてデータ化した。
なお多くの軽戦車連隊が後に混成へ改編されている。


第2段階作戦兵力拡充
昭和17年の第1段階作戦終了後、第2段階作戦に備え大規模な部隊改編を行う。
これにより第1機甲軍、および1〜3戦車師団を編成。
昭和17年に於ける戦車連隊総数22、その配置は以下の通り。

満州 第1機甲軍(満州東部)
  戦車第1師団(牡丹江)1、3、5、9連隊
  戦車第2師団(勃利:東安付近)6、7、10、11連隊
教導戦車団(公主嶺)23、24連隊
15連隊(孫呉)、16連隊(ハイラル)
北支 戦車第3師団(包頭)8、12、13、17連隊
内地 独立2、18、19、22連隊
蘭印 4連隊
ビルマ 14連隊
連隊番号の内20、21は欠番
新設は15〜19連、22、24連隊の7個

一見すると大量に部隊が編成された様であるが、戦車第1及び第2師団は第1及び第2戦車団に1個連を増加させ改編した部隊に過ぎず、戦車第3師団は騎兵集団を改編した部隊であった。
また15連は第1師団戦車隊、16連は第23師団戦車隊を改編した部隊であり、全くの新設部隊ではない。


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